朝鮮総連機関紙・朝鮮新報「祖国はいつも待っている」
副題:本国からの指示には逆らえないが、1959年からの帰国事業での悲劇を知る在日朝鮮人達を相手に、現状で「帰国」を推奨することも出来なかったのであろう。
今回の題材は、朝鮮総連の機関紙・朝鮮新報の9月9日付「在日同胞たちへメッセージ/朝鮮創建75周年に寄せて」との記事である。(*1)
その冒頭には「“祖国はいつも待っている”」とあることから、今から60数年前の帰国運動を想起させることから、題材としたものである。
尚、北朝鮮では1948年(昭和23年)9月9日が建国日となっており、今年2023年はその75年目にあたる。
朝鮮半島南北分断・北朝鮮の9月9日建国記念日も、その1つ
建国記念日が9月9日になったのは、韓国の李承晩が身勝手な建国宣言を同年8月15日にしてしまったので、その次の「縁起が良い」と言われているゾロ目の9月9日が北朝鮮の建国記念日になっているものである。
日本領土の一部であった朝鮮半島は、当初、連合軍による信託統治後に選挙を実施して独立国とする方針だったのだが、1945年8月9日に日ソ不可侵条約を一方的に破棄して満州に侵攻したソ連赤軍はそのまま朝鮮半島北半部に侵攻した。慌てた米軍はソ連軍に対して38度線迄で踏み止まる様に協議し、それが今日に至る南北朝鮮の境界線になってしまったものである。日ソ不可侵条約の破棄はスターリン・ルーズベルトのよるヤルタ密約による。(*2)
半島全土を対象として、10年単位での長期信託統治後に選挙を実施し独立国とする方針だったのだが、占領主体が北半部・ソ連、南半部・アメリカに分かれてしまったのである。
それでも半島全土を対象とする方針は維持されたのだが、南の李承晩が「信託統治期間が長すぎる」「直ぐにでも南半部だけで選挙を実施しる」と騒ぎ、そうなってしまったものである。このことが朝鮮戦争の原因の1つであり、南北分断永続化の原因の1つである。(*3)
帰国事業を彷彿させる冒頭の一言
今回題材とした朝鮮総連の機関紙・朝鮮新報の記事の冒頭に書かれているのは「“祖国はいつも待っている”」である。
この冒頭の一文からは、1959年12月に始まった在日韓国・朝鮮人の北朝鮮への「帰国事業」を彷彿させる。
「北朝鮮への「帰国事業」」とは何かと言うと、朝鮮戦争後に在日韓国朝鮮人が大々的に北朝鮮に「帰国」した事を称するものだ。詳しくは以前の論考「昭
和37年6月外務省資料・在日朝鮮人の北朝鮮帰還問題」(*4)にて論じているが、それを要約すると以下の様になる。
↓
①:帰国事業の目的
1953年に朝鮮戦争が停戦になると、朝鮮戦争で多くのマンパワーを失った金日成は日本に滞在している朝鮮人に目をつけ、彼等を北朝鮮に「帰国」させることで、復興・発展に必要な人員数の増大を図った。
②:時期
最初の北朝鮮への「帰国船」が新潟から北朝鮮の清津に向けて出港したのは、1959年(昭和34年)12月14日のことである。この第1次帰国船の後、帰国船は1984年(昭和59年)の187次船まで25年続き、93,339人が北朝鮮へ帰国したのだが、そのピークは最初の2年間だけであった。
③:帰国事業の問題点
A:最貧国かつ独裁の北朝鮮の実際を隠し「地上の楽園」との虚偽を以て帰国推進したこと。
B:半島南半部出身者であっても半島北部に「帰国」する人達が多々いたこと。
C:北朝鮮に帰国後、聞いていた話と実際が大きく違っていたこと。
D:帰国した人々の中には消息不明となる事例が幾つもあったこと。
帰国事業で北朝鮮に渡った在日韓国朝鮮人から、今後帰国を予定していたりする未だ帰国をしていない日本に残っている家族・友人他に対して手紙が着く様になって、北朝鮮での実際が段々と明らかになるにつれて帰国者数は減り続けた。
残された家族のもとに、「地上の楽園」に帰国したはずの親族から、金銭の他に薬や日用品といった日本では容易に入手可能な物までもを送ってくとの要求の手紙が着くことから、「噂レベル」の話が実は本当の事なのだと確認する人達も増えた。
帰国した親族に対して金銭他を送ることで、親族が北朝鮮で暮らしていける様に支援し続けた在日朝鮮人や、朝鮮学校卒の総連活動家が親族に会う為に北朝鮮祖国訪問事業に参加したのだが、親族に会えたのは北朝鮮到着した3週間後であり、その間、金日成体制や主体思想に関するオリエンテーリング(思想教育)が延々と実施され、しかも親族の家に行けたとしても当局の監視員が一緒に食事の席に張り付くものであった(*5)など、北朝鮮社会が、人権とは個人の自由はおろか人の情さえも考慮しない異常社会であることが知られ、今や誰も北朝鮮への帰国など考えていない状態となっているものである。
記事の中身は情緒的で「帰国」を推奨しているとは思えない
本稿の最初で紹介した、当該記事の冒頭の「“祖国はいつも待っている”」との一文から想起される60数年前の帰国運動の話とは異なり、記事の中身はかなりマイルドであり、帰国を促す様な直接的な文言は見当たらない。
むしろ、何人かの登場人物のうちの1人として「平壌ホテル支配人」が登場する。
まるで「旅行に来てください」と言わんばかりの内容であり、「帰国」とは程遠い。
何故、冒頭にこんな一文を入れたのか?
