クリスマスは何時から始まるのか?
- 2017/12/24
- 00:03
クリスマスは何時から始まるのか?

副題:時間単位は天体運航が基準。長さは?重さは?容積は? 「基準」を何に置くのかで見えなくなるもの、見えてくるものがある。
クリスマスシーズンである。
知っての通り、クリスマスとはイエス・キリスト生誕祭である。
現在の我が国の場合、天皇誕生日が12月23日であり、我々日本人にとっては、そちらの方が重要祝日なのだが、商業主義の圧倒的雰囲気作りもあり12月24日のクリスマスイブの方が、あたかもメインであるかの様な風潮がある。
昭和の時代の天皇誕生日は4月29日であり、クリスマスとは明確に区分されていたので、そんな問題意識はなかったのだが、現在は、こんな感じである。
さて、表題にある「クリスマスは何時から始まるのか?」の答は、「12月24日の日暮れから」である。従い24日の日暮れ前は、クリスマスイブではない。
これは以前、以下のコラムで詳しく書いてあるので、興味ある方は参照いただきたい。
2015/12/24投稿:
【コラム】お誕生日の「翌日」は普通の日
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-291.html
一々再読したくないという方の為に、これを要約すると以下の様になる。
<要約>
1)イエスキリストが産まれたのは、起源1年。今から2016年前である。
2)その時代には時計などなかった。
3)当時の、その地の人々は、「1日の終わり」を日没だとしていた。
4)キリストが産まれたのは夜。日中ではない。
5)現在の時間単位は、太陽が南中する時を「12時」として、24時間を1日の単位としているので、当日の24時と翌日の0時の境目は真夜中となる。
6)一方、キリストが生誕した時代の25日は、現在の24日の日暮れから、25日の夕暮れ直前。
7)キリストが生まれた2016年前の基準を現在の基準に置き換えて日時表示しているので、現在は、12月24日の日没後からクリスマスイブとなり、教会では夜を徹するミサが行えなわれ、25日の日没前迄がクリスマスである。従い、25日の晩餐は「普通の日の夕飯」となるのである。
<要約終わり>
この要約でお分かりの通り、「キリストが生まれた2016年前の基準」と「現在の基準」の間にズレがあり、「現在の基準」で思考していても、その理由が分かり難いという事例である。
さて、この要約で、もう1つ分かることは、我々が使用している時間の単位は、太陽系・地球での天体運航が基準になっているのでことある。
「1日」との単位は、地球が自転して、自分がいる場所が太陽に面して光がある「昼」と、太陽が裏側に位置し、太陽光が届かない「夜」があり、それが繰り返される事から、昼と夜とのサイクルを1単位としたものだ。
これを1単位としたのは、人間が生活する上で都合が良いからだ。
原始時代、科学的知見がない状態でも、昼と夜は環境が圧倒的に違うので、この1単位は自然が人間に与えたサイクルであり、それに順応してきたのだ。よって、これを1単位として認識することは「人間が生活する上で都合が良い」ものとなっているのである。
現在、1日24時間は全世界共通である。
一方、1年365日、4年1回はうるう年のグレゴリオ暦(太陽暦)は全世界共通ではない。
中東イスラム世界では、月の満ち欠けを基準にした太陰暦を採用している。
我が国でも、明治期に太陽暦に変更する前は、太陰暦であった。
「時は元禄15年師走12月14日、所は本所・松坂町ぉ~!」と講談で有名な忠臣蔵の日付は太陰暦の日付である。太陰暦で15日は必ず満月である。吉良邸の討ち入りは暗闇を避けて満月の夜に決行されたので、この日付なのである。
閑話休題、「基準」の話に戻る。
時間単位は天体運航が基本になっているのだが、長さの単位はどうであろう?
