150年経っても変らぬ朝鮮半島の論法・「われわれはクアッドに招待されていない」
- 2020/09/30
- 22:33
150年経っても変らぬ朝鮮半島の論法・「われわれはクアッドに招待されていない」
副題:虚偽の「歴史」では歴史に学ぶことが出来ない。だから同じ過ちを繰り返す。
今回の題材は、韓国・連合ニュースの記事である(*1)。
同記事によれば、康京和・韓国外交部長官(外務大臣に相当)は「われわれはクアッドに招待されていない」と述べたそうだ。
「クアッド」とは、「4」を意味する言葉であるが、ここで言う「クアッド」とは、日米印豪ダイヤモンドセキュリティーのことである。
ダイヤモンドセキュリティーの意義及び実現化に向けての我が国安倍首相の戦略提示と地盤固めについては、3回に分けて論考した通り(*2)、我が国の安全保障の基盤の充実をしている。その対象が軍拡著しい中国であることも述べた。
それは取りも直さず米韓同盟を自国の安全保障の主軸としている韓国にとっては歓迎すべき体制なのだが韓国は、それを受け入れていない。
韓国にとって望ましいはずの日米印豪ダイヤモンドセキュリティーに対して韓国が忌避しているのは、現在の韓国の政権がゴリゴリ左派の文在寅政権である事が大きく影響していることは間違いがない。しかし、左派文在寅政権でなくても忌避する可能性は高い。
何故ならば、韓国では右派と言われている朴槿恵が大統領だった時も、韓国は中国側へとなびいていたからだ。
具体的には2015年9月の天安門広場で開催された「「抗日戦勝70周年」記念軍事パレード」なる歴史改竄セレモニーに朴槿恵大統領は出席し、習近平やプーチンとともに最上級席に鎮座ましましている。
因みに「抗日戦勝70周年」を掲げている中華人民共和国が建国されたのは1949年であり、2015年時点で建国66年目である。
当時の毛沢東・共産党は「長征」と称する逃亡の果てに奥地へと逃げ、蒋介石・国府軍も重慶などの奥地に逃亡しており、南京等の中原の地にいたの我が国との関係が良かった汪兆銘・国府軍である。
毛沢東・共産党が行った「抗日」とは、散発的ゲリラテロ行為でしかなく、もっぱら治安維持対象の共匪でしかなかったのだが、あたかも戦争に勝利したかの様な物語を創り上げ、それを以て自己の正統性を主張しているのである。(*3)
中国共産党の物語と同様に韓国にも、あたかも独立運動をして日本から独立したとの物語が創作されている。
韓国が言う「独立運動」とは、「3・1運動」のことなのだが、それが起こった時代の時系列を概観すると、随分と無理があるのである。(*4)
朝鮮併合が1910年8月、その8年後に起こったのが「3・1運動」。
「3・1運動」が起こった1919年3月1日から26年と8か月後が終戦である。
「3・1運動」が起こった1919年(大正8年)から、韓国が言う「光復」の1945年迄は、26年と8か月の時間が経っているのだが、その間、「3・1運動」を超える規模や意義ある「民衆の「蜂起」」がなかったのである。
「「独立運動があった」との設定」に合致する史実を探すと、実に25年以上も遡らないと「それらしき「蜂起」」がなかったのである。何故、「独立運動」などなかったのかと言うと、朝鮮併合は、欧米白人植民地主義とは異なるものであり、実際の歴史では「独立を求める植民地朝鮮民衆の蜂起」をする必要性がなかったからである。
それでは都合が悪い。そこで登場するのが「大韓民国臨時政府」との物語である。(*5)
ネット上で言われている「歴史のコリエイト」なのである。
この様な史実とは異なる物語をベースに発想してしまうと、「歴史に学ぶ」ことが出来ず、過去の過ちと同じ過ちを繰り返すことになるので、本当に危険なことなのである。
現在の北東アジア(日本列島と朝鮮半島)は、中国と言う覇権国家の侵透対象となっている。その事は、以前の論考「先の大戦後の現在の世界情勢は第三段階にある」(*6)にて論証している通りであるが、この状態を歴史的に遡れば、今から150~170年前の幕末・明治開化期のたどり付く。
総てが同じではない。
知っての通り、我が国に黒船が来航したのは1953年の事である。
そして、大政奉還・明治維新は1867年である。
この間の10数年の間にあった薩英戦争、下関戦争他で各藩が各々で欧米諸国と対峙していても勝利することは難しいと、我が国は、我が国を1つの国家とする体制での生き残りを選択した。
しかし、明治となっても、欧米諸国が大航海時代の終着点として東アジア・極東に至り、そこを我が物とする侵透は終わらない。
