【コラム】民主党政権の暴政を振り返る1
- 2016/02/05
- 23:35
【コラム】民主党政権の暴政を振り返る1

コラム要旨:民主党政権時の暴政の記憶が薄れてないか? あの地獄の3年3カ月は我々国民が選挙で生み出したものであることを忘れてはならない。取り分け野田政権に対して誤解していないか? 野田政権は鳩山・菅直人と同等の最悪内閣。それなのに、さも野田はマシだったとの虚偽が流布されているのは危険だ。
憲政史上最狂総理・ルーピー鳩山と東日本大震災で無策・無能をさらけ出した最低総理・菅直人に比べ、民主党政権3人目の総理である野田が、前任2名に比してマシだったと記憶されている方は巧みな情報宣伝に騙されているので注意が必要だ。
民主党政権の総ての総理は最悪であるのが真相だ。そのことを概観する。
不見識にも我が国国民は、マスコミの印象操作に無警戒に乗せられ、2009年8月の衆議院・総選挙で民主党に投票するとの大失策を演じた。
しかも、その選挙で民主党が単独政党として獲得した議席は史上最多の308議席にもなった。要するに大多数の国民が取り返しのつかない愚行を犯したのである。
取り分け、魯迅の「阿Q伝」の愚鈍なる主人公に模された「自民党にお灸を据える」と称して民主党に投票した「おQ層」と揶揄された所謂「浮動票」「支持政党なし層」は、自民党にお灸を据えるつもりが、自身の民主党から大火傷を負わされたのである。
そんな元おQ層の方々は、あの最低・最悪の民主党政権下の数々の失政・苛政に懲りて民主党への不信感を持つに至っている方々が大多数なのだが、上記、副題で述べた様に、あたかも野田は、鳩山・菅に比してマシだったかの様な誤解をしている方々が多い。
何故、そんな誤ったイメージがあるのかと分析したところ、鳩山及び菅の罪は、やるべき事をしなかったとの不作為の罪及びやるべきことが出来なかったとの無能の罪の方が大きいのだが、野田の罪は、やっちゃいけない事をやってしまった罪であることから、「○○をやったとの実績がある」との誤解を元おQ層がしているのが主たる原因だと考えた。
勿論、この憲政史上最悪の民主党政権3総理の各々がやらなかった罪とやった罪の両方をおかしているのだが、野田は他の2名に比して、やっちゃいけない事をやっている面が強く、その内容を調べもせずに「やっている」との現象面の記憶から、あたかもマシな総理だとされTいる様だ。
野田がやっちゃった「やっちゃいけない事」とは、日韓通貨スワップ700億ドル増枠化であり、5%だった消費税を10%へと2倍に増税する法制を可決したことであり、韓国李昭博大統領との会談で「慰安婦問題」を韓国側言い分丸呑みで「解決」させるとの密約である。幸いにして密約は解散により頓挫したが、鳩山・菅直人と同等の最悪ぶりであったことを「おQ層」の方々は忘れている様だ。
では、民主党政権の悪夢の3年3か月を振り返ってみよう。
○2009年8月30日:衆議院選挙
第45回衆議院議員総選挙。おQ層が民主党に史上最多の308議席を与える。
同選挙の投票率は69.28%と近年の我が国国政選挙としては圧倒的な高さとなった。
一方、前政権の自民党は300議席から181議席減の119議席、公明党は31議席から10議席減の21議席となった。従来は投票に行かなかった層が選挙に行き「お灸を据えた」との構造がわかる投票率・議席数である。投票率が上がることは望ましいのだが、投票している我々主権者国民は、その結果の責を負う立場であり、しっかりと調べ、考えて投票したとは言い難いものであった。
○2009年9月16日:国会での首班指名
民主党・鳩山由紀夫が国民新党(亀井静香)、社民党(福嶋瑞穂)と連立与党結成し第93代内閣総理大臣に就任
○2009年9月22日:鳩山25%
鳩山は国連本部で開かれた国連気候変動サミットの演説内で温室効果ガス25%削減を発言した。あれから6年を経た現在に於いても、その実現策の中身を不明のままである。
○2009年11月13日:鳩山、オバマ大統領に対して"Trust me"発言
東京での日米首脳会談。在日米軍基地についての話し合いの際に、鳩山がオバマ大統領に対し"Trust me"と発言。
○2010年1月19日:JAL倒産
日本航空が会社更生法の適用を申請し事実上の倒産。
○2010年3月31日:鳩山・腹案発言
記事を引用する。< http://news.yahoo.co.jp/pickup/1769035 >
移設先の腹案すでに用意 首相 2010年3月31日(水) 16時45分掲載 .
