憲法議論10・高等教育含む教育の無償化
- 2017/08/28
- 19:04
憲法議論10・高等教育含む教育の無償化
<憲法議論をはじめよう11>

副題:「高等教育含む教育の無償化」は理念の法文化問題である。
憲法改正をなんとしても阻止したい所謂「護憲派」の実態は、日本劣後状態維持派である。彼等は、国会が閉会になっても「森友・加計「問題」」で火のない所に煙を立ててクリンチを続けることで、「憲法に関する議論をさせない」との昔ながらの「寝っ転がり戦法」を継続している。
一方、自民党側は、6月6日の憲法改正推進本部会合で4つの重点項目(*1)を掲げ、改憲議論を推進しようとしているものの、現在は、所謂「夏休み期間」であり、各議員は地元に戻ったりと、目に見える進捗はない。
報道によれば、憲法改正推進本部の会合の再開は、今月の29日を予定しているそうだ。
そもそもが「憲法議論をしない、させない」との国民を小バカにした戦法を採用している側である「サヨク・マスコミ」は、再開時期だとか、議論内容をちっとも報道しないので、「いったい憲法議論はどうなっているのか」というのが普通の国民の「マスコミの「報道しない自由」で統制された感覚」なのであろう。
国民の知る権利(*2)を蔑ろにしているのは、今や、「報道しない自由」を濫用するマスコミである。
そんな状態ではあるが、今回のテーマは4つの重点項目のうちの残りの1つである「高等教育含む教育の無償化」である。
さて、「義務教育は無償」と言われているが、実際は、小学生でも、給食費や修学旅行積立金や教科書以外の指定教材の購入等と結構な金額が必要である。実態としての「義務教育は無償」とは、授業料と教科書が無償というものだ。
実際、私学の小中校は、高額授業料をとっている。
これは、「教育の質」を買っている、というもので、「なにがなんでも義務教育は無償じゃなきゃダメ」というものではない。
憲法的にはどうなっているのかというと、現行憲法第26条(*3)に「義務教育は無償」との規定がある。
第26条は、第三章・国民の権利及び義務の中の条文である。
この条文は面白く、第26条の第1項では「すべて国民は・・・教育を受ける権利を有する」とあり、第2項では「すべて国民は・・・子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」とあり、若い頃は「教育を受けるのは権利」なのだが、親となった後は「自分の子供に教育を受けさせること」が義務となるのである。
誠に結構な建て付けである。そして、第26条の最後に「義務教育は、これを無償とする」とある。
「高等教育含む教育の無償化」は、4つの重点項目のうちの1つであるが、これは、ちょっと逆説的なのだが、憲法条文に「義務教育は、これを無償とする」とあることの問題である。
法文の読み方として、「義務教育は、これを無償とする」と書いてあれば、「義務教育以外は有償」ということになる。ここは重要だ。
先ず、憲法条文に「義務教育は、これを無償とする」とあるのは、実に良い規定である。
今後も、義務教育霧消規定は堅持・継続すべきである。
この点を踏まえた上で、「義務教育は、これを無償とする」との規定が、「義務教育以外は有償」という意味がある事が、時代にそぐわなくなっているのが、問題点なのである。
憲法条文がこのままで、義務教育以降の高等教育を、社会制度として無償化する事は、一時的な国民経済支援策との位置づけ等では可能であるのだが、教育が我が国の国力の源泉であるとの構造を、保ち継続する国家制度として確立するとの位置づけとは相反している条文となってしまっている。
高校進学率が90%を超えたのは1974年。今や高校全入時代と言われている。
何故、高校進学が90%を超えるのかというと、個人の視点では、そちらの方が生涯収入が大きくなる可能性が高いからであろう。
一方、社会全体から見れば、生産者の質が高い方が望ましいからである。
今や、生産者の多くが企業や公共団体の勤務者になっている。
「頭脳労働」と言われる比率が圧倒的多数になっているのだから、その質的向上には高等教育が必須なのである。
また、今や少子高齢化が深刻な問題となっている。
要するに、生産人口が減少するという問題である。
「生産人口の現象」との問題に対して、「働き盛りが少なくなるから外国人労働者で補う」との単純な発想は、既に欧州等では、異文化・異民族が生活の場にいることでの軋轢が許容限度を超え、国民の幸福とは違う方向へと問題化している。
従い、無定見な単純労働者の大量受入の様な愚策を我国では採用できない。
取り分け、我が国は「資源がない国」とか「資源が少ない国」だと言われている様に、ただでさえハンディキャップを背負っているのである。
実際、自国内で原油が産出しないので、エネルギー源となる石油のほぼ総てを輸入に頼り、国土の平地面積も少なく、食糧の自給も出来ていない。
これは猛烈なハンディキャップであるのだが、現実世界で我が国は世界ドップクラスの先進国である。そういう結果を導き出し維持しているのは、我が国には「日本人という稀有なる資源」があるからである。
