続・宇都宮健児の不見識・日本学術会議
- 2020/10/15
- 20:30
続・宇都宮健児の不見識・日本学術会議
<宇都宮健児は宮沢俊義と同じ不見識・日本学術会議Part2>
副題:宇都宮健児の言う「黙って任命してればいい」との暴論は、統帥権独立との暴論で政府統制を無力化した我が国の歴史上の痛恨事から学ばぬ不見識である。
今回の論考は、先週10月7日に投稿した論考「宇都宮健児は宮沢俊義と同じ不見識・日本学術会議」の続編である。先週の論考の視点は主権概念・主権の在り方に置いたものであり、その後は「在日外国人参政権と税金納付」及び「大阪の住民投票・参政権」を題材にして主権について論を進めてきたが、日本学術会議の話に戻す。
今回は、宇都宮健児の日本学術会議法の条文解釈を、別の視座で論じるものである。
別の視座とは、「政府による統制が効かない組織の危険性」である。
報道によれば、宇都宮は「日本学術会議法17条2項は日本学術会議の会員は同会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命すると定めているが、同会議の独立性を考えれば内閣総理大臣には任命権はあるが任命拒否権はないと解釈すべきである」と発言している。
これは、政府組織学術会議への統制権限が政府責任者・総理大臣にはなく、その組織の独断で決めてよいという主旨の発言であり、実に危険な発想である。
これを分かり易く言えば「シビリアンコントロール」の考え方である。
政府組織である軍隊への統制は、民主主義で選ばれた政府が行うとの原則がシビリアンコントロールだ。
「シビリアンコントロール」は「文民統制」と訳されるが、その概念をざっくりとまとめると、先ず、「統制する」のは民主主義選挙で選ばれた政府であり、「統制される」には、国家主権行使組織のうち軍事力を担当する軍隊である。
「軍隊は強力なる物理力を有しており、それを政府が統制する」という考え方である。
シビリアンコントロールが取り分け注目されるのは、その統制先が軍隊であるからだ。
しかし、政府が統制するのは軍隊だけではない。各省庁も政府の統制下で行政を行う機関であり、民主主義選挙で選ばれた政府に統制される組織である。
我が国の場合、シビリアンコントロールの規定はかなり不充分である。
現行憲法に於いては、以下の第66条第2項がシビリアンコントロール規定だと言われている。
↓
<現行憲法第66条抜粋引用>
第66条:内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
同第2項 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
同第3項 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
<引用終わり>
文民「Civilian」とは何かというと「軍人「Military」ではない」という意味である。
軍人「Military」は、主権を行使する軍隊組織に属する人間のことをさし、国際条約他で軍人であることの要件が定義されている存在である。
有事に敵国との交戦権がある軍人「Military」と交戦権がない「軍人「Military」以外の文民「Civilian」」は戦時法上違うのである。警察官もシビリアンである。
現行憲法第66条でわざわざ「文民」と書いてあるのは、理屈の上では「軍人がいることが前提」という事になる。
その一方、第9条第2項では「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」「国の交戦権は、これを認めない」とあり、「軍人「Military」はいない」との建て付けなのである。
この様な相反する条文になっているのは、憲法制定のプロセス(*1)がやっつけ仕事であり、取って付けた様な条文になっているからである。
現行憲法66条及び我が国だけの特異な「シビリアン」定義については以前の論考(*2)で指摘済みなので、ここでは繰り返さないが、現行憲法は細かく見ていくと第66条以外にもたくさんの欠陥があるのである。
そういう欠陥があるからこそ、解釈や運用でバランスを保っているのが実際だ。
尚、シビリアンコントロールを個別作戦の指揮権レベルで軍人以外が戦闘行為を指揮統制するとの勘違いをしている人がいる様だが、そうではない。
例えば、各省庁も実務レベルでの判断はその省庁の官僚達が実行する。大臣のお仕事は基本方針の提示と上程内容の理解・認否判断・承認であるのと同じである。