シナ大陸の地は広く大きいので欧米列強の侵透には時間がかかっていたが、同地の征圧が終われば、次は朝鮮半島・日本列島である。その様な事になれば戦禍は避けられず、最悪の場合、植民地化され日本は日本でなくなる。イギリスの植民地とされ滅亡したビルマ王朝の悲劇が我が国にも起こりかねない状態だったのである。
我が国は、そういう事態下で鎖国中も交流があった李氏朝鮮に対して、「天皇が指名した征夷大将軍・徳川家に統治権行使権を委託した幕藩体制から天皇が直接統治権を行使する明治新政府となったが、これまで通り宜しく」との趣旨の書を送ったのだが、その書「皇政維新の書契」に「皇」の字が使ってあるぅ~と、李氏朝鮮は受け取りを拒否したのである。(*7)
朝鮮側の理屈は「「皇」の字を使っていいのは中華皇帝だけ」との華夷秩序に基づくものであるのだが、日本は、既に1300年前に華夷秩序からおさらばしており天皇はずっと「皇」の字を使ってきたのである。
しかし、問題の本質はそこにあるのではない。欧米列強が北東アジアの地に迫っているとの現実世界の危機的情勢よりも、朝鮮側は自分達の「設定」を優先させたことにある。
この姿は、その後も変らず、日本と清に対しては、その場限りの二枚舌を繰り返し、やは日清戦争の原因となるのであるが、今回は、その後の歴史までは範囲ではない。
150~170年前の欧米列強が迫る情勢下、その現実の危機に対処せずに「自分の主観」に拘泥したとの前例が、現状と似ていると考えるのである。
結論から言うと、表面的な理由は2つなのだが、その根本は実は1つである。
表面的理由の1つ目は、日米印豪が主導する安全保障体制にサブとして参加することは日本の後塵を拝することとなり「日本の下」というポジションを容認しないというものだ。
もう1つは、中国に事大する事が習い性になっており、中国と対峙することが恐怖だからであろうと推察される。
この2つの根本的原因は、朝鮮の地の原則・世界観である小中華思想(*8)にある。
小中華思想とは「自分達も中華の一員」だとするものだ。
中華思想での「中心地中華」と「周辺の異民族夷狄・蛮族」との大区分のうち、朝鮮は、自分達を夷狄・蛮族の立ち位置から脱し「中華の一員」としたいが為に、本来の中華である支那の地を「大中華」とし、自分達を「小中華」だと規定したものだ。
「自分達は中華の一員である!周辺異民族は華夷秩序に基づき平伏せ!」という設定である。なんとも都合が良い設定である。
朝鮮半島は、魏書・東夷伝では「東夷」の一部であったのだが、そういう設定なのである。
この「小中華思想」が明確化されたのは15世紀頃だと言われており、大中華が漢民族・明、小中華が李氏朝鮮という構図である。
その明が滅亡して、東夷・北狄の部類である満州族・清が中華の地の王朝となるのだから、朝鮮は大慌てであった。小中華思想の朝鮮は、大中華に事大して保身を図り、中華の一員を自称しているのだから、儒教の考え方を踏襲している。
儒教的発想からは、明に敵対する夷狄の清に服属するのは名分から外れるのだが、清に御仕置をされてしまい、あっさりと従うことになった。
「迎恩門」「三跪九叩頭」をgoogle検索すれば良いので、詳しい経緯は割愛するが、結局、朝鮮は清に服属し、小中華思想のままに明治維新・日本と対応することになったのである。
清の朝鮮への御仕置があったのは17世紀前期である。
明治維新・日清戦争の19世紀後半までの約200年から300年弱の間、朝鮮は清の属国としての歴史を刻んだのであった。
小中華思想の朝鮮の世界観の主眼は「序列」である。
事大しないと生きていけない実力なき朝鮮が、自己を保身する為には、自身を中華の一員とすることは最重要達成課題であり、「夷狄・蛮族と同じ」では生きていけなかったのである。そういう世界観は骨の髄まで浸み込んでおり、朝鮮の地では小中華思想が命脈を保っているのである。その様な「骨の髄に浸み込んだ」感覚というものは、「浸み込んでいる当人」は認識し難いものである。
従い、日米印豪が主導する安全保障体制にサブとして参加することは日本の後塵を拝し、「日本の下」というポジションは容認できないし、ダイヤモンドセキュリティーのサブとして参加し、中国と対峙することに恐怖を感じるのである。
最初に紹介した様に康京和・韓国外交部長官は「われわれはクアッドに招待されていない」と述べたそうだが、それは「「招待」するなら、入ってあげてもいいのよ」の裏返し表現である。
