続「国民憲法制定」白寿中曽根、相変わらずです。
- 2017/05/15
- 01:25
続「国民憲法制定」白寿中曽根、相変わらずです。

副題:今年5月27日で99歳になる中曽根元首相。相変わらずで何よりです。論はご立派です。
前回からの続きである。
前回=2017/05/13投稿:
「国民憲法制定」白寿中曽根、相変わらずです。
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-668.html
前回記事の文末脚注(*2)の産経ニュースをモチーフに論評を続けている。適宜、それを引用しながら論評を進める。以下、<>でくくった部分が産経ニュースからの抜粋引用部分である。
4.<○主権者たる日本民族の意志や在り方が国民に問われることもなく改正は進められ、強い疑問と義憤を覚えずにはいられなかった。日本の歴史にとって汚点ともいうべき敗戦と占領という状況から一日も早く抜け出し、日本を独立させ国際社会に復帰させることが、私にとって政治的大目標であった。二度とあのような悲劇を起こさぬ意味でも、国家統治の根幹をなす憲法はもっとも重要であると考えてきた。>
↓
前回迄の史実提示とは違い、ここからは、かなり中曽根元首相の想いが強く出ている部分となる。とは言え、上記引用の方向性自体は正しい。
正しい部分としては、以下があげられる。
①:主権者たる日本民族の意志や在り方が国民に問われることもなく改正は進められ
②:国家統治の根幹をなす憲法はもっとも重要である
逆に言えば、それ以外のところは、中曽根元首相の思い入れ・主観である。
中曽根元首相の首相在任期間は、1982年11月27日から 1987年11月6日の約5年間である。
田中角栄以降の三角大福時代は2年程度で総理の座が、まるで持ちまわりの様に代わっていた時代にあっては長期政権と言って良いだろう。実際に、歴代総理のうち、在職期間が1500日以上の8人の総理の内の一人である。(*1)
中曽根元首相がここで、自身の「政治的大目標」と言っている部分は2点である。
①:敗戦と占領という状況から一日も早く抜け出し、日本を独立させ国際社会に復帰させること
②:二度とあのような悲劇を起こさぬ意味でも、国家統治の根幹をなす憲法はもっとも重要であると考えてきた
最初の①の部分は、主権回復の意味だけではなく、戦後、現行憲法の下で劣後させられてきた我国のことを言っているのであろう。そういう意味で、その思いは正しい。
その軛となっているのが現行憲法であるとの②の部分の認識も正しいのだが、長期政権だった中曽根元総理は、自身が総理の座にあった時の、改憲を一度も明言していないのである。改憲に資する具体的動きはぜずに政権を終えている。
5.<○法治国家では、国民の権利は国家権力の裏付けと保証なしには機能しない。国家が緊急的な危機に直面したときに、混乱を回避し速やかな国民生活の復旧を図るためにも個々の権利が一時的に制約されることはあってしかるべきだ。>
↓
この部分は、憲法改正に関する議論を知らないと、何のことかわからない一般論に聞こえるだろう。これは、自民党改憲草案で提示されている第3章・国民の権利及び義務の改正案及び第9章・緊急事態の条文案に対する、所謂「護憲派」・パヨクからの的外れな批判難癖のことを言っているのである。
自民党改憲草案に関しては以前に論評済であるが、その中で第3章・国民の権利及び義務部分の改正案に関して、所謂「護憲派」・パヨクは、「個人の自由・各自の人権を蔑ろにするものだぁ」とのレッテル貼りをして、あたかも自民党改憲草案が「危険だぁ」との印象操作をしているので、中曽根元首相は、そのことを取り上げ「個々の権利が一時的に制約されることはあってしかるべき」とサラット言ってのけている。まことに結構、その通りである。
実例として、第3章・国民の権利及び義務の部分の自民党改憲草案の条文案及び現行憲法条文を紹介する。
<事例1>
第12条(国民の責務):この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、【自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、】常に公益【及び公の秩序】に反してはならない。
: :
第12条:この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
<事例2>
第13条(人としての尊重等):全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益【及び公の秩序】に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない
: :
第13条:すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
上記事例の上段が自民党改憲草案で、下段が現行憲法である。
改訂部分を【】で表示してあるが、これに対して所謂「護憲派」・パヨクは「個人の自由・各自の人権を蔑ろにするものだぁ」とのレッテル貼りをしているのである。
どうやら「公の秩序」よりも、自分勝手に振る舞うとの「人権」が大事で、自由及び権利だけが重要で、責任及び義務を負うことは「人権侵害」になるそうだ(笑)
同様、現行憲法になる際に「軍」とともに削除された「緊急事態条項」が復活したことを「戦争になるぅ危険な条項が復活するぅ」とのデマを流している。
緊急事態条項が危険な条項ならば、戦後の、ドイツ、フランス等の欧州先進諸国憲法に存在しているのか?
