14-16 自民党案「第1章・天皇」の分析 その3
- 2015/04/21
- 19:53
14-16 どの様な憲法が相応しいのか。その16

14-16 自民党案「第1章・天皇」の分析 その3
前回からの続きである。今回は制度上の「主権」と概念上の「主権」について考察する。
2.主権行使制度と主権概念
現行憲法は以下に掲げた前文及び第1条で「主権在民」を掲げている。
前文では「国会における代表者を通じて」「主権が国民に存する」とある。
制度が選挙による議会制民主主義、概念としての主権が国民にあるとの建て付けだ。
そして、後段で「国政は、国民の厳粛な信託による」「権威は国民に由来」との正統性を掲げ、最後に再度「権力は国民の代表者がこれを行使」するとの制度に言及し、その目的は「福利は国民がこれを享受する」とある。
<Fact>現行憲法前文より抜粋
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、(中略)ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。(後略)
<同英文>
We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet,(中略)do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution.
Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people,the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people.(後略)
次に現行憲法第1条の条文を見る。
<Fact>現行憲法第1条
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
<同英文>
Article 1. The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.
ここでは「主権」は「日本国民に在する」とだけ書かれており、帝国憲法下での大権(統治権)ある天皇から国民へと「主権」が概念上移動している旨の条文となっている。
共和国制度を採用する米国GHQが我が国の歴史・文化・慣習を無視して米国式を押し込んだ部分である。ここで概念上移動していると書いたのは、選挙を通じて国民の意思を行使するとの制度上の構造は帝国憲法も現行憲法も同じ議会制民主主義だからである。
ところで「主権」って何よ?
わかっている様、で実は多くの方々は説明出来ない概念である。
「主権」を辞書で引くと以下の3つの説明が出てくる。
1)国民および領土を統治する国家の権力。統治権。
2)国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利。国家主権。
3)国家の政治を最終的に決定する権利。
上記のうち、1)は国内的主権概念、2)は国際関係的主権概念、3)は国内政治制度上の主権概念だと解される。つまり、3つの概念があることがわかる。単一ではなく複数あるのだ。
3つある主権概念で一番わかり易いのは2)の国際関係的国家主権概念である。
これは、国家には「他国の支配に服さない統治権力」との国家主権があり、この国家主権は各国が等しく持つ「最高・独立・絶対の権力」だと解されている、国家単位の「主権」である。
国連総会での1票は1国1票とのシステムは、この「国家単位での「主権」」の考え方による。人口10億人超のインドも中国も1票。自国民30万人しかないカタールも1票である。
インド・中国の人口に比して0.03%しか人口がいないカタールも1票だ。
国家権力がもしも「人権」由来なら人口比で圧倒的差があるのに同じ1票では辻褄が合わない。要するに、この国家主権は人権とは無関係な国家が持つ主権だということがわかるだろう。
次に1)の国民・領土を統治する権利としての「主権」だが、自国民の範囲、自国領土の範囲を統治する権力としての「主権」である。これを統治権と言うか、国内的国家主権と言うかは語句の違いであり同じことだ。そして、その国家主権を行使するプロセスで3)の「国家の政治を最終的に決定する権利」としての「政策決定する権利としての主権」との3つの意味があるのである。
さて、現行憲法で言われている「主権が国民に存する」「主権の存する日本国民」での「主権」は上記の1)~3)のうちどれであるのか?