現行憲法は、戦後1946年の帝国憲法下帝国議会で改憲されたものなのだが、それでは改憲前の帝国憲法の軍隊の統制はどの様に規定されていたのかと言うと、帝国憲法の「なんでもかんでも天皇大権」との建て付けから、帝国憲法第11条「天皇は陸海軍を統帥する。」となっており、帝国憲法の欠陥に行きつく。
帝国憲法の欠陥とは何かというと、帝国憲法は簡文法であり、建て付けが「なんでもKんでも天皇大権」であることから、「天皇大権である統治権の行使権を誰に委ねるのか」の規定が統帥権に関しては直接的に書かれていない点にある。
司法・立法・行政の三権は以下の通り、比較的明確に書かれている。
↓
<帝国憲法(*3)での三権を「誰に委ねるか」の条文>
○司法権
・第57条:司法権は天皇の名において法律により裁判所が行使する。
同第2項 裁判所の構成は法律により定める。
○立法権
・第5条:天皇は帝国議会の協賛により立法権を行使する。
○行政権
・第55条:各国務大臣は天皇に助言を施し、その責任を負う。
同第2項 全ての法律・勅令・その他国務に関する詔勅は、国務大臣の副署が必要である。
<引用終わり>
行政権に関しては、ちょっと分かり難いかもしてないが、第2項の「全ての法律・勅令・その他国務に関する詔勅は、国務大臣の副署が必要である。」との規定からは、「天皇の統治権は国務大臣の輔弼とあいまって行使されることが憲法上の要件」と考えるのが妥当であることから、行政権は内閣に委譲される規定だというものだ。
この様に、帝国憲法の建て付けは天皇大権に集約するものであり、それを「誰に委ねるか」の条文がある構成になっているものである。
しかしながら、軍の統帥権に関しては、委ねる先の明示条文は以下の通り、なかったのである。これが帝国憲法の欠陥である。
↓
<天皇大権関係条文>
・第1条:大日本帝国は万世一系の天皇により統治される。
・第4条:天皇は国家元首であり統治権を統合掌握し憲法の規定により統治を行う。
・第11条:天皇は陸海軍を統帥する。
<引用終わり>
帝国憲法制定後、暫くの間は明治の元勲が生存しており統帥権は行政権の一部として総理大臣が行使権の委譲先であるとの慣習が守られてきたのだが、時代が進むと統帥権の委譲先が書いていない事を利用した勢力・軍部により「統帥権独立」とのゴリ押しがなされ、統帥権があたかも三権とは分離した独立した権力であるかの様な倒錯が発生してしまい聖域化されたのである。
「統帥権独立」に関連しては、昭和5年(1930年)のロンドン軍縮条約での統帥権干犯事件(*4)と天皇機関説論難事件(*5)が前段にあった。双方とも内容的には論的正当性を欠いた言い掛りでしかなかったのだが、それが趨勢となってしまい、政府が軍部独走を阻止できない土壌がつくられてしまったのである。
「統帥権独立」との看板を手に入れ、内閣の統制を受けなくなった組織が危険であることは、むしろ左巻き側が散々述べてきた理屈である。
「歴史に学ぶ」のならば「政府の統制を受けない政府組織は危険」だという事が分かるはずだ。
日本学術会議の会員に関して宇都宮は「日本学術会議法17条2項は日本学術会議の会員は同会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命すると定めているが、同会議の独立性を考えれば内閣総理大臣には任命権はあるが任命拒否権はないと解釈すべきである」と発言しているのだから「日本学術会議法」が存在している事は承知しているはずだ。
日本学術会議法(*6)の第1条第2項には「日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。」とある様に、日本学術会議は政府組織である。
政府組織でない組織が法律で内閣総理大臣の所轄にだとは書かれないのである。
同様、日本学術会議法の第7条第2項には「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。」とあり、政府の責任のもとに任命が行われる旨が書かれている。
宇都宮がいう「任命権はあるが任命拒否権はないと解釈すべき」に関しては、先週10月7日に投稿した論考でその様な「解釈」は成り立たない事を指摘済みなので割愛する。
今回注目すべき点は、宇都宮が言っている事が①「「政府の統制を受けない政府組織」の存在を認めろ」、②「日本学術会議の独立性は政府の統制外にある」という意味である点だ。
政府の統制を受けない政府組織は危険なことを承知していないとは考えられない。
ならば宇都宮は、分かっていて日本学術会議に戦前の軍部の様な独立権力を保持させ続けたいという意図をもって発言してものと考えられる。
