あいちトリアンナーレ「表現の不自由展・その後」考(後編)Final
- 2019/10/28
- 22:04
あいちトリアンナーレ「表現の不自由展・その後」考(後編)Final
<あいちトリアンターレ騒動は改憲議論泥沼化の為の布石かもしれない>

副題:多くの国民が不快に感じる自称「アート作品」なるガラクタを展示して、憲法21条を持ち出して盛んに騒ぐ行為の目的は、自民党改憲草案をつぶすの為の布石なんじゃないか?そんな疑問が湧いたので、その疑問が湧いた理由を記録しておく。
続きである。
上記副題の「多くの国民が不快に感じる自称「アート作品」なるガラクタを展示」との一文に至った経緯は前編及び中編にて論述した通りである。
今回の後編Finalは、それに続く「憲法21条を持ち出して盛んに騒ぐ行為の目的は、自民党改憲草案をつぶすの為の布石なんじゃないか?」との疑問に至った過程について述べる。
あいちトリエンナーレとの芸術祭での展示のうちの「表現の不自由展・その後」の展示物のうち、日本と日本人を侮蔑することを目的にした自称「アート作品」については、それが知られる様になってから、多くの方々からの批判及び不快感の表明が相次いだ。
そういう展示物を展示する事を画策し実行したのは、津田「芸術」監督及びその一派である。津田の歪んだ発想については前回「中編」及び以前の論考「芸術性よりも政治性を優先した津田「芸術」監督」で指摘した通りである。
一方、あいちトリエンターレ全体の実行委員会の会長の座にあるのは、愛知県知事の大村である。
実行委員会の会長である大村には芸術祭全体に対するガバナンス上の責任がある。
県知事などの大組織のトップという立場にあると、実務上の細かい点に目が行き難い事は良く知っているが、自身が負う責任をまっとうする為には、自身が「責任の連鎖構造」のトップにあることを踏まえ、断線することがない様な「責任の連鎖構造」を作らせ、それを維持・機能させる事が必要だ。
この様な自身のガバナンス上の責任を果たすことを目的にした構造を整備・運営することが大組織・多人数組織をハンドルする際の常識だ。
大村に限らず、知事や市長自身には、その様な構造の立案・制度設計及び維持・運用の能力がなくても構わないのである。そういう構造が必要だとの自覚と、そういう構造を考え実践する優秀なスタッフがいれば良いのである。
愛知県の県職員は、愛知県知事の指揮命令系統下にあるのだから、その様な指示を大村がすればよいだけである。
愛知県と言えば、中京地域の中核であり、東の東京・首都圏、西の大阪・近畿圏の間に位置する我が国でも屈指の大人口地域である。そういう地方自治体の職員達が無能だとは想定し難いのだが、騒動になった後の段階で大村は「知らなかった」かの様な発言をしている。
本当に知らなかったのなら、それは大村が「あいちトリエンナーレ実行委員会のスタッフ」達にガバナンス体制・報告体制を構築する様に指示していなかったか、スタッフ達が無能なのか、或いはスタッフ達の独断で展示物の問題点を見過ごし報告しなかったからであろうと推定される。
この何れでもない場合は、大村自身が、多くの国民が不快に感じる自称「アート作品」なるガラクタの展示を「容認していた」ことになる。
この場合は、「本当は知っていた」という事である。
どれが真相かは、外部の普通のおっさんには確認のしようがないので、どのケースなのかの断定はしない。何れにしろ望ましくない運営であったことは間違いがない。
この様に考えたのは「あいちトリエンナーレ実行委員会の副会長」のポジションにいた河村名古屋市長の騒動発覚直後からの動きからである。
河村名古屋市長は、日本と日本人を侮蔑する展示物に対して、発覚直魏に、あれらはダメなものだとした動きをした。
その動きからは、2つのことが見て取れる。
1つは、河村市長の展示物の評価が一般的日本人の感性と同じ反応だったという点である。
