フーバー回顧録Doc.18-4
- 2016/11/11
- 20:32
フーバー回顧録Doc.18-4

副題:7年間で19の失政-国政執行者としての精神が如何に失われたのかの概括
(A Review of Lost Statesmanship — 19 Times in 7 Years)
以下のURLにある前回(Doc.18-3)からの続きである。
2016/11/04投稿:
フーバー回顧録Doc.18-3
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-535.html
前回紹介した「5番目の過ち」(失政)でフーバーは「アメリカの宣戦布告なき戦争」と題して、「1941年の冬(1941年の初頭)に、ルーズベルトがドイツと日本に対して、宣戦布告なき戦争(ドンパチを伴わない経済戦争)を始めた」と書いている。
今回はその続きの「6番目の過ち」であるが、ここから、ルーズベルトがやった数々の日本に対する戦争誘導についての記載が増えていく部分である。
6.6番目の過ち
・「静観しなかった」との失政
<①原文>
Failure in Watchful Waiting
Sixth. In the weeks before Lend-Lease and its war powers were forced upon the American people, Roosevelt knew definitely of Hitler’s determination to attack Russia, and he informed the Russians of it. He should have turned away from the undeclared war on Germany, confined Lend-Lease to simple aid to Britain by way of finances, to buy munitions, supplies and ships, thus keeping within international law. Statesmanship at that moment demanded imperiously a policy of watchful waiting.
↓
<②訳文>
6番目。レンドリース法が、その威力をアメリカ国民に及ぼす様になる前の週に於いて、ルーズベルトは、ヒットラーがロシア(ソ連)を攻撃することを知っていたのにもかかわらず、その情報をロシアに与えてしまっている。
ルーズベルトは、ドイツに対する宣戦布告なき戦争(ドンパチ以外の戦争行為)から退き、イギリスの対するレンドリーズ法の適用を、純粋に金融によるものに限定し、武器及びその他の物資、船舶の購入とかの国際法を遵守する方法にすべきであった。
その時点での、執政者としては、事態を正しく静観すべきであった。
<③解説>
この部分は訳し難かった部分だが、ルーズベルトがレンドリース法を用いて、ロシアに対して様々な武器や戦争遂行に必要な燃料やその他の物資を大量に供給し、それが独ソ戦初期から中期に於いて、ソ連の敗北を食い止めたとの史実から、この様に訳した。
フーバーは、レンドリース法はイギリスに対する戦費保障の範囲にすべきであったとの立場である。その範囲であれば、「宣戦布告なき戦争行為」とはならなかった旨が書かれている。
ルーズベルトが行ったことは、ドンパチこそしていなかったものの、ソ連に対して戦争遂行上必須の武器・物資を供給し続けたもので、明らかなる対ドイツ戦争行為である。
尚、レンドリーズ法に関して、この部分でフーバーは、イギリスとソ連にだけ言及しているが、蒋介石国府軍も対象であり「援蒋ルート」を通じて、膨大な武器。兵器、戦争遂行に必須の様々な物資を提供しており、日本に対しても「宣戦布告なき戦争」を仕掛けている。
20世紀中盤に生きたフーバーの視点は、どうしても欧米中心となるので、このレンドリーズ法を重視しているで、この「経済戦争の手段」であるレンドリース法への言及と次の「スターリンとの同盟」を事実上してしまったとの流れを最初に提示しているが、日本の視点からは、次の次「8番目の過ち」の「石油禁輸」が、より大きなダメージを受けるものである。
7.7番目の過ち
・スターリンとの同盟との失政
<①原文>
Alliance with Stalin
Seventh. Indeed the greatest loss of statesmanship in all American history was the tacit American alliance and support of Communist Russia when Hitler made his attack in June, 1941. Even the false theory that American military strength was needed to save Britain had now visibly vanished. By diversion of Nazi furies into the swamps of Russia, no one could any longer doubt the safety of Britain and all the Western world. These monstrous dictators were bound to exhaust themselves no matter who won. Even if Hitler won military victory, he would be enmeshed for years trying to hold these people in subjection. And he was bound even in victory to exhaust his military strength—and the Russians were bound to destroy any sources of supplies he might have hoped for. His own generals opposed his action.
American aid to Russia meant victory for Stalin and the spread of Communism over the world. Statesmanship again imperiously cried to keep out, be armed to the teeth and await their mutual exhaustion. When that day came there would have been an opportunity for the United States and Britain to use their strength to bring a real peace and security to the free world. No greater opportunity for lasting peace ever came to a President and he muffed it.
