「立憲主義」は現行憲法では成り立たない

国家存立基盤を蔑ろにする規定がある「現行憲法」で、どうやって「立憲主義」を貫徹するのか? 緊急事態条項を削除された「現行憲法」で、どうやって緊急時に国民の生命安全を守るのか? 超法規的措置とは、即ち「立憲主義」「法治主義」の否定である。
この矛盾を見て見ぬふりをしているのが、民進党や共産党。
国会で常用されるインチキ呪文「立憲主義」は、ドラクエで言えばメダパニ(混乱魔法)かマヌーサ(回避魔法)みたいなもので、立憲主義の本来的意味を理解していれば、何等の効果もないものである。
ところが、そこまでのレベルに至っていないと、「立憲主義」なる捻じ曲がった新定義の魔法にかかり混乱して、真逆の行動をしてしまう国民も出てくる可能性がある。
そこで、インチキ呪文「立憲主義」を跳ね返すマホカンタとして、現行憲法下では立憲主義が成り立たないことを以下に説明する。
先ず、「戦後「民主主義」教育」を受けている世代、要するに、現状では、ほぼ総ての日本人は、学校で習う「憲法とは」との基礎教育で、既にルカナン(守備力低下魔法)かボミオス(素早さ低下魔法)に被曝しており、メダパニが効き易い状態にある。
その為に、先ずは学校で習う「憲法とは」との論理展開が既に歪められていることに気が付いていただきたい。
憲法とは、本来的には、その国の基本法であり、その国の国柄に沿った理念が書かれているべきものだ。その国に生きた人々の生活経験の集積が、その国の国柄となり、そこで暮らす人々の自然な正邪判断の基準となるものが書かれているのが、本来的意味での憲法である。
ところが、学校で習う現在の「憲法とは」との論理展開は、そういう本質を素っ飛ばして、「憲法とは権力を縛るもの」との、憲法が持つ効力のうちのたった1つだけを拡大し、あたかも、それが全部であるかの様なことを教えている。
権力vs民衆との階級闘争史観の枠内に矮小化する「定義」が行われているのである。
この「権力を縛る」との効能は、イギリスのピューリタン革命(17世紀中盤)、同じくイギリスの名誉革命(17世紀終盤)やフランス革命(18世紀終盤)などの欧州絶対王政からの脱却が、その由来であり、またアメリカ独立戦争(18世紀後半)も宗主国絶対王政からの脱却であり、そういう歴史を経た国々の国民が、その効能を高らかに歌い上げているものである。一方、絶対王政とは違う歴史を歩んできた、我が国は、西欧の様な、絶対王政に対する反作用として、王様や王妃をギロチンにかける様な野蛮な歴史はなく、最初から国民・庶民は、天皇という最高位者から宝として扱われる存在である。
支那の地に於ける王朝の興亡は、易姓革命で断絶しており、その際の庶民の扱いは、時の権力者が生殺与奪の権を握るものであり、我が国とは違う扱いだったことは知られていることだ。史記に記された秦の始皇帝の焚書坑儒の際の儒者の扱いをみれば、その残酷さにあきれるしかない。
<引用開始>
日本は、国の頂点に天皇をいただき、民衆をその頂点にある天皇という国家最高権威の「おほみたから」とすることを国のカタチにしてきた国です。
だからこそ、その「おほみたから」とされた民衆も、これを管理監督する政治権力者としての「臣」も、それぞれに、その立場や地位にふさわしい人間になろうと努力してきた国柄です。
そしてそれが日本の伝統であり、文化であり、歴史です。
世界がまだ、王や豪族だけが人であり、民衆は、ただの収奪対象のモノでしかないようにしか理解されていなかった古代、中世、近世において、日本は一貫して、そういう国のカタチを守ってきたのです。
<引用終わり>
引用した部分に書かれていることは、当方の理解する、我が国が集積してきた我が国の歴史であり、理念であり、国柄だと考えているもので、そのものズバリの記載があったので引用紹介させてもらった。
引用先:ねずさんのひとりごと
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3195.html(これの後半部分を抜粋引用した)
このブログに関しては、近代以降現代に関する歴史観で多少意見が異なるが、それ以前に関しては、だいたいが同意できるもので、質の高いブログだと思っている。
我が国は、西欧絶対王政とは違う歴史を持ち、天皇からの統治権を委ねられた幕府が、その大権を「大政奉還」する歴史を以て近代国家となった国であり、西欧とは自ずと国柄・国の理念が違うのであって、西欧の歴史由来、或いはマルクス主義的な権力奪取である権力vs民衆との階級闘争史観の枠内に無理矢理に押し込められる様なものではない。
そもそも、幕府を開く征夷大将軍との地位は、天皇から与えられ地位である。
この様な我が国の歴史が気に入らない「反日サヨク」どもは、天皇から政権運営を委ねられたという構造を否定する為に、近年になってから、盛んに「いい国(1192年)作る鎌倉幕府」との、頼朝が征夷大将軍に任じられた「年」を否定し消し去る運動をしている様だ。
