憲法改正私案の検証14「人権」の整理3
- 2015/10/16
- 20:43
憲法改正私案の検証14「人権」の整理3

検証を進めるにあたって(「人権」の整理3)
タグ【α版検証】で続けている【日本国憲法改正試案α版】の検証である。
「人権」に関する整理の前回の続き、3回目である。
対象は下記URLの【日本国憲法改正私案α版】の第3章を想定している。
【(2/5):第3章・国民の権利及び義務】
< http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-184.html >
前回の最後で指摘した様に、Wikiの「人権」のページでは参政権・選挙権が基本的人権だとしているのであるが、現行憲法では前文で国民が主権3)を持つとしており、主権概念及び人権概念が混乱している旨を指摘した。
<前文から抜粋引用>
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
<引用終わり>
Wikiの記載は「人権概念・主権概念に於ける混乱」の典型例であり、記載内容は間違いであるのだが、「人権至上主義者」が良く言う「理屈」に「参政権・投票権=主権3)の源泉は基本的人権だからだ」とする「理屈」がある。
しかし、参政権・投票権が基本的人権だとするならば、現状20歳未満の方には「基本的人権」がないということになる。
乳飲み子でも遺産相続権との「基本的人権の1つである財産権」があるのに、整合しないのは何故であろう? との指摘をしておく。要するに、この「理屈」では説明し切れないのである。
閑話休題。人権概念の整理を続ける。
前回論評した通り、人権概念・主権概念の双方に於ける混乱があることから、「人権」の原点に戻り、あらためて我々日本人にとって憲法に書くべき「権利及び義務」を考えていく。
5.原点に立ち返るべし
基本的人権について当方が学んだ頃の論調に近い記述はないかとネット検索をしたところ、以下がヒットしたので、それを先ず紹介する。
NHK for School より引用
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005402877_00000
<引用開始>
○基本的人権とは:「基本的人権」の考え方は人類の長い苦難・試練の中で確立した権利です。自由権、社会権などに分けられます。
○学習のねらい:フランス革命、アメリカ独立宣言など、人権思想確立の歴史を学ぶ。また、その基本概念を押さえる。
○詳しい内容:1789年、フランス革命の後に発布された「人権宣言」は、主権が国王ではなく国民にあることを宣言し、こう謳っています。「人は生まれながらに自由であり権利において平等である。」アメリカの「独立宣言」にも、人はみな平等で譲ることのできない権利が与えられていると記されています。基本的人権は、人類の長い苦労と試練の中で確立した権利なのです。第二次世界大戦後に制定された日本国憲法にも、基本的人権の尊重がはっきりと謳われています。第3章11条。「国民はすべての基本的人権の共有を妨げられない。」基本的人権は大きく4つに分けられます。自由に生きるための権利・自由権。等しく生きるための権利・平等権。人間らしく生きるための権利・社会権。人権を守るため政治に参加する権利・参政権です。
<引用終わり>
充分に「戦後民主主義教育」そのものの内容(笑)であり、ここでも参政権を基本的人権だと強弁しており、当方が学んだ頃の「「基本的人権」は3つの基本概念があり云々」から1つ増えているが、少なくとも「なんでもかんでも人権至上主義の如き論調」に迄は至っていないので、これをサンプルに原点回帰して考え方を説明していく。
先ず、「基本的人権とは」との説明で「「基本的人権」の考え方は人類の長い苦難・試練の中で確立した権利です。」と現行憲法GHQと同じ西洋由来の考え方を示している。
「人類の長い苦難」とは西洋での出来事であり、絶対王政のことであることは本ブログを続けてお読みの方なら即時に理解できるであろう。
前文に類似の表現あるが、もっと典型的なのは「条文なのにお説教」として有名な無用条文である現行憲法第97条である。
<現行憲法:第97条>
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
現行憲法には多くの西洋由来の考え方が紛れ込んでいるので、NHK for Schoolの記述もこの様に「基本的人権」の「そもそも」部分は西洋由来ばかりが書かれている状態である。
当方はNHK for Schoolの記述を責めているのではない。
