憲法9条第1項を読む2
- 2016/05/19
- 00:07
憲法9条第1項を読む2

副題:憲法9条第1項の堅持って正しいことなの?2
「憲法9条の第1項は堅持して、第2項を変える」と改憲派の方でさえ言ってしまっているのですが、本当に、それで良いのですか?
<現行憲法:第9条・第1項>
日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。
<引用終わり>
この条文を読んで、我々日本人の平和・安全の確保、自存自衛と平和主義が両立されていると読めるのですか?
侵略に対抗する自衛の為の武力行使も「国権の発動」に該当するのですけど。
国家主権なき国防組織って形容矛盾ですよね。それじゃ国際法上はイスイス団と同じになっちゃいます。
さて、この当方拙文にアクセス出来ている方は、ネット環境がある方でしょう。
ならばWikiで「憲法○条」を検索していただきたい。
Wikiには憲法の各条文のページが存在していて、その多くの説明構成が「1 条文」で先ず条文が記載され、「2 解説」で何等かの解説が記載されているとの構成になっています。
ところが、Wikiの「憲法9条」は「1 概要」「2 条文」との構成になっており、条文の記載の前に以下の「概要」が書かれており、真っ新な状態で条文を読ませない構成となっているのです。(2016年5月現在のWiki)
<引用開始>(Wikiの「憲法9条」の「1 概要」)
1928年(昭和3年)に締結された戦争放棄二関スル条約、いわゆるパリ不戦条約の第1条と、日本国憲法第9条第1項は文言が類似しているが、これをどの様に捉えるかは、本条の解釈において問題となる。この条文の日本国政府見解に拠れば、自衛隊は憲法第9条第2項にいう「戦力」には当たらない組織とされている。
<引用終わり>
憲法第9条第1項の条文を読ませる前に「パリ不戦条約」の「類似文章」だとの刷り込みが行われているのです。「類似」と言えば「類似」なのかもしれないが、憲法第9条第1項の条文は、素直に読んでも、曖昧模糊としており、折角改憲するのに「そのままで良い」とは言えない条文なのです。
家電でもスマホでも、なんでも良いのだが、その製品を使うにあたり、取扱説明書を読んでも良くわからないのだったら、それは取扱説明書が機能していない、取扱説明書の記載が不適切ということ。
現行憲法第9条第1項の条文とは、そういう状態の条文なのだと言える。
Wikiでは、条文自体の前に「概要」があり、「これは「パリ不戦条約」の類似文章だ」と言っているのだが、それって、製品を作ってる家電メーカーの社史を知らないと、その製品の取扱説明書の文書の意味がわからないと言っているのと同じであり、実に非常識な話だと思いませんか?
もっと明確に自衛は当然の権利としてやります、他国を征服することを目的とした侵略戦争なんかやりませんって書かないのですかね?
特に、改憲派の方々に聞きたいのですけど、改憲をするにあたり、奇妙な文章である現行の第1項をわざわざ残す意味はないと思いませんか?
何故、今のままで良いって言えるのですか?
今回の主題は、こういう事で、改憲するのだったら、やっぱし明確に書いた方が良いってことなんです。
ところで、Wikiの書いてある「パリ不戦条約の第1条と、日本国憲法第9条第1項は文言が類似している」との話は、大学の「憲法学」の講義でも聞いたことがある話だけど、では、「どの程度似ているのか?」って調べたことはありますか?
