なんでもかんでも「日本が悪い」・釜山の砲台跡のトンネル
- 2021/02/11
- 21:41
なんでもかんでも「日本が悪い」・釜山の砲台跡のトンネル
副題:史実・事実よりも思い込みを優先して騒ぐ相変わらずの愚行。朝鮮戦争時の自国の歴史にちゃんと向き合う事をお勧めする。
今回の題材は、朝鮮語記事を誰かが翻訳したもので、まとめブログ「厳選!韓国情報」で見かけたものである。同記事の和訳見出しは「◆【韓国】 日帝が釜山で民間人を集団虐殺し死体を埋めたトンネル発見?~住民「この目で火の玉見た」」である。
お分かりの方からすれば「毎度の記事かよ」で終わりなのだが、若い世代の方々にとっては「初めて」なのかもしれないので題材としたものである。
同記事は「文末脚注の(*1)」で全文を引用紹介しているが、一言で言えば【今は公園になっている釜山の岬で砲台陣地跡が見つかった。ここで日帝が虐殺をして埋めたとの話がある。陣地跡の地下部分を調査する必要がある。】というものだ。
同記事には、砲台陣地跡の地下部分へと通じる扉の写真が添付されている。
以下のURLをクリックしてご覧いただければ分かると思うが、所謂「ベトン」である。日本語で言えば掩蔽壕とか掩体壕と言われるものだ。
↓
https://livedoor.blogimg.jp/gensen_2ch/imgs/8/1/8102f916.jpg
「掩体壕」とは、物資や弾薬を攻撃から守る為のコンクリート構造物で、屋根部分を土で覆うことが多い。この様な施設は日本中に残っていると思う。
子供の頃、横浜に住んでいた方ならば、横浜線・田園都市線の長津田駅近くにある「こどもの国」に行ったことがあると思うが、あそこには沢山のベトン跡があるので、見たことがあると思うが、要するに同じものだ。
件の釜山の砲台陣地跡が建築された1940年代当時、同地は日本の一部であったのだから、同じ様なものがあっても何等不思議ではない。
朝鮮語記事の前半の「今は公園になっている釜山の岬で砲台陣地跡が見つかった。」との話は事実なのだが、同記事見出しでの「トンネル発見」という表現や、「太宗台遊園地事業所」のコメントとして「どんな用途で穴が作られたのか、いつ入口が塞がれたのか正確に確認できない。」がある様に、忘れ去られた存在だった事を書いているのである。
同記事を書いた記者は、釜山市や太宗台軍事区域を管轄する陸軍53師団、専門家などに取材しているのだが、我が国防衛省の資料を見ても記事には「これまで知られていなかった日帝強制占領期間海岸砲陣地施設」としか書いていない。
「忘れ去られた存在」「これまで知られていなかった」が本当ならば、この記者は物事を調べる気がない知的怠惰である。
何故ならば、釜山の影島区太宗台にある砲台は、我が国旧軍が昭和12年から建設し始め昭和14年(1939年)に完成した絶影島砲台だということは、少し調べればすぐにでも分かることだからである。
釜山にある幾つかの岬は、対馬北端から最も近い場所であり日露戦争の際に日本海への侵入を阻止する為に砲台を設置したものである。
我が国は明治初期に於いて首都防衛の為に東京湾の中に、埋め立てた砲台=海堡を建設しているが、同様の考え方から、対馬の対岸の釜山に砲台を建設したものである。
その後も日本海防衛を目的にした砲台建設は続き、先に張子嶝砲台が建設され、今回記事の砲台は、別の岬に絶影島砲台として昭和12年から昭和14年に造られたものである。
こんな事は「釜山要塞」をキーワードに調べれば誰にでも分かることである。
そういう事からは、「忘れ去られた存在」「これまで知られていなかった」は、多分、本当の事ではなく、記事後半への前振りとして、ドラマチックな演出の為の虚偽だと推察している。つまり、韓国の読者は歴史的事実に関して違和感を持つだけの感覚がないと、この記者は考えているものと思われる。
その推察が違っているのならば話は元に戻る。それは「誰にでも分かる事を自分で調べもしないで記事にしている知的怠惰な記者」であることを自白しているに等しいというものである。
記事の後半になると、まったくの斜め上の話になってくる。
この「新たに発見された砲台陣地跡」で「ここで日帝が虐殺をして埋めたとの話がある」と話が斜め上に飛ぶ。
以下に、記事の中から「虐殺」に関わる部分を抜粋引用するが、その総てが「証言」だけであり物的証拠の提示はない。
↓
<抜粋引用開始>
①:日本軍が最小数十人から最大200人の住民を軍事施設に埋葬したという証言がある
