リスクマネジメント
- 2017/04/19
- 19:14
リスクマネジメント

副題:物事は両方の目で見て考えることが大事なの。
リスクマネジメントとは「危機管理」のことである。
名称知識として、「リスクマネジメント」「危機管理」の語句は知られているが、今回は、その内容の説明である。
「リスクマネジメント」と言った場合、一般的には、それを実行する「Who」は「組織」だとされている。個人々々が日常的に行っている無意識的・経験的な危険回避レベルのリスクマネジメントは基本的には論評の対象外である。
リスクマネジメントを実行するのが「組織」との人間集団であることから、その組織内の構成員の認識がバラバラでは、そもそもの対応が不可能なので、組織構成員の認識を一致させることから始める必要がある。
最初に一致させるべき「認識」は何かと言うと、「これはリスクだよね」との「リスク項目の認知」である。
ある人にとっては「これはリスクだ」とする項目でも、別の人にとっては「そんなことない」との認知不一致があると、その次の段階である「リスク対応」が出来なくなるからだ。
リスク認知の話をすると、混ぜっ返しが好きな方は「隕石が落ちてきて死ぬかもしれないから、それはリスクだ」とか言ってしまうのだが、もしも、本気でそれを「認知すべきリスク」だと考えているのだったら、それも「リスク項目」のリストに入れておけば良い。
プロセスとしては、組織内から、各自が考える「リスク項目」を、ブレーンストーミング風に広く報告していただき、それらを総て網羅した「初期リスト」(認知リスクの一覧)を作成する。
その後の、第二段階のプロセスは「リスク評価」である。
その様に評価するのかというと、基本は以下の概念式での評価となる。
<リスク評価の概念式>
A:各リスクの具現化確率 x B:リスク具現化時の影響度 = リスク評価
「隕石に当たって死ぬ」とのリスク項目を評価すると、A:具現化確率は限りなくゼロに近いとの評価となる。一方、B:影響度は「死亡」との重大な影響となるが、そもそも、具現化確率が限りなくゼロに近いので、リスク評価値としては、限りなくゼロである。
この様にして、初期リストのある総てのスク項目に対して、リスク評価をするのである。
その際、将来にわたり具現化確率が限りなくゼロに近いものは、この段階でリスク対策の対象外として良い。
ポイントは「将来にわたり」である。人為的な事象に関しては、時代の変遷により、確率は変動するので、具現化確率の評価の際には、その要素を忘れてはならない。
しかし、この「リスク評価」は本当に難しい。隕石の話の様な確率が限りなくゼロに近い話と同等だと想定されていた巨大津波は、2011年3月11日の東日本大震災では、想定を超える高さとなり(*1)、結果として福島第一原発事故を発生させる原因となった。
福島第一原発地点での津波の高さは13.1mだとされている。福島第一原発の防潮堤の高さは震災前に何メートルの津波を想定して設置されていたのかは、2011年当時はネットに存在していたのだが、確認の為に調べても最近は検索してもヒットしないので数値は出さないが、結果としては不充分だった訳だ。
実際にリスクが具現化した後では、後知恵で様々な批判が簡単に言えてしまえるのだが、事前にリスクを評価する時点で想定をどの程度とするのかは本当に難しい問題なのである。
雰囲気や主観だけでリスク想定をするものではない。
リスク評価の視点で言えば、安全係数を高く取り過ぎるオーバー評価をしてしまうと、後段で説明するリスクコントロール(リスク対策)の実現性が下がるとのトレードオフ問題が存在しているとの視点も重要であることを付記しておく。
逆の事例では、北朝鮮の弾道ミサイルが、もしも、日本人が生活している我が国国土に落下したら、その「B:リスク具現化時の影響度」は許容できない程に大きい。
そして、その具現化確率は、1993年の最初の発射から既に20年以上が経過しており、弾道ミサイルの射程は我が国国土を狙うに充分な性能を有する様になり、先般の4発同時発射からは、更に性能が高まっていることが伺える。これは、普段からの北朝鮮の攻撃意思表明(Intention)のみならず、能力(Ability)が備わっていることの表れであり、「A:各リスクの具現化確率」が無視できないレベルに達していると評価すべき事象がある。
