手段が目的化した不見識・小沢一郎
- 2018/07/19
- 21:46
手段が目的化した不見識・小沢一郎

副題:小沢一郎は「「原発ゼロ一本」で「選挙に勝つ」」などと国民の幸福・安寧を脇に置き、「選挙に勝つ」ことを「目的」にした技術論でしか発想していない。危険である。
小沢一郎という政治家に対する、現在の当方の評価は最底辺へと下落している。
その昔、改憲を言い出すだけで「軍国主義者」などという根拠なき罵詈雑言が浴びせられた時代に、小沢は堂々と改憲を述べていた数少ない政治家であり、その点から、望ましい政治家だと思っていた時もあるので、この落差は大きい。
確かに、小沢が言う改憲の内容は、随分とトンチンカンではあったが、それは憲法の専門家ではない政治家故の単純な入り繰りであろうと好意的に見ていたのだが、今から思えば、やはり、その根本に於いて支持出来ない政治家だったのである。
小沢一郎に関しては、既に「オワコン」(終わったコンテンツ=時代遅れ・不要)であるとの意見がネット上では主流になっている様に思われるが、相変わらず新聞記事には登場する現役の衆議院議員である。
今回題材にしたのは、朝日新聞の「◆自由・小沢氏「棄権票加われば圧倒的勝利で政権交代」という見出しの記事(*1)があり、相変わらずトンチンカンなことを言っていたからである。
この様なトンチンカンな事を言う人物が政治の世界で権勢を極めていたのだから、我が国の政治が良くなる訳がないのだとあらためて感じたのである。
朝日新聞の記事は、小沢一郎の政治塾講演での発言録である。
同記事は、最初に以下を取り上げている。
<朝日記事より抜粋引用1>
○(15日の小泉純一郎元首相の講演後、小泉氏と)久しぶりだからメシ食おうちゅうことで、飲みながら食事をした。何としても原発ゼロを成し遂げたいという思いを強く感じた。野党が一つになって、原発ゼロ一本で勝負すれば必ず勝てるんだがなと話していた。私もまさに野党が一体となって戦えば必ず勝てるという思いでおりました。野党がきちっと足並みをそろえる、そのときの大きな柱は原発ゼロであることは間違いのないことだろう。
<抜粋引用終わり>
↓
ここで言われていることは、「選挙で勝つ」という事を「目的」に、その手段として「原発ゼロ」の一点に絞って「野党共闘する」ということである。
この話が「手段の目的化」だと分かった方は正常である。
小沢一郎は、田中角栄の弟子であった人物であり、田中角栄が「数は力なり」で、自分の派閥の拡大に熱心であったことは良く知られている。
しかし、田中角栄は「総理大臣になること」が目的ではなかった。角栄は自分が信じる政策を実行するという「目的」の為には、自分が総理大臣になるという「手段」を講じ、その為には自民党内での主流派になるという「手段」を講じ、その為には、自分に帰依する議員を増やすという「手段」を講じてきたもので、それを「数は力なり」と言っていたのである。
ところが、小沢の上記の発言は、本来的には目的である「原発ゼロ」政策が「選挙で勝つ」為の「手段」に成り下がり、「原発ゼロ」政策を実現する為の「手段」である「選挙で勝つ」が目的へとすり換わっているのである。
要するに、小沢にとっては「原発ゼロ」政策は、「自分が信じる政策」などではなく、単に選挙民を騙す為の偽看板でしかないのである。
話が主客逆転していることが分かるであろう。
我々国民にとって、もっとも重要である、日々の暮らしに関する経済政策を吹っ飛ばし、我々国民の平和・安寧を確保する外交・防衛政策をも吹っ飛ばし、「原発ゼロ一本で勝負」などと言っているのは、はっきり言って国民を小バカにし、無視する暴論である。
そして、その肝心の「原発ゼロ」政策が、小沢にとっての単なるスローガンであることからは、「原発ゼロ」政策を実行する際に生じる諸問題など、多分、何も考えていないと推察される。同様の現象は、昨年2017年秋の総選挙での立憲民主党の選挙公約(*2)にもみられるもので、国民をバカ扱いするものである。
本気で、真面目に原発問題を考える方々を小バカにした失礼な物言いである。
原発問題とは、我が国エネルギー政策の一環である。
福島第一原発事故の教訓を踏まえ、原発ゼロなのか原発稼働・原発新設なのかの議論があってしかるべき問題である。原発問題の論点は、この様な我が国エネルギー問題を筆頭に、安全性の問題、電力の安定供給体制維持問題、代替発電設備の実現性問題、経済性の問題、環境問題等々多岐にわたる。
