民進党・小西の知的怠惰は相変わらず
- 2018/04/12
- 20:14
民進党・小西の知的怠惰は相変わらず

副題:憲法を引き合いに出しながら憲法の別条文に反し、政府見解を引き合いに出しているが事実誤認。4ヵ月前の間違いをまた繰り返す民進党・小西。「良識の府」参議院議員の議論態度としては失格である。
民進党・小西は、2018年4月9日に行われた参議院決算委員会の質疑で「シビリアンコントロール」をキーワードに幾つかの質問をしたのだが、相変わらずの「特異な飛び石論法」=論理的につながらない主観的妄想を披露するとの失態を演じた。
民進党HPの記事では、あたかも「まともな質疑」の様な記事(*1)が掲載されているが、その中には下記に引用した様に、小西が以前から粘着している佐藤正久参外務副大臣に対しての難癖が含まれているのである。それは4ヵ月前の難癖の蒸し返しであり、その際の間違いを小西は、4か月も経っているのに何も訂正・改善していないのである。
<2018年4月9日参議院決算委員会を伝える民進党記事から抜粋>
○小西議員は佐藤正久外務副大臣が就任あいさつで自衛官の服務の宣誓を引用したことについても「シビリアンコントロールの趣旨に反する」として、同副大臣を即刻罷免すべきと批判。
<引用終わり>
先ず最初に、小西が佐藤正久氏に以前から粘着していることを少々述べる。
佐藤正久氏は、イラクPKOの「ヒゲの隊長」であり、イラクでの活動及び自衛官退官後に参議院議員となり、現在に至る迄、カッチリとした実績を積み重ねている議員である。
小西が佐藤正久氏に粘着しているのは、かなり以前からではあるが、象徴的だったのは2015年の安保法制採決の際の小西の軽率さが露わになった事件が思い出される。
2015年9月17日、参議院での安保法制審議が100時間を超え、審議時間としては充分となり採決に入った。採決間近との状況で、当時の民主党等は特別委員会の鴻池委員長に対する不信任案動議を提出した。
委員長不信任動議の際の慣例として、不信任案の採決中は、議長を務める委員長は委員会の議場から退出することになっているので、鴻池委員長は議場を退出した。
委員長退出中、筆頭理事を務める佐藤正久議員が委員長代理として議長席で議長を務めたのだが、その際に、佐藤議員(委員長代理)を取り囲み、無抵抗の佐藤議員の顔面にプロレス技・アイアン・クローの様な暴力的妨害をしていたのが白眞勲、福山哲郎、小西洋之(当時民主党)の議員達であった。
不信任動議の否決後に鴻池委員長が議長席に戻った後、山本一太議員から「質疑打ち切り動議」(つまり採決動議)が提出されると、野党議員は鴻池委員長が座る議長席に殺到して、あの大混乱となったのである。
その混乱の中、鴻池委員長の真後ろから窓枠に上り、フライング・ボディ・アタックをかけたのが民主党・小西である。
この行為は大変に危険な行為で、当時75歳になろうとしていた老齢の鴻池委員長の視界外の真後ろからダイブすれば、最悪、首の骨が折れたり、頸椎損傷したりとの重大な事象を発生しかねないものである。通常の人が持つ当たり前の予見可能性とそれへの配慮をする能力が、小西の場合は劣っている様である。
小西の危険行為に対して、佐藤正久議員は自身の指の骨折を防ぎながらダイブする小西議員を押し戻し、鴻池委員長は事なきを得た。
この時の静止映像では、あたかも佐藤議員のグーパンチが小西の顔面をヒットする様に見えるが、それでは誤解を招いてしまうと思う。実際の動きは動画で確認出来る。
佐藤議員は、指の骨折を防ぐ為に「グー」の形にした手で、鴻池委員長に向かってダイブする小西を押し戻していることが動画で見れば分かると思う。
2015年の安保法制審議に於いて、自民党・佐藤正久議員は、質疑に於いても混乱時の安全確保に於いても、その専門性を有益に発揮したと解しているのだが、一方の小西は、質疑に於いても、混乱時に於いても、それにより引き起こされる重大事象に思いが至らない軽率さばかりが目立ったと解している。
そんな事があって以降、小西は佐藤議員に対して一層に粘着し続けていると見ているのである。
佐藤正久議員が外務副大臣に就任したのは昨年2017年8月の安倍政権第三次改造内閣時であり、同年11月の第四次改造でも引き続き外務副大臣である。
佐藤正久外務副大臣に粘着する小西は、2017年12月7日の参議院・防衛外交委員会で、副大臣の挨拶を出汁に、以下の様な難癖をつけているのである。
<平成29年(2017年)12月7日・参議院外交防衛委員会議事録(*2)>
<抜粋引用(要旨)>
①:佐藤副大臣が本委員会の就任挨拶の決意として述べた、【事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応える】との文言は、自衛隊法52条で戦闘任務に従事する自衛隊員の服務の本旨、すなわち自衛隊員がその任務に服する本来の趣旨、目的とされ、同じく53条で全自衛隊員に宣誓が義務付けられているもの。
②:憲法66条第2項の文民条項の政府解釈では、武力組織に属する自衛隊員は武人であり、大臣になることは違憲とされている。
③:元自衛隊の指揮官である佐藤副大臣は、武力組織の武人の服務の宣誓をもって外交をつかさどるとの決意を述べたのであり、明確にこの文民条項の趣旨に反する。
<引用終わり>
この小西の屁理屈を「理解」するのは苦労するであろう。
何故なら、彼の論法は、項目間の連続性がなく、話が飛躍してしまい、一般的に妥当だとされる論理的な展開ではないので、理解が出来ないものとなっているからだ。
普通、こういう飛躍する論法は、「妄想」とか「トンデモ論」とか言われるもので、「相手にされない」ものなのだが、小西は一応は参議院議員なので、国会での質疑では「相手にせざるを得ない」のである。
無理矢理に「小西の屁理屈を理解」してみると、以下の様になると解している。
勿論、こんな話に同意できるものではないが、「理解の為の分析」なので、我慢してお付き合いいただきたい。
<小西の妄想である論理的連続性がない飛躍論法の分析>
1:佐藤議員は自衛隊の服務の宣誓の一文を引用した。
↓
2:藤議員は元自衛官だ。
↓
3:だから佐藤議員は今も軍人だ。文民ではない。
↓
4:文民じゃないのに副大臣との職責にあるのは憲法66条第2項に違反する。
↓
5:だって「政府見解」でも「武力組織に属していた自衛隊員は武人(Military)であり、文民(Not Military)じゃない」なので、佐藤副大臣は憲法66条第2項に違反する。
↓
6:佐藤副大臣は辞任ぜよ、河野大臣は佐藤副大臣を罷免せよ
<妄想を理解してみた。終わり>
上記のうち、1と2は事実指摘なので良いのだが、3でいきなり飛躍している。
更に、飛躍しすぎて成り立っていない3を前提にして4の虚偽を提示している。
次の5は、多分、自身の不連続な屁理屈を補完する目的で提示している様だが。5の内容は事実誤認である。詳しくは後述する。
最後の6は、最初から小西が言いたかったことで、要するに、これにつなげたくて滅茶苦茶な飛躍論法を小西は用いているのである。
こういう「結論ありき」の論法は、途中で話が飛躍して、論理的な不連続性が露わになる傾向があるのだが、小西の話は、その典型例である。こんな話では、聞いている側は誰も納得しない。