左巻きお得意のダブスタなのか、或いは、共産主義テーゼでの善悪判断をして、学術会議の場合は、OKとでも言いたいのか、何れにしろ我々一般の国民とは異なる感覚での発言だと言う事だ。
こまったものである。
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【文末脚注】
(*1):憲法制定のプロセス
↓
2017/05/20投稿:
(資料編)憲法前文の登場・9条の登場と変遷
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-674.html
(*2):現行憲法66条及び我が国だけの特異な「シビリアン」定義については以前の論考で指摘済み
↓
2015/09/22投稿:
【コラム】現行憲法の矛盾・混乱2
第9条と第66条の論理的不整合について
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-218.html
2015/06/26投稿:
17-1 第5章・内閣 その1-
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-138.html
(*3):帝国憲法
↓
2016/04/26投稿:
(資料編)大日本帝国憲法・現代語訳
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-395.html
(*4):論的正当性を欠いた言い掛りでしかなかった昭和5年(1930年)のロンドン軍縮条約での統帥権干犯論難
↓
2017/02/26投稿:
2.26事件考6Final(考察編3):統帥権干犯問題
副題:何故、青年将校達は決起したのか? それを蹶起趣意書を読み解き考察する。青年将校が考えていた天皇大権の僭窃・ロンドン軍縮条約=統帥権干犯は正しいのか?
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-614.html
(*5):論的正当性を欠いた言い掛りでしかなかった天皇機関説論難
↓
2015/03/07投稿:
8.帝国憲法と現行憲法の条文比較 その5 8-1 行政に関する条文比較 その1
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-45.html
<抜粋引用開始>
「天皇機関説」の言っていることは真っ当なのだが「機関」なる単語に単純反応した右翼暴漢が美濃部達吉氏を襲うなど言説内容とは無関係に粗暴事件が起きている。
内容を理解しない「看板だけを見る」跳ねっ返りはいつの世も勇ましく、そして間違っている。
<引用終わり>
(*6):日本学術会議法
↓
日本学術会議法 昭和二十三年法律第百二十一号
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=323AC0000000121
(前略)
<第一章 設立及び目的>
第1条:この法律により日本学術会議を設立し、この法律を日本学術会議法と称する。
同第2項 日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。
同第3項 日本学術会議に関する経費は、国庫の負担とする。
(中略)
<第3章 組織>
第7条:日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、これを組織する。
同第2項 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
同第3項 会員の任期は、六年とし、三年ごとに、その半数を任命する。
同第4項 補欠の会員の任期は、前任者の残任期間とする。
同第5項 会員は、再任されることができない。ただし、補欠の会員は、一回に限り再任されることができる。
同第6項 会員は、年齢七十年に達した時に退職する。
同第7項 会員には、別に定める手当を支給する。
同第8項 会員は、国会議員を兼ねることを妨げない。
(中略)
<第4章 会員の推薦>
第17条:日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。
<以下略>
【ご参考】
<先週10月7日の投稿>
2020/10/07投稿:
宇都宮健児は宮沢俊義と同じ不見識・日本学術会議
副題:立憲君主制の原理を踏まえない暴論を吐く宇都宮健児。日本学術会議法の条文解釈は内閣法制局見解と真逆
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<宇都宮健児は宮沢俊義と同じ不見識・日本学術会議Part2>