ところが、この様なリスクに対して「想定すべきではない」とか「確率は低い」とか言ってしまう勢力がいる。
そういう政治的偏向でリスク評価をするべきではないのだが、起こってしまった津波に対しては「想定が甘い」とか「リスクを無視した」とか言ってしまう。
雰囲気や主観だけでリスク想定をするものではない。
さて、次の第三段階である。
出来るだけ客観的にリスク評価の行った後は、その各リスクに対して、リスク対策を講じることになる。
「リスク対策」と言っても、なんでもかんでも対処策を策定するものではない。
特段の対策を現時点では要しないリスク案件に関しては、所謂「動向を見守る」という対策もある。これは霞が関文学で言うところの「放置」とは違う。
「リスク案件である」との位置づけは堅持される。少なくとも、1~2年に1度は、その時点での再度のリスク評価を行う対象として堅持されるという意味での「見守る:である。
これのレベルが少し上がると「注視」になる。
この考え方は、「リスクを受容しても直ちに酷い事にはならない」とのリスク評価が存在している場合にのみ出来る「リスク対策」である。
現実世界で、隕石の落下危険性リスクを受容することは、何等問題になるものではない。
リスク対策に関しては、前述した概念式が応用できる。
リスク評価の概念式にあった2つの要素別のリスク対策がある。
先ず、「A:各リスクの具現化確率」に対するリスク対策としては、A1:回避とA2:防止がある。
A1:の「回避」とは、リスクに係る行為自体を行わないというものである。これは、極端な言い方をすれば「自動車事故が恐いから運転しない」とか「怪我が恐いからスポーツをしない」というもので、「リスクは回避できた」と「回避したことによって失った便益」の比較をするものである。
「原発は事故を起こすぅ。だから原発が全廃するのだぁ」との言い方は、リスク回避の一例であるのだが、その際に発生する「回避したことによって失った便益」とのワンセットでの議論に至らない、片方だけの議論がなされることが多い様に感じている。
一方、「鮫がいる海岸でサーフィンをしない」とか「悪天候だから登山を諦めた」との回避は、納得性がある事例だと思われる。
A2:の「防止」とは、「具現化確率」をできるだけ少なくして、できればゼロにしようとする対策である。先の自動車事故に関して言えば、「スピードの出し過ぎを控える」とか、事故発生確率の低減対策を行うことである。
スポーツでの怪我の事例で言えば、経験豊富な指導者の指導のもとで練習や競技を行うことで怪我のリスクを減らしたり、野球では頭部へのビーンボールまがいの危険球は禁止事項だし、剣道では中学生の突きは禁止にしており、その様な危険性発生を防止している。
次の「B:リスク具現化時の影響度」に対するリスク対策としては、B1:軽減とB2:分散がある。
B1:の「軽減」とは、リスクが発生してしまった場合でも、その影響度を出来る限り少なくする対策である。自動車事故の場合は、自動車事故が起こってしまっても運転者や同乗者の被害を少しでも軽減させる為に、シートベルトや衝撃吸収ボディーやエアバッグなどの対策が取られている。その昔、当方が免許を取った時代辺りから自動車にはシートベルトが付く様になったが、まだ飛行機の座席ベルトと同様の2点式が主流だった。また、エアバッグは高級車にしか搭載されていなかった。
スポーツでの怪我の事例では、硬式野球のヘルメットがある。その昔は耳の部分のカバーがないヘルメットでも使用して良かったのだが、今は使用禁止である様に、頭への衝撃を少しでも減らす工夫がなされている。
起こってしまっても、被害を少しでも影響度を軽減する策は一般的に多用されているのだが、原発事故の事例で言えば、電源供給は1系列だけではなく複数準備していたし、自家発電機も用意されており、電源喪失した場合でも、別系列からの受電や自家発電機による電源供給のシステムは準備されていたのである。か、巨大広域地震で複数系列の総てが停電し、自家発電装置も津波により水没して機能しなかったのが実際である。
その為に、原子炉への冷却水供給が止まり水素爆発へとつながったのである。電動システムの他に復水器(デスーパーヒーター)による機械式安全装置があるはずなのだが、それも機能しなかった様だ。
