続・妖刀村正
- 2017/03/16
- 01:07
続・妖刀村正

副題:道具を作り出す学者様は賢くて、それを使う日本政府は邪悪な存在だと考えているのだとしたら、GHQの占領政策そのものではないか。
先般、日本学術会議の検討委員会は「軍事研究を禁止する」方針を、この4月の総会に諮ることにした旨のニュースが流れた。(*1)
日本学術会議の検討委員会に関しては、先の投稿(*2)で分析した通り、どうやら世間一般とは違う「象牙の塔」の発想が存在し続けている様である。
その検討会での審議の結果として、来月4月の総会に諮る「声明案」(*3)の内容を見て、相変わらずの誤謬に溢れたものであることに呆れ、この一文を投稿することにした。
結論は、上記した副題の通りであるが、その様に考えるに至った背景等を開示する。尚、本稿の表題「続・妖刀村正」とは、以下の約2年前に投稿したコラムで述べた「道具の性能abilityに善悪はない、それをどの様に使用するのかは人間の意志intentionによる」との当たり前の話が今も通用ない状況が継続しているからである。
2015/02/20投稿
【コラム】持つと人を切りたくなる妖刀村正
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-25.html
上記の約2年前の投稿の主旨は、「道具に善悪はない」「道具を活用するか悪用するかは使用する人間の意思である」というものだ。
妖刀村正の物語の基本は「村正を持つと人を斬りたくなる魔力が宿っている」とのオカルトであり、そこには刀を使う人の意志は「魔力」により麻痺し無効化されてしまうとのオカルト話である。これを現実だと認識する人はいないであろう。
ところが、その昔、このオカルト話そのままの構造で「日本人は軍隊を持つと戦争をしたくなる」「だから軍隊を持ってはいけないのだ」との論が主張された時代があった。
妖刀村正を「軍隊」に、村正の魔力で辻斬りをしてしまう殿様を「日本国政府」に置き換え、村正(軍隊)を殿様(日本政府)に持たせない為には憲法9条(殿様を諌める正義の味方)が必要だ、とのバカ話が大真面目に主張されていた時代があったのである。
今聞くと、実にバカバカしい論理性を欠いた話なのだが、現在50代以上の方は、聞いたことがある話だと思う。
道具(村正=軍隊)を持つことで攻防力の能力(Ability)は増加する。そして、その道具を活用するか悪用するかは使用する人間(殿様=日本国政府)の意思(Intention)による。
意志決定する日本国政府は、誰が選んでいるのか?
それは、ご存じの通り、基本的には、国民が総選挙を通じて、比較第一党の代表が総理大臣になるとの仕組みであり、日本国政府とは、我々日本人が選んだ政府である。
我々日本人は、軍隊を持つと他国を侵略し始める政府を選んでいるのか?