真面目に「原発ゼロへ」を考えるのであれば、「原発をゼロにした場合の齟齬への対応策」を考えることは必須である。
原発をゼロにした場合の齟齬として一般に言われていることを羅列すると以下の様になる。
①:現在、代替発電は主として火力発電であるが、我が国は、火力発電のエネルギー源となる石油・天然ガスのほぼ全量を輸入に頼っている。原発での発電をストップしている場合のエネルギー輸入代金は1日100億円、年間約4兆円の支出増だとの話もあり、我々国民、製造業工場、オフィス、商業施設が使用する電気代で、それらは賄われている。
それらの経費増は国民の可処分所得を圧迫し、製造製品のコスト高を招き国際競争力を喪失させる。
②:電力の安定供給とは、24時間365日、電力需要に対応するだけの電力を供給し続けることであり、その為の基盤発電設備が必要である。再生可能エネルギーである太陽光発電は夜間には発電しないし、日照時間が少ない冬季及び雨天・曇天時には発電量が大きく減衰する。同様、風力発電の場合は無風状態や極端な強風時には発電できないとの問題があり、それらの特徴から、基盤発電設備にはなり得ないとの宿命を持つ。これら再生可能エネルギーのスペック上の発電量を机上の空論で合算しても、実際には、24時間365日ずっと電力需要に対応するだけの電力を供給し続けることは出来ない。
注:太陽光・風力等の再生可能エネルギーに関しては、地産地消の補助発電設備としての価値はあると認定しているので、誤解のない様に。
③:再生可能エネルギー発電は、発電施設が生産する「商品」である年間の総発電電力量が少なく、基盤発電施設で発電される電気の料金だけでは、再生可能エネルギー発電施設の施設建設費の減価償却及び運転経費等を賄えず事業性がない。
そこで、再生可能エネルギーで発電した電力には「タリフ」を上乗せし、基盤発電施設から供給される電力よりも高い電気代を消費者から徴収する仕組みを設けていたり、例えば個人で屋根上太陽光発電施設を導入する場合は、市町村等の公的団体が税金から補助金を支出していたりする。電気代を高くしないと事業性のない発電方法の推進だけでは、国民の経済的負担が増大するだけである。
④:「二酸化炭素増大による地球温暖化問題」とのテーマに対して、火力発電によるCO2排出量を問題視する視点からは、むしろ、原発は発電運転中に排出する二酸化炭素は火力発電に比して圧倒的に少なく望ましい。
その為に、民主党・鳩山政権時に、何等の事前の構想案の開示もない状態で、いきなり国際会議で発表された「二酸化炭素25%削減」=所謂「鳩山25%」との関係で福島第一発電所の運転期限の延長がなされたのだが、原発は、福島第一原発事故に見られる「放射性物質の生活者環境近辺への飛散リスク」との別の環境問題・安全性問題があり、同様、水力発電に関しては「なんとなく田中康夫」(当時長野県知事)の「脱ダム宣言」との別の環境問題が提起されており、大規模な水力発電施設の新設もままならない。
そういう状況で「原発だけを最初にゼロ設定する」ことは二酸化炭素排出量の視点からは必ずしも良いアプローチとは言えない。むしろ解決策を遠ざける悪い選択に近い。
上記した様に、再生可能エネルギーは、その構造上、基盤発電施設にはなり得ない。
以上が代表的な「原発をゼロにした場合の齟齬」だと思う。
これら視点への対処案の明示もなく「原発ゼロありき」を強行した場合の行く末は、我が国産業経済と国民経済の疲弊と閉塞感だけである。
この様な問題意識の存在を踏まえて、上記した小沢一郎の言葉を再度、お読みいただければ、小沢が言っている事が本末転倒の、目的の手段化・手段の目的化であることが分かるであろう。原発ゼロ政策をオモチャにしているのが小沢である。
尚、原発に関しての当方の意見は、暫くの間は、「原発・火力・既存水力+消費側での省エネ方策としての再生可能エネルギー発電」のポートフォリオを、上記した問題点を含む多角的視点で基礎案をつくり、原発を再稼働することから始めの一歩を踏み出さないと、本当の意味での原発ゼロなど実現出来ないというものだ。
我々は科学技術の進展に伴い、有用性を高め、安全性を高め、より良い社会インフラを整備してきた。今後も、このベクトルを維持していき、今後実用化される新技術に基づくエネルギー政策へと更新していくのがベストチョイスだと考えている。
小沢の不見識は、上記した手段と目的の逆転だけではない。
