【コラム】参議院選挙制度考察5
- 2016/02/21
- 17:53
【コラム】参議院選挙制度考察5

参議院選挙制度考察を再開するに際して、あらためて福沢諭吉とサミュエル・スマイルズの指摘を掲げておきたい。
<学問のすすめより引用>
○西洋の諺に愚民の上に苛き政府ありとはこの事なり。こは政府の苛きにあらず、愚民の自ら招く災いなり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり
<自助論より引用>
○一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎません。政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされます。反対に、政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていくでしょう。
この指摘に対しての反論として出てくる「国民・選挙民が目覚めても、それに相応しい候補者を政党側が提示し得てない。」の提示であった段階で中断していたものだが、その答は既に出ている。
<政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていくでしょう。>
要するに「投票したい候補がいない」との言い訳は、結局は国民側が自身の責任を放棄しているに等しい。
逆に言えば、国民が真面目に考え始めると、国家破壊基調のサヨク側候補者など投票対象外となってしまうので、サヨクマスコミが国民側責務を気付かせない様にする為の情報戦スローガンが「投票したい候補がいない」なのだと気付いていただきたい。
ペシミスティックなポーズをとり「投票に値する候補者がいない」などとシニカルな態度をとるのが、あたかも格好イイと誤解している政治的自閉症な方の耳には届かないのだろうが、その「投票する気にならない候補者」しか出てこないこと自体が、そこの選挙民のレベルなのであることに気付くべきである。
さて、肝心の我が国上院・参議院だが、その機能として期待されるのは繰り返しになるが、以下の2点である。
①多様な民意の反映。
②下院の過誤の修正等。
このうち「多様な民意の反映」なのだが、参議院の選挙制度を衆議院と同じ人口比概念を適用すると地方の声が相対的に大きく低下する状態となることを分析している。
参議院地方区を地域性概念で見ると47都道府県のうち複数議席を有する以下の13選挙区での議席が地方区全議席の56.1%をし占め、他の34県を上回っている状態は健全ではないとの姿が見えてくるのである。
<複数議席を有する13選挙区>
北海道:3議席
茨城県:2議席
千葉県:3議席
東京都:6議席
神奈川:4議席
埼玉県:3議席
静岡県:2議席
愛知県:4議席
京都府:2議席
大阪府:4議席
兵庫県:3議席
広島県:2議席
福岡県:3議席
6議席:東京
5議席:なし
4議席:神奈川・大阪・愛知
3議席:北海道・埼玉・千葉・兵庫・福岡
2議席:茨城・静岡・京都・広島
1議席:上記以外の34県
参議院の議員定数は242人であるが、現行憲法:第46条の規定に則り、半数改選であるため121議席の選挙となる。
現在は、都道府県を選挙区単位とする中選挙区で73議席、全国一律の比例区で48議席の合計121議席を選出する制度となっている。
選挙区は都道府県単位の中選挙区であり、47都道府県のうち34県は1人区であるのに対して複数議席が配分されているのは上記の13都道府県である。
人口の少ない34県の地域の声が大きく毀損されており、多様性と逆行していると考える。
これを防止する為には、以下の様なアイディアがある。
アイディア1:各都道府県に一定の議席を公平配分する案。
各選挙区、即ち都道府県別選挙区に人口比概念を一切用いないケースや現状の偏重を和らげ、地域性に軸足を置くアイディア。
ケース1:各都道府県に1議席均等配分
ケース2:各都道府県に1議席均等配分後、3議席を上限に人口比で議席を振り分ける
(東京、神奈川、大阪、愛知は議席減で3議席に、北海道・埼玉・千葉・兵庫・福岡は現状維持、茨城・静岡・京都・広島は1議席増加して3議席へ、1議席しかなかった34県のうち4県程度が2議席化等の地域性への軸足移行)
