憲法9条は制定当時から無理筋・軸足が「平和を愛する諸国民」にある
- 2022/03/27
- 18:08
憲法9条は制定当時から無理筋・軸足が「平和を愛する諸国民」にある
副題:自称「護憲」の特定野党は前文+9条の残置だけが目的。我々日本人の命、平和・安寧の確保策を持ち合わせていない知的怠惰な集団
Yahooニュース(夕刊フジ)の見出し「◆「自衛隊違憲論」は〝論理破綻〟 約9割の国民が自衛隊に好印象の調査結果 憲法少なくとも9条はすでに限界に来ている」が今回の題材記事(*1)である。
商業紙なので文字数の制限があるのであろう、少々粗削りであるが、我が国現行憲法の9条を放置したままでは立ち行かなくなっているという結論は、その通りであることから、粗削り部分に対して若干の加筆をするものである。
記事は、先ず現行憲法の施行と自衛隊発足の時系列を示している。
↓
<抜粋引用開始>
昭和22(1947)年5月3日に日本国憲法が施行されて75年になる。自衛隊は同29(54)年の発足以来、ずっと憲法9条の問題を引きずってきた。まさにくびきである。
<引用終わり>
「現行憲法」と「自衛隊」の施行・発足の時系列だけが書かれているものである。
しかし、「現行憲法」と「自衛隊」の施行・発足自体に多くの問題があったことには触れられていない。
それ故に「文字数の制限があるのであろう・粗削り」だと感じたものである。
先ず、「現行憲法」の問題点は、戦後の主権喪失期に「新憲法制定」との命題に対して、当時の我が国随一の憲法学者である美濃部達吉博士などの見識深い検討をしており、我が国政府は原案を作成していたのだが、その原案をGHQに提出する前にGHQは、自分達で勝手に1週間程度で作成したGHQ草案を我が国に対して押し付けてきて、それが現行憲法の基となったものである。(*2)
要するに、憲法典という国の形の基本を成文化した最高法規を、異文化のアメリカ人が作成してしまっているという問題点があり、アメリカ人の主観によって書かれているものだ。それ故に、つい半年前まで太平洋で人類史上空前の海空戦を戦っていたアメリカ側は敗戦国日本に自衛戦争さえも許さない=日本人は勝手に死ねとの非武装争規定を押し付けて平然としているものである。マッカーサー3原則の第2原則に、その旨が書かれている。(*3)
これらに関しては、文末脚注の「(*2)」と「(*3)」にある論考で国会国立図書館史料を提示しながら論述しているので、興味ある方はご再読いただきたい。
次に自衛隊の発足についてである。
現行憲法9条2項に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と非武装が規定されているのに、自衛隊という国防組織が存在しているとの「問題」だ。
「自衛隊は昭和29年(1954年)発足」とある。
確かに「自衛隊」との名称の国防組織が発足したのは主権回復後の、その時であるが、それ以前の戦後日本に国防組織がなかったのかというと、そうではない。
マッカーサーGHQが我が国を占領統治し続けていた1950年6月25日未明に朝鮮戦争が勃発した。
知っての通り、マッカーサーは太平洋戦域の米軍の最高責任者であり、戦後は日本列島のみならず朝鮮半島南半部がマッカーサーの責任地域であった。
当初、朝鮮に進駐していたアメリカ軍は「韓国軍」に対して軽微な兵器しか供与しておらず、T-34戦車で南侵してくる金日成・北朝鮮軍に対して無力であった。
マッカーサーは日本に進駐しているアメリカ軍を朝鮮半島に増派し、日本列島の防衛が手薄になると、憲法9条を我が国に押し付けたにも関わらず、「警察予備隊」と称する日本列島防衛の為に国防組織を立ち上げさせたのである。(*4)
警察予備隊が自衛隊の前身であることはご存知の通りである。この時代に関しては、詳しくは以前の論考にて時系列を提示しているので、より深堀したい方はご一読いただきたい。(*5)
この様に、「自衛隊違憲論」の原因である「現行憲法9条」と「自衛隊」の存在との両方ともがマッカーサーの浅知恵が原因なのである。
次に、記事は55年体制(昭和30年の保守合同・自民党の誕生)以降、野党第一党の社会党が「自衛隊違憲論」であり、それがまともな防衛論議を阻んできたとの記述となっている。
その通りである。
神学論争を繰り返し、如何にして国家・国民を守るのかの議論がまったく出来てこなかったのである。
一方、記事の筆者は以下の様に、神学論争の罠にはまってしまっている様でもある。
↓
<抜粋引用開始>
(前略)憲法9条を素直に読めば自衛隊はやはり憲法違反だという人も結構いた時代だった。従って、「非武装中立論」が一定の共感を呼んでいたことも事実である。
私は「非武装中立論」は現実的ではないし、日本の安全保障に資するものではないので反対であったが、理屈的には一貫しており、少なくとも論理破綻はきたしていない。(後略)