要するに、その昔に語られた「軍隊を持つと・・・」の話とは、我々日本人は狂人であるとする侮辱なのである。この侮辱設定は、現行憲法前文や9条に反映されており、そういう烙印(Stigma)を押されたまま、憲法改正に至っていないのである。
そんな「設定」のままに、日本学術会議・検討委員会は「軍事研究禁止」の声明案を出している。
防衛技術研究をすると戦争を招く、との発想は、妖怪村正のバカ話そのものである。
学術会議・検討委員会が言うところの「軍事研究の否定」が、「平和の維持」にどの様に連関するのか? 彼等が提示した「声名案」を幾ら読んでも、平和の維持につながる論拠は見いだせない。
書いてあることは、学者様達が研究した成果を「戦争を始めたがる狂人である日本政府」に渡すと戦争を始めかねない。日本政府という愚鈍な狂人に研究成果を使わせない、との内容だ。自分達は優秀な研究成果を出せるが、それを使うのはバカだ、との内容であり、まったくに、我々日本人が選択する政府及び我々日本人を小バカにした論調だ。
逆に言えば、「軍事研究を否定すると日本の平和が維持される」との論拠を提示していただきたい。
1950年声名が出されたGHQ占領下のままの発想が今も続いている様だ。
しかし、時代は大きく変わっている。わずか2ヶ月半前の昨年の12月27日(現地時間・日本時間28日)の安倍・オバマの真珠湾でのステートメントを知らない訳はあるまい。(*4)そこで示された事は、先ず、70年前のことが総てであるかの様な日米関係は終了したこと、次に、寛容の心と和解の力で戦後70年間築いてきた日米関係こそが日米関係の軸足であるというものだ。
我が国の学術の英知が集まるはずの学術会議の発想が、未だに70年前のWGIP発想である日本人狂人論から抜け出せず、未だに「70年前のこと」が大問題で「70年間の歩み」を無視する態度を続けていることは、むしろ滑稽でさえある。
更に言えば、今般の「声明案」を読んで感じるのは、そこには「国民」の姿が極めて薄くしか存在していないことである。
もう一度、文末脚注(*3)の「声明案」を読んでいただければわかる通り、そこに出てくるの「自分達学者様」と「政府が出す金」と「日本国政府」ばかりである。
唯一、国民らしいものが登場するのは以下の部分の「社会からの負託」との一文だけである。「国民」との単語は一切登場せず、「社会からの負託」としか出てこないのである。
<(*3)の声明案から引用>
「科学者コミュニティが追求すべきは、何よりも学術の健全な発展であり、それを通じて社会からの負託に応えることである。」
<引用終わり>
この様な発想からは「国民の幸福を増進する」とか「日本国民の平和と安寧に資する科学技術」との発想は出てこないのであろうと推察される。
出てこないのは「国民」との単語だけではない。
「声名案」には、変遷する国際情勢、他国で進歩する軍事技術、我々日本人が被る命のリスク等の種々のファクターに対する考慮もない。
そこにあるのは、「軍事研究」とは「人殺しの武器を作るもの」との子供じみた発想のみが存在している。
今、この瞬間、北朝鮮は弾道ミサイルというAbilityを手に入れている。
彼等北朝鮮金王朝独裁政権は、自分の正統性を、虚偽の歴史である「対日戦を戦って民族独立に貢献した」に置いており、日本を叩くことは、その正統性に於いて彼等の正義となる構造がある。彼等は、そういう似せの建国神話を持っており、それ故に日本を攻撃する意思(Intention)は、金王朝の正統性の根幹であり、変化することはない。
AbilityとIntentionが揃った北朝鮮という現実脅威に対して、我が国科学者は、見て見ぬふりを続けるのであろうか?
相手側核兵器への対応方法は、以前は相互確証破壊戦略に基づく、同等核兵器保有による対峙しかなかったが、軍事科学技術の進歩により、我が国は核兵器ではなく、SM-3迎撃ミサイル搭載イージス艦によるBMD体制を選択している。
我が国の平和の維持の為に活用される軍事技術の研究よりも、昔ながらの核兵器保有による対応の方が望ましいと考えている訳でもあるまい。
日版学術会議の総会に出席なさる会員の科学者達には、是非とも、再考いただきたいものだ。
最後に、普通のオッサンが子供の頃、大好きだったテレビ番組の曲を紹介したい。
<アニメ鉄人28号のテーマソングの歌詞、一部抜粋>(*5)
・あるときは正義の味方、あるときは悪魔の手先、良いも悪いもリモコン次第
・手をにぎれ正義の味方、叩きつぶせ悪魔の手先、敵に渡すな大事なリモコン
科学技術の発展により、大人になる頃には、鉄人28号が現実世界に登場するのだと思っていた。そして、高いAbilityを持つ鉄人は、正義の心(Intention)を持つ人物が操縦するものだと信じていたのであるが、学術会議の学者先生達は、日本人には、正義の心がないと考えているのだろうか?