ケース3:上記の変形。各都道府県に1.5議席を公平配分。人口多い都道府県には2.5議席で議席配分等の折衷型。1.5議席の場合の選挙は、通常選挙偶数回2名・奇数回1名の県とその逆の県うぃ設定する等で調整する。
アイディア2:地域性を追求する案
ドイツ上院の様に、各都道府県で複数選出される上院議員の議会内投票は事前の各都道府県選出議員での合議を必要とする制度へ変更するアイディア。ある県が3議席ある場合、合議の結果をまとめて賛成に3票とか反対に3票をまとめて投票する制度。
合議が成立しない場合は、合議不成立理由を開示して、有効投票扱いながら、分母・分子から控除する非賛成・非反対の中立票扱いとする制度。
これらアイディアは実現性は考慮していないが、この思考実験は参議院の選挙区選挙制度から「人口比一辺倒」の基準を除くと選択肢が劇的に増えるとの例示である。
「多様な民意の反映」を追及する際に「衆議院と同じ人口比概念を適応」すると思考が止まることの逆説的証明となれば幸である。
我が国上院・参議院の選挙制度は、むしろ、人口比に拠らない自由な発想で改定すべきだと考えている。
さて、次の期待される機能の「下院の過誤の修正等」であるが、これが参議院の存在意義の本質だと考えている。
繰り返しになるが、重要なことなので再度述べる。
国立国会図書館 2013年4月:英国貴族院改革の行方―頓挫した上院公選化法案
< http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/2013/index.html >
○貴族院改革への期待を込めて書いた記事のなかで、意外にも、完全公選化を支持していた自分がその後「考えを変えた」と記している。「この10 年間、まさに英国の皮肉というべきは、この非民主的で古めかしくて時代錯誤な組織が、選挙で選ばれた政府の大衆独裁的な傾向に抗する防波堤でもあったことだ。…(中略)…上院の特別委員会はエキスパートとして法律案を精査し、しばしば改善を加えている。公表された報告書のいくつかは第一級のものだ。公共政策の議論にとび切りの貢献をしている貴族院議員ならすぐに何人も挙げることができる。そんななかで最も優れているのは、最も非民主的に選ばれた、無所属のクロスベンチャーたちなのだ。」
<引用終わり>
引用した一文は、もっとも重要なことは議会での審議の質であるとの本質に軸足を置いたものである。イギリスの貴族院改革は、貴族院議員選出のプロセスが非公選制であることに注目し、それを「問題だ」としてスタートしたものだが、議員選出プロセスよりも議会での機能・議論の質の方が大事であるとして、「考えを変えた」とするものである。
本末転倒しない見識ある記事・記者だと言える。
我が国参議院に求められている機能とは、「良識の府」との美称からもわかる通り、上記記事にある、「下院の暴走を抑止する機能」であり、「法案に対する専門性での検討、中立性を持った検討」である。
我が国参議院も、記事にある「上院の特別委員会はエキスパートとして法律案を精査し、しばしば改善を加えている。公表された報告書のいくつかは第一級のものだ。」との機能を果たしていただきたいものだ。
しかしながら、ここ何年もの間、我が国上院参議院は機能していない。
参議院が上院機能を果たしていないのを是正するのは、第一義的には「参議院議員として相応しくない議員に国民は投票しない」との原則問題なのだが、国民側の投票行動の過去実績からは、そういう理想的なことをしていないのが実態だ。
ならば以下の様なことの実現性を高める選挙制度への変更が望まれる。
*「下院の暴走を抑止する機能」
*「法案に対する専門性での検討、中立性を持った検討」
*「上院の特別委員会はエキスパートとして法律案を精査し、しばしば改善を加えている。公表された報告書のいくつかは第一級のものだ。」
ここで望まれる機能の実現性を高める為に現行制度で採用されているのは、被選挙権30歳以上、任期が衆議院の1.5倍の6年で解散なしである。
そして、選挙制度では都道府県別地方区と旧全国区・現全国1ブロック比例区である。
このうちの都道府県別選挙区の目的は地域性の反映だと理解している。
上記した専門性のうち、地域性・地方自治・地方再生等に関する視点は選挙区選出議員が担うと想定しているが、それ以外の専門性、例えば、外交・防衛・経済・税制・財政・教育・憲法他法制等々の専門性を担う議員を参議院に送る制度が必要だ。