もう1つは、副会長のポジションにあっても、事前には展示物の内容までは知らなかったということだ。あの反応からは「知らされていなかった」のであろうと推察される。
河村・名古屋市長の今回の動きは、プラカードを持っての座り込みなどはパフォーマンス臭がするものの、概ね妥当な反応だと感じている。
その一方で、大村の方は、日本と日本人を侮蔑する展示物に対して、その悪質なる政治性・政治的メッセージには踏み込まず、もっぱら「表現の自由」「憲法21条」を口にしている。
「芸術・アート作品」は、その芸術性と政治性の両面を以て総合的に鑑賞者から評価される。この事は「前編」及び「中編」で論証した通りであるが、大村は、あれら展示物の政治性・政治的メッセージには言及せずにいるとの態度を崩していない。
この様な大村の態度、即ち、もっぱら「表現の自由」「憲法21条」を口にしているのは、当該騒動の性質上登場する必然性がある「芸術・アート作品」の話を、かなり意図的に避けている事が原因の表出形態なのではないか?との疑問に至った。
同様、「表現の自由」「憲法21条」ばかりを口にしているのは、それに注目させる意図があるからであろうとも思える。
これら2つの可能性以外の可能性は、今のところ思いつかない。
そうなると、この2つの可能性から想起されることは次の通り、2つの可能性を混合させての憲法21条改憲阻止を目的にした発言なのではないかと考えるに至った。
先ず、「芸術・アート作品」の話を、かなり意図的に避けている事である。
最初の「前編」で述べた様に、憲法21条の「表現の自由」は同条文で例示されているのは「集会」「結社」「言論」「出版」であり、各人の政治的主張・政治的活動を規制しないとの民主主義原則を保障する為の条文であるのだが、今回の騒動の対象となっているのは「アート・芸術を自称する「作品」」であり、社会制度一般の論理性の世界とは異なる「感性の世界」のものである。
憲法21条の表現の自由で保障する対象としてのプライオリティは例示されたものを差し置いて優先されるものではない。
そうであるにも関わらず、大村が盛んに「表現の自由」「憲法21条」を口にしているのは、「感性の世界」の話をダシにして、あたかも総ての表現が「表現の自由理念で無限定的に保証されている」が如きの印象を流布する為ではないか?との疑問に至ったのである。
実際は、以前の論考「大村愛知県知事の安易な理解「憲法21条違反」」で論証した様に、第21条は、第12条で「濫用はダメ」、「「公共の福祉のため」との理由が必要」=「公共の福祉に反する様な表現の自由はアカン」との一定の制限が現行憲法に於いても存在している。
そうであるにも関わらず、大村は、第12条にけして言及しないことから、「無限定的に総ての表現が表現の自由理念で保証されている」との誤解誘導をしているのでないかとの疑問を持つに至ったのである。
これを言い換えれば、あたかも、現行憲法第21条が改憲されると旧ソ連や中国の東トルキスタン地方で行われている様な言論統制が日本でも行われるが如きの印象操作をしているのではないか?との疑問である。
第21条の改憲案に関しては、現状に於いて政党が提示している改憲案事例は自民党案が唯一のものであり、以下の様な案になっている。
参考の為、現行憲法の第21条も比較の為に提示しておく。
現行憲法:第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
同第2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
<引用終わり>
↓
自民党案:第21条(表現の自由)
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
