憲法議論1・前文の「平和主義」
- 2017/05/19
- 19:14
憲法議論1・前文の「平和主義」 <憲法議論をはじめよう2>

副題:憲法前文の「平和主義」って、どんな平和主義?
ちゃんと読むと、あれは「奴隷化誓約書」になっているんだよね。
最初から、刺激的な副題を書いてしまったが、端的に言えば、現行憲法・前文に書いてあることは、そういう事なのです。
敗戦後、僅か半年という段階で、GHQが起草した憲法の前文が、勝者による敗者断罪となるのは仕方ないことかもしれないが、でも、もう70年も経っているのだから、そろそろ見直したら如何?
学校で憲法前文を暗記させられた若い世代の方もいると思うが、大人になって、分別がついた後になってから、憲法前文(*1)を読んだ方は、どのくらい、いるのだろうか?
学校では、憲法前文には、憲法の「三大原則」(*2)が書いてあるとか、憲法の三大原則は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つであるとかを教え込まれたことと思う。その様に覚えないと、受験問題で正解とならないので、その様に覚えてしまったのだと思うが、前文に書かれている「平和主義」の文言・内容を理解した上でのことだとは思えないのである。
今回は、憲法の「平和主義」とは、どういう意味の「平和主義」なのかを一緒に憲法前文を読みながら考えていくことをテーマにしている。
さて、最近の現実世界では、我国が「平和主義」を推し進めても近隣の北朝鮮は日本近海にミサイルを撃ちこんでくる。以前は我国領土の上空を通過して、太平洋側にミサイルを撃ちこんでた様に、日本がいくら「平和」を唱えても、そうはなっていないのが実情だ。
平和の確立には、自分だけじゃなく、相手側も平和を求めないと成り立たないのである。
北朝鮮の傍若無人な振る舞いに対して、我国は「そういう事は止めて」との要請をしているのだが、全然止めてくれず、国連を通じて「止めなさいよ」との勧告もしている。
国連の勧告でも止めないから、「止めないから輸出入制限しちゃう」と経済制裁決議を国連は出しているのだが、それでも、北朝鮮は全然止めないのである。
何故、国連が決議を採択しているのに北朝鮮はやりたい放題なのかというと、現在の世界は、国家主権を最高主権とする建て付けで出来ており、北朝鮮という国連加盟国は主権国家として、国連決議に従うか従わないかを自身で決定する権利がある、という構造だからだ。
国連は、「主権国家の集まり」であり、「最高の主権・国家主権を持つ北朝鮮」は、決議を出した他の主権国家と同等の国家主権があるので、国連決議に従うか従わないかは、北朝鮮の自己決定権の範疇で自由となる構造なのである。
この様に、現在の世界は、国家主権を最高主権とする建て付けで出来上がっているのである。学校では、主権国家が持つ【対外的国家主権である主権2)(*3)】を詳しく教えていないので、主権と言いうと、国家主権の主権と主権在民の主権を「同じもの」と混同している方もいるだろうが、国家主権が現在の国際社会では最高とする建て付け構造なのである。
現在世界の、この構造、「世界は、国家主権を最高主権とする建て付けで出来上がっている」を別の視点で適用すると、「○○人の生命・財産・人権他を護るのは○○国」との構造になる。この世界原則の「○○」には、アメリカ、フランス、イギリス等の国名を入れれば良い。
ところが、この「○○」に「日本」と入れると、憲法前文に違反してしまうのである。
①:<世界原則を日本に適用>
「日本人の生命・財産・人権等を護るのは日本国」
②:<現行憲法前文から抜粋>
「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」「日本国民は(中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
↓
「日本人の生命・財産・人権等を護るのは「平和を愛する諸国民」」
↓
現行憲法の前文では、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる」のは「国際社会」であり、それらの「平和を愛する諸国民」の「公正と信義に信頼して」、日本人の「安全と生存を保持」との生殺与奪の権を「平和を愛する諸国民」に渡します、と書いてある。
従い、「日本人の生命・財産・人権等を護るのは「平和を愛する諸国民」」となり、世界原則とは異なる内容となっていることがわかるだろう。
自己決定権がない、生殺与奪の権を他者が持っている状態とは、奴隷状態のことである。
そんな「決意」を宣誓させられるとは、「奴隷化誓約書」にほかならない。
これが、現行憲法の冒頭に書いてある前文の内容だ。
なんで、こんな前文になっているのかと言うと、最初に書いた様に、敗戦後、僅か半年という段階で、GHQが起草した憲法の前文であり、その内容が勝者による敗者断罪だからである。
憲法前文に書かれていることは、「敗戦国日本人には自己決定権ないから」「敗戦国日本人の命なんか、戦勝国様の意のままだから」ということだ。
この言い方がオーバーだと思う方もいるだろうが、前文をちゃんと読んでいただければわかる通り、実際に、そう書いてある。
こんな、70年前の戦争の勝者が、敗者を断罪する目的で書かれた前文なんて、破棄して良いと思いませんか?