<引用終わり>
「憲法9条を素直に読めば自衛隊はやはり憲法違反だという人も結構いた時代だった。」との記述があるが、当時も今も制定時も「現行憲法9条は、そのまま読めば非武装規定」そのものである。
前述した通り、我が国占領時・主権喪失期間に非武装規定を押し付けたマッカーサー自身が再武装を指示しているのだから、主権回復時点で憲法条文と国防組織の存在という現実の間に矛盾がある状態だったのであるから、仕方がなく我が国の先人達は「解釈」という方法で「「前項の目的を達するため」の自衛隊」は「陸海空軍その他の戦力」に該当しない」
との屁理屈を考え出したものである。
現行憲法9条に書いてあることを、そのまま現実世界で実行することは日本列島を侵略に対して無防備にすることであり、そんな無責任なことは出来ないので、マッカーサー自身が「再武装」させたことからも明らかである。(前述した際の文末脚注の「(*4)」を参照されたい)
我が国が主権を回復したのは1952年(昭和27年)4月28日であるが、その時点では朝鮮戦争が継続中であった。停戦協定により朝鮮半島でのドンパチが終わったのは1953年(昭和28年)7月27日のことである。
近隣の朝鮮半島でドンパチが続いている状態で主権回復したとしても、既に存在している国防組織を解散出来るものではないことぐらいは誰にでも分かることである。
そうであるにも関わらず「「非武装中立論」が一定の共感を呼んでいたことも事実である」と書いてあるのは当時の環境がなせる「思い込み」である。
読者側の多くが、その様に感じているであろうからの記述であろうが少し心配である。
「非武装中立論」なる珍説が出てきた時代は、大手メディアが言論空間を独占しており、あたかも「朝日新聞の言論が世論そのもの」であるかの様なマヤカシの時代だった。
反日偏向で知られる朝日の言論(*6)が、あたかも我々日本人の「一般的多数世論」であるかの様な誘導・煽動が行われていたのだから仕方がないと思うのだが、未だに当時の軛から抜け出していない様で、少し心配である。
この様に心配しているのは、記事の筆者が「私は「非武装中立論」は現実的ではないし、日本の安全保障に資するものではないので反対であったが、理屈的には一貫しており、少なくとも論理破綻はきたしていない。」などと書いているからである。
「理屈的には一貫しており」「論理破綻はきたしていない」と現在の於いてもその様に考えているのは「議論の出発点の罠」に未だにはまっているからだと思われる。憲法9条の議論をする際の議論の出発点を憲法条文に置くと、この様な錯誤に陥るのである。(*7)
最初に書いた様に、現行憲法は占領軍が「世界平和を日本から守る」との日本悪玉論をベースに我が国に押し付けたものである。その一方、他の国々は自分達が自存自立出来る様に、自分達が考える正義を維持する為に、自身を守るには当然とした憲法を持っている。
従い、他国では当たり前の自分自身や家族を含めた我々日本人の命、平和・安寧を確保できる様にするにはどうするのかを議論の出発点に据えることが重要だ。
「憲法9条を守って日本人は自衛戦争もせずに死んでいきましょう」との変態性癖ドМ趣味を言ってしまう困った人がいるが、そういう性癖に巻き込まないでいただきたい。
最後の段落では、いまだに「自衛隊違憲論」を言い続けている勢力がいることに言及し、その無責任さを述べているが、その視点が面白い。
以下の様に、特定野党が言う「違憲」が実に軽薄なものだという視点である。
↓
<抜粋引用終わり>
現在では約9割の国民が自衛隊に好印象を持っているという調査結果が出ている。こうなると、「自衛隊は違憲なのでなくすべきだ」という考え方は国民の共感を呼ばなくなり、違憲論は国民世論との間でもがき苦しむことになった。
今の違憲論は「自衛隊は違憲である。しかし、国民がいらないというまで働いてもらう」、または、「自衛隊に違憲の焼き印を押し続けることによって、自衛隊の行動を抑制する」である。
これらの考え方に対する私の印象は「憲法軽視」である。違憲とはそんなに軽いものかと思う。違憲論は、現実との狭間ですでに論理破綻をきたしていることからも分かる通り、憲法少なくとも9条はすでに限界に来ている。
<引用終わり>
特定野党(立憲民主・共産・社民・れいわ新撰組)の無責任さは幾度も論述している通りであるが、今回題材の記事の筆者も同様主旨の指摘をしているもので共感できることから紹介するものである。
何れにしろ、特定野党は「護憲」を自称しているが、その実、現行憲法の前文+9条の残置だけが目的であり、他の条文に対して無頓着である(*8)様に、「憲法を軽視」していることは間違いがない。
今回は以上である。
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【文末脚注】
(*1):今回の題材記事
↓