同第2項 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
同第3項 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。
<引用終わり>
自民党案の変更点は主として、別途の第2項を新設した点である。
第1項は「言い回し」の変更であり意味・主旨に変更はない。
現行の第2項は、新設第2項の登場に伴い、第3項に移動しただけで変更はない。
新設第2項は制限事項である。
現行憲法の第12条が第3章全体に掛る条文であるのと同様に、自民党案の第12条も第3章全体に対する条文になっており、その語句は「「公益や公の秩序に反する」のはダメだとの表現になっているのだが、自民党案第21条の新設第2項は、これとは異なり「公益や公の秩序を害することを目的とした」という表現を用いている。
これは、第21条が「表現の自由」との基本的かつ重要な事項であることから、別途、第2項として新設したもので、「活動」「結社」の「目的」が「公益及び公の秩序を害する」ものはダメだと、対象が「目的」であることを特に明示して規定しているものである。
知っての通り、現行憲法はマッカーサー3原則に基づき、わずか1週間から10日程度で作成されたGHQ草案が初期形態である。(*1)そういうバタバタの中で書かれた条文の文面だけでは大きな矛盾が生じているのが実情だ。
現行憲法の第21条では、国家として国家を否定する結社までもを認めると読めてしまうのである。
そういう現行憲法に対して、自民党案では第1項で原則・理念を提示し、その原則に対する制限が第2項に書かれているものだ。この構造は、以前に論考したドイツ憲法(ドイツ基本法)の条文構成と同じものである。
普段、「ドイツを見習ぇ~」とのワンパターンの台詞を言う所謂「パヨク」連中は、ドイツ憲法と同じ構造に対して賛成するのかと言うと、そんな事はなく大反対をしている。
ドイツ憲法(ドイツ基本法)ではナチスは禁止されている。(*2)
これは、ドイツ憲法の自由民主主義理念に反する国家社会主義労働党は禁止されているものである。同様、自由民主主義理念に反する、共産党を唯一指導政党とする一党独裁の共産主義も禁止対象である。
我が国もドイツも自由民主主義国である。
自由民主主義体制の保護に関してドイツ憲法では、第18条で、その濫用を禁止している。
↓
<ドイツ基本法:第18条(基本権の喪失)>
意見表明の自由、とくに出版の自由(第5条1項)、教授の自由(第5条3項)、集会の自由(第8条)、結社の自由(第9条)、信書、郵便および電気通信の秘密(第10条)、所有権(第14条)または庇護権(第16a条)を、自由で民主的な基本秩序を攻撃するために濫用する者は、これらの基本権を喪失する。喪失とその程度は、連邦憲法裁判所によって宣告される。
<引用終わり>
↓
注目いただきたい部分は、後半の「自由で民主的な基本秩序を攻撃するために濫用する者は、これらの基本権を喪失する。」との制限の規定である。
国家として国家を否定する結社はダメとドイツ憲法第9条第2項にあるのだが、第18条に於いても同様のことが書かれているものだ。
この様なドイツ憲法の事例からは、自民党案で示された「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」との条項は、国家として国家を否定する結社はダメとの常識的視点からは妥当なものだと考えている。
自民党の改憲草案には解説・Q&Aがあり、それには、この改正の背景が気記されているので、それを抜粋引用して紹介しておく。
↓
<自民党改憲草案の解説パンフ15ページから抜粋引用>
日本国憲法改正草案 Q&A 増補版
Q18:表現の自由を保証した21条に第2項を追加していますが、この条文は表現の自由を大きく制約するのではないですか?
