対案を出さない怠慢・民進党

副題:「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」との有名な言葉に出てくる「ケーキ」は問題解決の為の対案にはなり得ないのである。
民進党の前身である民主党は、それ以前の社会党の宿啊である「なんでも反対」「対案出さない」の悪いDNAを引き継いでいるらしく、政府案への反対を叫ぶだけで、問題解決の為の対案を出せない無意味な野党である。
政府が出す法案は、「ある問題」に対する対策を実行する為のものであり、ただ単に反対するということは、この「ある問題」に対して、何等の対策を取らないとする無責任な態度である。
最近の事例では、金制度改革関連法案に対する民進党の「対案なき反対」がある。
<産経ニュース・主張(2016.11.30 05:02更新)より引用>
http://www.sankei.com/politics/news/161130/plt1611300005-n1.html見出し:会期延長 緊張感持ち責務を果たせ
本文:○30日で切れる臨時国会の会期が、12月14日まで延長される。
○環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)承認案と年金額を抑制する年金制度改革関連法案の成立を図ることが主な理由である。
○予算編成などがある年末に向かう時期だが、懸案が未処理のままである以上、会期延長は必要かつ妥当な判断といえる。
○問題は、白熱した議論が長引いた、というより政府与党側のあきれるような失言、無責任な野党の抵抗戦術などの結果、審議日数が足りなくなった点にある。
○もっと緊張感を持ち、政府や与党としての役割、立法府の責務が果たされることを望みたい。
○とくに批判されるべきは、年金制度改革関連法案をめぐる民進党をはじめ野党の対応である。
○蓮舫代表は「提案」型の党運営を目指していたはずではないか。「年金カット法案」などと反戦スローガンのように単純化した主張ばかりを唱え、具体的な対案を示して政府に論戦を挑む姿勢はみられなかった。(以下略)
<引用終わり>
この事例での「ある問題」とは、今のままでは年金基金が維持できず、年金制度が破綻する危険性がある、との問題だ。
何等かの対策を講じなければ「年金制度が破綻する」と見込まれる状態を、政治が放置することは許されず、その対策案として、出されたのが今般の金制度改革関連法案である。
この法案に反対するのなら、何処をどの様に直して、どの様にして年金制度の破綻を防ぎ、年金制度を維持するのか、の対案が必要である。
ただ単に反対して、年金制度が破綻するのを座して待つとの態度は、無責任な態度であるので、当然の様に、「反対するなら対案を示せ」となるのである。
民進党の前身である、民主党が政権党であった時代に、実は、年金制度を含む社会保障費の財源確保策を出したことがある。
野田内閣時の、消費税増税法案である。(2012年8月)
その結果は、ご存じの通り、野田内閣時成立した消費税二段階増税法に基づき、2014年4月の第一段階増税8%化での景気への悪影響が著しく、そもそもの目的である税収増・財源確保に至らなかったものである。
消費税増税では、他への悪影響が大きすぎて、年金制度の維持が難しいとの状態だと理解すれば良い。ちょっと単純化し過ぎかもしれないが、この問題は、実際には、国民経済・景気対策、財政、税制等との複数の視点の総合的な問題なので、細かくは多々あるのだが、その中で、何を選択するのか、との政治決断の話であり、民主党・野田は財政至上主義財務省案である消費税増税を選択し、それに対して、野党谷垣自民党も合意して法制化したものである。
ところが、現実には、財政至上主義の消費税増税では我が国の景気回復への悪影響が大きすぎ本末転倒と見込まれ、民主党政権・野田内閣時に法制化した第二段階の増税である10%化を延期することを争点に、国民に信を問う2014年12月総選挙が行われ、当初法案で予定されていた2015年10月の消費税増税10%化は延期されている。
2014年12月の総選挙で、もしも安倍首相が圧勝していなければ、自公政権内で「安倍下ろし」が行われ、別の自民党内閣になっていたかもしれない。その様な事態となっていれば、今の我々は消費税10%の世界で暮らしていた可能性があるのである。
あの当時の重要な選挙で、野党に投票することを呼び掛けたタコ助は、消費税10%化リスクにどの様に対峙するつもりなのだろう?多分、そこまで考えが至っていなかったというのが真相であろう。愚かなることである。
話を現在の2016年に戻す。
事例として上げている「ある問題」である「今のままでは年金基金が維持できず、年金制度が破綻する危険性がある」への対処方法として、現在の安倍政権が掲げているのは、「入り」と「出」の2つの視点で、先ず、「入り」については、景気回復での税収増である。
景気回復の手法としては、先ずはデフレ脱却なのだが、生き物である経済は、なかなか思い通りにはならず、亀の歩みを続けている。経済構造改革は、そもそもが長時間を要するものであり、その効果が表れるのは、当初から、まだ先のことだと見込まれていたものである。
一方、「出」の方であるが、その具体的な方策が、現役世代と年金受取世代の公平性確保との視点で出された年金制度改革関連法案である。
当方の様に、これからやっと年金を受け取れる「ポスト団塊の世代」、別名「団塊の世代に食い荒らされペンペン草も生えてない荒野に置かれる世代」としては、なんで、団塊の世代が勝ち逃げする政策ばかりなのだ!、との不満があるのだが、民主党・野田政権の年金対策である「消費税増税10%化」よりは、現実的な対策案であると考えている。
ところが、現民進党は、「今のままでは年金基金が維持できず、年金制度が破綻する危険性がある」への対処方法としての対案を出していないで、反対ばかりしている。
「消費税増税10%化を実施して、年金支給額を維持せよ」とは、いくら厚顔無恥な民進党でも言える訳がないからだろう。(消費税10%化では、税収がむしろ減少するとの見方もあり、消費税増税が年金制度維持の決め手とはけして言えない)
如何であろう? 対案を出さない無責任ぶりをご理解いただけただろうか?
