情勢認識が冷戦時代のままではダメでしょ。
- 2017/12/21
- 19:33
情勢認識が冷戦時代のままではダメでしょ。

副題:東西冷戦が終ってから四半世紀以上が経過している。そして、欧州での冷戦終結後とは違った情勢がアジアでは発生しており、今に至っているのだが、外形的類似性から、その構造を冷戦時代のままの情勢認識で見てしまっていないか? これでは道を見誤る可能性がある。
アメリカ第31代大統領・ハーバート・フーバーの考察(*1)によれば、第二次世界大戦は、ルーズベルトの失政により、戦争は欧州戦域に限定されず世界大戦へと拡大し、結局は、その戦争により膨大な支配地域を獲得したソ連邦に代表される共産主義国家の急成長との結果に終わった。
そして、大戦後の世界は、ソ連邦共産主義とアメリカ自由主義が対峙する東西冷戦構造が支配する時代となった。
東西冷戦が集結したのは、1991年のソ連邦崩壊時だとも1989年のベルリンの壁崩壊時だとも言われているが、大きく言えば、1945年以降1980年代末期・1990年代最初期までの約45年間の間、続いた構造だと言って良い。
東西冷戦時、その最前線は、欧州に於いては東西ドイツにあり、軍事的には、西側NATO軍諸国と東側ワルシャワ条約機構軍諸国が対峙していた。
アジアに於いての軍事的前線は、南北朝鮮、南北ベトナムであり、その前線に於いては、冷戦ではなく、実際の戦争が勃発した。
朝鮮戦争が勃発したのは1950年6月25日のことである。
その前年、支那大陸での「国共内戦」で毛沢東・中国共産党が、蒋介石・国府軍を駆逐して中華人民強国の建国宣言があり、それを見た北朝鮮・金日成がスターリンに武力統一目的の南侵開戦の許可申請をして開戦に至ったものである。
朝鮮戦争勃発時、我が国は占領時主権喪失期の最中であり、日本列島の防衛責任は占領軍GHQマッカーサーにあった。
マッカーサーの責任範囲は日本列島のみならず、5年前までは我が国の一部であった朝鮮半島にも及び、その南半部がソ連邦傀儡の金日成の半島北半部からの侵略を受けたのだから、マッカーサーは直ちに朝鮮半島での戦闘に対処することになった。
この時点で既に我が国は、戦力不保持・交戦権否定の現行憲法への改憲をしており、占領当初のマッカーサーの非現実的目論見は、朝鮮戦争勃発との現実の前に破綻した状態となったのである。
戦力不保持・交戦権否定との現行憲法の基本コンセプトであるマッカーサー3原則(*2)では「自衛戦争さえも認めない・だから非武装」との論理構造になっているのだが、そうであるにも関わらず、マッカーサーは朝鮮戦争が勃発すると、「警察予備隊」との日本再武装を指示するのであった。(*3)
戦力不保持・交戦権否定との現行憲法を我が国に押し付けたマッカーサーは、それと相反矛盾する再武装を我が国に押し付けたのである。
現在も続く憲法9条と自衛隊との「憲法問題」の種は、両方ともマッカーサーが蒔いたもので、この時代の産物である。
朝鮮戦争のさなか、ルーズベルトの次の大統領のトルーマン(彼は広島・長崎への原爆投下を許可した人物である)によりマッカーサーは解任され、「非武装憲法と再武装組織の存在」という矛盾状態を放置したまま、マッカーサーは帰国した。
それは1951年4月のことであった。
我が国が主権を回復したのは、サンフランシスコ講和条約発効の1952年4月28日である。
朝鮮戦争は継続中であった。
占領期間はかなり長期の6年8か月=約7年にもなっており、帝国陸海軍は既に解体され、自国防衛を担うには、あまりにも貧弱な警察予備隊(後の自衛隊)しかない状態での「主権回復」であった。
それ故に、皆無に近い防衛能力を補完する為にサンフランシスコ講和条約の調印と同日に当時の首相・吉田茂は、旧日米安保条約の調印を行ったのであった。
旧日米安保条約の不平等なる片務性の解消に努力し、安保条約を改訂したのが1960年当時の首相・岸信介であるが、「60年安保闘争」の騒乱で辞任するに至っている。
東西冷戦構造の中、アジアに於ける軍事的最前線が38度線であったのだが、欧州とは違い、体制競争の1つである思想戦の最前線は我が国であった。
東西ドイツが軍事的かつ思想戦的最前線であったのに対して、アジアでの最前線は同一ではなかったとの視点は、我が国戦後史を理解する上で重要な「補助線」となるものである。
それ故に、独立国としてはあり得ない、自国民の命、平和・安寧の確保よりも他国を優先するとの現行憲法(*4)が利用された。現行憲法の維持・継続が、西側諸国の一員である日本を弱体状態のままに置いておく為に有効だったのである。
