死刑と人権について1(報道編)
- 2017/12/25
- 20:19
死刑と人権について1(報道編)

副題:死刑執行を伝えるニュースで毎回感じることは、その死刑囚が死刑判決を受けることになった原因である犯罪への言及が希薄なことである。
先般12月19日に死刑が執行された。それを「報道」した各種メディアの中で目についたのが毎日新聞の記事であった。今回は、その記事を題材に論考する。
毎日新聞の記事(*1)は、死刑執行の事実、死刑囚が犯した事件の必要最低限の情報等の必須情報以外に、「再審請求中」、「少年犯罪」等のお得意のキーワードを用いての「事実報道」をしているが、一方で、この死刑囚が死刑判決を受けた犯罪事実についての記載内容は「必要最低限」であり、肝心な部分を書かずに、簡単に書き流している。
死刑囚が死刑判決を受けることになった原因である犯罪への言及が希薄なのである。
死刑は「極刑」と称される様に、究極の刑罰である。
そういう刑罰が相応しいと裁判所が判断したから、その死刑判決裁判は執行されたのであるが、裁判所の判断が正しいのか否かは受け取る人の感性により、その感想も違ってくる。
裁判所の判断を、多くの方々が、当然と見るのか、不当と見るのかは、司法の信頼性の維持・確保の点からは、軽んじられない視点である。
各自が判断する際の基本構造は、結果である「死刑執行」と原因である「犯罪事実」の内容により行われる。死刑との処罰が、やってしまった犯罪に相応しいのか否か、との判断だ。
確信的な「死刑反対論者」は、この原因と結果に興味を示さない。
「死刑執行自体が悪」との判断をするからだ。
しかし、そういう、ある一定の考え方をしない方々は、犯罪事実と死刑執行という両方を見て、当然か不当かを判断するものである。
今回死刑が執行された死刑囚は2人である。
その内の1人は、市川一家4人殺人事件の犯人であるが、毎日新聞の記事だけでは、この事件の犯人に死刑判決が出た理由が良く分からない。死刑判決と、その執行が当然なのか不当なのかの判断材料としては不充分である。
この事件があったのは1992年のことであるが、当時、幼い子供の親であった当方としては、この犯行の残忍さ、身勝手さ、異常性を記憶しており、死刑判決は妥当な司法判断だったとも記憶していた。
今般、刑が執行されたのだが、「やっとかよ」との感想とともに、毎日新聞の「報道」では、死刑が相当であるとの犯行の残忍さ、身勝手さ、異常性は隠され、もっぱら「少年犯罪」とかの別視点に引っ張られる内容であることに違和感を持ったのである。
とは言え、ここで「死刑が相当であるとの犯行の残忍さ、身勝手さ、異常性」の説明をすることは遠慮したい。何故なら、かなりおぞましい内容であり、それを文字にすることが憚られるからである。
そのおぞましさは、毎日新聞の記事の中にある記載から察していただきたい。
何故、たった4歳の次女を「翌日」に殺害したのか? 犯人は、何故、翌日まで犯行現場にとどまっていたのか?
一家皆殺しをする犯人が何故、15歳の長女を殺害しなかったのか?
既に3人を殺害した犯行現場から直ぐに逃走しない犯人の行動は異常であることがわかると思う。
<追記>既にネット上には市川一家4人殺人事件の事件詳細情報が存在している。お読みすることは推奨しない。ただ、その犯行の残忍さ、身勝手さ、異常性からは、多くの方々は「死刑に相当する犯行内容」であるとの意見に同意いただけると思う。
犯行所業を知れば、この犯人を形容する言葉としては「人間じゃない」が、もっと相応しいであろう。ところが、毎日新聞は、そういう「死刑が相当と判断される理由」を書かないという相変わらずのパターンでの記事内容になっているのである。
死刑に処せられたもう1人は、安中親子3人殺人事件の犯人である。
毎日新聞の記事だけでは、この事件の犯人に死刑判決が出た理由が良く分からない。
それは肝心なことが書いてないからである。この犯人は、この事件(1999年9月)を起こす約25年前の1975年に、別の殺人事件を起こしているのである。
1975年の殺人事件の判決は懲役10年であり、その服役後に、今回の死刑判決に至った2度目の殺人事件を起こしているのである。
この人物は、「殺人犯の再犯」であるとの、肝心なことが、毎日の記事には書いてないのである。
そんな「報道」では、裁判所の判決の妥当性を国民が判断できないではないか。
「判断材料の不提示」は、偏向マスコミが常用する手段である。
限定された判断材料だけで判断することは、自分自身による判断だと判断者は信じているが、実は、ある意図した方向への誘導に乗っかっての判断だったりする。
「判断材料の一部が隠蔽された状態での判断」をさせられていないか?との疑念を持つことは、「健全なる猜疑心」の一種だと思っている。
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【文末脚注】
(*1):死刑執行を報じる毎日新聞記事
毎日新聞HP 2017年12月19日 11時06分
(最終更新 12月19日 11時58分)
見出し:◆法務省 元少年ら2人の死刑執行 永山則夫元死刑囚以来
https://mainichi.jp/articles/20171219/k00/00e/040/212000c