幾ら軽減策を講じても、それが機能しないのではリスク対策にならないとの教訓を提供した事例だと考えている。結果はダメだったのだが、この様な軽減策を講じることは重要である。B1:の「軽減」との概念と、A1:の「回避」やA2:の「防止」の概念をゴッチャにして、「リスクが具現化した際の軽減策を講じるということは、リスク回避やリスク防止が不充分な証拠だぁ」と称するには勘違いも甚だしい。
リスク対策は、その影響度が高いと評価される場合は、何か1つだけをやれば充分と言うものではなく、二重、三重の対策を講じることが必要なのである。
事前の模擬テスト判定で第一志望校合格率90%が出たとしても、滑り止めで複数校を受験する生徒は多々存在するのと同様、リスク対策は「1つで充分」ではないのである。
最後の対策はBS:の「分散」がある。
典型的な事例としては、大規模案件の資金需要に対して、複数の銀行が協調して融資を行う「シンジケートローン」の話がある。以前、AIIBのダメさ加減を投稿(*2)した際に言及したのだが、巨額貸付に対する債権回収リスクを複数の銀行が分散した負う仕組みである。分散の考え方の身近な事例としては自動車保険がある。
もしも万が一、自動車事故の加害者の立場になった場合、損害賠償責任を一人で引き受けることは、高額賠償金の場合は不可能である。そこで、保険料を支払い保険に支払リスクを分散させるとの考え方である。
東日本大震災直後は話題になっていた首都機能分散も発想は同じである。政府機関が東京一極集中していると、東京直下型地震等が起こった場合、政府機能が喪失してしまう、だから分散だ、との発想である。
一方、「リスク回避」の部分で説明した様に、リスク対策は常にリスク対策による便益と失った便益のワンセットである。首都機能分散に関しても同様であり、分散することによって得た便益と、分散してしまうことにより失う便益の比較が必要だ。
現状での単純な分散ではリスク対策にはならないと考えている。形式的に○○省の本省を例えば大阪に移転・分散したとしても、霞が関に○○省支所が残り、実質的本体は、そこに残り続けるであろうことは容易に想像でき、全然リスク対策になっていない事態となろう。
官僚とは、そもそも行政スタッフであるのだがら、政府が東京にいるのに、スタッフ機能だけが地方に形式的に移転出来る訳がないのである。
リスクマネジメントの基礎的概念は以上である。
最後に、リスクマネジメントで避けなければいけないことを書いておきたい。
【リスク認知とリクス評価の際に、恣意的な判断をすることは避けなければならない。】
リスクが存在しているのに、それをリスクではないとする行為は、その後の対策が講じられず、回避も防止も軽減も出来ず、無用な被害をもたらすからである。
また、その逆の、どうってことのないリスクに対して、あたかも、それが大きなリスクである様な評価も避けなければならない。不必要な対策を講じることは、限りある資源の無駄遣いであるからだ。
以上である。尚、以下に、今回説明の概念図を記載するので、ご一覧いただきたい。
<リスクマネジメントの基礎的概念>
1):リスクの認知
2):認知リスクの評価
3):認知リスクへの評価度合に応じた対策考察
リスク対策の概念的区分
○・基本はリスク評価の概念式
・A:各リスクの具現化確率 x B:リスク具現化時の影響度 = リスク評価
リスク対策の区分
・受容可能リスク(受忍も対策のうち)
・A1:「回避」
・A2:「防止」
・B1:「軽減」
・B2:「分散」
【文末脚注】
(*1):津波の高さ
社会実情データ図解HP 東日本大震災で確認された津波の高さ
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4363b.html
<東日本大震災福島県抜粋データ>
相馬市 : 8.9m
南相馬市:12.2m
浪江町 :15.5m
双葉町 :16.5m
福島第一:13.1m
富岡町 :21.1m
福島第二: 9.1m
いわき市: 4.8m
<関東大震災時:熱海12m>
(*2):リスク分散・シンジケートローン
2017/04/05投稿:
AIIBのディスクロージャー
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-640.html