「基本的人権」の「そもそも」部分に関しては、現在、ほぼ100%が西洋の歴史の説明であり、我が国の民は宝との考え方は出てこない実態を紹介しているだけである。
一方、NHK for Schoolの記述では「基本的人権は「自由権、社会権などに分けられます。」と基本的人権の具体的記述をしている。
「など」が付いているが、自由権と社会権の2つを明示しているのは良い。
Wikiの「基本的人権」の羅列が第1層だけでも6つもあったのと対照的に、昔ながらの例示をしているのは良い。
次の「学習のねらい」は、この流れからは当たり前のことが書いてあるので説明は省略する。その次の本文であるところの「詳しい内容」の構成は概ね以下の通りである。
1)フランス革命主権在民、「人権宣言」生まれながらに自由・権利において平等。
2)アメリカの「独立宣言」。人はみな平等で譲ることのできない権利。
3)基本的人権は「人類の長い苦労と試練の中で確立した権利」
4)第二次世界大戦後に制定された日本国憲法の基本的人権の尊重。
第3章11条。「国民はすべての基本的人権の共有を妨げられない。」
5)基本的人権は大きく4つに分けられる。
①自由に生きるための権利・自由権。
②等しく生きるための権利・平等権。
③人間らしく生きるための権利・社会権。
④人権を守るため政治に参加する権利・参政権。
最初の1)、2)の記載は「人権宣言」「独立宣言」と時系列では逆なのだが、考え方の提示としては、この順番になろう。続く3)は「人類の長い苦労と試練の中で確立した権利」とのお定まりの西洋由来「人権」の説明であり、現行憲法97条お説教無用条文との関連で所謂「サヨク」が用いる定型句である。
ここでの「人類の長い苦労」には我が国先人の知恵と実績は入っていない。
次の4)も「戦後民主主義教育」の定型句である。現行憲法の第3章・第11条を明示している。
現行憲法第3章の表題は「国民の権利及び義務」であるが、帝国憲法の第2章の表題は「臣民権利義務」であり、権利と義務に関する規定が出来たのは「第二次世界大戦後に制定された日本国憲法」が初めてではないことは語られていない。
帝国憲法では「基本的人権」との用語は登場しないが、それでは帝国憲法下では基本的人権は存在していなかったのかというと、そんなことはない。「基本的人権」との語句の有無とは無関係に日本人庶民には基本的人権が存在していた。仁徳天皇の民のカマドの逸話でわかる我が国の君民の関係と、欧州絶対王政下での君民の関係が全然違うのに、欧州絶対王政下で形成された「基本的人権」なる語句が戦後の現行憲法に登場しただけの話である。このことは、本来的基本的人権を保障する法制度上の諸権利の内容を見れば納得するであろう。現行憲法で規定されている「基本的人権を保障する法制度上の権利」の多くが帝国憲法規定からのコピペ条文だからである。
帝国憲法では「基本的人権」を保障しているからこそ、それを保障する法制度上の権利が存在しているのであり、もしも「基本的人権」がないのなら、それら各種の「基本的人権を保障する法制度上の権利」を規定する理由もない。然るに、帝国憲法の第2章・臣民権利義務の存在からは帝国憲法下に於いて基本的人権が保障されていたと言えるのである。
最後の5)は参政権も基本的人権だとする混乱が見られるが、実は最近の資料としては貴重である。参政権を除く①:自由権、②::平等権、③::社会権の3つをちゃんと明示している。
当方が学んだ頃の「「基本的人権」は3つの基本概念があり云々」の3つとは、これら3つのことであるからだ。
これら3つの基本的人権の基本概念をベースに説明を続ける。
既にお気づきの方もいると思うが、この1)から5)のうちの1)及び2)では、これら①、②、③の3つのうち、1)のフランス人権宣言では「①:生まれながらに自由・②権利において平等」が述べられ、2)のアメリカ独立宣言では「②人はみな平等で譲ることのできない権利」と主に①と②が述べられている。
そして、これらは、本来的基本的人権①と②を保障する法制度上の諸権利の③との構成になっているのである。
また、NHK for Schoolの最初に出てきた「○基本的人権とは」では「自由権、社会権などに分けられます。」と書いてあることに注目して欲しい。
①自由権と③社会権を明示し「など」を付し「分けられます」との記述である。
「などがあります」ではなく「分けられます」と書くことに貴重な意味があるのである。
どの様に「分ける」のかは、以下の概念区分とする記述である。
A:本来的基本的人権概念 - - - - :①自由権 ②平等権
B:上記A:を保障する法制度上の諸権利概念 :③社会権
フランス人権宣言、アメリカ独立宣言でハイライトされているのは本来的基本的人権である人権A:の①自由権、②平等権である。
