【コラム】2009年時点で民主党が目指した改憲
- 2015/12/04
- 18:28
【コラム】2009年時点で民主党が目指した改憲

副題:民主党2009年マニュフェストの「改憲」姿勢のだらしなさ、恐ろしさ。
民主党政権下での3年3ヶ月は、無能集団が政権の座にいると国民が不幸になるとの実例を示した期間であった。
我々国民は、政権運営経験も行政実務経験のない無能集団に政権を任せることが如何に危険なことであるかを、身を以て実証したのである。迷惑な話ではあるが。
「政権交代」をスローガンに、あたかも実現可能であるかの如きイメージで選挙前に提示していた「2009年民主党マニュフェスト」に記載されていた各種の「政策」が、2015年現在、どれ程が実現したのかをみれば2009年夏の総選挙前に同マニュフェストの実現可能性に問題ありとの指摘をしていた識者意見をもっと流通させるべきだったと反省している。
指摘されていた財源問題などは典型例であり、無理な政策の数々をゴリ押しした結果、やらないと称していた増税を民主党は消費税増税法案で決めてしまったのが顛末である。
本末転倒も甚だしい。
我が国に一般消費税が導入されたのは1989年のことである。その前の「売上税」議論から何年も経ってから税率3%で導入された。
その際の一般消費の落ち込み懸念から、個人所得税減税とセットで導入されたものである。
財務省が良く言う「税制中立」論の消費者側視点での「税負担中立」により、消費税導入に伴う消費の落ち込みを所得税の減税で防止するとの考え方である。
税率3%の一般消費税が5%化されたのは導入後約8年を経た1997年のことである。
この時も、所得減税とのセットで税制改革が議論されたものである。
ところが、それ以降、約15年間も据え置かれ5%だった消費税を民主党政権はたった2年程度で2段階で倍の税率10%にするとの消費税増税法案が可決したのである。
そして、この大増税法案検討時には、所得減税の議論は一切なく、むしろ、それ以前に配偶者控除の廃止とかの給与所得者にとっては実質増税を実施した後に、更に消費税率を一挙に2倍の10%にするとの苛政が行われたのであった。
民主党は、財源問題を深く考えず、実現可能性がない「バラ色のマニュフェスト」を掲げ、その真相を告げない民主党自身と偏向マスコミの詐欺言論に乗っかり投票した国民の後押しを受け、政権の座に就いたのだが、案の定財源が足りず、消費税率を短期間のうちに2倍の10%にするとの大増税法案を可決するに至ったのである。
しかも、消費税増税に伴う景気低迷防止策の具体的対策がまったくない大増税法案を決議した完璧な公約違反であった。
こういう無能集団を政権与党に選んでしまったのが、我々「主権者国民」なのだが、2009年8月総選挙の前に「2009年民主党マニュフェスト」をまじめに読んでいれば、民主党の危険性に気付いていたはずだ、というのが当方の推論だ。
一方、幾ら読んでも気が付かない層がいることは事実である。
そうならば、例え当時そうだったとしても、それは仕方ない。喉元過ぎれば熱さ忘れるにならない様に、次の選挙の時に気を付ければ良いことだ。
さて、今回論評するのは「2009年民主党マニュフェスト」の憲法関係部分についてである。
データは、民主党HPの以下URLのテキスト文書に基づいている。
< https://www.dpj.or.jp/global/downloads/manifesto2009.txt >
「2009年民主党マニュフェスト」で「憲法」との単語が出てくる部分は、同文書の文末にある以下の部分だけである。
<引用開始>
国民の自由闊達な憲法論議を
「憲法とは公権力の行使を制限するために主権者が定める根本規範である」というのが近代立憲主義における憲法の定義です。決して一時の内閣が、その目指すべき社会像やみずからの重視する伝統・価値をうたったり、国民に道徳や義務を課すための規範ではありません。民主党は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」という現行憲法の原理は国民の確信によりしっかりと支えられていると考えており、これらを大切にしながら、真に立憲主義を確立し「憲法は国民とともにある」という観点から、現行憲法に足らざる点があれば補い、改めるべき点があれば改めることを国民の皆さんに責任を持って提案していきます。民主党は2005年秋にまとめた「憲法提言」をもとに、今後も国民の皆さんとの自由闊達な憲法論議を各地で行ない、国民の多くの皆さんが改正を求め、かつ、国会内の広範かつ円満な合意形成ができる事項があるかどうか、慎重かつ積極的に検討していきます。