見出し:鳩山首相「腹案既に用意」=普天間移設
本文:鳩山由紀夫首相は31日午後の党首討論で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先について「腹案は既に用意している」と述べた。同時に「県内であるとか県外であるとかお答えできない。腹案をおおっぴらにすることはできない時期だ」として、現時点では公表しない方針を改めて強調した。(時事通信)
<引用終わり>
はっきり言って行き詰りのウソである。
○2010年4月13日:鳩山、結局何もしてなくてオバマ大統領が激怒
米国ワシントンでの第1回核安全保障サミットにて、オバマ大統領は参加9カ国首脳と公式会談を行った。一方、鳩山とは夕食会席上で10分の非公式会談を行った。その際に、オバマ大統領は「昨年11月の日米首脳会談で"Trust me" と言ったが何も進んでない。きちんと最後まで実現できるのか」と強い疑念を表明。
○2010年5月4日:鳩山、今更の海兵隊抑止力発言と思い付きの徳之島。
オバマ大統領への"Trust me"発言から約半年目、何らの進展の気配さえ見えない状態が続き、とうとう鳩山は記者団に対して「学べば学ぶほど海兵隊の抑止力が分かった」と沖縄に基地が存在するとの根本理由を実はわかってなかったことを白状した。
更に泥縄で鹿児島県奄美群島徳之島に分散移設する方針を表明した。
○2010年5月7日:徳之島3町長への基地受け入れ要請
徳之島の徳之島町、伊仙町、天城町の3町長に基地移転を要請する。この正式要請の前に分散移設を公に口にしているのだが、事前すり合わせをしていたとは思えない。何故なら、米軍側は、最初から180Kmも離れている案に興味はなく、各町長からも芳しい回答はなく、実現性なき机上案のままに徳之島案を鳩山がじゃべってしまったというのが真相の様だ。
○2010年5月30日:ミズポ連立離脱
鳩山内閣連立政権の一角を占めていた社民党は、普天間基地移設問題で福島瑞穂党首が閣僚罷免されたことに伴い連立政権からの離脱をした。
○2010年6月2日:鳩山が民主党臨時両院議員総会で退陣を表明
総選挙後約9ヶ月で鳩山は自身の無能・虚言癖から辞任に追い込まれた。その最大の問題は選挙演説の時の普天間移転問題である。「最低でも県外」などと、実現プランも見通しもないのに言ってしまう無責任さが鳩山の特徴である。
同様、2009年11月の対オバマ"Trust me"発言の前後に、当時の鳩山内閣の岡田外相は「最低でも県外」とは民主党マニュフェストには書いてない、つまり選挙公約ではないと答弁している。
選挙戦の最中に党の代表が演説で述べたことを、選挙投票の前提である「選挙公約」ではないと言ってしまうのが民主党内閣の無責任体質である。その岡田が今は民主党の代表なのである。
また、民主党は、この後に判明するのだが、リーマンショック対策で麻生政権が打った経済対策を次々と期限切れ廃棄し、それに代わる実効性ある具体的経済政策を提示できなかった。要するに、鳩山内閣時代にまともな経済政策の検討が出来ていなかったのである。
むしろ小宮山洋子や田嶋陽子らは、財務省の傀儡として、専業主婦の為に有用な税制を改悪したのである。鳩山内閣は選挙時マニュフェストのほぼ総てを実現化出来なかった民主党政権3年3ヶ月の最初の9ヶ月間を担った内閣であった。これは何を意味するのかと言うと、政権のスタートダッシュが出来なかったということだ。要するに実現する為にやらなければならないことをやっていなかった事が後日になり、バレバレになったということだ。
そのくせ、やらなくても良いことをやってたりもする。その典型が上記した「25%削減宣言」である。これも、その内実は「最低でも県外」と同じ具体的プランがない口から出まかせである。「言えば実現できる」とでも考えているのであろうか常人には理解し難い感覚であることから、鳩山は憲政史上最狂総理だと考えている。
○2010年6月4日:鳩山内閣総辞職・首班指名で菅直人