この記事の内容に対して「“祖国はいつも待っている”」との冒頭の一文はまったくにバランスが悪く、相応しくない。
そうであるにも関わらず、何故、冒頭にこんな一文を入れたのか?との疑念が頭に浮かんだのである。
とは言え、その疑念に対する明確な答を朝鮮総連が表明する訳もなくいので、勝手ば推理をするしかないのが実情だ。
所謂「見出し詐欺」なのかもしれないが、そうなると「何故、見出し詐欺をする必要があったのか」との振り出しに戻る。
そういう事から、当方の勝手な推理は以下の様なものになった。
↓
朝鮮総連は北朝鮮の指揮命令下にあることは公知の事実なので、多分、在日朝鮮人のマンパワーか彼等が持つ金銭の為に、北朝鮮本国が「帰国事業を再び」と思い付いたので、そういうことを書けとの指示があったのであろう。
その一方、総連側は、傘下の在日朝鮮人にはまだ多くの帰国事業の被害者関係者がおり、帰国事業を安易に煽動することは機関紙として相応しくない(反発がある・不信感をもって見られる)ので、冒頭の一文だけは指示通りに「” “」付きで書き、記事自体は当たり障りのないマイルドなものにしたのではないかと考えたものである。
真相はまったくわからないが、北朝鮮独裁専制社会の判断基準と日本で暮らす在日朝鮮人の判断基準が大きく乖離していることから、こういう事態になったのではないかと考えた次第である。
北朝鮮が「話が通じない相手」であることは衆知なので、こんな事も起こり得るのではないか?
今回は以上である。
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【文末脚注】
(*1):朝鮮総連の機関紙・朝鮮新報の9月9日付記事
↓
朝鮮新報 2023年09月09日 06:00
見出し:◆在日同胞たちへメッセージ/朝鮮創建75周年に寄せて
https://chosonsinbo.com/jp/2023/09/09sk-16/小見出し:◆“祖国はいつも待っている”
○朝鮮創建75周年に際して、祖国から在日同胞たちへ祝賀のメッセージが届いた。本紙平壌支局を通じて、在日同胞ゆかりのあの人やこの人が思い出に残る在日同胞とのエピソードと共に心温まる激励の言葉を寄せてくれた。
小見出し:◆懐かしのあの人も
○「二度の訪日を通じて最も印象深いのは、総聯の力がどれほど強く、在日同胞たちがどれほど祖国を慕っているかということ。先代たちがそうであったように祖国を思う次世代の気持ちも不変だと信じている。私もまた、遠く離れていても心はいつも在日同胞たちと共にある。朝鮮創建75周年を迎えた在日同胞たちに心からの祝福を贈る」
○そう話すのは、万景台学生少年宮殿で子どもたちの指導に当たるチョン・ヘヨンさん(51、芸術創作課課長、人民俳優)。
○日本中で大旋風を巻き起こした1970、80年代の平壌学生少年芸術団の来日公演。最も印象的なシーンの一つとして今も多くの人々の記憶に残るのが、第2次公演(83年)でチョンさんが独唱した「祖国の愛はあたたかい」だ。在日同胞子女に注がれる金日成主席の大きな愛を切々と歌った幼いチョンさんの歌声は、会場全体を感動と涙の渦に巻き込んだ。
○チョンさんは当時を、「私の歌を聞いて、涙を浮かべる同胞たちの姿が今も忘れられない。喉を詰まらせながら歌い終えた私に同胞たちは大きな拍手を送ってくれた」と振り返る。チョンさんら芸術団は滞在期間、各地の朝鮮学校や朝鮮大学校、朝鮮新報社を訪ね、朝鮮の言葉と歌、文化があふれる同胞社会を見て、驚きを隠せなかったという。
○91年、普天堡ポップアンサンブル(当時)のソリストとして再び日本を訪れた際には独唱「口笛」で、日本各地で熱狂を呼んだ。「前回の訪問から8年も経っているのに同胞たちは私のことを覚えていてくれた。祖国の名を轟かせてほしいと激励してくれる姿に心から勇気づけられた」と20年以上も前のことを昨日のように話すチョンさんは、新聞に在日同胞のニュースが載るたびにその活動に力を得ているという。
○スポーツ界からは五輪金メダリストのケ・スニさん(牡丹峰体育団・柔道責任監督、人民体育人)からメッセージが届いた。96年アトランタ夏季五輪で金メダルが確実視されていた日本の田村亮子を下し、彗星のごとく世界舞台に現れたケさんにも、在日同胞との思い出がある。
