【コラム】オバマ広島演説の分析4
- 2016/06/19
- 00:04
【コラム】オバマ広島演説の分析4

副題:21世紀の新たなパラダイム、それは2015年4月29日の米議会演説が加速点。でも、新しいパラダイムに気付いていないのは、むしろ日本人。何故なら、当たり前過ぎるから。
<参考資料:(資料編)オバマ広島演説・和訳>
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-433.html
約17分間に及ぶオバマ演説は、二項対立する「矛盾」を幾度も繰り返し、そのリフレインの中に聴衆に考えさせる方向性を挟み込み、結論へと導く構成となっているものである。
演説の中で示されたのは、「道徳上の革命」が求められていることであり、「今までとは違った別の何か」が必要なことであった。
そして、示されたのは【私達は人類という1つの家族の一員】との八紘一宇の精神であった。
7-27
The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that 【we are part of a single human family】: that is the story that we all must tell.
総ての人にとっての不可侵の価値、総ての命が貴重であるとの主張、【私達は人類という1つの家族の一員なのだ】という、根源的で意識すべき必須の概念。;それが私達総てが伝えていかなくてはならない(本当の)物語なのです。
我々日本人には当たり前過ぎて、ピンとこないであろうが、オバマ演説は、兄弟愛の範囲を「人類」に広げたところにある。パラダイムシフトなのである。
日本書紀にある神武天皇が語ったとされる八紘一宇(八紘為宇)の精神性は、言葉が変われども、ずっと我々日本人の基本認識であり続けてきた概念であり、ちっとも画期的ではない。しかし、米国人等の西欧文明にとっては、それは「道徳上の革命」であり、求めていた「今までとは違った別の何か」の答なのである。
たった100年前には有色人種は人間ではなかったのだ。えっ!と思った方は、以下をご覧いただきたい。
2016/05/27投稿:
【コラム】1905年5月27日は人類史の転換点
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-423.html
シフトが済んでしまったパラダイムは常識となり、以前の旧パラダイムは忘れ去られ、あたかも、なかったかの如き感覚となる。
しかし、上記にて論述した様に、シフトが完了していない時代に於いては、有色人種は人間扱いをされていなかった事実が存在しているのである。
求めていた「答」を提示したオバマは、それ以前の「100年前のパラダイムシフト」に言及する。
・第13パラグラフ:7-28~7-30:リフレイン・原爆で殺された人は同じ人間
「だからこそ、私達は広島に来るのです。」で始まる第13パラグラフは、その直後に、普通の家族の朝の一コマを描写し始める。
「朝、最初の子供達の(起きたての)笑顔、食卓越しの(配偶者)愛する人との優しい触れ合い、父母からの温かな(抱擁)慈しみ。」
この様な普通の家族の日常をオバマは演説の終わり間近に述べている。
普段は気付かないが失ってから痛切に感じる至福の時であった普通の幸福なる家族の日常の風景を示し、そういう自分達と同じ人間が、あの日、原爆で殺された人々だと繰り返す。
そして、再度、「道徳上の革命」の必要性の根拠を述べているのである。
「彼等は、科学の発展は生活を奪うことにではなく、生活を向上させることに焦点を絞るべきだと思っているのです。」
原爆で殺された人々は、自分と同じ人間であること。原爆を生んだ「人間の智の集積」であるところの科学の発展と同じレベルでの「道徳上の革命」の必要性。
これらは、オバマ演説の前半の早い部分で示された概念・命題である。
それと同じ事をオバマは演説の終わり間近に述べている。
これは、もっとも理解して欲しい事を伝える為の古くからの手法である。
最近の言い方で言えば「大事な事なので、2回言いました」という事だ。
この様な、もっとも理解して欲しい事を最初と最後に述べる手法は、千年以上の昔から存在している。
十七条憲法は西暦604年、今から1412年も前に制定された。
その最初の第1条は「以和爲貴」=(和を以て貴と成す)で有名だが、第1条の要諦は、それに続く「諧於論事、則事理自通。何事不成」=(何事も皆でちゃんと議論すれば、おのずから理に適い、何事も成功する)にある様に、「何事も皆で話し合え」と言っているのである。
そして、最後の17条では「夫事不可独断、必與衆宜論」=(何事も一人で判断してはならない。必ずみんなで論議して判断すべきである)と言っているのである。
今から1412年も前の十七条憲法も、聖徳太子が一番理解して欲しい事である「皆で話し合って決めることが一番大事なんじゃ~!」を最初と最後に記載しているのである。
「大事な事なので、2回言いました」「大事なことで全体をサンドしました」という事だ。
「皆で話し合って決めることが一番大事なんじゃ~!」が本当に一番大事である証拠としては五箇条の御誓文がある。聖徳太子の世から約1300年を隔てた1868年に明治大帝が明治政府の基本方針として示した五箇条の御誓文の一番最初に同じ事が書かれているのである。