↓
A:○自民党の憲法改正草案では集会、結社及び言論、出版その他表現の自由について、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動及びそれを目的とした結社を禁止する規定を設けました。
これは、オウム真理教に対して破壊活動防止法が適用できなかったことの反省などを踏まえ、公益や公の秩序を害する活動やそれを目的とした結社を認めないことにしたのです。内心の自由はどこまでも自由ですが、それを社会的に表現する段階になれば、一定の制限を受けるのは当然です。
○21 条2 項では、他の箇所の「公益や公の秩序に反する」という表現と異なり、「公益や公の秩序を害することを目的とした」という表現を用いて、表現の自由を制限できる範囲を厳しく限定しているところです。
かつ、その禁止する対象を「活動」と「結社」に限っています。「活動」とは、公益や公の秩序を害する直接的な行動を意味し、これが禁じられることは、極めて当然のことと考えます。また、そういう活動を行うことを目的として結社することを禁ずるのも、同様に当然のことと考えます。
○したがって、この規定をもって、公益や公の秩序を害する直接的な行動及びそれを目的とした結社以外の表現の自由が制限されるわけではありません。
いずれにしても、この規定に伴って、どのような活動や結社が制限されるかについては、具体的な法律によって規定されるものであって、憲法の規定から直接制限されるものではありません。
<引用終わり>
自民党案には、この様な説明がなされており、「この規定をもって、公益や公の秩序を害する直接的な行動及びそれを目的とした結社以外の表現の自由が制限されるわけではありません。」と明示されているのだが、所謂「パヨク連中」は、それを隠し、あたかも言論統制の為の条文であるかの様な印象付けをしているのである。
今回の「あいちトリエンナーレ」の対象物は自称「アート作品」である。
前述した様に、「アートの表現の自由」というのは、我が国現行憲法第21条が主たる対象としている「集会」「結社」「言論」「出版」等の自由とは異なる「表現の自由」である。
この様に考えるのは当方一人ではない。
普段、「ドイツを見習ぇ~」とのワンパターンの台詞を言う所謂「パヨク」連中は、ドイツ憲法第5条を見習って、我が国の現行憲法第21条(表現の自由)と同第23条(学問の自由)での対象を整理して、その改憲草案を提示したら如何であろう?
憲法規定の一部を取り上げ、憲法の中身の議論をせず、ただただ改憲は危険なるデマを述べるのではなく、芸術表現の自由をより広げたいのであれば、上記した様なドイツ憲法を参考にした改憲案を提示すべきなのではないか?
そういう事をしないのは、「芸術表現の自由をより広げたい」のではない、と看做されても仕方がないことだ。
彼等がやっていることは、表現の自由を享受する芸術活動ではなく、国民不在の神学論争を仕掛ける為の布石であると推察される。
自称「護憲派」、その実は9条残置目的の日本悪玉論維持派は、改憲議論をグチャグチャにしての改憲阻止を狙っているので、改憲議論の際に、今回騒動を事例に第21条改憲を改悪だと言い出すであろう。そんな疑問と想像となったものである。
今回の前・中・後編と続けた論考は、疑問が湧いた理由を記録しておくことが目的であり、その扱う分野が複数に及んだからの分割だからである。以上である。
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【文末脚注】
(*1):現行憲法はマッカーサー3原則に基づき、わずか1週間から10日程度で作成されたGHQ草案が初期形態である。
<マッカーサー三原則>
2016/07/29投稿:
(資料編)マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-467.html
↓
◆第1原則:天皇条項
2016/07/30投稿:
(解説編1)マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-468.html
◆第2原則:非武装規定・前文+9条
2016/07/31投稿:
(解説編2)マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-469.html
◆第3原則:マッカーサーの誤解・日本は中世封建社会?