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副題:物事は両方の目で見て考えることが大事なの。
リスクマネジメントとは「危機管理」のことである。
名称知識として、「リスクマネジメント」「危機管理」の語句は知られているが、今回は、その内容の説明である。
「リスクマネジメント」と言った場合、一般的には、それを実行する「Who」は「組織」だとされている。個人々々が日常的に行っている無意識的・経験的な危険回避レベルのリスクマネジメントは基本的には論評の対象外である。
リスクマネジメントを実行するのが「組織」との人間集団であることから、その組織内の構成員の認識がバラバラでは、そもそもの対応が不可能なので、組織構成員の認識を一致させることから始める必要がある。
最初に一致させるべき「認識」は何かと言うと、「これはリスクだよね」との「リスク項目の認知」である。
ある人にとっては「これはリスクだ」とする項目でも、別の人にとっては「そんなことない」との認知不一致があると、その次の段階である「リスク対応」が出来なくなるからだ。
リスク認知の話をすると、混ぜっ返しが好きな方は「隕石が落ちてきて死ぬかもしれないから、それはリスクだ」とか言ってしまうのだが、もしも、本気でそれを「認知すべきリスク」だと考えているのだったら、それも「リスク項目」のリストに入れておけば良い。
プロセスとしては、組織内から、各自が考える「リスク項目」を、ブレーンストーミング風に広く報告していただき、それらを総て網羅した「初期リスト」(認知リスクの一覧)を作成する。
その後の、第二段階のプロセスは「リスク評価」である。
その様に評価するのかというと、基本は以下の概念式での評価となる。
<リスク評価の概念式>
A:各リスクの具現化確率 x B:リスク具現化時の影響度 = リスク評価
「隕石に当たって死ぬ」とのリスク項目を評価すると、A:具現化確率は限りなくゼロに近いとの評価となる。一方、B:影響度は「死亡」との重大な影響となるが、そもそも、具現化確率が限りなくゼロに近いので、リスク評価値としては、限りなくゼロである。
この様にして、初期リストのある総てのスク項目に対して、リスク評価をするのである。
その際、将来にわたり具現化確率が限りなくゼロに近いものは、この段階でリスク対策の対象外として良い。
ポイントは「将来にわたり」である。人為的な事象に関しては、時代の変遷により、確率は変動するので、具現化確率の評価の際には、その要素を忘れてはならない。
しかし、この「リスク評価」は本当に難しい。隕石の話の様な確率が限りなくゼロに近い話と同等だと想定されていた巨大津波は、2011年3月11日の東日本大震災では、想定を超える高さとなり(*1)、結果として福島第一原発事故を発生させる原因となった。
福島第一原発地点での津波の高さは13.1mだとされている。福島第一原発の防潮堤の高さは震災前に何メートルの津波を想定して設置されていたのかは、2011年当時はネットに存在していたのだが、確認の為に調べても最近は検索してもヒットしないので数値は出さないが、結果としては不充分だった訳だ。
実際にリスクが具現化した後では、後知恵で様々な批判が簡単に言えてしまえるのだが、事前にリスクを評価する時点で想定をどの程度とするのかは本当に難しい問題なのである。
雰囲気や主観だけでリスク想定をするものではない。
リスク評価の視点で言えば、安全係数を高く取り過ぎるオーバー評価をしてしまうと、後段で説明するリスクコントロール(リスク対策)の実現性が下がるとのトレードオフ問題が存在しているとの視点も重要であることを付記しておく。
逆の事例では、北朝鮮の弾道ミサイルが、もしも、日本人が生活している我が国国土に落下したら、その「B:リスク具現化時の影響度」は許容できない程に大きい。
そして、その具現化確率は、1993年の最初の発射から既に20年以上が経過しており、弾道ミサイルの射程は我が国国土を狙うに充分な性能を有する様になり、先般の4発同時発射からは、更に性能が高まっていることが伺える。これは、普段からの北朝鮮の攻撃意思表明(Intention)のみならず、能力(Ability)が備わっていることの表れであり、「A:各リスクの具現化確率」が無視できないレベルに達していると評価すべき事象がある。