我が国の近代憲法と言えば、明治22年2月11日発布の大日本帝国憲法であるが、それの告文をみれば、けして市民革命が近代国家化への必要条件ではないことがわかるだろう。
「市民革命を経なければ近代国家になれない」なる「定義」は西欧文明圏での定義であり、我が国には該当しないのである。
2015/01/23投稿:
3.大日本帝国憲法の告文・憲法発布勅語と日本国憲法の前文の比較
3-1大日本帝国憲法 告文
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-7.html上記より、当方による現代語訳を○印を付して抜粋引用する。
先ず、この告文が、国民に宛てて発せられていることに注目して欲しい。
○私(明治天皇)は神武天皇から始まる我が国歴代天皇の御神霊に誓って国民の皆さんに告げます。
次に、この近代憲法制定の目的が、国民の幸福を増進する為だと言っている点である。
○臣民(国民)の幸福を増進する為にここに皇室典範および憲法を制定するものです。
我が国皇統は、科学的証明が出来ない程の昔からずっと続いており、古事記・日本書記の記述からは2670年以上も続いている。仁徳天皇の民のカマドの逸話は、紀元1世紀のことだと言われているが、二千年も続く「民は宝」の精神は、ここ数百年の西欧文明由来の天賦人権説とは別の我が国独自の人権思想である。
そして、最後に、欽定憲法と称される帝国憲法だが、明治天皇御自身が「この憲法を守るから」と宣言しているのである。
○私(明治天皇)の現在および将来に於いて、率先してこの憲法を実行し、憲法に背くことが無いようにすることを誓います。
実に西欧文明とは違う、我が国の独自の歩みの中で制定された憲法であることがわかるだろう。学校では、あたかも「欽定憲法だからダメ」と教えている様だが、それは、西欧文明・西欧の市民革命の歴史由来の権力vs民衆との階級闘争史観の枠内での、絶対王政から勝ち取ったものではないからだそうだ。
しかし、大日本帝国憲法の告文には、明治天皇御自身が御自身は憲法規定を守る、即ち、効能としての「権力を縛る」が含まれており、市民革命を経ていなくても、近代憲法の要件を満たしており、それは、我が国の国柄に合致したものなのである。
「戦後「民主主義」教育」で被曝したルカナンやボミオスに該当するのが、この「憲法とは権力を縛るもの」なる不必要に一部を拡大した定義である。
さて、ここからが、対メダパニの話である。長くなって申し訳ないが、大事なことなのでお付き合いいただきたい。
我が国文明由来の理念で書かれた憲法が存在することで初めて本来的立憲主義が成立するのであるのだが、現行憲法は、アメリカ人GHQが書いたものであり、その背景とするものが、西欧文明由来であるとの齟齬が存在している。
この視点での「「立憲主義」が成り立たない」との説明には、以下で、もしも「我が国文明とかなり違うイスラム法由来の憲法だったら我々の社会は機能しないでしょ」との趣旨で述べた通りである。
2016/11/27投稿:
定義ネジ曲げ「立憲主義」の笑止千万
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-551.html次の別視点での「「立憲主義」が成り立たない」との説明は、憲法規定に「実現不可能」なものが存在していると、憲法は機能しなくなるとの話である。
ご存じの様に、9条との不可能条項がある為に、我が国の現行憲法では、立憲主義が成り立たないのである。
「憲法とは」の本来的定義のうち「その国の基本法」「その国の国柄に沿った理念」に注目していただきたい。憲法とは法律である。そして、法体系の中では、最上位にある基本法の憲法と、他の民法、商法、刑法等の下位法は、憲法との適合性が求められる関係にある。
憲法と下位法の関係については、既に以下で説明済なので繰り返さないが、憲法規定に反する下位法が存在しているのなら、それはどちらも法律なのに、どっちを適用するんだ、との混乱が生じるのであり得ないということである。
「どっちも法律」とは、やれ権力を縛るだの、国民を縛るだのとの話は戯言であることの証明でもある。
2016/09/28投稿:
六法全書・憲法と下位法(前編)
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-511.html2016/09/28投稿:
六法全書・憲法と下位法(後編)
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-512.html憲法を守ることと、法律を守ることに差異はない。
それが社会のルールであり、そのルールを制定することが我々日本人の幸福に資する内容であることが、法律を作る際に立法の理念とか法益とかが議論・検討され、手続きに則り法律となるのである。
さて、現行憲法であるが、現行憲法にいったいどんな法益があり、どんな内容が我々日本人の幸福に資するのだろうか?