日本を軽武装なままにしておくことは、空前絶後の空海戦を戦ったアメリカにとっても好都合であり、当時のアメリカは他国との同盟などなくても全然困らない状態であり、弱体状態は東西両陣営共通の利益事項だったのであった。
そういう環境下、我が国親共産主義勢力は、日本の自国防衛体制構築の妨害を延々としてきたのである。
それは、実際のところ、21世紀の現在も変わっていない。本日只今、我が国は、未だにまともなPower Projection能力を持っておらず、自国防衛をかなり低いレベルのまま留め置かれている状態だ。(*5)
戦後の我が国が置かれた、そういう特殊な構造は、東西冷戦構造との基礎の上に置かれたものであった。
東西冷戦構造はソ連邦崩壊により欧州戦域に於いて軍事的リスクは大きく減退し、終結したのだが、一方の最前線であるアジアに於いては、南北朝鮮は現在も軍事的対峙状態にあり、中共は存続し続け、彼等の持つ核ミサイルの照準は我が国に狙いを定めたままと言われている。
我が国にとっては、ソ連邦に軍事的脅威が低下し、ソ連邦と直接に近接している北海道防衛のリスクレベルは低下したものの、欧州西側諸国の様な全面的なリスク低下はしていない状態である。
アジアに於いては、東西冷戦構造は外形的には継続しているのであるが、これを東西冷戦構造の継続と見るのは間違いだと考えている。
ソ連邦崩壊後の1990年代最初期のアジアの情況は、東西冷戦で焼け太りした中国共産党による新たな覇権体制が膨張し始めた時期だと解している。
「中国共産党による覇権体制の膨張」は「共産主義国の膨張」であるとの、外形的相似形で理解では、その本質を見誤る。
「中国共産党による覇権体制の膨張」の本質とは、中国の文明(Sinic文明)の根本原理たる華夷秩序に基づく膨張である。
「共産主義国の膨張」と「華夷秩序に基づく膨張」では、その中身は大きく違っている。
外形的には、「大陸勢力による日本列島への侵略リスク」は同じであるのだが、その中身は大きく違っており、ただ単に、侵略リスクを発生させているのがソ連から中共に変わったという様なものではない。
それが現象面で表れているのが、「韓国の国防姿勢」である。
東西冷戦時は、自由主義陣営と共産主義陣営の対峙であり、韓国は、その国家の価値観として「国家体制として自由主義体制を選択する」という側にいた。
それ故に、当時の定型句であった「同じ価値観を共有する」とは「同じ自由主義陣営だ」という意味だった。(*6)
しかし、東西冷戦後のアジアの状況は、従前の共産主義VS自由主義の延長ではなく、Sinic文明(中国文明)の華夷秩序VS自由主義文明(西欧文明・日本文明)との対峙状況へと質的に変化しており、共産主義体制国家ではない韓国は、自由主義体制のままでSinic文明圏の1国として存在している状況へと変質している。
そういう状況の質的変化がある故に、我が国から見た韓国は、「価値観」(文明圏としての価値観)を共有していない、となるのである。
東西冷戦時と違い、北朝鮮の核・弾道ミサイルの開発・実験に対して、韓国は、むしろ許容している状態だ。この様な事は東西冷戦時では考えられなかった事態である。
ところが、この様な事態になっているのは、アジアの対立構造が、Sinic文明(中国文明)の華夷秩序VS自由主義文明(西欧文明・日本文明)へと変質しており、Sinic文明圏の一員であり続けた韓国は、肌感覚で「華夷秩序側の一員」との立ち位置へと変貌しているのである。
東西冷戦後の欧州で、東西冷戦の軛から解放された東欧諸国の「国家分裂再編」のプロセスが、民族のアイデンティティ、即ち、各々の文明を根本原理として行われたことを想起していただきたい。
共産主義VS自由主義とのイデオロギーレベルの対立構造がなくなった後に浮かび上がってきたのは、文明レベルでの再編であったのである。
先の大戦でスターリン・ソビエトロシアが併合し、ソ連邦の一部となっていた国々は、東西冷戦構造の終了とともに独立した。バルト三国が、その代表的事例である。
また、東西冷静構造下で衛星国化されていたチェコスロバキアは、チェコとスロバキアに分かれている。ユーゴスラビアは四分五裂以上の6ヶ国に分裂した。
ユーゴスラビア分裂・再編の過程で「民族浄化」なる語句が登場した様に、それは民族のアイデンティティ・文明レベルが軸足であったものである。
この様に、「軸足が民族のアイデンティティ・文明レベルになっている」との視点がアジア地域の現状を理解する上では必要だと考えている。
逆に言えば、情勢認識が冷戦時代のままではダメだと考えている。
既に、東西冷戦が終ってから四半世紀以上が経過しているのであるから、情勢は変化していると考えるのが合理的だ。冷戦時代のままの情勢認識では道を見誤る可能性があることに注意したい。