さて、ここで「学校で習う憲法の三大原則」を思い出してみましょう。
文末脚注(*2)の中から、再度、「平和主義」の部分を以下に抜粋引用する。
<学校で習う「憲法の三大原則」のうちの「平和主義」>
◆平和主義
○第2次世界対戦、太平洋戦争を通じて戦争の悲惨さを痛感した日本は、「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を憲法に定めています。
※戦力の不保持とは、軍隊その他の戦力を持たないこと。
※交戦権の否認とは、国家が戦争をする権利を認めないこと。
ここで書かれている前半の「第2次世界大戦・・・痛感した日本は」の部分は、前文の内容をトレースしてものだ。事実は押し付けなのだが、あたかも制定した主体が日本であるかの様な書き方をしている。中盤の「戦争放棄」は憲法9条第1項の内容、「それに続く「戦力の不保持」、「交戦権の否認」は9条第2項のことである。
現行憲法9条にある「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」との、自己防衛放棄規定は、「生殺与奪権は日本人にはなく他国にある」との前文での「宣言」を具体化したもの、という構造である。
9条と前文に分散配置されている、この様な敗戦国断罪の考え方が最初に出てきたのは、1946年2月4日のマッカーサー3原則(*4)からである。それ以前の日本側の新憲法草案には、こんな国家主権返上条文はない。
マッカーサーがマッカーサー3原則で敗者断罪の原則を提示してから、僅か1週間から10日程度で、それを憲法条文案として提示されたのがGHQ原案(*5)で、それを整理して日本側に1946年2月13日に「憲法草案」として提示されたのが、GHQ草案(*6)である。
本来は日本側の改憲案である「憲法改正要綱」(松本案・2月8日にGHQに提出済)への回答予定日だった2月13日に、GHQは松本案を拒否して、全然違うGHQ草案を日本側に手交し「これでやれ」となったのであった。
結局、マッカーサー原則、GHQ草案(GHQ原案)が、現行憲法となったのである。
現行憲法の前文と9条に分散配置され書かれていることとは、日本は非武装、日本には基本的国家主権がない、日本には交戦権を認めない、としたものであり、これを分かり易く言うと、現行憲法の「平和主義」とは「世界の平和を日本から守る」とのコンセプトでの「平和主義」であることがわかる。
戦後、僅か半年しか経っていない時点で起草された現行憲法の草案は、概ね以下の様な考え方で書かれている。
「俺達欧米列強諸国がせっかく東南アジアを植民地にして平和に暮らせていたのに、日本は俺達の植民地に「解放」とか言って侵略してきた」
「俺達の植民地を侵略する日本は平和の敵・侵略者である」
「二度と俺達の平和を乱さない為に、日本人には、他の黄色人種達と同様に、自己決定権を認めない」(生殺与奪の権利は俺達「平和を愛する諸国民」が握る=前文)
「二度と俺達の平和を乱さない様に、基本的国家主権である交戦権を認めない」(9条)
「二度と俺達の植民地を侵略させない為に、武装解除を永久化する非武装を命じる」(9条)
GHQのこういう姿勢を憲法条文として成文化したのが現行憲法の前文+9条である。
現行憲法の「平和主義」とは、「世界(欧米だけの世界)の平和を(俺達の植民地を侵略する)日本から守る」(その為に基本的国家主権の交戦権も認めないし、陸海空その他の戦力の保持を認めない)という事なのだ。
そんな「平和主義」が現行憲法の「平和主義」であることは確認できたと思うが、そんな「平和主義」を続けるのか?