<引用終わり>
「憲法」との単語が出てくる部分の記載はこれだけであり、9条に関しては何らの言及はない。他の部分でも「9条」「国防」「防衛」「安保」「安全保障」との単語は1回も登場しない。
それらしきことを言っているのは「外交」の部分で「平和」との単語で語られる具体性を欠いた一般論だけである。
さて、この民主党の記述を読むと、民主党は実に卑怯な言い方をしていることがわかるだろう。先ず、民主党自身が主体として何をやるのかについては明言を避け、以下の様に「提案」に留まるとの姿勢である。
<「提案」に留まるとの民主党の言い分>
現行憲法に足らざる点があれば補い、改めるべき点があれば改めることを国民の皆さんに責任を持って提案していきます。
<引用終わり>
そして、肝心の「改憲するのかしないのか」については、「国民が改正を求め」と責任を国民に丸投げして、他者に依拠する姿勢を示し、民主党が党是として改憲するのかしないのかを明示することを避けている。まったくの及び腰であり、本当にだらしない。
<民主党が党としての方針を示さないだらしない言い訳>
国民の皆さんとの自由闊達な憲法論議を各地で行ない、国民の多くの皆さんが改正を求め、かつ、国会内の広範かつ円満な合意形成ができる事項があるかどうか、慎重かつ積極的に検討していきます。
<引用終わり>
民主党には党の綱領もなく、政党としての方向性が党内で合意出来ていない烏合の衆であるとの指摘は当時からあった。
民主党には各種の派閥が存在し、その中には、あの「護憲」を旗印にしていた旧社会党のグループがおり、そんな事情で党として改憲を言い出せない状況があるのだろうと推測しているが、ならば何故同じ「党」に結集しているのかとの本質論のレベルに於いて不可思議な「政党」なのが民主党なのである。「選挙互助会」と言われる所以である。
2015年現在、党の創建者でありオーナーであった鳩山由紀夫は、本人の無能さ故に放逐された。民主党を「反自民対抗政党」として実質的にプロデュースした小沢一郎は党内権力闘争に敗れ脱党した。結局は、労組票を以て当選確率が高い旧社会党系のサヨク議員と自民党では冷や飯食うレベルの見識しか持たないフワフワ議員による相変わらずの無能集団を現在は形成している。
そんな化けの皮が剥がれる前の「2009年民主党マニュフェスト」では「主体的に改憲」するとは言わないダラシナイ記述をしていながら「改憲の姿勢」を出している玉虫色の内容を掲げている。ダラシナイ記述であるのだが、注目すべきは、この時点で民主党は改憲の可能性を否定していない点である。
「2009年民主党マニュフェスト」での憲法に関する記載内容を、もう一歩進めて読解すると、改憲の方向性が、マニュフェストの他の記載内容から推察すると、我が国国柄を根本否定するマルキスト的な革命性向が浮かび上がってくる。
民主党は、あたかも米国・民主党や英国・労働党の如き「リベラル政党」(自由主義政党)の様な顔をしているが、マニュフェスト記載内容からは、その本質は、国家体制変革=革命を目指す共産党と同質の日本の国柄を否定する革命政党である。
米・民主党も英・労働党も祖国の枠組みをぶっ壊す様な革命を目指してはいない。
米・民主党も英・労働党も祖国を維持・発展させる方法論や方向性が対抗する米・共和党や英・保守党と違うだけで、祖国解体との方向性はない。
ところが「2009年民主党マニュフェスト」の内容は、一歩踏み込み読解すると、我が国国柄を廃棄して別の国家体制にすると書いてある革命論であり、到底容認できないものである。
使用している語句・単語はマイルドなものを選択しており、イメージ的には、昔日の共産主義暴力革命とは違う様なムードを出しているが、その内容は革命論そのものである。
このことを例示する、幾つかの記載を以下に紹介する。
<マニュフェストの導入部・前文部分からの引用>
○新しい優先順位に基づいて、すべての予算を組み替え、子育て・教育、年金・医療、地域主権、雇用・経済に、税金を集中的に使います。(中略)国民を苦しめている古い仕組みを終わらせ(後略)