その昔には「票読みの天才」とか「選挙のプロ」などの異名を誇った小沢なのだが、現在は「老いれば駿馬も駄馬に劣る」状態になっている。
<朝日記事より抜粋引用2>
○2009年の民主党(が政権交代を実現した)選挙の時には70%の投票率ですよ。その後はずっと50%。20%の人が棄権している。2千万票だ。このうちの6~7割は野党へ投票する人たちだと見て間違いない。ですから、その票が加われば圧倒的な野党の勝利であり、政権交代になる。
<抜粋引用終わり>
↓
小沢は、投票率70%の2009年8月の政権交代・総選挙を事例にしている。
そして、小沢の「論」では、あの総選挙以降、投票していない20%=2千万人がいて、それらが総て野党に投票する、となっているのだが、ポイントは2つあり、1つは、何故、あの選挙以降、投票率が上がらないのかの原因分析であり、もう1つは、投票していない人々が仮に投票した場合、何処に投票するのかの分析である。
講演での話し言葉での投票率の数値は70%・50%なのだが、実際の投票率の推移を先ず見ていただきたい。
<小沢が例示した投票率の推移・総務省発表数値>
2009年(平成21年)08月30日:69.28%(ルーピー鳩山政権誕生)
2012年(平成24年)12月16日:59.32%(安倍政権誕生・圧勝)
2014年(平成26年)12月14日:52.66%(安倍政権2度目の圧勝)
2017年(平成29年)10月22日:53.68%(安倍政権3度目の圧勝)
ご覧の様に、20%=2千万人は、講演の話し言葉としても「言い過ぎ」である。
要するに、これは「講演での景気づけ」でしかないということが分かるであろう。
「景気づけ」であるので、何故、あの選挙以降、投票率が上がらないのかの原因分析など何もやっていないと推察される。
実際のところ、2009年8月の「あの選挙」の投票率は「お祭り騒ぎ」の結果である。
21世紀以降、総選挙が行われたのは上記を含め6回であるが、60%以上の投票率を記録したのは、「あの選挙」以外には、2005年(平成17年)9月11日の小泉・郵政解散選挙との「お祭り騒ぎ」での 67.51%だけである。
2009年8月の「あの選挙」は、偏向マスコミのキャンペーンに踊らされた「おQ層」が「自民党政治にお灸をすえる」、「自民党に反省してもらう」などと称して、大挙して民主党に投票した選挙であった。
しかし、そんな軽率な「判断」が、厄災として自身にブーメランとして返ってきたことはご存じの通りである。「自民党にお灸を据えたつもりが、自身が大火傷を負ったでござる」と言われたもので、そういう軽率な行動をとってしまった層を、魯迅の阿Q伝の愚かなる主人公「阿Q」の様だとして、「お灸」との語呂合わせで「おQ層」だと揶揄されたことを記憶している方も多いだろう。
小沢が言っていることは、要するに、「「原発ゼロ一本」で「お祭り騒ぎを起こして選挙に勝つ」」なのである。
小沢は、「このうちの6~7割は野党へ投票する人たちだと見て間違いない」と言っている。
「投票していない人々が仮に投票した場合、何処に投票するのか」という点について、小沢は、「お祭り騒ぎで投票する層は、政策の中身なんか無関係に雰囲気だけで投票する」と小沢が認識している証拠なのである。
そして、朝日の記事の最後で小沢は「なんで2千万人の人は投票所に来ないのか,それは自民党に代わる受け皿が見当たらない」からだと述べている。
この話は、今回が初めてではない。
2009年8月の「あの選挙」も、「民主党」という中身も実力もない烏合の衆を「受け皿」として擬態したものだ。
民主党が政権の座にあった時に、民主党の実態が、中身も実力もない、烏合の衆であったことは記憶の通りである。
小沢は、民主党以前にも「受け皿」をデッチ上げている。細川内閣をデッチ上げた時の「連立野党連合」がそれである。
そして、現在は、共産党をも含めた「受け皿」を考えており、既に末期的なのである。
国民が、自身の国の運営を付託するに相応しい党・人物に投票するとの議会制民主主義の原則及び国民の幸福・安寧を脇に置き、「選挙に勝つ」ことを「目的」にした技術論でしか発想していない小沢一郎という人物は、実に危険な発想をする人物だと考えている。
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【文末脚注】
(*1):小沢の発言の記事
朝日新聞デジタル 2018年7月16日14時31分
見出し:◆自由・小沢氏「棄権票加われば圧倒的勝利で政権交代」