要するに、自分の意志ではなく、要請に答えたという形式をとることで、「日本の下」に入るのではなく「クアッドのサブに入ってあげた」との名分が立ち、同様、大中華・中国に対しては、「要請があり断れなかった」との言い訳のネタが出来、彼等の設定である「小中華」のポジションを維持できるからである。
勿論、現実世界でのパワーポリティクスでの話ではなく、これは彼等の「設定」でしかない。
「われわれはクアッドに招待されていない」との言い草は、現実の危機に対処せずに「自分の主観」に拘泥しているものなのである。
日清日露の両大戦の原因は朝鮮半島である。そして朝鮮半島は戦場となった。
日清戦争の黄海海戦及び日露戦争の203高地や日本海海戦の影に隠れているが、朝鮮半島は戦場になっているのである。近代になってからこれで2度。
そして、独立し自立する実力が不十分であってにも関わらず、そういう現実よりも李承晩の主観・設定が優先され南北分断状態が現出し、その結果起こった朝鮮戦争で3度目。
そして、現状である。
米中冷戦が武力事態に発展する可能性は高くはないのだが、絶対に起こらないとは言えず、そういうリスクが現実に存在している。そうなのだから、少しでもそのリスクを軽減する為には、中国に「武力行使をしても無駄」だと認識させる事が必要だ。
そうであるにも関わらず、韓国は、現実よりも、身勝手な「設定」を優先させているのである。
それは、ウリナラファンタジーと言われる韓国が戦後創作した虚偽の「歴史」があるからだ。虚偽の「歴史」では歴史に学ぶことが出来ない。だから同じ過ちを繰り返すのである。
「われわれはクアッドに招待されていない」なる発言は、実に迷惑な話なのである。
今回は以上である。
1日1回ポチっとな ↓
FC2 Blog Ranking 
【文末脚注】
(*1):韓国・連合ニュース
聯合ニュース 2020.09.25 15:05
見出し:◆韓国外相 「クアッド」加盟に否定的=「他国の排除良くない」
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20200925002300882
記事:○【ソウル聯合ニュース】韓国の康京和(カン・ギョンファ)外交部長官は25日、米アジア・ソサエティー主催のテレビ会議で、米国がインド・太平洋地域で中国をけん制するため推進する多国間安保協力体「クアッド」への加盟について「他国の利益を排除することは良いアイデアではない」と述べ、否定的な考えを示した。
○クアッドには米国と日本、インド、オーストラリアが参加している。米当局者らはクアッドに韓国などを加える「クアッド・プラス」の構想を示している。
○ただ、康氏は「われわれはクアッドに招待されていない」として、「特定の懸案を巡る対話に関与する意思があるが、それが構造化された同盟であれば、われわれの安保利益に役立つかを真剣に考える」と述べた。
○米中両国と良好な関係を維持することが現実的かどうかに関しては、「(特定の国を)選択するという考え方は役に立たない」とし、「(安保は)韓米同盟がアンカー(いかり)であることを明白にしており、中国はわれわれの最も大きな貿易・経済パートナーのため、企業人と市民に極めて重要だ」と述べた。
<引用終わり>
(*2):ダイヤモンドセキュリティーの意義及び実現化に向けての我が国安倍首相の戦略提示と地盤固めについては、3回に分けて論考した通り、我が国の安全保障の基盤の充実をしている。
↓
<前編>
2020/09/17投稿:
国家安全保障政策に関する安倍首相談話・果敢な戦略家安倍普三(前編)
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1422.html
<中編>
2020/09/22投稿:
国家安全保障政策に関する安倍首相談話・果敢な戦略家安倍普三(中編)
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1423.html
<後編Final>
2020/09/26投稿:
国家安全保障政策に関する安倍首相談話・果敢な戦略家安倍普三(後編)Final
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1424.html
(*3):毛沢東・共産党が行った「抗日」とは、散発的ゲリラテロ行為でしかなく、もっぱら治安維持対象の共匪でしかなかったのだが、あたかも戦争に勝利したかの様な物語を創り上げ、それを以て自己の正統性を主張しているのである。
