7月26日「今日は何の日」・ポツダム宣言
- 2018/07/26
- 20:18
7月26日「今日は何の日」・ポツダム宣言

副題:1945年7月26日の「ポツダム宣言」に関しては、その前史、その後の世界の歴史等をコンテキストとして、つなげて考え理解しないとトンデモない方向へと話が飛躍してしまうので注意が必要だ。
エンジンをかけるとカーナビが「今日は7月26日、「幽霊の日」です」との音声が流れた。
「幽霊の日」なんか聞いたことがない。
知らない事は調べてみる、が信条なので、ちょっと調べてみたら、東海道四谷怪談の初演の日だからだそうだ。西暦1825年、まだ江戸時代の話である。
しかし、カーナビの「今日は何の日」は、基本的には無色透明なものを選択している様で、以前、2月22日には「ネコの日」と言っていた。
2月22日は「竹島の日」でもあるのだが、「ネコの日」を選択していたのである。
これと同様に、本日7月26日は、1945年のポツダム宣言の日であり、歴史的重要性に於いてはポツダム宣言の方が重い。
しかし、戦後の我が国は、先の大戦に至る歴史及び先の大戦に関する歴史を探求することを避けており、その代わりに「日本悪玉論」で染め上げられているので、無難な「幽霊の日」をカーナビメーカーは選択しているのであろう。
1945年から既に70年以上の時間が経っており、素直に「歴史」として史実を見ることが可能な時期になっていると思うのだが、実際は、「竹島の日」とい同様に「無難じゃない」との扱いを受けているのは、多分、我が国の政治的環境が、現状に於いてもポツダム体制を基盤に成り立っており、「ポツダム宣言」が未だに政治的に有効なのだからだと推察される。
ここで簡単なクイズを出す。
Q:1945年7月26日の「ポツダム宣言」は、誰の名前で誰に宛てて出されたか?
クイズにするのなら、「ポツダム宣言の内容」を問題にする方が相応しいのだが、もっとも簡単な「Who」を聞くクイズである。
以下の中から選択していただきたい。
A:アメリカ、イギリスが日本に対して
B:アメリカ、イギリス、ソ連が日本に対して
C:アメリカ、イギリス、中華民国が日本に対して
D:アメリア、イギリス、ソ連、中華民国が日本に対して
E:アメリカ、イギリス、ソ連、中華民国が日本・韓国連合に対して
F:アメリカ、イギリス、ソ連が日本・韓国連合に対して
G:アメリカ、イギリス、ソ連、中華民国が日本・韓国連合に対して
それではクイズの回答である。
先ず、「誰に向けて発せられたのか」であるが、1945年当時に「韓国」はまだ建国されていないので、「日本・韓国連合に対して」とあるE、F、Gは総て不正解である。
次に、「発したのは誰か」である。
ポツダム宣言の「ポツダム」とは何を意味する言葉かと言うと、これは地名である。
ドイツのブランデンブルグ州の州都がポツダムである。第二次世界大戦の欧州戦線は、5月8日の降伏文書の署名で既に終焉を向かており、1945年7月当時、ポツダムはソ連軍の占領下にあった。その後の東西ドイツへの分断により東ドイツ領となった地である。
そのポツダムの地で、アメリカ、イギリス、ソ連の3ヶ国の首脳により、1945年7月17日から8月2日まで開催されたのがポツダム会談(*1)である。
ポツダム会談期間中に出された「Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender」=「直訳:日本降服の為の条件の定義の宣言」がポツダム宣言である。
アメリカ、イギリス、ソ連の3ヶ国首脳のポツダム会談は、開催最終日の1945年月2日付でポツダム協定を取りまとめ終了した。ポツダム協定とは、戦後ドイツの統治及び戦後欧州の処置の取り決めである。
クイズの回答の前に、「ポツダム」との地名が付され歴史的出来事には、ポツダム宣言の他に「ポツダム会談」、「ポツダム協定」があることを説明したので、混乱したかもしれないが、ポツダム宣言は、アメリカ大統領、イギリス首相、中華民国政府主席の名前で発せられている。
具体的には、トルーマン、チャーチル、蒋介石である。
従い、クイズの答は「C:アメリカ、イギリス、中華民国が日本に対して」である。
ポツダム会談に出席していなかった蒋介石の名前があり、出席していたソ連・スターリンの名前がない事を奇妙に思った方は、歴史の真実に一歩近づいた方である。
また、アメリカ大統領がルーズベルトではなくトルーマンであることも「歴史の皮肉」である。(*2)
現在の我々は、ポツダム宣言後に起こったことを知っている。
ポツダム宣言後の約3週間後の8月15日の玉音放送・終戦の詔勅に至る、広島・長崎の原爆投下、8月9日の日ソ不可人条約を一方的に破棄してのソ連参戦である。
終戦の僅か1週間前のソ連参戦の卑怯は、ルーズベルト・スターリンによるヤルタ密約によるものだ。ドイツ降伏後3ヶ月でソ連は対日参戦するとの密約である。
ヤルタ会談が行われたのは1945年2月4日から11日。ドイツ降伏が同年5月8日。ソ連の満州侵略が同年8月9日である。