この様な4ヵ月前の失態を小西は忘れてしまった様で、また繰り返しているので、より細かく、その失態を明示するので、それを思い出していただきたい。
先ず、昨年12月7日の議事録要旨①の「服務の本旨」を引用して述べたことがけしからんとの部分についてである。
これについては、既に佐藤正久外務副大臣本人と河野太郎外務大臣から以下の様な説明がなされており、小西の言い分がまったく成り立っておらず、論理的には決着済であることを思い出していただきたい。
「決着していない」としているのは当の小西と、それを応援する偏向マスコミだけである。
<平成29年(2017年)12月7日・参議院外交防衛委員会議事録>
<抜粋引用(要旨)>
・佐藤正久外務副大臣:これは自衛隊員の宣誓行為ということではなく、私自身が、我が国の安全とか繁栄を維持し、国民の生命と財産を守るために、外務副大臣として国民の負託に応え、その職務を全うするという私自身の基本的姿勢、これを述べたものであります。
・河野太郎外務大臣:国会における所信その他におきまして自分の考えを述べるときに、様々な書物等から文言を引用するということはあるんだろうと、それが自分の考えていることを端的に表すということならばそういうことはあるのでないかというふうに思っております。
・河野太郎外務大臣:佐藤副大臣の先般の御挨拶は、職務を遂行する上での基本的姿勢を全体として述べたものであって、外務省の所掌事務等のことで具体的に述べたわけではないんだろうと思います。
・佐藤正久外務副大臣:自衛隊で言ういわゆる服務の宣誓を行ったわけではなく、我が国の平和とそして繁栄を守るための私の副大臣としての基本姿勢、これを述べたものであります。
<引用終わり>
普通の常識を持つ人物間であれば、このやり取りで御仕舞である。
そうであるにも関わらず、小西は、4ヵ月後の今になっても同じことを繰り返す「蒸し返し」を行っているのである。
次に、現行憲法66条の文民条項の部分である。
上記②及び分析の5の部分であるが、小西は「武力組織に属する自衛隊員は武人であり、大臣になることは違憲」というのが政府見解だと言っている部分である。
これはまったくに事実誤認である。
現行憲法の第66条第2項は以下の通りである。
<現行憲法第66条(*3)>
第66条第2項:内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
<引用終わり>
ここで言っている「文民でなければならい」の「文民」の定義を小西は誤認しているのである。
これについて述べる為には、現行憲法の原文は英語であることを、先ずご理解いただきたい。
「エッ本当かよ!英語なのか?」と思った方は文脈脚注の(*4)で紹介してあるURLの論考をお読みいただきたい。国立国会図書館の資料に基づき、現行憲法の原文が英語であることを明示している。
現行憲法第66条第2項に出て来る「文民」とは何かというと、Civilianの訳語である。
Civilianとは、Military(軍人のこと。小西は「武人」と言っている)の法的対義語である。
実際のところは、先ずMilitaryがあり、そうではない(Not Military)のがCivilianだとする構造がある。そういう構造からは文民・Civilianとは、一言で言えば「軍人以外の人」と訳すのが正しい。
この対義語関係は戦時国際法を見ると、その存在が確認できる。
ハーグ陸戦条約(1899年・我が国では1911年批准)では「戦闘員・非戦闘員」との区分があり、ジュネーブ条約第1議定書(1977年・我が国では2005年発行)では「軍人・文民」との区分が用いられている。
これら国際条約の区分は、要するに「軍人と軍人以外をわける概念」であり、軸足は「軍人」にある。
次に、シビリアンコントロールの概念と、その運用の概略を述べる。
人類は幾多の経験から、政治体制として民主主義に到達したのであるが、その経験から編み出された手法の1つにシビリアンコントロールがある。国家の対外的主権の行使形態のうちの1つである軍隊の運用の指揮命令権限を国民による民主的手法で選ばれた政府が持つとの原則(シビリアンコントロール原則)を人類は確立したのである。
(シビリアンコントロールを論考し始めると相当量の文字数となってしまうので、「国民による民主的手法で選ばれた政府が軍の指揮命令権を行使するもの」で、それが民主主義原則になっていると理解していただければ、今は良いと思う。)
現状、世界の主要な民主主義国は、このシビリアンコントロール原則を採用している。
その際の「文民」=Civilianとは、「現役の軍人以外」=Not Militaryと理解すれば良いと考えられている。これは「運用方法」の話である。
軍を退役したら、その時点でNot Military=Civilianとされている。
小西が言う様な「一度でも軍人だったら文民ではない」などという運用方法はとられていないのが現実である。歴代アメリカ大統領や閣僚には、元軍人、元職業軍人が沢山いることはご存じの通りである。
アイゼンハワ大統領は、第二次世界大戦・欧州戦線の米軍総司令官との職業軍人である。
JFKケネディ大統領は、太平洋戦域で魚雷艇PT-109に乗り、帝国海軍と闘っていた軍人である。ケネディの魚雷艇がソロモン海域で駆逐艦・天霧に踏みつけられて沈没したエピソードは有名である。
同様、大統領制のアメリカでは、我が国大臣に相当する「長官」は、大統領が指名し、議会が承認することで、その座に就任するが、現在のアメリカのトランプ政権の国防長官(防衛大臣相当)はマティスである。マティスは、退役海兵隊大将であり元軍人である。また湾岸戦争の英雄として人気が高かった陸軍大将パウエルは、退役後にブッシュ政権の国務長官(外務大臣相当)を務めた。
この様な、世界標準の「文民」の定義から言えば、佐藤正久議員は、既に自衛隊を退官しており、れっきとした「文民」である。
ところが、そうであるにも関わらず小西は、屁理屈を以て第66条第2項に違反すると言ってしまっているのである。
ここで、もう一度、小西の昨年12月7日の発言を国会議事録から引用すると、小西は以下の様に、「政府解釈」を持ち出している。
<上記国会議事録要旨を再度引用>
②:憲法66条第2項の文民条項の政府解釈では、武力組織に属する自衛隊員は武人であり、大臣になることは違憲とされている。
<再引用終わり>
この「政府解釈」に関しては、以前「9条と66条の矛盾」とのテーマでの論考(*5)した際に、昭和40年5月31日・衆議院予算委員会での政府見解(*6)を紹介したが、多分、そのことだろうと思われる。それ以降に、何かの政府見解が出たとの記憶はない。
質問者は、あの「非武装中立論」の社会党の石橋政嗣である。
回答者は当時の総理大臣佐藤栄作と高辻内閣法制局長官である。
そこで示されていることは、自衛隊員は MilitaryでありNot Civilianとの見解であり、世界共通の軍人の定義に準拠するものであった。