そういう視点で我が国を見れば、昔ながらの「右翼・左翼」との分類が無意味であることがわかるであろう。
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【文末脚注】
(*1):アメリカ第31代大統領・ハーバート・フーバーの考察
<フーバー回顧録>
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-category-11.html
「フーバー回顧録」とは通称である。同書の英語原題は「Freedom Betrayed」(裏切られた自由)である
(*2):マッカーサー3原則「自衛戦争さえも認めない・だから非武装」との論理構造
2016/07/31投稿:
(解説編2)資料・マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-469.html
(*3):マッカーサーは朝鮮戦争が勃発すると「警察予備隊」との日本再武装を指示
2016/06/08投稿:
続々・歴史年表・戦後史部分の概観
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-430.html
(*4):自国民の命、平和・安寧の確保よりも他国を優先するとの現行憲法
2017/05/19投稿:
憲法議論1・前文の「平和主義」
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-673.html
(*5):未だにまともなPower Projection能力を持っておらず、自国防衛をかなり低いレベルのまま留め置かれている状態
2017/03/22投稿:
Power Projection能力
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-633.html
(*6):東西冷戦時の「同じ価値観を共有する」とは「同じ自由主義陣営だ」という意味
2017/01/22投稿:
「共通の価値観」の意味
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-587.html
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副題:東西冷戦が終ってから四半世紀以上が経過している。そして、欧州での冷戦終結後とは違った情勢がアジアでは発生しており、今に至っているのだが、外形的類似性から、その構造を冷戦時代のままの情勢認識で見てしまっていないか? これでは道を見誤る可能性がある。
アメリカ第31代大統領・ハーバート・フーバーの考察(*1)によれば、第二次世界大戦は、ルーズベルトの失政により、戦争は欧州戦域に限定されず世界大戦へと拡大し、結局は、その戦争により膨大な支配地域を獲得したソ連邦に代表される共産主義国家の急成長との結果に終わった。
そして、大戦後の世界は、ソ連邦共産主義とアメリカ自由主義が対峙する東西冷戦構造が支配する時代となった。
東西冷戦が集結したのは、1991年のソ連邦崩壊時だとも1989年のベルリンの壁崩壊時だとも言われているが、大きく言えば、1945年以降1980年代末期・1990年代最初期までの約45年間の間、続いた構造だと言って良い。
東西冷戦時、その最前線は、欧州に於いては東西ドイツにあり、軍事的には、西側NATO軍諸国と東側ワルシャワ条約機構軍諸国が対峙していた。
アジアに於いての軍事的前線は、南北朝鮮、南北ベトナムであり、その前線に於いては、冷戦ではなく、実際の戦争が勃発した。
朝鮮戦争が勃発したのは1950年6月25日のことである。
その前年、支那大陸での「国共内戦」で毛沢東・中国共産党が、蒋介石・国府軍を駆逐して中華人民強国の建国宣言があり、それを見た北朝鮮・金日成がスターリンに武力統一目的の南侵開戦の許可申請をして開戦に至ったものである。
朝鮮戦争勃発時、我が国は占領時主権喪失期の最中であり、日本列島の防衛責任は占領軍GHQマッカーサーにあった。
マッカーサーの責任範囲は日本列島のみならず、5年前までは我が国の一部であった朝鮮半島にも及び、その南半部がソ連邦傀儡の金日成の半島北半部からの侵略を受けたのだから、マッカーサーは直ちに朝鮮半島での戦闘に対処することになった。
この時点で既に我が国は、戦力不保持・交戦権否定の現行憲法への改憲をしており、占領当初のマッカーサーの非現実的目論見は、朝鮮戦争勃発との現実の前に破綻した状態となったのである。