↓
ここでも「地域主権」なる、国家形態破壊のキーワードが出てくる。
「地域主権」との新造語の欺瞞性・危険性については以下で論評しているので、興味あれば参照願いたい。
2015/11/30投稿記事:
【コラム】「主権者国民」の責務2
< http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-278.html >
国際社会の中で、国家が自存自立して存在し続けるのに必須な外交・防衛に関しては言及していない。そして「国民を苦しめている古い仕組みを終わらせ」と現行制度を否定し廃棄することを宣言している。
ここで言う「国民を苦しめている古い仕組み」とは具体的に何なのかは、前文に続く以下の原則及び具体策と称して記載されている「終わらせ」る諸制度のことであろうと推定できる。
どの様な諸制度を「終わらせる」のかと言うと、主には「官僚」とか「霞が関」と称される行政実務体制のことだと解される。
我が国は、スイスやミャンマーの様な連邦制国家ではないし、我が国の歴史・国柄からして、連邦制国家になる必然性はない。連邦国家を目指すなら、それはイデオロギーに源泉がある性格のものである。
<引用開始>
鳩山政権の政権構想 5原則
原則1 官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ。
原則2 政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ。
原則3 各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ。
原則4 タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆(きずな)の社会へ。
原則5 中央集権から、地域主権へ。
<引用終わり>
引用した5原則と称するうちの筆頭が「官僚丸投げの政治」である。
「官僚丸投げ」との扇情的語句を使用しているが、官僚とは、行政に於ける事務組織であり、国家運営上欠くことの出来ない組織・人員であり、政治的決定に際しての、各種動向資料、過去実績記録、シミュレーションを担い、政治決定後には、その方針に従い実務遂行する組織・人員である。要するにスタッフである。
このスタッフに対して「丸投げ」と称して、あたかも方針提示と方針決定に内閣が責任を持って実行しておらず「官僚」が決定権を有するが如き言い様をしている。
更に「5策」と称して「官僚」を排除する「策」を提示している。
自身の政権が策定する政策の事務方を担う組織・人員を排除して、政策をどうやって実現させるのか、まったく疑問である。
この「5策」を抜粋引用する。
<民主党「5策」より抜粋引用>
第1策(前略)政務三役を中心に政治主導で政策を立案、調整、決定する。
第2策(前略)「閣僚委員会」の活用により、閣僚を先頭に政治家自ら困難な課題を調整する。事務次官会議は廃止し、意思決定は政治家が行う。
第3策(前略)総理直属の「国家戦略局」を設置し(中略)新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する。
第4策 事務次官・局長などの幹部人事は(中略)新たな幹部人事制度を確立する。(後略)
第5策 天下り、渡りの斡旋を全面的に禁止する。国民的な観点から、行政全般を見直す「行政刷新会議」を設置し、全ての予算や制度の精査を行い、無駄や不正を排除する。官・民、中央・地方の役割分担の見直し、整理を行う。国家行政組織法を改正し、省庁編成を機動的に行える体制を構築する。
<引用終わり>
ここでも、あたかも内閣が政策決定の役割をしていないが如き前提で「5策」が書かれている。確かに某党国交大臣Fの様な、質疑内容が理解できず官僚の全面的補佐がないと国会答弁も出来ないダメ大臣がいたことも事実であるが、決断をする政治側と事務方の官僚の役割分担を民主党は混同している。
第2策の「政治家自ら困難な課題を調整、事務次官会議は廃止、意思決定は政治家が行う」との民主党の方針は、調整内容が事務方とは無関係な政治決断だけで解決できるとの決め付けに基づく夢想である。
だいたいが、大組織で調整が必要な内容の8割以上が事務的な問題が解決できないことが原因の問題なのである。
