続々「国民憲法制定」白寿中曽根、相変わらずです。
- 2017/05/16
- 00:41
続々「国民憲法制定」白寿中曽根、相変わらずです。

副題:中曽根元首相、相変わらずで何よりです。論はご立派です。改憲を封印した現役時代を脇に置いとけば正論です。
前回、前々回からの続きである。
前回=2017/05/13投稿:続「国民憲法制定」白寿中曽根、相変わらずです。
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-669.html
前々回=2017/05/13投稿:「国民憲法制定」白寿中曽根、相変わらずです。
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-668.html
前々回記事の文末脚注(*2)の産経ニュースをモチーフに論評を続けている。適宜、それを引用しながら論評を進める。以下、<>でくくった部分が産経ニュースからの抜粋引用部分である。
8.<○9条に対しては、1項の「戦争放棄」はそのまま残す。2項の戦力不保持と国の交戦権否定は、安全保障環境が厳しくなる中で自分の国は自分で守るという意思を明確に示しておく必要がある。自衛権を認め、自衛隊を自衛軍として正式に承認する必要がある。自衛権は専守防衛であることに変わりはなく、自衛権は個別、集団の区別はなく一体と考えるべきだ。>
↓
中曽根元首相は、最初に「第1項残し」との誤謬を言ってしまっている。
「改憲をする」のなら【我々日本人の手による平和主義の宣言】をすべきなのに、改憲するのに、わざわざ占領基本法・現行憲法の条文を残す必要があるのか?
この「第1項残し」論のそもそもは改憲に際しての「情緒的不安感払拭」「改憲ハードルを下げる論」からのもので、テクニックの話である。
憲法は、実体法の側面と我国理念の成文化との両面を持つのだから、その様なテクニック論ではなく、理念とし【我々日本人の手による平和主義の宣言】を明言すべきである。
何しろ、中曽根元首相は、自身が総理であった時代には改憲を封印したのだから、白寿99歳になり、そういう過去は脇に置き論じているのだから、こんなテクニック論を語る必要はないではないか。
憲法9条第1項は、そもそもが、マッカーサー3原則の二番目の原則「自衛戦争も認めない」「非武装だ」「日本の生殺与奪権(は連合軍の「高い理想」に委ねられ)日本人にはない」を構成する要素の1つである。 上記、マッカーサー3原則は前文、9条第1項、同第2項に分散配置され、今の憲法となっているのである。(*1)
そんな憲法9条第1項を残すとは不見識も甚だしい。
尚、憲法9条第1項に関して「パリ不戦条約に似てる」は真っ赤なウソである。(*2)
パリ不戦条約は、当時の「一等国」である各国が「戦争は放棄しませう」と宣言した相互条約なのだが、現行憲法第9条第1項は「日本だけは戦争放棄」(だから第2項で非武装)とする不当なる差別条項であるのが実態で、まったく似ていない。
更に言えば、「自衛権は専守防衛であることに変わりはなく」の部分も気になる。
「専守防衛」に関して、「最初に日本人が死傷しないと自衛が出来ない」との暴論(*3)が流布されている。中曽根元総理が総理だった時代も「先ず1発殴られろ、自衛はそれからだ」の様な暴論が是正されなかった。
そんな「専守防衛」との言葉を、そのまま使って「変わりはなく」と言ってしまっているのは気になる部分である。
その点以外の、①安全保障環境が厳しくなる中で自分の国は自分で守るという意思を明確に示しておく必要がある。②自衛権を認め、自衛隊を自衛軍として正式に承認する必要がある。③自衛権は個別、集団の区別はなく一体と考えるべきだ。については、まったくにその通り、まことに結構である。
9.<○自衛隊の国際社会への貢献を一層明確にし、国連や地域の安全保障機構の下で国際平和の維持や人道的支援に取り組むための根拠を憲法上明らかにしておく必要がある。国際協力における必要最小限の武力行使や自衛権の発動は国会承認を前提とし、指揮権発動権の首相への帰属、文民統制を明確にした上で民主的統制を担保する必要がある。「国家安全保障基本法」などの一般法の下に、どのような場合にどのような協力をするのか具体的に基準を決めておく必要があろう。>
↓
この部分は、自民党改憲草案及びそのQ&Aに記載してあることをなぞっている部分である。パーツを羅列しているだけで、特に目新しいものはない。
また、内容も妥当な部分であり、特段コメントが必要な部分ではない。