少なくとも2)は「国家単位」の話であり、違うことがわかる。
「いや、2)も国民が持つ」と言うなら、人口1.25億人の我々日本人の一人当たり主権はカタール人の400分の1以下なのかい?(笑)
国家単位での2)の国家主権を国民単位にした場合の齟齬事例を紹介することで、その理解が全然違うことだとわかるだろう。
そして1)の統治権も国民単位ではなく、国家単位の主権である。
国民統治、領土支配の主権は国民単位ではなく国家単位であることの再度の説明は長くなるので割愛する。この1)の主権、そして2)の主権の行使方針を決定する権利として、我々国民に3)の主権があるとの構造だ。
憲法の他国事例ではG7諸国を比較対象にしてきたが、その総てが共和制、立憲君主制での議会制民主主義制度採用国だった。それ以外の国は参考にならぬとしてきたが、比較の為に中東産油地域の代表のサウジアラビアの体制を紹介する。
中東アラブ諸国で共和制なのはイラクのみ。サウジ、UAE、カタール、バーレーン等の湾岸諸国は若干の違いあるが、サウジと似たり寄ったり、ほぼ同じの絶対王政国家である。
<サウジアラビアの政体概要>
成文憲法なし、選挙なし、三権分立なし、政教一致、サウード王家の絶対王政。
・サウード王家による政教一致の君主制。同王家が政治と宗教とを治める。
・国王は首相兼「二大聖地の守護者」称号を持つ。
・立法権持つ議会はない。国王への進言・勧告・提案を行う諮問評議会を有する。
・諮問評議会評議員は国王の任命による。
・評議員資格はサウジ国籍を有する30歳以上の男性のみ。
・司法権、行政権、立法権の三権は「相互協力の上、遂行され、その拠り所は国王である」と定められており、三権「協力」体制。
サウジアラビアは国連加盟国である。G20の内の1国である。オイルマネーで世界有数の富裕国である。所謂「サヨク」達から見ればトンデモないとの政治形態だが、各国は各国歴史・文化・慣習に則った上記2)、3)の主権を持つのであることは理解できたと思う。
何も米国式「民主主義」が世界的な絶対正義ではないのである。
湾岸諸国で米国が敵対したのは中東アラブ世界で唯一の共和国であるイラクであり、他の絶対王政国家とは敵対していない。皮肉である。
さて、話を元に戻す。
1)の統治権は正統性の問題だ。統治する正しい理由があるということだ。それは各国の歴史・文化・慣習による。
エリザベス女王が英国の統治権者であることは、その伝統的正統性にある。
そしてイギリスは3)の政治制度として議会制民主主義を採用している。統治権者が女王であっても制度上国民が選挙で選んだ議員が首相となり、首相が国民の代表者となり、国民が政策決定の主権を行使する制度である。この様に1)の統治権としての主権と3)の実質の政策決定する権利としての主権の権利者が分かれていても、イギリスは民主主義国家であり、後ろ指さされる立場ではない。
なんのことはない、帝国憲法の「建て付けと実質」と同じ構造なのである。
サウジ国民に3)の主権はないが、同じ君主制であっても大日本帝国憲法下の我が国もイギリスも3)の主権は国民にあるのである。
では、あらためて我が国の現状を1)~3)の視点で見直してみよう、と思ったが<長くなったので項を分けます>
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14-16 自民党案「第1章・天皇」の分析 その3
前回からの続きである。今回は制度上の「主権」と概念上の「主権」について考察する。
2.主権行使制度と主権概念
現行憲法は以下に掲げた前文及び第1条で「主権在民」を掲げている。
前文では「国会における代表者を通じて」「主権が国民に存する」とある。
制度が選挙による議会制民主主義、概念としての主権が国民にあるとの建て付けだ。
そして、後段で「国政は、国民の厳粛な信託による」「権威は国民に由来」との正統性を掲げ、最後に再度「権力は国民の代表者がこれを行使」するとの制度に言及し、その目的は「福利は国民がこれを享受する」とある。
<Fact>現行憲法前文より抜粋
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、(中略)ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。(後略)
<同英文>
We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet,(中略)do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution.
Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people,the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people.(後略)
次に現行憲法第1条の条文を見る。
<Fact>現行憲法第1条
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
<同英文>
Article 1. The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.
ここでは「主権」は「日本国民に在する」とだけ書かれており、帝国憲法下での大権(統治権)ある天皇から国民へと「主権」が概念上移動している旨の条文となっている。
共和国制度を採用する米国GHQが我が国の歴史・文化・慣習を無視して米国式を押し込んだ部分である。ここで概念上移動していると書いたのは、選挙を通じて国民の意思を行使するとの制度上の構造は帝国憲法も現行憲法も同じ議会制民主主義だからである。
ところで「主権」って何よ?