それらを保障するのが人権B:の③社会権である。
この人権B:には具体的には何があるかを以下に例示する。
尚、Wikiは参考にならない。人権宣言・独立宣言にある②平等権をWikiでは第2層の落としており、原点的人権概念をかなりアレンジしているからである。
<本来的基本的人権A:の①自由権を保障する人権B:③社会権の事例>
・居住と転居の自由(第22条)
・住居に侵入されたり、捜索されたりする事はない(第25条)
・通信の秘密をおかされる事はない。(第26条)
・所有権を侵される事はない(財産権の保障は大事)(第27条)
・信教の自由(第28条)
・言論・著作・出版・集会及び結社の自由(第29条)
・請願の自由(第30条)
<本来的基本的人権A:の②平等権を保障する人権B:③社会権の事例>。
・公務員就業への平等(第19条)
・裁判官による裁判を受ける権利を奪われる事はない(第24条)
これら事例としてあげたのは、憲法に書かれている人権B:③社会権である。
憲法の構造として、法文に書く対象は人権B:となり、その理念である本来的基本的人権Aとは分けて考えるのが概念整理として正当であると考える。
因みに、これらは125年前に制定された大日本帝国憲法での人権B:③社会権の事例である。
やはり、今から125年も昔の人権B:だから、21世紀の目でみると幾つか追加したくなるが、憲法条文に書く対象は人権B:であることが確認できたであろう。
現行憲法草案が見識なきGHQスタッフで作成されているのと違い、明治の元勲達が熟慮した帝国憲法での権利規定(第2章・臣民権利義務)にはちゃんと人権B:が書かれていることがわかるだろう。
尚、本来的基本的人権Aが何処に書かれているかは今回は明らかにしない(笑)。
ブログ読者各位への宿題である(笑)。
以上、ここまでのまとめとして以下を掲げておく。
1)参政権・投票権は主権3)(現行憲法前文に明記)
2)人権思想は西洋由来だが、良いものは取り入れる。ダメなのは対決姿勢。
3)所謂「基本的人権」は実は以下の概念整理が必要。
A:本来的基本的人権A: ①自由権、②平等権
B:本来的基本的人権A:を保障する人権B:③社会権
<長くなったので項を分けます。>
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検証を進めるにあたって(「人権」の整理3)
タグ【α版検証】で続けている【日本国憲法改正試案α版】の検証である。
「人権」に関する整理の前回の続き、3回目である。
対象は下記URLの【日本国憲法改正私案α版】の第3章を想定している。
【(2/5):第3章・国民の権利及び義務】
< http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-184.html >
前回の最後で指摘した様に、Wikiの「人権」のページでは参政権・選挙権が基本的人権だとしているのであるが、現行憲法では前文で国民が主権3)を持つとしており、主権概念及び人権概念が混乱している旨を指摘した。
<前文から抜粋引用>
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
<引用終わり>
Wikiの記載は「人権概念・主権概念に於ける混乱」の典型例であり、記載内容は間違いであるのだが、「人権至上主義者」が良く言う「理屈」に「参政権・投票権=主権3)の源泉は基本的人権だからだ」とする「理屈」がある。
しかし、参政権・投票権が基本的人権だとするならば、現状20歳未満の方には「基本的人権」がないということになる。
乳飲み子でも遺産相続権との「基本的人権の1つである財産権」があるのに、整合しないのは何故であろう? との指摘をしておく。要するに、この「理屈」では説明し切れないのである。
閑話休題。人権概念の整理を続ける。
前回論評した通り、人権概念・主権概念の双方に於ける混乱があることから、「人権」の原点に戻り、あらためて我々日本人にとって憲法に書くべき「権利及び義務」を考えていく。
5.原点に立ち返るべし
基本的人権について当方が学んだ頃の論調に近い記述はないかとネット検索をしたところ、以下がヒットしたので、それを先ず紹介する。
NHK for School より引用
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005402877_00000
<引用開始>
○基本的人権とは:「基本的人権」の考え方は人類の長い苦難・試練の中で確立した権利です。自由権、社会権などに分けられます。