10.<○明治以降、1つの憲法制度のもとに政治経済社会が成熟を迎えるとすれば、太平洋戦争と敗戦を境とする70~80年が1つの周期と考えねばならない。来年の明治150年を考えれば、現行憲法による社会全体の捉え方も見直す時期に来ている>
↓
これは「大きな波70年周期説」を開陳している部分である。
別に、中曽根元首相に言われなくても「70年周期説」は周知であり、特に意味はない。
一方、それを「憲法・改憲」に当てはめるのは如何なものかと思う。
例えば、戦後ドイツの憲法典の座にあるのはドイツ基本法だが、それが出来たのは1949年5月。その後、1955年には早くも「改憲」が行われている。
東西冷戦構造の深刻化から米英仏等は1955年に、西ドイツを再武装(ドイツ連邦軍編制)させ、NATO加盟にて統制下に置いた。
その際、西ドイツは、ドイツ基本法を「改憲」した。
同法・第4章の次に「第4章のa」として防衛事態監査組織規定を新たに設けたことが、その章番号からわかる。
<ドイツ基本法・第4章のa>
Iva: 合同委員会 (Gemeinsamer Ausschuss)
この様に、時代の大きな波と改憲とは、直接的には結び付かない。
戦後70年間も改憲が出来なかった我国が特殊なのである。
それこそ、<現行憲法に非常事態、国家緊急事態に対する十分な条項がないまま今日まで来たのは統治機能の瑕疵・欠落であり、それを放置してきたのは、政治の不作為、怠慢と言わざるをえない。>との中曽根元首相の発言主旨そのものだ。
中曽根元首相の首相在任期間は、1982年11月27日から 1987年11月6日の約5年間である。
初代総理・伊藤博文から130余年、62人の総理大臣の中でも歴代7位の長期政権だった中曽根政権の時代とは、レーガン、ゴルバチョフ、サッチャーと同時代である。
東西冷戦終焉の始まりの時代であるのだが、そんな時代に、改憲に向けた布石を中曽根元首相が用意したとの記憶はない。
東西冷戦終焉の始まり、ソ連崩壊の始まり、そういう時代こそ「大きな波」ではなかったのか?
11.<○特に、安全保障分野では解釈も限界になりつつある。先進国の一員となった日本に、国際社会はその立場にふさわしい役割を求めている。戦争を知る世代にとっては、「戦力不保持」が非現実的なものであることを知る。われわれ世代が消え去った後、戦力放棄条項の独り歩きとともに自縄自縛となることを懸念、心配する。>
↓
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
これはドイツ鉄血宰相ビスマルクの言葉である。
ところが、我が国の元宰相は「戦争の経験なき世代」のことを「経験に学ぶ愚者」扱いしているのである。
ここいら辺が、中曽根元首相のことを「相変わらず」だと感じる理由である。
尚、前段の「安全保障分野では解釈も限界」「日本に、国際社会はその立場にふさわしい役割を求めている」「「戦力不保持」が非現実的なもの」部分に関しては、まことに結構、その通りである。
以上、長くなったので、最後部分に触れて御仕舞と致したい。
12.<○繁栄の代償として日本のさまざまな分野に巣くう欠陥を克服し、新しい国の在り方とともに失った美徳や規範を取り戻すための青写真が必要とされる。それらは憲法に集約される。明治の日本立国以来、初めて国民の手によってつくられた真の主権在民の憲法でなければならない。>
↓
「明治の日本立国以来、初めて国民の手によってつくられた真の主権在民の憲法」との言い回しには違和感を持つ。
まさか「戦後「民主主義」教育」によって流布されている「明治憲法は欽定憲法・現行憲法は民定憲法」なる虚偽(*4)や「戦後になって、日本は初めて民主主義になった」との虚偽を信じている訳でもあるまい。
帝国憲法は、建て付けこそ天皇大権に集約した書き方をしているが、その中身をみると帝国議会選挙を通じた、議会制民主主義体制であり、それは憲政の常道として集積・機能してきたことを元首相がご存じないとは思えない。
知っての通り、帝国憲法制定の歴史に出てくる「民撰議院設立建白書」「自由民権運動」「私擬憲法」との語句からは、当時の国民が「広く会議を起こし万機公論を目指した」ことがわかる。こういう事からは、「明治の日本立国以来、初めて国民の手によってつくられた真の主権在民の憲法」との言い回しには違和感を持つ。
確かに、「私擬憲法」に関しては、検討及び作成は禁じられた経緯があるが、私擬憲法の中には、帝国憲法制定者の一人である井上穀らが出したもの(岩倉具視憲法綱領)もあり、帝国憲法を「欽定憲法だから国民の手によらない」と言いきるのは乱暴である。
また、「真の主権在民の憲法」との表現も危険である。