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【文末脚注】
(*1):日本学術会議の検討委員会「軍事研究を禁止する」方針とのニュース
<朝日新聞デジタル(2017年3月6日15時23分)>
http://www.asahi.com/articles/ASK3633WDK36ULBJ001.html
見出し:学術会議、軍事研究禁止の方針継承へ 検討委が声明案
本文:○安全保障と学術の関係について検討してきた日本学術会議の検討委員会が、軍事研究を禁じる従来方針を継承する新たな声明案をまとめていることがわかった。声明案は、軍事的な安全保障研究について「学術の健全な発展と緊張関係にある」とし、政府による研究者への介入が強まることへの懸念を打ち出す内容になっている。
○声明案は、学術会議が過去2回出した軍事研究を禁じる声明を「戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった」と説明。科学者が追求すべきことを「学術の健全な発展を通して社会の負託に応えること」と記している。
○そのうえで、学術会議での議論の発端となった防衛装備庁による委託研究について「将来の装備開発が目的」とし、「政府による介入が著しく、学術の健全な発展という見地から問題が多い」と指摘。「むしろ必要なのは、民生分野の研究資金の一層の充実」としている。
○このほか、研究成果は研究者の意図を離れて軍事転用されうるとして慎重な対応を求め、大学や学会などにも自由な研究環境や知的財産などを守る責任から、倫理審査や指針作成などの対応を求めている。
○声明案は、7日に開かれる「安全保障と学術に関する検討委員会」(委員長・杉田敦法政大教授)の最終会合に示される。検討委としては、4月に開催される学術会議の総会に諮りたい考えだ。
<引用終わり>
(*2):学術会議の検討委員会に関する分析
2017/03/15投稿
日本学術会議「安全保障と学術に関する検討委員会」
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-628.html
(*3):4月総会に諮る声名案
http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/anzenhosyo/pdf23/anzenhosyo-siryo11-1.pdf
軍事的安全保障研究に関する声明(案)
日本学術会議が1949年に創設され、1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を、1967年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発した背景には、科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった。われわれは、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究が学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承する。
科学者コミュニティが追求すべきは、何よりも学術の健全な発展であり、それを通じて社会からの負託に応えることである。学術研究がとりわけ政府によって制約されたり動員されたりしがちであるという歴史的な経験をふまえて、研究の自主性・自律性が担保されなければならない。軍事的安全保障研究では、研究の期間内および期間後に、研究の方向性や秘密性の保持をめぐって、政府による研究者の活動への介入が強まる懸念がある。
防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)では、将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく職員が研究中の進捗管理を行うなど、政府による研究への介入が著しく、学術の健全な発展という見地から問題が多い。むしろ必要なのは、科学者の自主性・自律性が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実である。