答えは、法治主義の貫徹の為には必須の条項だからだ。緊急事態=有事には「超法規」なんてやっていたら、法治主義が吹っ飛んでしまうからだ。
ここいら辺は、一言二言では、納得性ある説明が難しい問題なので、所謂「護憲派」・パヨクは、そこを突いて、盛んにインチキ印象操作を仕掛けてきている。
それらの印象操作に対しては、都度、理を以て説明しているので、それらを再読いただきたい。
そのうちの代表的論考を以下に紹介する。
①:第3章・国民の権利及び義務の部分
2015/10/21投稿:
【コラム】「人権」の制限は「人権」を守る為の手段
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-237.html
②:第9章・緊急事態条項関係
2016/07/22投稿:
緊急事態条項の必要性1
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-462.html
2016/07/23投稿:
緊急事態条項の必要性2:緊急事態条項
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-463.html
2016/07/25投稿:
緊急事態条項の必要性3:緊急事態条項
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-465.html
実際に内容の説明をすると、かなりの文書量となるので、中曽根元首相は、その結論部分だけを取り上げ「個々の権利が一時的に制約されることはあってしかるべき」とサラット言ってのけている。まことに結構、その通りである。
6.<○国防、テロ、大規模自然災害等の緊急事態に対しては首相へ一時的に権力を集中させ、基本的人権の制約など憲法条項の一時的停止を可能とする。緊急事態条項の独り歩きを許さないためにも、政府に対する国会の事前事後の承認手続きを必要とする。現行憲法に非常事態、国家緊急事態に対する十分な条項がないまま今日まで来たのは統治機能の瑕疵(かし)欠落であり、放置する責任は政治の不作為、怠慢と言わざるをえない。>
↓
この部分は、上記「5.」の続き部分である。
ポイントその1は「緊急事態条項の独り歩きを許さないためにも、政府に対する国会の事前事後の承認手続きを必要とする。」との指摘である。
これは、自民党改憲草案の第9章・緊急事態の条文案にある緊急事態継続可否承認機能のことである。
これは、先に述べた、ドイツ、フランス等の緊急事態条項にもあるが、逆に言えば、そういう規定は緊急事態条項には必須のワンセットであり当たり前の話なのだが、一般の認知は進んでおらず、中曽根元首相は、この点を述べたのだと思われる。
議会による緊急事態継続可否承認機能の必要性については、タグ「緊急事態条項」(*2)のシリーズで説明しているので、そちらをご覧いただきたい。
この部分のポイントその2は「現行憲法に非常事態、国家緊急事態に対する十分な条項がないまま今日まで来たのは統治機能の瑕疵(かし)欠落」である。
中曽根元首相の指摘は、まったくその通りである。
しかし、この一文の後に中曽根首相「放置する責任は政治の不作為、怠慢と言わざるをえない。」とご自身のことを棚に上げ、指摘している。
指摘自体は、まったくその通り、適切であるのだが、ご自身が5年間も首相の座にあったのに、まったく改憲について触れることがなかったことは放置、不作為、怠慢ではないのか?
ここいら辺が、中曽根元首相のことを「相変わらず」だと感じる由縁である。
7.<○マッカーサーの虎の威を借り推し進めようとした平和主義も朝鮮戦争の勃発や東西冷戦によってもろくも形骸化し、国家にとって重要な国防の位置づけを曖昧にしてしまった。自衛のための国防を憲法の中にしっかりと位置づけるべきだ。>
↓
最後の部分にある「自衛のための国防を憲法の中にしっかりと位置づけるべき」に関しては、その通りであり全面的に賛成なのだが、その前段はちょっと理解し難い。
歴史的事実は、現行憲法(非武装9条)の押し付けも、それを無視しての警察予備隊(自衛隊の前身)創設・再武装も、主権回復前の段階で、マッカーサー命令で行われたものである。それを「虎の威を借り」と表現するのは奇妙である。
この表現が成り立つのは、憲法9条を逆手にとった吉田ドクトリンに対する批判の場合だけであるが、中曽根元首相は、吉田ドクトリンを批判しているのであろうか?