我が国の強みは「人口1億人超え」との量的問題ではなく、「日本人という資源」という質的問題なのである。
ところが、少子化で「日本人という資源」が少なくなっているとの問題があり、それが深刻なのである。
少子化傾向に歯止めがかかり、人口を維持できる様になるのが何時のことかわからないが、それを待ってはいられないので、現在生きている日本人のうち、高齢者の引退を先に延ばして労働人口を確保する策がとられている。個人的には迷惑な話であるのだが、日本人の平均寿命の延びを見れば、あながち間違った政策ではない。
日本人の平均寿命は、戦後10年目の昭和30年(1955年)の男性で63.60歳である。(*4)
最近は、それが79.64歳と約80歳に近くなっており、60年前に比べて、平均寿命は約16年も伸びている。
平均年齢が伸長したことによる社会変化としては、色々あるのだが、実際に還暦を過ぎた当方にとって印象深いのは、この間の定年延長・年金支給年齢の引き上げである。
当方が大学を卒業した約40年前は、定年年齢は56歳。定年になれば年金が支給された。
ところが、その後、年金支給年齢の60歳への引き上げに伴い、定年年齢が60歳に引き上げられ、更に、年金支給年齢が段階的に65歳になるのに伴い、65歳までの雇用継続制度が法定され現在に至っている。
何のことはない、個人の視点で言えば、当時の予定では、今頃は悠々自適の年金生活をして「近所のクソジジイ」をやっているはずだったのに、未だにビジネスの世界にいる。(笑)
一方、当方が産まれた時点の予定では、今頃は平均余命に達する直前の状態であるはずが、まだ今後10数年も生き続ける状態だということで、そういう意味ではバランス・整合性を見た上での制度改定だったとも言える。
平均寿命が63~64歳の時代ならば、その数年前(7~8年前)の56歳を定年年齢にすることは妥当である。
平均寿命63~64歳の時代の人生区分としては、最初の15~22歳に至るまでの習得・教育期間が約25~35%、生産年齢期間が55~65%、定年後から平均寿命までの余生が約10~12%との構成だ。
今は、平均寿命が約80歳になっており、若いうちの習得・教育期間は、どう考えてもそんなには長くはならないので、残りの生産年齢期間・余生の部分は05~65年間にも及ぶことになる。
仮に「余生」の比率が10~12%と同じならば「70歳まで現役」となってしまうし、逆に、定年を当時と同じく56歳とした場合には、余生は24年にも及び、余生の比率も30%と約3倍に膨れ上がる。この様に考えると、定年65歳も仕方がない様に思えるが、個人的に詐欺にあった様にも感じる(笑)
何れであっても、還暦を過ぎた老体が「仕事」をする社会になったという事だ。
しかし還暦過ぎの老体では、肉体労働は難しい。
詰り、65歳迄、或いは70歳迄価値ある仕事をする人材であってもらわないと困るということなのだが、その仕事の種類は、肉体労働以外の仕事となる。これは必然だ。
平均寿命が60歳代だった時代は、匠の技が求められる「職人の世界」では、早くから仕事に就き、早く一人前になることが合理的だったのだろうが、今や、平均寿命が80歳近くになっているのだから、肉体的な衰えがあっても仕事が出来る様な知識の習得の道に、より多くの方々が進むことが望ましいのであろう。
そういう時代の変化に合わせ、「高等教育の無償化」との理念を打ち出していると想定される。4つの重点項目のうちの1つに「高等教育含む教育の無償化」を掲げているのは、こういう時代の変遷・少子高齢化との背景があるからだと解される。
さて、ここで思い出していただきたいのは、憲法とは、理念を書く側面と 実体法の最高法規との側面の両方を持つことである。
そして、同様に、現状の憲法規定・第26条の「義務教育無償規定」とは、「義務教育以外は有償」ということも思い出していただきたい。
この2点からは、現行憲法・第26条に「高等教育有償」という条文を掲げ続けることは、「国の形」として、我が国は、その最大の資源である日本人の高等教育を推奨するとの理念と相反していることが理解できると思う。
最初の「副題」で「「高等教育含む教育の無償化」は理念の法文化問題である」と書いたのは、こういう事だからである。
今回のテーマの視点としては以上であるが、「改憲させたくない勢力」は、この様な視点とは違う方面で「憲法を変える必要はない」と称しているので、少々述べる。
紹介した視点からは、改憲後の憲法条文としては、義務教育のみならず高等教育も無償とする、との原則を示す条文になると想定され、文字数としてはかなり少ない変更だけで終わると思われる。
表面的には、それで御仕舞だが、繰り返して言うが、これは「国の形」を表す理念であるとの視点が重要な問題だ。
この理念の視点がないと、この問題を「高等教育も無償化すればいい」との単純な理解となる。ただ単に、高等教育を無償化することは、法的規定としては下位法にて対処可能であり、既に、国民経済支援策として「高校無償化」は実施済である。