民主党の間違った決め付けのまま、民主党が政権運営・行政執行をしたので、結局は何も決まらないままに迷走をしていたことは記憶に新しい。
第3作の「「国家戦略局」を設置し、政治主導で予算の骨格を策定する」との民主党の方針も勘違い・世間知らずである。
そもそも、予算の「骨格」と称して細かいことから逃げているのだが、予算付与の妥当性と予算額の妥当性検証は予算骨子の両輪であり、空想的なイメージで語っていてもまともなものは出来ないとの常識を知らないのであろう。
事務方と方針決定者による緊密な意思疎通と連携が必要なものであり、事務方の業務の中でも高度な見識が必要である部分である。骨格は誰でも言えるが、それが実社会に於いて機能する予算にする為には事務方に対して、基本的データの提示やシミュレーション指示をして検討することが必須であり、その様な検討を経ない情緒やイメージだけでは、予算案策定は実現不可能なのである。
この様な世間知らずなことを言いながら、一方で民主党は、官僚の人事権、天下り規制等の兵糧攻めの恫喝をしているのである。自分の政策を実現化させるスタッフに対して、なんという対決型で隷属強要態度なのだろう。
この様な、民主党マニュフェストの原則1や各策は対決姿勢に満ちているが、それに続く、原則2と原則3へと読み進めた時、当方の脳裏には、ある組織の構成と同じだとのイメージが浮かんだものである。
当方は「既存の官僚組織を政権党が統制する組織形態をとる」ある組織の構成と同じだとのイメージが浮かんだ。脳裏に浮かんだのは、ソ連・中共型共産党独裁の組織統制手法である「政治委員」が現場でいちいち監視をする、あの組織形態である。
原則1では「政権党の政治家主導」とあり、現行憲法が規定する内閣主導ではない。
原則2では「政府と与党の一元化体制での政策決定」とある。つまり党と政府が同一だと言っているのである。これじゃ連立与党は組めないなと思っていたのだが、民主党は社民党と連立した(笑)。現実的な建設的行動をとれない性向の両者はすぐに対立して、社民党の連立離脱となった。しかし、問題点は連立政権の話ではない。国家の政府と政治集団の政党を一元化するとの発想の問題である。こんなことは、共産党独裁国家でのみ存在する考え方であり、言外に共産党型の国家運営をすると言っているのである。
原則3では、「各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ」と一元化された政府、即ちと政党が既存官僚組織を統治する旨が再度、述べられている。
既存官僚組織を党が統治する形式としては、前述した通りソ連軍組織が典型的である。
軍隊という官僚組織は、兵・下士官・将校の階級と団・連隊・大隊・中隊等の部隊編成で指揮命令系統が確立されているのだが、大戦時ソ連軍では、連隊の戦闘行動の最終意志決定権は連隊長にはなく、連隊付の党から派遣された政治委員の承認が必要で、共産党が総てを統治する形態である。
現行憲法規定からは、政府と党を同一とは出来ない。
従い、原則2では姑息にも「内閣の下の政策決定に一元化」なる文語でごまかしているが、趣旨は、ソ連の共産党政治委員と同類の政党による統治を目指すものだと解されるのである。
こんなことは現行憲法下では行えない。当然の帰結として、ヒダリ旋回方向での憲法改正を行わなければ実現できないものである。
憲法改正をしないと実現出来ない政策を選挙公約(マニュフェスト)として掲げていたのが2009年8月総選挙時の民主党なのである。しかも、相当なヒダリ旋回をする内容である。
前回言及した「地域主権」なる新造語の内容も、憲法改正をしなければ、実現できないものである。
民主党の2009年マニュフェストには「憲法改正」の姿勢を示しつつも、改正するとの言及を避けているのだが、マニュフェストの内容は、ヒダリ旋回する憲法改正がなければ実現出来ない内容が記載されているとの恐ろしいものなのである。
この事を我が国偏向マスコミは絶対的に報道しない。
だからこそ、「主権者国民」の責務として、選挙公約ぐらい読むべきだと考えたのである。
「護憲」だと思ったら、ヒダリ旋回の革命改憲政党だった。
「お灸をすえる」つもり、が地獄の業火に焼かれた「おQ層」。
そんなことを繰り替えさない様に、次の選挙では、ウソ偽りの言説に騙されない様に、ちゃんと情報を得た上で判断して欲しい。