鳩山内閣総辞職に伴い、民主党代表選挙で菅直人が民主党代表に選手され、同日の衆参首班指名で菅直人が第94代内閣総理大臣に。
○2010年6月8日: 菅内閣発足
菅直人は鳩山内閣の副総理・経済財政政策・科学技術政策担当大臣兼国家戦略担当大臣
として入閣した。「国家戦略担当大臣」の職務とは「税財政の骨格や経済運営の基本方針等について企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」とされていたのだが、税・財政・経済政策との似て非なる各専門分野を担当するだけの知見も見識もない菅直人には荷が重過ぎ、民主党政権として初の予算編成となった2010年度予算に於いては、何等の理念を盛り込むことが出来ずに、前年と変わり映えのしない予算となり、早くも、その無能ぶりを発揮していた。蓮舫が科学技術に対する無知・無能・不見識ぶりをさらけ出した、あの事業仕分けは2009年11月のことであった。
その菅直人が総理に就任したのである。
菅直人は総理官邸での記者会見の際に「政治の役割は国民、世界の人が不幸になる要素をいかに少なくする『最小不幸社会』を作る事だ」と述べたのだが、その後の1年3カ月の菅内閣は、鳩山以上にやることをやらない・何もしない内閣であり、我々日本人の幸福を支えてきた人々や制度のメンテと運用をほっぽらかしにして、日本人の幸福を毀損した内閣であった。
○2010年7月11日:参議院で民主党惨敗
第22回参院選が実施され民主党は惨敗した。
今回半数改選のうち、民主党は改選54議席を10減らし44議席とし、自民党は38議席を51に増やした。公明党は改選11議席を2減らし9議席となった一方でみんなの党は躍進し、0議席から10議席となった。その結果、非改選を含む参議院での勢力は、民主・日本新党の連立与党で109議席と過半数割れとなった。
民主党惨敗の原因は、民主党鳩山内閣が憲政史上の最狂のデタラメ内閣であったことにあるのだが、参議院選挙前に菅直人が2009年マニュフェストを反故にする消費税増税に言及したことも大きい。
これは財務官僚あたりが菅直人の耳元でゴニョゴニョしたものを、そのまましゃべってしまったものだと推定されている。普通だったらタブーである選挙前の総理の増税示唆発言を菅直人が言ってしまったのは、ここまでに至る民主党のデタラメの連続と菅直人自身が税・財政・経済政策との似て非なる各専門分野に対する知見も見識もない無能であるが故の判断ミスが原因であろう。以下に、民主党のデタラメの連続を時系列で簡単に示しておく。
1)2009年7月:選挙公約(マニュフェスト)で、財源なきインチキ政策の数々を掲げる
↓
2)2009年8月:選挙前から財源問題を指摘され、民主党は特別会計等の「埋蔵金」、官僚省庁の無駄使い排除が「財源」だと称していた。
↓
3)2009年11月:あの蓮舫による茶番「事業仕分け」をやるも、結局は、選挙前に言っていた規模に全然達せず、成果なく単なるパフォーマンスに終わる。
↓
4)2010年3月:2010年度(2010年4月から2011年3月)予算案可決。菅直人は「国家戦略担当大臣」として何も出来ず、民主党マニュフェストに沿った理念を予算に盛り込むことが出来ずに、前年と変わり映えのしない予算となった。
↓
5)2010年6月;鳩山辞任・菅直人総理就任
↓
6)2010年7月:参議院選挙
民主党・鳩山内閣の発足当時2009年9月時点での内閣支持率は約70%もあり、不支持率は20%程度と圧倒的であったのだが、その僅か7ヶ月後の2010年4月末時点では支持率は70%から20%に急落し、支持率は圧倒的な64%にも及んだ。
民主党は、選挙民・国民から完全に信任を失った状態だが、菅直人が内閣を継いだ。選挙によらない政権引き継ぎは自民党内閣でも行われていたことだったので、これ自体を民主党の悪とは言わないが、菅直人は1年前の選挙時点のマニュフェスト内容の実現が出来ていないこと及び、財源問題が頓挫しており、これが解決出来ない状態ではマニュフェスト内容の実現可能性がほぼ皆無である状態を指摘されている立場であった。