我々日本人は、そんな一部の人種や文化圏だけの狭い「平和」を「世界平和」だとは考えていないはずだ。70年前の占領軍マッカーサーやGHQが考えた、こんな自己中心的な「平和主義」ではなく、我々日本人自身による平和主義を宣言しても良い時代になっているはずだ。
現行憲法の歪んだ、日本人悪玉論に基づく「平和主義」を続けるのですか?
それとも、我々日本人の手による平和主義憲法へと改憲しますか?
如何であろう?皆さんのご意見・ご感想あれば、コメントいただきたい。
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【文末脚注】
(*1):現行憲法の前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
<引用終わり>
(*2):学校で習う「憲法の三大原則」
日本国憲法の三大原則 / 中学社会 公民 by ピタゴラス3世 |マナペディア|
http://manapedia.jp/text/1265
<日本国憲法の三大原則>
日本国憲法では、次の3つの項目を基本原則として定めています。
◆国民主権
○主権とは、国の意思を決定する権利のことを言います。
○この主権が国民にあるということは、国の意思を国民が決定できる(実際には国民の代表者である政治家が決定をするという形ですが)ということですね。
○日本国憲法よりも前の大日本帝国憲法では、この主権が天皇にあるとされていました。
日本国憲法下で天皇は、象徴とされています。
◆基本的人権の尊重
○基本的人権とは、人が生まれながらにして持っている権利のことです。例えば生存する権利や自由を求める権利などです。
この権利は最大限に尊重される必要があり、侵すことのできない永久の権利として日本国憲法に規定されています。
◆平和主義
○第2次世界対戦、太平洋戦争を通じて戦争の悲惨さを痛感した日本は、「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を憲法に定めています。
※戦力の不保持とは、軍隊その他の戦力を持たないこと。
※交戦権の否認とは、国家が戦争をする権利を認めないこと。
<引用終わり>
※この短い説明の中に幾つもの「ゴマカシ」があるが、それについては、追々解説する。
尚、「◆平和主義」の部分にある「第2次世界対戦」の「対」は「大」の誤植だと思われる。
(*3):対外的国家主権である主権2)
<3つの主権概念>
主権1):国民および領土を統治する主権。統治権。
主権2):国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う主権。対外的国家主権
主権3):国家の政治を最終的に決定する権利。我が国は国民が投票権他で行使
「主権」を学校で習う場合、上記の主権3)の「主権在民」ばかりを習うのだが、「主権」は1つだけではない。
憲法前文でいう「ここに主権が国民に存することを宣言し」は上記では、主権3)のことである。主権3)の行使により、議会の多数派を選出し、行政の長である首相を選び、国家の政治を決定していく主権である。
我国及びイギリスでは、国民が選挙で選んだ結果の人物に対して、上記主権1)統治権の行使権を委譲する。我国では、現行憲法第6条第1項に、その旨の規定がある。
一方、主権2)は主権国家間での主権概念である。
国民一人々々が持つ主権3)で、北朝鮮に宣戦布告や友好条約締結等の主権2)の行使が出来る訳がないのは常識だ。
(*4):マッカーサー3原則
2016/07/31投稿:
(解説編2)資料・マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-469.html
国立国会図書館資料では日付が1946年2月4日になっているが、3日だと考えている。
今回は、史料と同じ日付で書いている。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/072/072_002l.html
(*5):GHQ原案
国立国会図書館HP資料:GHQ原案
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/147/147tx.html
占領軍GHQがまとめた憲法原案なので、英文である。
資料テキストには日付データは見当たらない。GHQ原案にはPREAMBLE(前文)がある。帝国憲法には明治天皇の告文・詔勅・上諭があるが前文はない。アメリカ憲法には前文があるので、他の条文や章立てに見られる、アメリカ憲法の体裁準拠方式の結果であろうと推定される。後に現行憲法第2章・第9条となる条文はGHQ原案では第1条(ARTICLE I)になっている。
(*6):GHQ草案1946年2月13日
国立国会図書館HP資料:GHQ草案1946年2月13日
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076a_e/076a_etx.htmlこちらも占領軍GHQがまとめた憲法草案なので、英文である。
同資料の日付は2月12日になっているが、日本側が受け取った日付で1946年2月13日になっている。GHQは、日本側の憲法草案(松本案)を拒否し、まったく違う、このGHQ草案を手交し、これで新憲法を制定することを押し付けてきたのである。
GHQ草案は、GHQ原案と同様の前文付であるが、原案では第1条だった現9条は、第2章・第VIII条となっている。
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副題:憲法前文の「平和主義」って、どんな平和主義?