○2003年、大阪で行われた世界柔道選手権で大会連覇を果たしたケさんは、「当時、柔道協会の会長をはじめ同胞たちが私のために尽力してくれた。大阪の女性同盟メンバーらは私の口に合うように朝鮮の手料理で真心を尽くしてくれた。特に、アスリートたちがなびかせる朝鮮国旗は異国に暮らす同胞たちに100の言葉よりももっと大きな力を与えてくれると話した徐萬述元議長の言葉が忘れられない」と話す。ケさんは現在、国際舞台により多くの朝鮮国旗をはためかせることで同胞たちの恩に応えるべく、後進育成に日々、情熱を注いでいる。
小見出し:◆自分のことのように
○「当ホテルを『わが家』と呼んでくれた総聯の活動家や在日同胞たちが耐えがたく恋しい」と話すのは平壌ホテル支配人のキム・ジョンチョルさん(59)。全スタッフを代表してメッセージを寄せた。
○平壌ホテルのスタッフたちはテレビや新聞で在日同胞たちの活躍に触れるたびに、「自分のことのように喜び、再会を待ち望んでいる」という。
○「これまで出会った在日同胞たちの姿が度々目に浮かんでは、4年近くも会えない状況に淋しい気持ちが募る。みなさんと元気な姿で再会できることを心から祈っている」(キムさん)
○平壌学生少年宮殿のキム・ウンソンさん(47)は2011年から迎春公演で在日朝鮮学生少年芸術団の振り付けを担当してきた。
○今年1月に朝鮮中央テレビで放映された朝鮮学校生徒らの迎春公演を観ながら、「民族の心を育む朝鮮学校のみなさんと心を合わせて練習に励んだ日々が思い出された」とキムさん。「今は祖国訪問が一時的に中断されているが、祖国はいつだってみなさんのことを待っている。朝鮮学校生徒、教員、同胞たちが祖国の愛をいつも心の中で噛みしめ、祖国を思う道でいっそう奮起してくれることを願う」とエールを送った。
<引用終わり>
(*2):日本領土の一部であった朝鮮半島は、当初、連合軍による信託統治後に選挙を実施して独立国とする方針だったのだが、1945年8月9日に日ソ不可侵条約を一方的に破棄して満州に侵攻したソ連赤軍はそのまま朝鮮半島北半部に侵攻した。慌てた米軍はソ連軍に対して38度線迄で踏み止まる様に協議し、それが今日に至る南北朝鮮の境界線になってしまったものである。日ソ不可侵条約の破棄はスターリン・ルーズベルトのよるヤルタ密約による。
↓
●<1945年8月の朝鮮半島>
※史実を簡単に述べると、終戦の詔勅8月15日時点での朝鮮半島は、その北半部にソ連軍がいた。その一方で、米軍は、まだ朝鮮半島に到達していなかった。米軍が朝鮮半島に足を踏み入れたのは、終戦後であり、その統治権を行使したのは9月になってからである。
ソ連軍は、日ソ不可侵条約を8月9日に一方的に破棄して満州に侵攻して、播州侵略を侵攻していた。その勢いのままに朝鮮半島北半部に侵攻していたものだ。8月12日のことである。(アメリカ時間8月11日)
このソ連軍の行動は、1945年の年初のスターリン・ルーズベルト・チャーチルによるヤルタ密約に基づくものである。ソ連の満州侵攻スピードと、自軍(米軍)の展開未了から、8月11日(アメリカ時間)に米ソ両軍は朝鮮半島の管轄境界線を北緯38度線とすることに合意した。ソ連は38度線の北で、その進軍をやめている。
この事は、ルーズベルトの前のアメリカ大統領だったフーバーが、その著書「裏切られた自由」(通称「フーバー回顧録」)の中のSectionⅢの3つ目の「The case history of Korea」で述べていることである。朝鮮半島の日本による統治から米軍による軍政統治に移行したのは1945年9月9日のことである。9月8日とする資料もあるが、それはアメリカ時間である。
↓
2017/02/01投稿:
風吹き桶屋の地政学2
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-595.html【ご参考】
2016/09/26投稿:
フーバー回顧録・目次9Final
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-509.htmlタグ「フーバー回顧録」