副題:宇都宮健児の言う「黙って任命してればいい」との暴論は、統帥権独立との暴論で政府統制を無力化した我が国の歴史上の痛恨事から学ばぬ不見識である。
今回の論考は、先週10月7日に投稿した論考「宇都宮健児は宮沢俊義と同じ不見識・日本学術会議」の続編である。先週の論考の視点は主権概念・主権の在り方に置いたものであり、その後は「在日外国人参政権と税金納付」及び「大阪の住民投票・参政権」を題材にして主権について論を進めてきたが、日本学術会議の話に戻す。
今回は、宇都宮健児の日本学術会議法の条文解釈を、別の視座で論じるものである。
別の視座とは、「政府による統制が効かない組織の危険性」である。
報道によれば、宇都宮は「日本学術会議法17条2項は日本学術会議の会員は同会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命すると定めているが、同会議の独立性を考えれば内閣総理大臣には任命権はあるが任命拒否権はないと解釈すべきである」と発言している。
これは、政府組織学術会議への統制権限が政府責任者・総理大臣にはなく、その組織の独断で決めてよいという主旨の発言であり、実に危険な発想である。
これを分かり易く言えば「シビリアンコントロール」の考え方である。
政府組織である軍隊への統制は、民主主義で選ばれた政府が行うとの原則がシビリアンコントロールだ。
シビリアンコントロールとは
「シビリアンコントロール」は「文民統制」と訳されるが、その概念をざっくりとまとめると、先ず、「統制する」のは民主主義選挙で選ばれた政府であり、「統制される」には、国家主権行使組織のうち軍事力を担当する軍隊である。
「軍隊は強力なる物理力を有しており、それを政府が統制する」という考え方である。
シビリアンコントロールが取り分け注目されるのは、その統制先が軍隊であるからだ。
しかし、政府が統制するのは軍隊だけではない。各省庁も政府の統制下で行政を行う機関であり、民主主義選挙で選ばれた政府に統制される組織である。
シビリアンコントロールに関する規定・現行憲法
我が国の場合、シビリアンコントロールの規定はかなり不充分である。
現行憲法に於いては、以下の第66条第2項がシビリアンコントロール規定だと言われている。
↓
<現行憲法第66条抜粋引用>
第66条:内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
同第2項 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
同第3項 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
<引用終わり>
文民「Civilian」とは何かというと「軍人「Military」ではない」という意味である。
軍人「Military」は、主権を行使する軍隊組織に属する人間のことをさし、国際条約他で軍人であることの要件が定義されている存在である。
有事に敵国との交戦権がある軍人「Military」と交戦権がない「軍人「Military」以外の文民「Civilian」」は戦時法上違うのである。警察官もシビリアンである。
現行憲法第66条でわざわざ「文民」と書いてあるのは、理屈の上では「軍人がいることが前提」という事になる。
その一方、第9条第2項では「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」「国の交戦権は、これを認めない」とあり、「軍人「Military」はいない」との建て付けなのである。
この様な相反する条文になっているのは、憲法制定のプロセス(*1)がやっつけ仕事であり、取って付けた様な条文になっているからである。
現行憲法66条及び我が国だけの特異な「シビリアン」定義については以前の論考(*2)で指摘済みなので、ここでは繰り返さないが、現行憲法は細かく見ていくと第66条以外にもたくさんの欠陥があるのである。
そういう欠陥があるからこそ、解釈や運用でバランスを保っているのが実際だ。
尚、シビリアンコントロールを個別作戦の指揮権レベルで軍人以外が戦闘行為を指揮統制するとの勘違いをしている人がいる様だが、そうではない。
例えば、各省庁も実務レベルでの判断はその省庁の官僚達が実行する。大臣のお仕事は基本方針の提示と上程内容の理解・認否判断・承認であるのと同じである。
シビリアンコントロールに関する規定・帝国憲法