https://www.asahi.com/articles/ASL7J45STL7JUTFK003.html
記事見出し:小沢一郎・自由党代表(発言録)
○(15日の小泉純一郎元首相の講演後、小泉氏と)久しぶりだからメシ食おうちゅうことで、飲みながら食事をした。何としても原発ゼロを成し遂げたいという思いを強く感じた。野党が一つになって、原発ゼロ一本で勝負すれば必ず勝てるんだがなと話していた。私もまさに野党が一体となって戦えば必ず勝てるという思いでおりました。野党がきちっと足並みをそろえる、そのときの大きな柱は原発ゼロであることは間違いのないことだろう。
○2009年の民主党(が政権交代を実現した)選挙の時には70%の投票率ですよ。その後はずっと50%。20%の人が棄権している。2千万票だ。このうちの6~7割は野党へ投票する人たちだと見て間違いない。ですから、その票が加われば圧倒的な野党の勝利であり、政権交代になる。
○なんで2千万人の人は投票所に来ないのか。それは自民党に代わる受け皿が見当たらない。結局このバラバラでは自民党だ、じゃあ投票に行かない、という悪循環なんだね。安倍内閣と基本の問題で対決していく野党が形成されないと、いつまでもこの安倍政権1強多弱の状況は続く。そういう思いで、何とか野党の結集を図っていきたい。
(自身の政治塾での講演で)
<引用終わり>
(*2):同様の現象は、昨年2017年秋の総選挙での立憲民主党の選挙公約にもみられるもので、国民をバカ扱いするものである。
2017/10/20投稿:
立憲民主党の選挙公約を読む2
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-784.html
【ご参考】
<おQ層>
2016/10/15投稿:
雰囲気で「判断」することの危険性
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-520.html
<国政選挙における投票率の推移>
総務省HP
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/
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副題:小沢一郎は「「原発ゼロ一本」で「選挙に勝つ」」などと国民の幸福・安寧を脇に置き、「選挙に勝つ」ことを「目的」にした技術論でしか発想していない。危険である。
小沢一郎という政治家に対する、現在の当方の評価は最底辺へと下落している。
その昔、改憲を言い出すだけで「軍国主義者」などという根拠なき罵詈雑言が浴びせられた時代に、小沢は堂々と改憲を述べていた数少ない政治家であり、その点から、望ましい政治家だと思っていた時もあるので、この落差は大きい。
確かに、小沢が言う改憲の内容は、随分とトンチンカンではあったが、それは憲法の専門家ではない政治家故の単純な入り繰りであろうと好意的に見ていたのだが、今から思えば、やはり、その根本に於いて支持出来ない政治家だったのである。
小沢一郎に関しては、既に「オワコン」(終わったコンテンツ=時代遅れ・不要)であるとの意見がネット上では主流になっている様に思われるが、相変わらず新聞記事には登場する現役の衆議院議員である。
今回題材にしたのは、朝日新聞の「◆自由・小沢氏「棄権票加われば圧倒的勝利で政権交代」という見出しの記事(*1)があり、相変わらずトンチンカンなことを言っていたからである。
この様なトンチンカンな事を言う人物が政治の世界で権勢を極めていたのだから、我が国の政治が良くなる訳がないのだとあらためて感じたのである。
朝日新聞の記事は、小沢一郎の政治塾講演での発言録である。
同記事は、最初に以下を取り上げている。
<朝日記事より抜粋引用1>
○(15日の小泉純一郎元首相の講演後、小泉氏と)久しぶりだからメシ食おうちゅうことで、飲みながら食事をした。何としても原発ゼロを成し遂げたいという思いを強く感じた。野党が一つになって、原発ゼロ一本で勝負すれば必ず勝てるんだがなと話していた。私もまさに野党が一体となって戦えば必ず勝てるという思いでおりました。野党がきちっと足並みをそろえる、そのときの大きな柱は原発ゼロであることは間違いのないことだろう。
<抜粋引用終わり>
↓
ここで言われていることは、「選挙で勝つ」という事を「目的」に、その手段として「原発ゼロ」の一点に絞って「野党共闘する」ということである。