現在、我々が使用している長さの単位は「メートル法」である。
1メートルは、地球の子午線の4千万分の1の長さであり、これを基準に、10進法で表すものである。
1メートルの1000倍から、単位はKm(キロメートル)になる。
1メートルの百分の1が1cm(センチメートル)、その十分の1が1mm(ミリメートル)である。
何故、1メートルが子午線の4千万分の1であり、1千万分の1ではないのかと言うと、1メートル程度の長さが、人間にとって都合が良い長さだからだ。
メートル法が世界標準になる前まで、我が国では尺貫法の「尺」が長さの単位だった。そして、英米では、今も、ヤード・ポンド法の「ヤード」が長さの基準である。
1ヤードは、約91cmであり、1メートルに似た長さである。
その程度の長さが人間にとって都合が良い長さだからだ。
前述した様に、1メートルは子午線の長さを基準にしているのだが、1ヤードは何を基準にしているのかと言うと、諸説あるものの、3フィートを1ヤードとした、とするものが有力だ。そして、1フィートとは1feet=1足であり「足の長さ」を基準としたものだ。
これを「身体尺」という。(*1)
今、基準を「メートル法」になったからと言って、人間に都合が良い基準がなくなった訳ではない。
我が国では、メートル法が1966年の計量法で広く強制され、和裁で使用する尺単位の物差しが無くなると、当時、祖母が嘆いていたことを思い出すが、あれから半世紀が経過した現在、実際には生活の中で定着してきた身体尺である尺貫法やヤード・ポンド法が絶滅した訳ではない。
当方自身の経験を更に述べれば、ゴルフでの距離表示がヤードである。
一時期メートル表示になったこともあるが、感覚的に混乱するので、ヤード表示に戻った様だ。バブル期のゴルフのプレー代金の高騰や予約が全然取れない等があり、業務多忙となり今はゴルフをやっていない。今やっているのはライフルである。
ライフル関係もヤード・ポンド法だ。
一般的な狩猟用ライフルは30口径だ。30口径をメートル法で表示すると直径7.62mmとなるので、「7.62mm弾」と言われる。30口径とは「千分の30インチ」のことで、これをメートル換算したのが7.62mmある。
7.62mmとは随分中途半端な数字なのだが、ヤード・ポンド法では切の良い数時となっているのである。逆に7.62mmとの数字だけを見ていては、「何故、この太さなのか?」との疑問の正解にはたどり着けない。
30/1000インチとの「切の良い数値」だから、との正解には、メートル法基準で考えていても、たどり着けないのである。
「なんだよ、ライフル弾の様な特殊なものは普通の国民の生活には無関係だろ」と言いたくなった方は、一般的なタバコを見て欲しい。
あのタバコ1本の太さは7.62mmなのである。ショートホープやピースなどは違うが、レギュラーサイズと言われる一般的なタバコの太さは30/1000インチなのである。
「何故、レギュラーサイズのタバコが、この太さなのか?」は「現在の基準」であるメートル法の数値7.62mmだけを見ていてもわからないのである。
表記がメートル法でも、その元々は昔ながらの長さの単位を基準にしたものが、我々の生活には溢れているということだ。
最初に紹介したクリスマスの話もそうなのだが、「現在の基準」を絶対視すると、その本質にたどり着けない事例である。
この様な錯覚を利用しているのが、本来の意味とは違う概念で語られる「立憲主義」である。
あの枝野が新党名にした「立憲民主党」で使用されている「立憲主義」の中身とは、単なる現行憲法残置の為の「護憲」と同じ意味でしかない。(*2)
そもそも憲法とは、国を造っている我々日本人が持つ日本文明、即ち、我々が集積してきた生活実態に基づいた伝統、歴史、文化の中で育まれた我々の正邪判断基準を成文化するものだ。
ところが、現在の我々は、異文化アメリカ人が起草した「憲法」(*3)を「憲法の座」に置いているとの特異なる状態にある。
この特異なる状態は、様々な場面で「憲法と我々の感覚とのズレ」となって顔をだす。
そういうズレに対して、我々日本人側を変質させるという方向で「戦後「民主主義」教育」は行われてきたのが今までである。
しかし、現行憲法の本質は、我々日本人を劣後させるものであり(*4)、そんな生殺与奪を他者に預けることを定めた「憲法」に従うことなど出来ないのは、生物の本能レベルで自明である。
この様に、我が国では、「憲法の座」に鎮座している「現行憲法」が我々の持つ正邪判断基準とは異なるものであるという状態にあるのだから、本来的意味での立憲主義が成り立たない構造がある。(*5)