↓
<②訳文>
7番目。 全アメリカ史の中で、もっとも大きな損失・失政と言えば、この時の、共産ロシアに対する暗然なる同盟関係を持ったことと、(独ソ戦でソ連に対して)戦争支援をしたことであった。「この時」とは1941年6月のヒットラーの対ソ戦開始の時のことである。
「イギリスを救う為にはアメリカの軍事力(参戦)が必要だ」との議論は、例えそれが間違っていたとしても、(共産ロシアとの同盟を選択するとの失政の前に)議論なく消えてしまっていた(事は果たして良いことだったのであろうか?)
ナチスの憤怒の力がロシアの泥濘地へと向かった事で、もはや、イギリスと西欧諸国の安全は、そう長くは続かないことは誰の目にも明らかであった。
(スターリンとヒットラーとの)怪物の様な独裁者達は、誰が勝とうが無関係に、限度を越えて自身が疲弊しようが戦いをしていた。
もしも、ヒトラーが(対ソ戦で)軍事的勝利を得たとしても、彼は、共産ロシア(のスラブ)人を服従させようと1年以上苦労する状態になったであろうが、それでも、彼は、軍事的勝利を追究していた。
一方のロシア人(スターリン)は、(ヒットラーに渡すのなら)どの様な資源・生産手段をも破壊し尽す覚悟でいた。もっとも(スターリンの)将軍達は、(その様な焦土作戦)には賛成していなかったが。
アメリカの共産ロシアへの支援は、スターリンの勝利を意味するものであったが、同時に、共産主義の世界中への拡散を幇助することでもあった。
国政執行者の精神は、ここでも「深入りするな」と緊急の警告の叫びをあげていた。
武装を完全にして、彼等双方((スターリンとヒットラー)が疲弊するのを待てと。
その日(双方の疲弊)が来たときにこそ、アメリカとイギリスは、その持てる力を、自由世界に真の平和と安全をもたらすために使うべきである。
これほどまでに、平和を持続するための大きな機会は、これまで大統領の元には訪れていなかったが、彼(ルーズベルト大統領)は、それをやり損ねた。
<③解説>
フーバーの言い回しは、時に奇妙に「文学的」であったり、当方が知らない慣用句を用いていたりして、苦労する(笑)。
「be armed to the teeth」は、直訳すると「歯を武装せよ」だが、慣用句としては「完全武装」となる。従い、「武装を完全にして」「待て」と訳した。
フーバーが、ここで言いたかったことは、大きくは2つあると解している。
1つ目は、「イギリスを救う為にヒットラーを倒す」との目的の為の手段として、ルーズベルトは「共産ロシアへの直接支援」との方法を選んだのだが、それは「共産主義勢力の世界への蔓延」との副作用、それも致命的な副作用があることにルーズベルトは気が付いておらず、それを実行してしまったことに対する批判である。
こっちは題名にある「スターリンとの同盟との失政」そのものの話である。
2つ目は、「3番目の過ち」でも主張していた「スターリンとヒットラーという怪物の様な独裁者達を互いが疲弊するまで戦わせておけ」という、フーバーの持論のである。
これは、今日的視点では随分と乱暴な話なのだが、戦後の世界勢力図が、一方的に、共産主義勢力の拡大に終わっていることを見ると、「気持ちは良くわかる」というものである。
しかし、1941年6月時点で、それをフーバー自身が実行出来たのかというと、それは誰にもわからないことである。
しかし、共産主義国との事実上の同盟関係を持つことの強毒を理解していれば、アングロ・サクソンならやりかねないとの一面もあり、本当に「歴史にifはないのだと思う部分である。
一方、共産主義とは相容れない我が国は、1941年4月に日ソ不可侵条約をソ連相手に締結している。ルーズベルトの様に、ソ連=共産ロシアを全面的に支援することは三国同盟の関係からもあり得なかったが、フーバーが言う様な、今からの視点で見てスッキリとしたものも、逆に、望みえなかった様に感じている。
8.8番目の過ち
・1941年7月の対日経済制裁(日本への経済戦争)
<①原文>
The Economic Sanctions on Japan of July, 1941
Eighth. The eighth gigantic error in Roosevelt’s statesmanship was the total economic sanctions on Japan one month later, at the end of July, 1941. The sanctions were war in every essence except shooting. Roosevelt had been warned time and again by his own officials that such provocation would sooner or later bring reprisals of war.