帝国憲法は、天皇大権に集約する建て付けであるが為に、天皇大権を「輔弼」と称して統治権行使権を誰が担当するのか、の明示がなく、後年、統帥権干犯議論での混乱(*5)が生じたとの欠陥があった。
そして、現行憲法は、あたかも総てが「国民主権」に集約する建て付けで書かれているが為に、帝国憲法と同様の主権概念の混乱がある。
憲法を改正する際には、3つの主権概念(*6)の整理が必須であり、現状のなんでもかんでも「主権在民=国民主権」なる概念の歪みを是正する必要がある。
そういうことから、ことさら「真の主権在民の憲法」を強調することは相応しくない。
中曽根元首相は、産経ニュース記事中で天皇のことを元首とすることに言及していない。
まさか反対なのか?と思ってしまいそうになるが、立憲君主制憲法に反対ではあるまい。そうであるならば、イギリスと同様に、国家統治権者・天皇、統治権行使権は民主主義選挙で選ばれた議会での指名を受けた人物に委ねるとの規定を持った憲法との立憲君主制の基本構造に反対する訳はあるまい。
そういう点が釈然としない記事である。
<最後に>
中曽根元首相が言っていることの多くは正論である。
これが、憲法研究者や憲法学者が言っているのであれば、その多くに「激しく同意」するものである。しかし、これは我国総理大臣を務め、その間、改憲に封印をして政権運営をした元首相の言葉であり、その点を脇に置いた論であり、どうも釈然としないのである。
そして、あの時代以降も改憲は実現しないまま時代は流れ、現在に至っているのである。
とは言え、現状、戦後初めて真面目に憲法の中身・理念を考える政権となっているのだから、所謂「護憲派」・パヨクが妨害の為に提示するデタラメ・神学論争とは違う、まともな憲法論議を活性化していきたいと考えている。
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【文末脚注】
(*1):マッカーサー3原則は前文、9条第1項、同第2項に分散配置されている。
2016/07/31投稿:
(解説編2)資料・マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-469.html
マッカーサー原則Ⅱ-1
①War as a sovereign right of the nation is abolished.
②Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security.
③It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.
日本は、①基本的国家主権である交戦権を放棄=国家主権としての戦争は撤廃される。
②紛争解決の手段としての戦争のみならず、自身を守る自衛の為の自衛戦争も放棄する。③今や世界を席巻する「より高い理想」を当てにして日本は自身の防衛と防護を、それに委ねます。
(*2):「パリ不戦条約に似てる」は真っ赤なウソ
2016/05/18投稿:
憲法9条第1項を読む1
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-415.html
2016/05/19投稿:
憲法9条第1項を読む2
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-416.html
2016/05/20投稿:
憲法9条第1項を読む3
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-417.html
(*3):「最初に日本人が死傷しないと自衛が出来ない」との暴論
2015/04/05投稿:
【コラム】「専守防衛」は生贄欲する悪魔教の呪文
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-71.html
(*4):「民定憲法」との欺瞞
2015/10/18投稿:
【コラム】欽定憲法・民定憲法
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-235.html
(*5):帝国憲法の欠陥・統帥権干犯事件の誤謬
2017/02/26投稿:
2.26事件考6Final(考察編3):統帥権干犯問題
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-614.html
副題:何故、青年将校達は決起したのか? それを蹶起趣意書を読み解き考察する。青年将校が考えていた天皇大権の僭窃・ロンドン軍縮条約=統帥権干犯は正しいのか?