②:チュ・キョンオプ釜山民文化研究院代表は「トンネル造成当時、200人程度の住民が強制労働に引きずられて行き、その後、日本軍によって集団銃殺されたという情報提供を受けたことがある」「洞窟から逃げたという方とその家族に直接会ったこともあるが、洞窟の入口が塞がって内部調査を行うことができなかった」
③:住民アン・ウォンチャン(83・影島区東三洞)氏は「重い砲弾を運ぶなど強制労働したり、日本軍に拷問を受けて死ねばトンネルに死体を捨てた」としながら「死体から出る臭いはもちろん、その成分が空気中で発火する『火の玉』を直接、目で目撃した」と話した。
<引用終わり>
知っての通り「「従軍」慰安婦」に関しては証言だけで大騒ぎになり、後年、その証言の矛盾が指摘されている。「証言だけ」で物事を決め付ける事の危険性は十分に衆知されていると思うが、今回の記事も①と②は伝聞である。
「御本人の証言」は上記のうち③だけだが、この人の年齢は83歳である。
終戦(昭和20年・1945年)の時点で7~8歳の小学生であり、この砲台建設時の昭和12~14年(1937~1937年)時点の年齢は1~3歳程度である。
この83歳の老人が言う「重い砲弾を運ぶ」「トンネルに死体を捨てた」などは、トンネル造成当時年齢からみて自身が経験したものではなく後年になってからの伝聞または作り話だと推定できる。
だいたいが昭和12~14年当時の朝鮮半島で、朝鮮籍日本人である自国民を虐殺するとの設定自体が荒唐無稽である。
戦後、創作されたウリナリファンタジーでは、併合期を「日帝強制占領期」などと称して暗黒時代であったかの様な印象操作をしており「虐殺が起こって当然」との話にしているのだが、そんな事はないのである。
今回題材記事が言う「釜山の砲台陣地跡」で「虐殺をして埋めた」が仮に正しいとしたら、その時期は、同砲台が出来た昭和12~14年(1937~1939年)以降の話となる。
それ以降の時期で朝鮮半島での「自国民を組織的に虐殺した事件」としては、アメリカの傀儡・李承晩時代の「済州島4.3事件」と「保導連盟事件」が直ぐに思い付くが、今回の話は「釜山の砲台跡・埋められた」なので「済州島4.3事件」は関係がないと考えられる。
一方、保導連盟事件の地域は朝鮮半島南半部の広範囲にわたっている。
「保導連盟事件」に関しては様々な資料・書籍があるが、その政治的立場でニュアンスが異なるので、事実と認定されていることを以下に5W1H別に紹介しておく。
↓
○What:「保導連盟事件」とは何か:朝鮮戦争勃発時の韓国での大量「処刑」事件。
○Who1:殺された人:先の大戦後、韓国内で共産主義者・北朝鮮シンパと看做された人物達。脱共産主義「教育」をして導く対象とされた人々。
○Who1のHow-many:殺された人数:資料により大きく数値が異なる。「4934人」「10万人以上」「20万人から120万人」「60万人から120万人」、「114万人」などの数値がある。要するに「大量処刑はあった」「信憑性ある数値は未確定」「「オーバーと思える数値」もある」という状態。
○Who2&How:誰が殺したのか:「収容されていた刑務所で処刑された」とされているので、刑務官等の公的立場の役人が直接的には処刑を実行したとされる。また、刑務所だけではないとの話があるが詳細不明である。これは上記した人数と関係し何処までが「処刑」なのか何処までが「保導連盟事件」なのか判然としない。
○Why1:何故、処刑されたのか:当時の大統領・李承晩が処刑命令を発したから。
○When:何時のことか:李承晩が処刑命令を発したのは1950年6月27日。これは金日成による南侵で始まった朝戦争勃発日1950年6月25日の2日後という日時であり、李承晩が、北朝鮮軍が迫るソウルから脱出した日である。
○Where:何処で殺されたのか:上記した「Who2&How」の通り「判然としない」のだが、以下の様な「処刑が行われた地域」との記載がWikiなどには記されている。
<地域・地名に注目して抜粋引用>
・慶尚南道:釜山・馬山・済州の刑務所など。晋州刑務所に収監されていた民間人を馬山の廃坑に連行して虐殺した。
・済州島:済州では同時期に済州島四・三事件による虐殺もなされている。
・忠清北道:清州市、清原郡
・全羅南道:全羅南道咸平郡の村では韓国陸軍第11師団によって無実の村民たちが虐殺されたことが明らかにされている。村民たちは韓国軍によって一同に集められると機関銃で一斉射撃を浴びせられ、銃撃が終わると、韓国軍将校は「生存者は助けるので立ち上がるように」と呼びかけ、これに応じて立ち上がった人々にはさらなる銃撃が加えられた。
・慶尚北道:慶尚北道永川市、洛東江近辺の村々。
<引用終わり>