この昭和40年答弁で内閣法制局長官は、憲法制定当時の英文Civilianを、どの様に訳すかとの当時の話をしており、その定義についての当時の話を「経緯」として出しているのだが、小西は、それを誤読しているのだろうと推察される。
占領下にあった我が国での憲法制定当時の英文Civilianの定義は、自衛隊が存在しないという状態、即ち、我が国にMilitaryが存在しない状態で定義がなされた為に、当時の時代背景等もあり、「旧職業軍人の経歴を有しない者」との世界標準とは大きく掛け離れたものであった、との法務局長官の答弁と、「自衛官はMilitary」とを一緒にしたものと思われる。
この政府見解は、読めば分かる通り、現行憲法第66条第2項の「文民」の定義はNot Military=Civilianであるとの世界共通の定義を示していると解すべきものであり、小西の言う「退官後のヒゲの隊長」は憲法第66条第2項の規定に反してはいないのである。
民進党・小西は、最初の間違いである昨年12月7日の難癖を、4ヵ月後の今年4月9日に繰り返している。論理展開を正すには充分な期間があったにも関わらず、同じことを繰り返しているのだから、知的怠惰と言われても仕方がない。
小西は、憲法66条を引き合いに出しながら、佐藤正久氏を「自衛隊出身だから」と罷免を求めているのだが、それは憲法第14条に反するものであることに気が付いていない。
そんな事では「良識の府」参議院議員の議論態度としては失格なのである。
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【文末脚注】
(*1):
民進党HP 2018年04月09日
見出し:◆【参院決算委】「安倍内閣ではシビリアンコントロールが破壊されている」小西議員が内閣総辞職求める
https://www.minshin.or.jp/article/113355
記事:○2016年度決算などに関する参院決算委員会の全般質疑が9日に開かれ、民進党・新緑風会の3番手として小西洋之議員が質問に立ち、安倍総理らをただした。
○小西議員は、「シビリアンコントロールは、政治家によって軍事組織を統制する原理だ。その政治家をも統制するのが憲法9条だ。しかしこの憲法9条を安倍政権は(憲法)解釈変更、安保法制によって破壊した」と厳しく指摘。「72年政府見解に、集団的自衛権を合憲とする憲法9条解釈の基本的論理が存在するという安倍内閣の主張が事実に反する場合は、総理大臣、国会議員を辞職する覚悟はあるか」と、安倍総理を問いただした。これに対して安倍総理は、「衆参合わせて相当の時間を重ねて結論を得た。この解釈変更も含めた安保法制は衆参で多数を得て成立した。国会で承認されたもの」とは述べたが、自身の覚悟の有無については言を左右にし、最後まで答えなかった。小西議員は、「憲法解釈なので、国会審議であろうが、論理がないものは違憲になる。集団的自衛権を認める論理が72年政府見解になぜあるのか。政府見解を作った人たちが否定しているものがなぜあるのかにも安倍総理は答えていない。まさに改ざん事件だ」とあらためて指摘した。
○小西議員は佐藤正久外務副大臣が就任あいさつで自衛官の服務の宣誓を引用したことについても「シビリアンコントロールの趣旨に反する」として、同副大臣を即刻罷免すべきと批判。さらに、「小野寺五典防衛大臣が、3月12日に情報管理等の訓示を行っていたその時に、イラク日報の存在を知っていたものがいる」と指摘し、小野寺防衛大臣の辞職とともに、シビリアンコントロールができていないとして安倍内閣の総辞職を要求した。
<引用終わり>
(*2):平成29年(2017年)12月7日・参議院外交防衛委員会議事録
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/195/0059/main.html
<議事録から抜粋引用>
○小西洋之君 民進党・新緑風会の小西洋之でございます。(中略)佐藤副大臣が本委員会の就任挨拶の決意として述べた、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応えるとの文言は、自衛隊法五十二条で戦闘任務に従事する自衛隊員の服務の本旨、すなわち自衛隊員がその任務に服する本来の趣旨、目的とされ、同じく五十三条で全自衛隊員に宣誓が義務付けられているものであります。
一方、憲法六十六条二項の文民条項の政府解釈では、武力組織に属する自衛隊員は武人であり、大臣になることは違憲とされています。
そして、その趣旨は、過去の戦争の責任から、国政が武断政治に陥ることを防ぐためとされています。だとすれば、元自衛隊の指揮官である佐藤副大臣は、武力組織の武人の服務の宣誓をもって外交をつかさどるとの決意を述べたのであり、明確にこの文民条項の趣旨に反します。
佐藤副大臣に伺いますが、もはや外務副大臣として在籍すること自体が憲法六十六条二項の文民条項の趣旨に違反するという自覚はございませんか。佐藤副大臣は即刻辞職するべきではありませんか。
○副大臣(佐藤正久君) お答え申し上げます。(中略)これは自衛隊員の宣誓行為ということではなく、私自身が、我が国の安全とか繁栄を維持し、国民の生命と財産を守るために、外務副大臣として国民の負託に応え、その職務を全うするという私自身の基本的姿勢、これを述べたものであります。(中略)いずれにいたしましても、引き続き、我が国の平和と安全、そのために外務副大臣として職責を全うしてまいりたいというふうに考えます。(中略)
○国務大臣(河野太郎君) 国会における所信その他におきまして自分の考えを述べるときに、様々な書物等から文言を引用するということはあるんだろうと、それが自分の考えていることを端的に表すということならばそういうことはあるのでないかというふうに思っております。(中略)
○国務大臣(河野太郎君) 佐藤副大臣の先般の御挨拶は、職務を遂行する上での基本的姿勢を全体として述べたものであって、外務省の所掌事務等のことで具体的に述べたわけではないんだろうと思います。そういう意味であると御理解をいただきたいと思います。(中略)
○小西洋之君 副大臣に伺いますけれども、就任の外務副大臣の決意表明として、武人の服務の本旨を基本姿勢として決意することは許されないこと、憲法や外務省設置法の趣旨に照らし許されないことである、違憲、違法であるとお考えになりませんか。
○副大臣(佐藤正久君) 私が挨拶で申しましたのは、自衛隊で言ういわゆる服務の宣誓を行ったわけではなく、我が国の平和とそして繁栄を守るための私の副大臣としての基本姿勢、これを述べたものでありますので、繰り返しますけれども、服務の宣誓ということを行ったわけではございません。(中略)
○小西洋之君 一言だけ。済みません。憲法六十六条の趣旨に佐藤副大臣の決意表明が反しないのか、外務省設置法、自衛隊法及び防衛省設置法の趣旨に反するのではないかについて、理事会で協議し、速やかに佐藤副大臣に委員会としての辞職勧告の措置を行うことを委員長に要請させていただきます。
<小西分は以上、後略>
(*3):現行憲法第66条
日本国憲法 (昭和二十一年憲法)
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=321CONSTITUTION&openerCode=1#178