研究成果は、時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも使用されうるため、研究の入り口で研究資金の出所等に関する慎重な判断が求められる。大学等の各研究機関は、施設・情報・知的財産等の管理責任を有し、自由な研究・教育環境を維持する責任を負うことから、軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その適切性を技術的・倫理的に審査する制度を設けるべきである。学協会等において、それぞれの学術分野の性格に応じて、ガイドライン等を設定することも求められる。
研究の適切性をめぐっては、学術的な蓄積にもとづいて、科学者コミュニティにおいて一定の共通認識が形成される必要があり、個々の科学者はもとより、各研究機関、各分野の学協会、そして科学者コミュニティ全体が考え続けて行かなければならない。科学者を代表する機関としての日本学術会議は、そうした議論に資する知見を提供すべく、今後も率先して検討を進めて行く。
<引用終わり>
(*4):未だに「70年前のこと」が大問題で「70年間の歩み」は無視される異常さ
2016/12/31投稿
真珠湾・安倍演説2「和解の力」2016/12/28
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-575.html
(*5):テレビアニメ鉄人28号のテーマYouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=kj3Em_R2BsM
<歌詞の一部を抜粋>
・あるときは正義の味方、あるときは悪魔の手先、良いも悪いもリモコン次第
・手をにぎれ正義の味方、叩きつぶせ悪魔の手先、敵に渡すな大事なリモコン
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副題:道具を作り出す学者様は賢くて、それを使う日本政府は邪悪な存在だと考えているのだとしたら、GHQの占領政策そのものではないか。
先般、日本学術会議の検討委員会は「軍事研究を禁止する」方針を、この4月の総会に諮ることにした旨のニュースが流れた。(*1)
日本学術会議の検討委員会に関しては、先の投稿(*2)で分析した通り、どうやら世間一般とは違う「象牙の塔」の発想が存在し続けている様である。
その検討会での審議の結果として、来月4月の総会に諮る「声明案」(*3)の内容を見て、相変わらずの誤謬に溢れたものであることに呆れ、この一文を投稿することにした。
結論は、上記した副題の通りであるが、その様に考えるに至った背景等を開示する。尚、本稿の表題「続・妖刀村正」とは、以下の約2年前に投稿したコラムで述べた「道具の性能abilityに善悪はない、それをどの様に使用するのかは人間の意志intentionによる」との当たり前の話が今も通用ない状況が継続しているからである。
2015/02/20投稿
【コラム】持つと人を切りたくなる妖刀村正
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-25.html
上記の約2年前の投稿の主旨は、「道具に善悪はない」「道具を活用するか悪用するかは使用する人間の意思である」というものだ。
妖刀村正の物語の基本は「村正を持つと人を斬りたくなる魔力が宿っている」とのオカルトであり、そこには刀を使う人の意志は「魔力」により麻痺し無効化されてしまうとのオカルト話である。これを現実だと認識する人はいないであろう。
ところが、その昔、このオカルト話そのままの構造で「日本人は軍隊を持つと戦争をしたくなる」「だから軍隊を持ってはいけないのだ」との論が主張された時代があった。
妖刀村正を「軍隊」に、村正の魔力で辻斬りをしてしまう殿様を「日本国政府」に置き換え、村正(軍隊)を殿様(日本政府)に持たせない為には憲法9条(殿様を諌める正義の味方)が必要だ、とのバカ話が大真面目に主張されていた時代があったのである。
今聞くと、実にバカバカしい論理性を欠いた話なのだが、現在50代以上の方は、聞いたことがある話だと思う。
道具(村正=軍隊)を持つことで攻防力の能力(Ability)は増加する。そして、その道具を活用するか悪用するかは使用する人間(殿様=日本国政府)の意思(Intention)による。
意志決定する日本国政府は、誰が選んでいるのか?
それは、ご存じの通り、基本的には、国民が総選挙を通じて、比較第一党の代表が総理大臣になるとの仕組みであり、日本国政府とは、我々日本人が選んだ政府である。
我々日本人は、軍隊を持つと他国を侵略し始める政府を選んでいるのか?
要するに、その昔に語られた「軍隊を持つと・・・」の話とは、我々日本人は狂人であるとする侮辱なのである。この侮辱設定は、現行憲法前文や9条に反映されており、そういう烙印(Stigma)を押されたまま、憲法改正に至っていないのである。