○Why2:何故、李承晩は処刑命令を発したのか?:諸説あり。政治的立場でニュアンスが異なる。
この様に、1950年6月27日の李承晩のソウル脱出時の処刑命令により「保導連盟事件」が起こり、朝鮮半島南半部各地で「処刑」行われ、そこには釜山が含まれているのである。
以上のことから、題材記事の「釜山で民間人を集団虐殺し死体を埋めたトンネル発見」とは、「保導連盟事件」のことであると考えられる。少なくとも「大量虐殺」の記録があることから、可能性としては昭和20年以前の「日帝による蛮行」よりは可能性が高いと考えるのが自然である。
題材記事に出てくる83歳の「証言者」は、上記した様に、この砲台建設時の昭和12~14年(1937~1937年)時点の年齢は1~3歳程度であり、終戦(昭和20年・1945年)の時点で7~8歳の小学生であり、「重い砲弾を運ぶ」「トンネルに死体を捨てた」などは自身が体験したものではないと考えられる。
要塞陣地の砲台に設置されている大砲は、口径15.5cm以上の重砲であり、その砲弾重量は30kg~50kgもあり、小学生が運べるものではない。
仮に、この83歳の「証言者」が言っている「トンネルに死体を捨てた」が本当のことであるとするならば、それは、この証言者が体力的に大人に近付いている年齢に達していた頃の話でなければ辻褄が合わない。
それが1950年の「保導連盟事件」であれば、この証言者が12~13歳程度の頃の話となり、中学生になっていたと推定される。中学1年生でも幼すぎるが、少なくとも昭和20年以前にはあり得ない話なのである。
この様な事を考えていると想起されるのが、自称「「従軍」慰安婦」の「ジープ」「ヘリコプター」証言である。
先の大戦当時、我が国はヘリコプターを装備していない。ジープは当時の敵国アメリカが多量に使用していたものである。一方、朝鮮戦争当時、米軍はヘリコプターを投入しており、「米軍いる所にジープあり」であることから、同証言は朝鮮戦争当時の慰安婦としての証言だと推定されるものである。
この様に、虐殺「証言」と慰安婦「証言」は相似形を成していると考えているものである。
慰安婦「証言」と虐殺「証言」の相似形であることからも、題材記事の「釜山で民間人を集団虐殺し死体を埋めたトンネル発見」とは、「保導連盟事件」のことであるとの考えは、更に高まったと思う。
ご存じの通り、韓国では「なんでもかんでも「日本が悪い」」という話が社会通念になってしまっており「日本が悪い」という「新たな証拠」が出てくると、その内容の是非や真贋の確認などは脇に置かれ、「日本が悪い」の大合唱とともに無条件に民衆の支持を得ることになる。
そういう社会構造を韓国人記者が認識していないはずがない。
今回の題材記事の最終部分の2つの段落は「見つかった遺跡を調査せよ」との主張になっている。
↓
<引用開始>
○専門家たちはこのトンネルだけでなく太宗台のあちこちに歴史的価値がある遺跡があると確信している。関連機関が立ち上がって現状変更許可など全方向的調査に着手しなければならない、という声が強い。
○釜山経済大人文社会科学研究所キム・ユンミHK研究教授は「日帝強制占領期間、太宗台には多くの兵士が配置されたので砲陣地だけでなく、弾薬庫、テントなどの施設跡が残っているだろう」と話した。キム・ハングン所長は「地域の『辛い歴史』が隠れている遺跡が発見されただけに、今からでもトンネル内外を綿密に調査しなければならない」と明らかにした。
<引用終わり>
これはどういう事かと言うと「「日本の蛮行」をデッチ上げて、世論の後押しを受けて調査許可を得る」ことを目的にしているのではないか、と言うものである。
発掘が許可され、発掘の結果、何も出てこなくても、彼等は知らんぷりをするだけで実害がない。
もし何かが出てきたら大騒ぎである。
それが「保導連盟事件」に関係したものであった場合にも、この記者の大手柄になる。
そういう山師的推測記事なのではないかというのが、この記事を読んだ素直な感想である。
今回は以上である。
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【文末脚注】
(*1):まとめブログ「厳選!韓国情報」で紹介されていた記事。
↓
厳選!韓国情報 2021年02月08日 23:54
スレタイ:◆【韓国】 日帝が釜山で民間人を集団虐殺し死体を埋めたトンネル発見?~住民「この目で火の玉見た」
http://gensen2ch.com/archives/84016643.html