2016/08/01投稿:
(解説編3)資料・マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-470.html
↓
2017/05/20投稿:
(資料編)憲法前文の登場・9条の登場と変遷
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-674.html
(*2):ドイツ憲法(ドイツ基本法)ではナチスは禁止されている。
2017/08/25投稿:
「ナチスはドイツ憲法で禁止」との慣用句
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-739.html
【ご参考】
<ドイツ基本法>
http://www.fitweb.or.jp/~nkgw/dgg/
<現行憲法>
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=321CONSTITUTION
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<あいちトリアンターレ騒動は改憲議論泥沼化の為の布石かもしれない>


副題:多くの国民が不快に感じる自称「アート作品」なるガラクタを展示して、憲法21条を持ち出して盛んに騒ぐ行為の目的は、自民党改憲草案をつぶすの為の布石なんじゃないか?そんな疑問が湧いたので、その疑問が湧いた理由を記録しておく。
続きである。
上記副題の「多くの国民が不快に感じる自称「アート作品」なるガラクタを展示」との一文に至った経緯は前編及び中編にて論述した通りである。
今回の後編Finalは、それに続く「憲法21条を持ち出して盛んに騒ぐ行為の目的は、自民党改憲草案をつぶすの為の布石なんじゃないか?」との疑問に至った過程について述べる。
あいちトリエンナーレとの芸術祭での展示のうちの「表現の不自由展・その後」の展示物のうち、日本と日本人を侮蔑することを目的にした自称「アート作品」については、それが知られる様になってから、多くの方々からの批判及び不快感の表明が相次いだ。
そういう展示物を展示する事を画策し実行したのは、津田「芸術」監督及びその一派である。津田の歪んだ発想については前回「中編」及び以前の論考「芸術性よりも政治性を優先した津田「芸術」監督」で指摘した通りである。
一方、あいちトリエンターレ全体の実行委員会の会長の座にあるのは、愛知県知事の大村である。
実行委員会の会長である大村には芸術祭全体に対するガバナンス上の責任がある。
県知事などの大組織のトップという立場にあると、実務上の細かい点に目が行き難い事は良く知っているが、自身が負う責任をまっとうする為には、自身が「責任の連鎖構造」のトップにあることを踏まえ、断線することがない様な「責任の連鎖構造」を作らせ、それを維持・機能させる事が必要だ。
この様な自身のガバナンス上の責任を果たすことを目的にした構造を整備・運営することが大組織・多人数組織をハンドルする際の常識だ。
大村に限らず、知事や市長自身には、その様な構造の立案・制度設計及び維持・運用の能力がなくても構わないのである。そういう構造が必要だとの自覚と、そういう構造を考え実践する優秀なスタッフがいれば良いのである。
愛知県の県職員は、愛知県知事の指揮命令系統下にあるのだから、その様な指示を大村がすればよいだけである。
愛知県と言えば、中京地域の中核であり、東の東京・首都圏、西の大阪・近畿圏の間に位置する我が国でも屈指の大人口地域である。そういう地方自治体の職員達が無能だとは想定し難いのだが、騒動になった後の段階で大村は「知らなかった」かの様な発言をしている。
本当に知らなかったのなら、それは大村が「あいちトリエンナーレ実行委員会のスタッフ」達にガバナンス体制・報告体制を構築する様に指示していなかったか、スタッフ達が無能なのか、或いはスタッフ達の独断で展示物の問題点を見過ごし報告しなかったからであろうと推定される。
この何れでもない場合は、大村自身が、多くの国民が不快に感じる自称「アート作品」なるガラクタの展示を「容認していた」ことになる。
この場合は、「本当は知っていた」という事である。
どれが真相かは、外部の普通のおっさんには確認のしようがないので、どのケースなのかの断定はしない。何れにしろ望ましくない運営であったことは間違いがない。
この様に考えたのは「あいちトリエンナーレ実行委員会の副会長」のポジションにいた河村名古屋市長の騒動発覚直後からの動きからである。
河村名古屋市長は、日本と日本人を侮蔑する展示物に対して、発覚直魏に、あれらはダメなものだとした動きをした。
その動きからは、2つのことが見て取れる。
1つは、河村市長の展示物の評価が一般的日本人の感性と同じ反応だったという点である。