そういう点を突いて「「憲法を変えなくても高等教育は無償化できる」という論法で「憲法を変える必要はない」と言っているのが「改憲させたくない勢力」である。
今回は、視点部分だけを取り上げた。
教育に関しては、様々な議論点があるのだが、それらを取り上げると議論点が拡散するので、ポイントを絞っての論述となったことを御承知おき願いたい。
「識字率ほぼ100%」は我が国では当たり前のことなのだが、他国では、けしてそうではない事を想起願いたい。
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【文末脚注】
(*1):自民党・憲法改正推進本部6月6日会合で出された4つの重点項目
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-689.html
・①:憲法9条の従来の政府解釈を動かさないで自衛隊を憲法に位置付ける
・②:高等教育含む教育の無償化
・③:緊急事態条項の創設
・④:一票の格差・合区解消などの選挙制度
(*2):「憲法議論をしない、させない」との国民を小バカにした戦法、「報道しない自由」
2017/08/19投稿:
国民の知る権利
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-734.html
(*3):現行憲法第26条 義務教育無償規定は第2項最終部
日本国憲法(昭和二十一年十一月三日憲法)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html
第26条:すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
同第2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
<引用終わり>
(*4):平均寿命推移(厚労省HP 主な年齢の平均余命)
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life10/01.html
<表2:平均寿命の年次推移から男性部分を抜粋>
昭和30年(1955年)63.60歳
昭和40年(1965年)67.74”
昭和50年(1975年)71.73”
昭和60年(1985年)74.78”
平成07年(1995年)76.38”
平成17年(2005年)78.56”
平成22年(2010年)79.64“
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<憲法議論をはじめよう11>


副題:「高等教育含む教育の無償化」は理念の法文化問題である。
憲法改正をなんとしても阻止したい所謂「護憲派」の実態は、日本劣後状態維持派である。彼等は、国会が閉会になっても「森友・加計「問題」」で火のない所に煙を立ててクリンチを続けることで、「憲法に関する議論をさせない」との昔ながらの「寝っ転がり戦法」を継続している。
一方、自民党側は、6月6日の憲法改正推進本部会合で4つの重点項目(*1)を掲げ、改憲議論を推進しようとしているものの、現在は、所謂「夏休み期間」であり、各議員は地元に戻ったりと、目に見える進捗はない。
報道によれば、憲法改正推進本部の会合の再開は、今月の29日を予定しているそうだ。
そもそもが「憲法議論をしない、させない」との国民を小バカにした戦法を採用している側である「サヨク・マスコミ」は、再開時期だとか、議論内容をちっとも報道しないので、「いったい憲法議論はどうなっているのか」というのが普通の国民の「マスコミの「報道しない自由」で統制された感覚」なのであろう。
国民の知る権利(*2)を蔑ろにしているのは、今や、「報道しない自由」を濫用するマスコミである。
そんな状態ではあるが、今回のテーマは4つの重点項目のうちの残りの1つである「高等教育含む教育の無償化」である。
さて、「義務教育は無償」と言われているが、実際は、小学生でも、給食費や修学旅行積立金や教科書以外の指定教材の購入等と結構な金額が必要である。実態としての「義務教育は無償」とは、授業料と教科書が無償というものだ。
実際、私学の小中校は、高額授業料をとっている。
これは、「教育の質」を買っている、というもので、「なにがなんでも義務教育は無償じゃなきゃダメ」というものではない。
憲法的にはどうなっているのかというと、現行憲法第26条(*3)に「義務教育は無償」との規定がある。
第26条は、第三章・国民の権利及び義務の中の条文である。
この条文は面白く、第26条の第1項では「すべて国民は・・・教育を受ける権利を有する」とあり、第2項では「すべて国民は・・・子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」とあり、若い頃は「教育を受けるのは権利」なのだが、親となった後は「自分の子供に教育を受けさせること」が義務となるのである。
誠に結構な建て付けである。そして、第26条の最後に「義務教育は、これを無償とする」とある。