<引用開始>
第66条:内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
同第2項 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
同第3項 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
<引用終わり>
※第1項は「内閣の組織」に関する規定である。第2項は「内閣総理大臣及び国務大臣の資格」に関する規定で、「文民」=「軍人ではない」とする規定である。第3項は「議員内閣制内閣(国会との関係)」についての規定である。
(*4):現行憲法の原文は英語。
2017/05/20投稿:
(資料編)憲法前文の登場・9条の登場と変遷
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-674.html
(*5):第9条と第66条の論理的不整合・矛盾についての以前の論考
2015/09/22投稿:
【コラム】現行憲法の矛盾・混乱2
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-218.html
(*6):昭和40年5月31日・衆議院予算委員会での政府見解
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/048/0514/main.html
<抜粋引用>
○石橋委員(社会党):それから、この防衛庁長官の問題で一つただしておきたいと思うことがあるわけです。それは、防衛庁長官が文民であるということが一つシビリアンコントロールの柱として常にあげられるわけなんです。ところが、現在の日本国憲法は軍備放棄をいたしておりますから、軍事条項というのは全然ありません。だから、シビリアンコントロールについても憲法にその根拠を求めることは不可能なんであります。しいてあげる方がこの憲法六十六条の文民条項というのをあげるのですが、ここで問題になるのは、制服の諸君がこの文民条項に該当するかどうかということですよ。排除されるのかどうかということです。この点については政府の中でも妙な議論があるようでございますので、念を押しておきたいと思うのですけれども、将来内閣総理大臣の考え方によってはユニホームの諸君でも防衛庁長官になり得るのかということです。この点いかがお考えになりますか。
○佐藤内閣総理大臣 これはたいへん大事な問題ですし、ことに法制局でいろいろ検討しておりますから、間違わないように長官から説明させます。
○高辻政府委員 文民の解釈は、率直に申し上げまして、憲法制定当時から、政府のみならず学者の面におきましてもかなり問題になったところでございます。石橋先生御承知のとおりに、これは第九十回帝国議会で審議している際に、当時の貴族院でやっております場合に、アメリカのほうから、もっと詳しく言えば極東委員会でございますが、そこから要求がありまして、実は貴族院の段階で入った。当時、シビリアンでなければならないという、このシビリアンを何と訳すべきか、実はそのときから問題があったわけでございます。詳しいことは別としまして、さてそれでは解釈をどうするかということにつきましては、多くの学者は、旧職業軍人の経歴を有しない者というのがほとんど圧倒的な考え方でございます。政府のほうはどう言っておったかと申しますと、これも御承知のとおりに、旧職業軍人の経歴を有する者であって軍国主義的思想に深く染まっている者でない者、そういうようなふうに言っておりました。これにつきましては、憲法制定当時に実は国の中に武力組織というものがなかったわけで、これを意義あるものとしてつかまえようとしますれば、どうしてもそういう解釈にならざるを得なかった。そういう解釈から言いまして、いままで――いままでと申しますか、憲法制定当時からのそういう解釈の流れから申しまして、自衛官は文民なりという解釈にならざるを得なかったのであります。これは、憲法制定当時の日本における状況から申しまして、そう解することについていわれがあったと私は思いますけれども、さてしからば、いまひるがえって考えてみます場合に、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」という趣旨は、やはり国政が武断政治におちいることのないようにという趣旨がその規定の根源に流れていることはもう申すまでもないと思います。したがって、その後自衛隊というものができまして、これまた憲法上の制約はございますが、やはりそれもまた武力組織であるという以上は、やはり憲法の趣旨をより以上徹して、文民というものは武力組織の中に職業上の地位を占めておらない者というふうに解するほうが、これは憲法の趣旨に一そう適合するんじゃないかという考えが当然出てまいります。
結論的に申しまして、いままでくどくどと申し上げましたが、文民の解釈についてのいままでの考え方というものは、これは憲法が制定されました当時からの諸種の状況で了解されると思いますが、これにはいわれがなかったわけではないと思いますけれども、平和に徹すると総理がよくおっしゃいますそういう精神は日本国憲法の精神そのものでございますが、そのことから考えました場合に、自衛官はやはり制服のままで国務大臣になるというのは、これは憲法の精神から言うと好ましくないんではないか。さらに徹して言えば、自衛官は文民にあらずと解すべきだというふうに考えるわけでございます。この点は、実は法制局の見解として、佐藤内閣になってからでございますが、その検討をいたしまして、防衛庁その他とも十分の打ち合わせを遂げまして、そういう解釈に徹すべきであろうというのがただいまの私どもの結論でございます。
○石橋委員 この条項一つとってみても、現行憲法というものが一切の軍備というものを否定しておるということが明らかなんですよ。だから、法制局長官がおっしゃるような解釈しか出てこないわけなんです。ただ、いまの解釈によりますと、従来の法制局の見解よりも一歩前進しておりますね。この点変わっております。というのは、この文民条項によって排除されるものは軍国的色彩の強い旧職業軍人に限る、いままでの法制局の見解はここでとどまっておった。ところが、いまの高辻さんの答弁によりますと、やはり憲法の精神から言って、自衛官がそのままで防衛庁長官になる、国務大臣になるということは、これは排除されるべきだ、こういう一歩進んだ見解を述べておられますので、これはやはり総理大臣の追認が必要だと思います。どうぞお願いします。
○佐藤内閣総理大臣 私も、法制局長官のただいま答弁したとおりだと、かように考えております。
<抜粋引用終わり>
【ご参考】
2016/01/13投稿:
第4章・国会 衆議院・参議院について6
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-313.html
