朝日新聞社説・「「市民の」知る権利」などと書いてしまう不見識
- 2023/03/04
- 16:50
朝日新聞社説・「「市民の」知る権利」などと書いてしまう不見識
<続・勘違い選民意識のダブスタ・目的は手段を正当化しない>
副題:国民の知る権利とは、有権者国民が正しい情報に基づき、適切な投票行動が出来る様な環境を要求・実現化する権利のこと。事実を正確に伝えるのが報道機関の使命であり、それが出来ないのなら存在価値はない。
今回の題材は朝日新聞の社説(*1)である。
同社説は、先日亡くなった元毎日新聞・西山の新聞記者としての致命的問題点である、①女性事務官を酔わせ情を通じ、機密書類の持ち出しを唆して不正に資料を入手したとの卑劣な「取材」方法、②入手した資料を新聞紙上で報じる前に当時の野党第一党の社会党に渡し政争の具にしたこと、③情報源の秘匿とのジャーナリストとしての基本を蔑ろにし、女性事務官が容易に特定されてしまったこと等々にはさらっとしか触れず、「密約」を暴いたことを称賛するものであった。
上述した、新聞記者の職業倫理を踏みにじる卑劣な「取材」を、朝日社説では「粘り強い取材で真相に迫り」などと正当化・称賛する相変わらずの勘違いぶり満載のものであった。
西山の卑怯な「取材」方法に対して朝日が無感覚であること、そして、むしろ称賛してしまうとの朝日新聞の痼疾については、先日の論考「勘違い選民意識のダブスタ・目的は手段を正当化しない」(*2)で指摘済なので、今回は上記社説で使用された語句「「市民の」知る権利」について述べることとする。
朝日の社説で「「市民の」知る権利」との、なんとも頓珍漢な語句が使用されている部分を以下に抜粋引用で紹介しておく。
↓
<抜粋引用開始>、
粘り強い取材で真相に迫り、市民の「知る権利」に応える。メディアの責任の重さを改めてかみしめたい。
<引用終わり>
これが何故、頓珍漢なのかと言うと、そもそも報道機関が社説と称して使っているからである。
報道機関には一般国民にはない、ある種の特権が付与されている。
その理由は、報道機関が民主主義制度の一端を担うとの建て付けに由来する
民主主義制度は、国民の選択の集積の結果で政治的方向性が決められる。
我が国やイギリスの様な議員内閣制の国では、議会選挙で多数となった党の代表が国会主権の1つである統治権(主権1))の行使権者たる行政府の長(首相)となり国政が運営されるとの建て付けだ。
選挙の際に、国民が正しく判断して、その判断結果の集積が選挙結果となるものであり、
国民が国民主権(主権3))を行使する際の判断は、正しい判断材料が提供されていることが必要になる。
「国民の知る権利」は国民主権の行使が適切に行われる為に必要なものなのである。
この「国民の知る権利」を実現・担保するのが「自由報道」(現行憲法では第21条・帝国憲法では第29条)の原則である。
報道機関に付与されている特権的立場は国民の知る権利を実現する為の手段として付与されているのであって、報道機関自体に由来するものではないという点が最も重要な視点である。(*3)
ざっとまとめると【「国民の知る権利」は国民主権の適切なる行使に必要】ということだ。
従い、有権者国民の知る権利を有権者国民以外の在日外国人他を含む「市民」を主語にした「市民の知る権利」なる語句は本旨から外れるので「頓珍漢」と形容するものなのである。
左巻き連中は、国家がお嫌いなので「国民」を使うべき文章でも「市民」との語句を使う傾向がある。この事は随分と前から言われてきたことである。
もしも、今回の件が、単純に「いつもの言い換え」でしかなく、単純に「国民」を使わずに「市民」を使っているのだとしたら間抜けな話である。
多分、その程度の話だと思うのだが、そうだとしたら「「市民の」知る権利」なる新造語に対する感性がネジ曲がっていると言わざるを得ない。
