真珠湾・安倍演説1「和解の力」2016/12/28
- 2016/12/30
- 22:04
真珠湾・安倍演説1「和解の力」2016/12/28

副題:21世紀のパールハーバーは和解の象徴となった。
共通の価値の下、寛容の大切さと和解の力を世界訴え続けていく日米同盟は「希望の同盟」。
真珠湾での安倍演説を読み込むのだが、内容に入る前に、全文を読んだ感想としては、以前からの手法を踏襲したやり方だということがわかる。
「以前からの手法」とは何かと言うと、以下の2つのURLで紹介している様に、誰に向けての発言かとのwhoを意識したものであること、そのwhoに伝わる様な言い方・表現方法を用いていること、そして、我が国国益に資する内容であること、である。
2015/05/01投稿:
【コラム】アメリカ人に考えさせる演説を読む1
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-96.html
2015/08/15投稿:
【コラム】安倍談話を読む
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-188.html
今回の真珠湾での安倍総理の演説は日本語で行われている。
上記した昨年4月29日の米国議会での演説は、聞かせる相手が米国人議員なので英語でのスピーチであったが、今回演説は、その対象が「世界の、様々な国の皆さん」であることから、日本の総理大臣として日本語で行われたものである。
誰に向けた演説なのかをハッキリと意識しており、そして同時に「世界の、様々な国の皆さん」と全世界が相手であっても、過去の他の総理の様なノイジーマイノリティのゴリ押しを忖度した無駄で逆効果なエクスキューズの一文などはまったく入っていない合目的的な軸足のしっかりしたものだと解している。
真珠湾安倍演説は、大きくは5つの部分で構成されていると読んでいる。
これについては、以下のURLで全文を紹介した際に引用者の当方が番号を付しているので適宜参照願いたい。
2016/12/29投稿:
(資料編)真珠湾両首脳ステートメント
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-573.html
先ず「1-」の導入部である。
これは、アメリカ・ハワイとの場所での演説であり、当該訪問国に対しての礼儀として当然の入り方である。それ故に、1の冒頭では、聞かせる相手のwhoを次の様に特定している。
<1-①:オバマ大統領、ハリス司令官、御列席の皆様、そして、全ての、アメリカ国民の皆様。>
一方、本論に入る「2-」以降については、その冒頭で、あらためて聞かせる相手であるwhoを全世界である旨を述べているのである。
<2-①:オバマ大統領、アメリカ国民の皆さん、世界の、様々な国の皆さん。>
この様に、「1-」の導入部と本論に入る「2-」以降は、対象が違っていることがわかる。
「1-」の導入部は、1-①では、対象相手に対しての挨拶に始まり、現在の情景描写となり、その場所で75年前に起こった史実を述べている。
そして、1-②では、その史実に対する感想を述べているのである。
その表現方法は、2016年5月27日のオバマ広島演説での、当時の各個人の心情を言い表したものと相似形をなしており、呼応関係を言外に表していると解される。
オバマ広島演説の当該部分は、以下に提示したので読み比べていただきたい。
2016/06/11投稿:
(資料編)オバマ広島演説・和訳
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-433.html
(4-13、4-14、7-28辺り)
【ご参考】
<2016/12/28安倍真珠湾演説>
1-②:耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。あの日、日曜の朝の、明るく寛いだ、弾む会話の声。自分の未来を、そして夢を語り合う、若い兵士たちの声。最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。生まれてくる子の、幸せを祈る声。一人ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。愛する妻や、恋人がいた。成長を楽しみにしている、子供たちがいたでしょう。
それら、全ての思いが断たれてしまった。その厳粛な事実を思うとき、かみしめるとき、私は、言葉を失います。その御霊よ、安らかなれ――。思いを込め、私は日本国民を代表して、兵士たちが眠る海に、花を投じました。
<2016/05/27オバマ広島演説>
4-14 We listen to a silent cry. (私達は、無言の泣き声に耳を傾けます。)
We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow.(私達は(remember=追悼)します。あの悲惨な戦争での閃光の中で殺された総ての無辜の民に対して、そして、それ以前の戦争及びあれ以降の戦争(で殺された総ての人々に対して))
4-13 That is why we come to this place.(それが私達がここに来る理由です。)
