憲法改正私案の検証13「人権」の整理2
- 2015/10/15
- 18:36
憲法改正私案の検証13「人権」の整理2

検証を進めるにあたって(「人権」の整理2)
タグ【α版検証】で続けている【日本国憲法改正試案α版】の検証である。
「人権」に関する整理の続きである。
対象は下記URLの【日本国憲法改正私案α版】の第3章を想定している。
【(2/5):第3章・国民の権利及び義務】
< http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-184.html >
前回の「人権」の整理1をまとめると以下の通りとなる。
1)現在の「人権思想」は西洋由来。我が国国柄と合致しないものがある。
2)良いものは受け入れ、そうでないものは受け入れちゃダメ。
3)基本的人権部分や初期人権の多くは我が国と合致しており受け入れられる。
4)受け入れちゃダメなのは西洋由来の対決姿勢。
5)我が国国柄は君民一致、民は宝。協調姿勢で人権を考えるべき。
前回のポイントである「人権思想で対決姿勢は受け入れちゃダメ」とは何のことかと言うと「なんでもかんでも人権至上主義の如き論調」でまとめていては見誤るということである。その典型的な現象を我々は簡単に見つけられる。
3.大事な概念「基本的人権」をちゃんと意識しよう。
「基本的人権」は大事な概念だと考えている。
だが、「「基本的人権」を説明してみろ」と言われてスッキリと説明できる人がいったい何人いるのだろうか?
なんかゴチャゴチャと長い話になってしまうか、一部を取り出して「これだ!」と強弁するかが大半だった経験がある。
当方より若い世代の「人権教育」とやらを受けた世代ほど基本的人権をうまく説明できない傾向がある様に感じている。その理由の一端を我々は簡単に見つけられる。
「基本的人権」との単語は「基本的」と「人権」の2つの単語で構成されている。
英語では「Fundamental human rights」である。
では「基本的人権」とは具体的に何か?とWikiで再確認しようと調べてみると「基本的人権・Fundamental human rights」との項目はなく「人権・Human rights」の項目だけである。
日本語Wikiで「基本的人権」として何が具体的に書かれているのかを見ると以下の様な目次となっている。(2015年10月10日現在)
5 日本における人権
5.1 基本的人権の内容
5.1.1 新しい人権
5.1の「基本的人権の内容」を見ると、記載の仕方が「なんでもかんでも人権至上主義の如き論調」そのものであることがわかるだろう。これでは「人権」への理解が混乱する。
人権概念のデパート化、これも基本的人権あれも基本的人権、どれもが「基本的人権」であるかの如き羅列が行われている。
Wikiでの「人権概念の大混乱」の様子を引用するので確認いただきたい。
<Wiki「人権」より引用>
基本的人権の内容
分類方法は法学者により異なる。ここにある(第〇条)とは、日本国憲法による。
○包括的基本権
・・幸福追求権
・・法の下の平等(以下、第3層又は第4層説明文及び憲法条文は省略)
○自由権
・・ 精神的自由権
・・・内面的精神の自由
・・・外面的精神の自由
・・経済的自由権
・・・居住・移転の自由
・・・移動・国籍離脱の自由
・・・職業選択の自由
・・・財産権
・・身体的自由権
・・・奴隷的拘束及び苦役からの自由
・・・法定手続の保障
・・・公務員による拷問・残虐な刑罰の絶対禁止
・・・刑事裁判の公開原則と刑事被告人の権利
○社会権
・・労働基本権
・・社会保障を受ける権利
・・生存権
・・教育を受ける権利
・・勤労の権利
・・居住の権利
○参政権
・・選挙権
・・被選挙権
・・公務員の選定・罷免の権利
・・国民投票
・・国民審査
○国務請求権・受益権
・・請願権
・・裁判を受ける権利
・・刑事補償請求権
・・国家賠償・補償請求権
・・直接請求権
・・不当な収用・強制拠出の否定
○平和的生存権