現行憲法は、戦後1946年の帝国憲法下帝国議会で改憲されたものなのだが、それでは改憲前の帝国憲法の軍隊の統制はどの様に規定されていたのかと言うと、帝国憲法の「なんでもかんでも天皇大権」との建て付けから、帝国憲法第11条「天皇は陸海軍を統帥する。」となっており、帝国憲法の欠陥に行きつく。
帝国憲法の欠陥とは何かというと、帝国憲法は簡文法であり、建て付けが「なんでもKんでも天皇大権」であることから、「天皇大権である統治権の行使権を誰に委ねるのか」の規定が統帥権に関しては直接的に書かれていない点にある。
司法・立法・行政の三権は以下の通り、比較的明確に書かれている。
↓
<帝国憲法(*3)での三権を「誰に委ねるか」の条文>
○司法権
・第57条:司法権は天皇の名において法律により裁判所が行使する。
同第2項 裁判所の構成は法律により定める。
○立法権
・第5条:天皇は帝国議会の協賛により立法権を行使する。
○行政権
・第55条:各国務大臣は天皇に助言を施し、その責任を負う。
同第2項 全ての法律・勅令・その他国務に関する詔勅は、国務大臣の副署が必要である。
<引用終わり>
行政権に関しては、ちょっと分かり難いかもしてないが、第2項の「全ての法律・勅令・その他国務に関する詔勅は、国務大臣の副署が必要である。」との規定からは、「天皇の統治権は国務大臣の輔弼とあいまって行使されることが憲法上の要件」と考えるのが妥当であることから、行政権は内閣に委譲される規定だというものだ。
この様に、帝国憲法の建て付けは天皇大権に集約するものであり、それを「誰に委ねるか」の条文がある構成になっているものである。
しかしながら、軍の統帥権に関しては、委ねる先の明示条文は以下の通り、なかったのである。これが帝国憲法の欠陥である。
↓
<天皇大権関係条文>
・第1条:大日本帝国は万世一系の天皇により統治される。
・第4条:天皇は国家元首であり統治権を統合掌握し憲法の規定により統治を行う。
・第11条:天皇は陸海軍を統帥する。
<引用終わり>
帝国憲法制定後、暫くの間は明治の元勲が生存しており統帥権は行政権の一部として総理大臣が行使権の委譲先であるとの慣習が守られてきたのだが、時代が進むと統帥権の委譲先が書いていない事を利用した勢力・軍部により「統帥権独立」とのゴリ押しがなされ、統帥権があたかも三権とは分離した独立した権力であるかの様な倒錯が発生してしまい聖域化されたのである。
「統帥権独立」に関連しては、昭和5年(1930年)のロンドン軍縮条約での統帥権干犯事件(*4)と天皇機関説論難事件(*5)が前段にあった。双方とも内容的には論的正当性を欠いた言い掛りでしかなかったのだが、それが趨勢となってしまい、政府が軍部独走を阻止できない土壌がつくられてしまったのである。
政府の統制を受けない政府組織は危険
「統帥権独立」との看板を手に入れ、内閣の統制を受けなくなった組織が危険であることは、むしろ左巻き側が散々述べてきた理屈である。
「歴史に学ぶ」のならば「政府の統制を受けない政府組織は危険」だという事が分かるはずだ。
日本学術会議の会員に関して宇都宮は「日本学術会議法17条2項は日本学術会議の会員は同会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命すると定めているが、同会議の独立性を考えれば内閣総理大臣には任命権はあるが任命拒否権はないと解釈すべきである」と発言しているのだから「日本学術会議法」が存在している事は承知しているはずだ。
日本学術会議法(*6)の第1条第2項には「日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。」とある様に、日本学術会議は政府組織である。
政府組織でない組織が法律で内閣総理大臣の所轄にだとは書かれないのである。
同様、日本学術会議法の第7条第2項には「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。」とあり、政府の責任のもとに任命が行われる旨が書かれている。
宇都宮がいう「任命権はあるが任命拒否権はないと解釈すべき」に関しては、先週10月7日に投稿した論考でその様な「解釈」は成り立たない事を指摘済みなので割愛する。
今回注目すべき点は、宇都宮が言っている事が①「「政府の統制を受けない政府組織」の存在を認めろ」、②「日本学術会議の独立性は政府の統制外にある」という意味である点だ。
政府の統制を受けない政府組織は危険なことを承知していないとは考えられない。
ならば宇都宮は、分かっていて日本学術会議に戦前の軍部の様な独立権力を保持させ続けたいという意図をもって発言してものと考えられる。
