14-17 自民党案「第1章・天皇」の分析 その4
- 2015/04/22
- 21:10
14-17 どの様な憲法が相応しいのか。その17

14-17 自民党案「第1章・天皇」の分析 その4
前回からの続きとして「主権」について一緒に考えていきたい。
「戦後教育」を受けている我々は「主権」との語句を「基本的人権」と混同したり「国家主権」との語句を見ると無根拠に忌み嫌ったりする傾向が少なからずあるのではないだろうか。でも、そういう偽看板や虚偽のレッテルに騙されずに、1つ1つを見て考えていけば、何が正しいのかが段々とわかってくると思う。
<分析・意見>
さて、前回も掲げたが3つの「主権」の意味を再度掲げる。
1)国内的主権概念:国民および領土を統治する国家の権力。統治権。
2)国際関係的主権概念:国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利。国家主権。
3)国内政治制度上の主権概念:国家の政治を最終的に決定する権利。
さて、現状の我が国ではどうなっているのかを考えてみよう。
先ず2)の国際関係的国家主権概念だが、他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利を有しているのか制限されているのか、を考えるのだが、弱小国が国際関係で意に沿わない政策を採用することと国家主権の存在は別の概念である。
弱小国の意に沿わない政策であっても、その決定自体は自身によって為されることと主権喪失時に従うことは全然違うことだと先ず提示しておこう。
現在の我が国は国際社会に於いて、既に名誉ある地位を築いていると言って良いだろう。
経済的発展、質的に高い長き伝統文化と現代文化、長き議会制民主主義制度の歴史、一部世界標準から外れる特定地域以外との良好な外交関係、優れた技術力、信頼性に重き置き宗教的差異による偏見薄い民度等々世界に誇れるものが多々ある。一方、紛争地域での平和維持活動や海賊対策等武力鎮定関係では「憲法上の制約」を理由に国際貢献の場では不充分、世界的主要国の一員としての責務に対しては積極的ではない。
「憲法上の制約」が出てくる場面は、独立国として軍事的側面での「独自の意思決定」を行おうとすると「憲法上の制約で出来ない」が出てくる。
自国防衛やPKO等国際貢献の話の時に出てくるのである。
あと、我が国教科書検定の時に「近隣国の感情を配慮する必要がある」などがあり、2)がしっかりと確立しているのかはどうも怪しい。
占領時主権喪失期に制定された現行憲法には、独立した国家が当然の様に持つ国家主権の重要な柱である交戦権がないと書いてあり、こんなんで他国からの干渉を排除できるのだろうか?と考えれば、米国は別としても、英独仏伊等の先進国程度には奇妙なくびきからは脱する必要があると感じられる。
次に3)の政治制度上の主権「国家の政治を最終的に決定する権利」であるが、現行憲法も帝国憲法も実質は国民が選挙で意思表明する議会制民主主義であり、その点では国民が選挙を通じて3)の主権を行使している。
前回考察した様に、東日本大震災時に選んだ覚えがない菅直人が首相の座におるなど、前回指摘した様に議会制民主主義には完全な制度ではない。
しかし、議会制民主主義を通じた「現代国民立憲制」以外の民主的制度が思いつかない。
従い、自由主義・民主主義・法治主義の要件を満足させる憲法下議会制民主主義制度を採用する憲法が望ましいと考えており、それは帝国憲法下でも、現行憲法下でも、その制度が採用されている。
問題があるとすれば、それは憲法規定の話ではなく、運用する側の問題だ。帝国憲法下の憲政の常道が蔑ろにされているからと、マスコミが、その機能を放棄していることが主因だと考えている。
最後に1)の統治権としての主権であるが、これは、実質では3)の選挙を通じて代表者選び行使するものであり、形式上イギリスではエリザベス女王にあり、帝国憲法下では天皇にあった。
現行憲法は前回「14-16」で引用した通り、前文と第1条の条文から「主権」は国民にあると書いてあり、それ以外の主権記述はない。しかし、現行憲法の他の条文には概念的統治権が天皇にあるとする条文もある。典型例は現行憲法第6条の両項で行政府の長と司法の長の任命権者である。「国事行為」との名称ついているが、天皇の任命なければ内閣総理大臣になったとは看做されないのだ。