ところが、この様なリスクに対して「想定すべきではない」とか「確率は低い」とか言ってしまう勢力がいる。
そういう政治的偏向でリスク評価をするべきではないのだが、起こってしまった津波に対しては「想定が甘い」とか「リスクを無視した」とか言ってしまう。
雰囲気や主観だけでリスク想定をするものではない。
さて、次の第三段階である。
出来るだけ客観的にリスク評価の行った後は、その各リスクに対して、リスク対策を講じることになる。
「リスク対策」と言っても、なんでもかんでも対処策を策定するものではない。
特段の対策を現時点では要しないリスク案件に関しては、所謂「動向を見守る」という対策もある。これは霞が関文学で言うところの「放置」とは違う。
「リスク案件である」との位置づけは堅持される。少なくとも、1~2年に1度は、その時点での再度のリスク評価を行う対象として堅持されるという意味での「見守る:である。
これのレベルが少し上がると「注視」になる。
この考え方は、「リスクを受容しても直ちに酷い事にはならない」とのリスク評価が存在している場合にのみ出来る「リスク対策」である。
現実世界で、隕石の落下危険性リスクを受容することは、何等問題になるものではない。
リスク対策に関しては、前述した概念式が応用できる。
リスク評価の概念式にあった2つの要素別のリスク対策がある。
先ず、「A:各リスクの具現化確率」に対するリスク対策としては、A1:回避とA2:防止がある。
A1:の「回避」とは、リスクに係る行為自体を行わないというものである。これは、極端な言い方をすれば「自動車事故が恐いから運転しない」とか「怪我が恐いからスポーツをしない」というもので、「リスクは回避できた」と「回避したことによって失った便益」の比較をするものである。
「原発は事故を起こすぅ。だから原発が全廃するのだぁ」との言い方は、リスク回避の一例であるのだが、その際に発生する「回避したことによって失った便益」とのワンセットでの議論に至らない、片方だけの議論がなされることが多い様に感じている。
一方、「鮫がいる海岸でサーフィンをしない」とか「悪天候だから登山を諦めた」との回避は、納得性がある事例だと思われる。
A2:の「防止」とは、「具現化確率」をできるだけ少なくして、できればゼロにしようとする対策である。先の自動車事故に関して言えば、「スピードの出し過ぎを控える」とか、事故発生確率の低減対策を行うことである。
スポーツでの怪我の事例で言えば、経験豊富な指導者の指導のもとで練習や競技を行うことで怪我のリスクを減らしたり、野球では頭部へのビーンボールまがいの危険球は禁止事項だし、剣道では中学生の突きは禁止にしており、その様な危険性発生を防止している。
次の「B:リスク具現化時の影響度」に対するリスク対策としては、B1:軽減とB2:分散がある。
B1:の「軽減」とは、リスクが発生してしまった場合でも、その影響度を出来る限り少なくする対策である。自動車事故の場合は、自動車事故が起こってしまっても運転者や同乗者の被害を少しでも軽減させる為に、シートベルトや衝撃吸収ボディーやエアバッグなどの対策が取られている。その昔、当方が免許を取った時代辺りから自動車にはシートベルトが付く様になったが、まだ飛行機の座席ベルトと同様の2点式が主流だった。また、エアバッグは高級車にしか搭載されていなかった。
スポーツでの怪我の事例では、硬式野球のヘルメットがある。その昔は耳の部分のカバーがないヘルメットでも使用して良かったのだが、今は使用禁止である様に、頭への衝撃を少しでも減らす工夫がなされている。
起こってしまっても、被害を少しでも影響度を軽減する策は一般的に多用されているのだが、原発事故の事例で言えば、電源供給は1系列だけではなく複数準備していたし、自家発電機も用意されており、電源喪失した場合でも、別系列からの受電や自家発電機による電源供給のシステムは準備されていたのである。か、巨大広域地震で複数系列の総てが停電し、自家発電装置も津波により水没して機能しなかったのが実際である。
その為に、原子炉への冷却水供給が止まり水素爆発へとつながったのである。電動システムの他に復水器(デスーパーヒーター)による機械式安全装置があるはずなのだが、それも機能しなかった様だ。