総理就任後わずか1か月後の参議院選挙で政権交代時マニュフェストの取り下げをすれば惨敗必須との状態で、多分財務官僚あたりが菅直人の耳元でゴニョゴニョと「財源は消費税増税で確保」とかなんとかしたものを、そのまましゃべってしまったものだと推定されている。消費税増税自体がマニュフェスト違反なのだが、菅直人は消費税増税に言及して参議院選挙で惨敗した。
○2010年9月7日:尖閣中国船体当たり事件
「市民運動家」菅直人とは、その実、危険で卑怯な専横者だとバレた事件である。
権力を握ったら民主主義の基本たる政権運営の国民に向けての透明性などかなぐり捨てて情報を隠蔽し、真実性・論理性・手続き遵守等も一切無視した独断に基づく専横が目立った事件であった。
事件の概要としては、尖閣諸島付近の海域をパトロールしていた海上保安庁・巡視船「みずき」が、中国籍の不審船を発見し日本領海からの退去を命じるが、それを無視して「漁船」は違法操業を続行し、その「漁船」が逃走時に巡視船「よなくに」と「みずき」に衝突し2隻を破損させたものである。
本件は「漁船」の衝突との一般事件ではなく、我が国領土・領海を、中国によって、尖閣があたかも「領土問題」であるかの様にするとの「超限戦への対応」問題であり、極めて高度な対応としっかりとした国家観がなければ対処を間違える事件であったのだが、菅直人及び官房長官の仙石由人がやったことは体当たりした中国「漁船」の中国人船長を処分保留で釈放し中国への送還であり、長く「中国への配慮」と称して非公開・隠蔽されていた「漁船」衝突時映像が2010年11月1日に衆参予算委員会の一部国会議員にのみ限定公開となった。
この限定公開の際に福嶋瑞穂は「福島瑞穂社民党党首「車が道路でちょっとコツンとぶつかるような、あてて逃げるという映像だ。(後略)」と述べ、あたかも故意ではない様な虚偽を述べ「中国配慮」の印象操作をしている。国民に真実を伝えない様な議員は代議制民主主義の議員としての資格はない。
この福嶋のウソは、「sengoku38」こと一色正春氏により11月4日にYouTube上に投稿された海上保安官撮影動画により虚偽だとバレ、国民は、政府ではなく、職を賭した海上保安官に勇気ある行動でやっと事実映像を確認することが出来たのである。
民間企業職員なら、コンプライアンス事案の内部通報者として保護される一色氏なのだが、国家公務員の立場では漏洩の罪を問われ退職させられてしまった。
一方、国民に対してウソ話で印象操作をした福嶋瑞穂は本日も参議院議員である。
○2011年1月14日:菅第2次改造内閣発足
官房長官は媚中仙石由人から枝野幸男に。また、経済財政相に与謝野馨を起用。
与謝野馨は自民党・福田内閣の規制改革担当大臣及び経済財政政策担当大臣を歴任し、麻生内閣に於いては金融担当大臣、財務大臣を経験した自民党政治家である。
その与謝野馨を民主党・菅直人内閣は経済財政大臣に起用したのである。それは民主党には国家財政・経済政策実務が出来る人材がいないからである。実際、2009年9月の鳩山内閣発足以来、ここまでの1年数か月の間、ずっとまともな経済政策関係の動きがなかったことからも明らかだろう。
○2011年3月11日:東日本大震災
午後2時46分頃、東日本大震災発生。この震災に対する対応及び福島第一原発に対する菅直人の対応が致命的愚策であったことはご存じの通りだ。
<長くなったので項を分けます>
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コラム要旨:民主党政権時の暴政の記憶が薄れてないか? あの地獄の3年3カ月は我々国民が選挙で生み出したものであることを忘れてはならない。取り分け野田政権に対して誤解していないか? 野田政権は鳩山・菅直人と同等の最悪内閣。それなのに、さも野田はマシだったとの虚偽が流布されているのは危険だ。