この様に、ソ連参戦を知っているので、ポツダム宣言をした国にソ連が入っていると勘違いをしてしまうことは、ある意味、仕方がないことだ。
1945年2月時点でソ連は裏でルーズベルトと密約を結んでいた(*3)のにも関わらず、あたかも「日ソ不可侵条約を守ってます」の様な顔をしていたのがスターリンなのである。
実際、日本側は、1945年3月にはスウェーデンを仲介者として戦争終結の動きをしており、それが不調に終わると、同年7月13日から21日にソ連に対して、和平交渉の仲介者を依頼している。和平仲介依頼の返事がソ連かしないことから、7月25日には再度の要請をしている。(*4)
しかし、その時、ソ連・スターリンはポツダム会談に出席していたのであり、翌日にはソ連・スターリンの名前はないが、アメリカ、イギリス、中華民国の3ヶ国によるポツダム宣言が発せられたのである。
ポツダム宣言には、ポツダム会談に出席していない中華民国(当時の略称表記は「支」)蒋介石の名前がある。1945年の時点で奥地の重慶に封じ込められていた蒋介石の名前があるのは奇妙な話なのだが、これには1943年(昭和18年)11月22日から26日にかけて行われたカイロ会談が関係している。
ポツダム宣言の中には「カイロ宣言」との文字列があり、そこで戦後日本の領土範囲が記されている。
ところが、カイロ宣言は上記した「カイロ会談」後の1943年(昭和18年)12月1日に要件不備なまま発表されたもので、その内容は、1943年時点では、まるで妄想レベルのものであった。(*5)
1943年時点では、その前年にミッドウェーでの大敗北があったものの、赤道以南で日米はガチンコの戦いをしている最中であり、蒋介石は重慶の奥地に逃げ込んでおり、そういう状態で「無条件降伏せよ」、「台湾、満州等を蒋介石に返せ」、などと書いてあるカイロ宣言などは「実情とは無関係に宣言する特定アジア方式の戯言」でしかない。
しかし、アメリカとの死闘に敗れた後のポツダム宣言では、蒋介石の大言壮語が「降服の条件」になってしまっているのである。
なんとも理に適わないのだが、それが実際に起こった歴史である。
終戦後、世界は東西冷戦構造へと変貌した。所謂「ポツダム体制」である。
その冷戦構造もソ連崩壊で欧州では終焉したのだが、アジアに於いては形を変えて続いているのである。
1945年7月26日の「ポツダム宣言」に関しては、その前史、その後の世界の歴史等をつなげて考え理解しないと、トンデモない方向へと話が飛躍してしまうので注意が必要だ。
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【文末脚注】
(*1):ポツダム会談:アメリカ、イギリス、ソ連の3ヶ国の首脳により、1945年7月17日から8月2日まで開催された会談
2016/11/22投稿:
フーバー回顧録Doc.18-10・ポツダム会談
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-548.html
(*2):ポツダム会談に出席したアメリカ大統領は、ルーズベルトではなくトルーマン。
2017/03/10投稿:
「ルーズベルトに与える書」を読む
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-624.html
2017/03/11投稿:
「ルーズベルトに与える書」を読む2Final
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-625.html
(*3):1945年2月時点でソ連は裏でルーズベルトと密約を結んでいた
2016/11/19投稿:
フーバー回顧録Doc.18-8・ヤルタ会談
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-546.html
(*4):1945年3月にはスウェーデンを仲介者として戦争終結の動きをしており、それが不調に終わると、同年7月13日から21日にソ連に対して、和平交渉の仲介者を依頼している。和平仲介依頼の返事がソ連かしないことから、7月25日には再度の要請をしている。
2016/11/20投稿:
フーバー回顧録Doc.18-9
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-547.html
(*5):カイロ宣言・カイロ会談
2016/09/19投稿:
フーバー回顧録・目次6
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-503.html
2016/09/23投稿:
フーバー回顧録・目次7
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-506.html
2016/11/17投稿:
フーバー回顧録Doc.18-7