例えば、防衛関連の外交・法制については、ヒゲの隊長・佐藤正久参議院議員は、参議院議員の求められる専門性をきっちりと発揮している。
こういう人材を参議院に送るのは現行では旧全国区・現全国1ブロック比例区の役目だと考えている。ところが旧全国区・現全国1ブロック比例区の候補者に関して、我々日本人はバカな投票行動をしてきた過去がある。その典型例が宮田輝等の「タレント議員」の存在である。単なる原稿読みアナウンサーが他の候補を抑えてトップ当選する事態が起こり、それに続き「有名人」が党の候補に選定されるのである。
見識があり、専門性が具備されている「有名人」なら問題ないのだが、そういう能力に疑問がある、単なる「有名人」が当選してしまうとの現象には、あらためて冒頭で紹介した一文を思い出さざるを得ない。
○一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎません。
そこで、専門性や知見に疑義がある候補の野放図な立候補に歯止めがかかる様な制度的牽制を導入する思考実験をしてみる。
ケース1:知見・専門性があると見込まれる分野の明示と証明をする制度
全国区に立候補する候補は自身の専門性が何かを宣言し、その証明をする制度の導入。
例えば、公認会計士・弁護士・税理士・医師・看護師等の資格保持者、ヒゲの隊長の様な誰もが納得する職歴の明示等を義務付ける。
これを逆の視点で言えば、専門性がない候補の被選挙権の否定じゃないかとの議論が出てくることは容易に想像できるのだが、これらは衆議院への立候補を制限するものではないので、その指摘は当たらないことを予め書いておく。
参議院及び参議院議員に求められる「法案に対する専門性での検討、中立性を持った検討」及び「下院の暴走を抑止する機能」の観点からは、むしろ必要な要件だと考えられる。
以上である。
現状の参議院の選挙制度に関する議論が「人口比一辺倒」との狭隘な土俵で語られていることへの問題提起として論述した。
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参議院選挙制度考察を再開するに際して、あらためて福沢諭吉とサミュエル・スマイルズの指摘を掲げておきたい。
<学問のすすめより引用>
○西洋の諺に愚民の上に苛き政府ありとはこの事なり。こは政府の苛きにあらず、愚民の自ら招く災いなり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり
<自助論より引用>
○一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎません。政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされます。反対に、政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていくでしょう。
この指摘に対しての反論として出てくる「国民・選挙民が目覚めても、それに相応しい候補者を政党側が提示し得てない。」の提示であった段階で中断していたものだが、その答は既に出ている。
<政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていくでしょう。>
要するに「投票したい候補がいない」との言い訳は、結局は国民側が自身の責任を放棄しているに等しい。
逆に言えば、国民が真面目に考え始めると、国家破壊基調のサヨク側候補者など投票対象外となってしまうので、サヨクマスコミが国民側責務を気付かせない様にする為の情報戦スローガンが「投票したい候補がいない」なのだと気付いていただきたい。
ペシミスティックなポーズをとり「投票に値する候補者がいない」などとシニカルな態度をとるのが、あたかも格好イイと誤解している政治的自閉症な方の耳には届かないのだろうが、その「投票する気にならない候補者」しか出てこないこと自体が、そこの選挙民のレベルなのであることに気付くべきである。
さて、肝心の我が国上院・参議院だが、その機能として期待されるのは繰り返しになるが、以下の2点である。
①多様な民意の反映。
②下院の過誤の修正等。