記事:○釜山影島(プサンヨンド)区太宗台(テジョンデ)で日帝強制占領期の海岸砲陣地施設と推定される大型トンネルが姿を表わした。このトンネルを含み太宗台に散在する未発見の砲陣地施設で民間人が集団虐殺された後、埋められたという証言が続いており、遺跡調査と発掘を急げという声が出ている。
<写真キャプションと写真のURL>
▽これまで噂は多かったが発見されなかった釜山影島区太宗台大型トンネル。
https://livedoor.blogimg.jp/gensen_2ch/imgs/8/1/8102f916.jpg
○4日午後、釜山影島区太宗台内太宗寺付近。小さな小川を渡るとすぐに茂みに覆われた正体不明の大型トンネルが見える。横3メートル、縦4メートルほどのトンネルの入口はコンクリートで塞がれている。
○太宗台遊園地事業所側は「どんな用途で穴が作られたのか、いつ入口が塞がれたのか正確に確認できない。ただし、日帝強制占領期間に作られたと推定される」と話した。
○釜山市や太宗台軍事区域を管轄する陸軍53師団などもこのトンネルに関する正確な情報を知らない状況だ。現在の太宗台は国家指定文化財に登録されており、トンネルに入るには文化財庁の現状変更許可が必要になる。
○専門家たちは取材陣が発見したこのトンネルについて「これまで知られていなかった日帝強制占領期間海岸砲陣地施設」と口をそろえた。日本防衛省の「釜山駐留日本軍資料集」によれば1940年代、太平洋戦争当時、太宗台に中砲兵隊、照明部隊などが配置されたことが確認できる。
○キム・ハングン釜山近代資料研究所所長は「太宗台だけでなく青鶴洞(チョンハクトン)、龍湖洞(ヨンホドン)、戡蛮洞(カンマンドン)などの地にも中砲兵隊が配置されたが、釜山港に入ってくる連合軍を防ぐことが目的だったと思われる」と明らかにした。
○衝撃的な事実は当時、日本軍が最小数十人から最大200人の住民を軍事施設に埋葬したという証言があることだ。チュ・キョンオプ釜山民文化研究院代表は「トンネル造成当時、200人程度の住民が強制労働に引きずられて行き、その後、日本軍によって集団銃殺されたという情報提供を受けたことがある」としながら「洞窟から逃げたという方とその家族に直接会ったこともあるが、洞窟の入口が塞がって内部調査を行うことができなかった」と明らかにした。
○住民アン・ウォンチャン(83・影島区東三洞)氏は「重い砲弾を運ぶなど強制労働したり、日本軍に拷問を受けて死ねばトンネルに死体を捨てた」としながら「死体から出る臭いはもちろん、その成分が空気中で発火する『火の玉』を直接、目で目撃した」と話した。
○ほぼ同じ頃、中国でも日本軍がトンネルを掘った住民たちを集団銃殺した事例が明らかになった。実際、去る1999年、中国黒龍江省で地下要塞から朝鮮族と漢族の遺骨3000~4000具が発見された。
○専門家たちはこのトンネルだけでなく太宗台のあちこちに歴史的価値がある遺跡があると確信している。関連機関が立ち上がって現状変更許可など全方向的調査に着手しなければならない、という声が強い。
○釜山経済大人文社会科学研究所キム・ユンミHK研究教授は「日帝強制占領期間、太宗台には多くの兵士が配置されたので砲陣地だけでなく、弾薬庫、テントなどの施設跡が残っているだろう」と話した。キム・ハングン所長は「地域の『辛い歴史』が隠れている遺跡が発見されただけに、今からでもトンネル内外を綿密に調査しなければならない」と明らかにした。
元記事URL(朝鮮語記事の為にリンク省略)
http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=2021020719220200443
<引用終わり>
【ご参考】
2019/04/16投稿:
「上海臨時政府」樹立100周年考(前編)
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1156.html
2019/04/17投稿:
「上海臨時政府」樹立100周年考(後編)
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1157.html
2016/06/08投稿:
続々・歴史年表・戦後史部分の概観
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-430.html
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副題:史実・事実よりも思い込みを優先して騒ぐ相変わらずの愚行。朝鮮戦争時の自国の歴史にちゃんと向き合う事をお勧めする。