戦力不保持・交戦権否定との現行憲法の基本コンセプトであるマッカーサー3原則(*2)では「自衛戦争さえも認めない・だから非武装」との論理構造になっているのだが、そうであるにも関わらず、マッカーサーは朝鮮戦争が勃発すると、「警察予備隊」との日本再武装を指示するのであった。(*3)
戦力不保持・交戦権否定との現行憲法を我が国に押し付けたマッカーサーは、それと相反矛盾する再武装を我が国に押し付けたのである。
現在も続く憲法9条と自衛隊との「憲法問題」の種は、両方ともマッカーサーが蒔いたもので、この時代の産物である。
朝鮮戦争のさなか、ルーズベルトの次の大統領のトルーマン(彼は広島・長崎への原爆投下を許可した人物である)によりマッカーサーは解任され、「非武装憲法と再武装組織の存在」という矛盾状態を放置したまま、マッカーサーは帰国した。
それは1951年4月のことであった。
我が国が主権を回復したのは、サンフランシスコ講和条約発効の1952年4月28日である。
朝鮮戦争は継続中であった。
占領期間はかなり長期の6年8か月=約7年にもなっており、帝国陸海軍は既に解体され、自国防衛を担うには、あまりにも貧弱な警察予備隊(後の自衛隊)しかない状態での「主権回復」であった。
それ故に、皆無に近い防衛能力を補完する為にサンフランシスコ講和条約の調印と同日に当時の首相・吉田茂は、旧日米安保条約の調印を行ったのであった。
旧日米安保条約の不平等なる片務性の解消に努力し、安保条約を改訂したのが1960年当時の首相・岸信介であるが、「60年安保闘争」の騒乱で辞任するに至っている。
東西冷戦構造の中、アジアに於ける軍事的最前線が38度線であったのだが、欧州とは違い、体制競争の1つである思想戦の最前線は我が国であった。
東西ドイツが軍事的かつ思想戦的最前線であったのに対して、アジアでの最前線は同一ではなかったとの視点は、我が国戦後史を理解する上で重要な「補助線」となるものである。
それ故に、独立国としてはあり得ない、自国民の命、平和・安寧の確保よりも他国を優先するとの現行憲法(*4)が利用された。現行憲法の維持・継続が、西側諸国の一員である日本を弱体状態のままに置いておく為に有効だったのである。
日本を軽武装なままにしておくことは、空前絶後の空海戦を戦ったアメリカにとっても好都合であり、当時のアメリカは他国との同盟などなくても全然困らない状態であり、弱体状態は東西両陣営共通の利益事項だったのであった。
そういう環境下、我が国親共産主義勢力は、日本の自国防衛体制構築の妨害を延々としてきたのである。
それは、実際のところ、21世紀の現在も変わっていない。本日只今、我が国は、未だにまともなPower Projection能力を持っておらず、自国防衛をかなり低いレベルのまま留め置かれている状態だ。(*5)
戦後の我が国が置かれた、そういう特殊な構造は、東西冷戦構造との基礎の上に置かれたものであった。
東西冷戦構造はソ連邦崩壊により欧州戦域に於いて軍事的リスクは大きく減退し、終結したのだが、一方の最前線であるアジアに於いては、南北朝鮮は現在も軍事的対峙状態にあり、中共は存続し続け、彼等の持つ核ミサイルの照準は我が国に狙いを定めたままと言われている。
我が国にとっては、ソ連邦に軍事的脅威が低下し、ソ連邦と直接に近接している北海道防衛のリスクレベルは低下したものの、欧州西側諸国の様な全面的なリスク低下はしていない状態である。
アジアに於いては、東西冷戦構造は外形的には継続しているのであるが、これを東西冷戦構造の継続と見るのは間違いだと考えている。
ソ連邦崩壊後の1990年代最初期のアジアの情況は、東西冷戦で焼け太りした中国共産党による新たな覇権体制が膨張し始めた時期だと解している。
「中国共産党による覇権体制の膨張」は「共産主義国の膨張」であるとの、外形的相似形で理解では、その本質を見誤る。
「中国共産党による覇権体制の膨張」の本質とは、中国の文明(Sinic文明)の根本原理たる華夷秩序に基づく膨張である。
「共産主義国の膨張」と「華夷秩序に基づく膨張」では、その中身は大きく違っている。
外形的には、「大陸勢力による日本列島への侵略リスク」は同じであるのだが、その中身は大きく違っており、ただ単に、侵略リスクを発生させているのがソ連から中共に変わったという様なものではない。
それが現象面で表れているのが、「韓国の国防姿勢」である。
東西冷戦時は、自由主義陣営と共産主義陣営の対峙であり、韓国は、その国家の価値観として「国家体制として自由主義体制を選択する」という側にいた。
それ故に、当時の定型句であった「同じ価値観を共有する」とは「同じ自由主義陣営だ」という意味だった。(*6)