「調べたことあるよ」って方は、多分、当方と同じ「マニアック」な御方だと思います(笑)
先ずは、和文でパリ不戦条約と現行憲法第9条1項を比較してみましょう。
<パリ不戦条約:引用開始>
データベース『世界と日本』東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19280827.T1J.html
[文書名] 戰爭抛棄に關する條約
[場所] パリ
[年月日] 1928年8月27日(中略)
<引用終わり>
「署名日1928年」とは昭和3年のことで、この条約も旧仮名つかいの文語体であることから、原文は上記URLで見ていただくとして、現代語訳を以下に紹介します。現代語訳は当方によります。
<パリ不戦条約・現代語訳>
1928年8月27日パリにて於いて署名
1929年6月27日批准
1929年7月24日批准書寄託
1929年7月25日公布
ドイツ国大統領、アメリカ合衆国大統領、ベルギー国皇帝陛下、フランス共和国大統領、グレートブリテン・アイルランド及び海外領土皇帝インド皇帝陛下、イタリア国皇帝陛下、日本国皇帝陛下、ポーランド共和国大統領、チェコスロバキア共和国大統領は、人類の福祉を増進すべく、その厳粛なる責務を深く感銘して、その人々の間に現存する平和友好の関係を永久ならしめる為に、国家の政策の手段としての戦争を率直に放棄すべき時機が到来したことを確信して、その相互関係に於ける一切の変更は平和的手段に依ってのみこれを求めるべきこと、また、平和的にして秩序ある手続きの結果であるべきこと、及び、今後、戦争に訴えて国家の利益を増進せんとする署名国は、本条約の供与する利益(他の条約締結国からの不戦との利益)を拒否していることになるのだと確信して、この模範となる例に促進させられ、世界の他の総ての国が、この人道的努力に参加して、かつ、本条約の実施後、速やかに、これに加入することに依って、それらの人々が、この条約に規定する恩恵に浴し、以て、国家の政策の手段としての戦争の共同放棄をすることに世界の文明諸国が結合することを希望して、ここに条約を締結することを決定し、その為に左(横書きなら下記)の全権委員を任命した。
(英文資料ではずらずらと全權委員の名前が書かれているが、それは省略する)
(日本国全権は枢密顧問官・伯爵・内田康哉)
そういう訳で各全権委員は互いにその全権委任状を示し、これが良好妥当であること認めた後に、左(下記)の諸条を協定した。
第1条:締約国は、国際紛争解決のため、戦争に訴えることを非とし、かつ、その相互関係に於いて、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の国民(原文:人民)の名に於いて厳粛に宣言する。
第2条:締約国は、相互間に起こる一切の紛争又は紛議は、その性質又は原因の如何を問わず、平和的手段以外に、その処理又は解決を求めないことを約束する。
第3条:本条約は、前文に掲げられた締約国により、各自の憲法上の用件に従って批准され、かつ、各国の批准書が総てワシントンに於いて寄託後、直ちに締約国間に実施される。(発効する。)
本条約は、前項の定めにより実施されるときは、世界の他の一切の国の加入のため、必要な間、開き置かれ、一国の加入を証する各文書はワシントンに寄託される。本条約は、右の寄託の時より直ちに当該加入国と本条約の他の当事国との間に実施される。
アメリカ合衆国政府は、前文に掲げられた各国政府及びその後に本条約に加入する各国政府に対し、本条約及び一切の批准書又は加入書の認証謄本を交付する義務を負う。アメリカ合衆国政府は各批准書又は加入書が同国政府に寄託されたときは直ちに右の諸国政府に電報を以て通告する義務を負う。
右の(上記の)証拠として、各全権委員はフランス語及び英語で作成され、両本文共に同等の効力を有する本条約に署名調印した。
1928年8月28日、パリにおいて作成する。
(全権委員の署名は省略)
- - - - - - -
政府宣言書(昭和四年六月二十七日)
帝国政府は、1928年2月27日パリに於いて署名された、戦争放棄に関する条約の第1条中の「その各自の国民(原文:人民)の名に於いて」という字句は、帝国憲法の条章に照らして、日本国に限り適用されないものと了解することを宣言する。
(注:帝国憲法の実質は議会制民主主義だが、建て付けは天皇大権に集約するものであることから「人民・国民の名に於いて」だと憲法条文と齟齬が生じることからの「宣言」である。)
<パリ不戦条約・現代語訳終わり>
では、「現行憲法第9条第1項」と「パリ不戦条約第1条・現代語訳」を並べて比べてみましょう。
<現行憲法:第9条第1項>
日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。
<引用終わり>
<パリ不戦条約第1条・現代語訳>
第1条:締約国は、国際紛争解決のため、戦争に訴えることを非とし、かつ、その相互関係に於いて、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の国民(原文:人民)の名に於いて厳粛に宣言する。
<引用終わり>
如何であろう?「類似」と言えば「類似」なのかもしれないが、どの程度の「類似」なのかは、各自の主観によるとしか言い様がないものだと思います。