ただ単に反対するだけでは、問題の放置にしかならない。
「年金制度維持」との命題に対して、どの様な方策で対処するのか、の案に反対するのならば、「年金制度維持」を目的にした、別の案を提示するのは野党として、当たり前の態度である。
ところが、この「対案を出す」との当たり前のことを、あたかも「当たり前じゃない」との開き直りがネットで散見される。開き直りもここまでくると笑えるものだ。
曰く、「対案を出しても採用されないなら、対案を出すだけ無駄」なる本末転倒した低質な話やら、「民主党(民進党)は対案を出している」と言いながら具体例がないものやら、のオンパレードである。
「採用されない対案」とは、原案に比して劣るものであるからだ。
原案より優れた対案が採用されないのならば、そういう政府に対して国民は選挙でNoを突き付けることになる。民主党政権での出鱈目さから、多くの国民は民主党にNoを突き付けたことをお忘れではあるまい。
また、具体的がないので、詳しくはわからないが「民主党の出している対案」があるのなら、是非とも見せていただきたい。「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」との有名な言葉に出てくる「ケーキ」は問題解決の為の対案にはなり得ないのである。
「民主党(民進党)の対案」の中身が、「ケーキ」だった事例を以下に紹介しておく。
【論破質疑】小野寺五典(自民)《安保法制》平和安全特別委員会 平成27年7月10日
https://www.youtube.com/watch?v=uP6vZYCOA40昨年2015年7月の安保法制審議を記録している動画である。
当時の民主党及び当時の維新の党は「個別的自衛権で可能」との「結論ありき」の「対案」を審議終了間近になって急に出してきたが、上記の動画の10:00以降の審議の通り、そんなものを「個別的自衛権で行使する方が危険」と小野寺五典議員に指摘される様なものであり、けして「対案」にはなり得ない「ケーキ」でしかない。
民衆が餓えているのに、パンよりも入手が困難なケーキを食えと言うのは、あたかも「対案」の様な形式をしているが、その実態は、無意味な戯言である。
「民主党(民進党)の対案」が「対案足り得てない」のが「対案を出しても採用されない」理由である。
「対案を出す」との当たり前のことを、あたかも「当たり前じゃない」との開き直りの中には、一瞬だけ正論に聞こえる様な巧みなものも存在する。
それをちょっと紹介する。
<引用開始>
「反対するなら対案を出せ」は正論か? 中郡久雄
2013年11月12日 05:00
http://sharescafe.net/34779158-20131112.html(前略)もちろん、反対者がより効果的な案があると思い原案に反対をしているなら対案を出すべきです。しかし、本当にその原案の方向はプラスの効果を生むという保証はあるのでしょうか。原案がマイナスの効果を生むと考えて反対した場合、求められるのは対案ではありません。まずはこの案をストップさせ、根本から練り直しすることが目的なわけですから、対案など出しようがありません。
この場合に求められるのは、反対の根拠を皆が納得いくように説明することです。対案を出すことではありません。それでもなお対案を求めるとするならば、それは「論点ずらし」と指摘されても仕方がありません。(中略)
次に「情報の非対称性」の問題があります。提案者は時間をかけて情報を集めた上で原案を提示します。それに対しその提案を受ける側は、直前にその案を聞かされることがよくあります。起案を指示した上職者には事前の説明をしているでしょうが、その他の参加者は会議の場で初めて内容を知る、という場合も多いのではないかと思います。精査する余裕は与えられていない、ということになります。
こうした場合、提案者が情報を独占している状態にあります。提案発表に必要ではない情報は参加者には知らされません。また、本人が意図する意図しないは別にして、都合の悪い情報は隠蔽される可能性もあります。
本来、対案を出すためには、情報の共有と事前の準備の時間が必要です。その条件が揃わない段階で対案を求めるのは、真意がどうあれ、議論を打ち切って結論を押し通したいのだ、と思われてしまうでしょう。(後略)
<引用終わり>
一瞬だけ正論に聞こえるのだが、事前説明もなしに、いきなり決済をするシステム自体の欠陥を無視して、「ストップさせる」としか言っていないのである。
また、「ストップさせる」のなら、何が引っ掛かって賛成出来ないか、との「ストップさせる側」の責務については書かれていない。
当方は、意志決定側にいた時に、意志決定プロセスには、内容説明・事前説明制度が必須であること、事前説明時に意思決定者側は必ず「引っ掛かる点」を具体的に提案者に対して明示して、意志決定の場になってからの説明不足・検討不足を理由にした意思決定の遅れを防止する制度と覚悟が必要であることを提案・実行している。
その様な視点からすれば、上記で紹介した「「反対するなら対案を出せ」は正論か?」は意思決定の場を前提にするのならば、稚拙なる言説だと感じている。
意思決定者側の努力、反対する側の努力は、いったい何処にいってしまったのだろう?
以上の様に、「対案を出さないことを正当化したい」との開き直りには、まともな理がないことをおわかりいただけたと思う。
特に、今回のお題は「対案を出さない怠慢・民進党」であるが、「自分じゃなにもせず、常に相手に要求する」との不遜な態度は、民進党だけの特徴ではない。
お隣りの、お困りの国も、ずっと「要求するだけ」だったことを思い出すし、上記で紹介した意思決定者側が、事前説明を受け・引っ掛かる点を提案者に明示するとの意思決定者としての責務・覚悟がない話とは、いったい何処の両班様だよ、と感じるのである。
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