そんな「設定」のままに、日本学術会議・検討委員会は「軍事研究禁止」の声明案を出している。
防衛技術研究をすると戦争を招く、との発想は、妖怪村正のバカ話そのものである。
学術会議・検討委員会が言うところの「軍事研究の否定」が、「平和の維持」にどの様に連関するのか? 彼等が提示した「声名案」を幾ら読んでも、平和の維持につながる論拠は見いだせない。
書いてあることは、学者様達が研究した成果を「戦争を始めたがる狂人である日本政府」に渡すと戦争を始めかねない。日本政府という愚鈍な狂人に研究成果を使わせない、との内容だ。自分達は優秀な研究成果を出せるが、それを使うのはバカだ、との内容であり、まったくに、我々日本人が選択する政府及び我々日本人を小バカにした論調だ。
逆に言えば、「軍事研究を否定すると日本の平和が維持される」との論拠を提示していただきたい。
1950年声名が出されたGHQ占領下のままの発想が今も続いている様だ。
しかし、時代は大きく変わっている。わずか2ヶ月半前の昨年の12月27日(現地時間・日本時間28日)の安倍・オバマの真珠湾でのステートメントを知らない訳はあるまい。(*4)そこで示された事は、先ず、70年前のことが総てであるかの様な日米関係は終了したこと、次に、寛容の心と和解の力で戦後70年間築いてきた日米関係こそが日米関係の軸足であるというものだ。
我が国の学術の英知が集まるはずの学術会議の発想が、未だに70年前のWGIP発想である日本人狂人論から抜け出せず、未だに「70年前のこと」が大問題で「70年間の歩み」を無視する態度を続けていることは、むしろ滑稽でさえある。
更に言えば、今般の「声明案」を読んで感じるのは、そこには「国民」の姿が極めて薄くしか存在していないことである。
もう一度、文末脚注(*3)の「声明案」を読んでいただければわかる通り、そこに出てくるの「自分達学者様」と「政府が出す金」と「日本国政府」ばかりである。
唯一、国民らしいものが登場するのは以下の部分の「社会からの負託」との一文だけである。「国民」との単語は一切登場せず、「社会からの負託」としか出てこないのである。
<(*3)の声明案から引用>
「科学者コミュニティが追求すべきは、何よりも学術の健全な発展であり、それを通じて社会からの負託に応えることである。」
<引用終わり>
この様な発想からは「国民の幸福を増進する」とか「日本国民の平和と安寧に資する科学技術」との発想は出てこないのであろうと推察される。
出てこないのは「国民」との単語だけではない。
「声名案」には、変遷する国際情勢、他国で進歩する軍事技術、我々日本人が被る命のリスク等の種々のファクターに対する考慮もない。
そこにあるのは、「軍事研究」とは「人殺しの武器を作るもの」との子供じみた発想のみが存在している。
今、この瞬間、北朝鮮は弾道ミサイルというAbilityを手に入れている。
彼等北朝鮮金王朝独裁政権は、自分の正統性を、虚偽の歴史である「対日戦を戦って民族独立に貢献した」に置いており、日本を叩くことは、その正統性に於いて彼等の正義となる構造がある。彼等は、そういう似せの建国神話を持っており、それ故に日本を攻撃する意思(Intention)は、金王朝の正統性の根幹であり、変化することはない。
AbilityとIntentionが揃った北朝鮮という現実脅威に対して、我が国科学者は、見て見ぬふりを続けるのであろうか?
相手側核兵器への対応方法は、以前は相互確証破壊戦略に基づく、同等核兵器保有による対峙しかなかったが、軍事科学技術の進歩により、我が国は核兵器ではなく、SM-3迎撃ミサイル搭載イージス艦によるBMD体制を選択している。
我が国の平和の維持の為に活用される軍事技術の研究よりも、昔ながらの核兵器保有による対応の方が望ましいと考えている訳でもあるまい。
日版学術会議の総会に出席なさる会員の科学者達には、是非とも、再考いただきたいものだ。
最後に、普通のオッサンが子供の頃、大好きだったテレビ番組の曲を紹介したい。
<アニメ鉄人28号のテーマソングの歌詞、一部抜粋>(*5)
・あるときは正義の味方、あるときは悪魔の手先、良いも悪いもリモコン次第
・手をにぎれ正義の味方、叩きつぶせ悪魔の手先、敵に渡すな大事なリモコン
科学技術の発展により、大人になる頃には、鉄人28号が現実世界に登場するのだと思っていた。そして、高いAbilityを持つ鉄人は、正義の心(Intention)を持つ人物が操縦するものだと信じていたのであるが、学術会議の学者先生達は、日本人には、正義の心がないと考えているのだろうか?