多分、渡辺直美とビヨンセ程度には「類似」しているのかもしれない(笑)。
<ご参考(笑)YouTube動画>
笑っていいとも~ビヨンセ姉妹登場~ Beyoncé
https://www.youtube.com/watch?v=iGAxRWBhV1I
この程度で「類似」とか言ってしまうのには、二つの「理由」があると考えています。
先ず、所謂「護憲派」側は、何が何でも現行憲法9条との国家主権制限条項を残したいので、「大日本帝国の時代に、こういう条文で平和主義を表しているのだから、9条第1項にはなんら問題はないでしょ」との詐欺話を言い、改憲された後も9条第1項を残置させておきたいのが動機だと推察されます。
改憲後であっても残しておきたい部分は「国権の発動たる戦争と,」が多分メインで、次に「永久にこれを放棄する。」の部分だと推定しています。
一方の所謂「改憲派」側での1項問題軽視は、第9条第2項の「陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。」との「敗戦国武装解除状態永続化条文」の最悪猛毒条文を一刻も早く破棄したいが為に、その部分にのみ注目し、他の部分を後回しにし過ぎる為に起こる現象だと解しています。
実際、当方自身も「9条問題」を語る際の優先順位としては、第2項の「戦力不保持」の解消が最重要課題だと認定しているので、当方も先ずはそれを優先する。
以前の言論空間では、改憲を言い出すだけで、あたかも「軍国主義者」「危険な右翼思想」とのレッテル貼り・偽看板貼り付けが行われ、中身の議論に至らない状態が長く続いた。そんな時代に於いては、9条2項の「戦力不保持」以外の同2項「交戦権の否定」と第1項の「「国権の発動たる戦争」の放棄」=実は自衛戦争も出来ない交戦権否定と同じ国家主権制限の問題を語っても、その理解を得ることは今以上に難しい時代だったのです。
しかし、今や、改憲賛成が過半数を占める時代となったので、以前の様な「1点突破」で、他の毒性が依然として残ってしまう「過度な集中」ではなく、9条問題全体を考慮すべき環境が出来たと考えています。この論評も1年以上続けているので、この事に集中して書いても、この内容を理解してくれる方がいると考えているのです。
さて、渡辺直美は「ビヨンセに似ている」と言われる憲法第9条第1項なのだけど、ビヨンセ側から見た渡辺直美「憲法第9条1項」は、どこがその様に似ているのであろう?
次回は、そういう視点でパリ不戦条約と憲法9条を見る事にしたい。
<次項に続けます>
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「憲法9条の第1項は堅持して、第2項を変える」と改憲派の方でさえ言ってしまっているのですが、本当に、それで良いのですか?
<現行憲法:第9条・第1項>
日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。
<引用終わり>
この条文を読んで、我々日本人の平和・安全の確保、自存自衛と平和主義が両立されていると読めるのですか?
侵略に対抗する自衛の為の武力行使も「国権の発動」に該当するのですけど。
国家主権なき国防組織って形容矛盾ですよね。それじゃ国際法上はイスイス団と同じになっちゃいます。
さて、この当方拙文にアクセス出来ている方は、ネット環境がある方でしょう。
ならばWikiで「憲法○条」を検索していただきたい。
Wikiには憲法の各条文のページが存在していて、その多くの説明構成が「1 条文」で先ず条文が記載され、「2 解説」で何等かの解説が記載されているとの構成になっています。
ところが、Wikiの「憲法9条」は「1 概要」「2 条文」との構成になっており、条文の記載の前に以下の「概要」が書かれており、真っ新な状態で条文を読ませない構成となっているのです。(2016年5月現在のWiki)
<引用開始>(Wikiの「憲法9条」の「1 概要」)
1928年(昭和3年)に締結された戦争放棄二関スル条約、いわゆるパリ不戦条約の第1条と、日本国憲法第9条第1項は文言が類似しているが、これをどの様に捉えるかは、本条の解釈において問題となる。この条文の日本国政府見解に拠れば、自衛隊は憲法第9条第2項にいう「戦力」には当たらない組織とされている。
<引用終わり>
憲法第9条第1項の条文を読ませる前に「パリ不戦条約」の「類似文章」だとの刷り込みが行われているのです。「類似」と言えば「類似」なのかもしれないが、憲法第9条第1項の条文は、素直に読んでも、曖昧模糊としており、折角改憲するのに「そのままで良い」とは言えない条文なのです。
家電でもスマホでも、なんでも良いのだが、その製品を使うにあたり、取扱説明書を読んでも良くわからないのだったら、それは取扱説明書が機能していない、取扱説明書の記載が不適切ということ。
現行憲法第9条第1項の条文とは、そういう状態の条文なのだと言える。
Wikiでは、条文自体の前に「概要」があり、「これは「パリ不戦条約」の類似文章だ」と言っているのだが、それって、製品を作ってる家電メーカーの社史を知らないと、その製品の取扱説明書の文書の意味がわからないと言っているのと同じであり、実に非常識な話だと思いませんか?