ちゃんと読むと、あれは「奴隷化誓約書」になっているんだよね。
最初から、刺激的な副題を書いてしまったが、端的に言えば、現行憲法・前文に書いてあることは、そういう事なのです。
敗戦後、僅か半年という段階で、GHQが起草した憲法の前文が、勝者による敗者断罪となるのは仕方ないことかもしれないが、でも、もう70年も経っているのだから、そろそろ見直したら如何?
学校で憲法前文を暗記させられた若い世代の方もいると思うが、大人になって、分別がついた後になってから、憲法前文(*1)を読んだ方は、どのくらい、いるのだろうか?
学校では、憲法前文には、憲法の「三大原則」(*2)が書いてあるとか、憲法の三大原則は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つであるとかを教え込まれたことと思う。その様に覚えないと、受験問題で正解とならないので、その様に覚えてしまったのだと思うが、前文に書かれている「平和主義」の文言・内容を理解した上でのことだとは思えないのである。
今回は、憲法の「平和主義」とは、どういう意味の「平和主義」なのかを一緒に憲法前文を読みながら考えていくことをテーマにしている。
さて、最近の現実世界では、我国が「平和主義」を推し進めても近隣の北朝鮮は日本近海にミサイルを撃ちこんでくる。以前は我国領土の上空を通過して、太平洋側にミサイルを撃ちこんでた様に、日本がいくら「平和」を唱えても、そうはなっていないのが実情だ。
平和の確立には、自分だけじゃなく、相手側も平和を求めないと成り立たないのである。
北朝鮮の傍若無人な振る舞いに対して、我国は「そういう事は止めて」との要請をしているのだが、全然止めてくれず、国連を通じて「止めなさいよ」との勧告もしている。
国連の勧告でも止めないから、「止めないから輸出入制限しちゃう」と経済制裁決議を国連は出しているのだが、それでも、北朝鮮は全然止めないのである。
何故、国連が決議を採択しているのに北朝鮮はやりたい放題なのかというと、現在の世界は、国家主権を最高主権とする建て付けで出来ており、北朝鮮という国連加盟国は主権国家として、国連決議に従うか従わないかを自身で決定する権利がある、という構造だからだ。
国連は、「主権国家の集まり」であり、「最高の主権・国家主権を持つ北朝鮮」は、決議を出した他の主権国家と同等の国家主権があるので、国連決議に従うか従わないかは、北朝鮮の自己決定権の範疇で自由となる構造なのである。
この様に、現在の世界は、国家主権を最高主権とする建て付けで出来上がっているのである。学校では、主権国家が持つ【対外的国家主権である主権2)(*3)】を詳しく教えていないので、主権と言いうと、国家主権の主権と主権在民の主権を「同じもの」と混同している方もいるだろうが、国家主権が現在の国際社会では最高とする建て付け構造なのである。
現在世界の、この構造、「世界は、国家主権を最高主権とする建て付けで出来上がっている」を別の視点で適用すると、「○○人の生命・財産・人権他を護るのは○○国」との構造になる。この世界原則の「○○」には、アメリカ、フランス、イギリス等の国名を入れれば良い。
ところが、この「○○」に「日本」と入れると、憲法前文に違反してしまうのである。
①:<世界原則を日本に適用>
「日本人の生命・財産・人権等を護るのは日本国」
②:<現行憲法前文から抜粋>
「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」「日本国民は(中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
↓
「日本人の生命・財産・人権等を護るのは「平和を愛する諸国民」」
↓
現行憲法の前文では、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる」のは「国際社会」であり、それらの「平和を愛する諸国民」の「公正と信義に信頼して」、日本人の「安全と生存を保持」との生殺与奪の権を「平和を愛する諸国民」に渡します、と書いてある。
従い、「日本人の生命・財産・人権等を護るのは「平和を愛する諸国民」」となり、世界原則とは異なる内容となっていることがわかるだろう。
自己決定権がない、生殺与奪の権を他者が持っている状態とは、奴隷状態のことである。
そんな「決意」を宣誓させられるとは、「奴隷化誓約書」にほかならない。
これが、現行憲法の冒頭に書いてある前文の内容だ。
なんで、こんな前文になっているのかと言うと、最初に書いた様に、敗戦後、僅か半年という段階で、GHQが起草した憲法の前文であり、その内容が勝者による敗者断罪だからである。
憲法前文に書かれていることは、「敗戦国日本人には自己決定権ないから」「敗戦国日本人の命なんか、戦勝国様の意のままだから」ということだ。
この言い方がオーバーだと思う方もいるだろうが、前文をちゃんと読んでいただければわかる通り、実際に、そう書いてある。
こんな、70年前の戦争の勝者が、敗者を断罪する目的で書かれた前文なんて、破棄して良いと思いませんか?