左巻きお得意のダブスタなのか、或いは、共産主義テーゼでの善悪判断をして、学術会議の場合は、OKとでも言いたいのか、何れにしろ我々一般の国民とは異なる感覚での発言だと言う事だ。
こまったものである。
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【文末脚注】
(*1):憲法制定のプロセス
↓
2017/05/20投稿:
(資料編)憲法前文の登場・9条の登場と変遷
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-674.html
(*2):現行憲法66条及び我が国だけの特異な「シビリアン」定義については以前の論考で指摘済み
↓
2015/09/22投稿:
【コラム】現行憲法の矛盾・混乱2
第9条と第66条の論理的不整合について
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-218.html
2015/06/26投稿:
17-1 第5章・内閣 その1-
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-138.html
(*3):帝国憲法
↓
2016/04/26投稿:
(資料編)大日本帝国憲法・現代語訳
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-395.html
(*4):論的正当性を欠いた言い掛りでしかなかった昭和5年(1930年)のロンドン軍縮条約での統帥権干犯論難
↓
2017/02/26投稿:
2.26事件考6Final(考察編3):統帥権干犯問題
副題:何故、青年将校達は決起したのか? それを蹶起趣意書を読み解き考察する。青年将校が考えていた天皇大権の僭窃・ロンドン軍縮条約=統帥権干犯は正しいのか?
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-614.html
(*5):論的正当性を欠いた言い掛りでしかなかった天皇機関説論難
↓
2015/03/07投稿:
8.帝国憲法と現行憲法の条文比較 その5 8-1 行政に関する条文比較 その1
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-45.html
<抜粋引用開始>
「天皇機関説」の言っていることは真っ当なのだが「機関」なる単語に単純反応した右翼暴漢が美濃部達吉氏を襲うなど言説内容とは無関係に粗暴事件が起きている。
内容を理解しない「看板だけを見る」跳ねっ返りはいつの世も勇ましく、そして間違っている。
<引用終わり>
(*6):日本学術会議法
↓
日本学術会議法 昭和二十三年法律第百二十一号
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=323AC0000000121
(前略)
<第一章 設立及び目的>
第1条:この法律により日本学術会議を設立し、この法律を日本学術会議法と称する。
同第2項 日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。
同第3項 日本学術会議に関する経費は、国庫の負担とする。
(中略)
<第3章 組織>
第7条:日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、これを組織する。
同第2項 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
同第3項 会員の任期は、六年とし、三年ごとに、その半数を任命する。
同第4項 補欠の会員の任期は、前任者の残任期間とする。
同第5項 会員は、再任されることができない。ただし、補欠の会員は、一回に限り再任されることができる。
同第6項 会員は、年齢七十年に達した時に退職する。
同第7項 会員には、別に定める手当を支給する。
同第8項 会員は、国会議員を兼ねることを妨げない。
(中略)
<第4章 会員の推薦>
第17条:日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。
<以下略>
【ご参考】
<先週10月7日の投稿>
2020/10/07投稿:
宇都宮健児は宮沢俊義と同じ不見識・日本学術会議
副題:立憲君主制の原理を踏まえない暴論を吐く宇都宮健児。日本学術会議法の条文解釈は内閣法制局見解と真逆
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