もう1つは、副会長のポジションにあっても、事前には展示物の内容までは知らなかったということだ。あの反応からは「知らされていなかった」のであろうと推察される。
河村・名古屋市長の今回の動きは、プラカードを持っての座り込みなどはパフォーマンス臭がするものの、概ね妥当な反応だと感じている。
その一方で、大村の方は、日本と日本人を侮蔑する展示物に対して、その悪質なる政治性・政治的メッセージには踏み込まず、もっぱら「表現の自由」「憲法21条」を口にしている。
「芸術・アート作品」は、その芸術性と政治性の両面を以て総合的に鑑賞者から評価される。この事は「前編」及び「中編」で論証した通りであるが、大村は、あれら展示物の政治性・政治的メッセージには言及せずにいるとの態度を崩していない。
この様な大村の態度、即ち、もっぱら「表現の自由」「憲法21条」を口にしているのは、当該騒動の性質上登場する必然性がある「芸術・アート作品」の話を、かなり意図的に避けている事が原因の表出形態なのではないか?との疑問に至った。
同様、「表現の自由」「憲法21条」ばかりを口にしているのは、それに注目させる意図があるからであろうとも思える。
これら2つの可能性以外の可能性は、今のところ思いつかない。
そうなると、この2つの可能性から想起されることは次の通り、2つの可能性を混合させての憲法21条改憲阻止を目的にした発言なのではないかと考えるに至った。
先ず、「芸術・アート作品」の話を、かなり意図的に避けている事である。
最初の「前編」で述べた様に、憲法21条の「表現の自由」は同条文で例示されているのは「集会」「結社」「言論」「出版」であり、各人の政治的主張・政治的活動を規制しないとの民主主義原則を保障する為の条文であるのだが、今回の騒動の対象となっているのは「アート・芸術を自称する「作品」」であり、社会制度一般の論理性の世界とは異なる「感性の世界」のものである。
憲法21条の表現の自由で保障する対象としてのプライオリティは例示されたものを差し置いて優先されるものではない。
そうであるにも関わらず、大村が盛んに「表現の自由」「憲法21条」を口にしているのは、「感性の世界」の話をダシにして、あたかも総ての表現が「表現の自由理念で無限定的に保証されている」が如きの印象を流布する為ではないか?との疑問に至ったのである。
実際は、以前の論考「大村愛知県知事の安易な理解「憲法21条違反」」で論証した様に、第21条は、第12条で「濫用はダメ」、「「公共の福祉のため」との理由が必要」=「公共の福祉に反する様な表現の自由はアカン」との一定の制限が現行憲法に於いても存在している。
そうであるにも関わらず、大村は、第12条にけして言及しないことから、「無限定的に総ての表現が表現の自由理念で保証されている」との誤解誘導をしているのでないかとの疑問を持つに至ったのである。
これを言い換えれば、あたかも、現行憲法第21条が改憲されると旧ソ連や中国の東トルキスタン地方で行われている様な言論統制が日本でも行われるが如きの印象操作をしているのではないか?との疑問である。
第21条の改憲案に関しては、現状に於いて政党が提示している改憲案事例は自民党案が唯一のものであり、以下の様な案になっている。
参考の為、現行憲法の第21条も比較の為に提示しておく。
現行憲法:第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
同第2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
<引用終わり>
↓
自民党案:第21条(表現の自由)
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
同第2項 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
同第3項 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。
<引用終わり>
自民党案の変更点は主として、別途の第2項を新設した点である。
第1項は「言い回し」の変更であり意味・主旨に変更はない。
現行の第2項は、新設第2項の登場に伴い、第3項に移動しただけで変更はない。
新設第2項は制限事項である。
現行憲法の第12条が第3章全体に掛る条文であるのと同様に、自民党案の第12条も第3章全体に対する条文になっており、その語句は「「公益や公の秩序に反する」のはダメだとの表現になっているのだが、自民党案第21条の新設第2項は、これとは異なり「公益や公の秩序を害することを目的とした」という表現を用いている。
これは、第21条が「表現の自由」との基本的かつ重要な事項であることから、別途、第2項として新設したもので、「活動」「結社」の「目的」が「公益及び公の秩序を害する」ものはダメだと、対象が「目的」であることを特に明示して規定しているものである。