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副題:民主党2009年マニュフェストの「改憲」姿勢のだらしなさ、恐ろしさ。
民主党政権下での3年3ヶ月は、無能集団が政権の座にいると国民が不幸になるとの実例を示した期間であった。
我々国民は、政権運営経験も行政実務経験のない無能集団に政権を任せることが如何に危険なことであるかを、身を以て実証したのである。迷惑な話ではあるが。
「政権交代」をスローガンに、あたかも実現可能であるかの如きイメージで選挙前に提示していた「2009年民主党マニュフェスト」に記載されていた各種の「政策」が、2015年現在、どれ程が実現したのかをみれば2009年夏の総選挙前に同マニュフェストの実現可能性に問題ありとの指摘をしていた識者意見をもっと流通させるべきだったと反省している。
指摘されていた財源問題などは典型例であり、無理な政策の数々をゴリ押しした結果、やらないと称していた増税を民主党は消費税増税法案で決めてしまったのが顛末である。
本末転倒も甚だしい。
我が国に一般消費税が導入されたのは1989年のことである。その前の「売上税」議論から何年も経ってから税率3%で導入された。
その際の一般消費の落ち込み懸念から、個人所得税減税とセットで導入されたものである。
財務省が良く言う「税制中立」論の消費者側視点での「税負担中立」により、消費税導入に伴う消費の落ち込みを所得税の減税で防止するとの考え方である。
税率3%の一般消費税が5%化されたのは導入後約8年を経た1997年のことである。
この時も、所得減税とのセットで税制改革が議論されたものである。
ところが、それ以降、約15年間も据え置かれ5%だった消費税を民主党政権はたった2年程度で2段階で倍の税率10%にするとの消費税増税法案が可決したのである。
そして、この大増税法案検討時には、所得減税の議論は一切なく、むしろ、それ以前に配偶者控除の廃止とかの給与所得者にとっては実質増税を実施した後に、更に消費税率を一挙に2倍の10%にするとの苛政が行われたのであった。
民主党は、財源問題を深く考えず、実現可能性がない「バラ色のマニュフェスト」を掲げ、その真相を告げない民主党自身と偏向マスコミの詐欺言論に乗っかり投票した国民の後押しを受け、政権の座に就いたのだが、案の定財源が足りず、消費税率を短期間のうちに2倍の10%にするとの大増税法案を可決するに至ったのである。
しかも、消費税増税に伴う景気低迷防止策の具体的対策がまったくない大増税法案を決議した完璧な公約違反であった。
こういう無能集団を政権与党に選んでしまったのが、我々「主権者国民」なのだが、2009年8月総選挙の前に「2009年民主党マニュフェスト」をまじめに読んでいれば、民主党の危険性に気付いていたはずだ、というのが当方の推論だ。
一方、幾ら読んでも気が付かない層がいることは事実である。
そうならば、例え当時そうだったとしても、それは仕方ない。喉元過ぎれば熱さ忘れるにならない様に、次の選挙の時に気を付ければ良いことだ。
さて、今回論評するのは「2009年民主党マニュフェスト」の憲法関係部分についてである。
データは、民主党HPの以下URLのテキスト文書に基づいている。
< https://www.dpj.or.jp/global/downloads/manifesto2009.txt >
「2009年民主党マニュフェスト」で「憲法」との単語が出てくる部分は、同文書の文末にある以下の部分だけである。
<引用開始>
国民の自由闊達な憲法論議を
「憲法とは公権力の行使を制限するために主権者が定める根本規範である」というのが近代立憲主義における憲法の定義です。決して一時の内閣が、その目指すべき社会像やみずからの重視する伝統・価値をうたったり、国民に道徳や義務を課すための規範ではありません。民主党は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」という現行憲法の原理は国民の確信によりしっかりと支えられていると考えており、これらを大切にしながら、真に立憲主義を確立し「憲法は国民とともにある」という観点から、現行憲法に足らざる点があれば補い、改めるべき点があれば改めることを国民の皆さんに責任を持って提案していきます。民主党は2005年秋にまとめた「憲法提言」をもとに、今後も国民の皆さんとの自由闊達な憲法論議を各地で行ない、国民の多くの皆さんが改正を求め、かつ、国会内の広範かつ円満な合意形成ができる事項があるかどうか、慎重かつ積極的に検討していきます。