この話が「手段の目的化」だと分かった方は正常である。
小沢一郎は、田中角栄の弟子であった人物であり、田中角栄が「数は力なり」で、自分の派閥の拡大に熱心であったことは良く知られている。
しかし、田中角栄は「総理大臣になること」が目的ではなかった。角栄は自分が信じる政策を実行するという「目的」の為には、自分が総理大臣になるという「手段」を講じ、その為には自民党内での主流派になるという「手段」を講じ、その為には、自分に帰依する議員を増やすという「手段」を講じてきたもので、それを「数は力なり」と言っていたのである。
ところが、小沢の上記の発言は、本来的には目的である「原発ゼロ」政策が「選挙で勝つ」為の「手段」に成り下がり、「原発ゼロ」政策を実現する為の「手段」である「選挙で勝つ」が目的へとすり換わっているのである。
要するに、小沢にとっては「原発ゼロ」政策は、「自分が信じる政策」などではなく、単に選挙民を騙す為の偽看板でしかないのである。
話が主客逆転していることが分かるであろう。
我々国民にとって、もっとも重要である、日々の暮らしに関する経済政策を吹っ飛ばし、我々国民の平和・安寧を確保する外交・防衛政策をも吹っ飛ばし、「原発ゼロ一本で勝負」などと言っているのは、はっきり言って国民を小バカにし、無視する暴論である。
そして、その肝心の「原発ゼロ」政策が、小沢にとっての単なるスローガンであることからは、「原発ゼロ」政策を実行する際に生じる諸問題など、多分、何も考えていないと推察される。同様の現象は、昨年2017年秋の総選挙での立憲民主党の選挙公約(*2)にもみられるもので、国民をバカ扱いするものである。
本気で、真面目に原発問題を考える方々を小バカにした失礼な物言いである。
原発問題とは、我が国エネルギー政策の一環である。
福島第一原発事故の教訓を踏まえ、原発ゼロなのか原発稼働・原発新設なのかの議論があってしかるべき問題である。原発問題の論点は、この様な我が国エネルギー問題を筆頭に、安全性の問題、電力の安定供給体制維持問題、代替発電設備の実現性問題、経済性の問題、環境問題等々多岐にわたる。
真面目に「原発ゼロへ」を考えるのであれば、「原発をゼロにした場合の齟齬への対応策」を考えることは必須である。
原発をゼロにした場合の齟齬として一般に言われていることを羅列すると以下の様になる。
①:現在、代替発電は主として火力発電であるが、我が国は、火力発電のエネルギー源となる石油・天然ガスのほぼ全量を輸入に頼っている。原発での発電をストップしている場合のエネルギー輸入代金は1日100億円、年間約4兆円の支出増だとの話もあり、我々国民、製造業工場、オフィス、商業施設が使用する電気代で、それらは賄われている。
それらの経費増は国民の可処分所得を圧迫し、製造製品のコスト高を招き国際競争力を喪失させる。
②:電力の安定供給とは、24時間365日、電力需要に対応するだけの電力を供給し続けることであり、その為の基盤発電設備が必要である。再生可能エネルギーである太陽光発電は夜間には発電しないし、日照時間が少ない冬季及び雨天・曇天時には発電量が大きく減衰する。同様、風力発電の場合は無風状態や極端な強風時には発電できないとの問題があり、それらの特徴から、基盤発電設備にはなり得ないとの宿命を持つ。これら再生可能エネルギーのスペック上の発電量を机上の空論で合算しても、実際には、24時間365日ずっと電力需要に対応するだけの電力を供給し続けることは出来ない。
注:太陽光・風力等の再生可能エネルギーに関しては、地産地消の補助発電設備としての価値はあると認定しているので、誤解のない様に。
③:再生可能エネルギー発電は、発電施設が生産する「商品」である年間の総発電電力量が少なく、基盤発電施設で発電される電気の料金だけでは、再生可能エネルギー発電施設の施設建設費の減価償却及び運転経費等を賄えず事業性がない。
そこで、再生可能エネルギーで発電した電力には「タリフ」を上乗せし、基盤発電施設から供給される電力よりも高い電気代を消費者から徴収する仕組みを設けていたり、例えば個人で屋根上太陽光発電施設を導入する場合は、市町村等の公的団体が税金から補助金を支出していたりする。電気代を高くしないと事業性のない発電方法の推進だけでは、国民の経済的負担が増大するだけである。
④:「二酸化炭素増大による地球温暖化問題」とのテーマに対して、火力発電によるCO2排出量を問題視する視点からは、むしろ、原発は発電運転中に排出する二酸化炭素は火力発電に比して圧倒的に少なく望ましい。