↓
2017/07/04投稿:
シナ大陸の歴史観・易姓革命
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-708.html
(*4):韓国が言う「独立運動」とは、「3・1運動」のことなのだが、それが起こった時代の時系列を概観すると、随分と無理があるのである。
↓
<「3.1運動」との設定>
2019/02/28投稿:
「3.1運動100周年」考
副題:1919年(大正8年)という20世紀初頭の世界情勢と我が国の歴史事実から見れば、併合朝鮮の暴動を学ぶべき優先順位は随分と低い。そうであるにも関わらず日本の教科書に記載されているのは、それが韓国に軸足を置いたものだからである。
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1122.html
2019/02/28投稿:
(資料編)「3.1運動100周年」考に関する歴史年表
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1123.html
(*5):「大韓民国臨時政府」との物語
↓
2018/04/16投稿:
「上海臨時政府」樹立100周年考(前編)
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1156.html
2019/04/17投稿:
「上海臨時政府」樹立100周年考(後編)
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1157.html
(*6):
現在の北東アジア(日本列島と朝鮮半島)は、中国と言う覇権国家の侵透対象となっている。その事は、以前の論考「先の大戦後の現在の世界情勢は第三段階にある」にて論証している通りである。
↓
2019/05/29投稿:
先の大戦後の現在の世界情勢は第三段階にある
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1190.html
<抜粋引用>
先の大戦後の現在の世界体制を巡る情勢は、そこに至る3つの段階を経て、今や、勃興した鬼っ子・中国共産党支配下中国が「中華新世界秩序」を確立せんとし、「戦後世界秩序」の破棄・変換を試みている第3段階にある。
<引用終わり>
(*7):「皇政維新の書契」に「皇」の字が使ってあるぅ~と、李氏朝鮮は受け取りを拒否したのである。
↓
2017/01/31投稿:
憲法9条が韓国をOECD加盟国にした・地政学的基礎編
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-594.html
<引用開始>
○明治元年(1868年)に我が国は朝鮮に使節を送り、「明治になったけど、今まで通り宜しくね」との「皇政維新の書契」を、従来より李氏朝鮮との折衝の役割を担っていた対馬の宗氏を使節として送ったのだが、李氏朝鮮側は、この受け取りを激しく拒否したのである。交渉を明治政府外務省が担当してからも、それは変わらなかった。
○受け取り拒否の理由が、「天皇」の「皇」の字がいけない、「天朝」など使ってはいけない、礼義にかなっていない文字が使われ、印鑑がいけない、文字の位置も違うという難癖であった。これに対して、「朝鮮通信使時代の朝鮮側の文書にも「天朝・皇朝・朝臣」という文字を使っていた」ことなどを、日本側が示し追及すると、朝鮮外交官は急に「病気」になったりして話し合いが引き延ばされる等、当時も現在も変わりなく相変わらずである。
何が変わっていないかというと、事実や経緯等を調べず、自身の根拠なき小中華思想原則でのみ判断するとの対外交渉ではあり得ない致命的態度が約150年経った今も変わっていないのである
(*8):朝鮮の地の原則・世界観である小中華思想
↓
2018/11/08投稿:
徴用工・韓国「最高裁」判決雑感5Final
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1049.html
2019/10/10投稿:
戦後創作された「歴史」が韓国憲法に書かれている。
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1268.html
1日1回ポチっとな ↓
FC2 Blog Ranking


副題:虚偽の「歴史」では歴史に学ぶことが出来ない。だから同じ過ちを繰り返す。