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副題:憲法を引き合いに出しながら憲法の別条文に反し、政府見解を引き合いに出しているが事実誤認。4ヵ月前の間違いをまた繰り返す民進党・小西。「良識の府」参議院議員の議論態度としては失格である。
民進党・小西は、2018年4月9日に行われた参議院決算委員会の質疑で「シビリアンコントロール」をキーワードに幾つかの質問をしたのだが、相変わらずの「特異な飛び石論法」=論理的につながらない主観的妄想を披露するとの失態を演じた。
民進党HPの記事では、あたかも「まともな質疑」の様な記事(*1)が掲載されているが、その中には下記に引用した様に、小西が以前から粘着している佐藤正久参外務副大臣に対しての難癖が含まれているのである。それは4ヵ月前の難癖の蒸し返しであり、その際の間違いを小西は、4か月も経っているのに何も訂正・改善していないのである。
<2018年4月9日参議院決算委員会を伝える民進党記事から抜粋>
○小西議員は佐藤正久外務副大臣が就任あいさつで自衛官の服務の宣誓を引用したことについても「シビリアンコントロールの趣旨に反する」として、同副大臣を即刻罷免すべきと批判。
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先ず最初に、小西が佐藤正久氏に以前から粘着していることを少々述べる。
佐藤正久氏は、イラクPKOの「ヒゲの隊長」であり、イラクでの活動及び自衛官退官後に参議院議員となり、現在に至る迄、カッチリとした実績を積み重ねている議員である。
小西が佐藤正久氏に粘着しているのは、かなり以前からではあるが、象徴的だったのは2015年の安保法制採決の際の小西の軽率さが露わになった事件が思い出される。
2015年9月17日、参議院での安保法制審議が100時間を超え、審議時間としては充分となり採決に入った。採決間近との状況で、当時の民主党等は特別委員会の鴻池委員長に対する不信任案動議を提出した。
委員長不信任動議の際の慣例として、不信任案の採決中は、議長を務める委員長は委員会の議場から退出することになっているので、鴻池委員長は議場を退出した。
委員長退出中、筆頭理事を務める佐藤正久議員が委員長代理として議長席で議長を務めたのだが、その際に、佐藤議員(委員長代理)を取り囲み、無抵抗の佐藤議員の顔面にプロレス技・アイアン・クローの様な暴力的妨害をしていたのが白眞勲、福山哲郎、小西洋之(当時民主党)の議員達であった。
不信任動議の否決後に鴻池委員長が議長席に戻った後、山本一太議員から「質疑打ち切り動議」(つまり採決動議)が提出されると、野党議員は鴻池委員長が座る議長席に殺到して、あの大混乱となったのである。
その混乱の中、鴻池委員長の真後ろから窓枠に上り、フライング・ボディ・アタックをかけたのが民主党・小西である。
この行為は大変に危険な行為で、当時75歳になろうとしていた老齢の鴻池委員長の視界外の真後ろからダイブすれば、最悪、首の骨が折れたり、頸椎損傷したりとの重大な事象を発生しかねないものである。通常の人が持つ当たり前の予見可能性とそれへの配慮をする能力が、小西の場合は劣っている様である。
小西の危険行為に対して、佐藤正久議員は自身の指の骨折を防ぎながらダイブする小西議員を押し戻し、鴻池委員長は事なきを得た。
この時の静止映像では、あたかも佐藤議員のグーパンチが小西の顔面をヒットする様に見えるが、それでは誤解を招いてしまうと思う。実際の動きは動画で確認出来る。
佐藤議員は、指の骨折を防ぐ為に「グー」の形にした手で、鴻池委員長に向かってダイブする小西を押し戻していることが動画で見れば分かると思う。
2015年の安保法制審議に於いて、自民党・佐藤正久議員は、質疑に於いても混乱時の安全確保に於いても、その専門性を有益に発揮したと解しているのだが、一方の小西は、質疑に於いても、混乱時に於いても、それにより引き起こされる重大事象に思いが至らない軽率さばかりが目立ったと解している。
そんな事があって以降、小西は佐藤議員に対して一層に粘着し続けていると見ているのである。
佐藤正久議員が外務副大臣に就任したのは昨年2017年8月の安倍政権第三次改造内閣時であり、同年11月の第四次改造でも引き続き外務副大臣である。
佐藤正久外務副大臣に粘着する小西は、2017年12月7日の参議院・防衛外交委員会で、副大臣の挨拶を出汁に、以下の様な難癖をつけているのである。
<平成29年(2017年)12月7日・参議院外交防衛委員会議事録(*2)>
<抜粋引用(要旨)>
①:佐藤副大臣が本委員会の就任挨拶の決意として述べた、【事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応える】との文言は、自衛隊法52条で戦闘任務に従事する自衛隊員の服務の本旨、すなわち自衛隊員がその任務に服する本来の趣旨、目的とされ、同じく53条で全自衛隊員に宣誓が義務付けられているもの。
②:憲法66条第2項の文民条項の政府解釈では、武力組織に属する自衛隊員は武人であり、大臣になることは違憲とされている。
③:元自衛隊の指揮官である佐藤副大臣は、武力組織の武人の服務の宣誓をもって外交をつかさどるとの決意を述べたのであり、明確にこの文民条項の趣旨に反する。
<引用終わり>
この小西の屁理屈を「理解」するのは苦労するであろう。
何故なら、彼の論法は、項目間の連続性がなく、話が飛躍してしまい、一般的に妥当だとされる論理的な展開ではないので、理解が出来ないものとなっているからだ。
普通、こういう飛躍する論法は、「妄想」とか「トンデモ論」とか言われるもので、「相手にされない」ものなのだが、小西は一応は参議院議員なので、国会での質疑では「相手にせざるを得ない」のである。
無理矢理に「小西の屁理屈を理解」してみると、以下の様になると解している。
勿論、こんな話に同意できるものではないが、「理解の為の分析」なので、我慢してお付き合いいただきたい。
<小西の妄想である論理的連続性がない飛躍論法の分析>
1:佐藤議員は自衛隊の服務の宣誓の一文を引用した。
↓
2:藤議員は元自衛官だ。
↓
3:だから佐藤議員は今も軍人だ。文民ではない。
↓
4:文民じゃないのに副大臣との職責にあるのは憲法66条第2項に違反する。
↓
5:だって「政府見解」でも「武力組織に属していた自衛隊員は武人(Military)であり、文民(Not Military)じゃない」なので、佐藤副大臣は憲法66条第2項に違反する。
↓
6:佐藤副大臣は辞任ぜよ、河野大臣は佐藤副大臣を罷免せよ
<妄想を理解してみた。終わり>
上記のうち、1と2は事実指摘なので良いのだが、3でいきなり飛躍している。
更に、飛躍しすぎて成り立っていない3を前提にして4の虚偽を提示している。
次の5は、多分、自身の不連続な屁理屈を補完する目的で提示している様だが。5の内容は事実誤認である。詳しくは後述する。
最後の6は、最初から小西が言いたかったことで、要するに、これにつなげたくて滅茶苦茶な飛躍論法を小西は用いているのである。
こういう「結論ありき」の論法は、途中で話が飛躍して、論理的な不連続性が露わになる傾向があるのだが、小西の話は、その典型例である。こんな話では、聞いている側は誰も納得しない。