<引用終わり>
「憲法」との単語が出てくる部分の記載はこれだけであり、9条に関しては何らの言及はない。他の部分でも「9条」「国防」「防衛」「安保」「安全保障」との単語は1回も登場しない。
それらしきことを言っているのは「外交」の部分で「平和」との単語で語られる具体性を欠いた一般論だけである。
さて、この民主党の記述を読むと、民主党は実に卑怯な言い方をしていることがわかるだろう。先ず、民主党自身が主体として何をやるのかについては明言を避け、以下の様に「提案」に留まるとの姿勢である。
<「提案」に留まるとの民主党の言い分>
現行憲法に足らざる点があれば補い、改めるべき点があれば改めることを国民の皆さんに責任を持って提案していきます。
<引用終わり>
そして、肝心の「改憲するのかしないのか」については、「国民が改正を求め」と責任を国民に丸投げして、他者に依拠する姿勢を示し、民主党が党是として改憲するのかしないのかを明示することを避けている。まったくの及び腰であり、本当にだらしない。
<民主党が党としての方針を示さないだらしない言い訳>
国民の皆さんとの自由闊達な憲法論議を各地で行ない、国民の多くの皆さんが改正を求め、かつ、国会内の広範かつ円満な合意形成ができる事項があるかどうか、慎重かつ積極的に検討していきます。
<引用終わり>
民主党には党の綱領もなく、政党としての方向性が党内で合意出来ていない烏合の衆であるとの指摘は当時からあった。
民主党には各種の派閥が存在し、その中には、あの「護憲」を旗印にしていた旧社会党のグループがおり、そんな事情で党として改憲を言い出せない状況があるのだろうと推測しているが、ならば何故同じ「党」に結集しているのかとの本質論のレベルに於いて不可思議な「政党」なのが民主党なのである。「選挙互助会」と言われる所以である。
2015年現在、党の創建者でありオーナーであった鳩山由紀夫は、本人の無能さ故に放逐された。民主党を「反自民対抗政党」として実質的にプロデュースした小沢一郎は党内権力闘争に敗れ脱党した。結局は、労組票を以て当選確率が高い旧社会党系のサヨク議員と自民党では冷や飯食うレベルの見識しか持たないフワフワ議員による相変わらずの無能集団を現在は形成している。
そんな化けの皮が剥がれる前の「2009年民主党マニュフェスト」では「主体的に改憲」するとは言わないダラシナイ記述をしていながら「改憲の姿勢」を出している玉虫色の内容を掲げている。ダラシナイ記述であるのだが、注目すべきは、この時点で民主党は改憲の可能性を否定していない点である。
「2009年民主党マニュフェスト」での憲法に関する記載内容を、もう一歩進めて読解すると、改憲の方向性が、マニュフェストの他の記載内容から推察すると、我が国国柄を根本否定するマルキスト的な革命性向が浮かび上がってくる。
民主党は、あたかも米国・民主党や英国・労働党の如き「リベラル政党」(自由主義政党)の様な顔をしているが、マニュフェスト記載内容からは、その本質は、国家体制変革=革命を目指す共産党と同質の日本の国柄を否定する革命政党である。
米・民主党も英・労働党も祖国の枠組みをぶっ壊す様な革命を目指してはいない。
米・民主党も英・労働党も祖国を維持・発展させる方法論や方向性が対抗する米・共和党や英・保守党と違うだけで、祖国解体との方向性はない。
ところが「2009年民主党マニュフェスト」の内容は、一歩踏み込み読解すると、我が国国柄を廃棄して別の国家体制にすると書いてある革命論であり、到底容認できないものである。
使用している語句・単語はマイルドなものを選択しており、イメージ的には、昔日の共産主義暴力革命とは違う様なムードを出しているが、その内容は革命論そのものである。
このことを例示する、幾つかの記載を以下に紹介する。
<マニュフェストの導入部・前文部分からの引用>
○新しい優先順位に基づいて、すべての予算を組み替え、子育て・教育、年金・医療、地域主権、雇用・経済に、税金を集中的に使います。(中略)国民を苦しめている古い仕組みを終わらせ(後略)
↓
ここでも「地域主権」なる、国家形態破壊のキーワードが出てくる。