今回の題材は、韓国・連合ニュースの記事である(*1)。
同記事によれば、康京和・韓国外交部長官(外務大臣に相当)は「われわれはクアッドに招待されていない」と述べたそうだ。
「クアッド」とは、「4」を意味する言葉であるが、ここで言う「クアッド」とは、日米印豪ダイヤモンドセキュリティーのことである。
ダイヤモンドセキュリティーの意義及び実現化に向けての我が国安倍首相の戦略提示と地盤固めについては、3回に分けて論考した通り(*2)、我が国の安全保障の基盤の充実をしている。その対象が軍拡著しい中国であることも述べた。
それは取りも直さず米韓同盟を自国の安全保障の主軸としている韓国にとっては歓迎すべき体制なのだが韓国は、それを受け入れていない。
朴槿恵前大統領も天安門「戦勝パレード」に参加してしまうのが韓国
韓国にとって望ましいはずの日米印豪ダイヤモンドセキュリティーに対して韓国が忌避しているのは、現在の韓国の政権がゴリゴリ左派の文在寅政権である事が大きく影響していることは間違いがない。しかし、左派文在寅政権でなくても忌避する可能性は高い。
何故ならば、韓国では右派と言われている朴槿恵が大統領だった時も、韓国は中国側へとなびいていたからだ。
具体的には2015年9月の天安門広場で開催された「「抗日戦勝70周年」記念軍事パレード」なる歴史改竄セレモニーに朴槿恵大統領は出席し、習近平やプーチンとともに最上級席に鎮座ましましている。
因みに「抗日戦勝70周年」を掲げている中華人民共和国が建国されたのは1949年であり、2015年時点で建国66年目である。
当時の毛沢東・共産党は「長征」と称する逃亡の果てに奥地へと逃げ、蒋介石・国府軍も重慶などの奥地に逃亡しており、南京等の中原の地にいたの我が国との関係が良かった汪兆銘・国府軍である。
毛沢東・共産党が行った「抗日」とは、散発的ゲリラテロ行為でしかなく、もっぱら治安維持対象の共匪でしかなかったのだが、あたかも戦争に勝利したかの様な物語を創り上げ、それを以て自己の正統性を主張しているのである。(*3)
韓国の物語3.1独立運動・上海臨時政府
中国共産党の物語と同様に韓国にも、あたかも独立運動をして日本から独立したとの物語が創作されている。
韓国が言う「独立運動」とは、「3・1運動」のことなのだが、それが起こった時代の時系列を概観すると、随分と無理があるのである。(*4)
朝鮮併合が1910年8月、その8年後に起こったのが「3・1運動」。
「3・1運動」が起こった1919年3月1日から26年と8か月後が終戦である。
「3・1運動」が起こった1919年(大正8年)から、韓国が言う「光復」の1945年迄は、26年と8か月の時間が経っているのだが、その間、「3・1運動」を超える規模や意義ある「民衆の「蜂起」」がなかったのである。
「「独立運動があった」との設定」に合致する史実を探すと、実に25年以上も遡らないと「それらしき「蜂起」」がなかったのである。何故、「独立運動」などなかったのかと言うと、朝鮮併合は、欧米白人植民地主義とは異なるものであり、実際の歴史では「独立を求める植民地朝鮮民衆の蜂起」をする必要性がなかったからである。
それでは都合が悪い。そこで登場するのが「大韓民国臨時政府」との物語である。(*5)
ネット上で言われている「歴史のコリエイト」なのである。
この様な史実とは異なる物語をベースに発想してしまうと、「歴史に学ぶ」ことが出来ず、過去の過ちと同じ過ちを繰り返すことになるので、本当に危険なことなのである。
日本列島と朝鮮半島の現状は19世紀中盤の状況と同じ
現在の北東アジア(日本列島と朝鮮半島)は、中国と言う覇権国家の侵透対象となっている。その事は、以前の論考「先の大戦後の現在の世界情勢は第三段階にある」(*6)にて論証している通りであるが、この状態を歴史的に遡れば、今から150~170年前の幕末・明治開化期のたどり付く。
総てが同じではない。
知っての通り、我が国に黒船が来航したのは1953年の事である。
そして、大政奉還・明治維新は1867年である。
この間の10数年の間にあった薩英戦争、下関戦争他で各藩が各々で欧米諸国と対峙していても勝利することは難しいと、我が国は、我が国を1つの国家とする体制での生き残りを選択した。
しかし、明治となっても、欧米諸国が大航海時代の終着点として東アジア・極東に至り、そこを我が物とする侵透は終わらない。