現行憲法は帝国憲法のコピペ+上書き方式であり、現行憲法の第6条び第7条は帝国憲法での天皇大権をモディファイしただけで、明らかな元首統治権者としての行為である。
米国の様な国民が自分で自分を統治するとの共和制の考え方がそれが至高ではないのだ。
イギリスではかの国の歴史・文化・習慣から1)の概念主権は国王にあり、3)の政治制度としての主権は国民が持つ。現行憲法への改憲時、あのGHQも我が国の明治以降の憲政の歴史、天皇を元首とする永き日本文明等から「主権の存する日本国民」と書いただけで、
実質は天皇が統治権者として行う各種行為が現行憲法にも明記されている。
3.改正憲法で我が国の主権はどうしたら良いか。
現行憲法の改憲案としては、自由主義・民主主義・法治主義の要件を引き続き堅持・満足させる「現代国民立憲制」発想の憲法下議会制民主主義制度を採用する憲法が望ましいと考えている。
つまり、主権3)は現行憲法と同じ「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」とある様に選挙権を行使し議員を選ぶことを通じて国政のあり方を決定する権利を国民が持つとの条文があることが必須だ。
次の主権2)は国家主権である。現在の国際社会で各国家が等しく持つ最高権力である。
それなのに前述した様に【独立国として軍事的側面での「独自の意思決定」を行おうとすると「憲法上の制約で出来ない」が出てくる】のである。
その理由は明らかだ。
以下に現行憲法9条を再記するが、如何に沢山の「我が国権利」が禁止されていることをあらためて見て欲しい。
<Fact>現行憲法 第2章:戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
同第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
制限されているのは以下の4点だと読める。
・国際紛争を解決する手段としての国権の発動たる戦争を放棄
・国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇又は武力の行使を放棄
・陸海空軍その他の戦力を保持しない
・国の交戦権は認めない。
教科書だとかには「国際紛争を解決する手段としての国権の発動たる戦争を放棄」とは「侵略戦争の放棄」だとの解説がされているが、文面からは「侵略戦争」だとは読めない。
現行憲法第9条の1項は「パリ不戦条約」の第1条の文言を模して起草されたとする説がある。たしかに同条約第1条は下記の通りそっくりな文面だ。
がしかし、未だ憲法9条の英文草案とパリ不戦条約の英文の突き合わせを当方は出来ておらず、確認はとれていない。むしろパリ不戦条約第1条が侵略戦争を定義している訳ではないとの説が確認出来るばかりである。
<パリ不戦条約>
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19280827.T1J.html
第一條 締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス
要するに、これは「憲法9条では自衛権は認められており、自衛隊も持てる」と言いたいが為に「前項」の「国際紛争を解決する手段としての国権の発動たる戦争」ってのは「侵略戦争」って意味にしているんでしょ。逆算してるでしょ。
でも、当方は「「解釈」は仕方がなかった詭弁」だとする立場である。
こんな非武装規定を押しつけられた先人が一生懸命祖国防衛の道を模索した結果の「解釈」だと考えている。故に、正解は現行憲法では我が国主権の2)は制限されているのが実情だということだ。
こんな主権制限(主権2))を敗戦後の占領時主権喪失期(主権1)2)3)の総て)に押し付けられているのだから、改憲では、その様な主権制限を撤廃し、我が国主権の名の下に、あらためて侵略戦争の否定をすべきだ。
自分の意志の元に、我が国主権下で侵略戦争をしないとの宣言を我が国はすべきだと考える。現行憲法は侵略戦争しないとは明確には言ってない。それ以前の自存自立を否定された非武装状態を是とされた憲法だからだ。
<長くなったので項を分けます>