【広く会議を興し、万機公論に決すべし。】
「万機」とは「あらゆる重要事項」という意味であり、「公論」とは「皆の意見」「公開された議論」という意味である。
話を戻す。「大事な事なので、2回言いました」「大事なことで全体をサンドしました」の手法はオバマ演説にも踏襲されているのであるが、オバマ演説での「大事な事」は何かを再度確認したい。
1つ目は、あの日、原爆で殺された人々は自分達と同じ人々だということ。
2つ目は、「道徳上の革命」の必要性である。
・第14パラグラフ:8-31~8-33:エピローグ
最後の第14パラグラフでオバマがまとめの言葉として言っていることは、From Hiroshimaである。
8-31では、国家や国家指導者が行う選択は「広島の教訓が活かされるべき」だと言い。
8-32では、「世界はここで永遠に変わりました」と述べ、広島の子供達が「平和な日々を過ごしていくでしょう」との言い方で、臥薪嘗胆・復讐の機会をうかがっている様な状態ではない事、即ち、従前の古いパラダイムを超えた「ゆるし」の精神が次世代に受け継がれていることを示し、それこそが「道徳上の革命」だとしている。
最後の8-33は以下に全文を引用する。
8-33:これこそが、私達が選択できる(選択すべき)未来です。広島と長崎が、核戦争の幕開けとしてではなく、私達の新たな道徳の目覚め、始まりとして知られる、そんな未来を私達は選択することが可能なのです。
オバマ演説は、「道徳上の革命」の必要性を説き、その答が広島に長崎にあると言っているのである。
オバマ演説は、兄弟愛の範囲を人類愛へと拡大した。
その概念は、有色人種も人間だとの100年をかけたパラダイムシフトがあってこその概念である。有色人種も人間だとの土台の存在があって初めて可能となる範囲拡大概念の提示である。
如何であろう。当方がオバマ演説を読むと、この様な分析・理解となる。
読む側の勝手な解釈ではあるが、この様な理解に至る分析過程は示してきた通りである。
どの様な理解をするのかは、読んだ方が自身の責任で行うものであるが、当方の分析が理解の一助となれば幸いである。
オバマ演説で、気になる部分があれば、具体的箇所を明示してご質問いただきたい。
ご質問は、コメント欄か以下のメールアドレスにお願いする。
< samrai308w@gmail.com >
オバマ演説自体の分析はこれで全編を網羅したのだが、あの日、この後に安倍首相が短い演説をしている。その内容及び意味合いの分析を行う予定なので、引き続きお付き合いいただき度い。
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副題:21世紀の新たなパラダイム、それは2015年4月29日の米議会演説が加速点。でも、新しいパラダイムに気付いていないのは、むしろ日本人。何故なら、当たり前過ぎるから。
<参考資料:(資料編)オバマ広島演説・和訳>
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-433.html
約17分間に及ぶオバマ演説は、二項対立する「矛盾」を幾度も繰り返し、そのリフレインの中に聴衆に考えさせる方向性を挟み込み、結論へと導く構成となっているものである。
演説の中で示されたのは、「道徳上の革命」が求められていることであり、「今までとは違った別の何か」が必要なことであった。
そして、示されたのは【私達は人類という1つの家族の一員】との八紘一宇の精神であった。
7-27
The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that 【we are part of a single human family】: that is the story that we all must tell.
総ての人にとっての不可侵の価値、総ての命が貴重であるとの主張、【私達は人類という1つの家族の一員なのだ】という、根源的で意識すべき必須の概念。;それが私達総てが伝えていかなくてはならない(本当の)物語なのです。
我々日本人には当たり前過ぎて、ピンとこないであろうが、オバマ演説は、兄弟愛の範囲を「人類」に広げたところにある。パラダイムシフトなのである。
日本書紀にある神武天皇が語ったとされる八紘一宇(八紘為宇)の精神性は、言葉が変われども、ずっと我々日本人の基本認識であり続けてきた概念であり、ちっとも画期的ではない。しかし、米国人等の西欧文明にとっては、それは「道徳上の革命」であり、求めていた「今までとは違った別の何か」の答なのである。
たった100年前には有色人種は人間ではなかったのだ。えっ!と思った方は、以下をご覧いただきたい。
2016/05/27投稿:
【コラム】1905年5月27日は人類史の転換点
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-423.html
シフトが済んでしまったパラダイムは常識となり、以前の旧パラダイムは忘れ去られ、あたかも、なかったかの如き感覚となる。
しかし、上記にて論述した様に、シフトが完了していない時代に於いては、有色人種は人間扱いをされていなかった事実が存在しているのである。