シナ大陸の地は広く大きいので欧米列強の侵透には時間がかかっていたが、同地の征圧が終われば、次は朝鮮半島・日本列島である。その様な事になれば戦禍は避けられず、最悪の場合、植民地化され日本は日本でなくなる。イギリスの植民地とされ滅亡したビルマ王朝の悲劇が我が国にも起こりかねない状態だったのである。
我が国は、そういう事態下で鎖国中も交流があった李氏朝鮮に対して、「天皇が指名した征夷大将軍・徳川家に統治権行使権を委託した幕藩体制から天皇が直接統治権を行使する明治新政府となったが、これまで通り宜しく」との趣旨の書を送ったのだが、その書「皇政維新の書契」に「皇」の字が使ってあるぅ~と、李氏朝鮮は受け取りを拒否したのである。(*7)
朝鮮側の理屈は「「皇」の字を使っていいのは中華皇帝だけ」との華夷秩序に基づくものであるのだが、日本は、既に1300年前に華夷秩序からおさらばしており天皇はずっと「皇」の字を使ってきたのである。
しかし、問題の本質はそこにあるのではない。欧米列強が北東アジアの地に迫っているとの現実世界の危機的情勢よりも、朝鮮側は自分達の「設定」を優先させたことにある。
この姿は、その後も変らず、日本と清に対しては、その場限りの二枚舌を繰り返し、やは日清戦争の原因となるのであるが、今回は、その後の歴史までは範囲ではない。
150~170年前の欧米列強が迫る情勢下、その現実の危機に対処せずに「自分の主観」に拘泥したとの前例が、現状と似ていると考えるのである。
素直にダイヤモンドセキュリティーに参加しない理由を推察する
結論から言うと、表面的な理由は2つなのだが、その根本は実は1つである。
表面的理由の1つ目は、日米印豪が主導する安全保障体制にサブとして参加することは日本の後塵を拝することとなり「日本の下」というポジションを容認しないというものだ。
もう1つは、中国に事大する事が習い性になっており、中国と対峙することが恐怖だからであろうと推察される。
この2つの根本的原因は、朝鮮の地の原則・世界観である小中華思想(*8)にある。
小中華思想とは「自分達も中華の一員」だとするものだ。
中華思想での「中心地中華」と「周辺の異民族夷狄・蛮族」との大区分のうち、朝鮮は、自分達を夷狄・蛮族の立ち位置から脱し「中華の一員」としたいが為に、本来の中華である支那の地を「大中華」とし、自分達を「小中華」だと規定したものだ。
「自分達は中華の一員である!周辺異民族は華夷秩序に基づき平伏せ!」という設定である。なんとも都合が良い設定である。
朝鮮半島は、魏書・東夷伝では「東夷」の一部であったのだが、そういう設定なのである。
この「小中華思想」が明確化されたのは15世紀頃だと言われており、大中華が漢民族・明、小中華が李氏朝鮮という構図である。
その明が滅亡して、東夷・北狄の部類である満州族・清が中華の地の王朝となるのだから、朝鮮は大慌てであった。小中華思想の朝鮮は、大中華に事大して保身を図り、中華の一員を自称しているのだから、儒教の考え方を踏襲している。
儒教的発想からは、明に敵対する夷狄の清に服属するのは名分から外れるのだが、清に御仕置をされてしまい、あっさりと従うことになった。
「迎恩門」「三跪九叩頭」をgoogle検索すれば良いので、詳しい経緯は割愛するが、結局、朝鮮は清に服属し、小中華思想のままに明治維新・日本と対応することになったのである。
清の朝鮮への御仕置があったのは17世紀前期である。
明治維新・日清戦争の19世紀後半までの約200年から300年弱の間、朝鮮は清の属国としての歴史を刻んだのであった。
小中華思想の朝鮮の世界観の主眼は「序列」である。
事大しないと生きていけない実力なき朝鮮が、自己を保身する為には、自身を中華の一員とすることは最重要達成課題であり、「夷狄・蛮族と同じ」では生きていけなかったのである。そういう世界観は骨の髄まで浸み込んでおり、朝鮮の地では小中華思想が命脈を保っているのである。その様な「骨の髄に浸み込んだ」感覚というものは、「浸み込んでいる当人」は認識し難いものである。
従い、日米印豪が主導する安全保障体制にサブとして参加することは日本の後塵を拝し、「日本の下」というポジションは容認できないし、ダイヤモンドセキュリティーのサブとして参加し、中国と対峙することに恐怖を感じるのである。
「「招待」するなら、入ってあげてもいいのよ」との言い草
最初に紹介した様に康京和・韓国外交部長官は「われわれはクアッドに招待されていない」と述べたそうだが、それは「「招待」するなら、入ってあげてもいいのよ」の裏返し表現である。