憲政史上最狂総理・ルーピー鳩山と東日本大震災で無策・無能をさらけ出した最低総理・菅直人に比べ、民主党政権3人目の総理である野田が、前任2名に比してマシだったと記憶されている方は巧みな情報宣伝に騙されているので注意が必要だ。
民主党政権の総ての総理は最悪であるのが真相だ。そのことを概観する。
不見識にも我が国国民は、マスコミの印象操作に無警戒に乗せられ、2009年8月の衆議院・総選挙で民主党に投票するとの大失策を演じた。
しかも、その選挙で民主党が単独政党として獲得した議席は史上最多の308議席にもなった。要するに大多数の国民が取り返しのつかない愚行を犯したのである。
取り分け、魯迅の「阿Q伝」の愚鈍なる主人公に模された「自民党にお灸を据える」と称して民主党に投票した「おQ層」と揶揄された所謂「浮動票」「支持政党なし層」は、自民党にお灸を据えるつもりが、自身の民主党から大火傷を負わされたのである。
そんな元おQ層の方々は、あの最低・最悪の民主党政権下の数々の失政・苛政に懲りて民主党への不信感を持つに至っている方々が大多数なのだが、上記、副題で述べた様に、あたかも野田は、鳩山・菅に比してマシだったかの様な誤解をしている方々が多い。
何故、そんな誤ったイメージがあるのかと分析したところ、鳩山及び菅の罪は、やるべき事をしなかったとの不作為の罪及びやるべきことが出来なかったとの無能の罪の方が大きいのだが、野田の罪は、やっちゃいけない事をやってしまった罪であることから、「○○をやったとの実績がある」との誤解を元おQ層がしているのが主たる原因だと考えた。
勿論、この憲政史上最悪の民主党政権3総理の各々がやらなかった罪とやった罪の両方をおかしているのだが、野田は他の2名に比して、やっちゃいけない事をやっている面が強く、その内容を調べもせずに「やっている」との現象面の記憶から、あたかもマシな総理だとされTいる様だ。
野田がやっちゃった「やっちゃいけない事」とは、日韓通貨スワップ700億ドル増枠化であり、5%だった消費税を10%へと2倍に増税する法制を可決したことであり、韓国李昭博大統領との会談で「慰安婦問題」を韓国側言い分丸呑みで「解決」させるとの密約である。幸いにして密約は解散により頓挫したが、鳩山・菅直人と同等の最悪ぶりであったことを「おQ層」の方々は忘れている様だ。
では、民主党政権の悪夢の3年3か月を振り返ってみよう。
○2009年8月30日:衆議院選挙
第45回衆議院議員総選挙。おQ層が民主党に史上最多の308議席を与える。
同選挙の投票率は69.28%と近年の我が国国政選挙としては圧倒的な高さとなった。
一方、前政権の自民党は300議席から181議席減の119議席、公明党は31議席から10議席減の21議席となった。従来は投票に行かなかった層が選挙に行き「お灸を据えた」との構造がわかる投票率・議席数である。投票率が上がることは望ましいのだが、投票している我々主権者国民は、その結果の責を負う立場であり、しっかりと調べ、考えて投票したとは言い難いものであった。
○2009年9月16日:国会での首班指名
民主党・鳩山由紀夫が国民新党(亀井静香)、社民党(福嶋瑞穂)と連立与党結成し第93代内閣総理大臣に就任
○2009年9月22日:鳩山25%
鳩山は国連本部で開かれた国連気候変動サミットの演説内で温室効果ガス25%削減を発言した。あれから6年を経た現在に於いても、その実現策の中身を不明のままである。
○2009年11月13日:鳩山、オバマ大統領に対して"Trust me"発言
東京での日米首脳会談。在日米軍基地についての話し合いの際に、鳩山がオバマ大統領に対し"Trust me"と発言。
○2010年1月19日:JAL倒産
日本航空が会社更生法の適用を申請し事実上の倒産。
○2010年3月31日:鳩山・腹案発言
記事を引用する。< http://news.yahoo.co.jp/pickup/1769035 >
移設先の腹案すでに用意 首相 2010年3月31日(水) 16時45分掲載 .