わかっている様、で実は多くの方々は説明出来ない概念である。
「主権」を辞書で引くと以下の3つの説明が出てくる。
1)国民および領土を統治する国家の権力。統治権。
2)国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利。国家主権。
3)国家の政治を最終的に決定する権利。
上記のうち、1)は国内的主権概念、2)は国際関係的主権概念、3)は国内政治制度上の主権概念だと解される。つまり、3つの概念があることがわかる。単一ではなく複数あるのだ。
3つある主権概念で一番わかり易いのは2)の国際関係的国家主権概念である。
これは、国家には「他国の支配に服さない統治権力」との国家主権があり、この国家主権は各国が等しく持つ「最高・独立・絶対の権力」だと解されている、国家単位の「主権」である。
国連総会での1票は1国1票とのシステムは、この「国家単位での「主権」」の考え方による。人口10億人超のインドも中国も1票。自国民30万人しかないカタールも1票である。
インド・中国の人口に比して0.03%しか人口がいないカタールも1票だ。
国家権力がもしも「人権」由来なら人口比で圧倒的差があるのに同じ1票では辻褄が合わない。要するに、この国家主権は人権とは無関係な国家が持つ主権だということがわかるだろう。
次に1)の国民・領土を統治する権利としての「主権」だが、自国民の範囲、自国領土の範囲を統治する権力としての「主権」である。これを統治権と言うか、国内的国家主権と言うかは語句の違いであり同じことだ。そして、その国家主権を行使するプロセスで3)の「国家の政治を最終的に決定する権利」としての「政策決定する権利としての主権」との3つの意味があるのである。
さて、現行憲法で言われている「主権が国民に存する」「主権の存する日本国民」での「主権」は上記の1)~3)のうちどれであるのか?
少なくとも2)は「国家単位」の話であり、違うことがわかる。
「いや、2)も国民が持つ」と言うなら、人口1.25億人の我々日本人の一人当たり主権はカタール人の400分の1以下なのかい?(笑)
国家単位での2)の国家主権を国民単位にした場合の齟齬事例を紹介することで、その理解が全然違うことだとわかるだろう。
そして1)の統治権も国民単位ではなく、国家単位の主権である。
国民統治、領土支配の主権は国民単位ではなく国家単位であることの再度の説明は長くなるので割愛する。この1)の主権、そして2)の主権の行使方針を決定する権利として、我々国民に3)の主権があるとの構造だ。
憲法の他国事例ではG7諸国を比較対象にしてきたが、その総てが共和制、立憲君主制での議会制民主主義制度採用国だった。それ以外の国は参考にならぬとしてきたが、比較の為に中東産油地域の代表のサウジアラビアの体制を紹介する。
中東アラブ諸国で共和制なのはイラクのみ。サウジ、UAE、カタール、バーレーン等の湾岸諸国は若干の違いあるが、サウジと似たり寄ったり、ほぼ同じの絶対王政国家である。
<サウジアラビアの政体概要>
成文憲法なし、選挙なし、三権分立なし、政教一致、サウード王家の絶対王政。
・サウード王家による政教一致の君主制。同王家が政治と宗教とを治める。
・国王は首相兼「二大聖地の守護者」称号を持つ。
・立法権持つ議会はない。国王への進言・勧告・提案を行う諮問評議会を有する。
・諮問評議会評議員は国王の任命による。
・評議員資格はサウジ国籍を有する30歳以上の男性のみ。
・司法権、行政権、立法権の三権は「相互協力の上、遂行され、その拠り所は国王である」と定められており、三権「協力」体制。
サウジアラビアは国連加盟国である。G20の内の1国である。オイルマネーで世界有数の富裕国である。所謂「サヨク」達から見ればトンデモないとの政治形態だが、各国は各国歴史・文化・慣習に則った上記2)、3)の主権を持つのであることは理解できたと思う。
何も米国式「民主主義」が世界的な絶対正義ではないのである。
湾岸諸国で米国が敵対したのは中東アラブ世界で唯一の共和国であるイラクであり、他の絶対王政国家とは敵対していない。皮肉である。
さて、話を元に戻す。
1)の統治権は正統性の問題だ。統治する正しい理由があるということだ。それは各国の歴史・文化・慣習による。
エリザベス女王が英国の統治権者であることは、その伝統的正統性にある。
そしてイギリスは3)の政治制度として議会制民主主義を採用している。統治権者が女王であっても制度上国民が選挙で選んだ議員が首相となり、首相が国民の代表者となり、国民が政策決定の主権を行使する制度である。この様に1)の統治権としての主権と3)の実質の政策決定する権利としての主権の権利者が分かれていても、イギリスは民主主義国家であり、後ろ指さされる立場ではない。
なんのことはない、帝国憲法の「建て付けと実質」と同じ構造なのである。
サウジ国民に3)の主権はないが、同じ君主制であっても大日本帝国憲法下の我が国もイギリスも3)の主権は国民にあるのである。
では、あらためて我が国の現状を1)~3)の視点で見直してみよう、と思ったが<長くなったので項を分けます>
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