○学習のねらい:フランス革命、アメリカ独立宣言など、人権思想確立の歴史を学ぶ。また、その基本概念を押さえる。
○詳しい内容:1789年、フランス革命の後に発布された「人権宣言」は、主権が国王ではなく国民にあることを宣言し、こう謳っています。「人は生まれながらに自由であり権利において平等である。」アメリカの「独立宣言」にも、人はみな平等で譲ることのできない権利が与えられていると記されています。基本的人権は、人類の長い苦労と試練の中で確立した権利なのです。第二次世界大戦後に制定された日本国憲法にも、基本的人権の尊重がはっきりと謳われています。第3章11条。「国民はすべての基本的人権の共有を妨げられない。」基本的人権は大きく4つに分けられます。自由に生きるための権利・自由権。等しく生きるための権利・平等権。人間らしく生きるための権利・社会権。人権を守るため政治に参加する権利・参政権です。
<引用終わり>
充分に「戦後民主主義教育」そのものの内容(笑)であり、ここでも参政権を基本的人権だと強弁しており、当方が学んだ頃の「「基本的人権」は3つの基本概念があり云々」から1つ増えているが、少なくとも「なんでもかんでも人権至上主義の如き論調」に迄は至っていないので、これをサンプルに原点回帰して考え方を説明していく。
先ず、「基本的人権とは」との説明で「「基本的人権」の考え方は人類の長い苦難・試練の中で確立した権利です。」と現行憲法GHQと同じ西洋由来の考え方を示している。
「人類の長い苦難」とは西洋での出来事であり、絶対王政のことであることは本ブログを続けてお読みの方なら即時に理解できるであろう。
前文に類似の表現あるが、もっと典型的なのは「条文なのにお説教」として有名な無用条文である現行憲法第97条である。
<現行憲法:第97条>
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
現行憲法には多くの西洋由来の考え方が紛れ込んでいるので、NHK for Schoolの記述もこの様に「基本的人権」の「そもそも」部分は西洋由来ばかりが書かれている状態である。
当方はNHK for Schoolの記述を責めているのではない。
「基本的人権」の「そもそも」部分に関しては、現在、ほぼ100%が西洋の歴史の説明であり、我が国の民は宝との考え方は出てこない実態を紹介しているだけである。
一方、NHK for Schoolの記述では「基本的人権は「自由権、社会権などに分けられます。」と基本的人権の具体的記述をしている。
「など」が付いているが、自由権と社会権の2つを明示しているのは良い。
Wikiの「基本的人権」の羅列が第1層だけでも6つもあったのと対照的に、昔ながらの例示をしているのは良い。
次の「学習のねらい」は、この流れからは当たり前のことが書いてあるので説明は省略する。その次の本文であるところの「詳しい内容」の構成は概ね以下の通りである。
1)フランス革命主権在民、「人権宣言」生まれながらに自由・権利において平等。
2)アメリカの「独立宣言」。人はみな平等で譲ることのできない権利。
3)基本的人権は「人類の長い苦労と試練の中で確立した権利」
4)第二次世界大戦後に制定された日本国憲法の基本的人権の尊重。
第3章11条。「国民はすべての基本的人権の共有を妨げられない。」
5)基本的人権は大きく4つに分けられる。
①自由に生きるための権利・自由権。
②等しく生きるための権利・平等権。
③人間らしく生きるための権利・社会権。
④人権を守るため政治に参加する権利・参政権。
最初の1)、2)の記載は「人権宣言」「独立宣言」と時系列では逆なのだが、考え方の提示としては、この順番になろう。続く3)は「人類の長い苦労と試練の中で確立した権利」とのお定まりの西洋由来「人権」の説明であり、現行憲法97条お説教無用条文との関連で所謂「サヨク」が用いる定型句である。
ここでの「人類の長い苦労」には我が国先人の知恵と実績は入っていない。
次の4)も「戦後民主主義教育」の定型句である。現行憲法の第3章・第11条を明示している。
現行憲法第3章の表題は「国民の権利及び義務」であるが、帝国憲法の第2章の表題は「臣民権利義務」であり、権利と義務に関する規定が出来たのは「第二次世界大戦後に制定された日本国憲法」が初めてではないことは語られていない。
