100年も続いたの?「日本ローマ字会」解散記事への雑感
副題:役割を終えて久しいものがやっと終焉したとの感覚しかない。ローマ字という異質の文字体系に最初混乱した帰国子女の思い出。
ここ数日、発熱の為にまったく筆が進まなかったので、リハビリを兼ねて「主として当方の感想・雑感」を少々述べさせていただきたい。
今回の題材とするニュースは「日本語の表記をローマ字にしよう」との運動を展開してきた組織である「日本ローマ字会」(1921年設立)が解散したとのニュースである。(*1)
100年前の大正年間に始まったとの内容だが、既に随分と前からニーズがない存在であると考えている。
何故なら、英語教育が低年齢化しており、アルファベットをローマ字を用いて学ぶ必要性がなくなっているからである。
日本語のローマ字表記・アルファベット文化の取り入れだけが成果
最初の題材である「日本ローマ字会」(1921年(大正11年)設立)は記事によれば、その目的は「日本語のローマ字表記」を目指す団体で、その様な運動は1884年(明治17年)に結成された「羅馬字会」から始まったとされるそうだ。
明治17年と言えば、まだ鹿鳴館の時代であり、江戸幕府が締結した不平等条約の解消には、まだまだ時間を要した時代であるのだから、欧米列強が共通して使用しているアルファベットを導入しようとする試みがあっても不思議ではない。
とは言え、当方の経験からは日本語を総てローマ字で表記することは相応しくないと考えている。
当方が、父の赴任地から家族全員で帰国したのは昭和40年最初期。それまで現地で通っていた学校は英語で授業が執り行われていたのだが、幼稚園までは日本で育った当方は帰国時点の小学生高学年であったが日本語が分からない訳ではなかった。
ただ、アルファベット文字を見ると、それを英語だと認識する脳になっており、ローマ字学習で「犬の絵」が書かれ。その下に□□□と空欄がありそこにローマ字を書くという問題に対して「dog」と書いてしまっていたものである。
ローマ字の授業なので「inu」と書くのが正解なのだが、仕方がない。
また、国語の授業では、知らない漢字が山ほどあり、苦労したこともあった。
当方が海外で漢字に触れる機会は、日本から祖父母が送ってくれる1ヶ月分の少年サンデー・少年マガジンのマンガだけであり、漢字を習うことがなかったからだ。
その後も漢字への苦手意識はなかなか払拭出来なかったが、中高大と年齢と経験を重ねることで普通に漢字を操れる様にはなり、現在は、漢字・ひらがな・カタカナ・数字・アルファベット・英語・記号等々を用いた文章の読み書きが可能となっている。
漢字を読む事は、知らない地名や専門外の専門用語以外では苦痛を感じる様なことはなくなったとは言え、書く事ではつっかえる事は多々ある。ワープロ・パソコンの進展は、おおいなる助けである。
出来る様になってみて分かった事は、日本語の表記方法はローマ字化するにはもったいない程に洗練化されているということだ。
また、漢字かな混じり文は読むのに都合がよい。その一方、書くには読む以上の習熟が必要だ。
「「習熟に労力を要する」が為に、それ以外の分野に投入する労力がそがれるので、簡単にしよう」という発想になったのだろうと思うが、実に浅はかである。
何故なら、父祖が紡いできた実生活の集積であるその民族の文化を捨て去る行為であり、読むに際しては高い機能を持つからだ。
典型例としては以下の様なものがある。
↓
・Niwa ni wa niwa, Uraniwa ni wa niwa niwatori ga iru.
・庭には二羽、裏庭には二羽ニワトリがいる。
そんな事を感じた次第である。
今回は以上である。
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【文末脚注】
(*1):「日本語の表記をローマ字にしよう」との運動を展開してきた組織である「日本ローマ字会」(1921年設立)が解散したとのニュース
↓
Yahooニュース(京都新聞) 5/28(日) 14:02配信
見出し:◆「日本語表記をローマ字に」運動100年超の全国組織解散 「漢字仮名交じりは非合理」
https://news.yahoo.co.jp/articles/1a90ed6922162e5ecaf89368bc8e6060168e5694記事:○日本語の表記をローマ字にしようと運動を展開してきた公益社団法人「日本ローマ字会」(京都市東山区)が今年3月に解散した。1921(大正10)年に設立され、民族学者の故・梅棹忠夫さんが第7代会長を務めた。会員の高齢化による減少のため、日本語改革を目指した全国組織が100年を超える歴史の幕を閉じた。
○日本のローマ字運動は明治期に結成された団体「羅馬字会」から始まったとされる。その後、東京で「日本ローマ字会」が誕生し、物理学者で東京帝国大教授の田中舘愛橘(たなかだてあいきつ)(1856~1952年)が初代会長を務めた。機関誌を発行し、普及活動を展開した。
○しかし、会が第2次世界大戦で財産を失ったため65年、本部を京都に移転した。会員は設立当初、全国に2千人を超えたという。
○情報化時代の中で「漢字仮名交じり」は合理的ではないとローマ字表記の採用を唱えた梅棹さんは、初代館長を務めた国立民族学博物館(大阪府吹田市)を退官後の94年に日本ローマ字会の会長に就任した。研究会を立ち上げて新しいつづり方を発表するなど、2010年に亡くなるまで会長として活動をけん引した。
○全国に25の支部があった時期もあったが、近年は会員が20人にまで減ったという。長年活動を支えた元教師の田中實さんが梅棹さんの後任会長を務めたが、19年10月に90歳で亡くなった。
○昨年8月に京都市内で開いた役員総会で解散を決議し、今年3月に内閣府に届け出た。月刊の機関誌「ローマ字世界」は19年12月を最後に終刊した。
○同じくローマ字運動を展開する東京の「日本のローマ字社」は公益財団法人として活動を続けている。
○代表理事を務めた大島中正・同志社女子大教授(日本語学)は「残念だが、先人が目指したローマ字普及に向けて新たな形で模索を続けていく」と話した。
<引用終わり>
【ご参考】
2017/09/16投稿:
海外日本人学校を運営しているのは現地日本人社会
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-753.html1日1回ポチっとな ↓
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