記事本文:①上川陽子法相は19日、千葉県市川市で1992年に会社役員一家4人を殺害したなどとして、強盗殺人罪などで死刑が確定した事件当時19歳の関光彦(てるひこ)死刑囚(44)=東京拘置所=の死刑を執行したと発表した。事件当時少年だった死刑囚の執行は、4人を射殺した永山則夫元死刑囚(事件当時19歳、執行時48歳)が97年8月に執行されて以来となる。また、群馬県で94年にあった親子3人殺害事件で殺人罪などで死刑が確定した松井喜代司死刑囚(69)=同=の死刑も同日執行された。
③関係者によると関死刑囚側と松井死刑囚側は再審請求中だったという。従来、再審請求中の執行は回避される傾向にあったが、前回の金田勝年法相による7月の命令に続く執行となった。
④確定判決によると、関死刑囚は92年3月5日、暴力団関係者から要求された金を工面するため、市川市内の会社役員(当時42歳)のマンションに押し入り、役員の母(同83歳)を絞殺。その後帰宅した妻(同36歳)と役員を包丁で刺殺して現金や預金通帳を奪い、翌日には泣き出した次女(同4歳)も殺害するなどした。
⑤上告審で弁護側は「少年の矯正を目的とする少年法の精神を考えると、量刑は重い」と主張したが、最高裁は2001年12月、「4人の生命を奪った結果が極めて重大で、犯行も冷酷、残虐。家族を一挙に失った被害者(当時15歳の長女)の感情も非常に厳しく、死刑はやむを得ない」として1、2審の死刑判決を支持し、上告を棄却した。
⑥松井死刑囚は94年2月、結婚を約束し、借金などを肩代わりしていた群馬県安中市の女性(当時42歳)に結婚の意思がないことが分かり、女性をハンマーで殴り殺し、女性の両親も結婚に反対したと思い込んで殺害。さらに女性の妹やその長女も殺そうとした。【鈴木一生】
おことわり
毎日新聞はこれまで、事件当時少年だった関死刑囚について、再審や恩赦による社会復帰の可能性などが残されていたことから、健全育成を目的とする少年法の理念を尊重し匿名で報道してきました。しかし、死刑執行により更生の機会が失われたことに加え、国家による処罰で命を奪われた対象が誰であるかは明らかにすべきであると判断し、実名報道に切り替えます。
<引用終わり>
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副題:死刑執行を伝えるニュースで毎回感じることは、その死刑囚が死刑判決を受けることになった原因である犯罪への言及が希薄なことである。
先般12月19日に死刑が執行された。それを「報道」した各種メディアの中で目についたのが毎日新聞の記事であった。今回は、その記事を題材に論考する。
毎日新聞の記事(*1)は、死刑執行の事実、死刑囚が犯した事件の必要最低限の情報等の必須情報以外に、「再審請求中」、「少年犯罪」等のお得意のキーワードを用いての「事実報道」をしているが、一方で、この死刑囚が死刑判決を受けた犯罪事実についての記載内容は「必要最低限」であり、肝心な部分を書かずに、簡単に書き流している。
死刑囚が死刑判決を受けることになった原因である犯罪への言及が希薄なのである。
死刑は「極刑」と称される様に、究極の刑罰である。
そういう刑罰が相応しいと裁判所が判断したから、その死刑判決裁判は執行されたのであるが、裁判所の判断が正しいのか否かは受け取る人の感性により、その感想も違ってくる。
裁判所の判断を、多くの方々が、当然と見るのか、不当と見るのかは、司法の信頼性の維持・確保の点からは、軽んじられない視点である。
各自が判断する際の基本構造は、結果である「死刑執行」と原因である「犯罪事実」の内容により行われる。死刑との処罰が、やってしまった犯罪に相応しいのか否か、との判断だ。
確信的な「死刑反対論者」は、この原因と結果に興味を示さない。
「死刑執行自体が悪」との判断をするからだ。
しかし、そういう、ある一定の考え方をしない方々は、犯罪事実と死刑執行という両方を見て、当然か不当かを判断するものである。
今回死刑が執行された死刑囚は2人である。
その内の1人は、市川一家4人殺人事件の犯人であるが、毎日新聞の記事だけでは、この事件の犯人に死刑判決が出た理由が良く分からない。死刑判決と、その執行が当然なのか不当なのかの判断材料としては不充分である。
この事件があったのは1992年のことであるが、当時、幼い子供の親であった当方としては、この犯行の残忍さ、身勝手さ、異常性を記憶しており、死刑判決は妥当な司法判断だったとも記憶していた。
今般、刑が執行されたのだが、「やっとかよ」との感想とともに、毎日新聞の「報道」では、死刑が相当であるとの犯行の残忍さ、身勝手さ、異常性は隠され、もっぱら「少年犯罪」とかの別視点に引っ張られる内容であることに違和感を持ったのである。
とは言え、ここで「死刑が相当であるとの犯行の残忍さ、身勝手さ、異常性」の説明をすることは遠慮したい。何故なら、かなりおぞましい内容であり、それを文字にすることが憚られるからである。
そのおぞましさは、毎日新聞の記事の中にある記載から察していただきたい。
何故、たった4歳の次女を「翌日」に殺害したのか? 犯人は、何故、翌日まで犯行現場にとどまっていたのか?