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-544.html
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エンジンをかけるとカーナビが「今日は7月26日、「幽霊の日」です」との音声が流れた。
「幽霊の日」なんか聞いたことがない。
知らない事は調べてみる、が信条なので、ちょっと調べてみたら、東海道四谷怪談の初演の日だからだそうだ。西暦1825年、まだ江戸時代の話である。
しかし、カーナビの「今日は何の日」は、基本的には無色透明なものを選択している様で、以前、2月22日には「ネコの日」と言っていた。
2月22日は「竹島の日」でもあるのだが、「ネコの日」を選択していたのである。
これと同様に、本日7月26日は、1945年のポツダム宣言の日であり、歴史的重要性に於いてはポツダム宣言の方が重い。
しかし、戦後の我が国は、先の大戦に至る歴史及び先の大戦に関する歴史を探求することを避けており、その代わりに「日本悪玉論」で染め上げられているので、無難な「幽霊の日」をカーナビメーカーは選択しているのであろう。
1945年から既に70年以上の時間が経っており、素直に「歴史」として史実を見ることが可能な時期になっていると思うのだが、実際は、「竹島の日」とい同様に「無難じゃない」との扱いを受けているのは、多分、我が国の政治的環境が、現状に於いてもポツダム体制を基盤に成り立っており、「ポツダム宣言」が未だに政治的に有効なのだからだと推察される。
ここで簡単なクイズを出す。
Q:1945年7月26日の「ポツダム宣言」は、誰の名前で誰に宛てて出されたか?
クイズにするのなら、「ポツダム宣言の内容」を問題にする方が相応しいのだが、もっとも簡単な「Who」を聞くクイズである。
以下の中から選択していただきたい。
A:アメリカ、イギリスが日本に対して
B:アメリカ、イギリス、ソ連が日本に対して
C:アメリカ、イギリス、中華民国が日本に対して
D:アメリア、イギリス、ソ連、中華民国が日本に対して
E:アメリカ、イギリス、ソ連、中華民国が日本・韓国連合に対して
F:アメリカ、イギリス、ソ連が日本・韓国連合に対して
G:アメリカ、イギリス、ソ連、中華民国が日本・韓国連合に対して
それではクイズの回答である。
先ず、「誰に向けて発せられたのか」であるが、1945年当時に「韓国」はまだ建国されていないので、「日本・韓国連合に対して」とあるE、F、Gは総て不正解である。
次に、「発したのは誰か」である。
ポツダム宣言の「ポツダム」とは何を意味する言葉かと言うと、これは地名である。
ドイツのブランデンブルグ州の州都がポツダムである。第二次世界大戦の欧州戦線は、5月8日の降伏文書の署名で既に終焉を向かており、1945年7月当時、ポツダムはソ連軍の占領下にあった。その後の東西ドイツへの分断により東ドイツ領となった地である。
そのポツダムの地で、アメリカ、イギリス、ソ連の3ヶ国の首脳により、1945年7月17日から8月2日まで開催されたのがポツダム会談(*1)である。
ポツダム会談期間中に出された「Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender」=「直訳:日本降服の為の条件の定義の宣言」がポツダム宣言である。
アメリカ、イギリス、ソ連の3ヶ国首脳のポツダム会談は、開催最終日の1945年月2日付でポツダム協定を取りまとめ終了した。ポツダム協定とは、戦後ドイツの統治及び戦後欧州の処置の取り決めである。
クイズの回答の前に、「ポツダム」との地名が付され歴史的出来事には、ポツダム宣言の他に「ポツダム会談」、「ポツダム協定」があることを説明したので、混乱したかもしれないが、ポツダム宣言は、アメリカ大統領、イギリス首相、中華民国政府主席の名前で発せられている。
具体的には、トルーマン、チャーチル、蒋介石である。
従い、クイズの答は「C:アメリカ、イギリス、中華民国が日本に対して」である。
ポツダム会談に出席していなかった蒋介石の名前があり、出席していたソ連・スターリンの名前がない事を奇妙に思った方は、歴史の真実に一歩近づいた方である。
また、アメリカ大統領がルーズベルトではなくトルーマンであることも「歴史の皮肉」である。(*2)
現在の我々は、ポツダム宣言後に起こったことを知っている。
ポツダム宣言後の約3週間後の8月15日の玉音放送・終戦の詔勅に至る、広島・長崎の原爆投下、8月9日の日ソ不可人条約を一方的に破棄してのソ連参戦である。
終戦の僅か1週間前のソ連参戦の卑怯は、ルーズベルト・スターリンによるヤルタ密約によるものだ。ドイツ降伏後3ヶ月でソ連は対日参戦するとの密約である。
ヤルタ会談が行われたのは1945年2月4日から11日。ドイツ降伏が同年5月8日。ソ連の満州侵略が同年8月9日である。