【文末脚注】
(*1):日本学術会議の検討委員会「軍事研究を禁止する」方針とのニュース
<朝日新聞デジタル(2017年3月6日15時23分)>
http://www.asahi.com/articles/ASK3633WDK36ULBJ001.html
見出し:学術会議、軍事研究禁止の方針継承へ 検討委が声明案
本文:○安全保障と学術の関係について検討してきた日本学術会議の検討委員会が、軍事研究を禁じる従来方針を継承する新たな声明案をまとめていることがわかった。声明案は、軍事的な安全保障研究について「学術の健全な発展と緊張関係にある」とし、政府による研究者への介入が強まることへの懸念を打ち出す内容になっている。
○声明案は、学術会議が過去2回出した軍事研究を禁じる声明を「戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった」と説明。科学者が追求すべきことを「学術の健全な発展を通して社会の負託に応えること」と記している。
○そのうえで、学術会議での議論の発端となった防衛装備庁による委託研究について「将来の装備開発が目的」とし、「政府による介入が著しく、学術の健全な発展という見地から問題が多い」と指摘。「むしろ必要なのは、民生分野の研究資金の一層の充実」としている。
○このほか、研究成果は研究者の意図を離れて軍事転用されうるとして慎重な対応を求め、大学や学会などにも自由な研究環境や知的財産などを守る責任から、倫理審査や指針作成などの対応を求めている。
○声明案は、7日に開かれる「安全保障と学術に関する検討委員会」(委員長・杉田敦法政大教授)の最終会合に示される。検討委としては、4月に開催される学術会議の総会に諮りたい考えだ。
<引用終わり>
(*2):学術会議の検討委員会に関する分析
2017/03/15投稿
日本学術会議「安全保障と学術に関する検討委員会」
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-628.html
(*3):4月総会に諮る声名案
http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/anzenhosyo/pdf23/anzenhosyo-siryo11-1.pdf
軍事的安全保障研究に関する声明(案)
日本学術会議が1949年に創設され、1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を、1967年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発した背景には、科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった。われわれは、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究が学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承する。
科学者コミュニティが追求すべきは、何よりも学術の健全な発展であり、それを通じて社会からの負託に応えることである。学術研究がとりわけ政府によって制約されたり動員されたりしがちであるという歴史的な経験をふまえて、研究の自主性・自律性が担保されなければならない。軍事的安全保障研究では、研究の期間内および期間後に、研究の方向性や秘密性の保持をめぐって、政府による研究者の活動への介入が強まる懸念がある。
防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)では、将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく職員が研究中の進捗管理を行うなど、政府による研究への介入が著しく、学術の健全な発展という見地から問題が多い。むしろ必要なのは、科学者の自主性・自律性が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実である。
研究成果は、時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも使用されうるため、研究の入り口で研究資金の出所等に関する慎重な判断が求められる。大学等の各研究機関は、施設・情報・知的財産等の管理責任を有し、自由な研究・教育環境を維持する責任を負うことから、軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その適切性を技術的・倫理的に審査する制度を設けるべきである。学協会等において、それぞれの学術分野の性格に応じて、ガイドライン等を設定することも求められる。
研究の適切性をめぐっては、学術的な蓄積にもとづいて、科学者コミュニティにおいて一定の共通認識が形成される必要があり、個々の科学者はもとより、各研究機関、各分野の学協会、そして科学者コミュニティ全体が考え続けて行かなければならない。科学者を代表する機関としての日本学術会議は、そうした議論に資する知見を提供すべく、今後も率先して検討を進めて行く。
<引用終わり>
(*4):未だに「70年前のこと」が大問題で「70年間の歩み」は無視される異常さ
2016/12/31投稿
真珠湾・安倍演説2「和解の力」2016/12/28
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-575.html
(*5):テレビアニメ鉄人28号のテーマYouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=kj3Em_R2BsM
<歌詞の一部を抜粋>
・あるときは正義の味方、あるときは悪魔の手先、良いも悪いもリモコン次第
・手をにぎれ正義の味方、叩きつぶせ悪魔の手先、敵に渡すな大事なリモコン



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