「地域主権」との新造語の欺瞞性・危険性については以下で論評しているので、興味あれば参照願いたい。
2015/11/30投稿記事:
【コラム】「主権者国民」の責務2
< http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-278.html >
国際社会の中で、国家が自存自立して存在し続けるのに必須な外交・防衛に関しては言及していない。そして「国民を苦しめている古い仕組みを終わらせ」と現行制度を否定し廃棄することを宣言している。
ここで言う「国民を苦しめている古い仕組み」とは具体的に何なのかは、前文に続く以下の原則及び具体策と称して記載されている「終わらせ」る諸制度のことであろうと推定できる。
どの様な諸制度を「終わらせる」のかと言うと、主には「官僚」とか「霞が関」と称される行政実務体制のことだと解される。
我が国は、スイスやミャンマーの様な連邦制国家ではないし、我が国の歴史・国柄からして、連邦制国家になる必然性はない。連邦国家を目指すなら、それはイデオロギーに源泉がある性格のものである。
<引用開始>
鳩山政権の政権構想 5原則
原則1 官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ。
原則2 政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ。
原則3 各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ。
原則4 タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆(きずな)の社会へ。
原則5 中央集権から、地域主権へ。
<引用終わり>
引用した5原則と称するうちの筆頭が「官僚丸投げの政治」である。
「官僚丸投げ」との扇情的語句を使用しているが、官僚とは、行政に於ける事務組織であり、国家運営上欠くことの出来ない組織・人員であり、政治的決定に際しての、各種動向資料、過去実績記録、シミュレーションを担い、政治決定後には、その方針に従い実務遂行する組織・人員である。要するにスタッフである。
このスタッフに対して「丸投げ」と称して、あたかも方針提示と方針決定に内閣が責任を持って実行しておらず「官僚」が決定権を有するが如き言い様をしている。
更に「5策」と称して「官僚」を排除する「策」を提示している。
自身の政権が策定する政策の事務方を担う組織・人員を排除して、政策をどうやって実現させるのか、まったく疑問である。
この「5策」を抜粋引用する。
<民主党「5策」より抜粋引用>
第1策(前略)政務三役を中心に政治主導で政策を立案、調整、決定する。
第2策(前略)「閣僚委員会」の活用により、閣僚を先頭に政治家自ら困難な課題を調整する。事務次官会議は廃止し、意思決定は政治家が行う。
第3策(前略)総理直属の「国家戦略局」を設置し(中略)新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する。
第4策 事務次官・局長などの幹部人事は(中略)新たな幹部人事制度を確立する。(後略)
第5策 天下り、渡りの斡旋を全面的に禁止する。国民的な観点から、行政全般を見直す「行政刷新会議」を設置し、全ての予算や制度の精査を行い、無駄や不正を排除する。官・民、中央・地方の役割分担の見直し、整理を行う。国家行政組織法を改正し、省庁編成を機動的に行える体制を構築する。
<引用終わり>
ここでも、あたかも内閣が政策決定の役割をしていないが如き前提で「5策」が書かれている。確かに某党国交大臣Fの様な、質疑内容が理解できず官僚の全面的補佐がないと国会答弁も出来ないダメ大臣がいたことも事実であるが、決断をする政治側と事務方の官僚の役割分担を民主党は混同している。
第2策の「政治家自ら困難な課題を調整、事務次官会議は廃止、意思決定は政治家が行う」との民主党の方針は、調整内容が事務方とは無関係な政治決断だけで解決できるとの決め付けに基づく夢想である。
だいたいが、大組織で調整が必要な内容の8割以上が事務的な問題が解決できないことが原因の問題なのである。
民主党の間違った決め付けのまま、民主党が政権運営・行政執行をしたので、結局は何も決まらないままに迷走をしていたことは記憶に新しい。