Yahooニュース(夕刊フジ) 3/24(木) 17:00配信
見出し:◆「自衛隊違憲論」は〝論理破綻〟 約9割の国民が自衛隊に好印象の調査結果 憲法少なくとも9条はすでに限界に来ている
https://news.yahoo.co.jp/articles/d34d039cb3b8c7a1936749652cd97c43ebc01554
記事:○昭和22(1947)年5月3日に日本国憲法が施行されて75年になる。自衛隊は同29(54)年の発足以来、ずっと憲法9条の問題を引きずってきた。まさにくびきである。
○自衛隊発足翌年から、政治の世界では「55年体制」が始まった。与党は保守合同後の自由民主党であり、野党第1党は日本社会党(以下、社会党という)であった。社会党は「自衛隊違憲」の立場であり、当然、共産党も「違憲」の立場であった。現在、連立与党である公明党も当初、違憲の立場だったと記憶している。
○とりわけ、野党第1党が違憲という立場の意味合いは、民主主義国家にとって極めて大きい。すなわち、国権の最高機関である国会において、まともに正面から防衛問題が議論できないということを意味していた。
○そこで、当時の社会党は石橋政嗣氏(後の委員長)を中心に「非武装中立論」を主張した。自衛隊は憲法違反なので解散し、東西両陣営のどちらにも属さず、他国から侵略されないような外交を展開せよというものだ。
○55年体制が始まった頃は、戦後まだ10年で、多くの国民の中には旧軍に対するアレルギーが残っており、それを自衛隊に重ね合わせる人も少なくなかった。いわゆる軍隊アレルギーである。自衛隊はなければない方がよいし、憲法9条を素直に読めば自衛隊はやはり憲法違反だという人も結構いた時代だった。従って、「非武装中立論」が一定の共感を呼んでいたことも事実である。
○私は「非武装中立論」は現実的ではないし、日本の安全保障に資するものではないので反対であったが、理屈的には一貫しており、少なくとも論理破綻はきたしていない。
○ところが、湾岸戦争後のペルシャ湾への掃海部隊派遣を契機に、自衛隊はオペレーションの時代を迎え、自衛官の顔がだんだん国民に見えだし、それに伴い国民の自衛隊に対する信頼感も高まっていった。
○その結果、現在では約9割の国民が自衛隊に好印象を持っているという調査結果が出ている。こうなると、「自衛隊は違憲なのでなくすべきだ」という考え方は国民の共感を呼ばなくなり、違憲論は国民世論との間でもがき苦しむことになった。
○今の違憲論は「自衛隊は違憲である。しかし、国民がいらないというまで働いてもらう」、または、「自衛隊に違憲の焼き印を押し続けることによって、自衛隊の行動を抑制する」である。
○これらの考え方に対する私の印象は「憲法軽視」である。違憲とはそんなに軽いものかと思う。違憲論は、現実との狭間ですでに論理破綻をきたしていることからも分かる通り、憲法少なくとも9条はすでに限界に来ている。
<引用終わり>
(*2):「現行憲法」の問題点は、戦後の主権喪失期に「新憲法制定」との命題に対して、当時の我が国随一の憲法学者である美濃部達吉博士などの見識深い検討をしており、我が国政府は原案を作成していたのだが、その原案をGHQに提出する前にGHQは、自分達で勝手に1週間程度で作成したGHQ草案を我が国に対して押し付けてきて、それが現行憲法の基となったものである。要するに、憲法典という国の形の基本を成文化した最高法規を、異文化のアメリカ人が作成してしまっているという問題点がある。
↓
2017/05/20投稿:
(資料編)憲法前文の登場・9条の登場と変遷
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-674.html
(*3):つい半年前まで太平洋で人類史上空前の海空戦を戦っていたアメリカ側は敗戦国日本に自衛戦争さえも許さない=日本人は勝手に死ねとの非武装争規定を押し付けて平然としているものである。マッカーサー3原則の第2原則に、その旨が書かれている。
↓
2016/07/29投稿:
(資料編)マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-467.html
◆第2原則:非武装規定・前文+9条
2016/07/31投稿:
(解説編2)マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-469.html
(*4):マッカーサー憲法9条を我が国に押し付けたにも関わらず、「警察予備隊」と称する日本列島防衛の為に国防組織を立ち上げさせたのである。
↓
2015/06/22投稿:
【憲法9条】占領時主権喪失期の憲法制定と再武装
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-135.html