もしもそうだとしたら、あの占領下主権喪失の時代に、あれ以上の政策は難しく、的外れである。そうではなく、主権回復後も吉田ドクトリンを継続したことを批判しているのであろうか?仮にそうだとしたら、憲法9条を逆手にとった吉田ドクトリンを何時改訂すれば良かったと中曽根元首相は考えているのであろうか?
主権回復時の1952年?、ベトナム戦争が終了した1975年?、それとも東西冷戦が終わる1989年?、ソ連崩壊の1991年?
中曽根元首相の首相在任期間は、1982年11月27日から 1987年11月6日の約5年間である。
ご自身が総理の座にあった期間中に、改憲を封印していたことを棚に上げた話であり、ここいら辺が、中曽根元首相のことを「相変わらず」だと感じる由縁である。
<長くなったので項を分けます>
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【文末脚注】
(*1):歴代総理の在職日数
○2000日以上
・桂太郎(明治期)
・佐藤栄作(戦後昭和期)
・伊藤博文(明治期)
・吉田茂(戦後昭和期)
○1500日以上
・安倍普三(現役総理更新中)
・小泉純一郎(平成)
・中曽根康弘(戦後昭和期) ←ここ
・池田 勇人(戦後昭和期)
(*2):緊急事態条項
タグ:「緊急事態条項」
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-category-9.html
現在の新聞・テレビ等は、所謂カタカナ「サヨク」の論調一辺倒になっており、客観的事実を報道せずに、ネジ曲げた偽りを「報道」する。その典型が、この自民党案第9章・緊急事態条項だ。
緊急事態条項は、有事・緊急時に於いても法治主義を守る為の条項であり、むしろ、緊急事態条項がない事により、法治主義から逸脱したり、平時の規定に縛られ国民を守れない事態に陥る危険性がある。そもそも、各種法令は平時を想定して立法される。
ところが、有事・緊急時には、平時想定法令の規則が、国民を守るとの大目的の邪魔をして、かえって国民の安全を妨げる事態も発生する。それを法治主義を貫徹しながら避けるのが緊急事態条項である。
一方、緊急事態対応を長期に継続すると、政権への権力集中期間が長期するとの弊害も生まれるので、緊急事態条項には必ず、議会等に緊急事態継続可否承認機能を持たせる条文となっている。それは、あのワイマール憲法でも同様である。
タグ:「緊急事態条項」の最初の投稿
2016/03/20投稿:
【コラム】報ステ「ワイマール憲法」の笑止千万
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-366.html
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副題:今年5月27日で99歳になる中曽根元首相。相変わらずで何よりです。論はご立派です。
前回からの続きである。
前回=2017/05/13投稿:
「国民憲法制定」白寿中曽根、相変わらずです。
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-668.html
前回記事の文末脚注(*2)の産経ニュースをモチーフに論評を続けている。適宜、それを引用しながら論評を進める。以下、<>でくくった部分が産経ニュースからの抜粋引用部分である。
4.<○主権者たる日本民族の意志や在り方が国民に問われることもなく改正は進められ、強い疑問と義憤を覚えずにはいられなかった。日本の歴史にとって汚点ともいうべき敗戦と占領という状況から一日も早く抜け出し、日本を独立させ国際社会に復帰させることが、私にとって政治的大目標であった。二度とあのような悲劇を起こさぬ意味でも、国家統治の根幹をなす憲法はもっとも重要であると考えてきた。>
↓
前回迄の史実提示とは違い、ここからは、かなり中曽根元首相の想いが強く出ている部分となる。とは言え、上記引用の方向性自体は正しい。
正しい部分としては、以下があげられる。
①:主権者たる日本民族の意志や在り方が国民に問われることもなく改正は進められ
②:国家統治の根幹をなす憲法はもっとも重要である
逆に言えば、それ以外のところは、中曽根元首相の思い入れ・主観である。
中曽根元首相の首相在任期間は、1982年11月27日から 1987年11月6日の約5年間である。
田中角栄以降の三角大福時代は2年程度で総理の座が、まるで持ちまわりの様に代わっていた時代にあっては長期政権と言って良いだろう。実際に、歴代総理のうち、在職期間が1500日以上の8人の総理の内の一人である。(*1)
中曽根元首相がここで、自身の「政治的大目標」と言っている部分は2点である。
①:敗戦と占領という状況から一日も早く抜け出し、日本を独立させ国際社会に復帰させること
②:二度とあのような悲劇を起こさぬ意味でも、国家統治の根幹をなす憲法はもっとも重要であると考えてきた
最初の①の部分は、主権回復の意味だけではなく、戦後、現行憲法の下で劣後させられてきた我国のことを言っているのであろう。そういう意味で、その思いは正しい。
その軛となっているのが現行憲法であるとの②の部分の認識も正しいのだが、長期政権だった中曽根元総理は、自身が総理の座にあった時の、改憲を一度も明言していないのである。改憲に資する具体的動きはぜずに政権を終えている。
5.<○法治国家では、国民の権利は国家権力の裏付けと保証なしには機能しない。国家が緊急的な危機に直面したときに、混乱を回避し速やかな国民生活の復旧を図るためにも個々の権利が一時的に制約されることはあってしかるべきだ。>
↓
この部分は、憲法改正に関する議論を知らないと、何のことかわからない一般論に聞こえるだろう。これは、自民党改憲草案で提示されている第3章・国民の権利及び義務の改正案及び第9章・緊急事態の条文案に対する、所謂「護憲派」・パヨクからの的外れな批判難癖のことを言っているのである。