求めていた「答」を提示したオバマは、それ以前の「100年前のパラダイムシフト」に言及する。
・第13パラグラフ:7-28~7-30:リフレイン・原爆で殺された人は同じ人間
「だからこそ、私達は広島に来るのです。」で始まる第13パラグラフは、その直後に、普通の家族の朝の一コマを描写し始める。
「朝、最初の子供達の(起きたての)笑顔、食卓越しの(配偶者)愛する人との優しい触れ合い、父母からの温かな(抱擁)慈しみ。」
この様な普通の家族の日常をオバマは演説の終わり間近に述べている。
普段は気付かないが失ってから痛切に感じる至福の時であった普通の幸福なる家族の日常の風景を示し、そういう自分達と同じ人間が、あの日、原爆で殺された人々だと繰り返す。
そして、再度、「道徳上の革命」の必要性の根拠を述べているのである。
「彼等は、科学の発展は生活を奪うことにではなく、生活を向上させることに焦点を絞るべきだと思っているのです。」
原爆で殺された人々は、自分と同じ人間であること。原爆を生んだ「人間の智の集積」であるところの科学の発展と同じレベルでの「道徳上の革命」の必要性。
これらは、オバマ演説の前半の早い部分で示された概念・命題である。
それと同じ事をオバマは演説の終わり間近に述べている。
これは、もっとも理解して欲しい事を伝える為の古くからの手法である。
最近の言い方で言えば「大事な事なので、2回言いました」という事だ。
この様な、もっとも理解して欲しい事を最初と最後に述べる手法は、千年以上の昔から存在している。
十七条憲法は西暦604年、今から1412年も前に制定された。
その最初の第1条は「以和爲貴」=(和を以て貴と成す)で有名だが、第1条の要諦は、それに続く「諧於論事、則事理自通。何事不成」=(何事も皆でちゃんと議論すれば、おのずから理に適い、何事も成功する)にある様に、「何事も皆で話し合え」と言っているのである。
そして、最後の17条では「夫事不可独断、必與衆宜論」=(何事も一人で判断してはならない。必ずみんなで論議して判断すべきである)と言っているのである。
今から1412年も前の十七条憲法も、聖徳太子が一番理解して欲しい事である「皆で話し合って決めることが一番大事なんじゃ~!」を最初と最後に記載しているのである。
「大事な事なので、2回言いました」「大事なことで全体をサンドしました」という事だ。
「皆で話し合って決めることが一番大事なんじゃ~!」が本当に一番大事である証拠としては五箇条の御誓文がある。聖徳太子の世から約1300年を隔てた1868年に明治大帝が明治政府の基本方針として示した五箇条の御誓文の一番最初に同じ事が書かれているのである。
【広く会議を興し、万機公論に決すべし。】
「万機」とは「あらゆる重要事項」という意味であり、「公論」とは「皆の意見」「公開された議論」という意味である。
話を戻す。「大事な事なので、2回言いました」「大事なことで全体をサンドしました」の手法はオバマ演説にも踏襲されているのであるが、オバマ演説での「大事な事」は何かを再度確認したい。
1つ目は、あの日、原爆で殺された人々は自分達と同じ人々だということ。
2つ目は、「道徳上の革命」の必要性である。
・第14パラグラフ:8-31~8-33:エピローグ
最後の第14パラグラフでオバマがまとめの言葉として言っていることは、From Hiroshimaである。
8-31では、国家や国家指導者が行う選択は「広島の教訓が活かされるべき」だと言い。
8-32では、「世界はここで永遠に変わりました」と述べ、広島の子供達が「平和な日々を過ごしていくでしょう」との言い方で、臥薪嘗胆・復讐の機会をうかがっている様な状態ではない事、即ち、従前の古いパラダイムを超えた「ゆるし」の精神が次世代に受け継がれていることを示し、それこそが「道徳上の革命」だとしている。
最後の8-33は以下に全文を引用する。
8-33:これこそが、私達が選択できる(選択すべき)未来です。広島と長崎が、核戦争の幕開けとしてではなく、私達の新たな道徳の目覚め、始まりとして知られる、そんな未来を私達は選択することが可能なのです。
オバマ演説は、「道徳上の革命」の必要性を説き、その答が広島に長崎にあると言っているのである。
オバマ演説は、兄弟愛の範囲を人類愛へと拡大した。
その概念は、有色人種も人間だとの100年をかけたパラダイムシフトがあってこその概念である。有色人種も人間だとの土台の存在があって初めて可能となる範囲拡大概念の提示である。
如何であろう。当方がオバマ演説を読むと、この様な分析・理解となる。
読む側の勝手な解釈ではあるが、この様な理解に至る分析過程は示してきた通りである。
どの様な理解をするのかは、読んだ方が自身の責任で行うものであるが、当方の分析が理解の一助となれば幸いである。
オバマ演説で、気になる部分があれば、具体的箇所を明示してご質問いただきたい。
ご質問は、コメント欄か以下のメールアドレスにお願いする。
< samrai308w@gmail.com >
オバマ演説自体の分析はこれで全編を網羅したのだが、あの日、この後に安倍首相が短い演説をしている。その内容及び意味合いの分析を行う予定なので、引き続きお付き合いいただき度い。



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