憲法改正私案の検証12「人権」の整理1
- 2015/10/14
- 19:23
憲法改正私案の検証12「人権」の整理1

検証を進めるにあたって(「人権」の整理1)
【日本国憲法改正試案α版】に対する検証をタグ【α版検証】で続けている。
今回は第3章・国民の権利及び義務へと検証を進めるにあたって「人権」に関する整理を先ず行うものである。
対象は下記URLの【日本国憲法改正私案α版】の第3章である。
【(2/5):第3章・国民の権利及び義務】
< http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-184.html >
整理した主権概念での検証を第3章・国民の権利及び義務へと進めるにあたって、事前に明示しておきたいことがある。
それは主権と人権は別物だということだ。
主権には3つの概念がある。これを意識しないと騙されるし理解できないのだが、現状、主権をあたかも人権の一種であるかの如き誤解が蔓延している様に見受けられるので、第3章へと検証を進めるにあたり、3つの主権概念とは別に人権概念の整理もしておく必要があると考えた。
さて「人権」との言葉は、憲法議論をする際に頻繁に出てくるのだが、いったい「人権」とは何か? それをちゃんと定義しておかないと、主権が3つあるのに1つにくくってしまい混乱するのと同じ誤解を生じることになる。
特に最近は、なんでもかんでも人権至上主義の如き論調があるので、より注意が必要であると考えている。
1.西洋由来の「人権思想」
逆説的なのだが、先ずはネットで「人権思想」を検索していただき度い。
そうすると「人権思想」への解説ではなく、巷間流布されている「人権」自体の解説ばかりがヒットする状況に出会うだろう。
このブログを書くにあたり、当方が学び蓄積した知識の確認の為にネット検索をすることが多々あるが、ネット検索をする都度、当方が学び蓄積した知識での論理展開から導き出される結論のうちの一部が欠落した「なんでもかんでも人権至上主義の如き論調」ばかりに行き着く。
当方が学び蓄積した知識は「AAがBBとの結論に至るのはCCとの論理による」との論理展開・思想背景であるので、ネット上で見られる「B’B’との結論」が当方知識の「BBとの結論」と違っていても、ネットで確認できる「CCの論理」が不変同一であれば、結論部分の「B’B’」に対して自然な疑念を持つことになる。
当方の様な市井の普通のおっさんが持つ様な疑念は、既に優秀な先人達が指摘済である。
以下に、その事例を紹介する。
書籍:広辞苑の嘘
谷沢永一・渡部昇一共著ISDN:9784334973186
<書籍紹介文引用>
広辞苑は間違いだらけである。記された語釈は要点から逸れている。うっかり信用したら恥をかく。勘違いした説明が多いから、真面目に受け取ろうものなら、頓珍漢を演じるおそれがある。火の用心、広辞苑用心。(中略)
第2章 広辞苑に「思想の自由」なし(人権を騒ぎ立て、人権を蹂躙している人権主義者;嘘をつくだけではなく創作までやってしまう広辞苑 ほか)(後略)
<引用終わり>
さて、本論に戻る。
「人権思想」とは「思想」とある様に、考え方である。
人権思想を少しでも学んだ方なら、それが成立する過程・歴史の総てが西洋での出来事だということをご存じであろう。
西欧文明での王権神授説による絶対王政による圧政に対抗する思想としての天賦人権説である。教科書的には以下の様な歴史経緯が記述されている。
・王権神授説の絶対王政
・1215年マグナカルタ(大憲章)成立(議会承認なき課税の禁止等)
・1517年マルチンルター宗教改革(神の前での平等思想)
・1642年クロムウェル議会派の清教徒革命
・1688年名誉革命・権利章典
・1690年ジョンロックの社会契約説
・1748年モンテスキューの法の精神
・1762年ルソーの社会契約論
・1776年米独立宣言書
・1789年仏人権宣言
・1792年フランス革命・共和国成立
だいたいがフランスの人権宣言・フランス革命で出来上がったとの流れを教わることになるのだが、スタートはだいたいがマグナカルタである。
マグナカルタ1215年は鎌倉時代である。北条政子の名前が歴史に登場する頃である。
その次がマルチンルターの宗教改革1517年へと約300年をいきなり飛ぶ。
鎌倉幕府が終了する1333年、翌年建武の新政から南北朝へ、1338年室町幕府、1467年応仁の乱を経て戦国時代へ続く300年である。
同様「神の前での平等」が示された1517年マルチンルター宗教改革から、王を打倒するクロムウェル清教徒革命の1642年迄約130年かかっている。