この様な4ヵ月前の失態を小西は忘れてしまった様で、また繰り返しているので、より細かく、その失態を明示するので、それを思い出していただきたい。
先ず、昨年12月7日の議事録要旨①の「服務の本旨」を引用して述べたことがけしからんとの部分についてである。
これについては、既に佐藤正久外務副大臣本人と河野太郎外務大臣から以下の様な説明がなされており、小西の言い分がまったく成り立っておらず、論理的には決着済であることを思い出していただきたい。
「決着していない」としているのは当の小西と、それを応援する偏向マスコミだけである。
<平成29年(2017年)12月7日・参議院外交防衛委員会議事録>
<抜粋引用(要旨)>
・佐藤正久外務副大臣:これは自衛隊員の宣誓行為ということではなく、私自身が、我が国の安全とか繁栄を維持し、国民の生命と財産を守るために、外務副大臣として国民の負託に応え、その職務を全うするという私自身の基本的姿勢、これを述べたものであります。
・河野太郎外務大臣:国会における所信その他におきまして自分の考えを述べるときに、様々な書物等から文言を引用するということはあるんだろうと、それが自分の考えていることを端的に表すということならばそういうことはあるのでないかというふうに思っております。
・河野太郎外務大臣:佐藤副大臣の先般の御挨拶は、職務を遂行する上での基本的姿勢を全体として述べたものであって、外務省の所掌事務等のことで具体的に述べたわけではないんだろうと思います。
・佐藤正久外務副大臣:自衛隊で言ういわゆる服務の宣誓を行ったわけではなく、我が国の平和とそして繁栄を守るための私の副大臣としての基本姿勢、これを述べたものであります。
<引用終わり>
普通の常識を持つ人物間であれば、このやり取りで御仕舞である。
そうであるにも関わらず、小西は、4ヵ月後の今になっても同じことを繰り返す「蒸し返し」を行っているのである。
次に、現行憲法66条の文民条項の部分である。
上記②及び分析の5の部分であるが、小西は「武力組織に属する自衛隊員は武人であり、大臣になることは違憲」というのが政府見解だと言っている部分である。
これはまったくに事実誤認である。
現行憲法の第66条第2項は以下の通りである。
<現行憲法第66条(*3)>
第66条第2項:内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
<引用終わり>
ここで言っている「文民でなければならい」の「文民」の定義を小西は誤認しているのである。
これについて述べる為には、現行憲法の原文は英語であることを、先ずご理解いただきたい。
「エッ本当かよ!英語なのか?」と思った方は文脈脚注の(*4)で紹介してあるURLの論考をお読みいただきたい。国立国会図書館の資料に基づき、現行憲法の原文が英語であることを明示している。
現行憲法第66条第2項に出て来る「文民」とは何かというと、Civilianの訳語である。
Civilianとは、Military(軍人のこと。小西は「武人」と言っている)の法的対義語である。
実際のところは、先ずMilitaryがあり、そうではない(Not Military)のがCivilianだとする構造がある。そういう構造からは文民・Civilianとは、一言で言えば「軍人以外の人」と訳すのが正しい。
この対義語関係は戦時国際法を見ると、その存在が確認できる。
ハーグ陸戦条約(1899年・我が国では1911年批准)では「戦闘員・非戦闘員」との区分があり、ジュネーブ条約第1議定書(1977年・我が国では2005年発行)では「軍人・文民」との区分が用いられている。
これら国際条約の区分は、要するに「軍人と軍人以外をわける概念」であり、軸足は「軍人」にある。
次に、シビリアンコントロールの概念と、その運用の概略を述べる。
人類は幾多の経験から、政治体制として民主主義に到達したのであるが、その経験から編み出された手法の1つにシビリアンコントロールがある。国家の対外的主権の行使形態のうちの1つである軍隊の運用の指揮命令権限を国民による民主的手法で選ばれた政府が持つとの原則(シビリアンコントロール原則)を人類は確立したのである。
(シビリアンコントロールを論考し始めると相当量の文字数となってしまうので、「国民による民主的手法で選ばれた政府が軍の指揮命令権を行使するもの」で、それが民主主義原則になっていると理解していただければ、今は良いと思う。)
現状、世界の主要な民主主義国は、このシビリアンコントロール原則を採用している。
その際の「文民」=Civilianとは、「現役の軍人以外」=Not Militaryと理解すれば良いと考えられている。これは「運用方法」の話である。
軍を退役したら、その時点でNot Military=Civilianとされている。
小西が言う様な「一度でも軍人だったら文民ではない」などという運用方法はとられていないのが現実である。歴代アメリカ大統領や閣僚には、元軍人、元職業軍人が沢山いることはご存じの通りである。
アイゼンハワ大統領は、第二次世界大戦・欧州戦線の米軍総司令官との職業軍人である。
JFKケネディ大統領は、太平洋戦域で魚雷艇PT-109に乗り、帝国海軍と闘っていた軍人である。ケネディの魚雷艇がソロモン海域で駆逐艦・天霧に踏みつけられて沈没したエピソードは有名である。
同様、大統領制のアメリカでは、我が国大臣に相当する「長官」は、大統領が指名し、議会が承認することで、その座に就任するが、現在のアメリカのトランプ政権の国防長官(防衛大臣相当)はマティスである。マティスは、退役海兵隊大将であり元軍人である。また湾岸戦争の英雄として人気が高かった陸軍大将パウエルは、退役後にブッシュ政権の国務長官(外務大臣相当)を務めた。
この様な、世界標準の「文民」の定義から言えば、佐藤正久議員は、既に自衛隊を退官しており、れっきとした「文民」である。
ところが、そうであるにも関わらず小西は、屁理屈を以て第66条第2項に違反すると言ってしまっているのである。
ここで、もう一度、小西の昨年12月7日の発言を国会議事録から引用すると、小西は以下の様に、「政府解釈」を持ち出している。
<上記国会議事録要旨を再度引用>
②:憲法66条第2項の文民条項の政府解釈では、武力組織に属する自衛隊員は武人であり、大臣になることは違憲とされている。
<再引用終わり>
この「政府解釈」に関しては、以前「9条と66条の矛盾」とのテーマでの論考(*5)した際に、昭和40年5月31日・衆議院予算委員会での政府見解(*6)を紹介したが、多分、そのことだろうと思われる。それ以降に、何かの政府見解が出たとの記憶はない。
質問者は、あの「非武装中立論」の社会党の石橋政嗣である。
回答者は当時の総理大臣佐藤栄作と高辻内閣法制局長官である。
そこで示されていることは、自衛隊員は MilitaryでありNot Civilianとの見解であり、世界共通の軍人の定義に準拠するものであった。