今回の題材は、朝鮮語記事を誰かが翻訳したもので、まとめブログ「厳選!韓国情報」で見かけたものである。同記事の和訳見出しは「◆【韓国】 日帝が釜山で民間人を集団虐殺し死体を埋めたトンネル発見?~住民「この目で火の玉見た」」である。
お分かりの方からすれば「毎度の記事かよ」で終わりなのだが、若い世代の方々にとっては「初めて」なのかもしれないので題材としたものである。
同記事は「文末脚注の(*1)」で全文を引用紹介しているが、一言で言えば【今は公園になっている釜山の岬で砲台陣地跡が見つかった。ここで日帝が虐殺をして埋めたとの話がある。陣地跡の地下部分を調査する必要がある。】というものだ。
同記事には、砲台陣地跡の地下部分へと通じる扉の写真が添付されている。
以下のURLをクリックしてご覧いただければ分かると思うが、所謂「ベトン」である。日本語で言えば掩蔽壕とか掩体壕と言われるものだ。
↓
https://livedoor.blogimg.jp/gensen_2ch/imgs/8/1/8102f916.jpg
「掩体壕」とは、物資や弾薬を攻撃から守る為のコンクリート構造物で、屋根部分を土で覆うことが多い。この様な施設は日本中に残っていると思う。
子供の頃、横浜に住んでいた方ならば、横浜線・田園都市線の長津田駅近くにある「こどもの国」に行ったことがあると思うが、あそこには沢山のベトン跡があるので、見たことがあると思うが、要するに同じものだ。
件の釜山の砲台陣地跡が建築された1940年代当時、同地は日本の一部であったのだから、同じ様なものがあっても何等不思議ではない。
朝鮮語記事前半の記載に対する違和感
朝鮮語記事の前半の「今は公園になっている釜山の岬で砲台陣地跡が見つかった。」との話は事実なのだが、同記事見出しでの「トンネル発見」という表現や、「太宗台遊園地事業所」のコメントとして「どんな用途で穴が作られたのか、いつ入口が塞がれたのか正確に確認できない。」がある様に、忘れ去られた存在だった事を書いているのである。
同記事を書いた記者は、釜山市や太宗台軍事区域を管轄する陸軍53師団、専門家などに取材しているのだが、我が国防衛省の資料を見ても記事には「これまで知られていなかった日帝強制占領期間海岸砲陣地施設」としか書いていない。
「忘れ去られた存在」「これまで知られていなかった」が本当ならば、この記者は物事を調べる気がない知的怠惰である。
何故ならば、釜山の影島区太宗台にある砲台は、我が国旧軍が昭和12年から建設し始め昭和14年(1939年)に完成した絶影島砲台だということは、少し調べればすぐにでも分かることだからである。
釜山にある幾つかの岬は、対馬北端から最も近い場所であり日露戦争の際に日本海への侵入を阻止する為に砲台を設置したものである。
我が国は明治初期に於いて首都防衛の為に東京湾の中に、埋め立てた砲台=海堡を建設しているが、同様の考え方から、対馬の対岸の釜山に砲台を建設したものである。
その後も日本海防衛を目的にした砲台建設は続き、先に張子嶝砲台が建設され、今回記事の砲台は、別の岬に絶影島砲台として昭和12年から昭和14年に造られたものである。
こんな事は「釜山要塞」をキーワードに調べれば誰にでも分かることである。
そういう事からは、「忘れ去られた存在」「これまで知られていなかった」は、多分、本当の事ではなく、記事後半への前振りとして、ドラマチックな演出の為の虚偽だと推察している。つまり、韓国の読者は歴史的事実に関して違和感を持つだけの感覚がないと、この記者は考えているものと思われる。
その推察が違っているのならば話は元に戻る。それは「誰にでも分かる事を自分で調べもしないで記事にしている知的怠惰な記者」であることを自白しているに等しいというものである。
朝鮮語記事後半の記載は相変わらずのファンタジー
記事の後半になると、まったくの斜め上の話になってくる。
この「新たに発見された砲台陣地跡」で「ここで日帝が虐殺をして埋めたとの話がある」と話が斜め上に飛ぶ。
以下に、記事の中から「虐殺」に関わる部分を抜粋引用するが、その総てが「証言」だけであり物的証拠の提示はない。
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<抜粋引用開始>
①:日本軍が最小数十人から最大200人の住民を軍事施設に埋葬したという証言がある
②:チュ・キョンオプ釜山民文化研究院代表は「トンネル造成当時、200人程度の住民が強制労働に引きずられて行き、その後、日本軍によって集団銃殺されたという情報提供を受けたことがある」「洞窟から逃げたという方とその家族に直接会ったこともあるが、洞窟の入口が塞がって内部調査を行うことができなかった」