この様に、ソ連参戦を知っているので、ポツダム宣言をした国にソ連が入っていると勘違いをしてしまうことは、ある意味、仕方がないことだ。
1945年2月時点でソ連は裏でルーズベルトと密約を結んでいた(*3)のにも関わらず、あたかも「日ソ不可侵条約を守ってます」の様な顔をしていたのがスターリンなのである。
実際、日本側は、1945年3月にはスウェーデンを仲介者として戦争終結の動きをしており、それが不調に終わると、同年7月13日から21日にソ連に対して、和平交渉の仲介者を依頼している。和平仲介依頼の返事がソ連かしないことから、7月25日には再度の要請をしている。(*4)
しかし、その時、ソ連・スターリンはポツダム会談に出席していたのであり、翌日にはソ連・スターリンの名前はないが、アメリカ、イギリス、中華民国の3ヶ国によるポツダム宣言が発せられたのである。
ポツダム宣言には、ポツダム会談に出席していない中華民国(当時の略称表記は「支」)蒋介石の名前がある。1945年の時点で奥地の重慶に封じ込められていた蒋介石の名前があるのは奇妙な話なのだが、これには1943年(昭和18年)11月22日から26日にかけて行われたカイロ会談が関係している。
ポツダム宣言の中には「カイロ宣言」との文字列があり、そこで戦後日本の領土範囲が記されている。
ところが、カイロ宣言は上記した「カイロ会談」後の1943年(昭和18年)12月1日に要件不備なまま発表されたもので、その内容は、1943年時点では、まるで妄想レベルのものであった。(*5)
1943年時点では、その前年にミッドウェーでの大敗北があったものの、赤道以南で日米はガチンコの戦いをしている最中であり、蒋介石は重慶の奥地に逃げ込んでおり、そういう状態で「無条件降伏せよ」、「台湾、満州等を蒋介石に返せ」、などと書いてあるカイロ宣言などは「実情とは無関係に宣言する特定アジア方式の戯言」でしかない。
しかし、アメリカとの死闘に敗れた後のポツダム宣言では、蒋介石の大言壮語が「降服の条件」になってしまっているのである。
なんとも理に適わないのだが、それが実際に起こった歴史である。
終戦後、世界は東西冷戦構造へと変貌した。所謂「ポツダム体制」である。
その冷戦構造もソ連崩壊で欧州では終焉したのだが、アジアに於いては形を変えて続いているのである。
1945年7月26日の「ポツダム宣言」に関しては、その前史、その後の世界の歴史等をつなげて考え理解しないと、トンデモない方向へと話が飛躍してしまうので注意が必要だ。
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【文末脚注】
(*1):ポツダム会談:アメリカ、イギリス、ソ連の3ヶ国の首脳により、1945年7月17日から8月2日まで開催された会談
2016/11/22投稿:
フーバー回顧録Doc.18-10・ポツダム会談
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-548.html
(*2):ポツダム会談に出席したアメリカ大統領は、ルーズベルトではなくトルーマン。
2017/03/10投稿:
「ルーズベルトに与える書」を読む
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-624.html
2017/03/11投稿:
「ルーズベルトに与える書」を読む2Final
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(*3):1945年2月時点でソ連は裏でルーズベルトと密約を結んでいた
2016/11/19投稿:
フーバー回顧録Doc.18-8・ヤルタ会談
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-546.html
(*4):1945年3月にはスウェーデンを仲介者として戦争終結の動きをしており、それが不調に終わると、同年7月13日から21日にソ連に対して、和平交渉の仲介者を依頼している。和平仲介依頼の返事がソ連かしないことから、7月25日には再度の要請をしている。
2016/11/20投稿:
フーバー回顧録Doc.18-9
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-547.html
(*5):カイロ宣言・カイロ会談
2016/09/19投稿:
フーバー回顧録・目次6
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-503.html
2016/09/23投稿:
フーバー回顧録・目次7
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-506.html
2016/11/17投稿:
フーバー回顧録Doc.18-7
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