自民党改憲草案に関しては以前に論評済であるが、その中で第3章・国民の権利及び義務部分の改正案に関して、所謂「護憲派」・パヨクは、「個人の自由・各自の人権を蔑ろにするものだぁ」とのレッテル貼りをして、あたかも自民党改憲草案が「危険だぁ」との印象操作をしているので、中曽根元首相は、そのことを取り上げ「個々の権利が一時的に制約されることはあってしかるべき」とサラット言ってのけている。まことに結構、その通りである。
実例として、第3章・国民の権利及び義務の部分の自民党改憲草案の条文案及び現行憲法条文を紹介する。
<事例1>
第12条(国民の責務):この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、【自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、】常に公益【及び公の秩序】に反してはならない。
: :
第12条:この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
<事例2>
第13条(人としての尊重等):全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益【及び公の秩序】に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない
: :
第13条:すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
上記事例の上段が自民党改憲草案で、下段が現行憲法である。
改訂部分を【】で表示してあるが、これに対して所謂「護憲派」・パヨクは「個人の自由・各自の人権を蔑ろにするものだぁ」とのレッテル貼りをしているのである。
どうやら「公の秩序」よりも、自分勝手に振る舞うとの「人権」が大事で、自由及び権利だけが重要で、責任及び義務を負うことは「人権侵害」になるそうだ(笑)
同様、現行憲法になる際に「軍」とともに削除された「緊急事態条項」が復活したことを「戦争になるぅ危険な条項が復活するぅ」とのデマを流している。
緊急事態条項が危険な条項ならば、戦後の、ドイツ、フランス等の欧州先進諸国憲法に存在しているのか?
答えは、法治主義の貫徹の為には必須の条項だからだ。緊急事態=有事には「超法規」なんてやっていたら、法治主義が吹っ飛んでしまうからだ。
ここいら辺は、一言二言では、納得性ある説明が難しい問題なので、所謂「護憲派」・パヨクは、そこを突いて、盛んにインチキ印象操作を仕掛けてきている。
それらの印象操作に対しては、都度、理を以て説明しているので、それらを再読いただきたい。
そのうちの代表的論考を以下に紹介する。
①:第3章・国民の権利及び義務の部分
2015/10/21投稿:
【コラム】「人権」の制限は「人権」を守る為の手段
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-237.html
②:第9章・緊急事態条項関係
2016/07/22投稿:
緊急事態条項の必要性1
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-462.html
2016/07/23投稿:
緊急事態条項の必要性2:緊急事態条項
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-463.html
2016/07/25投稿:
緊急事態条項の必要性3:緊急事態条項
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-465.html
実際に内容の説明をすると、かなりの文書量となるので、中曽根元首相は、その結論部分だけを取り上げ「個々の権利が一時的に制約されることはあってしかるべき」とサラット言ってのけている。まことに結構、その通りである。
6.<○国防、テロ、大規模自然災害等の緊急事態に対しては首相へ一時的に権力を集中させ、基本的人権の制約など憲法条項の一時的停止を可能とする。緊急事態条項の独り歩きを許さないためにも、政府に対する国会の事前事後の承認手続きを必要とする。現行憲法に非常事態、国家緊急事態に対する十分な条項がないまま今日まで来たのは統治機能の瑕疵(かし)欠落であり、放置する責任は政治の不作為、怠慢と言わざるをえない。>
↓
この部分は、上記「5.」の続き部分である。
ポイントその1は「緊急事態条項の独り歩きを許さないためにも、政府に対する国会の事前事後の承認手続きを必要とする。」との指摘である。
これは、自民党改憲草案の第9章・緊急事態の条文案にある緊急事態継続可否承認機能のことである。
これは、先に述べた、ドイツ、フランス等の緊急事態条項にもあるが、逆に言えば、そういう規定は緊急事態条項には必須のワンセットであり当たり前の話なのだが、一般の認知は進んでおらず、中曽根元首相は、この点を述べたのだと思われる。
議会による緊急事態継続可否承認機能の必要性については、タグ「緊急事態条項」(*2)のシリーズで説明しているので、そちらをご覧いただきたい。
この部分のポイントその2は「現行憲法に非常事態、国家緊急事態に対する十分な条項がないまま今日まで来たのは統治機能の瑕疵(かし)欠落」である。
中曽根元首相の指摘は、まったくその通りである。
しかし、この一文の後に中曽根首相「放置する責任は政治の不作為、怠慢と言わざるをえない。」とご自身のことを棚に上げ、指摘している。
指摘自体は、まったくその通り、適切であるのだが、ご自身が5年間も首相の座にあったのに、まったく改憲について触れることがなかったことは放置、不作為、怠慢ではないのか?