その為に、民主党・鳩山政権時に、何等の事前の構想案の開示もない状態で、いきなり国際会議で発表された「二酸化炭素25%削減」=所謂「鳩山25%」との関係で福島第一発電所の運転期限の延長がなされたのだが、原発は、福島第一原発事故に見られる「放射性物質の生活者環境近辺への飛散リスク」との別の環境問題・安全性問題があり、同様、水力発電に関しては「なんとなく田中康夫」(当時長野県知事)の「脱ダム宣言」との別の環境問題が提起されており、大規模な水力発電施設の新設もままならない。
そういう状況で「原発だけを最初にゼロ設定する」ことは二酸化炭素排出量の視点からは必ずしも良いアプローチとは言えない。むしろ解決策を遠ざける悪い選択に近い。
上記した様に、再生可能エネルギーは、その構造上、基盤発電施設にはなり得ない。
以上が代表的な「原発をゼロにした場合の齟齬」だと思う。
これら視点への対処案の明示もなく「原発ゼロありき」を強行した場合の行く末は、我が国産業経済と国民経済の疲弊と閉塞感だけである。
この様な問題意識の存在を踏まえて、上記した小沢一郎の言葉を再度、お読みいただければ、小沢が言っている事が本末転倒の、目的の手段化・手段の目的化であることが分かるであろう。原発ゼロ政策をオモチャにしているのが小沢である。
尚、原発に関しての当方の意見は、暫くの間は、「原発・火力・既存水力+消費側での省エネ方策としての再生可能エネルギー発電」のポートフォリオを、上記した問題点を含む多角的視点で基礎案をつくり、原発を再稼働することから始めの一歩を踏み出さないと、本当の意味での原発ゼロなど実現出来ないというものだ。
我々は科学技術の進展に伴い、有用性を高め、安全性を高め、より良い社会インフラを整備してきた。今後も、このベクトルを維持していき、今後実用化される新技術に基づくエネルギー政策へと更新していくのがベストチョイスだと考えている。
小沢の不見識は、上記した手段と目的の逆転だけではない。
その昔には「票読みの天才」とか「選挙のプロ」などの異名を誇った小沢なのだが、現在は「老いれば駿馬も駄馬に劣る」状態になっている。
<朝日記事より抜粋引用2>
○2009年の民主党(が政権交代を実現した)選挙の時には70%の投票率ですよ。その後はずっと50%。20%の人が棄権している。2千万票だ。このうちの6~7割は野党へ投票する人たちだと見て間違いない。ですから、その票が加われば圧倒的な野党の勝利であり、政権交代になる。
<抜粋引用終わり>
↓
小沢は、投票率70%の2009年8月の政権交代・総選挙を事例にしている。
そして、小沢の「論」では、あの総選挙以降、投票していない20%=2千万人がいて、それらが総て野党に投票する、となっているのだが、ポイントは2つあり、1つは、何故、あの選挙以降、投票率が上がらないのかの原因分析であり、もう1つは、投票していない人々が仮に投票した場合、何処に投票するのかの分析である。
講演での話し言葉での投票率の数値は70%・50%なのだが、実際の投票率の推移を先ず見ていただきたい。
<小沢が例示した投票率の推移・総務省発表数値>
2009年(平成21年)08月30日:69.28%(ルーピー鳩山政権誕生)
2012年(平成24年)12月16日:59.32%(安倍政権誕生・圧勝)
2014年(平成26年)12月14日:52.66%(安倍政権2度目の圧勝)
2017年(平成29年)10月22日:53.68%(安倍政権3度目の圧勝)
ご覧の様に、20%=2千万人は、講演の話し言葉としても「言い過ぎ」である。
要するに、これは「講演での景気づけ」でしかないということが分かるであろう。
「景気づけ」であるので、何故、あの選挙以降、投票率が上がらないのかの原因分析など何もやっていないと推察される。
実際のところ、2009年8月の「あの選挙」の投票率は「お祭り騒ぎ」の結果である。
21世紀以降、総選挙が行われたのは上記を含め6回であるが、60%以上の投票率を記録したのは、「あの選挙」以外には、2005年(平成17年)9月11日の小泉・郵政解散選挙との「お祭り騒ぎ」での 67.51%だけである。
2009年8月の「あの選挙」は、偏向マスコミのキャンペーンに踊らされた「おQ層」が「自民党政治にお灸をすえる」、「自民党に反省してもらう」などと称して、大挙して民主党に投票した選挙であった。