要するに、自分の意志ではなく、要請に答えたという形式をとることで、「日本の下」に入るのではなく「クアッドのサブに入ってあげた」との名分が立ち、同様、大中華・中国に対しては、「要請があり断れなかった」との言い訳のネタが出来、彼等の設定である「小中華」のポジションを維持できるからである。
勿論、現実世界でのパワーポリティクスでの話ではなく、これは彼等の「設定」でしかない。
「われわれはクアッドに招待されていない」との言い草は、現実の危機に対処せずに「自分の主観」に拘泥しているものなのである。
歴史に学べば、朝鮮半島は4度目の戦場になるリスクがある
日清日露の両大戦の原因は朝鮮半島である。そして朝鮮半島は戦場となった。
日清戦争の黄海海戦及び日露戦争の203高地や日本海海戦の影に隠れているが、朝鮮半島は戦場になっているのである。近代になってからこれで2度。
そして、独立し自立する実力が不十分であってにも関わらず、そういう現実よりも李承晩の主観・設定が優先され南北分断状態が現出し、その結果起こった朝鮮戦争で3度目。
そして、現状である。
米中冷戦が武力事態に発展する可能性は高くはないのだが、絶対に起こらないとは言えず、そういうリスクが現実に存在している。そうなのだから、少しでもそのリスクを軽減する為には、中国に「武力行使をしても無駄」だと認識させる事が必要だ。
そうであるにも関わらず、韓国は、現実よりも、身勝手な「設定」を優先させているのである。
それは、ウリナラファンタジーと言われる韓国が戦後創作した虚偽の「歴史」があるからだ。虚偽の「歴史」では歴史に学ぶことが出来ない。だから同じ過ちを繰り返すのである。
「われわれはクアッドに招待されていない」なる発言は、実に迷惑な話なのである。
今回は以上である。
1日1回ポチっとな ↓



【文末脚注】
(*1):韓国・連合ニュース
聯合ニュース 2020.09.25 15:05
見出し:◆韓国外相 「クアッド」加盟に否定的=「他国の排除良くない」
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20200925002300882
記事:○【ソウル聯合ニュース】韓国の康京和(カン・ギョンファ)外交部長官は25日、米アジア・ソサエティー主催のテレビ会議で、米国がインド・太平洋地域で中国をけん制するため推進する多国間安保協力体「クアッド」への加盟について「他国の利益を排除することは良いアイデアではない」と述べ、否定的な考えを示した。
○クアッドには米国と日本、インド、オーストラリアが参加している。米当局者らはクアッドに韓国などを加える「クアッド・プラス」の構想を示している。
○ただ、康氏は「われわれはクアッドに招待されていない」として、「特定の懸案を巡る対話に関与する意思があるが、それが構造化された同盟であれば、われわれの安保利益に役立つかを真剣に考える」と述べた。
○米中両国と良好な関係を維持することが現実的かどうかに関しては、「(特定の国を)選択するという考え方は役に立たない」とし、「(安保は)韓米同盟がアンカー(いかり)であることを明白にしており、中国はわれわれの最も大きな貿易・経済パートナーのため、企業人と市民に極めて重要だ」と述べた。
<引用終わり>
(*2):ダイヤモンドセキュリティーの意義及び実現化に向けての我が国安倍首相の戦略提示と地盤固めについては、3回に分けて論考した通り、我が国の安全保障の基盤の充実をしている。
↓
<前編>
2020/09/17投稿:
国家安全保障政策に関する安倍首相談話・果敢な戦略家安倍普三(前編)
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1422.html
<中編>
2020/09/22投稿:
国家安全保障政策に関する安倍首相談話・果敢な戦略家安倍普三(中編)
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1423.html
<後編Final>
2020/09/26投稿:
国家安全保障政策に関する安倍首相談話・果敢な戦略家安倍普三(後編)Final
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1424.html
(*3):毛沢東・共産党が行った「抗日」とは、散発的ゲリラテロ行為でしかなく、もっぱら治安維持対象の共匪でしかなかったのだが、あたかも戦争に勝利したかの様な物語を創り上げ、それを以て自己の正統性を主張しているのである。