幾ら軽減策を講じても、それが機能しないのではリスク対策にならないとの教訓を提供した事例だと考えている。結果はダメだったのだが、この様な軽減策を講じることは重要である。B1:の「軽減」との概念と、A1:の「回避」やA2:の「防止」の概念をゴッチャにして、「リスクが具現化した際の軽減策を講じるということは、リスク回避やリスク防止が不充分な証拠だぁ」と称するには勘違いも甚だしい。
リスク対策は、その影響度が高いと評価される場合は、何か1つだけをやれば充分と言うものではなく、二重、三重の対策を講じることが必要なのである。
事前の模擬テスト判定で第一志望校合格率90%が出たとしても、滑り止めで複数校を受験する生徒は多々存在するのと同様、リスク対策は「1つで充分」ではないのである。
最後の対策はBS:の「分散」がある。
典型的な事例としては、大規模案件の資金需要に対して、複数の銀行が協調して融資を行う「シンジケートローン」の話がある。以前、AIIBのダメさ加減を投稿(*2)した際に言及したのだが、巨額貸付に対する債権回収リスクを複数の銀行が分散した負う仕組みである。分散の考え方の身近な事例としては自動車保険がある。
もしも万が一、自動車事故の加害者の立場になった場合、損害賠償責任を一人で引き受けることは、高額賠償金の場合は不可能である。そこで、保険料を支払い保険に支払リスクを分散させるとの考え方である。
東日本大震災直後は話題になっていた首都機能分散も発想は同じである。政府機関が東京一極集中していると、東京直下型地震等が起こった場合、政府機能が喪失してしまう、だから分散だ、との発想である。
一方、「リスク回避」の部分で説明した様に、リスク対策は常にリスク対策による便益と失った便益のワンセットである。首都機能分散に関しても同様であり、分散することによって得た便益と、分散してしまうことにより失う便益の比較が必要だ。
現状での単純な分散ではリスク対策にはならないと考えている。形式的に○○省の本省を例えば大阪に移転・分散したとしても、霞が関に○○省支所が残り、実質的本体は、そこに残り続けるであろうことは容易に想像でき、全然リスク対策になっていない事態となろう。
官僚とは、そもそも行政スタッフであるのだがら、政府が東京にいるのに、スタッフ機能だけが地方に形式的に移転出来る訳がないのである。
リスクマネジメントの基礎的概念は以上である。
最後に、リスクマネジメントで避けなければいけないことを書いておきたい。
【リスク認知とリクス評価の際に、恣意的な判断をすることは避けなければならない。】
リスクが存在しているのに、それをリスクではないとする行為は、その後の対策が講じられず、回避も防止も軽減も出来ず、無用な被害をもたらすからである。
また、その逆の、どうってことのないリスクに対して、あたかも、それが大きなリスクである様な評価も避けなければならない。不必要な対策を講じることは、限りある資源の無駄遣いであるからだ。
以上である。尚、以下に、今回説明の概念図を記載するので、ご一覧いただきたい。
<リスクマネジメントの基礎的概念>
1):リスクの認知
2):認知リスクの評価
3):認知リスクへの評価度合に応じた対策考察
リスク対策の概念的区分
○・基本はリスク評価の概念式
・A:各リスクの具現化確率 x B:リスク具現化時の影響度 = リスク評価
リスク対策の区分
・受容可能リスク(受忍も対策のうち)
・A1:「回避」
・A2:「防止」
・B1:「軽減」
・B2:「分散」
【文末脚注】
(*1):津波の高さ
社会実情データ図解HP 東日本大震災で確認された津波の高さ
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4363b.html
<東日本大震災福島県抜粋データ>
相馬市 : 8.9m
南相馬市:12.2m
浪江町 :15.5m
双葉町 :16.5m
福島第一:13.1m
富岡町 :21.1m
福島第二: 9.1m
いわき市: 4.8m
<関東大震災時:熱海12m>
(*2):リスク分散・シンジケートローン
2017/04/05投稿:
AIIBのディスクロージャー
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-640.html



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