もう1つ考えられることは、朝日らしい斜め上の発想で、自分達の新造語「「市民の」知る権利」を使い続け、その後、有権者国民以外も「社会のステークホルダーだ」などと「外国人参政権」や「在日外国人の基本的人権の拡大」なるキャンペーンにつなげることを目的にするものだ。
今後、朝日他の左巻き界隈で使用し始めたら要注意である。
今回は以上である。
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【文末脚注】
(*1):今回題材の朝日新聞の社説
↓
朝日新聞デジタル 2023年2月28日 5時00分
◆(社説)沖縄密約報道 政府の秘密体質いまも
https://www.asahi.com/articles/DA3S15567706.html?iref=comtop_Opinion_03
記事:○沖縄返還をめぐる日米両国の密約を指摘し、その生涯を通じて、政府の「うそ」を追及し続けた元毎日新聞記者の西山太吉さんが亡くなった。最初の報道から半世紀以上たった今も、政府の秘密体質が変わったとはいえず、権力に迫る報道のあり方も問われている。
○1971年の沖縄返還協定の裏で、米側が負担すべき米軍用地の原状回復の費用400万ドルを、日本側が肩代わりする約束が交わされた。外務省の女性事務官から極秘文書を入手した西山さんは、秘密漏洩(ろうえい)をそそのかしたとして、国家公務員法違反容疑で逮捕、起訴された。
○本来なら、密約の有無こそがただされねばならなかったが、起訴状に「ひそかに情を通じ」と書かれたことで、世間は政府に真相を求めるよりも、情報の入手方法への批判が専らとなった。西山さんは退社し、最高裁で懲役4カ月執行猶予1年の有罪判決が確定する。
○しかし、2000年以降、米側で密約を示す公文書が公開され、09年には返還協定の交渉にあたった当時の外務省アメリカ局長が法廷で証言した。
○それでも、政府は否定を続け、日米の密約の検証に取り組んだ民主党政権が10年、その存在を事実上認めた後も、西山さんらが情報公開を求めた訴訟に対し、「文書が存在しない」として公開を免れている。
○民主主義国の外交に本来、密約はあってはならない。やむを得ない事情があったとしても、きちんと記録にとどめ、後に公開して、歴史の検証に付さなければならない。それが国民に対する責任というものだ。
○14年に施行された特定秘密保護法では、外交交渉などを理由に、中身次第では半永久的に秘密扱いにすることも可能だ。漏洩した公務員に対する罰則も、10年以下の懲役と強化された。秘密保持の体制はむしろ強化されている。
○第2次安倍政権下では、森友・加計・桜を見る会や自衛隊の日報問題をめぐり、公文書を隠したり、廃棄・改ざんしたりする事例が相次いだ。政府内の根深い隠蔽(いんぺい)体質や公文書軽視を如実に示すものといえる。権力を監視するジャーナリズムの役割が、一層重みを増しているゆえんだ。
○確かに、密約を暴いた西山さんの取材手法には問題があり、文書の写しを野党議員の国会質問のために渡したことで「情報源の秘匿」を守れなかった事実も重い。だからといって、政府のうそが見過ごされていいわけではない。粘り強い取材で真相に迫り、市民の「知る権利」に応える。メディアの責任の重さを改めてかみしめたい。
<引用終わり>
(*2):西山の卑怯な「取材」方法に対して朝日が無感覚であること、そして、むしろ称賛してしまうとの朝日新聞の痼疾については、先日の論考で指摘済だ。
↓
2023/02/27投稿:
勘違い選民意識のダブスタ・目的は手段を正当化しない
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1739.html
(*3):この「国民の知る権利」を実現・担保するのが「自由報道」の原則である。報道機関に付与されている特権的立場は国民の知る権利を実現する為の手段として付与されているのであって、報道機関自体に由来するものではないという点が最も重要な視点である。