↓
<②訳文>
1941年7月の対日経済制裁
8番目。 ルーズベルトの8番目の過ちは、ギガンティック巨大な過ち(gigantic error)である対日全面経済制裁(経済戦争)である。
それは(先述した1941年6月の7番目の過ち、即ち、スターリンとの暗然なる同盟関係となった)1ヶ月後の1941年7月末に行ったものである。
対日全面経済制裁(経済戦争)は、ドンパチをしないだけ(except shooting)の総ての戦争としての要素を含んだものであった。
ルーズベルトは、自分の部下から、再三にわたって、こんな挑発をしていると、遅かれ早かれ、その報復措置としての戦争が引き起こされるとの幾度も警告を受けていたのだが・・・。
<③解説>
ここでは日付情報が明記されている。end of July, 1941=1941年7月31日である。
この日付で実施された「経済制裁」は「対日石油全面禁輸」である。
当時の我が国の石油輸入先の80%はアメリカであり、それが禁輸となったのである。
「石油の80%がなくなる」という事態を現在に置き換えれば、現状、我が国の原油輸入の80%が中東からの輸入であり、それが全部なくなるとの事態と同じであり、我が国経済・国民生活は壊滅する。そういうことをルーズベルトはやったのである。
この「対日石油全面禁輸」に関しては、「5番目の過ち」の③解説で論述した通り、日本側資料では1941年8月1日になっているが、それは時差の関係である。
「対日石油全面禁輸」がどれほどの衝撃かは、アメリカ側の大統領府スタッフ(his own officials)も分かっており、再三にわたってルーズベルトに警告助言していることも、フーバーは書いているのである。それなのに、ルーズベルトは、そんな無茶を実行してしまっている。
こと、ここに至る経緯については、満州の問題があるのだが、それについては、それ自体に対して詳しく解説すべきものなので、ここでは割愛する。
<長くなったので項を分けます>
尚、本稿で使用している「フーバー回顧録」とは通称である。
同著の英語原題は以下の通り「裏切られた自由」である。
Freedom Betrayed:
(裏切られた自由)
Herbert Hoover's Secret History of the Second World War and Its Aftermath
(ハーバート・フーバーの知られざる歴史、第二次世界大戦と、その後の影響(余波))
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副題:7年間で19の失政-国政執行者としての精神が如何に失われたのかの概括
(A Review of Lost Statesmanship — 19 Times in 7 Years)
以下のURLにある前回(Doc.18-3)からの続きである。
2016/11/04投稿:
フーバー回顧録Doc.18-3
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-535.html
前回紹介した「5番目の過ち」(失政)でフーバーは「アメリカの宣戦布告なき戦争」と題して、「1941年の冬(1941年の初頭)に、ルーズベルトがドイツと日本に対して、宣戦布告なき戦争(ドンパチを伴わない経済戦争)を始めた」と書いている。
今回はその続きの「6番目の過ち」であるが、ここから、ルーズベルトがやった数々の日本に対する戦争誘導についての記載が増えていく部分である。
6.6番目の過ち
・「静観しなかった」との失政
<①原文>
Failure in Watchful Waiting
Sixth. In the weeks before Lend-Lease and its war powers were forced upon the American people, Roosevelt knew definitely of Hitler’s determination to attack Russia, and he informed the Russians of it. He should have turned away from the undeclared war on Germany, confined Lend-Lease to simple aid to Britain by way of finances, to buy munitions, supplies and ships, thus keeping within international law. Statesmanship at that moment demanded imperiously a policy of watchful waiting.