註:ここにある人権は単一のカテゴリに入れる事は不適当であり、自由権の中でも社会権的なもの、またその逆もある。また時代によって人権の意味が変わってくるため、その権利を固定的な意味で捉えるのは適当ではない(人権の相対性)。
<引用終わり>
お読みいただければわかる通り、文頭・文末に注釈入れた人権概念のデパート化、これも基本的人権あれも基本的人権、どれもが「基本的人権」であるかの如き羅列である。
引用は、これでも第3層又は第4層の省略、説明文と憲法条文との関連付け文章の省略で出来るだけ簡素になる様にしているが、てんこ盛りである。
Wikiページでの記載はもっと煩雑である。
本ブログを連続してお読みの方なら気付いているであろうが、このWikiの「基本的人権」の羅列は、主権概念の混乱と同様の現象である。
先ず、主権には、主権1)国内的主権・統治権、主権2)対外的主権・国家主権、主権3)政治的最終決定権・投票権等がある。3つあると本ブログでは主権概念を整理したのだが、Wikiの「人権」のページの「5 日本における人権・5.1 基本的人権の内容」にある○参政権と第2層の「選挙権」は主権3)に該当するのだが、Wikiでは「基本的人権」だと書いてあるのである。
さて、本ブログの論理展開とWikiとでは矛盾しているが、どっちが正しいでしょうか?(笑)
これは前回紹介した書籍【広辞苑の嘘】の紹介文の意味をご理解いただいた上で各位がご判断いただき度い。
次に、Wikiで羅列されている「基本的人権」には、①本来的基本的人権とその基本的人権を保障する為の②制度的権利(法制度)としての人権が混在していることがわかるだろう。
これの区分なく、ただ単に羅列しており、いったい何が本来的な基本的人権なのかがわからなくなっている。
本来的基本的人権と、それを保障する為の制度的権利を同列に扱うことは、本来的基本的人権を相対化することであり望ましくないと考えている。
それなのに、こういう無区分な羅列が行われているのである。
Wikiでは、更には「新しい人権」なる項まである。
人権概念の混乱に、更なる拍車がかかっているのである。
4.「人権」概念は今も発展中
我が国の「なんでもかんでも人権至上主義の如き論調」は何も我が国の偏向サヨクだけに責任があるとは思っていない。
経済難民をも難民だとして、無定見に受け入れを表明したドイツ・メルケル首相の対応は欧州に於ける人権至上主義的傾向がマイナスに作用した結果だと考えているが、我が国のみならず、欧米に於いても「人権」概念は拡大再生産中である。
いや、むしろ欧米に於ける「新しい「人権」」概念がどんどんと我が国に輸入されていると言った方が正確だと思う。
我が国では、その様な「西洋由来」の「人権」概念が今も新たに大した検証もなく導入されていると言ってよいだろう。
Wikiにある「新しい人権」なる項が増殖しているのは、こういう構造だと考えている。
この様な状態の現状では、2つの意味で大事な人権概念が毀損されていると考えている。
1つは、我が国の国柄と違う西洋由来の人権概念の無自覚な流通。
もう1つは「新しい人権」などと称される新概念の流入により、西洋由来であっても良い人権概念・大事な人権概念がそれらの中に埋没し、相対的に軽んじられているリスク問題である。
そもそも、3つあるの主権3)である「国民主権」と言われる参政権・投票権を「基本的人権」の中に含めている状態は、人権概念・主権概念の双方に於ける混乱であり、負の影響が大きすぎる。
この様な混乱した状況では、せっかく【日本国憲法改正試案α版】として立案した新憲法案の真意が伝わらないと思う。
この様に考えるので、次回は「人権」の原点に戻り、あらためて我々日本人にとって憲法に書くべき「権利及び義務」を考えていきたい。
<長くなったので項を分けます>
FC2 Blog Ranking 
<文末コマーシャル(笑)>
ニコニコ動画の生放送政治枠No.1放送主が歌うオリジナルソング。
<まほろばびより>
作曲・編曲:junchan 作詞:すみれ☆ 歌唱:すみれ☆
https://www.youtube.com/watch?v=B055wDWpGgU