見出し:鳩山首相「腹案既に用意」=普天間移設
本文:鳩山由紀夫首相は31日午後の党首討論で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先について「腹案は既に用意している」と述べた。同時に「県内であるとか県外であるとかお答えできない。腹案をおおっぴらにすることはできない時期だ」として、現時点では公表しない方針を改めて強調した。(時事通信)
<引用終わり>
はっきり言って行き詰りのウソである。
○2010年4月13日:鳩山、結局何もしてなくてオバマ大統領が激怒
米国ワシントンでの第1回核安全保障サミットにて、オバマ大統領は参加9カ国首脳と公式会談を行った。一方、鳩山とは夕食会席上で10分の非公式会談を行った。その際に、オバマ大統領は「昨年11月の日米首脳会談で"Trust me" と言ったが何も進んでない。きちんと最後まで実現できるのか」と強い疑念を表明。
○2010年5月4日:鳩山、今更の海兵隊抑止力発言と思い付きの徳之島。
オバマ大統領への"Trust me"発言から約半年目、何らの進展の気配さえ見えない状態が続き、とうとう鳩山は記者団に対して「学べば学ぶほど海兵隊の抑止力が分かった」と沖縄に基地が存在するとの根本理由を実はわかってなかったことを白状した。
更に泥縄で鹿児島県奄美群島徳之島に分散移設する方針を表明した。
○2010年5月7日:徳之島3町長への基地受け入れ要請
徳之島の徳之島町、伊仙町、天城町の3町長に基地移転を要請する。この正式要請の前に分散移設を公に口にしているのだが、事前すり合わせをしていたとは思えない。何故なら、米軍側は、最初から180Kmも離れている案に興味はなく、各町長からも芳しい回答はなく、実現性なき机上案のままに徳之島案を鳩山がじゃべってしまったというのが真相の様だ。
○2010年5月30日:ミズポ連立離脱
鳩山内閣連立政権の一角を占めていた社民党は、普天間基地移設問題で福島瑞穂党首が閣僚罷免されたことに伴い連立政権からの離脱をした。
○2010年6月2日:鳩山が民主党臨時両院議員総会で退陣を表明
総選挙後約9ヶ月で鳩山は自身の無能・虚言癖から辞任に追い込まれた。その最大の問題は選挙演説の時の普天間移転問題である。「最低でも県外」などと、実現プランも見通しもないのに言ってしまう無責任さが鳩山の特徴である。
同様、2009年11月の対オバマ"Trust me"発言の前後に、当時の鳩山内閣の岡田外相は「最低でも県外」とは民主党マニュフェストには書いてない、つまり選挙公約ではないと答弁している。
選挙戦の最中に党の代表が演説で述べたことを、選挙投票の前提である「選挙公約」ではないと言ってしまうのが民主党内閣の無責任体質である。その岡田が今は民主党の代表なのである。
また、民主党は、この後に判明するのだが、リーマンショック対策で麻生政権が打った経済対策を次々と期限切れ廃棄し、それに代わる実効性ある具体的経済政策を提示できなかった。要するに、鳩山内閣時代にまともな経済政策の検討が出来ていなかったのである。
むしろ小宮山洋子や田嶋陽子らは、財務省の傀儡として、専業主婦の為に有用な税制を改悪したのである。鳩山内閣は選挙時マニュフェストのほぼ総てを実現化出来なかった民主党政権3年3ヶ月の最初の9ヶ月間を担った内閣であった。これは何を意味するのかと言うと、政権のスタートダッシュが出来なかったということだ。要するに実現する為にやらなければならないことをやっていなかった事が後日になり、バレバレになったということだ。
そのくせ、やらなくても良いことをやってたりもする。その典型が上記した「25%削減宣言」である。これも、その内実は「最低でも県外」と同じ具体的プランがない口から出まかせである。「言えば実現できる」とでも考えているのであろうか常人には理解し難い感覚であることから、鳩山は憲政史上最狂総理だと考えている。