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-category-11.html●<ヤルタ密約>
2022/08/09投稿:
1945年8月9日・ソ連の満州侵攻・日ソ不可侵条約の一方的破棄
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1677.html2018/07/26投稿:
7月26日「今日は何の日」・ポツダム宣言
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-986.html(*3):李承晩が「信託統治期間が長すぎる」「直ぐにでも南半部だけで選挙を実施しる」と騒ぎ、そうなってしまったものである。このことが朝鮮戦争の原因の1つであり、南北分断永続化の原因の1つである。
↓
2019/04/21投稿:
根拠は何処に?朝鮮半島分断の責任
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1160.html(*4):「北朝鮮への「帰国事業」」とは何かと言うと、朝鮮戦争後に在日韓国朝鮮人が大々的に北朝鮮に「帰国」した事を称するものだ。詳しくは以前の論考にて論じている。
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2019/08/04投稿:
昭和37年6月外務省資料・在日朝鮮人の北朝鮮帰還問題
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1233.html【ご参考】
2019/12/19投稿:
北朝鮮に帰国した元在日韓国人達の記者会見の意図が不明
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1296.html2019/12/23投稿:
コメントへの返信・帰国事業
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1298.html(*5):朝鮮学校卒の総連活動家が親族に会う為に北朝鮮祖国訪問事業に参加したのだが、親族に会えたのは北朝鮮到着した3週間後であり、その間、金日成体制や主体思想に関するオリエンテーリング(思想教育)が延々と実施され、しかも親族の家に行けたとしても当局の監視員が一緒に食事の席に張り付くものであった
↓
※当方が1980年代中盤に読んだのは以下の書籍であるが、既に絶版である。
紀伊国屋書店 WEB STORE
書籍名:凍土の共和国 - 北朝鮮幻滅紀行
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784750584034著者:金元祚 亜紀書房(1984/03発売)
商品コード 9784750584034 NDC分類 302.21
出版社内容情報
元朝鮮総連幹部が“活動家家族”の一員として“帰国同胞”を訪ねてみたら、そこには思いもよらない硬直した社会が展開されていた。金日成・正日父子の指導下にある民衆がいかに心貧しく抑圧されているか、自己の体験をもとに民衆自身が万感の思いを込めて描く痛根の紀行。
亜紀書房の、最も亜紀書房らしい書籍の一つです。映像でははかり知る事の出来ない生の、そして本当の北朝鮮の姿がここにあるのです。不朽の名著。
現在、北朝鮮批判の嚆矢の書として再評価の声も高まっています。
↓
※現状で入手できるのは新装版である。
紀伊国屋書店 WEB STORE
書籍名:凍土の共和国―北朝鮮幻滅紀行 (新装版)
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784750508016著者:金元祚 亜紀書房(2008/02発売)
商品コード 9784750508016 NDC分類 302.21 Cコード C0036
内容説明
この本を境に北朝鮮楽園幻想は音を立てて崩れていった。
目次
1 「祖国」への細い道
2 美しい風景、ふくらむ疑問
3 学習、学習、また学習
4 肉親への想いつのる
5 絶景・金剛山への切ない旅
6 期待と不安の家族訪問
7 主体の国よ、永遠にさらば!