この昭和40年答弁で内閣法制局長官は、憲法制定当時の英文Civilianを、どの様に訳すかとの当時の話をしており、その定義についての当時の話を「経緯」として出しているのだが、小西は、それを誤読しているのだろうと推察される。
占領下にあった我が国での憲法制定当時の英文Civilianの定義は、自衛隊が存在しないという状態、即ち、我が国にMilitaryが存在しない状態で定義がなされた為に、当時の時代背景等もあり、「旧職業軍人の経歴を有しない者」との世界標準とは大きく掛け離れたものであった、との法務局長官の答弁と、「自衛官はMilitary」とを一緒にしたものと思われる。
この政府見解は、読めば分かる通り、現行憲法第66条第2項の「文民」の定義はNot Military=Civilianであるとの世界共通の定義を示していると解すべきものであり、小西の言う「退官後のヒゲの隊長」は憲法第66条第2項の規定に反してはいないのである。
民進党・小西は、最初の間違いである昨年12月7日の難癖を、4ヵ月後の今年4月9日に繰り返している。論理展開を正すには充分な期間があったにも関わらず、同じことを繰り返しているのだから、知的怠惰と言われても仕方がない。
小西は、憲法66条を引き合いに出しながら、佐藤正久氏を「自衛隊出身だから」と罷免を求めているのだが、それは憲法第14条に反するものであることに気が付いていない。
そんな事では「良識の府」参議院議員の議論態度としては失格なのである。
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【文末脚注】
(*1):
民進党HP 2018年04月09日
見出し:◆【参院決算委】「安倍内閣ではシビリアンコントロールが破壊されている」小西議員が内閣総辞職求める
https://www.minshin.or.jp/article/113355
記事:○2016年度決算などに関する参院決算委員会の全般質疑が9日に開かれ、民進党・新緑風会の3番手として小西洋之議員が質問に立ち、安倍総理らをただした。
○小西議員は、「シビリアンコントロールは、政治家によって軍事組織を統制する原理だ。その政治家をも統制するのが憲法9条だ。しかしこの憲法9条を安倍政権は(憲法)解釈変更、安保法制によって破壊した」と厳しく指摘。「72年政府見解に、集団的自衛権を合憲とする憲法9条解釈の基本的論理が存在するという安倍内閣の主張が事実に反する場合は、総理大臣、国会議員を辞職する覚悟はあるか」と、安倍総理を問いただした。これに対して安倍総理は、「衆参合わせて相当の時間を重ねて結論を得た。この解釈変更も含めた安保法制は衆参で多数を得て成立した。国会で承認されたもの」とは述べたが、自身の覚悟の有無については言を左右にし、最後まで答えなかった。小西議員は、「憲法解釈なので、国会審議であろうが、論理がないものは違憲になる。集団的自衛権を認める論理が72年政府見解になぜあるのか。政府見解を作った人たちが否定しているものがなぜあるのかにも安倍総理は答えていない。まさに改ざん事件だ」とあらためて指摘した。
○小西議員は佐藤正久外務副大臣が就任あいさつで自衛官の服務の宣誓を引用したことについても「シビリアンコントロールの趣旨に反する」として、同副大臣を即刻罷免すべきと批判。さらに、「小野寺五典防衛大臣が、3月12日に情報管理等の訓示を行っていたその時に、イラク日報の存在を知っていたものがいる」と指摘し、小野寺防衛大臣の辞職とともに、シビリアンコントロールができていないとして安倍内閣の総辞職を要求した。
<引用終わり>
(*2):平成29年(2017年)12月7日・参議院外交防衛委員会議事録
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/195/0059/main.html
<議事録から抜粋引用>
○小西洋之君 民進党・新緑風会の小西洋之でございます。(中略)佐藤副大臣が本委員会の就任挨拶の決意として述べた、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応えるとの文言は、自衛隊法五十二条で戦闘任務に従事する自衛隊員の服務の本旨、すなわち自衛隊員がその任務に服する本来の趣旨、目的とされ、同じく五十三条で全自衛隊員に宣誓が義務付けられているものであります。
一方、憲法六十六条二項の文民条項の政府解釈では、武力組織に属する自衛隊員は武人であり、大臣になることは違憲とされています。
そして、その趣旨は、過去の戦争の責任から、国政が武断政治に陥ることを防ぐためとされています。だとすれば、元自衛隊の指揮官である佐藤副大臣は、武力組織の武人の服務の宣誓をもって外交をつかさどるとの決意を述べたのであり、明確にこの文民条項の趣旨に反します。
佐藤副大臣に伺いますが、もはや外務副大臣として在籍すること自体が憲法六十六条二項の文民条項の趣旨に違反するという自覚はございませんか。佐藤副大臣は即刻辞職するべきではありませんか。
○副大臣(佐藤正久君) お答え申し上げます。(中略)これは自衛隊員の宣誓行為ということではなく、私自身が、我が国の安全とか繁栄を維持し、国民の生命と財産を守るために、外務副大臣として国民の負託に応え、その職務を全うするという私自身の基本的姿勢、これを述べたものであります。(中略)いずれにいたしましても、引き続き、我が国の平和と安全、そのために外務副大臣として職責を全うしてまいりたいというふうに考えます。(中略)
○国務大臣(河野太郎君) 国会における所信その他におきまして自分の考えを述べるときに、様々な書物等から文言を引用するということはあるんだろうと、それが自分の考えていることを端的に表すということならばそういうことはあるのでないかというふうに思っております。(中略)
○国務大臣(河野太郎君) 佐藤副大臣の先般の御挨拶は、職務を遂行する上での基本的姿勢を全体として述べたものであって、外務省の所掌事務等のことで具体的に述べたわけではないんだろうと思います。そういう意味であると御理解をいただきたいと思います。(中略)
○小西洋之君 副大臣に伺いますけれども、就任の外務副大臣の決意表明として、武人の服務の本旨を基本姿勢として決意することは許されないこと、憲法や外務省設置法の趣旨に照らし許されないことである、違憲、違法であるとお考えになりませんか。
○副大臣(佐藤正久君) 私が挨拶で申しましたのは、自衛隊で言ういわゆる服務の宣誓を行ったわけではなく、我が国の平和とそして繁栄を守るための私の副大臣としての基本姿勢、これを述べたものでありますので、繰り返しますけれども、服務の宣誓ということを行ったわけではございません。(中略)
○小西洋之君 一言だけ。済みません。憲法六十六条の趣旨に佐藤副大臣の決意表明が反しないのか、外務省設置法、自衛隊法及び防衛省設置法の趣旨に反するのではないかについて、理事会で協議し、速やかに佐藤副大臣に委員会としての辞職勧告の措置を行うことを委員長に要請させていただきます。
<小西分は以上、後略>
(*3):現行憲法第66条
日本国憲法 (昭和二十一年憲法)
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=321CONSTITUTION&openerCode=1#178