○2010年6月4日:鳩山内閣総辞職・首班指名で菅直人
鳩山内閣総辞職に伴い、民主党代表選挙で菅直人が民主党代表に選手され、同日の衆参首班指名で菅直人が第94代内閣総理大臣に。
○2010年6月8日: 菅内閣発足
菅直人は鳩山内閣の副総理・経済財政政策・科学技術政策担当大臣兼国家戦略担当大臣
として入閣した。「国家戦略担当大臣」の職務とは「税財政の骨格や経済運営の基本方針等について企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」とされていたのだが、税・財政・経済政策との似て非なる各専門分野を担当するだけの知見も見識もない菅直人には荷が重過ぎ、民主党政権として初の予算編成となった2010年度予算に於いては、何等の理念を盛り込むことが出来ずに、前年と変わり映えのしない予算となり、早くも、その無能ぶりを発揮していた。蓮舫が科学技術に対する無知・無能・不見識ぶりをさらけ出した、あの事業仕分けは2009年11月のことであった。
その菅直人が総理に就任したのである。
菅直人は総理官邸での記者会見の際に「政治の役割は国民、世界の人が不幸になる要素をいかに少なくする『最小不幸社会』を作る事だ」と述べたのだが、その後の1年3カ月の菅内閣は、鳩山以上にやることをやらない・何もしない内閣であり、我々日本人の幸福を支えてきた人々や制度のメンテと運用をほっぽらかしにして、日本人の幸福を毀損した内閣であった。
○2010年7月11日:参議院で民主党惨敗
第22回参院選が実施され民主党は惨敗した。
今回半数改選のうち、民主党は改選54議席を10減らし44議席とし、自民党は38議席を51に増やした。公明党は改選11議席を2減らし9議席となった一方でみんなの党は躍進し、0議席から10議席となった。その結果、非改選を含む参議院での勢力は、民主・日本新党の連立与党で109議席と過半数割れとなった。
民主党惨敗の原因は、民主党鳩山内閣が憲政史上の最狂のデタラメ内閣であったことにあるのだが、参議院選挙前に菅直人が2009年マニュフェストを反故にする消費税増税に言及したことも大きい。
これは財務官僚あたりが菅直人の耳元でゴニョゴニョしたものを、そのまましゃべってしまったものだと推定されている。普通だったらタブーである選挙前の総理の増税示唆発言を菅直人が言ってしまったのは、ここまでに至る民主党のデタラメの連続と菅直人自身が税・財政・経済政策との似て非なる各専門分野に対する知見も見識もない無能であるが故の判断ミスが原因であろう。以下に、民主党のデタラメの連続を時系列で簡単に示しておく。
1)2009年7月:選挙公約(マニュフェスト)で、財源なきインチキ政策の数々を掲げる
↓
2)2009年8月:選挙前から財源問題を指摘され、民主党は特別会計等の「埋蔵金」、官僚省庁の無駄使い排除が「財源」だと称していた。
↓
3)2009年11月:あの蓮舫による茶番「事業仕分け」をやるも、結局は、選挙前に言っていた規模に全然達せず、成果なく単なるパフォーマンスに終わる。
↓
4)2010年3月:2010年度(2010年4月から2011年3月)予算案可決。菅直人は「国家戦略担当大臣」として何も出来ず、民主党マニュフェストに沿った理念を予算に盛り込むことが出来ずに、前年と変わり映えのしない予算となった。
↓
5)2010年6月;鳩山辞任・菅直人総理就任
↓
6)2010年7月:参議院選挙
民主党・鳩山内閣の発足当時2009年9月時点での内閣支持率は約70%もあり、不支持率は20%程度と圧倒的であったのだが、その僅か7ヶ月後の2010年4月末時点では支持率は70%から20%に急落し、支持率は圧倒的な64%にも及んだ。