We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell.(私達は、ここ、(広島の)都市の中心地に立ち、そして私達自身に爆弾が投下されたときの瞬間に思いを致すことを課すのです。)
We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see.(私達は、目の当たりにした光景に混乱する子供たちの恐怖を感じることを、私自身に課すのです。)
7-28 That is why we come to Hiroshima, so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent.(だからこそ、私達は広島に来るのです。そして、私達は私達が愛する人々のことを想起します。朝、最初の子供達の(起きたての)笑顔、食卓越しの(配偶者)愛する人との優しい触れ合い、父母からの温かな(抱擁)慈しみ。)
如何であろう。当方が「相似形」だと感じた理由がお分かりだと思う。
オバマ・安倍両首脳とも実際の出来事である①Realとその感想のみを述べ、起こっていない出来事である②possibilityやそれを膨らませ創作した③if~then~は語らないとの見識を示していることもわかるだろう。
安倍首相の「1-②」の部分を読んで、日本の兵士や非戦闘員への無差別爆撃に言及がないと憤る方も散見されるが、そういう方には、この「1-②」の部分は最初に言った様に、「オバマ大統領、ハリス司令官、御列席の皆様、そして、全ての、アメリカ国民の皆様」が対象であることを思い出していただきたい。
特に、ハリス司令官の名前を掲げていることは重要である。
ハリーハリス海軍大将はアメリカ太平洋軍司令官であるが、米国人であり、その詳細を述べるのはアメリカ大統領の御役目なのだが、安倍首相はハリス司令官の名前を掲げている。
オバマ広島演説と安倍真珠湾演説が相似形になっていることは、けして広島と真珠湾を同列視している訳ではない。真珠湾の米海軍の軍事施設に対する攻撃という戦争行為と、非戦闘員の女・子供を狙った広島市街地への原爆投下との大虐殺は位相が違うものであり、その内容に於いて同列視することは出来ない。
一方、今回の真珠湾訪問は、昨年4月29日の安倍総理の米国議会演説から始まった(正確には、その前の2015年4月22日ジャカルタでの「バンドン会議60周年記念会議演説」からであるが)戦後体制の終焉・未来志向構築の仕上げ段階に入っており、一般的印象として、先の大戦が「真珠湾で始まり」「広島・長崎で終わった」との象徴性があることから、この様な形で、「戦後」を終わらせ、次に進む為の象徴的な演説になったものだと解している。
そして演説は、いよいよ本論に入っていく。
その冒頭の「2-①」で対象として呼び掛けているのは「オバマ大統領、アメリカ国民の皆さん、世界の、様々な国の皆さん。」である。全世界が対象である。
そして「私は日本国総理大臣として」「永劫の、哀悼の誠を捧げます。」と述べている。
その対象は以下の様に、真珠湾で戦死した人々に限定しておらず、総ての戦争犠牲者であると明言していることに注目していただきたい。
ア:「この地(真珠湾)で命を落とした人々の御霊に」
イ:「ここから始まった戦いが奪った、全ての勇者たちの命に」
ウ:「戦争の犠牲となった、数知れぬ、無辜の民の魂に」
上記のア:は真珠湾での落命者であり、米軍兵士に限定していない。我が国の兵士も当然の様に含まれている。
イ:は大東亜戦争で落命した「勇者」、即ち兵士達militaryのことである。
「ここから始まった戦い」との言い方にも注目していただきたい。英語でWorld War IIと表現される第二次世界大戦は、欧州戦線では1939年から始まっている。真珠湾攻撃は現地時間1941年12月7日である。
そして、ウ:は「戦争の犠牲となった、数知れぬ、無辜の民」であり、militaryではない非戦闘員civilianのことであり、それを含み、その魂に永劫の哀悼の誠を捧げると言っているのである。
安倍総理は「私は日本国総理大臣として」「永劫の、哀悼の誠を捧げます。」と述べ、その上で、「2-②」で「戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。」との結論を述べている。
先の大戦が終わってから、既に70年が経過しているが、未だに我が国では、70年以上も昔の話が最重要課題かの様な位置に鎮座しているのである。そろそろ終わりにしたいとの願いを安倍総理は適えつつあり、上記した「結論」を「この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、アメリカ国民の皆様に、世界の人々に、固い、その決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。」と「世界の人々に」を対象にして表明している。
「世界の人々」と言っているのだから、そこには、1945年に終わった戦争で我が国と戦争をしていない1949年建国の中共、1948年建国の韓国も含まれるのである。
戦後建国の両国が、もっとも激しく先の大戦を理由に我が国を詰っているのはご承知の通りである。
これに続く「3-」は、協力関係の重要性を述べている部分である。
日米関係が戦勝国・敗戦国との関係から、徐々に現在の関係である協力関係へと止揚してきたこと、そして、その先に未来があるとの最終結論へと続くのだが、長くなったので項を分けることとしたい。