この130年間で戦国時代は安土桃山時代、江戸時代となる。
関ヶ原の戦いで実質的に戦国時代が終わってから42年後、イギリスの地では清教徒革命で王殺しが行われていたのである。
クロムウェル議会派の清教徒革命1642年から、名誉革命1688年、ジョンロック社会契約説1690年、モンテスキュー法の精神1748年、ルソー社会契約説1762年迄我が国はずっと江戸時代である。300年の平和と言われた江戸時代である。
マグナカルタから数えてフランスの共和国化まで約600年である。
鎌倉幕府から江戸幕府の時代である。
この様に見ると、発想の萌芽はあったが、実現化までには約600年の歳月を要したとの事実がわかるだろう。
アメリカとフランスでバタバタと共和国制国家が出来たのは18世紀も末の話、約250年前の話である。
西欧文明での人権思想は、西欧絶対王政のアンチテーゼとしての天賦人権説に立脚した考え方である。要するに西欧文明起源の考え方である。
我々の日本文明に於いてはこの様な絶対王政への対抗との歴史はない。
古事記・日本書紀の仁徳天皇の民のカマドの物語からして、絶対王政による圧政との西欧文明とは違う歴史を歩んでいるのである。
現行憲法はご存じの様に、米国人(しかも、かなりの不見識)GHQがやっつけ仕事で草案つくったものであり、多数の西欧文明由来の考え方が紛れ込んでおり、我が国の「憲法」の位置に置いておく様なものではない。
我が国・日本人自身と自身の父祖先人達が築いてきた歴史、伝統、文化の時間的連続性に準拠し、我々の永い生活経験と文化経験の集積の末に出来上がった我々日本人の価値観・理念・感覚・正邪判断基準とは異質の西欧文明由来の考え方を金科玉条とするならば、そこには軋轢や不都合が多々発生する。
しかしながら、我々日本人は良いものは良いとして異文化であっても吸収すべきものは自身のものとして取り入れる柔軟性を持っている。
良いものは受け入れ、害悪は受け入れない。この取捨選択を誤ると我々は不幸となる。
2.西洋由来の「人権思想」で受け入れて良いもの/悪いもの。
受け入れて悪いものの代表例を先ず掲げる。
それは「対決姿勢」である。
西欧型人権思想は、王権神授説絶対王政に対抗する天賦人権説との対決構造である。
一方、我が国は君民一致の協力構造である。
西洋由来の「人権思想」で基本的人権として掲げられている「生命身体の安全、自由の保障」「財産権の保障」「人間の尊厳の保障」は大賛成であり、なんらの異論はない。
更に発展させた「移動の自由」「法の下の平等」「思想・信仰・言論の自由」「集会・結社の自由」なども同様に、賛成しているし、なんらの異論はない。
そして、それらを保障する為に必要な法の精神として「公平な公開裁判の保障」「罪刑法定主義」「参政権付与」なども近代国家には必要だ。
この様な考え方は必要な人権だと考えているのだが、一方では、西洋由来の基本的人権は、当初は王権=国家権力の干渉を排除することにより達成される自由権との人権が中心だったことを出自とすることから、畢竟、対決的になる傾向がある。
我々日本文明の民は、古事記・日本書紀の仁徳天皇の民のカマドの物語にある通り、対決的になる必要がなかった、との大きな違いがある。
古事記の編纂が8世紀。今から1千3百年以上の昔に古事記編纂者は仁徳天皇のこの物語の口伝或いは書を知っていたからこそ古事記に収めたのであり、我々日本人は、少なくとも古事記編纂以降1千3百年の時を刻みながら、仁徳天皇のお考えこそが、我らが国の理念であると考えてきた。
仁徳天皇とは諡号である。最高徳目の仁と徳を諡号に持つ天皇との意味であり、我々日本人が理想とする君民の関係である。
この考え方が我々日本人の築いてきた歴史、伝統、文化の時間的連続性に準拠し、我々の永い生活経験と文化経験の集積の末に出来上がった我々日本人の価値観・理念・感覚・正邪判断基準なのである。
最初の方で書いた「なんでもかんでも人権至上主義の如き論調」とは違う、我が国自体の人権の考え方=協力構造・協調姿勢で人権を考えることが重要だと考えている。
<長くなったので項を分けます>
FC2 Blog Ranking 
<文末コマーシャル(笑)>
本ブログのコマーシャル動画がYouTube・ニコニコ動画で見れます。
僅か1分の動画ですが、ポイントを押さえた良い出来です。
製作者の落ち太郎さん、感謝です。
・YouTube版:
https://www.youtube.com/watch?v=xLjDp8USmbg
・ニコニコ動画版:
http://www.nicovideo.jp/watch/sm27186117