一家皆殺しをする犯人が何故、15歳の長女を殺害しなかったのか?
既に3人を殺害した犯行現場から直ぐに逃走しない犯人の行動は異常であることがわかると思う。
<追記>既にネット上には市川一家4人殺人事件の事件詳細情報が存在している。お読みすることは推奨しない。ただ、その犯行の残忍さ、身勝手さ、異常性からは、多くの方々は「死刑に相当する犯行内容」であるとの意見に同意いただけると思う。
犯行所業を知れば、この犯人を形容する言葉としては「人間じゃない」が、もっと相応しいであろう。ところが、毎日新聞は、そういう「死刑が相当と判断される理由」を書かないという相変わらずのパターンでの記事内容になっているのである。
死刑に処せられたもう1人は、安中親子3人殺人事件の犯人である。
毎日新聞の記事だけでは、この事件の犯人に死刑判決が出た理由が良く分からない。
それは肝心なことが書いてないからである。この犯人は、この事件(1999年9月)を起こす約25年前の1975年に、別の殺人事件を起こしているのである。
1975年の殺人事件の判決は懲役10年であり、その服役後に、今回の死刑判決に至った2度目の殺人事件を起こしているのである。
この人物は、「殺人犯の再犯」であるとの、肝心なことが、毎日の記事には書いてないのである。
そんな「報道」では、裁判所の判決の妥当性を国民が判断できないではないか。
「判断材料の不提示」は、偏向マスコミが常用する手段である。
限定された判断材料だけで判断することは、自分自身による判断だと判断者は信じているが、実は、ある意図した方向への誘導に乗っかっての判断だったりする。
「判断材料の一部が隠蔽された状態での判断」をさせられていないか?との疑念を持つことは、「健全なる猜疑心」の一種だと思っている。
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(*1):死刑執行を報じる毎日新聞記事
毎日新聞HP 2017年12月19日 11時06分
(最終更新 12月19日 11時58分)
見出し:◆法務省 元少年ら2人の死刑執行 永山則夫元死刑囚以来
https://mainichi.jp/articles/20171219/k00/00e/040/212000c
記事本文:①上川陽子法相は19日、千葉県市川市で1992年に会社役員一家4人を殺害したなどとして、強盗殺人罪などで死刑が確定した事件当時19歳の関光彦(てるひこ)死刑囚(44)=東京拘置所=の死刑を執行したと発表した。事件当時少年だった死刑囚の執行は、4人を射殺した永山則夫元死刑囚(事件当時19歳、執行時48歳)が97年8月に執行されて以来となる。また、群馬県で94年にあった親子3人殺害事件で殺人罪などで死刑が確定した松井喜代司死刑囚(69)=同=の死刑も同日執行された。
③関係者によると関死刑囚側と松井死刑囚側は再審請求中だったという。従来、再審請求中の執行は回避される傾向にあったが、前回の金田勝年法相による7月の命令に続く執行となった。
④確定判決によると、関死刑囚は92年3月5日、暴力団関係者から要求された金を工面するため、市川市内の会社役員(当時42歳)のマンションに押し入り、役員の母(同83歳)を絞殺。その後帰宅した妻(同36歳)と役員を包丁で刺殺して現金や預金通帳を奪い、翌日には泣き出した次女(同4歳)も殺害するなどした。
⑤上告審で弁護側は「少年の矯正を目的とする少年法の精神を考えると、量刑は重い」と主張したが、最高裁は2001年12月、「4人の生命を奪った結果が極めて重大で、犯行も冷酷、残虐。家族を一挙に失った被害者(当時15歳の長女)の感情も非常に厳しく、死刑はやむを得ない」として1、2審の死刑判決を支持し、上告を棄却した。
⑥松井死刑囚は94年2月、結婚を約束し、借金などを肩代わりしていた群馬県安中市の女性(当時42歳)に結婚の意思がないことが分かり、女性をハンマーで殴り殺し、女性の両親も結婚に反対したと思い込んで殺害。さらに女性の妹やその長女も殺そうとした。【鈴木一生】
おことわり
毎日新聞はこれまで、事件当時少年だった関死刑囚について、再審や恩赦による社会復帰の可能性などが残されていたことから、健全育成を目的とする少年法の理念を尊重し匿名で報道してきました。しかし、死刑執行により更生の機会が失われたことに加え、国家による処罰で命を奪われた対象が誰であるかは明らかにすべきであると判断し、実名報道に切り替えます。
<引用終わり>
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