(続く)
FC2 Blog Ranking


副題:21世紀のパールハーバーは和解の象徴となった。
共通の価値の下、寛容の大切さと和解の力を世界訴え続けていく日米同盟は「希望の同盟」。
真珠湾での安倍演説を読み込むのだが、内容に入る前に、全文を読んだ感想としては、以前からの手法を踏襲したやり方だということがわかる。
「以前からの手法」とは何かと言うと、以下の2つのURLで紹介している様に、誰に向けての発言かとのwhoを意識したものであること、そのwhoに伝わる様な言い方・表現方法を用いていること、そして、我が国国益に資する内容であること、である。
2015/05/01投稿:
【コラム】アメリカ人に考えさせる演説を読む1
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-96.html
2015/08/15投稿:
【コラム】安倍談話を読む
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-188.html
今回の真珠湾での安倍総理の演説は日本語で行われている。
上記した昨年4月29日の米国議会での演説は、聞かせる相手が米国人議員なので英語でのスピーチであったが、今回演説は、その対象が「世界の、様々な国の皆さん」であることから、日本の総理大臣として日本語で行われたものである。
誰に向けた演説なのかをハッキリと意識しており、そして同時に「世界の、様々な国の皆さん」と全世界が相手であっても、過去の他の総理の様なノイジーマイノリティのゴリ押しを忖度した無駄で逆効果なエクスキューズの一文などはまったく入っていない合目的的な軸足のしっかりしたものだと解している。
真珠湾安倍演説は、大きくは5つの部分で構成されていると読んでいる。
これについては、以下のURLで全文を紹介した際に引用者の当方が番号を付しているので適宜参照願いたい。
2016/12/29投稿:
(資料編)真珠湾両首脳ステートメント
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-573.html
先ず「1-」の導入部である。
これは、アメリカ・ハワイとの場所での演説であり、当該訪問国に対しての礼儀として当然の入り方である。それ故に、1の冒頭では、聞かせる相手のwhoを次の様に特定している。
<1-①:オバマ大統領、ハリス司令官、御列席の皆様、そして、全ての、アメリカ国民の皆様。>
一方、本論に入る「2-」以降については、その冒頭で、あらためて聞かせる相手であるwhoを全世界である旨を述べているのである。
<2-①:オバマ大統領、アメリカ国民の皆さん、世界の、様々な国の皆さん。>
この様に、「1-」の導入部と本論に入る「2-」以降は、対象が違っていることがわかる。
「1-」の導入部は、1-①では、対象相手に対しての挨拶に始まり、現在の情景描写となり、その場所で75年前に起こった史実を述べている。
そして、1-②では、その史実に対する感想を述べているのである。
その表現方法は、2016年5月27日のオバマ広島演説での、当時の各個人の心情を言い表したものと相似形をなしており、呼応関係を言外に表していると解される。
オバマ広島演説の当該部分は、以下に提示したので読み比べていただきたい。
2016/06/11投稿:
(資料編)オバマ広島演説・和訳
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-433.html
(4-13、4-14、7-28辺り)
【ご参考】
<2016/12/28安倍真珠湾演説>
1-②:耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。あの日、日曜の朝の、明るく寛いだ、弾む会話の声。自分の未来を、そして夢を語り合う、若い兵士たちの声。最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。生まれてくる子の、幸せを祈る声。一人ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。愛する妻や、恋人がいた。成長を楽しみにしている、子供たちがいたでしょう。
それら、全ての思いが断たれてしまった。その厳粛な事実を思うとき、かみしめるとき、私は、言葉を失います。その御霊よ、安らかなれ――。思いを込め、私は日本国民を代表して、兵士たちが眠る海に、花を投じました。
<2016/05/27オバマ広島演説>
4-14 We listen to a silent cry. (私達は、無言の泣き声に耳を傾けます。)
We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow.(私達は(remember=追悼)します。あの悲惨な戦争での閃光の中で殺された総ての無辜の民に対して、そして、それ以前の戦争及びあれ以降の戦争(で殺された総ての人々に対して))
4-13 That is why we come to this place.(それが私達がここに来る理由です。)
We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell.(私達は、ここ、(広島の)都市の中心地に立ち、そして私達自身に爆弾が投下されたときの瞬間に思いを致すことを課すのです。)