<引用終わり>
【ご参考】帰国運動に関する各種書籍
※ただし、現在はほぼ絶版ばかりである。
●書籍「帰国船」
文春文庫 帰国船―北朝鮮 凍土への旅立ち
鄭箕海【著】/鄭 益友【訳】 文藝春秋(1997/11発売)
ISBN: 9784167550158
※書籍内容説明他は紀伊国屋WEB STOREより抜粋引用
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784167550158<内容説明>
「教育も医療も無料の社会主義祖国」「地上の楽園」―朝鮮総聯が鳴り物入りで展開した帰国事業に煽られ、九万数千人の在日朝鮮人(日本人妻を含む)が北に帰った。本書の著者もその一人。ところが、希望に胸をふくらませて帰国した彼らが目にした祖国の姿は…。渡北から決死の韓国亡命を果すまで三十四年間にわたる悪夢の記録。
<目次>
序章 平壌で再会した初恋の人
第1章 凍土への旅路
第2章 村八分の新生活
第3章 拘留生活と「赤とんぼ」
第4章 胸痛む父母の死
第5章 炭鉱への“出稼ぎ”
第6章 “自白事業”と都落ち
第7章 徴罰で始まった新生活
第8章 決死の北朝鮮脱出
補稿 「日本人妻里帰り」問題に思う
<出版社内容情報>
昭和35年、帰国運動に加わり北朝鮮に渡った元在日朝鮮人が、金日成体制に幻滅して韓国に亡命するまでの苦難にみちた34年間の手記
<引用終わり>
●書籍「裏切られた楽土」 ← イチ推し
裏切られた楽土
張明秀【著】 講談社(1991/08発売)
ISBN: 9784062050746
※書籍内容説明他は紀伊国屋WEB STOREより抜粋引用
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784062050746<内容説明>
元朝鮮総連活動家がついに語った、衝撃の全日成王朝。北朝鮮で何が起こり、何が行われようとしているのか?帰国者たちはどこへ消えたのか?
<目次>
第1章 マグヂャビと行方不明になった帰国者
第2章 帰国者からの手紙
第3章 「これが楽土か」―祖国訪問記
第4章 金正日の野望
第5章 金正日の素顔
第6章 地上の楽土を夢みて
第7章 帰国事業とは何だったのか
第8章 対共和国貿易商との一問一答
※同文庫版の内容説明。紀伊国屋WEB STOREより抜粋引用
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784062562447<出版社内容情報>
【内容紹介】
金日成・金正日・朝鮮総聯、そしてわが罪許すまじ……!!
「地上の楽園」を信じ、1959年から始まった「帰国事業」を通じて北朝鮮に帰国した在日朝鮮人の数は2万8448世帯9万3339人。その多くが、次第に消息も途絶え、消えていった。飢餓と圧政の地・北朝鮮で彼らを待ち受けていたものは?独裁政治体制を敷く金日成・金正日親子、それに盲従する総聯、社会主義幻想を煽(あお)った「進歩的文化人」たちの罪は?金正日の嘘と野望に迫る!!自ら帰国事業に携わった元総聯幹部の悔恨と懺悔に満ちた告白!!
<引用終わり>
●「赤旗」平壌特派員だった萩原遼氏の著作「北朝鮮に消えた友と私の物語」
文春文庫 北朝鮮に消えた友と私の物語
萩原遼【著】 文藝春秋(2001/05発売)
ISBN: 9784167260064
※書籍内容説明他は紀伊国屋WEB STOREより抜粋引用
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784167260064<内容説明>
1972年「赤旗」平壌特派員となった私は、大阪の定時制高校で席を並べた親友の尹元一を訪ねた。友は「地上の楽園」で幸せに暮らしているはずだった―。帰国運動の悲劇を描き満票で第30回大宅壮一ノンフィクション賞に輝いた記念碑的名作。
<目次>
第1部 大阪篇(密航少年との出会い;おまえはなんで大阪にきたんや? ほか)
第2部 済州島篇(緑の島;洞窟の死闘 ほか)
第3部 ピョンヤン篇(あこがれのピョンヤン;最初のショック ほか)
第4部 ワシントン・東京篇(「赤旗」退職;ソ連に占領された北朝鮮 ほか)
<第30回大宅壮一ノンフィクション賞を満票で受賞・引用終わり>
●川崎・桜本から近い鶴見・潮田の住んでいた在日朝鮮人女性・朴春仙の著作
北朝鮮よ、銃殺した兄を返せ!―ある在日朝鮮人女性による執念の告発
朴春仙【著】 ザ・マサダ(1994/07発売)
ISBN: 9784915977039
※書籍内容説明他は紀伊国屋WEB STOREより抜粋引用
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784915977039<目次>
第1章 鶴見区潮田の朝鮮人部落
第2章 私たちの誇り、安復兄さん
第3章 家出、そして結婚
第4章 大物スパイとの同居
第5章 初めての祖国訪問
第6章 祖国再訪
終章 兄を返してください
<引用終わり>
【ご参考】
2018/04/21投稿:
スリーパーセル・潜伏工作員
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