2017/06/30投稿:
憲法議論7・現行憲法9条Q&A
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-705.html
(*5):警察予備隊が自衛隊の前身であることはご存知の通りである。この時代に関しては、詳しくは以前の論考にて時系列を提示しているので、より深堀したい方はご一読いただきたい。
↓
2016/05/21投稿:
(資料編)歴史年表・戦後史部分
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-418.html
2016/06/09投稿:
続々々・歴史年表・戦後史部分の概観
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-431.html
(*6):反日偏向で知られる朝日の言論
↓
2018/05/21投稿:
(資料編)朝日新聞の病巣を指摘する書籍
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-934.html
(*7):記事の筆者は「理屈的には一貫しており」「論理破綻はきたしていない」と現在の於いてもその様に考えているのは「議論の出発点の罠」に未だにはまっているからだと思われる。憲法9条の議論をする際の議論の出発点を憲法条文に置くと、この様な錯誤に陥るのである。
↓
2017/05/25投稿:
憲法議論2・憲法9条・議論の出発点
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-677.html
(*8):特定野党は「護憲」を自称しているが、その実、現行憲法の前文+9条の残置だけが目的であり、他の条文に対して無頓着である。
↓
2017/05/18投稿:
憲法議論をはじめよう
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-672.html
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副題:自称「護憲」の特定野党は前文+9条の残置だけが目的。我々日本人の命、平和・安寧の確保策を持ち合わせていない知的怠惰な集団
Yahooニュース(夕刊フジ)の見出し「◆「自衛隊違憲論」は〝論理破綻〟 約9割の国民が自衛隊に好印象の調査結果 憲法少なくとも9条はすでに限界に来ている」が今回の題材記事(*1)である。
商業紙なので文字数の制限があるのであろう、少々粗削りであるが、我が国現行憲法の9条を放置したままでは立ち行かなくなっているという結論は、その通りであることから、粗削り部分に対して若干の加筆をするものである。
現行憲法の施行と自衛隊の発足
記事は、先ず現行憲法の施行と自衛隊発足の時系列を示している。
↓
<抜粋引用開始>
昭和22(1947)年5月3日に日本国憲法が施行されて75年になる。自衛隊は同29(54)年の発足以来、ずっと憲法9条の問題を引きずってきた。まさにくびきである。
<引用終わり>
「現行憲法」と「自衛隊」の施行・発足の時系列だけが書かれているものである。
しかし、「現行憲法」と「自衛隊」の施行・発足自体に多くの問題があったことには触れられていない。
それ故に「文字数の制限があるのであろう・粗削り」だと感じたものである。
先ず、「現行憲法」の問題点は、戦後の主権喪失期に「新憲法制定」との命題に対して、当時の我が国随一の憲法学者である美濃部達吉博士などの見識深い検討をしており、我が国政府は原案を作成していたのだが、その原案をGHQに提出する前にGHQは、自分達で勝手に1週間程度で作成したGHQ草案を我が国に対して押し付けてきて、それが現行憲法の基となったものである。(*2)
要するに、憲法典という国の形の基本を成文化した最高法規を、異文化のアメリカ人が作成してしまっているという問題点があり、アメリカ人の主観によって書かれているものだ。それ故に、つい半年前まで太平洋で人類史上空前の海空戦を戦っていたアメリカ側は敗戦国日本に自衛戦争さえも許さない=日本人は勝手に死ねとの非武装争規定を押し付けて平然としているものである。マッカーサー3原則の第2原則に、その旨が書かれている。(*3)
これらに関しては、文末脚注の「(*2)」と「(*3)」にある論考で国会国立図書館史料を提示しながら論述しているので、興味ある方はご再読いただきたい。
次に自衛隊の発足についてである。
現行憲法9条2項に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と非武装が規定されているのに、自衛隊という国防組織が存在しているとの「問題」だ。
「自衛隊は昭和29年(1954年)発足」とある。