この構造とは、畳の長辺をメートル法に基づき2mにせよと言っているに等しい。
そんな畳では、部屋に入らないし、無理に入れても6畳間に畳が4枚しか入らない状態になるだけである。
現行憲法を「基準」として絶対視しても、我々日本人が求める平和で公正なる社会には、たどり着けないのである。
メリークリスマス2017年
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【文末脚注】
(*1):身体尺に関する四方山話
尺貫法では、1mに近似の単位はない。3尺でだいたい90.9cmである。
1尺は、手首から肘の長さだと言われているので、これも身体尺である。
1尺が約30.3cm、1フィートが約30.4cmとほぼ同じなのは興味深い。
尺貫法で、尺よりも長い「長さの単位」は間(けん)である。
落語などに登場する、熊さん、八つぁん達が住む「一間長屋」とは、表に面している部分の長さが1間=6尺=約1.8mの長屋のことである。約1.8mとの長さとは、畳の長辺の長さとほぼ同じである。
江戸間、関東間と呼ばれる畳の長辺は、それよりも若干短いのだが、それは建物の外壁で1間の寸法である場合、所謂「壁芯」が1間=1.8mとなり、壁の厚さ分だけ、室内に設置される畳が短くなっているからである。
立って半畳、寝て一畳との言葉がある様に、これも身体尺と言っていいだろう。
我々日本人が割合良く知っている「長さの単位」の話としては、この様なものだと思うが、ヤード・ポンド法も尺貫法も、どちらも身体尺である。身体尺は、厳密な基準としての長さの単位としては曖昧なところがあり、製造や建築などの技術の向上に不可欠な精密さを確保することが出来ず、大きな問題があるのだが、生活する上では便利であることから、古くから用いられてきたものだ。
アメリカなどは、未だにヤード・ポンド法の国である。
また、尺貫法もなくなっていない。表示単位がメートル法になっているだけである。
1.8リットルの一升瓶、18リットルの一斗缶、お祝いの時に割る「こもかぶり」は72リットルの四斗樽である。建築業界や不動産業界で「建坪」の概念はなくなっていない。
そんな事例は山ほどある。
モニターの画面の大きさを表す単位はインチである。ヤード・ポンド法の長さの単位での最小単位がインチである。
1インチは約2.54cmである。メートル法になれた我々からすれば1cmに比して、1インチはかなり大雑把に感じるのだが、実際は気が付かないうちに、このインチ単位を我々は使用している。また、今や絶滅してしまったフロッピーディスクだが、当方が若い頃には、8インチ、5インチ、3.5インチと段々小型化していく時代であり、その大きさはインチ表示であった。
(*2):「立憲民主党」で使用されている「立憲主義」とは、単なる現行憲法残置の為の「護憲」と同じ意味でしかない。彼等が言う「立憲主義」とは、本来の立憲主義とはまったく違う。「護憲」の言い換えでしかない。
2015/08/04投稿:
【コラム】国会前での新表現「立憲主義」の虚構
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-174.html
2016/07/12投稿:
【コラム】正論・「立憲主義」というネジ曲がった妖怪
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-454.html
2016/11/27投稿:
定義ネジ曲げ「立憲主義」の笑止千万
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-551.html
(*3):異文化アメリカ人が起草した「憲法」
<現行憲法制定経緯に関する幾つかの論考・論証のうちの幾つかを以下に紹介する>
2016/07/31投稿:
(解説編2)資料・マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-469.html
2017/05/20投稿:
(資料編)憲法全文の登場・9条の登場と変遷
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-674.html
2016/05/23投稿:
歴史年表・戦後史部分の概観
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-419.html
(*4):現行憲法の本質は、我々日本人を劣後させるもの。生殺与奪を他者に預けることを定めた「憲法」。
2017/08/30投稿:
憲法9条は誰にとって有益か?