検証を進めるにあたって(「人権」の整理1)
【日本国憲法改正試案α版】に対する検証をタグ【α版検証】で続けている。
今回は第3章・国民の権利及び義務へと検証を進めるにあたって「人権」に関する整理を先ず行うものである。
対象は下記URLの【日本国憲法改正私案α版】の第3章である。
【(2/5):第3章・国民の権利及び義務】
< http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-184.html >
整理した主権概念での検証を第3章・国民の権利及び義務へと進めるにあたって、事前に明示しておきたいことがある。
それは主権と人権は別物だということだ。
主権には3つの概念がある。これを意識しないと騙されるし理解できないのだが、現状、主権をあたかも人権の一種であるかの如き誤解が蔓延している様に見受けられるので、第3章へと検証を進めるにあたり、3つの主権概念とは別に人権概念の整理もしておく必要があると考えた。
さて「人権」との言葉は、憲法議論をする際に頻繁に出てくるのだが、いったい「人権」とは何か? それをちゃんと定義しておかないと、主権が3つあるのに1つにくくってしまい混乱するのと同じ誤解を生じることになる。
特に最近は、なんでもかんでも人権至上主義の如き論調があるので、より注意が必要であると考えている。
1.西洋由来の「人権思想」
逆説的なのだが、先ずはネットで「人権思想」を検索していただき度い。
そうすると「人権思想」への解説ではなく、巷間流布されている「人権」自体の解説ばかりがヒットする状況に出会うだろう。
このブログを書くにあたり、当方が学び蓄積した知識の確認の為にネット検索をすることが多々あるが、ネット検索をする都度、当方が学び蓄積した知識での論理展開から導き出される結論のうちの一部が欠落した「なんでもかんでも人権至上主義の如き論調」ばかりに行き着く。
当方が学び蓄積した知識は「AAがBBとの結論に至るのはCCとの論理による」との論理展開・思想背景であるので、ネット上で見られる「B’B’との結論」が当方知識の「BBとの結論」と違っていても、ネットで確認できる「CCの論理」が不変同一であれば、結論部分の「B’B’」に対して自然な疑念を持つことになる。
当方の様な市井の普通のおっさんが持つ様な疑念は、既に優秀な先人達が指摘済である。
以下に、その事例を紹介する。
書籍:広辞苑の嘘
谷沢永一・渡部昇一共著ISDN:9784334973186
<書籍紹介文引用>
広辞苑は間違いだらけである。記された語釈は要点から逸れている。うっかり信用したら恥をかく。勘違いした説明が多いから、真面目に受け取ろうものなら、頓珍漢を演じるおそれがある。火の用心、広辞苑用心。(中略)
第2章 広辞苑に「思想の自由」なし(人権を騒ぎ立て、人権を蹂躙している人権主義者;嘘をつくだけではなく創作までやってしまう広辞苑 ほか)(後略)
<引用終わり>
さて、本論に戻る。
「人権思想」とは「思想」とある様に、考え方である。
人権思想を少しでも学んだ方なら、それが成立する過程・歴史の総てが西洋での出来事だということをご存じであろう。
西欧文明での王権神授説による絶対王政による圧政に対抗する思想としての天賦人権説である。教科書的には以下の様な歴史経緯が記述されている。
・王権神授説の絶対王政
・1215年マグナカルタ(大憲章)成立(議会承認なき課税の禁止等)
・1517年マルチンルター宗教改革(神の前での平等思想)
・1642年クロムウェル議会派の清教徒革命
・1688年名誉革命・権利章典
・1690年ジョンロックの社会契約説
・1748年モンテスキューの法の精神
・1762年ルソーの社会契約論
・1776年米独立宣言書
・1789年仏人権宣言
・1792年フランス革命・共和国成立
だいたいがフランスの人権宣言・フランス革命で出来上がったとの流れを教わることになるのだが、スタートはだいたいがマグナカルタである。
マグナカルタ1215年は鎌倉時代である。北条政子の名前が歴史に登場する頃である。
その次がマルチンルターの宗教改革1517年へと約300年をいきなり飛ぶ。
鎌倉幕府が終了する1333年、翌年建武の新政から南北朝へ、1338年室町幕府、1467年応仁の乱を経て戦国時代へ続く300年である。
同様「神の前での平等」が示された1517年マルチンルター宗教改革から、王を打倒するクロムウェル清教徒革命の1642年迄約130年かかっている。
この130年間で戦国時代は安土桃山時代、江戸時代となる。