↓
2016/02/24投稿:
【コラム】「報道の自由」・「国民の知る権利」
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-342.html
2017/08/19投稿:
国民の知る権利
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-734.html
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<続・勘違い選民意識のダブスタ・目的は手段を正当化しない>


副題:国民の知る権利とは、有権者国民が正しい情報に基づき、適切な投票行動が出来る様な環境を要求・実現化する権利のこと。事実を正確に伝えるのが報道機関の使命であり、それが出来ないのなら存在価値はない。
今回の題材は朝日新聞の社説(*1)である。
同社説は、先日亡くなった元毎日新聞・西山の新聞記者としての致命的問題点である、①女性事務官を酔わせ情を通じ、機密書類の持ち出しを唆して不正に資料を入手したとの卑劣な「取材」方法、②入手した資料を新聞紙上で報じる前に当時の野党第一党の社会党に渡し政争の具にしたこと、③情報源の秘匿とのジャーナリストとしての基本を蔑ろにし、女性事務官が容易に特定されてしまったこと等々にはさらっとしか触れず、「密約」を暴いたことを称賛するものであった。
上述した、新聞記者の職業倫理を踏みにじる卑劣な「取材」を、朝日社説では「粘り強い取材で真相に迫り」などと正当化・称賛する相変わらずの勘違いぶり満載のものであった。
西山の卑怯な「取材」方法に対して朝日が無感覚であること、そして、むしろ称賛してしまうとの朝日新聞の痼疾については、先日の論考「勘違い選民意識のダブスタ・目的は手段を正当化しない」(*2)で指摘済なので、今回は上記社説で使用された語句「「市民の」知る権利」について述べることとする。
朝日の社説で「「市民の」知る権利」との、なんとも頓珍漢な語句が使用されている部分を以下に抜粋引用で紹介しておく。
↓
<抜粋引用開始>、
粘り強い取材で真相に迫り、市民の「知る権利」に応える。メディアの責任の重さを改めてかみしめたい。
<引用終わり>
これが何故、頓珍漢なのかと言うと、そもそも報道機関が社説と称して使っているからである。
報道機関には一般国民にはない、ある種の特権が付与されている。
その理由は、報道機関が民主主義制度の一端を担うとの建て付けに由来する
「国民の知る権利」は国民主権の適切なる行使に必要
民主主義制度は、国民の選択の集積の結果で政治的方向性が決められる。
我が国やイギリスの様な議員内閣制の国では、議会選挙で多数となった党の代表が国会主権の1つである統治権(主権1))の行使権者たる行政府の長(首相)となり国政が運営されるとの建て付けだ。
選挙の際に、国民が正しく判断して、その判断結果の集積が選挙結果となるものであり、
国民が国民主権(主権3))を行使する際の判断は、正しい判断材料が提供されていることが必要になる。
「国民の知る権利」は国民主権の行使が適切に行われる為に必要なものなのである。
この「国民の知る権利」を実現・担保するのが「自由報道」(現行憲法では第21条・帝国憲法では第29条)の原則である。
報道機関に付与されている特権的立場は国民の知る権利を実現する為の手段として付与されているのであって、報道機関自体に由来するものではないという点が最も重要な視点である。(*3)
ざっとまとめると【「国民の知る権利」は国民主権の適切なる行使に必要】ということだ。
従い、有権者国民の知る権利を有権者国民以外の在日外国人他を含む「市民」を主語にした「市民の知る権利」なる語句は本旨から外れるので「頓珍漢」と形容するものなのである。
「国民の知る権利」を朝日社説は「市民の知る権利」に変換した理由は何?