これについては、本ブログで逐条的に分析・検討しているので、どの条文を残して、どの条文を改正するのかは条文毎に提示済であるので、繰り返さない。
現行憲法条文のうち、多くは、そのまま継続するのが相応しいと考えている。
一方、致命的にダメ条文も存在する。それらを、どの様に改憲するのか、その理由は何故か、を明示して【日本国憲法改正私案α版】として提示済であるので、これも繰り返さない。
2015/08/13投稿:
【日本国憲法改正私案α版】(1/5)
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-183.html(この投稿以降、(5/5)までの5投稿で全文となる)
本項のテーマは、<現行憲法では本来的立憲主義が成り立たない>ことの説明である。
何故、成り立たないのかというと、それは現行憲法には、不可能規定が存在しているからである。不可能事を憲法規定されても、それを実現することは不可能なので、現実対応としては、憲法規定に反することにならざるを得ないのである。
過去、我々の先人達は、その相反する問題を「解釈」との手法でしのいできた。
憲法規定にある不可能事とは、前文+9条の主権制限・武将解除状態維持規定である。
前文での生殺与奪を他国に委ねるとの自己決定権放棄宣言は、国家主権を否定するものである。第9条の交戦権否定は、基本的国家主権の否定である。自衛力保持は各国が持つ自然権なのに、それを9条第2項で否定するとの憲法規定があり、自然権を否定するとの非現実的なものになっており、そんなものを守れる訳がない。
憲法の規定を現実世界で守れないのでは、立憲主義など成り立つ訳がないではないか。
我々日本人は、自身の生命と安全を確保する為に、現実世界では「解釈」に基づき、自衛隊を保持し自己生存の担保としている。それだけではリスクがあり、日米安保条約による抑止力を期待している。そもそも、自衛隊は、憲法に武装解除規定を入れ込んだマッカーサー自身が朝鮮戦争勃発すると、前言翻し日本に再武装命令を発した事から始まる。
立憲主義を貫徹するならば、その為には、日本人自身による平和主義の宣言と日本人を守る国軍の保持を憲法明記しなければ、憲法条文と現実が乖離したままの状態が継続することになり、何時まで経っても立憲主義に反する状態が続くことになる。
これが、<現行憲法では本来的立憲主義が成り立たない>ことの説明である。
如何であろうか?お分かりになったと思う。
一方、鋭い方々は、既に、所謂「護憲派」が言う「立憲主義」の意味がわかったと思う。
最近の国会で常用されるインチキ呪文「立憲主義」とは、言葉を変えただけで、言っている内容は、レトロな「憲法を守れ」「自衛隊は憲法違反」と何等変わることがないものだとお分かりのいことと思う。
「憲法を守れ」「自衛隊は憲法違反」との従来からの主張の際に、彼等が絶対的に触れないのが「国民の生命財産の安全をどの様にして確保するのか?」の根本的な問いである。
「現行憲法は、解釈でしのいできたが、前文と9条を、そのまま維持することは国民の幸福につながるのか?」との問いにも答えない。
これだけではない。総ての問いに答えず、ただただ「憲法を守れ」「「立憲主義」に反する」とのインチキ呪文だけを叫んでいるのである。
「前文での生殺与奪を他国に委ねる自己決定権放棄宣言を維持するのか?」
「平和主義貫徹には「自己決定権放棄」は必要条件ではない。このことを何故議論しない?」
「第9条の基本的国家主権である交戦権を放棄する規定で国民を守れるのか?」
「自衛力保持は各国が持つ自然権。それを9条第2項で否定すると憲法は非現実的なものであり、現在も現実と憲法条文が乖離する状態となっている。それを放置したままで良いのか?」
彼等「護憲派」が答えない、議論さえしない、これらの問いこそが、憲法での前文+9条問題の根本的問題なのである。それを「立憲主義に反する」とかのインチキ呪文でごまかし、議論から逃げているのが民進党や共産党なのである。
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