↓
<②訳文>
6番目。レンドリース法が、その威力をアメリカ国民に及ぼす様になる前の週に於いて、ルーズベルトは、ヒットラーがロシア(ソ連)を攻撃することを知っていたのにもかかわらず、その情報をロシアに与えてしまっている。
ルーズベルトは、ドイツに対する宣戦布告なき戦争(ドンパチ以外の戦争行為)から退き、イギリスの対するレンドリーズ法の適用を、純粋に金融によるものに限定し、武器及びその他の物資、船舶の購入とかの国際法を遵守する方法にすべきであった。
その時点での、執政者としては、事態を正しく静観すべきであった。
<③解説>
この部分は訳し難かった部分だが、ルーズベルトがレンドリース法を用いて、ロシアに対して様々な武器や戦争遂行に必要な燃料やその他の物資を大量に供給し、それが独ソ戦初期から中期に於いて、ソ連の敗北を食い止めたとの史実から、この様に訳した。
フーバーは、レンドリース法はイギリスに対する戦費保障の範囲にすべきであったとの立場である。その範囲であれば、「宣戦布告なき戦争行為」とはならなかった旨が書かれている。
ルーズベルトが行ったことは、ドンパチこそしていなかったものの、ソ連に対して戦争遂行上必須の武器・物資を供給し続けたもので、明らかなる対ドイツ戦争行為である。
尚、レンドリーズ法に関して、この部分でフーバーは、イギリスとソ連にだけ言及しているが、蒋介石国府軍も対象であり「援蒋ルート」を通じて、膨大な武器。兵器、戦争遂行に必須の様々な物資を提供しており、日本に対しても「宣戦布告なき戦争」を仕掛けている。
20世紀中盤に生きたフーバーの視点は、どうしても欧米中心となるので、このレンドリーズ法を重視しているで、この「経済戦争の手段」であるレンドリース法への言及と次の「スターリンとの同盟」を事実上してしまったとの流れを最初に提示しているが、日本の視点からは、次の次「8番目の過ち」の「石油禁輸」が、より大きなダメージを受けるものである。
7.7番目の過ち
・スターリンとの同盟との失政
<①原文>
Alliance with Stalin
Seventh. Indeed the greatest loss of statesmanship in all American history was the tacit American alliance and support of Communist Russia when Hitler made his attack in June, 1941. Even the false theory that American military strength was needed to save Britain had now visibly vanished. By diversion of Nazi furies into the swamps of Russia, no one could any longer doubt the safety of Britain and all the Western world. These monstrous dictators were bound to exhaust themselves no matter who won. Even if Hitler won military victory, he would be enmeshed for years trying to hold these people in subjection. And he was bound even in victory to exhaust his military strength—and the Russians were bound to destroy any sources of supplies he might have hoped for. His own generals opposed his action.
American aid to Russia meant victory for Stalin and the spread of Communism over the world. Statesmanship again imperiously cried to keep out, be armed to the teeth and await their mutual exhaustion. When that day came there would have been an opportunity for the United States and Britain to use their strength to bring a real peace and security to the free world. No greater opportunity for lasting peace ever came to a President and he muffed it.
↓
<②訳文>
7番目。 全アメリカ史の中で、もっとも大きな損失・失政と言えば、この時の、共産ロシアに対する暗然なる同盟関係を持ったことと、(独ソ戦でソ連に対して)戦争支援をしたことであった。「この時」とは1941年6月のヒットラーの対ソ戦開始の時のことである。
「イギリスを救う為にはアメリカの軍事力(参戦)が必要だ」との議論は、例えそれが間違っていたとしても、(共産ロシアとの同盟を選択するとの失政の前に)議論なく消えてしまっていた(事は果たして良いことだったのであろうか?)
ナチスの憤怒の力がロシアの泥濘地へと向かった事で、もはや、イギリスと西欧諸国の安全は、そう長くは続かないことは誰の目にも明らかであった。
(スターリンとヒットラーとの)怪物の様な独裁者達は、誰が勝とうが無関係に、限度を越えて自身が疲弊しようが戦いをしていた。
もしも、ヒトラーが(対ソ戦で)軍事的勝利を得たとしても、彼は、共産ロシア(のスラブ)人を服従させようと1年以上苦労する状態になったであろうが、それでも、彼は、軍事的勝利を追究していた。
一方のロシア人(スターリン)は、(ヒットラーに渡すのなら)どの様な資源・生産手段をも破壊し尽す覚悟でいた。もっとも(スターリンの)将軍達は、(その様な焦土作戦)には賛成していなかったが。