帝国憲法では「基本的人権」との用語は登場しないが、それでは帝国憲法下では基本的人権は存在していなかったのかというと、そんなことはない。「基本的人権」との語句の有無とは無関係に日本人庶民には基本的人権が存在していた。仁徳天皇の民のカマドの逸話でわかる我が国の君民の関係と、欧州絶対王政下での君民の関係が全然違うのに、欧州絶対王政下で形成された「基本的人権」なる語句が戦後の現行憲法に登場しただけの話である。このことは、本来的基本的人権を保障する法制度上の諸権利の内容を見れば納得するであろう。現行憲法で規定されている「基本的人権を保障する法制度上の権利」の多くが帝国憲法規定からのコピペ条文だからである。
帝国憲法では「基本的人権」を保障しているからこそ、それを保障する法制度上の権利が存在しているのであり、もしも「基本的人権」がないのなら、それら各種の「基本的人権を保障する法制度上の権利」を規定する理由もない。然るに、帝国憲法の第2章・臣民権利義務の存在からは帝国憲法下に於いて基本的人権が保障されていたと言えるのである。
最後の5)は参政権も基本的人権だとする混乱が見られるが、実は最近の資料としては貴重である。参政権を除く①:自由権、②::平等権、③::社会権の3つをちゃんと明示している。
当方が学んだ頃の「「基本的人権」は3つの基本概念があり云々」の3つとは、これら3つのことであるからだ。
これら3つの基本的人権の基本概念をベースに説明を続ける。
既にお気づきの方もいると思うが、この1)から5)のうちの1)及び2)では、これら①、②、③の3つのうち、1)のフランス人権宣言では「①:生まれながらに自由・②権利において平等」が述べられ、2)のアメリカ独立宣言では「②人はみな平等で譲ることのできない権利」と主に①と②が述べられている。
そして、これらは、本来的基本的人権①と②を保障する法制度上の諸権利の③との構成になっているのである。
また、NHK for Schoolの最初に出てきた「○基本的人権とは」では「自由権、社会権などに分けられます。」と書いてあることに注目して欲しい。
①自由権と③社会権を明示し「など」を付し「分けられます」との記述である。
「などがあります」ではなく「分けられます」と書くことに貴重な意味があるのである。
どの様に「分ける」のかは、以下の概念区分とする記述である。
A:本来的基本的人権概念 - - - - :①自由権 ②平等権
B:上記A:を保障する法制度上の諸権利概念 :③社会権
フランス人権宣言、アメリカ独立宣言でハイライトされているのは本来的基本的人権である人権A:の①自由権、②平等権である。
それらを保障するのが人権B:の③社会権である。
この人権B:には具体的には何があるかを以下に例示する。
尚、Wikiは参考にならない。人権宣言・独立宣言にある②平等権をWikiでは第2層の落としており、原点的人権概念をかなりアレンジしているからである。
<本来的基本的人権A:の①自由権を保障する人権B:③社会権の事例>
・居住と転居の自由(第22条)
・住居に侵入されたり、捜索されたりする事はない(第25条)
・通信の秘密をおかされる事はない。(第26条)
・所有権を侵される事はない(財産権の保障は大事)(第27条)
・信教の自由(第28条)
・言論・著作・出版・集会及び結社の自由(第29条)
・請願の自由(第30条)
<本来的基本的人権A:の②平等権を保障する人権B:③社会権の事例>。
・公務員就業への平等(第19条)
・裁判官による裁判を受ける権利を奪われる事はない(第24条)
これら事例としてあげたのは、憲法に書かれている人権B:③社会権である。
憲法の構造として、法文に書く対象は人権B:となり、その理念である本来的基本的人権Aとは分けて考えるのが概念整理として正当であると考える。
因みに、これらは125年前に制定された大日本帝国憲法での人権B:③社会権の事例である。
やはり、今から125年も昔の人権B:だから、21世紀の目でみると幾つか追加したくなるが、憲法条文に書く対象は人権B:であることが確認できたであろう。
現行憲法草案が見識なきGHQスタッフで作成されているのと違い、明治の元勲達が熟慮した帝国憲法での権利規定(第2章・臣民権利義務)にはちゃんと人権B:が書かれていることがわかるだろう。
尚、本来的基本的人権Aが何処に書かれているかは今回は明らかにしない(笑)。
ブログ読者各位への宿題である(笑)。
以上、ここまでのまとめとして以下を掲げておく。
1)参政権・投票権は主権3)(現行憲法前文に明記)
2)人権思想は西洋由来だが、良いものは取り入れる。ダメなのは対決姿勢。
3)所謂「基本的人権」は実は以下の概念整理が必要。
A:本来的基本的人権A: ①自由権、②平等権
B:本来的基本的人権A:を保障する人権B:③社会権
<長くなったので項を分けます。>



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