検証を進めるにあたって(「人権」の整理2)
タグ【α版検証】で続けている【日本国憲法改正試案α版】の検証である。
「人権」に関する整理の続きである。
対象は下記URLの【日本国憲法改正私案α版】の第3章を想定している。
【(2/5):第3章・国民の権利及び義務】
< http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-184.html >
前回の「人権」の整理1をまとめると以下の通りとなる。
1)現在の「人権思想」は西洋由来。我が国国柄と合致しないものがある。
2)良いものは受け入れ、そうでないものは受け入れちゃダメ。
3)基本的人権部分や初期人権の多くは我が国と合致しており受け入れられる。
4)受け入れちゃダメなのは西洋由来の対決姿勢。
5)我が国国柄は君民一致、民は宝。協調姿勢で人権を考えるべき。
前回のポイントである「人権思想で対決姿勢は受け入れちゃダメ」とは何のことかと言うと「なんでもかんでも人権至上主義の如き論調」でまとめていては見誤るということである。その典型的な現象を我々は簡単に見つけられる。
3.大事な概念「基本的人権」をちゃんと意識しよう。
「基本的人権」は大事な概念だと考えている。
だが、「「基本的人権」を説明してみろ」と言われてスッキリと説明できる人がいったい何人いるのだろうか?
なんかゴチャゴチャと長い話になってしまうか、一部を取り出して「これだ!」と強弁するかが大半だった経験がある。
当方より若い世代の「人権教育」とやらを受けた世代ほど基本的人権をうまく説明できない傾向がある様に感じている。その理由の一端を我々は簡単に見つけられる。
「基本的人権」との単語は「基本的」と「人権」の2つの単語で構成されている。
英語では「Fundamental human rights」である。
では「基本的人権」とは具体的に何か?とWikiで再確認しようと調べてみると「基本的人権・Fundamental human rights」との項目はなく「人権・Human rights」の項目だけである。
日本語Wikiで「基本的人権」として何が具体的に書かれているのかを見ると以下の様な目次となっている。(2015年10月10日現在)
5 日本における人権
5.1 基本的人権の内容
5.1.1 新しい人権
5.1の「基本的人権の内容」を見ると、記載の仕方が「なんでもかんでも人権至上主義の如き論調」そのものであることがわかるだろう。これでは「人権」への理解が混乱する。
人権概念のデパート化、これも基本的人権あれも基本的人権、どれもが「基本的人権」であるかの如き羅列が行われている。
Wikiでの「人権概念の大混乱」の様子を引用するので確認いただきたい。
<Wiki「人権」より引用>
基本的人権の内容
分類方法は法学者により異なる。ここにある(第〇条)とは、日本国憲法による。
○包括的基本権
・・幸福追求権
・・法の下の平等(以下、第3層又は第4層説明文及び憲法条文は省略)
○自由権
・・ 精神的自由権
・・・内面的精神の自由
・・・外面的精神の自由
・・経済的自由権
・・・居住・移転の自由
・・・移動・国籍離脱の自由
・・・職業選択の自由
・・・財産権
・・身体的自由権
・・・奴隷的拘束及び苦役からの自由
・・・法定手続の保障
・・・公務員による拷問・残虐な刑罰の絶対禁止
・・・刑事裁判の公開原則と刑事被告人の権利
○社会権
・・労働基本権
・・社会保障を受ける権利
・・生存権
・・教育を受ける権利
・・勤労の権利
・・居住の権利
○参政権
・・選挙権
・・被選挙権
・・公務員の選定・罷免の権利
・・国民投票
・・国民審査
○国務請求権・受益権
・・請願権
・・裁判を受ける権利
・・刑事補償請求権
・・国家賠償・補償請求権
・・直接請求権
・・不当な収用・強制拠出の否定
○平和的生存権
註:ここにある人権は単一のカテゴリに入れる事は不適当であり、自由権の中でも社会権的なもの、またその逆もある。また時代によって人権の意味が変わってくるため、その権利を固定的な意味で捉えるのは適当ではない(人権の相対性)。