さて、ここで「学校で習う憲法の三大原則」を思い出してみましょう。
文末脚注(*2)の中から、再度、「平和主義」の部分を以下に抜粋引用する。
<学校で習う「憲法の三大原則」のうちの「平和主義」>
◆平和主義
○第2次世界対戦、太平洋戦争を通じて戦争の悲惨さを痛感した日本は、「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を憲法に定めています。
※戦力の不保持とは、軍隊その他の戦力を持たないこと。
※交戦権の否認とは、国家が戦争をする権利を認めないこと。
ここで書かれている前半の「第2次世界大戦・・・痛感した日本は」の部分は、前文の内容をトレースしてものだ。事実は押し付けなのだが、あたかも制定した主体が日本であるかの様な書き方をしている。中盤の「戦争放棄」は憲法9条第1項の内容、「それに続く「戦力の不保持」、「交戦権の否認」は9条第2項のことである。
現行憲法9条にある「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」との、自己防衛放棄規定は、「生殺与奪権は日本人にはなく他国にある」との前文での「宣言」を具体化したもの、という構造である。
9条と前文に分散配置されている、この様な敗戦国断罪の考え方が最初に出てきたのは、1946年2月4日のマッカーサー3原則(*4)からである。それ以前の日本側の新憲法草案には、こんな国家主権返上条文はない。
マッカーサーがマッカーサー3原則で敗者断罪の原則を提示してから、僅か1週間から10日程度で、それを憲法条文案として提示されたのがGHQ原案(*5)で、それを整理して日本側に1946年2月13日に「憲法草案」として提示されたのが、GHQ草案(*6)である。
本来は日本側の改憲案である「憲法改正要綱」(松本案・2月8日にGHQに提出済)への回答予定日だった2月13日に、GHQは松本案を拒否して、全然違うGHQ草案を日本側に手交し「これでやれ」となったのであった。
結局、マッカーサー原則、GHQ草案(GHQ原案)が、現行憲法となったのである。
現行憲法の前文と9条に分散配置され書かれていることとは、日本は非武装、日本には基本的国家主権がない、日本には交戦権を認めない、としたものであり、これを分かり易く言うと、現行憲法の「平和主義」とは「世界の平和を日本から守る」とのコンセプトでの「平和主義」であることがわかる。
戦後、僅か半年しか経っていない時点で起草された現行憲法の草案は、概ね以下の様な考え方で書かれている。
「俺達欧米列強諸国がせっかく東南アジアを植民地にして平和に暮らせていたのに、日本は俺達の植民地に「解放」とか言って侵略してきた」
「俺達の植民地を侵略する日本は平和の敵・侵略者である」
「二度と俺達の平和を乱さない為に、日本人には、他の黄色人種達と同様に、自己決定権を認めない」(生殺与奪の権利は俺達「平和を愛する諸国民」が握る=前文)
「二度と俺達の平和を乱さない様に、基本的国家主権である交戦権を認めない」(9条)
「二度と俺達の植民地を侵略させない為に、武装解除を永久化する非武装を命じる」(9条)
GHQのこういう姿勢を憲法条文として成文化したのが現行憲法の前文+9条である。
現行憲法の「平和主義」とは、「世界(欧米だけの世界)の平和を(俺達の植民地を侵略する)日本から守る」(その為に基本的国家主権の交戦権も認めないし、陸海空その他の戦力の保持を認めない)という事なのだ。
そんな「平和主義」が現行憲法の「平和主義」であることは確認できたと思うが、そんな「平和主義」を続けるのか?
我々日本人は、そんな一部の人種や文化圏だけの狭い「平和」を「世界平和」だとは考えていないはずだ。70年前の占領軍マッカーサーやGHQが考えた、こんな自己中心的な「平和主義」ではなく、我々日本人自身による平和主義を宣言しても良い時代になっているはずだ。
現行憲法の歪んだ、日本人悪玉論に基づく「平和主義」を続けるのですか?