確かに「自衛隊」との名称の国防組織が発足したのは主権回復後の、その時であるが、それ以前の戦後日本に国防組織がなかったのかというと、そうではない。
マッカーサーGHQが我が国を占領統治し続けていた1950年6月25日未明に朝鮮戦争が勃発した。
知っての通り、マッカーサーは太平洋戦域の米軍の最高責任者であり、戦後は日本列島のみならず朝鮮半島南半部がマッカーサーの責任地域であった。
当初、朝鮮に進駐していたアメリカ軍は「韓国軍」に対して軽微な兵器しか供与しておらず、T-34戦車で南侵してくる金日成・北朝鮮軍に対して無力であった。
マッカーサーは日本に進駐しているアメリカ軍を朝鮮半島に増派し、日本列島の防衛が手薄になると、憲法9条を我が国に押し付けたにも関わらず、「警察予備隊」と称する日本列島防衛の為に国防組織を立ち上げさせたのである。(*4)
警察予備隊が自衛隊の前身であることはご存知の通りである。この時代に関しては、詳しくは以前の論考にて時系列を提示しているので、より深堀したい方はご一読いただきたい。(*5)
この様に、「自衛隊違憲論」の原因である「現行憲法9条」と「自衛隊」の存在との両方ともがマッカーサーの浅知恵が原因なのである。
55年体制・野党第一党の社会党の「非武装・中立」との外患誘致
次に、記事は55年体制(昭和30年の保守合同・自民党の誕生)以降、野党第一党の社会党が「自衛隊違憲論」であり、それがまともな防衛論議を阻んできたとの記述となっている。
その通りである。
神学論争を繰り返し、如何にして国家・国民を守るのかの議論がまったく出来てこなかったのである。
一方、記事の筆者は以下の様に、神学論争の罠にはまってしまっている様でもある。
↓
<抜粋引用開始>
(前略)憲法9条を素直に読めば自衛隊はやはり憲法違反だという人も結構いた時代だった。従って、「非武装中立論」が一定の共感を呼んでいたことも事実である。
私は「非武装中立論」は現実的ではないし、日本の安全保障に資するものではないので反対であったが、理屈的には一貫しており、少なくとも論理破綻はきたしていない。(後略)
<引用終わり>
「憲法9条を素直に読めば自衛隊はやはり憲法違反だという人も結構いた時代だった。」との記述があるが、当時も今も制定時も「現行憲法9条は、そのまま読めば非武装規定」そのものである。
前述した通り、我が国占領時・主権喪失期間に非武装規定を押し付けたマッカーサー自身が再武装を指示しているのだから、主権回復時点で憲法条文と国防組織の存在という現実の間に矛盾がある状態だったのであるから、仕方がなく我が国の先人達は「解釈」という方法で「「前項の目的を達するため」の自衛隊」は「陸海空軍その他の戦力」に該当しない」
との屁理屈を考え出したものである。
現行憲法9条に書いてあることを、そのまま現実世界で実行することは日本列島を侵略に対して無防備にすることであり、そんな無責任なことは出来ないので、マッカーサー自身が「再武装」させたことからも明らかである。(前述した際の文末脚注の「(*4)」を参照されたい)
我が国が主権を回復したのは1952年(昭和27年)4月28日であるが、その時点では朝鮮戦争が継続中であった。停戦協定により朝鮮半島でのドンパチが終わったのは1953年(昭和28年)7月27日のことである。
近隣の朝鮮半島でドンパチが続いている状態で主権回復したとしても、既に存在している国防組織を解散出来るものではないことぐらいは誰にでも分かることである。
そうであるにも関わらず「「非武装中立論」が一定の共感を呼んでいたことも事実である」と書いてあるのは当時の環境がなせる「思い込み」である。
読者側の多くが、その様に感じているであろうからの記述であろうが少し心配である。
「非武装中立論」なる珍説が出てきた時代は、大手メディアが言論空間を独占しており、あたかも「朝日新聞の言論が世論そのもの」であるかの様なマヤカシの時代だった。
反日偏向で知られる朝日の言論(*6)が、あたかも我々日本人の「一般的多数世論」であるかの様な誘導・煽動が行われていたのだから仕方がないと思うのだが、未だに当時の軛から抜け出していない様で、少し心配である。
この様に心配しているのは、記事の筆者が「私は「非武装中立論」は現実的ではないし、日本の安全保障に資するものではないので反対であったが、理屈的には一貫しており、少なくとも論理破綻はきたしていない。」などと書いているからである。
「理屈的には一貫しており」「論理破綻はきたしていない」と現在の於いてもその様に考えているのは「議論の出発点の罠」に未だにはまっているからだと思われる。憲法9条の議論をする際の議論の出発点を憲法条文に置くと、この様な錯誤に陥るのである。(*7)
最初に書いた様に、現行憲法は占領軍が「世界平和を日本から守る」との日本悪玉論をベースに我が国に押し付けたものである。その一方、他の国々は自分達が自存自立出来る様に、自分達が考える正義を維持する為に、自身を守るには当然とした憲法を持っている。