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-742.html
2017/05/19投稿:
憲法議論1・前文の「平和主義」
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-673.html
2015/11/20投稿:
「平和憲法」との偽看板
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-269.html
(*5):本来的意味での立憲主義が成り立たない構造
2016/11/29投稿:
「立憲主義」は現行憲法では成り立たない
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-553.html
2017/07/19投稿:
続・「立憲主義」は現行憲法では成り立たない
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-715.html
※本来の意味での立憲主義が成り立つためには、我々自身の歴史と文化と生活実態の集積に基づいた「国の形」に基づく憲法が憲法の座にあることが必須なのである。
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副題:時間単位は天体運航が基準。長さは?重さは?容積は? 「基準」を何に置くのかで見えなくなるもの、見えてくるものがある。
クリスマスシーズンである。
知っての通り、クリスマスとはイエス・キリスト生誕祭である。
現在の我が国の場合、天皇誕生日が12月23日であり、我々日本人にとっては、そちらの方が重要祝日なのだが、商業主義の圧倒的雰囲気作りもあり12月24日のクリスマスイブの方が、あたかもメインであるかの様な風潮がある。
昭和の時代の天皇誕生日は4月29日であり、クリスマスとは明確に区分されていたので、そんな問題意識はなかったのだが、現在は、こんな感じである。
さて、表題にある「クリスマスは何時から始まるのか?」の答は、「12月24日の日暮れから」である。従い24日の日暮れ前は、クリスマスイブではない。
これは以前、以下のコラムで詳しく書いてあるので、興味ある方は参照いただきたい。
2015/12/24投稿:
【コラム】お誕生日の「翌日」は普通の日
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-291.html
一々再読したくないという方の為に、これを要約すると以下の様になる。
<要約>
1)イエスキリストが産まれたのは、起源1年。今から2016年前である。
2)その時代には時計などなかった。
3)当時の、その地の人々は、「1日の終わり」を日没だとしていた。
4)キリストが産まれたのは夜。日中ではない。
5)現在の時間単位は、太陽が南中する時を「12時」として、24時間を1日の単位としているので、当日の24時と翌日の0時の境目は真夜中となる。
6)一方、キリストが生誕した時代の25日は、現在の24日の日暮れから、25日の夕暮れ直前。
7)キリストが生まれた2016年前の基準を現在の基準に置き換えて日時表示しているので、現在は、12月24日の日没後からクリスマスイブとなり、教会では夜を徹するミサが行えなわれ、25日の日没前迄がクリスマスである。従い、25日の晩餐は「普通の日の夕飯」となるのである。
<要約終わり>
この要約でお分かりの通り、「キリストが生まれた2016年前の基準」と「現在の基準」の間にズレがあり、「現在の基準」で思考していても、その理由が分かり難いという事例である。
さて、この要約で、もう1つ分かることは、我々が使用している時間の単位は、太陽系・地球での天体運航が基準になっているのでことある。
「1日」との単位は、地球が自転して、自分がいる場所が太陽に面して光がある「昼」と、太陽が裏側に位置し、太陽光が届かない「夜」があり、それが繰り返される事から、昼と夜とのサイクルを1単位としたものだ。
これを1単位としたのは、人間が生活する上で都合が良いからだ。
原始時代、科学的知見がない状態でも、昼と夜は環境が圧倒的に違うので、この1単位は自然が人間に与えたサイクルであり、それに順応してきたのだ。よって、これを1単位として認識することは「人間が生活する上で都合が良い」ものとなっているのである。
現在、1日24時間は全世界共通である。
一方、1年365日、4年1回はうるう年のグレゴリオ暦(太陽暦)は全世界共通ではない。
中東イスラム世界では、月の満ち欠けを基準にした太陰暦を採用している。
我が国でも、明治期に太陽暦に変更する前は、太陰暦であった。
「時は元禄15年師走12月14日、所は本所・松坂町ぉ~!」と講談で有名な忠臣蔵の日付は太陰暦の日付である。太陰暦で15日は必ず満月である。吉良邸の討ち入りは暗闇を避けて満月の夜に決行されたので、この日付なのである。
閑話休題、「基準」の話に戻る。
時間単位は天体運航が基本になっているのだが、長さの単位はどうであろう?