しかし、東西冷戦後のアジアの状況は、従前の共産主義VS自由主義の延長ではなく、Sinic文明(中国文明)の華夷秩序VS自由主義文明(西欧文明・日本文明)との対峙状況へと質的に変化しており、共産主義体制国家ではない韓国は、自由主義体制のままでSinic文明圏の1国として存在している状況へと変質している。
そういう状況の質的変化がある故に、我が国から見た韓国は、「価値観」(文明圏としての価値観)を共有していない、となるのである。
東西冷戦時と違い、北朝鮮の核・弾道ミサイルの開発・実験に対して、韓国は、むしろ許容している状態だ。この様な事は東西冷戦時では考えられなかった事態である。
ところが、この様な事態になっているのは、アジアの対立構造が、Sinic文明(中国文明)の華夷秩序VS自由主義文明(西欧文明・日本文明)へと変質しており、Sinic文明圏の一員であり続けた韓国は、肌感覚で「華夷秩序側の一員」との立ち位置へと変貌しているのである。
東西冷戦後の欧州で、東西冷戦の軛から解放された東欧諸国の「国家分裂再編」のプロセスが、民族のアイデンティティ、即ち、各々の文明を根本原理として行われたことを想起していただきたい。
共産主義VS自由主義とのイデオロギーレベルの対立構造がなくなった後に浮かび上がってきたのは、文明レベルでの再編であったのである。
先の大戦でスターリン・ソビエトロシアが併合し、ソ連邦の一部となっていた国々は、東西冷戦構造の終了とともに独立した。バルト三国が、その代表的事例である。
また、東西冷静構造下で衛星国化されていたチェコスロバキアは、チェコとスロバキアに分かれている。ユーゴスラビアは四分五裂以上の6ヶ国に分裂した。
ユーゴスラビア分裂・再編の過程で「民族浄化」なる語句が登場した様に、それは民族のアイデンティティ・文明レベルが軸足であったものである。
この様に、「軸足が民族のアイデンティティ・文明レベルになっている」との視点がアジア地域の現状を理解する上では必要だと考えている。
逆に言えば、情勢認識が冷戦時代のままではダメだと考えている。
既に、東西冷戦が終ってから四半世紀以上が経過しているのであるから、情勢は変化していると考えるのが合理的だ。冷戦時代のままの情勢認識では道を見誤る可能性があることに注意したい。
そういう視点で我が国を見れば、昔ながらの「右翼・左翼」との分類が無意味であることがわかるであろう。
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(*1):アメリカ第31代大統領・ハーバート・フーバーの考察
<フーバー回顧録>
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-category-11.html
「フーバー回顧録」とは通称である。同書の英語原題は「Freedom Betrayed」(裏切られた自由)である
(*2):マッカーサー3原則「自衛戦争さえも認めない・だから非武装」との論理構造
2016/07/31投稿:
(解説編2)資料・マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-469.html
(*3):マッカーサーは朝鮮戦争が勃発すると「警察予備隊」との日本再武装を指示
2016/06/08投稿:
続々・歴史年表・戦後史部分の概観
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-430.html
(*4):自国民の命、平和・安寧の確保よりも他国を優先するとの現行憲法
2017/05/19投稿:
憲法議論1・前文の「平和主義」
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-673.html
(*5):未だにまともなPower Projection能力を持っておらず、自国防衛をかなり低いレベルのまま留め置かれている状態
2017/03/22投稿:
Power Projection能力
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(*6):東西冷戦時の「同じ価値観を共有する」とは「同じ自由主義陣営だ」という意味
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「共通の価値観」の意味
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