このうち「多様な民意の反映」なのだが、参議院の選挙制度を衆議院と同じ人口比概念を適用すると地方の声が相対的に大きく低下する状態となることを分析している。
参議院地方区を地域性概念で見ると47都道府県のうち複数議席を有する以下の13選挙区での議席が地方区全議席の56.1%をし占め、他の34県を上回っている状態は健全ではないとの姿が見えてくるのである。
<複数議席を有する13選挙区>
北海道:3議席
茨城県:2議席
千葉県:3議席
東京都:6議席
神奈川:4議席
埼玉県:3議席
静岡県:2議席
愛知県:4議席
京都府:2議席
大阪府:4議席
兵庫県:3議席
広島県:2議席
福岡県:3議席
6議席:東京
5議席:なし
4議席:神奈川・大阪・愛知
3議席:北海道・埼玉・千葉・兵庫・福岡
2議席:茨城・静岡・京都・広島
1議席:上記以外の34県
参議院の議員定数は242人であるが、現行憲法:第46条の規定に則り、半数改選であるため121議席の選挙となる。
現在は、都道府県を選挙区単位とする中選挙区で73議席、全国一律の比例区で48議席の合計121議席を選出する制度となっている。
選挙区は都道府県単位の中選挙区であり、47都道府県のうち34県は1人区であるのに対して複数議席が配分されているのは上記の13都道府県である。
人口の少ない34県の地域の声が大きく毀損されており、多様性と逆行していると考える。
これを防止する為には、以下の様なアイディアがある。
アイディア1:各都道府県に一定の議席を公平配分する案。
各選挙区、即ち都道府県別選挙区に人口比概念を一切用いないケースや現状の偏重を和らげ、地域性に軸足を置くアイディア。
ケース1:各都道府県に1議席均等配分
ケース2:各都道府県に1議席均等配分後、3議席を上限に人口比で議席を振り分ける
(東京、神奈川、大阪、愛知は議席減で3議席に、北海道・埼玉・千葉・兵庫・福岡は現状維持、茨城・静岡・京都・広島は1議席増加して3議席へ、1議席しかなかった34県のうち4県程度が2議席化等の地域性への軸足移行)
ケース3:上記の変形。各都道府県に1.5議席を公平配分。人口多い都道府県には2.5議席で議席配分等の折衷型。1.5議席の場合の選挙は、通常選挙偶数回2名・奇数回1名の県とその逆の県うぃ設定する等で調整する。
アイディア2:地域性を追求する案
ドイツ上院の様に、各都道府県で複数選出される上院議員の議会内投票は事前の各都道府県選出議員での合議を必要とする制度へ変更するアイディア。ある県が3議席ある場合、合議の結果をまとめて賛成に3票とか反対に3票をまとめて投票する制度。
合議が成立しない場合は、合議不成立理由を開示して、有効投票扱いながら、分母・分子から控除する非賛成・非反対の中立票扱いとする制度。
これらアイディアは実現性は考慮していないが、この思考実験は参議院の選挙区選挙制度から「人口比一辺倒」の基準を除くと選択肢が劇的に増えるとの例示である。
「多様な民意の反映」を追及する際に「衆議院と同じ人口比概念を適応」すると思考が止まることの逆説的証明となれば幸である。
我が国上院・参議院の選挙制度は、むしろ、人口比に拠らない自由な発想で改定すべきだと考えている。
さて、次の期待される機能の「下院の過誤の修正等」であるが、これが参議院の存在意義の本質だと考えている。
繰り返しになるが、重要なことなので再度述べる。
国立国会図書館 2013年4月:英国貴族院改革の行方―頓挫した上院公選化法案
< http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/2013/index.html >
○貴族院改革への期待を込めて書いた記事のなかで、意外にも、完全公選化を支持していた自分がその後「考えを変えた」と記している。「この10 年間、まさに英国の皮肉というべきは、この非民主的で古めかしくて時代錯誤な組織が、選挙で選ばれた政府の大衆独裁的な傾向に抗する防波堤でもあったことだ。…(中略)…上院の特別委員会はエキスパートとして法律案を精査し、しばしば改善を加えている。公表された報告書のいくつかは第一級のものだ。公共政策の議論にとび切りの貢献をしている貴族院議員ならすぐに何人も挙げることができる。そんななかで最も優れているのは、最も非民主的に選ばれた、無所属のクロスベンチャーたちなのだ。」