もっと明確に自衛は当然の権利としてやります、他国を征服することを目的とした侵略戦争なんかやりませんって書かないのですかね?
特に、改憲派の方々に聞きたいのですけど、改憲をするにあたり、奇妙な文章である現行の第1項をわざわざ残す意味はないと思いませんか?
何故、今のままで良いって言えるのですか?
今回の主題は、こういう事で、改憲するのだったら、やっぱし明確に書いた方が良いってことなんです。
ところで、Wikiの書いてある「パリ不戦条約の第1条と、日本国憲法第9条第1項は文言が類似している」との話は、大学の「憲法学」の講義でも聞いたことがある話だけど、では、「どの程度似ているのか?」って調べたことはありますか?
「調べたことあるよ」って方は、多分、当方と同じ「マニアック」な御方だと思います(笑)
先ずは、和文でパリ不戦条約と現行憲法第9条1項を比較してみましょう。
<パリ不戦条約:引用開始>
データベース『世界と日本』東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19280827.T1J.html
[文書名] 戰爭抛棄に關する條約
[場所] パリ
[年月日] 1928年8月27日(中略)
<引用終わり>
「署名日1928年」とは昭和3年のことで、この条約も旧仮名つかいの文語体であることから、原文は上記URLで見ていただくとして、現代語訳を以下に紹介します。現代語訳は当方によります。
<パリ不戦条約・現代語訳>
1928年8月27日パリにて於いて署名
1929年6月27日批准
1929年7月24日批准書寄託
1929年7月25日公布
ドイツ国大統領、アメリカ合衆国大統領、ベルギー国皇帝陛下、フランス共和国大統領、グレートブリテン・アイルランド及び海外領土皇帝インド皇帝陛下、イタリア国皇帝陛下、日本国皇帝陛下、ポーランド共和国大統領、チェコスロバキア共和国大統領は、人類の福祉を増進すべく、その厳粛なる責務を深く感銘して、その人々の間に現存する平和友好の関係を永久ならしめる為に、国家の政策の手段としての戦争を率直に放棄すべき時機が到来したことを確信して、その相互関係に於ける一切の変更は平和的手段に依ってのみこれを求めるべきこと、また、平和的にして秩序ある手続きの結果であるべきこと、及び、今後、戦争に訴えて国家の利益を増進せんとする署名国は、本条約の供与する利益(他の条約締結国からの不戦との利益)を拒否していることになるのだと確信して、この模範となる例に促進させられ、世界の他の総ての国が、この人道的努力に参加して、かつ、本条約の実施後、速やかに、これに加入することに依って、それらの人々が、この条約に規定する恩恵に浴し、以て、国家の政策の手段としての戦争の共同放棄をすることに世界の文明諸国が結合することを希望して、ここに条約を締結することを決定し、その為に左(横書きなら下記)の全権委員を任命した。
(英文資料ではずらずらと全權委員の名前が書かれているが、それは省略する)
(日本国全権は枢密顧問官・伯爵・内田康哉)
そういう訳で各全権委員は互いにその全権委任状を示し、これが良好妥当であること認めた後に、左(下記)の諸条を協定した。
第1条:締約国は、国際紛争解決のため、戦争に訴えることを非とし、かつ、その相互関係に於いて、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の国民(原文:人民)の名に於いて厳粛に宣言する。
第2条:締約国は、相互間に起こる一切の紛争又は紛議は、その性質又は原因の如何を問わず、平和的手段以外に、その処理又は解決を求めないことを約束する。
第3条:本条約は、前文に掲げられた締約国により、各自の憲法上の用件に従って批准され、かつ、各国の批准書が総てワシントンに於いて寄託後、直ちに締約国間に実施される。(発効する。)
本条約は、前項の定めにより実施されるときは、世界の他の一切の国の加入のため、必要な間、開き置かれ、一国の加入を証する各文書はワシントンに寄託される。本条約は、右の寄託の時より直ちに当該加入国と本条約の他の当事国との間に実施される。
アメリカ合衆国政府は、前文に掲げられた各国政府及びその後に本条約に加入する各国政府に対し、本条約及び一切の批准書又は加入書の認証謄本を交付する義務を負う。アメリカ合衆国政府は各批准書又は加入書が同国政府に寄託されたときは直ちに右の諸国政府に電報を以て通告する義務を負う。