「高等教育含む教育の無償化」は、4つの重点項目のうちの1つであるが、これは、ちょっと逆説的なのだが、憲法条文に「義務教育は、これを無償とする」とあることの問題である。
法文の読み方として、「義務教育は、これを無償とする」と書いてあれば、「義務教育以外は有償」ということになる。ここは重要だ。
先ず、憲法条文に「義務教育は、これを無償とする」とあるのは、実に良い規定である。
今後も、義務教育霧消規定は堅持・継続すべきである。
この点を踏まえた上で、「義務教育は、これを無償とする」との規定が、「義務教育以外は有償」という意味がある事が、時代にそぐわなくなっているのが、問題点なのである。
憲法条文がこのままで、義務教育以降の高等教育を、社会制度として無償化する事は、一時的な国民経済支援策との位置づけ等では可能であるのだが、教育が我が国の国力の源泉であるとの構造を、保ち継続する国家制度として確立するとの位置づけとは相反している条文となってしまっている。
高校進学率が90%を超えたのは1974年。今や高校全入時代と言われている。
何故、高校進学が90%を超えるのかというと、個人の視点では、そちらの方が生涯収入が大きくなる可能性が高いからであろう。
一方、社会全体から見れば、生産者の質が高い方が望ましいからである。
今や、生産者の多くが企業や公共団体の勤務者になっている。
「頭脳労働」と言われる比率が圧倒的多数になっているのだから、その質的向上には高等教育が必須なのである。
また、今や少子高齢化が深刻な問題となっている。
要するに、生産人口が減少するという問題である。
「生産人口の現象」との問題に対して、「働き盛りが少なくなるから外国人労働者で補う」との単純な発想は、既に欧州等では、異文化・異民族が生活の場にいることでの軋轢が許容限度を超え、国民の幸福とは違う方向へと問題化している。
従い、無定見な単純労働者の大量受入の様な愚策を我国では採用できない。
取り分け、我が国は「資源がない国」とか「資源が少ない国」だと言われている様に、ただでさえハンディキャップを背負っているのである。
実際、自国内で原油が産出しないので、エネルギー源となる石油のほぼ総てを輸入に頼り、国土の平地面積も少なく、食糧の自給も出来ていない。
これは猛烈なハンディキャップであるのだが、現実世界で我が国は世界ドップクラスの先進国である。そういう結果を導き出し維持しているのは、我が国には「日本人という稀有なる資源」があるからである。
我が国の強みは「人口1億人超え」との量的問題ではなく、「日本人という資源」という質的問題なのである。
ところが、少子化で「日本人という資源」が少なくなっているとの問題があり、それが深刻なのである。
少子化傾向に歯止めがかかり、人口を維持できる様になるのが何時のことかわからないが、それを待ってはいられないので、現在生きている日本人のうち、高齢者の引退を先に延ばして労働人口を確保する策がとられている。個人的には迷惑な話であるのだが、日本人の平均寿命の延びを見れば、あながち間違った政策ではない。
日本人の平均寿命は、戦後10年目の昭和30年(1955年)の男性で63.60歳である。(*4)
最近は、それが79.64歳と約80歳に近くなっており、60年前に比べて、平均寿命は約16年も伸びている。
平均年齢が伸長したことによる社会変化としては、色々あるのだが、実際に還暦を過ぎた当方にとって印象深いのは、この間の定年延長・年金支給年齢の引き上げである。
当方が大学を卒業した約40年前は、定年年齢は56歳。定年になれば年金が支給された。
ところが、その後、年金支給年齢の60歳への引き上げに伴い、定年年齢が60歳に引き上げられ、更に、年金支給年齢が段階的に65歳になるのに伴い、65歳までの雇用継続制度が法定され現在に至っている。
何のことはない、個人の視点で言えば、当時の予定では、今頃は悠々自適の年金生活をして「近所のクソジジイ」をやっているはずだったのに、未だにビジネスの世界にいる。(笑)
一方、当方が産まれた時点の予定では、今頃は平均余命に達する直前の状態であるはずが、まだ今後10数年も生き続ける状態だということで、そういう意味ではバランス・整合性を見た上での制度改定だったとも言える。
平均寿命が63~64歳の時代ならば、その数年前(7~8年前)の56歳を定年年齢にすることは妥当である。
平均寿命63~64歳の時代の人生区分としては、最初の15~22歳に至るまでの習得・教育期間が約25~35%、生産年齢期間が55~65%、定年後から平均寿命までの余生が約10~12%との構成だ。
今は、平均寿命が約80歳になっており、若いうちの習得・教育期間は、どう考えてもそんなには長くはならないので、残りの生産年齢期間・余生の部分は05~65年間にも及ぶことになる。
仮に「余生」の比率が10~12%と同じならば「70歳まで現役」となってしまうし、逆に、定年を当時と同じく56歳とした場合には、余生は24年にも及び、余生の比率も30%と約3倍に膨れ上がる。この様に考えると、定年65歳も仕方がない様に思えるが、個人的に詐欺にあった様にも感じる(笑)