関ヶ原の戦いで実質的に戦国時代が終わってから42年後、イギリスの地では清教徒革命で王殺しが行われていたのである。
クロムウェル議会派の清教徒革命1642年から、名誉革命1688年、ジョンロック社会契約説1690年、モンテスキュー法の精神1748年、ルソー社会契約説1762年迄我が国はずっと江戸時代である。300年の平和と言われた江戸時代である。
マグナカルタから数えてフランスの共和国化まで約600年である。
鎌倉幕府から江戸幕府の時代である。
この様に見ると、発想の萌芽はあったが、実現化までには約600年の歳月を要したとの事実がわかるだろう。
アメリカとフランスでバタバタと共和国制国家が出来たのは18世紀も末の話、約250年前の話である。
西欧文明での人権思想は、西欧絶対王政のアンチテーゼとしての天賦人権説に立脚した考え方である。要するに西欧文明起源の考え方である。
我々の日本文明に於いてはこの様な絶対王政への対抗との歴史はない。
古事記・日本書紀の仁徳天皇の民のカマドの物語からして、絶対王政による圧政との西欧文明とは違う歴史を歩んでいるのである。
現行憲法はご存じの様に、米国人(しかも、かなりの不見識)GHQがやっつけ仕事で草案つくったものであり、多数の西欧文明由来の考え方が紛れ込んでおり、我が国の「憲法」の位置に置いておく様なものではない。
我が国・日本人自身と自身の父祖先人達が築いてきた歴史、伝統、文化の時間的連続性に準拠し、我々の永い生活経験と文化経験の集積の末に出来上がった我々日本人の価値観・理念・感覚・正邪判断基準とは異質の西欧文明由来の考え方を金科玉条とするならば、そこには軋轢や不都合が多々発生する。
しかしながら、我々日本人は良いものは良いとして異文化であっても吸収すべきものは自身のものとして取り入れる柔軟性を持っている。
良いものは受け入れ、害悪は受け入れない。この取捨選択を誤ると我々は不幸となる。
2.西洋由来の「人権思想」で受け入れて良いもの/悪いもの。
受け入れて悪いものの代表例を先ず掲げる。
それは「対決姿勢」である。
西欧型人権思想は、王権神授説絶対王政に対抗する天賦人権説との対決構造である。
一方、我が国は君民一致の協力構造である。
西洋由来の「人権思想」で基本的人権として掲げられている「生命身体の安全、自由の保障」「財産権の保障」「人間の尊厳の保障」は大賛成であり、なんらの異論はない。
更に発展させた「移動の自由」「法の下の平等」「思想・信仰・言論の自由」「集会・結社の自由」なども同様に、賛成しているし、なんらの異論はない。
そして、それらを保障する為に必要な法の精神として「公平な公開裁判の保障」「罪刑法定主義」「参政権付与」なども近代国家には必要だ。
この様な考え方は必要な人権だと考えているのだが、一方では、西洋由来の基本的人権は、当初は王権=国家権力の干渉を排除することにより達成される自由権との人権が中心だったことを出自とすることから、畢竟、対決的になる傾向がある。
我々日本文明の民は、古事記・日本書紀の仁徳天皇の民のカマドの物語にある通り、対決的になる必要がなかった、との大きな違いがある。
古事記の編纂が8世紀。今から1千3百年以上の昔に古事記編纂者は仁徳天皇のこの物語の口伝或いは書を知っていたからこそ古事記に収めたのであり、我々日本人は、少なくとも古事記編纂以降1千3百年の時を刻みながら、仁徳天皇のお考えこそが、我らが国の理念であると考えてきた。
仁徳天皇とは諡号である。最高徳目の仁と徳を諡号に持つ天皇との意味であり、我々日本人が理想とする君民の関係である。
この考え方が我々日本人の築いてきた歴史、伝統、文化の時間的連続性に準拠し、我々の永い生活経験と文化経験の集積の末に出来上がった我々日本人の価値観・理念・感覚・正邪判断基準なのである。
最初の方で書いた「なんでもかんでも人権至上主義の如き論調」とは違う、我が国自体の人権の考え方=協力構造・協調姿勢で人権を考えることが重要だと考えている。
<長くなったので項を分けます>



<文末コマーシャル(笑)>
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僅か1分の動画ですが、ポイントを押さえた良い出来です。
製作者の落ち太郎さん、感謝です。
・YouTube版:
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・ニコニコ動画版:
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