右の(上記の)証拠として、各全権委員はフランス語及び英語で作成され、両本文共に同等の効力を有する本条約に署名調印した。
1928年8月28日、パリにおいて作成する。
(全権委員の署名は省略)
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政府宣言書(昭和四年六月二十七日)
帝国政府は、1928年2月27日パリに於いて署名された、戦争放棄に関する条約の第1条中の「その各自の国民(原文:人民)の名に於いて」という字句は、帝国憲法の条章に照らして、日本国に限り適用されないものと了解することを宣言する。
(注:帝国憲法の実質は議会制民主主義だが、建て付けは天皇大権に集約するものであることから「人民・国民の名に於いて」だと憲法条文と齟齬が生じることからの「宣言」である。)
<パリ不戦条約・現代語訳終わり>
では、「現行憲法第9条第1項」と「パリ不戦条約第1条・現代語訳」を並べて比べてみましょう。
<現行憲法:第9条第1項>
日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。
<引用終わり>
<パリ不戦条約第1条・現代語訳>
第1条:締約国は、国際紛争解決のため、戦争に訴えることを非とし、かつ、その相互関係に於いて、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の国民(原文:人民)の名に於いて厳粛に宣言する。
<引用終わり>
如何であろう?「類似」と言えば「類似」なのかもしれないが、どの程度の「類似」なのかは、各自の主観によるとしか言い様がないものだと思います。
多分、渡辺直美とビヨンセ程度には「類似」しているのかもしれない(笑)。
<ご参考(笑)YouTube動画>
笑っていいとも~ビヨンセ姉妹登場~ Beyoncé
https://www.youtube.com/watch?v=iGAxRWBhV1I
この程度で「類似」とか言ってしまうのには、二つの「理由」があると考えています。
先ず、所謂「護憲派」側は、何が何でも現行憲法9条との国家主権制限条項を残したいので、「大日本帝国の時代に、こういう条文で平和主義を表しているのだから、9条第1項にはなんら問題はないでしょ」との詐欺話を言い、改憲された後も9条第1項を残置させておきたいのが動機だと推察されます。
改憲後であっても残しておきたい部分は「国権の発動たる戦争と,」が多分メインで、次に「永久にこれを放棄する。」の部分だと推定しています。
一方の所謂「改憲派」側での1項問題軽視は、第9条第2項の「陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。」との「敗戦国武装解除状態永続化条文」の最悪猛毒条文を一刻も早く破棄したいが為に、その部分にのみ注目し、他の部分を後回しにし過ぎる為に起こる現象だと解しています。
実際、当方自身も「9条問題」を語る際の優先順位としては、第2項の「戦力不保持」の解消が最重要課題だと認定しているので、当方も先ずはそれを優先する。
以前の言論空間では、改憲を言い出すだけで、あたかも「軍国主義者」「危険な右翼思想」とのレッテル貼り・偽看板貼り付けが行われ、中身の議論に至らない状態が長く続いた。そんな時代に於いては、9条2項の「戦力不保持」以外の同2項「交戦権の否定」と第1項の「「国権の発動たる戦争」の放棄」=実は自衛戦争も出来ない交戦権否定と同じ国家主権制限の問題を語っても、その理解を得ることは今以上に難しい時代だったのです。
しかし、今や、改憲賛成が過半数を占める時代となったので、以前の様な「1点突破」で、他の毒性が依然として残ってしまう「過度な集中」ではなく、9条問題全体を考慮すべき環境が出来たと考えています。この論評も1年以上続けているので、この事に集中して書いても、この内容を理解してくれる方がいると考えているのです。
さて、渡辺直美は「ビヨンセに似ている」と言われる憲法第9条第1項なのだけど、ビヨンセ側から見た渡辺直美「憲法第9条1項」は、どこがその様に似ているのであろう?
次回は、そういう視点でパリ不戦条約と憲法9条を見る事にしたい。
<次項に続けます>



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