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14-17 自民党案「第1章・天皇」の分析 その4
前回からの続きとして「主権」について一緒に考えていきたい。
「戦後教育」を受けている我々は「主権」との語句を「基本的人権」と混同したり「国家主権」との語句を見ると無根拠に忌み嫌ったりする傾向が少なからずあるのではないだろうか。でも、そういう偽看板や虚偽のレッテルに騙されずに、1つ1つを見て考えていけば、何が正しいのかが段々とわかってくると思う。
<分析・意見>
さて、前回も掲げたが3つの「主権」の意味を再度掲げる。
1)国内的主権概念:国民および領土を統治する国家の権力。統治権。
2)国際関係的主権概念:国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利。国家主権。
3)国内政治制度上の主権概念:国家の政治を最終的に決定する権利。
さて、現状の我が国ではどうなっているのかを考えてみよう。
先ず2)の国際関係的国家主権概念だが、他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利を有しているのか制限されているのか、を考えるのだが、弱小国が国際関係で意に沿わない政策を採用することと国家主権の存在は別の概念である。
弱小国の意に沿わない政策であっても、その決定自体は自身によって為されることと主権喪失時に従うことは全然違うことだと先ず提示しておこう。
現在の我が国は国際社会に於いて、既に名誉ある地位を築いていると言って良いだろう。
経済的発展、質的に高い長き伝統文化と現代文化、長き議会制民主主義制度の歴史、一部世界標準から外れる特定地域以外との良好な外交関係、優れた技術力、信頼性に重き置き宗教的差異による偏見薄い民度等々世界に誇れるものが多々ある。一方、紛争地域での平和維持活動や海賊対策等武力鎮定関係では「憲法上の制約」を理由に国際貢献の場では不充分、世界的主要国の一員としての責務に対しては積極的ではない。
「憲法上の制約」が出てくる場面は、独立国として軍事的側面での「独自の意思決定」を行おうとすると「憲法上の制約で出来ない」が出てくる。
自国防衛やPKO等国際貢献の話の時に出てくるのである。
あと、我が国教科書検定の時に「近隣国の感情を配慮する必要がある」などがあり、2)がしっかりと確立しているのかはどうも怪しい。
占領時主権喪失期に制定された現行憲法には、独立した国家が当然の様に持つ国家主権の重要な柱である交戦権がないと書いてあり、こんなんで他国からの干渉を排除できるのだろうか?と考えれば、米国は別としても、英独仏伊等の先進国程度には奇妙なくびきからは脱する必要があると感じられる。
次に3)の政治制度上の主権「国家の政治を最終的に決定する権利」であるが、現行憲法も帝国憲法も実質は国民が選挙で意思表明する議会制民主主義であり、その点では国民が選挙を通じて3)の主権を行使している。
前回考察した様に、東日本大震災時に選んだ覚えがない菅直人が首相の座におるなど、前回指摘した様に議会制民主主義には完全な制度ではない。
しかし、議会制民主主義を通じた「現代国民立憲制」以外の民主的制度が思いつかない。
従い、自由主義・民主主義・法治主義の要件を満足させる憲法下議会制民主主義制度を採用する憲法が望ましいと考えており、それは帝国憲法下でも、現行憲法下でも、その制度が採用されている。
問題があるとすれば、それは憲法規定の話ではなく、運用する側の問題だ。帝国憲法下の憲政の常道が蔑ろにされているからと、マスコミが、その機能を放棄していることが主因だと考えている。
最後に1)の統治権としての主権であるが、これは、実質では3)の選挙を通じて代表者選び行使するものであり、形式上イギリスではエリザベス女王にあり、帝国憲法下では天皇にあった。
現行憲法は前回「14-16」で引用した通り、前文と第1条の条文から「主権」は国民にあると書いてあり、それ以外の主権記述はない。しかし、現行憲法の他の条文には概念的統治権が天皇にあるとする条文もある。典型例は現行憲法第6条の両項で行政府の長と司法の長の任命権者である。「国事行為」との名称ついているが、天皇の任命なければ内閣総理大臣になったとは看做されないのだ。