③:住民アン・ウォンチャン(83・影島区東三洞)氏は「重い砲弾を運ぶなど強制労働したり、日本軍に拷問を受けて死ねばトンネルに死体を捨てた」としながら「死体から出る臭いはもちろん、その成分が空気中で発火する『火の玉』を直接、目で目撃した」と話した。
<引用終わり>
知っての通り「「従軍」慰安婦」に関しては証言だけで大騒ぎになり、後年、その証言の矛盾が指摘されている。「証言だけ」で物事を決め付ける事の危険性は十分に衆知されていると思うが、今回の記事も①と②は伝聞である。
「御本人の証言」は上記のうち③だけだが、この人の年齢は83歳である。
終戦(昭和20年・1945年)の時点で7~8歳の小学生であり、この砲台建設時の昭和12~14年(1937~1937年)時点の年齢は1~3歳程度である。
この83歳の老人が言う「重い砲弾を運ぶ」「トンネルに死体を捨てた」などは、トンネル造成当時年齢からみて自身が経験したものではなく後年になってからの伝聞または作り話だと推定できる。
だいたいが昭和12~14年当時の朝鮮半島で、朝鮮籍日本人である自国民を虐殺するとの設定自体が荒唐無稽である。
戦後、創作されたウリナリファンタジーでは、併合期を「日帝強制占領期」などと称して暗黒時代であったかの様な印象操作をしており「虐殺が起こって当然」との話にしているのだが、そんな事はないのである。
朝鮮半島で自国民を組織的に虐殺したのは李承晩
今回題材記事が言う「釜山の砲台陣地跡」で「虐殺をして埋めた」が仮に正しいとしたら、その時期は、同砲台が出来た昭和12~14年(1937~1939年)以降の話となる。
それ以降の時期で朝鮮半島での「自国民を組織的に虐殺した事件」としては、アメリカの傀儡・李承晩時代の「済州島4.3事件」と「保導連盟事件」が直ぐに思い付くが、今回の話は「釜山の砲台跡・埋められた」なので「済州島4.3事件」は関係がないと考えられる。
一方、保導連盟事件の地域は朝鮮半島南半部の広範囲にわたっている。
「保導連盟事件」に関しては様々な資料・書籍があるが、その政治的立場でニュアンスが異なるので、事実と認定されていることを以下に5W1H別に紹介しておく。
↓
○What:「保導連盟事件」とは何か:朝鮮戦争勃発時の韓国での大量「処刑」事件。
○Who1:殺された人:先の大戦後、韓国内で共産主義者・北朝鮮シンパと看做された人物達。脱共産主義「教育」をして導く対象とされた人々。
○Who1のHow-many:殺された人数:資料により大きく数値が異なる。「4934人」「10万人以上」「20万人から120万人」「60万人から120万人」、「114万人」などの数値がある。要するに「大量処刑はあった」「信憑性ある数値は未確定」「「オーバーと思える数値」もある」という状態。
○Who2&How:誰が殺したのか:「収容されていた刑務所で処刑された」とされているので、刑務官等の公的立場の役人が直接的には処刑を実行したとされる。また、刑務所だけではないとの話があるが詳細不明である。これは上記した人数と関係し何処までが「処刑」なのか何処までが「保導連盟事件」なのか判然としない。
○Why1:何故、処刑されたのか:当時の大統領・李承晩が処刑命令を発したから。
○When:何時のことか:李承晩が処刑命令を発したのは1950年6月27日。これは金日成による南侵で始まった朝戦争勃発日1950年6月25日の2日後という日時であり、李承晩が、北朝鮮軍が迫るソウルから脱出した日である。
○Where:何処で殺されたのか:上記した「Who2&How」の通り「判然としない」のだが、以下の様な「処刑が行われた地域」との記載がWikiなどには記されている。
<地域・地名に注目して抜粋引用>
・慶尚南道:釜山・馬山・済州の刑務所など。晋州刑務所に収監されていた民間人を馬山の廃坑に連行して虐殺した。
・済州島:済州では同時期に済州島四・三事件による虐殺もなされている。
・忠清北道:清州市、清原郡
・全羅南道:全羅南道咸平郡の村では韓国陸軍第11師団によって無実の村民たちが虐殺されたことが明らかにされている。村民たちは韓国軍によって一同に集められると機関銃で一斉射撃を浴びせられ、銃撃が終わると、韓国軍将校は「生存者は助けるので立ち上がるように」と呼びかけ、これに応じて立ち上がった人々にはさらなる銃撃が加えられた。
・慶尚北道:慶尚北道永川市、洛東江近辺の村々。
<引用終わり>
○Why2:何故、李承晩は処刑命令を発したのか?:諸説あり。政治的立場でニュアンスが異なる。