左巻き連中は、国家がお嫌いなので「国民」を使うべき文章でも「市民」との語句を使う傾向がある。この事は随分と前から言われてきたことである。
もしも、今回の件が、単純に「いつもの言い換え」でしかなく、単純に「国民」を使わずに「市民」を使っているのだとしたら間抜けな話である。
多分、その程度の話だと思うのだが、そうだとしたら「「市民の」知る権利」なる新造語に対する感性がネジ曲がっていると言わざるを得ない。
もう1つ考えられることは、朝日らしい斜め上の発想で、自分達の新造語「「市民の」知る権利」を使い続け、その後、有権者国民以外も「社会のステークホルダーだ」などと「外国人参政権」や「在日外国人の基本的人権の拡大」なるキャンペーンにつなげることを目的にするものだ。
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(*1):今回題材の朝日新聞の社説
↓
朝日新聞デジタル 2023年2月28日 5時00分
◆(社説)沖縄密約報道 政府の秘密体質いまも
https://www.asahi.com/articles/DA3S15567706.html?iref=comtop_Opinion_03
記事:○沖縄返還をめぐる日米両国の密約を指摘し、その生涯を通じて、政府の「うそ」を追及し続けた元毎日新聞記者の西山太吉さんが亡くなった。最初の報道から半世紀以上たった今も、政府の秘密体質が変わったとはいえず、権力に迫る報道のあり方も問われている。
○1971年の沖縄返還協定の裏で、米側が負担すべき米軍用地の原状回復の費用400万ドルを、日本側が肩代わりする約束が交わされた。外務省の女性事務官から極秘文書を入手した西山さんは、秘密漏洩(ろうえい)をそそのかしたとして、国家公務員法違反容疑で逮捕、起訴された。
○本来なら、密約の有無こそがただされねばならなかったが、起訴状に「ひそかに情を通じ」と書かれたことで、世間は政府に真相を求めるよりも、情報の入手方法への批判が専らとなった。西山さんは退社し、最高裁で懲役4カ月執行猶予1年の有罪判決が確定する。
○しかし、2000年以降、米側で密約を示す公文書が公開され、09年には返還協定の交渉にあたった当時の外務省アメリカ局長が法廷で証言した。
○それでも、政府は否定を続け、日米の密約の検証に取り組んだ民主党政権が10年、その存在を事実上認めた後も、西山さんらが情報公開を求めた訴訟に対し、「文書が存在しない」として公開を免れている。
○民主主義国の外交に本来、密約はあってはならない。やむを得ない事情があったとしても、きちんと記録にとどめ、後に公開して、歴史の検証に付さなければならない。それが国民に対する責任というものだ。
○14年に施行された特定秘密保護法では、外交交渉などを理由に、中身次第では半永久的に秘密扱いにすることも可能だ。漏洩した公務員に対する罰則も、10年以下の懲役と強化された。秘密保持の体制はむしろ強化されている。
○第2次安倍政権下では、森友・加計・桜を見る会や自衛隊の日報問題をめぐり、公文書を隠したり、廃棄・改ざんしたりする事例が相次いだ。政府内の根深い隠蔽(いんぺい)体質や公文書軽視を如実に示すものといえる。権力を監視するジャーナリズムの役割が、一層重みを増しているゆえんだ。
○確かに、密約を暴いた西山さんの取材手法には問題があり、文書の写しを野党議員の国会質問のために渡したことで「情報源の秘匿」を守れなかった事実も重い。だからといって、政府のうそが見過ごされていいわけではない。粘り強い取材で真相に迫り、市民の「知る権利」に応える。メディアの責任の重さを改めてかみしめたい。
<引用終わり>
(*2):西山の卑怯な「取材」方法に対して朝日が無感覚であること、そして、むしろ称賛してしまうとの朝日新聞の痼疾については、先日の論考で指摘済だ。
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(*3):この「国民の知る権利」を実現・担保するのが「自由報道」の原則である。報道機関に付与されている特権的立場は国民の知る権利を実現する為の手段として付与されているのであって、報道機関自体に由来するものではないという点が最も重要な視点である。
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2016/02/24投稿:
【コラム】「報道の自由」・「国民の知る権利」
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2017/08/19投稿:
国民の知る権利
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