(*6):3つの主権概念
<3つの主権概念>
1)国民および領土を統治する国家の権力。統治権。
2)国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利。国家主権。
3)国家の政治を最終的に決定する権利。国民主権。
我国の統治権者は天皇。それ故に、統治権行使権のうち、行政権を国会で首班指名を受けた人物を総理に任命し委ねることが現行憲法第6条第1項に規定されており、司法権を内閣の指名に基づき、最高裁長官に委ねることが同条第2項に規定されている。
<現行憲法:第6条>
天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
同第2項 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
<以上>
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副題:中曽根元首相、相変わらずで何よりです。論はご立派です。改憲を封印した現役時代を脇に置いとけば正論です。
前回、前々回からの続きである。
前回=2017/05/13投稿:続「国民憲法制定」白寿中曽根、相変わらずです。
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-669.html
前々回=2017/05/13投稿:「国民憲法制定」白寿中曽根、相変わらずです。
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-668.html
前々回記事の文末脚注(*2)の産経ニュースをモチーフに論評を続けている。適宜、それを引用しながら論評を進める。以下、<>でくくった部分が産経ニュースからの抜粋引用部分である。
8.<○9条に対しては、1項の「戦争放棄」はそのまま残す。2項の戦力不保持と国の交戦権否定は、安全保障環境が厳しくなる中で自分の国は自分で守るという意思を明確に示しておく必要がある。自衛権を認め、自衛隊を自衛軍として正式に承認する必要がある。自衛権は専守防衛であることに変わりはなく、自衛権は個別、集団の区別はなく一体と考えるべきだ。>
↓
中曽根元首相は、最初に「第1項残し」との誤謬を言ってしまっている。
「改憲をする」のなら【我々日本人の手による平和主義の宣言】をすべきなのに、改憲するのに、わざわざ占領基本法・現行憲法の条文を残す必要があるのか?
この「第1項残し」論のそもそもは改憲に際しての「情緒的不安感払拭」「改憲ハードルを下げる論」からのもので、テクニックの話である。
憲法は、実体法の側面と我国理念の成文化との両面を持つのだから、その様なテクニック論ではなく、理念とし【我々日本人の手による平和主義の宣言】を明言すべきである。
何しろ、中曽根元首相は、自身が総理であった時代には改憲を封印したのだから、白寿99歳になり、そういう過去は脇に置き論じているのだから、こんなテクニック論を語る必要はないではないか。
憲法9条第1項は、そもそもが、マッカーサー3原則の二番目の原則「自衛戦争も認めない」「非武装だ」「日本の生殺与奪権(は連合軍の「高い理想」に委ねられ)日本人にはない」を構成する要素の1つである。 上記、マッカーサー3原則は前文、9条第1項、同第2項に分散配置され、今の憲法となっているのである。(*1)
そんな憲法9条第1項を残すとは不見識も甚だしい。
尚、憲法9条第1項に関して「パリ不戦条約に似てる」は真っ赤なウソである。(*2)
パリ不戦条約は、当時の「一等国」である各国が「戦争は放棄しませう」と宣言した相互条約なのだが、現行憲法第9条第1項は「日本だけは戦争放棄」(だから第2項で非武装)とする不当なる差別条項であるのが実態で、まったく似ていない。
更に言えば、「自衛権は専守防衛であることに変わりはなく」の部分も気になる。
「専守防衛」に関して、「最初に日本人が死傷しないと自衛が出来ない」との暴論(*3)が流布されている。中曽根元総理が総理だった時代も「先ず1発殴られろ、自衛はそれからだ」の様な暴論が是正されなかった。
そんな「専守防衛」との言葉を、そのまま使って「変わりはなく」と言ってしまっているのは気になる部分である。
その点以外の、①安全保障環境が厳しくなる中で自分の国は自分で守るという意思を明確に示しておく必要がある。②自衛権を認め、自衛隊を自衛軍として正式に承認する必要がある。③自衛権は個別、集団の区別はなく一体と考えるべきだ。については、まったくにその通り、まことに結構である。
9.<○自衛隊の国際社会への貢献を一層明確にし、国連や地域の安全保障機構の下で国際平和の維持や人道的支援に取り組むための根拠を憲法上明らかにしておく必要がある。国際協力における必要最小限の武力行使や自衛権の発動は国会承認を前提とし、指揮権発動権の首相への帰属、文民統制を明確にした上で民主的統制を担保する必要がある。「国家安全保障基本法」などの一般法の下に、どのような場合にどのような協力をするのか具体的に基準を決めておく必要があろう。>
↓
この部分は、自民党改憲草案及びそのQ&Aに記載してあることをなぞっている部分である。パーツを羅列しているだけで、特に目新しいものはない。