<引用開始>
第66条:内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
同第2項 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
同第3項 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
<引用終わり>
※第1項は「内閣の組織」に関する規定である。第2項は「内閣総理大臣及び国務大臣の資格」に関する規定で、「文民」=「軍人ではない」とする規定である。第3項は「議員内閣制内閣(国会との関係)」についての規定である。
(*4):現行憲法の原文は英語。
2017/05/20投稿:
(資料編)憲法前文の登場・9条の登場と変遷
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-674.html
(*5):第9条と第66条の論理的不整合・矛盾についての以前の論考
2015/09/22投稿:
【コラム】現行憲法の矛盾・混乱2
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-218.html
(*6):昭和40年5月31日・衆議院予算委員会での政府見解
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/048/0514/main.html
<抜粋引用>
○石橋委員(社会党):それから、この防衛庁長官の問題で一つただしておきたいと思うことがあるわけです。それは、防衛庁長官が文民であるということが一つシビリアンコントロールの柱として常にあげられるわけなんです。ところが、現在の日本国憲法は軍備放棄をいたしておりますから、軍事条項というのは全然ありません。だから、シビリアンコントロールについても憲法にその根拠を求めることは不可能なんであります。しいてあげる方がこの憲法六十六条の文民条項というのをあげるのですが、ここで問題になるのは、制服の諸君がこの文民条項に該当するかどうかということですよ。排除されるのかどうかということです。この点については政府の中でも妙な議論があるようでございますので、念を押しておきたいと思うのですけれども、将来内閣総理大臣の考え方によってはユニホームの諸君でも防衛庁長官になり得るのかということです。この点いかがお考えになりますか。
○佐藤内閣総理大臣 これはたいへん大事な問題ですし、ことに法制局でいろいろ検討しておりますから、間違わないように長官から説明させます。
○高辻政府委員 文民の解釈は、率直に申し上げまして、憲法制定当時から、政府のみならず学者の面におきましてもかなり問題になったところでございます。石橋先生御承知のとおりに、これは第九十回帝国議会で審議している際に、当時の貴族院でやっております場合に、アメリカのほうから、もっと詳しく言えば極東委員会でございますが、そこから要求がありまして、実は貴族院の段階で入った。当時、シビリアンでなければならないという、このシビリアンを何と訳すべきか、実はそのときから問題があったわけでございます。詳しいことは別としまして、さてそれでは解釈をどうするかということにつきましては、多くの学者は、旧職業軍人の経歴を有しない者というのがほとんど圧倒的な考え方でございます。政府のほうはどう言っておったかと申しますと、これも御承知のとおりに、旧職業軍人の経歴を有する者であって軍国主義的思想に深く染まっている者でない者、そういうようなふうに言っておりました。これにつきましては、憲法制定当時に実は国の中に武力組織というものがなかったわけで、これを意義あるものとしてつかまえようとしますれば、どうしてもそういう解釈にならざるを得なかった。そういう解釈から言いまして、いままで――いままでと申しますか、憲法制定当時からのそういう解釈の流れから申しまして、自衛官は文民なりという解釈にならざるを得なかったのであります。これは、憲法制定当時の日本における状況から申しまして、そう解することについていわれがあったと私は思いますけれども、さてしからば、いまひるがえって考えてみます場合に、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」という趣旨は、やはり国政が武断政治におちいることのないようにという趣旨がその規定の根源に流れていることはもう申すまでもないと思います。したがって、その後自衛隊というものができまして、これまた憲法上の制約はございますが、やはりそれもまた武力組織であるという以上は、やはり憲法の趣旨をより以上徹して、文民というものは武力組織の中に職業上の地位を占めておらない者というふうに解するほうが、これは憲法の趣旨に一そう適合するんじゃないかという考えが当然出てまいります。
結論的に申しまして、いままでくどくどと申し上げましたが、文民の解釈についてのいままでの考え方というものは、これは憲法が制定されました当時からの諸種の状況で了解されると思いますが、これにはいわれがなかったわけではないと思いますけれども、平和に徹すると総理がよくおっしゃいますそういう精神は日本国憲法の精神そのものでございますが、そのことから考えました場合に、自衛官はやはり制服のままで国務大臣になるというのは、これは憲法の精神から言うと好ましくないんではないか。さらに徹して言えば、自衛官は文民にあらずと解すべきだというふうに考えるわけでございます。この点は、実は法制局の見解として、佐藤内閣になってからでございますが、その検討をいたしまして、防衛庁その他とも十分の打ち合わせを遂げまして、そういう解釈に徹すべきであろうというのがただいまの私どもの結論でございます。
○石橋委員 この条項一つとってみても、現行憲法というものが一切の軍備というものを否定しておるということが明らかなんですよ。だから、法制局長官がおっしゃるような解釈しか出てこないわけなんです。ただ、いまの解釈によりますと、従来の法制局の見解よりも一歩前進しておりますね。この点変わっております。というのは、この文民条項によって排除されるものは軍国的色彩の強い旧職業軍人に限る、いままでの法制局の見解はここでとどまっておった。ところが、いまの高辻さんの答弁によりますと、やはり憲法の精神から言って、自衛官がそのままで防衛庁長官になる、国務大臣になるということは、これは排除されるべきだ、こういう一歩進んだ見解を述べておられますので、これはやはり総理大臣の追認が必要だと思います。どうぞお願いします。
○佐藤内閣総理大臣 私も、法制局長官のただいま答弁したとおりだと、かように考えております。
<抜粋引用終わり>
【ご参考】
2016/01/13投稿:
第4章・国会 衆議院・参議院について6
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-313.html
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