民主党は、選挙民・国民から完全に信任を失った状態だが、菅直人が内閣を継いだ。選挙によらない政権引き継ぎは自民党内閣でも行われていたことだったので、これ自体を民主党の悪とは言わないが、菅直人は1年前の選挙時点のマニュフェスト内容の実現が出来ていないこと及び、財源問題が頓挫しており、これが解決出来ない状態ではマニュフェスト内容の実現可能性がほぼ皆無である状態を指摘されている立場であった。
総理就任後わずか1か月後の参議院選挙で政権交代時マニュフェストの取り下げをすれば惨敗必須との状態で、多分財務官僚あたりが菅直人の耳元でゴニョゴニョと「財源は消費税増税で確保」とかなんとかしたものを、そのまましゃべってしまったものだと推定されている。消費税増税自体がマニュフェスト違反なのだが、菅直人は消費税増税に言及して参議院選挙で惨敗した。
○2010年9月7日:尖閣中国船体当たり事件
「市民運動家」菅直人とは、その実、危険で卑怯な専横者だとバレた事件である。
権力を握ったら民主主義の基本たる政権運営の国民に向けての透明性などかなぐり捨てて情報を隠蔽し、真実性・論理性・手続き遵守等も一切無視した独断に基づく専横が目立った事件であった。
事件の概要としては、尖閣諸島付近の海域をパトロールしていた海上保安庁・巡視船「みずき」が、中国籍の不審船を発見し日本領海からの退去を命じるが、それを無視して「漁船」は違法操業を続行し、その「漁船」が逃走時に巡視船「よなくに」と「みずき」に衝突し2隻を破損させたものである。
本件は「漁船」の衝突との一般事件ではなく、我が国領土・領海を、中国によって、尖閣があたかも「領土問題」であるかの様にするとの「超限戦への対応」問題であり、極めて高度な対応としっかりとした国家観がなければ対処を間違える事件であったのだが、菅直人及び官房長官の仙石由人がやったことは体当たりした中国「漁船」の中国人船長を処分保留で釈放し中国への送還であり、長く「中国への配慮」と称して非公開・隠蔽されていた「漁船」衝突時映像が2010年11月1日に衆参予算委員会の一部国会議員にのみ限定公開となった。
この限定公開の際に福嶋瑞穂は「福島瑞穂社民党党首「車が道路でちょっとコツンとぶつかるような、あてて逃げるという映像だ。(後略)」と述べ、あたかも故意ではない様な虚偽を述べ「中国配慮」の印象操作をしている。国民に真実を伝えない様な議員は代議制民主主義の議員としての資格はない。
この福嶋のウソは、「sengoku38」こと一色正春氏により11月4日にYouTube上に投稿された海上保安官撮影動画により虚偽だとバレ、国民は、政府ではなく、職を賭した海上保安官に勇気ある行動でやっと事実映像を確認することが出来たのである。
民間企業職員なら、コンプライアンス事案の内部通報者として保護される一色氏なのだが、国家公務員の立場では漏洩の罪を問われ退職させられてしまった。
一方、国民に対してウソ話で印象操作をした福嶋瑞穂は本日も参議院議員である。
○2011年1月14日:菅第2次改造内閣発足
官房長官は媚中仙石由人から枝野幸男に。また、経済財政相に与謝野馨を起用。
与謝野馨は自民党・福田内閣の規制改革担当大臣及び経済財政政策担当大臣を歴任し、麻生内閣に於いては金融担当大臣、財務大臣を経験した自民党政治家である。
その与謝野馨を民主党・菅直人内閣は経済財政大臣に起用したのである。それは民主党には国家財政・経済政策実務が出来る人材がいないからである。実際、2009年9月の鳩山内閣発足以来、ここまでの1年数か月の間、ずっとまともな経済政策関係の動きがなかったことからも明らかだろう。
○2011年3月11日:東日本大震災
午後2時46分頃、東日本大震災発生。この震災に対する対応及び福島第一原発に対する菅直人の対応が致命的愚策であったことはご存じの通りだ。
<長くなったので項を分けます>



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