<引用終わり>
お読みいただければわかる通り、文頭・文末に注釈入れた人権概念のデパート化、これも基本的人権あれも基本的人権、どれもが「基本的人権」であるかの如き羅列である。
引用は、これでも第3層又は第4層の省略、説明文と憲法条文との関連付け文章の省略で出来るだけ簡素になる様にしているが、てんこ盛りである。
Wikiページでの記載はもっと煩雑である。
本ブログを連続してお読みの方なら気付いているであろうが、このWikiの「基本的人権」の羅列は、主権概念の混乱と同様の現象である。
先ず、主権には、主権1)国内的主権・統治権、主権2)対外的主権・国家主権、主権3)政治的最終決定権・投票権等がある。3つあると本ブログでは主権概念を整理したのだが、Wikiの「人権」のページの「5 日本における人権・5.1 基本的人権の内容」にある○参政権と第2層の「選挙権」は主権3)に該当するのだが、Wikiでは「基本的人権」だと書いてあるのである。
さて、本ブログの論理展開とWikiとでは矛盾しているが、どっちが正しいでしょうか?(笑)
これは前回紹介した書籍【広辞苑の嘘】の紹介文の意味をご理解いただいた上で各位がご判断いただき度い。
次に、Wikiで羅列されている「基本的人権」には、①本来的基本的人権とその基本的人権を保障する為の②制度的権利(法制度)としての人権が混在していることがわかるだろう。
これの区分なく、ただ単に羅列しており、いったい何が本来的な基本的人権なのかがわからなくなっている。
本来的基本的人権と、それを保障する為の制度的権利を同列に扱うことは、本来的基本的人権を相対化することであり望ましくないと考えている。
それなのに、こういう無区分な羅列が行われているのである。
Wikiでは、更には「新しい人権」なる項まである。
人権概念の混乱に、更なる拍車がかかっているのである。
4.「人権」概念は今も発展中
我が国の「なんでもかんでも人権至上主義の如き論調」は何も我が国の偏向サヨクだけに責任があるとは思っていない。
経済難民をも難民だとして、無定見に受け入れを表明したドイツ・メルケル首相の対応は欧州に於ける人権至上主義的傾向がマイナスに作用した結果だと考えているが、我が国のみならず、欧米に於いても「人権」概念は拡大再生産中である。
いや、むしろ欧米に於ける「新しい「人権」」概念がどんどんと我が国に輸入されていると言った方が正確だと思う。
我が国では、その様な「西洋由来」の「人権」概念が今も新たに大した検証もなく導入されていると言ってよいだろう。
Wikiにある「新しい人権」なる項が増殖しているのは、こういう構造だと考えている。
この様な状態の現状では、2つの意味で大事な人権概念が毀損されていると考えている。
1つは、我が国の国柄と違う西洋由来の人権概念の無自覚な流通。
もう1つは「新しい人権」などと称される新概念の流入により、西洋由来であっても良い人権概念・大事な人権概念がそれらの中に埋没し、相対的に軽んじられているリスク問題である。
そもそも、3つあるの主権3)である「国民主権」と言われる参政権・投票権を「基本的人権」の中に含めている状態は、人権概念・主権概念の双方に於ける混乱であり、負の影響が大きすぎる。
この様な混乱した状況では、せっかく【日本国憲法改正試案α版】として立案した新憲法案の真意が伝わらないと思う。
この様に考えるので、次回は「人権」の原点に戻り、あらためて我々日本人にとって憲法に書くべき「権利及び義務」を考えていきたい。
<長くなったので項を分けます>



<文末コマーシャル(笑)>
ニコニコ動画の生放送政治枠No.1放送主が歌うオリジナルソング。
<まほろばびより>
作曲・編曲:junchan 作詞:すみれ☆ 歌唱:すみれ☆
https://www.youtube.com/watch?v=B055wDWpGgU
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