ここいら辺が、中曽根元首相のことを「相変わらず」だと感じる由縁である。
7.<○マッカーサーの虎の威を借り推し進めようとした平和主義も朝鮮戦争の勃発や東西冷戦によってもろくも形骸化し、国家にとって重要な国防の位置づけを曖昧にしてしまった。自衛のための国防を憲法の中にしっかりと位置づけるべきだ。>
↓
最後の部分にある「自衛のための国防を憲法の中にしっかりと位置づけるべき」に関しては、その通りであり全面的に賛成なのだが、その前段はちょっと理解し難い。
歴史的事実は、現行憲法(非武装9条)の押し付けも、それを無視しての警察予備隊(自衛隊の前身)創設・再武装も、主権回復前の段階で、マッカーサー命令で行われたものである。それを「虎の威を借り」と表現するのは奇妙である。
この表現が成り立つのは、憲法9条を逆手にとった吉田ドクトリンに対する批判の場合だけであるが、中曽根元首相は、吉田ドクトリンを批判しているのであろうか?
もしもそうだとしたら、あの占領下主権喪失の時代に、あれ以上の政策は難しく、的外れである。そうではなく、主権回復後も吉田ドクトリンを継続したことを批判しているのであろうか?仮にそうだとしたら、憲法9条を逆手にとった吉田ドクトリンを何時改訂すれば良かったと中曽根元首相は考えているのであろうか?
主権回復時の1952年?、ベトナム戦争が終了した1975年?、それとも東西冷戦が終わる1989年?、ソ連崩壊の1991年?
中曽根元首相の首相在任期間は、1982年11月27日から 1987年11月6日の約5年間である。
ご自身が総理の座にあった期間中に、改憲を封印していたことを棚に上げた話であり、ここいら辺が、中曽根元首相のことを「相変わらず」だと感じる由縁である。
<長くなったので項を分けます>
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【文末脚注】
(*1):歴代総理の在職日数
○2000日以上
・桂太郎(明治期)
・佐藤栄作(戦後昭和期)
・伊藤博文(明治期)
・吉田茂(戦後昭和期)
○1500日以上
・安倍普三(現役総理更新中)
・小泉純一郎(平成)
・中曽根康弘(戦後昭和期) ←ここ
・池田 勇人(戦後昭和期)
(*2):緊急事態条項
タグ:「緊急事態条項」
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-category-9.html
現在の新聞・テレビ等は、所謂カタカナ「サヨク」の論調一辺倒になっており、客観的事実を報道せずに、ネジ曲げた偽りを「報道」する。その典型が、この自民党案第9章・緊急事態条項だ。
緊急事態条項は、有事・緊急時に於いても法治主義を守る為の条項であり、むしろ、緊急事態条項がない事により、法治主義から逸脱したり、平時の規定に縛られ国民を守れない事態に陥る危険性がある。そもそも、各種法令は平時を想定して立法される。
ところが、有事・緊急時には、平時想定法令の規則が、国民を守るとの大目的の邪魔をして、かえって国民の安全を妨げる事態も発生する。それを法治主義を貫徹しながら避けるのが緊急事態条項である。
一方、緊急事態対応を長期に継続すると、政権への権力集中期間が長期するとの弊害も生まれるので、緊急事態条項には必ず、議会等に緊急事態継続可否承認機能を持たせる条文となっている。それは、あのワイマール憲法でも同様である。
タグ:「緊急事態条項」の最初の投稿
2016/03/20投稿:
【コラム】報ステ「ワイマール憲法」の笑止千万
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-366.html



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