<引用終わり>
引用した一文は、もっとも重要なことは議会での審議の質であるとの本質に軸足を置いたものである。イギリスの貴族院改革は、貴族院議員選出のプロセスが非公選制であることに注目し、それを「問題だ」としてスタートしたものだが、議員選出プロセスよりも議会での機能・議論の質の方が大事であるとして、「考えを変えた」とするものである。
本末転倒しない見識ある記事・記者だと言える。
我が国参議院に求められている機能とは、「良識の府」との美称からもわかる通り、上記記事にある、「下院の暴走を抑止する機能」であり、「法案に対する専門性での検討、中立性を持った検討」である。
我が国参議院も、記事にある「上院の特別委員会はエキスパートとして法律案を精査し、しばしば改善を加えている。公表された報告書のいくつかは第一級のものだ。」との機能を果たしていただきたいものだ。
しかしながら、ここ何年もの間、我が国上院参議院は機能していない。
参議院が上院機能を果たしていないのを是正するのは、第一義的には「参議院議員として相応しくない議員に国民は投票しない」との原則問題なのだが、国民側の投票行動の過去実績からは、そういう理想的なことをしていないのが実態だ。
ならば以下の様なことの実現性を高める選挙制度への変更が望まれる。
*「下院の暴走を抑止する機能」
*「法案に対する専門性での検討、中立性を持った検討」
*「上院の特別委員会はエキスパートとして法律案を精査し、しばしば改善を加えている。公表された報告書のいくつかは第一級のものだ。」
ここで望まれる機能の実現性を高める為に現行制度で採用されているのは、被選挙権30歳以上、任期が衆議院の1.5倍の6年で解散なしである。
そして、選挙制度では都道府県別地方区と旧全国区・現全国1ブロック比例区である。
このうちの都道府県別選挙区の目的は地域性の反映だと理解している。
上記した専門性のうち、地域性・地方自治・地方再生等に関する視点は選挙区選出議員が担うと想定しているが、それ以外の専門性、例えば、外交・防衛・経済・税制・財政・教育・憲法他法制等々の専門性を担う議員を参議院に送る制度が必要だ。
例えば、防衛関連の外交・法制については、ヒゲの隊長・佐藤正久参議院議員は、参議院議員の求められる専門性をきっちりと発揮している。
こういう人材を参議院に送るのは現行では旧全国区・現全国1ブロック比例区の役目だと考えている。ところが旧全国区・現全国1ブロック比例区の候補者に関して、我々日本人はバカな投票行動をしてきた過去がある。その典型例が宮田輝等の「タレント議員」の存在である。単なる原稿読みアナウンサーが他の候補を抑えてトップ当選する事態が起こり、それに続き「有名人」が党の候補に選定されるのである。
見識があり、専門性が具備されている「有名人」なら問題ないのだが、そういう能力に疑問がある、単なる「有名人」が当選してしまうとの現象には、あらためて冒頭で紹介した一文を思い出さざるを得ない。
○一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎません。
そこで、専門性や知見に疑義がある候補の野放図な立候補に歯止めがかかる様な制度的牽制を導入する思考実験をしてみる。
ケース1:知見・専門性があると見込まれる分野の明示と証明をする制度
全国区に立候補する候補は自身の専門性が何かを宣言し、その証明をする制度の導入。
例えば、公認会計士・弁護士・税理士・医師・看護師等の資格保持者、ヒゲの隊長の様な誰もが納得する職歴の明示等を義務付ける。
これを逆の視点で言えば、専門性がない候補の被選挙権の否定じゃないかとの議論が出てくることは容易に想像できるのだが、これらは衆議院への立候補を制限するものではないので、その指摘は当たらないことを予め書いておく。
参議院及び参議院議員に求められる「法案に対する専門性での検討、中立性を持った検討」及び「下院の暴走を抑止する機能」の観点からは、むしろ必要な要件だと考えられる。
以上である。
現状の参議院の選挙制度に関する議論が「人口比一辺倒」との狭隘な土俵で語られていることへの問題提起として論述した。



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