しかし、そんな軽率な「判断」が、厄災として自身にブーメランとして返ってきたことはご存じの通りである。「自民党にお灸を据えたつもりが、自身が大火傷を負ったでござる」と言われたもので、そういう軽率な行動をとってしまった層を、魯迅の阿Q伝の愚かなる主人公「阿Q」の様だとして、「お灸」との語呂合わせで「おQ層」だと揶揄されたことを記憶している方も多いだろう。
小沢が言っていることは、要するに、「「原発ゼロ一本」で「お祭り騒ぎを起こして選挙に勝つ」」なのである。
小沢は、「このうちの6~7割は野党へ投票する人たちだと見て間違いない」と言っている。
「投票していない人々が仮に投票した場合、何処に投票するのか」という点について、小沢は、「お祭り騒ぎで投票する層は、政策の中身なんか無関係に雰囲気だけで投票する」と小沢が認識している証拠なのである。
そして、朝日の記事の最後で小沢は「なんで2千万人の人は投票所に来ないのか,それは自民党に代わる受け皿が見当たらない」からだと述べている。
この話は、今回が初めてではない。
2009年8月の「あの選挙」も、「民主党」という中身も実力もない烏合の衆を「受け皿」として擬態したものだ。
民主党が政権の座にあった時に、民主党の実態が、中身も実力もない、烏合の衆であったことは記憶の通りである。
小沢は、民主党以前にも「受け皿」をデッチ上げている。細川内閣をデッチ上げた時の「連立野党連合」がそれである。
そして、現在は、共産党をも含めた「受け皿」を考えており、既に末期的なのである。
国民が、自身の国の運営を付託するに相応しい党・人物に投票するとの議会制民主主義の原則及び国民の幸福・安寧を脇に置き、「選挙に勝つ」ことを「目的」にした技術論でしか発想していない小沢一郎という人物は、実に危険な発想をする人物だと考えている。
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【文末脚注】
(*1):小沢の発言の記事
朝日新聞デジタル 2018年7月16日14時31分
見出し:◆自由・小沢氏「棄権票加われば圧倒的勝利で政権交代」
https://www.asahi.com/articles/ASL7J45STL7JUTFK003.html
記事見出し:小沢一郎・自由党代表(発言録)
○(15日の小泉純一郎元首相の講演後、小泉氏と)久しぶりだからメシ食おうちゅうことで、飲みながら食事をした。何としても原発ゼロを成し遂げたいという思いを強く感じた。野党が一つになって、原発ゼロ一本で勝負すれば必ず勝てるんだがなと話していた。私もまさに野党が一体となって戦えば必ず勝てるという思いでおりました。野党がきちっと足並みをそろえる、そのときの大きな柱は原発ゼロであることは間違いのないことだろう。
○2009年の民主党(が政権交代を実現した)選挙の時には70%の投票率ですよ。その後はずっと50%。20%の人が棄権している。2千万票だ。このうちの6~7割は野党へ投票する人たちだと見て間違いない。ですから、その票が加われば圧倒的な野党の勝利であり、政権交代になる。
○なんで2千万人の人は投票所に来ないのか。それは自民党に代わる受け皿が見当たらない。結局このバラバラでは自民党だ、じゃあ投票に行かない、という悪循環なんだね。安倍内閣と基本の問題で対決していく野党が形成されないと、いつまでもこの安倍政権1強多弱の状況は続く。そういう思いで、何とか野党の結集を図っていきたい。
(自身の政治塾での講演で)
<引用終わり>
(*2):同様の現象は、昨年2017年秋の総選挙での立憲民主党の選挙公約にもみられるもので、国民をバカ扱いするものである。
2017/10/20投稿:
立憲民主党の選挙公約を読む2
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-784.html
【ご参考】
<おQ層>
2016/10/15投稿:
雰囲気で「判断」することの危険性
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-520.html
<国政選挙における投票率の推移>
総務省HP
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/
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