多数決民主主義を超える制度は何?

副題:投票する側が負うべき熟慮の責任がある
まとめサイト「保守速報」の以下の表題を見て、「根拠なき選民思想に基づく独裁発想」じゃないのか?と疑問に思い、記事の引用元に遡ったところ、元記事は別表題であった。
まとめサイトの表題が扇情的なものになる、との認識があるので、案の定との感があるのだが、記事内容に興味を持ったので少々論評する。
<保守速報表題>
保守速報:2017年03月12日13:02>
http://hosyusokuhou.jp/archives/48787369.html同サイト表題:国際基督教大学副学長・森本あんり「多数決=民主主義ではない。多数決を否定しなければならない場合もある」.
↓
<元記事表題>
キリスト新聞:2017年3月18日
http://www.kirishin.com/2017/03/2017318-1.html同紙表題:社会の刷新もたらす反知性主義 森本あんり氏が米大統領選振り返る
元記事のキリスト新聞の日付が未来日付なのは、週刊誌・月刊誌と同様の理由だと思われる。また、上記両サイトの記事内容は同一であった。
その中で注目したのは、以下の部分である。また、保守速報(ネット掲示盤)も、この部分に注目したものであった。
<上記サイトから抜粋引用>
(前略)○同氏は米国キリスト教では、この世における成功が神の祝福であると理解されていると指摘。トランプ氏に対しても米国民は「成功しているので、我々には分からないが神は彼のよいところを見出しているのだろう」と考えていると述べた。
○また、民主主義について「多数決=民主主義」ではなく、多数決を否定しなければならない場合もあると指摘。英国のEU離脱問題を見ても、熟考の末ではない国民投票に結果を委ねるのは民主主義において危険だと訴えた。
○同氏は、米国は過去に遡っても自分たちの統一の根拠がなく、平和、平等、自由などの理念を掲げ将来に求めるしかなかったとし、今後雇用、経済、国境などの理念で「アメリカファースト」になれるのか、これからの数年が証しするだろうと締めくくった。
<引用終わり>
注目部分として、3つの段落を引用したが、そのうちの真ん中の段落がポイントである。
この文章は、新聞記事であり、「新聞記者」との他者プリズムを透して書かれた文章であり、ご本人が、どの様な言葉を用いているのか、その前後の文脈はなにか、までは分からない。
記事を要約すると、言っていることは以下の3点である。
①:「多数決=民主主義」ではない。
②:多数決を否定しなければならない場合もある
③:熟考の末ではない国民投票に結果を委ねるのは民主主義において危険だ
これら1つ1つが独立したもので、この「新聞記事」の言葉通りであれば、こんなドンデモない話はない。保守速報(ネット掲示板)での書き込み者の主要な反応こそが正常な反応となる。以下に代表的な反応を上記保守速報から引用する。
1)246:
>多数決を否定しなければならない
つまり共産党独裁政権のことですね!
2)85:
多数決を否定して民主主義は成り立たない
3)83:
多数決を否定しなければならない場合もある?
どんな手段で?
暴力か?
4)74:
自分以外はバカとか思ってるタイプか
怖いわー、簡単に人とか殺しそう
5)25:
それって選民思想でないの?
6)75:
その多数決を否とする場合の線引きを誰がどのようにするのか明確に示して欲しい
結局民主主義から外れて強権独裁にするしかないと思うんだけどね
7)146:
で、多数決以上に民主的な方法ってなによ?
8)22:
多様性とか言いながら自分と反対の人たちを弾圧する。
9)2:
気に入らない投票結果は民主主義とは認めないって事ですね。わかります
これらは、まともな指摘である。
玉石混淆のネット掲示板らしく、的外れな罵詈雑言もあったが、この様なまともな指摘も多々見受けられた。
これら意見は実に真っ当なのだが、1つだけ気になる事がある。
それは、「新聞記事」だけでは、「前後の文脈が分からない」という点だ。
上記した①から③の言葉が正当になる場合もある。
その為には、幾つかの条件が必要だ。前後の文脈で「ある条件」が語られているのなら、これら①から③の話がOKになる場合もあるのである。
例えば、①の「「多数決=民主主義」ではない」であるが、これに、以下の様な「ある条件」を付したならば、真っ当な話に変わる。
①の条件:
ただ単に多数決の採決をするのではなく、採決に際しては、充分な審議を行い、賛成・反対の立場の、それぞれの意見を聞き、自らの判断で各議員は採決の投票を行う。この民主主義プロセスを経ない、形式的な「多数決」の採決だけでは「民主主義」ではない。
如何であろう。ここまで言えば民主主義原則に則った内容となる。
一方、「「多数決=民主主義」ではない」だけでは民主主義を否定する暴論であり認められない。
次の②の「多数決を否定しなければならない場合もある」に関しても、以下の様な条件があれば、真っ当な話に変わる。
②の条件:
国会の多数決を経て立法された「消費税2段階増税法」は、その法に則り消費税が増税されたが、その悪影響が強すぎ、不況脱出途上での景気中折れ状態となった。これでは立法の趣旨である税収増は達成されず本末転倒となる。この「消費税2段階増税法」の実施時期も法定されているので、その増税時期の延期を国民に問う総選挙を実施した。国民の支持を受け、再度、政権与党となるとのプロセスを経て、「消費税2段階増税法」の実施時期を延長する法案を可決して延長した。
如何であろう。ここまで言って、初めて民主主義原則に則った言い分となる。
ただ単に「多数決を否定しなければならない場合もある」では、民主主義を否定した独裁でしかない。総選挙の争点として、国民に信を問うとの民主主義プロセスを経て、初めて「過去の多数決の結果」を覆せるのである。
これら①、②に共通している「ある条件」とは、民主主義原則のプロセスを経た意思決定であり、これに反するものは、民主主義に反する独裁に該当するというものだ。
そういう理解のもとで、最後の③をあらためて読むと、そのポイントが「総選挙」「国会決議」の際に投票者は「熟考の末」に、責任ある投票をすべきだ、そうじゃない安易は投票行動は危険である。民主主義制度には、そういう落とし穴があるので、投票権者は、その責任を自覚すべきだ、となる、
③:熟考の末ではない国民投票に結果を委ねるのは民主主義において危険だ
如何であろう?2009年8月の、あの民主党「政権交代」選挙で、自民党に「お灸を据える」と称して、安易に民主党に投票して、結局は自分が大火傷した所謂「おQ層」の愚行を繰り返してはならないと言う意味である。
この様に読めば、この神学学者の発言も真っ当になるのである。
しかしながら、そんなことは、この「新聞記事」には何も書いてない。
トランプを選んだ米国選挙民はアホだ、EU離脱を決めたイギリス国民はアホだ、と言っているなら、それは言っている側がドアホなのである。
FC2 Blog Ranking
スポンサーサイト