第3作の「「国家戦略局」を設置し、政治主導で予算の骨格を策定する」との民主党の方針も勘違い・世間知らずである。
そもそも、予算の「骨格」と称して細かいことから逃げているのだが、予算付与の妥当性と予算額の妥当性検証は予算骨子の両輪であり、空想的なイメージで語っていてもまともなものは出来ないとの常識を知らないのであろう。
事務方と方針決定者による緊密な意思疎通と連携が必要なものであり、事務方の業務の中でも高度な見識が必要である部分である。骨格は誰でも言えるが、それが実社会に於いて機能する予算にする為には事務方に対して、基本的データの提示やシミュレーション指示をして検討することが必須であり、その様な検討を経ない情緒やイメージだけでは、予算案策定は実現不可能なのである。
この様な世間知らずなことを言いながら、一方で民主党は、官僚の人事権、天下り規制等の兵糧攻めの恫喝をしているのである。自分の政策を実現化させるスタッフに対して、なんという対決型で隷属強要態度なのだろう。
この様な、民主党マニュフェストの原則1や各策は対決姿勢に満ちているが、それに続く、原則2と原則3へと読み進めた時、当方の脳裏には、ある組織の構成と同じだとのイメージが浮かんだものである。
当方は「既存の官僚組織を政権党が統制する組織形態をとる」ある組織の構成と同じだとのイメージが浮かんだ。脳裏に浮かんだのは、ソ連・中共型共産党独裁の組織統制手法である「政治委員」が現場でいちいち監視をする、あの組織形態である。
原則1では「政権党の政治家主導」とあり、現行憲法が規定する内閣主導ではない。
原則2では「政府と与党の一元化体制での政策決定」とある。つまり党と政府が同一だと言っているのである。これじゃ連立与党は組めないなと思っていたのだが、民主党は社民党と連立した(笑)。現実的な建設的行動をとれない性向の両者はすぐに対立して、社民党の連立離脱となった。しかし、問題点は連立政権の話ではない。国家の政府と政治集団の政党を一元化するとの発想の問題である。こんなことは、共産党独裁国家でのみ存在する考え方であり、言外に共産党型の国家運営をすると言っているのである。
原則3では、「各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ」と一元化された政府、即ちと政党が既存官僚組織を統治する旨が再度、述べられている。
既存官僚組織を党が統治する形式としては、前述した通りソ連軍組織が典型的である。
軍隊という官僚組織は、兵・下士官・将校の階級と団・連隊・大隊・中隊等の部隊編成で指揮命令系統が確立されているのだが、大戦時ソ連軍では、連隊の戦闘行動の最終意志決定権は連隊長にはなく、連隊付の党から派遣された政治委員の承認が必要で、共産党が総てを統治する形態である。
現行憲法規定からは、政府と党を同一とは出来ない。
従い、原則2では姑息にも「内閣の下の政策決定に一元化」なる文語でごまかしているが、趣旨は、ソ連の共産党政治委員と同類の政党による統治を目指すものだと解されるのである。
こんなことは現行憲法下では行えない。当然の帰結として、ヒダリ旋回方向での憲法改正を行わなければ実現できないものである。
憲法改正をしないと実現出来ない政策を選挙公約(マニュフェスト)として掲げていたのが2009年8月総選挙時の民主党なのである。しかも、相当なヒダリ旋回をする内容である。
前回言及した「地域主権」なる新造語の内容も、憲法改正をしなければ、実現できないものである。
民主党の2009年マニュフェストには「憲法改正」の姿勢を示しつつも、改正するとの言及を避けているのだが、マニュフェストの内容は、ヒダリ旋回する憲法改正がなければ実現出来ない内容が記載されているとの恐ろしいものなのである。
この事を我が国偏向マスコミは絶対的に報道しない。
だからこそ、「主権者国民」の責務として、選挙公約ぐらい読むべきだと考えたのである。
「護憲」だと思ったら、ヒダリ旋回の革命改憲政党だった。
「お灸をすえる」つもり、が地獄の業火に焼かれた「おQ層」。
そんなことを繰り替えさない様に、次の選挙では、ウソ偽りの言説に騙されない様に、ちゃんと情報を得た上で判断して欲しい。



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