現在、我々が使用している長さの単位は「メートル法」である。
1メートルは、地球の子午線の4千万分の1の長さであり、これを基準に、10進法で表すものである。
1メートルの1000倍から、単位はKm(キロメートル)になる。
1メートルの百分の1が1cm(センチメートル)、その十分の1が1mm(ミリメートル)である。
何故、1メートルが子午線の4千万分の1であり、1千万分の1ではないのかと言うと、1メートル程度の長さが、人間にとって都合が良い長さだからだ。
メートル法が世界標準になる前まで、我が国では尺貫法の「尺」が長さの単位だった。そして、英米では、今も、ヤード・ポンド法の「ヤード」が長さの基準である。
1ヤードは、約91cmであり、1メートルに似た長さである。
その程度の長さが人間にとって都合が良い長さだからだ。
前述した様に、1メートルは子午線の長さを基準にしているのだが、1ヤードは何を基準にしているのかと言うと、諸説あるものの、3フィートを1ヤードとした、とするものが有力だ。そして、1フィートとは1feet=1足であり「足の長さ」を基準としたものだ。
これを「身体尺」という。(*1)
今、基準を「メートル法」になったからと言って、人間に都合が良い基準がなくなった訳ではない。
我が国では、メートル法が1966年の計量法で広く強制され、和裁で使用する尺単位の物差しが無くなると、当時、祖母が嘆いていたことを思い出すが、あれから半世紀が経過した現在、実際には生活の中で定着してきた身体尺である尺貫法やヤード・ポンド法が絶滅した訳ではない。
当方自身の経験を更に述べれば、ゴルフでの距離表示がヤードである。
一時期メートル表示になったこともあるが、感覚的に混乱するので、ヤード表示に戻った様だ。バブル期のゴルフのプレー代金の高騰や予約が全然取れない等があり、業務多忙となり今はゴルフをやっていない。今やっているのはライフルである。
ライフル関係もヤード・ポンド法だ。
一般的な狩猟用ライフルは30口径だ。30口径をメートル法で表示すると直径7.62mmとなるので、「7.62mm弾」と言われる。30口径とは「千分の30インチ」のことで、これをメートル換算したのが7.62mmある。
7.62mmとは随分中途半端な数字なのだが、ヤード・ポンド法では切の良い数時となっているのである。逆に7.62mmとの数字だけを見ていては、「何故、この太さなのか?」との疑問の正解にはたどり着けない。
30/1000インチとの「切の良い数値」だから、との正解には、メートル法基準で考えていても、たどり着けないのである。
「なんだよ、ライフル弾の様な特殊なものは普通の国民の生活には無関係だろ」と言いたくなった方は、一般的なタバコを見て欲しい。
あのタバコ1本の太さは7.62mmなのである。ショートホープやピースなどは違うが、レギュラーサイズと言われる一般的なタバコの太さは30/1000インチなのである。
「何故、レギュラーサイズのタバコが、この太さなのか?」は「現在の基準」であるメートル法の数値7.62mmだけを見ていてもわからないのである。
表記がメートル法でも、その元々は昔ながらの長さの単位を基準にしたものが、我々の生活には溢れているということだ。
最初に紹介したクリスマスの話もそうなのだが、「現在の基準」を絶対視すると、その本質にたどり着けない事例である。
この様な錯覚を利用しているのが、本来の意味とは違う概念で語られる「立憲主義」である。
あの枝野が新党名にした「立憲民主党」で使用されている「立憲主義」の中身とは、単なる現行憲法残置の為の「護憲」と同じ意味でしかない。(*2)
そもそも憲法とは、国を造っている我々日本人が持つ日本文明、即ち、我々が集積してきた生活実態に基づいた伝統、歴史、文化の中で育まれた我々の正邪判断基準を成文化するものだ。
ところが、現在の我々は、異文化アメリカ人が起草した「憲法」(*3)を「憲法の座」に置いているとの特異なる状態にある。
この特異なる状態は、様々な場面で「憲法と我々の感覚とのズレ」となって顔をだす。
そういうズレに対して、我々日本人側を変質させるという方向で「戦後「民主主義」教育」は行われてきたのが今までである。
しかし、現行憲法の本質は、我々日本人を劣後させるものであり(*4)、そんな生殺与奪を他者に預けることを定めた「憲法」に従うことなど出来ないのは、生物の本能レベルで自明である。
この様に、我が国では、「憲法の座」に鎮座している「現行憲法」が我々の持つ正邪判断基準とは異なるものであるという状態にあるのだから、本来的意味での立憲主義が成り立たない構造がある。(*5)
この構造とは、畳の長辺をメートル法に基づき2mにせよと言っているに等しい。
そんな畳では、部屋に入らないし、無理に入れても6畳間に畳が4枚しか入らない状態になるだけである。
現行憲法を「基準」として絶対視しても、我々日本人が求める平和で公正なる社会には、たどり着けないのである。
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【文末脚注】
(*1):身体尺に関する四方山話
尺貫法では、1mに近似の単位はない。3尺でだいたい90.9cmである。
1尺は、手首から肘の長さだと言われているので、これも身体尺である。