アメリカの共産ロシアへの支援は、スターリンの勝利を意味するものであったが、同時に、共産主義の世界中への拡散を幇助することでもあった。
国政執行者の精神は、ここでも「深入りするな」と緊急の警告の叫びをあげていた。
武装を完全にして、彼等双方((スターリンとヒットラー)が疲弊するのを待てと。
その日(双方の疲弊)が来たときにこそ、アメリカとイギリスは、その持てる力を、自由世界に真の平和と安全をもたらすために使うべきである。
これほどまでに、平和を持続するための大きな機会は、これまで大統領の元には訪れていなかったが、彼(ルーズベルト大統領)は、それをやり損ねた。
<③解説>
フーバーの言い回しは、時に奇妙に「文学的」であったり、当方が知らない慣用句を用いていたりして、苦労する(笑)。
「be armed to the teeth」は、直訳すると「歯を武装せよ」だが、慣用句としては「完全武装」となる。従い、「武装を完全にして」「待て」と訳した。
フーバーが、ここで言いたかったことは、大きくは2つあると解している。
1つ目は、「イギリスを救う為にヒットラーを倒す」との目的の為の手段として、ルーズベルトは「共産ロシアへの直接支援」との方法を選んだのだが、それは「共産主義勢力の世界への蔓延」との副作用、それも致命的な副作用があることにルーズベルトは気が付いておらず、それを実行してしまったことに対する批判である。
こっちは題名にある「スターリンとの同盟との失政」そのものの話である。
2つ目は、「3番目の過ち」でも主張していた「スターリンとヒットラーという怪物の様な独裁者達を互いが疲弊するまで戦わせておけ」という、フーバーの持論のである。
これは、今日的視点では随分と乱暴な話なのだが、戦後の世界勢力図が、一方的に、共産主義勢力の拡大に終わっていることを見ると、「気持ちは良くわかる」というものである。
しかし、1941年6月時点で、それをフーバー自身が実行出来たのかというと、それは誰にもわからないことである。
しかし、共産主義国との事実上の同盟関係を持つことの強毒を理解していれば、アングロ・サクソンならやりかねないとの一面もあり、本当に「歴史にifはないのだと思う部分である。
一方、共産主義とは相容れない我が国は、1941年4月に日ソ不可侵条約をソ連相手に締結している。ルーズベルトの様に、ソ連=共産ロシアを全面的に支援することは三国同盟の関係からもあり得なかったが、フーバーが言う様な、今からの視点で見てスッキリとしたものも、逆に、望みえなかった様に感じている。
8.8番目の過ち
・1941年7月の対日経済制裁(日本への経済戦争)
<①原文>
The Economic Sanctions on Japan of July, 1941
Eighth. The eighth gigantic error in Roosevelt’s statesmanship was the total economic sanctions on Japan one month later, at the end of July, 1941. The sanctions were war in every essence except shooting. Roosevelt had been warned time and again by his own officials that such provocation would sooner or later bring reprisals of war.
↓
<②訳文>
1941年7月の対日経済制裁
8番目。 ルーズベルトの8番目の過ちは、ギガンティック巨大な過ち(gigantic error)である対日全面経済制裁(経済戦争)である。
それは(先述した1941年6月の7番目の過ち、即ち、スターリンとの暗然なる同盟関係となった)1ヶ月後の1941年7月末に行ったものである。
対日全面経済制裁(経済戦争)は、ドンパチをしないだけ(except shooting)の総ての戦争としての要素を含んだものであった。
ルーズベルトは、自分の部下から、再三にわたって、こんな挑発をしていると、遅かれ早かれ、その報復措置としての戦争が引き起こされるとの幾度も警告を受けていたのだが・・・。
<③解説>
ここでは日付情報が明記されている。end of July, 1941=1941年7月31日である。
この日付で実施された「経済制裁」は「対日石油全面禁輸」である。
当時の我が国の石油輸入先の80%はアメリカであり、それが禁輸となったのである。
「石油の80%がなくなる」という事態を現在に置き換えれば、現状、我が国の原油輸入の80%が中東からの輸入であり、それが全部なくなるとの事態と同じであり、我が国経済・国民生活は壊滅する。そういうことをルーズベルトはやったのである。
この「対日石油全面禁輸」に関しては、「5番目の過ち」の③解説で論述した通り、日本側資料では1941年8月1日になっているが、それは時差の関係である。
「対日石油全面禁輸」がどれほどの衝撃かは、アメリカ側の大統領府スタッフ(his own officials)も分かっており、再三にわたってルーズベルトに警告助言していることも、フーバーは書いているのである。それなのに、ルーズベルトは、そんな無茶を実行してしまっている。
こと、ここに至る経緯については、満州の問題があるのだが、それについては、それ自体に対して詳しく解説すべきものなので、ここでは割愛する。
<長くなったので項を分けます>
尚、本稿で使用している「フーバー回顧録」とは通称である。
同著の英語原題は以下の通り「裏切られた自由」である。
Freedom Betrayed:
(裏切られた自由)
Herbert Hoover's Secret History of the Second World War and Its Aftermath
(ハーバート・フーバーの知られざる歴史、第二次世界大戦と、その後の影響(余波))



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