この様に、1950年6月27日の李承晩のソウル脱出時の処刑命令により「保導連盟事件」が起こり、朝鮮半島南半部各地で「処刑」行われ、そこには釜山が含まれているのである。
以上のことから、題材記事の「釜山で民間人を集団虐殺し死体を埋めたトンネル発見」とは、「保導連盟事件」のことであると考えられる。少なくとも「大量虐殺」の記録があることから、可能性としては昭和20年以前の「日帝による蛮行」よりは可能性が高いと考えるのが自然である。
慰安婦「証言」と虐殺「証言」の相似形
題材記事に出てくる83歳の「証言者」は、上記した様に、この砲台建設時の昭和12~14年(1937~1937年)時点の年齢は1~3歳程度であり、終戦(昭和20年・1945年)の時点で7~8歳の小学生であり、「重い砲弾を運ぶ」「トンネルに死体を捨てた」などは自身が体験したものではないと考えられる。
要塞陣地の砲台に設置されている大砲は、口径15.5cm以上の重砲であり、その砲弾重量は30kg~50kgもあり、小学生が運べるものではない。
仮に、この83歳の「証言者」が言っている「トンネルに死体を捨てた」が本当のことであるとするならば、それは、この証言者が体力的に大人に近付いている年齢に達していた頃の話でなければ辻褄が合わない。
それが1950年の「保導連盟事件」であれば、この証言者が12~13歳程度の頃の話となり、中学生になっていたと推定される。中学1年生でも幼すぎるが、少なくとも昭和20年以前にはあり得ない話なのである。
この様な事を考えていると想起されるのが、自称「「従軍」慰安婦」の「ジープ」「ヘリコプター」証言である。
先の大戦当時、我が国はヘリコプターを装備していない。ジープは当時の敵国アメリカが多量に使用していたものである。一方、朝鮮戦争当時、米軍はヘリコプターを投入しており、「米軍いる所にジープあり」であることから、同証言は朝鮮戦争当時の慰安婦としての証言だと推定されるものである。
この様に、虐殺「証言」と慰安婦「証言」は相似形を成していると考えているものである。
なんでもかんでも「日本が悪い」
慰安婦「証言」と虐殺「証言」の相似形であることからも、題材記事の「釜山で民間人を集団虐殺し死体を埋めたトンネル発見」とは、「保導連盟事件」のことであるとの考えは、更に高まったと思う。
ご存じの通り、韓国では「なんでもかんでも「日本が悪い」」という話が社会通念になってしまっており「日本が悪い」という「新たな証拠」が出てくると、その内容の是非や真贋の確認などは脇に置かれ、「日本が悪い」の大合唱とともに無条件に民衆の支持を得ることになる。
そういう社会構造を韓国人記者が認識していないはずがない。
今回の題材記事の最終部分の2つの段落は「見つかった遺跡を調査せよ」との主張になっている。
↓
<引用開始>
○専門家たちはこのトンネルだけでなく太宗台のあちこちに歴史的価値がある遺跡があると確信している。関連機関が立ち上がって現状変更許可など全方向的調査に着手しなければならない、という声が強い。
○釜山経済大人文社会科学研究所キム・ユンミHK研究教授は「日帝強制占領期間、太宗台には多くの兵士が配置されたので砲陣地だけでなく、弾薬庫、テントなどの施設跡が残っているだろう」と話した。キム・ハングン所長は「地域の『辛い歴史』が隠れている遺跡が発見されただけに、今からでもトンネル内外を綿密に調査しなければならない」と明らかにした。
<引用終わり>
これはどういう事かと言うと「「日本の蛮行」をデッチ上げて、世論の後押しを受けて調査許可を得る」ことを目的にしているのではないか、と言うものである。
発掘が許可され、発掘の結果、何も出てこなくても、彼等は知らんぷりをするだけで実害がない。
もし何かが出てきたら大騒ぎである。
それが「保導連盟事件」に関係したものであった場合にも、この記者の大手柄になる。
そういう山師的推測記事なのではないかというのが、この記事を読んだ素直な感想である。
今回は以上である。
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【文末脚注】
(*1):まとめブログ「厳選!韓国情報」で紹介されていた記事。
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厳選!韓国情報 2021年02月08日 23:54
スレタイ:◆【韓国】 日帝が釜山で民間人を集団虐殺し死体を埋めたトンネル発見?~住民「この目で火の玉見た」