1尺が約30.3cm、1フィートが約30.4cmとほぼ同じなのは興味深い。
尺貫法で、尺よりも長い「長さの単位」は間(けん)である。
落語などに登場する、熊さん、八つぁん達が住む「一間長屋」とは、表に面している部分の長さが1間=6尺=約1.8mの長屋のことである。約1.8mとの長さとは、畳の長辺の長さとほぼ同じである。
江戸間、関東間と呼ばれる畳の長辺は、それよりも若干短いのだが、それは建物の外壁で1間の寸法である場合、所謂「壁芯」が1間=1.8mとなり、壁の厚さ分だけ、室内に設置される畳が短くなっているからである。
立って半畳、寝て一畳との言葉がある様に、これも身体尺と言っていいだろう。
我々日本人が割合良く知っている「長さの単位」の話としては、この様なものだと思うが、ヤード・ポンド法も尺貫法も、どちらも身体尺である。身体尺は、厳密な基準としての長さの単位としては曖昧なところがあり、製造や建築などの技術の向上に不可欠な精密さを確保することが出来ず、大きな問題があるのだが、生活する上では便利であることから、古くから用いられてきたものだ。
アメリカなどは、未だにヤード・ポンド法の国である。
また、尺貫法もなくなっていない。表示単位がメートル法になっているだけである。
1.8リットルの一升瓶、18リットルの一斗缶、お祝いの時に割る「こもかぶり」は72リットルの四斗樽である。建築業界や不動産業界で「建坪」の概念はなくなっていない。
そんな事例は山ほどある。
モニターの画面の大きさを表す単位はインチである。ヤード・ポンド法の長さの単位での最小単位がインチである。
1インチは約2.54cmである。メートル法になれた我々からすれば1cmに比して、1インチはかなり大雑把に感じるのだが、実際は気が付かないうちに、このインチ単位を我々は使用している。また、今や絶滅してしまったフロッピーディスクだが、当方が若い頃には、8インチ、5インチ、3.5インチと段々小型化していく時代であり、その大きさはインチ表示であった。
(*2):「立憲民主党」で使用されている「立憲主義」とは、単なる現行憲法残置の為の「護憲」と同じ意味でしかない。彼等が言う「立憲主義」とは、本来の立憲主義とはまったく違う。「護憲」の言い換えでしかない。
2015/08/04投稿:
【コラム】国会前での新表現「立憲主義」の虚構
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-174.html
2016/07/12投稿:
【コラム】正論・「立憲主義」というネジ曲がった妖怪
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-454.html
2016/11/27投稿:
定義ネジ曲げ「立憲主義」の笑止千万
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-551.html
(*3):異文化アメリカ人が起草した「憲法」
<現行憲法制定経緯に関する幾つかの論考・論証のうちの幾つかを以下に紹介する>
2016/07/31投稿:
(解説編2)資料・マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-469.html
2017/05/20投稿:
(資料編)憲法全文の登場・9条の登場と変遷
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-674.html
2016/05/23投稿:
歴史年表・戦後史部分の概観
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-419.html
(*4):現行憲法の本質は、我々日本人を劣後させるもの。生殺与奪を他者に預けることを定めた「憲法」。
2017/08/30投稿:
憲法9条は誰にとって有益か?
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-742.html
2017/05/19投稿:
憲法議論1・前文の「平和主義」
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-673.html
2015/11/20投稿:
「平和憲法」との偽看板
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-269.html
(*5):本来的意味での立憲主義が成り立たない構造
2016/11/29投稿:
「立憲主義」は現行憲法では成り立たない
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-553.html
2017/07/19投稿:
続・「立憲主義」は現行憲法では成り立たない
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-715.html
※本来の意味での立憲主義が成り立つためには、我々自身の歴史と文化と生活実態の集積に基づいた「国の形」に基づく憲法が憲法の座にあることが必須なのである。
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