それとも、我々日本人の手による平和主義憲法へと改憲しますか?
如何であろう?皆さんのご意見・ご感想あれば、コメントいただきたい。
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【文末脚注】
(*1):現行憲法の前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
<引用終わり>
(*2):学校で習う「憲法の三大原則」
日本国憲法の三大原則 / 中学社会 公民 by ピタゴラス3世 |マナペディア|
http://manapedia.jp/text/1265
<日本国憲法の三大原則>
日本国憲法では、次の3つの項目を基本原則として定めています。
◆国民主権
○主権とは、国の意思を決定する権利のことを言います。
○この主権が国民にあるということは、国の意思を国民が決定できる(実際には国民の代表者である政治家が決定をするという形ですが)ということですね。
○日本国憲法よりも前の大日本帝国憲法では、この主権が天皇にあるとされていました。
日本国憲法下で天皇は、象徴とされています。
◆基本的人権の尊重
○基本的人権とは、人が生まれながらにして持っている権利のことです。例えば生存する権利や自由を求める権利などです。
この権利は最大限に尊重される必要があり、侵すことのできない永久の権利として日本国憲法に規定されています。
◆平和主義
○第2次世界対戦、太平洋戦争を通じて戦争の悲惨さを痛感した日本は、「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を憲法に定めています。
※戦力の不保持とは、軍隊その他の戦力を持たないこと。
※交戦権の否認とは、国家が戦争をする権利を認めないこと。
<引用終わり>
※この短い説明の中に幾つもの「ゴマカシ」があるが、それについては、追々解説する。
尚、「◆平和主義」の部分にある「第2次世界対戦」の「対」は「大」の誤植だと思われる。
(*3):対外的国家主権である主権2)
<3つの主権概念>
主権1):国民および領土を統治する主権。統治権。
主権2):国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う主権。対外的国家主権
主権3):国家の政治を最終的に決定する権利。我が国は国民が投票権他で行使
「主権」を学校で習う場合、上記の主権3)の「主権在民」ばかりを習うのだが、「主権」は1つだけではない。
憲法前文でいう「ここに主権が国民に存することを宣言し」は上記では、主権3)のことである。主権3)の行使により、議会の多数派を選出し、行政の長である首相を選び、国家の政治を決定していく主権である。
我国及びイギリスでは、国民が選挙で選んだ結果の人物に対して、上記主権1)統治権の行使権を委譲する。我国では、現行憲法第6条第1項に、その旨の規定がある。
一方、主権2)は主権国家間での主権概念である。
国民一人々々が持つ主権3)で、北朝鮮に宣戦布告や友好条約締結等の主権2)の行使が出来る訳がないのは常識だ。
(*4):マッカーサー3原則
2016/07/31投稿:
(解説編2)資料・マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-469.html
国立国会図書館資料では日付が1946年2月4日になっているが、3日だと考えている。
今回は、史料と同じ日付で書いている。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/072/072_002l.html
(*5):GHQ原案
国立国会図書館HP資料:GHQ原案
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/147/147tx.html
占領軍GHQがまとめた憲法原案なので、英文である。
資料テキストには日付データは見当たらない。GHQ原案にはPREAMBLE(前文)がある。帝国憲法には明治天皇の告文・詔勅・上諭があるが前文はない。アメリカ憲法には前文があるので、他の条文や章立てに見られる、アメリカ憲法の体裁準拠方式の結果であろうと推定される。後に現行憲法第2章・第9条となる条文はGHQ原案では第1条(ARTICLE I)になっている。
(*6):GHQ草案1946年2月13日
国立国会図書館HP資料:GHQ草案1946年2月13日
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076a_e/076a_etx.htmlこちらも占領軍GHQがまとめた憲法草案なので、英文である。
同資料の日付は2月12日になっているが、日本側が受け取った日付で1946年2月13日になっている。GHQは、日本側の憲法草案(松本案)を拒否し、まったく違う、このGHQ草案を手交し、これで新憲法を制定することを押し付けてきたのである。
GHQ草案は、GHQ原案と同様の前文付であるが、原案では第1条だった現9条は、第2章・第VIII条となっている。



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