現行憲法は帝国憲法のコピペ+上書き方式であり、現行憲法の第6条び第7条は帝国憲法での天皇大権をモディファイしただけで、明らかな元首統治権者としての行為である。
米国の様な国民が自分で自分を統治するとの共和制の考え方がそれが至高ではないのだ。
イギリスではかの国の歴史・文化・習慣から1)の概念主権は国王にあり、3)の政治制度としての主権は国民が持つ。現行憲法への改憲時、あのGHQも我が国の明治以降の憲政の歴史、天皇を元首とする永き日本文明等から「主権の存する日本国民」と書いただけで、
実質は天皇が統治権者として行う各種行為が現行憲法にも明記されている。
3.改正憲法で我が国の主権はどうしたら良いか。
現行憲法の改憲案としては、自由主義・民主主義・法治主義の要件を引き続き堅持・満足させる「現代国民立憲制」発想の憲法下議会制民主主義制度を採用する憲法が望ましいと考えている。
つまり、主権3)は現行憲法と同じ「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」とある様に選挙権を行使し議員を選ぶことを通じて国政のあり方を決定する権利を国民が持つとの条文があることが必須だ。
次の主権2)は国家主権である。現在の国際社会で各国家が等しく持つ最高権力である。
それなのに前述した様に【独立国として軍事的側面での「独自の意思決定」を行おうとすると「憲法上の制約で出来ない」が出てくる】のである。
その理由は明らかだ。
以下に現行憲法9条を再記するが、如何に沢山の「我が国権利」が禁止されていることをあらためて見て欲しい。
<Fact>現行憲法 第2章:戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
同第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
制限されているのは以下の4点だと読める。
・国際紛争を解決する手段としての国権の発動たる戦争を放棄
・国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇又は武力の行使を放棄
・陸海空軍その他の戦力を保持しない
・国の交戦権は認めない。
教科書だとかには「国際紛争を解決する手段としての国権の発動たる戦争を放棄」とは「侵略戦争の放棄」だとの解説がされているが、文面からは「侵略戦争」だとは読めない。
現行憲法第9条の1項は「パリ不戦条約」の第1条の文言を模して起草されたとする説がある。たしかに同条約第1条は下記の通りそっくりな文面だ。
がしかし、未だ憲法9条の英文草案とパリ不戦条約の英文の突き合わせを当方は出来ておらず、確認はとれていない。むしろパリ不戦条約第1条が侵略戦争を定義している訳ではないとの説が確認出来るばかりである。
<パリ不戦条約>
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19280827.T1J.html
第一條 締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス
要するに、これは「憲法9条では自衛権は認められており、自衛隊も持てる」と言いたいが為に「前項」の「国際紛争を解決する手段としての国権の発動たる戦争」ってのは「侵略戦争」って意味にしているんでしょ。逆算してるでしょ。
でも、当方は「「解釈」は仕方がなかった詭弁」だとする立場である。
こんな非武装規定を押しつけられた先人が一生懸命祖国防衛の道を模索した結果の「解釈」だと考えている。故に、正解は現行憲法では我が国主権の2)は制限されているのが実情だということだ。
こんな主権制限(主権2))を敗戦後の占領時主権喪失期(主権1)2)3)の総て)に押し付けられているのだから、改憲では、その様な主権制限を撤廃し、我が国主権の名の下に、あらためて侵略戦争の否定をすべきだ。
自分の意志の元に、我が国主権下で侵略戦争をしないとの宣言を我が国はすべきだと考える。現行憲法は侵略戦争しないとは明確には言ってない。それ以前の自存自立を否定された非武装状態を是とされた憲法だからだ。
<長くなったので項を分けます>
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