従い、他国では当たり前の自分自身や家族を含めた我々日本人の命、平和・安寧を確保できる様にするにはどうするのかを議論の出発点に据えることが重要だ。
「憲法9条を守って日本人は自衛戦争もせずに死んでいきましょう」との変態性癖ドМ趣味を言ってしまう困った人がいるが、そういう性癖に巻き込まないでいただきたい。
「自衛隊違憲論」を言い続ける特定野党
最後の段落では、いまだに「自衛隊違憲論」を言い続けている勢力がいることに言及し、その無責任さを述べているが、その視点が面白い。
以下の様に、特定野党が言う「違憲」が実に軽薄なものだという視点である。
↓
<抜粋引用終わり>
現在では約9割の国民が自衛隊に好印象を持っているという調査結果が出ている。こうなると、「自衛隊は違憲なのでなくすべきだ」という考え方は国民の共感を呼ばなくなり、違憲論は国民世論との間でもがき苦しむことになった。
今の違憲論は「自衛隊は違憲である。しかし、国民がいらないというまで働いてもらう」、または、「自衛隊に違憲の焼き印を押し続けることによって、自衛隊の行動を抑制する」である。
これらの考え方に対する私の印象は「憲法軽視」である。違憲とはそんなに軽いものかと思う。違憲論は、現実との狭間ですでに論理破綻をきたしていることからも分かる通り、憲法少なくとも9条はすでに限界に来ている。
<引用終わり>
特定野党(立憲民主・共産・社民・れいわ新撰組)の無責任さは幾度も論述している通りであるが、今回題材の記事の筆者も同様主旨の指摘をしているもので共感できることから紹介するものである。
何れにしろ、特定野党は「護憲」を自称しているが、その実、現行憲法の前文+9条の残置だけが目的であり、他の条文に対して無頓着である(*8)様に、「憲法を軽視」していることは間違いがない。
今回は以上である。
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【文末脚注】
(*1):今回の題材記事
↓
Yahooニュース(夕刊フジ) 3/24(木) 17:00配信
見出し:◆「自衛隊違憲論」は〝論理破綻〟 約9割の国民が自衛隊に好印象の調査結果 憲法少なくとも9条はすでに限界に来ている
https://news.yahoo.co.jp/articles/d34d039cb3b8c7a1936749652cd97c43ebc01554
記事:○昭和22(1947)年5月3日に日本国憲法が施行されて75年になる。自衛隊は同29(54)年の発足以来、ずっと憲法9条の問題を引きずってきた。まさにくびきである。
○自衛隊発足翌年から、政治の世界では「55年体制」が始まった。与党は保守合同後の自由民主党であり、野党第1党は日本社会党(以下、社会党という)であった。社会党は「自衛隊違憲」の立場であり、当然、共産党も「違憲」の立場であった。現在、連立与党である公明党も当初、違憲の立場だったと記憶している。
○とりわけ、野党第1党が違憲という立場の意味合いは、民主主義国家にとって極めて大きい。すなわち、国権の最高機関である国会において、まともに正面から防衛問題が議論できないということを意味していた。
○そこで、当時の社会党は石橋政嗣氏(後の委員長)を中心に「非武装中立論」を主張した。自衛隊は憲法違反なので解散し、東西両陣営のどちらにも属さず、他国から侵略されないような外交を展開せよというものだ。
○55年体制が始まった頃は、戦後まだ10年で、多くの国民の中には旧軍に対するアレルギーが残っており、それを自衛隊に重ね合わせる人も少なくなかった。いわゆる軍隊アレルギーである。自衛隊はなければない方がよいし、憲法9条を素直に読めば自衛隊はやはり憲法違反だという人も結構いた時代だった。従って、「非武装中立論」が一定の共感を呼んでいたことも事実である。
○私は「非武装中立論」は現実的ではないし、日本の安全保障に資するものではないので反対であったが、理屈的には一貫しており、少なくとも論理破綻はきたしていない。
○ところが、湾岸戦争後のペルシャ湾への掃海部隊派遣を契機に、自衛隊はオペレーションの時代を迎え、自衛官の顔がだんだん国民に見えだし、それに伴い国民の自衛隊に対する信頼感も高まっていった。
○その結果、現在では約9割の国民が自衛隊に好印象を持っているという調査結果が出ている。こうなると、「自衛隊は違憲なのでなくすべきだ」という考え方は国民の共感を呼ばなくなり、違憲論は国民世論との間でもがき苦しむことになった。
○今の違憲論は「自衛隊は違憲である。しかし、国民がいらないというまで働いてもらう」、または、「自衛隊に違憲の焼き印を押し続けることによって、自衛隊の行動を抑制する」である。