何れであっても、還暦を過ぎた老体が「仕事」をする社会になったという事だ。
しかし還暦過ぎの老体では、肉体労働は難しい。
詰り、65歳迄、或いは70歳迄価値ある仕事をする人材であってもらわないと困るということなのだが、その仕事の種類は、肉体労働以外の仕事となる。これは必然だ。
平均寿命が60歳代だった時代は、匠の技が求められる「職人の世界」では、早くから仕事に就き、早く一人前になることが合理的だったのだろうが、今や、平均寿命が80歳近くになっているのだから、肉体的な衰えがあっても仕事が出来る様な知識の習得の道に、より多くの方々が進むことが望ましいのであろう。
そういう時代の変化に合わせ、「高等教育の無償化」との理念を打ち出していると想定される。4つの重点項目のうちの1つに「高等教育含む教育の無償化」を掲げているのは、こういう時代の変遷・少子高齢化との背景があるからだと解される。
さて、ここで思い出していただきたいのは、憲法とは、理念を書く側面と 実体法の最高法規との側面の両方を持つことである。
そして、同様に、現状の憲法規定・第26条の「義務教育無償規定」とは、「義務教育以外は有償」ということも思い出していただきたい。
この2点からは、現行憲法・第26条に「高等教育有償」という条文を掲げ続けることは、「国の形」として、我が国は、その最大の資源である日本人の高等教育を推奨するとの理念と相反していることが理解できると思う。
最初の「副題」で「「高等教育含む教育の無償化」は理念の法文化問題である」と書いたのは、こういう事だからである。
今回のテーマの視点としては以上であるが、「改憲させたくない勢力」は、この様な視点とは違う方面で「憲法を変える必要はない」と称しているので、少々述べる。
紹介した視点からは、改憲後の憲法条文としては、義務教育のみならず高等教育も無償とする、との原則を示す条文になると想定され、文字数としてはかなり少ない変更だけで終わると思われる。
表面的には、それで御仕舞だが、繰り返して言うが、これは「国の形」を表す理念であるとの視点が重要な問題だ。
この理念の視点がないと、この問題を「高等教育も無償化すればいい」との単純な理解となる。ただ単に、高等教育を無償化することは、法的規定としては下位法にて対処可能であり、既に、国民経済支援策として「高校無償化」は実施済である。
そういう点を突いて「「憲法を変えなくても高等教育は無償化できる」という論法で「憲法を変える必要はない」と言っているのが「改憲させたくない勢力」である。
今回は、視点部分だけを取り上げた。
教育に関しては、様々な議論点があるのだが、それらを取り上げると議論点が拡散するので、ポイントを絞っての論述となったことを御承知おき願いたい。
「識字率ほぼ100%」は我が国では当たり前のことなのだが、他国では、けしてそうではない事を想起願いたい。
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【文末脚注】
(*1):自民党・憲法改正推進本部6月6日会合で出された4つの重点項目
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-689.html
・①:憲法9条の従来の政府解釈を動かさないで自衛隊を憲法に位置付ける
・②:高等教育含む教育の無償化
・③:緊急事態条項の創設
・④:一票の格差・合区解消などの選挙制度
(*2):「憲法議論をしない、させない」との国民を小バカにした戦法、「報道しない自由」
2017/08/19投稿:
国民の知る権利
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-734.html
(*3):現行憲法第26条 義務教育無償規定は第2項最終部
日本国憲法(昭和二十一年十一月三日憲法)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html
第26条:すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
同第2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
<引用終わり>
(*4):平均寿命推移(厚労省HP 主な年齢の平均余命)
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life10/01.html
<表2:平均寿命の年次推移から男性部分を抜粋>
昭和30年(1955年)63.60歳
昭和40年(1965年)67.74”
昭和50年(1975年)71.73”
昭和60年(1985年)74.78”
平成07年(1995年)76.38”
平成17年(2005年)78.56”
平成22年(2010年)79.64“



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