We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see.(私達は、目の当たりにした光景に混乱する子供たちの恐怖を感じることを、私自身に課すのです。)
7-28 That is why we come to Hiroshima, so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent.(だからこそ、私達は広島に来るのです。そして、私達は私達が愛する人々のことを想起します。朝、最初の子供達の(起きたての)笑顔、食卓越しの(配偶者)愛する人との優しい触れ合い、父母からの温かな(抱擁)慈しみ。)
如何であろう。当方が「相似形」だと感じた理由がお分かりだと思う。
オバマ・安倍両首脳とも実際の出来事である①Realとその感想のみを述べ、起こっていない出来事である②possibilityやそれを膨らませ創作した③if~then~は語らないとの見識を示していることもわかるだろう。
安倍首相の「1-②」の部分を読んで、日本の兵士や非戦闘員への無差別爆撃に言及がないと憤る方も散見されるが、そういう方には、この「1-②」の部分は最初に言った様に、「オバマ大統領、ハリス司令官、御列席の皆様、そして、全ての、アメリカ国民の皆様」が対象であることを思い出していただきたい。
特に、ハリス司令官の名前を掲げていることは重要である。
ハリーハリス海軍大将はアメリカ太平洋軍司令官であるが、米国人であり、その詳細を述べるのはアメリカ大統領の御役目なのだが、安倍首相はハリス司令官の名前を掲げている。
オバマ広島演説と安倍真珠湾演説が相似形になっていることは、けして広島と真珠湾を同列視している訳ではない。真珠湾の米海軍の軍事施設に対する攻撃という戦争行為と、非戦闘員の女・子供を狙った広島市街地への原爆投下との大虐殺は位相が違うものであり、その内容に於いて同列視することは出来ない。
一方、今回の真珠湾訪問は、昨年4月29日の安倍総理の米国議会演説から始まった(正確には、その前の2015年4月22日ジャカルタでの「バンドン会議60周年記念会議演説」からであるが)戦後体制の終焉・未来志向構築の仕上げ段階に入っており、一般的印象として、先の大戦が「真珠湾で始まり」「広島・長崎で終わった」との象徴性があることから、この様な形で、「戦後」を終わらせ、次に進む為の象徴的な演説になったものだと解している。
そして演説は、いよいよ本論に入っていく。
その冒頭の「2-①」で対象として呼び掛けているのは「オバマ大統領、アメリカ国民の皆さん、世界の、様々な国の皆さん。」である。全世界が対象である。
そして「私は日本国総理大臣として」「永劫の、哀悼の誠を捧げます。」と述べている。
その対象は以下の様に、真珠湾で戦死した人々に限定しておらず、総ての戦争犠牲者であると明言していることに注目していただきたい。
ア:「この地(真珠湾)で命を落とした人々の御霊に」
イ:「ここから始まった戦いが奪った、全ての勇者たちの命に」
ウ:「戦争の犠牲となった、数知れぬ、無辜の民の魂に」
上記のア:は真珠湾での落命者であり、米軍兵士に限定していない。我が国の兵士も当然の様に含まれている。
イ:は大東亜戦争で落命した「勇者」、即ち兵士達militaryのことである。
「ここから始まった戦い」との言い方にも注目していただきたい。英語でWorld War IIと表現される第二次世界大戦は、欧州戦線では1939年から始まっている。真珠湾攻撃は現地時間1941年12月7日である。
そして、ウ:は「戦争の犠牲となった、数知れぬ、無辜の民」であり、militaryではない非戦闘員civilianのことであり、それを含み、その魂に永劫の哀悼の誠を捧げると言っているのである。
安倍総理は「私は日本国総理大臣として」「永劫の、哀悼の誠を捧げます。」と述べ、その上で、「2-②」で「戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。」との結論を述べている。
先の大戦が終わってから、既に70年が経過しているが、未だに我が国では、70年以上も昔の話が最重要課題かの様な位置に鎮座しているのである。そろそろ終わりにしたいとの願いを安倍総理は適えつつあり、上記した「結論」を「この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、アメリカ国民の皆様に、世界の人々に、固い、その決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。」と「世界の人々に」を対象にして表明している。
「世界の人々」と言っているのだから、そこには、1945年に終わった戦争で我が国と戦争をしていない1949年建国の中共、1948年建国の韓国も含まれるのである。
戦後建国の両国が、もっとも激しく先の大戦を理由に我が国を詰っているのはご承知の通りである。
これに続く「3-」は、協力関係の重要性を述べている部分である。
日米関係が戦勝国・敗戦国との関係から、徐々に現在の関係である協力関係へと止揚してきたこと、そして、その先に未来があるとの最終結論へと続くのだが、長くなったので項を分けることとしたい。
(続く)



スポンサーサイト