また、内容も妥当な部分であり、特段コメントが必要な部分ではない。
10.<○明治以降、1つの憲法制度のもとに政治経済社会が成熟を迎えるとすれば、太平洋戦争と敗戦を境とする70~80年が1つの周期と考えねばならない。来年の明治150年を考えれば、現行憲法による社会全体の捉え方も見直す時期に来ている>
↓
これは「大きな波70年周期説」を開陳している部分である。
別に、中曽根元首相に言われなくても「70年周期説」は周知であり、特に意味はない。
一方、それを「憲法・改憲」に当てはめるのは如何なものかと思う。
例えば、戦後ドイツの憲法典の座にあるのはドイツ基本法だが、それが出来たのは1949年5月。その後、1955年には早くも「改憲」が行われている。
東西冷戦構造の深刻化から米英仏等は1955年に、西ドイツを再武装(ドイツ連邦軍編制)させ、NATO加盟にて統制下に置いた。
その際、西ドイツは、ドイツ基本法を「改憲」した。
同法・第4章の次に「第4章のa」として防衛事態監査組織規定を新たに設けたことが、その章番号からわかる。
<ドイツ基本法・第4章のa>
Iva: 合同委員会 (Gemeinsamer Ausschuss)
この様に、時代の大きな波と改憲とは、直接的には結び付かない。
戦後70年間も改憲が出来なかった我国が特殊なのである。
それこそ、<現行憲法に非常事態、国家緊急事態に対する十分な条項がないまま今日まで来たのは統治機能の瑕疵・欠落であり、それを放置してきたのは、政治の不作為、怠慢と言わざるをえない。>との中曽根元首相の発言主旨そのものだ。
中曽根元首相の首相在任期間は、1982年11月27日から 1987年11月6日の約5年間である。
初代総理・伊藤博文から130余年、62人の総理大臣の中でも歴代7位の長期政権だった中曽根政権の時代とは、レーガン、ゴルバチョフ、サッチャーと同時代である。
東西冷戦終焉の始まりの時代であるのだが、そんな時代に、改憲に向けた布石を中曽根元首相が用意したとの記憶はない。
東西冷戦終焉の始まり、ソ連崩壊の始まり、そういう時代こそ「大きな波」ではなかったのか?
11.<○特に、安全保障分野では解釈も限界になりつつある。先進国の一員となった日本に、国際社会はその立場にふさわしい役割を求めている。戦争を知る世代にとっては、「戦力不保持」が非現実的なものであることを知る。われわれ世代が消え去った後、戦力放棄条項の独り歩きとともに自縄自縛となることを懸念、心配する。>
↓
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
これはドイツ鉄血宰相ビスマルクの言葉である。
ところが、我が国の元宰相は「戦争の経験なき世代」のことを「経験に学ぶ愚者」扱いしているのである。
ここいら辺が、中曽根元首相のことを「相変わらず」だと感じる理由である。
尚、前段の「安全保障分野では解釈も限界」「日本に、国際社会はその立場にふさわしい役割を求めている」「「戦力不保持」が非現実的なもの」部分に関しては、まことに結構、その通りである。
以上、長くなったので、最後部分に触れて御仕舞と致したい。
12.<○繁栄の代償として日本のさまざまな分野に巣くう欠陥を克服し、新しい国の在り方とともに失った美徳や規範を取り戻すための青写真が必要とされる。それらは憲法に集約される。明治の日本立国以来、初めて国民の手によってつくられた真の主権在民の憲法でなければならない。>
↓
「明治の日本立国以来、初めて国民の手によってつくられた真の主権在民の憲法」との言い回しには違和感を持つ。
まさか「戦後「民主主義」教育」によって流布されている「明治憲法は欽定憲法・現行憲法は民定憲法」なる虚偽(*4)や「戦後になって、日本は初めて民主主義になった」との虚偽を信じている訳でもあるまい。
帝国憲法は、建て付けこそ天皇大権に集約した書き方をしているが、その中身をみると帝国議会選挙を通じた、議会制民主主義体制であり、それは憲政の常道として集積・機能してきたことを元首相がご存じないとは思えない。
知っての通り、帝国憲法制定の歴史に出てくる「民撰議院設立建白書」「自由民権運動」「私擬憲法」との語句からは、当時の国民が「広く会議を起こし万機公論を目指した」ことがわかる。こういう事からは、「明治の日本立国以来、初めて国民の手によってつくられた真の主権在民の憲法」との言い回しには違和感を持つ。
確かに、「私擬憲法」に関しては、検討及び作成は禁じられた経緯があるが、私擬憲法の中には、帝国憲法制定者の一人である井上穀らが出したもの(岩倉具視憲法綱領)もあり、帝国憲法を「欽定憲法だから国民の手によらない」と言いきるのは乱暴である。
また、「真の主権在民の憲法」との表現も危険である。
帝国憲法は、天皇大権に集約する建て付けであるが為に、天皇大権を「輔弼」と称して統治権行使権を誰が担当するのか、の明示がなく、後年、統帥権干犯議論での混乱(*5)が生じたとの欠陥があった。
そして、現行憲法は、あたかも総てが「国民主権」に集約する建て付けで書かれているが為に、帝国憲法と同様の主権概念の混乱がある。
憲法を改正する際には、3つの主権概念(*6)の整理が必須であり、現状のなんでもかんでも「主権在民=国民主権」なる概念の歪みを是正する必要がある。