↓
2017/07/04投稿:
シナ大陸の歴史観・易姓革命
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-708.html
(*4):韓国が言う「独立運動」とは、「3・1運動」のことなのだが、それが起こった時代の時系列を概観すると、随分と無理があるのである。
↓
<「3.1運動」との設定>
2019/02/28投稿:
「3.1運動100周年」考
副題:1919年(大正8年)という20世紀初頭の世界情勢と我が国の歴史事実から見れば、併合朝鮮の暴動を学ぶべき優先順位は随分と低い。そうであるにも関わらず日本の教科書に記載されているのは、それが韓国に軸足を置いたものだからである。
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1122.html
2019/02/28投稿:
(資料編)「3.1運動100周年」考に関する歴史年表
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1123.html
(*5):「大韓民国臨時政府」との物語
↓
2018/04/16投稿:
「上海臨時政府」樹立100周年考(前編)
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1156.html
2019/04/17投稿:
「上海臨時政府」樹立100周年考(後編)
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1157.html
(*6):
現在の北東アジア(日本列島と朝鮮半島)は、中国と言う覇権国家の侵透対象となっている。その事は、以前の論考「先の大戦後の現在の世界情勢は第三段階にある」にて論証している通りである。
↓
2019/05/29投稿:
先の大戦後の現在の世界情勢は第三段階にある
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1190.html
<抜粋引用>
先の大戦後の現在の世界体制を巡る情勢は、そこに至る3つの段階を経て、今や、勃興した鬼っ子・中国共産党支配下中国が「中華新世界秩序」を確立せんとし、「戦後世界秩序」の破棄・変換を試みている第3段階にある。
<引用終わり>
(*7):「皇政維新の書契」に「皇」の字が使ってあるぅ~と、李氏朝鮮は受け取りを拒否したのである。
↓
2017/01/31投稿:
憲法9条が韓国をOECD加盟国にした・地政学的基礎編
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-594.html
<引用開始>
○明治元年(1868年)に我が国は朝鮮に使節を送り、「明治になったけど、今まで通り宜しくね」との「皇政維新の書契」を、従来より李氏朝鮮との折衝の役割を担っていた対馬の宗氏を使節として送ったのだが、李氏朝鮮側は、この受け取りを激しく拒否したのである。交渉を明治政府外務省が担当してからも、それは変わらなかった。
○受け取り拒否の理由が、「天皇」の「皇」の字がいけない、「天朝」など使ってはいけない、礼義にかなっていない文字が使われ、印鑑がいけない、文字の位置も違うという難癖であった。これに対して、「朝鮮通信使時代の朝鮮側の文書にも「天朝・皇朝・朝臣」という文字を使っていた」ことなどを、日本側が示し追及すると、朝鮮外交官は急に「病気」になったりして話し合いが引き延ばされる等、当時も現在も変わりなく相変わらずである。
何が変わっていないかというと、事実や経緯等を調べず、自身の根拠なき小中華思想原則でのみ判断するとの対外交渉ではあり得ない致命的態度が約150年経った今も変わっていないのである
(*8):朝鮮の地の原則・世界観である小中華思想
↓
2018/11/08投稿:
徴用工・韓国「最高裁」判決雑感5Final
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1049.html
2019/10/10投稿:
戦後創作された「歴史」が韓国憲法に書かれている。
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1268.html
1日1回ポチっとな ↓



スポンサーサイト