○これらの考え方に対する私の印象は「憲法軽視」である。違憲とはそんなに軽いものかと思う。違憲論は、現実との狭間ですでに論理破綻をきたしていることからも分かる通り、憲法少なくとも9条はすでに限界に来ている。
<引用終わり>
(*2):「現行憲法」の問題点は、戦後の主権喪失期に「新憲法制定」との命題に対して、当時の我が国随一の憲法学者である美濃部達吉博士などの見識深い検討をしており、我が国政府は原案を作成していたのだが、その原案をGHQに提出する前にGHQは、自分達で勝手に1週間程度で作成したGHQ草案を我が国に対して押し付けてきて、それが現行憲法の基となったものである。要するに、憲法典という国の形の基本を成文化した最高法規を、異文化のアメリカ人が作成してしまっているという問題点がある。
↓
2017/05/20投稿:
(資料編)憲法前文の登場・9条の登場と変遷
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-674.html
(*3):つい半年前まで太平洋で人類史上空前の海空戦を戦っていたアメリカ側は敗戦国日本に自衛戦争さえも許さない=日本人は勝手に死ねとの非武装争規定を押し付けて平然としているものである。マッカーサー3原則の第2原則に、その旨が書かれている。
↓
2016/07/29投稿:
(資料編)マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-467.html
◆第2原則:非武装規定・前文+9条
2016/07/31投稿:
(解説編2)マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-469.html
(*4):マッカーサー憲法9条を我が国に押し付けたにも関わらず、「警察予備隊」と称する日本列島防衛の為に国防組織を立ち上げさせたのである。
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2015/06/22投稿:
【憲法9条】占領時主権喪失期の憲法制定と再武装
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-135.html
2017/06/30投稿:
憲法議論7・現行憲法9条Q&A
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-705.html
(*5):警察予備隊が自衛隊の前身であることはご存知の通りである。この時代に関しては、詳しくは以前の論考にて時系列を提示しているので、より深堀したい方はご一読いただきたい。
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2016/05/21投稿:
(資料編)歴史年表・戦後史部分
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-418.html
2016/06/09投稿:
続々々・歴史年表・戦後史部分の概観
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-431.html
(*6):反日偏向で知られる朝日の言論
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2018/05/21投稿:
(資料編)朝日新聞の病巣を指摘する書籍
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-934.html
(*7):記事の筆者は「理屈的には一貫しており」「論理破綻はきたしていない」と現在の於いてもその様に考えているのは「議論の出発点の罠」に未だにはまっているからだと思われる。憲法9条の議論をする際の議論の出発点を憲法条文に置くと、この様な錯誤に陥るのである。
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2017/05/25投稿:
憲法議論2・憲法9条・議論の出発点
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-677.html
(*8):特定野党は「護憲」を自称しているが、その実、現行憲法の前文+9条の残置だけが目的であり、他の条文に対して無頓着である。
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2017/05/18投稿:
憲法議論をはじめよう
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-672.html
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