http://gensen2ch.com/archives/84016643.html
記事:○釜山影島(プサンヨンド)区太宗台(テジョンデ)で日帝強制占領期の海岸砲陣地施設と推定される大型トンネルが姿を表わした。このトンネルを含み太宗台に散在する未発見の砲陣地施設で民間人が集団虐殺された後、埋められたという証言が続いており、遺跡調査と発掘を急げという声が出ている。
<写真キャプションと写真のURL>
▽これまで噂は多かったが発見されなかった釜山影島区太宗台大型トンネル。
https://livedoor.blogimg.jp/gensen_2ch/imgs/8/1/8102f916.jpg
○4日午後、釜山影島区太宗台内太宗寺付近。小さな小川を渡るとすぐに茂みに覆われた正体不明の大型トンネルが見える。横3メートル、縦4メートルほどのトンネルの入口はコンクリートで塞がれている。
○太宗台遊園地事業所側は「どんな用途で穴が作られたのか、いつ入口が塞がれたのか正確に確認できない。ただし、日帝強制占領期間に作られたと推定される」と話した。
○釜山市や太宗台軍事区域を管轄する陸軍53師団などもこのトンネルに関する正確な情報を知らない状況だ。現在の太宗台は国家指定文化財に登録されており、トンネルに入るには文化財庁の現状変更許可が必要になる。
○専門家たちは取材陣が発見したこのトンネルについて「これまで知られていなかった日帝強制占領期間海岸砲陣地施設」と口をそろえた。日本防衛省の「釜山駐留日本軍資料集」によれば1940年代、太平洋戦争当時、太宗台に中砲兵隊、照明部隊などが配置されたことが確認できる。
○キム・ハングン釜山近代資料研究所所長は「太宗台だけでなく青鶴洞(チョンハクトン)、龍湖洞(ヨンホドン)、戡蛮洞(カンマンドン)などの地にも中砲兵隊が配置されたが、釜山港に入ってくる連合軍を防ぐことが目的だったと思われる」と明らかにした。
○衝撃的な事実は当時、日本軍が最小数十人から最大200人の住民を軍事施設に埋葬したという証言があることだ。チュ・キョンオプ釜山民文化研究院代表は「トンネル造成当時、200人程度の住民が強制労働に引きずられて行き、その後、日本軍によって集団銃殺されたという情報提供を受けたことがある」としながら「洞窟から逃げたという方とその家族に直接会ったこともあるが、洞窟の入口が塞がって内部調査を行うことができなかった」と明らかにした。
○住民アン・ウォンチャン(83・影島区東三洞)氏は「重い砲弾を運ぶなど強制労働したり、日本軍に拷問を受けて死ねばトンネルに死体を捨てた」としながら「死体から出る臭いはもちろん、その成分が空気中で発火する『火の玉』を直接、目で目撃した」と話した。
○ほぼ同じ頃、中国でも日本軍がトンネルを掘った住民たちを集団銃殺した事例が明らかになった。実際、去る1999年、中国黒龍江省で地下要塞から朝鮮族と漢族の遺骨3000~4000具が発見された。
○専門家たちはこのトンネルだけでなく太宗台のあちこちに歴史的価値がある遺跡があると確信している。関連機関が立ち上がって現状変更許可など全方向的調査に着手しなければならない、という声が強い。
○釜山経済大人文社会科学研究所キム・ユンミHK研究教授は「日帝強制占領期間、太宗台には多くの兵士が配置されたので砲陣地だけでなく、弾薬庫、テントなどの施設跡が残っているだろう」と話した。キム・ハングン所長は「地域の『辛い歴史』が隠れている遺跡が発見されただけに、今からでもトンネル内外を綿密に調査しなければならない」と明らかにした。
元記事URL(朝鮮語記事の為にリンク省略)
http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=2021020719220200443
<引用終わり>
【ご参考】
2019/04/16投稿:
「上海臨時政府」樹立100周年考(前編)
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1156.html
2019/04/17投稿:
「上海臨時政府」樹立100周年考(後編)
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1157.html
2016/06/08投稿:
続々・歴史年表・戦後史部分の概観
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-430.html
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