そういうことから、ことさら「真の主権在民の憲法」を強調することは相応しくない。
中曽根元首相は、産経ニュース記事中で天皇のことを元首とすることに言及していない。
まさか反対なのか?と思ってしまいそうになるが、立憲君主制憲法に反対ではあるまい。そうであるならば、イギリスと同様に、国家統治権者・天皇、統治権行使権は民主主義選挙で選ばれた議会での指名を受けた人物に委ねるとの規定を持った憲法との立憲君主制の基本構造に反対する訳はあるまい。
そういう点が釈然としない記事である。
<最後に>
中曽根元首相が言っていることの多くは正論である。
これが、憲法研究者や憲法学者が言っているのであれば、その多くに「激しく同意」するものである。しかし、これは我国総理大臣を務め、その間、改憲に封印をして政権運営をした元首相の言葉であり、その点を脇に置いた論であり、どうも釈然としないのである。
そして、あの時代以降も改憲は実現しないまま時代は流れ、現在に至っているのである。
とは言え、現状、戦後初めて真面目に憲法の中身・理念を考える政権となっているのだから、所謂「護憲派」・パヨクが妨害の為に提示するデタラメ・神学論争とは違う、まともな憲法論議を活性化していきたいと考えている。
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【文末脚注】
(*1):マッカーサー3原則は前文、9条第1項、同第2項に分散配置されている。
2016/07/31投稿:
(解説編2)資料・マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-469.html
マッカーサー原則Ⅱ-1
①War as a sovereign right of the nation is abolished.
②Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security.
③It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.
日本は、①基本的国家主権である交戦権を放棄=国家主権としての戦争は撤廃される。
②紛争解決の手段としての戦争のみならず、自身を守る自衛の為の自衛戦争も放棄する。③今や世界を席巻する「より高い理想」を当てにして日本は自身の防衛と防護を、それに委ねます。
(*2):「パリ不戦条約に似てる」は真っ赤なウソ
2016/05/18投稿:
憲法9条第1項を読む1
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-415.html
2016/05/19投稿:
憲法9条第1項を読む2
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-416.html
2016/05/20投稿:
憲法9条第1項を読む3
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-417.html
(*3):「最初に日本人が死傷しないと自衛が出来ない」との暴論
2015/04/05投稿:
【コラム】「専守防衛」は生贄欲する悪魔教の呪文
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-71.html
(*4):「民定憲法」との欺瞞
2015/10/18投稿:
【コラム】欽定憲法・民定憲法
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-235.html
(*5):帝国憲法の欠陥・統帥権干犯事件の誤謬
2017/02/26投稿:
2.26事件考6Final(考察編3):統帥権干犯問題
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-614.html
副題:何故、青年将校達は決起したのか? それを蹶起趣意書を読み解き考察する。青年将校が考えていた天皇大権の僭窃・ロンドン軍縮条約=統帥権干犯は正しいのか?
(*6):3つの主権概念
<3つの主権概念>
1)国民および領土を統治する国家の権力。統治権。
2)国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利。国家主権。
3)国家の政治を最終的に決定する権利。国民主権。
我国の統治権者は天皇。それ故に、統治権行使権のうち、行政権を国会で首班指名を受けた人物を総理に任命し委ねることが現行憲法第6条第1項に規定されており、司法権を内閣の指名に基づき、最高裁長官に委ねることが同条第2項に規定されている。
<現行憲法:第6条>
天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
同第2項 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
<以上>



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