知っての通り、現行憲法はマッカーサー3原則に基づき、わずか1週間から10日程度で作成されたGHQ草案が初期形態である。(*1)そういうバタバタの中で書かれた条文の文面だけでは大きな矛盾が生じているのが実情だ。
現行憲法の第21条では、国家として国家を否定する結社までもを認めると読めてしまうのである。
そういう現行憲法に対して、自民党案では第1項で原則・理念を提示し、その原則に対する制限が第2項に書かれているものだ。この構造は、以前に論考したドイツ憲法(ドイツ基本法)の条文構成と同じものである。
普段、「ドイツを見習ぇ~」とのワンパターンの台詞を言う所謂「パヨク」連中は、ドイツ憲法と同じ構造に対して賛成するのかと言うと、そんな事はなく大反対をしている。
ドイツ憲法(ドイツ基本法)ではナチスは禁止されている。(*2)
これは、ドイツ憲法の自由民主主義理念に反する国家社会主義労働党は禁止されているものである。同様、自由民主主義理念に反する、共産党を唯一指導政党とする一党独裁の共産主義も禁止対象である。
我が国もドイツも自由民主主義国である。
自由民主主義体制の保護に関してドイツ憲法では、第18条で、その濫用を禁止している。
↓
<ドイツ基本法:第18条(基本権の喪失)>
意見表明の自由、とくに出版の自由(第5条1項)、教授の自由(第5条3項)、集会の自由(第8条)、結社の自由(第9条)、信書、郵便および電気通信の秘密(第10条)、所有権(第14条)または庇護権(第16a条)を、自由で民主的な基本秩序を攻撃するために濫用する者は、これらの基本権を喪失する。喪失とその程度は、連邦憲法裁判所によって宣告される。
<引用終わり>
↓
注目いただきたい部分は、後半の「自由で民主的な基本秩序を攻撃するために濫用する者は、これらの基本権を喪失する。」との制限の規定である。
国家として国家を否定する結社はダメとドイツ憲法第9条第2項にあるのだが、第18条に於いても同様のことが書かれているものだ。
この様なドイツ憲法の事例からは、自民党案で示された「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」との条項は、国家として国家を否定する結社はダメとの常識的視点からは妥当なものだと考えている。
自民党の改憲草案には解説・Q&Aがあり、それには、この改正の背景が気記されているので、それを抜粋引用して紹介しておく。
↓
<自民党改憲草案の解説パンフ15ページから抜粋引用>
日本国憲法改正草案 Q&A 増補版
Q18:表現の自由を保証した21条に第2項を追加していますが、この条文は表現の自由を大きく制約するのではないですか?
↓
A:○自民党の憲法改正草案では集会、結社及び言論、出版その他表現の自由について、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動及びそれを目的とした結社を禁止する規定を設けました。
これは、オウム真理教に対して破壊活動防止法が適用できなかったことの反省などを踏まえ、公益や公の秩序を害する活動やそれを目的とした結社を認めないことにしたのです。内心の自由はどこまでも自由ですが、それを社会的に表現する段階になれば、一定の制限を受けるのは当然です。
○21 条2 項では、他の箇所の「公益や公の秩序に反する」という表現と異なり、「公益や公の秩序を害することを目的とした」という表現を用いて、表現の自由を制限できる範囲を厳しく限定しているところです。
かつ、その禁止する対象を「活動」と「結社」に限っています。「活動」とは、公益や公の秩序を害する直接的な行動を意味し、これが禁じられることは、極めて当然のことと考えます。また、そういう活動を行うことを目的として結社することを禁ずるのも、同様に当然のことと考えます。
○したがって、この規定をもって、公益や公の秩序を害する直接的な行動及びそれを目的とした結社以外の表現の自由が制限されるわけではありません。
いずれにしても、この規定に伴って、どのような活動や結社が制限されるかについては、具体的な法律によって規定されるものであって、憲法の規定から直接制限されるものではありません。
<引用終わり>
自民党案には、この様な説明がなされており、「この規定をもって、公益や公の秩序を害する直接的な行動及びそれを目的とした結社以外の表現の自由が制限されるわけではありません。」と明示されているのだが、所謂「パヨク連中」は、それを隠し、あたかも言論統制の為の条文であるかの様な印象付けをしているのである。
今回の「あいちトリエンナーレ」の対象物は自称「アート作品」である。
前述した様に、「アートの表現の自由」というのは、我が国現行憲法第21条が主たる対象としている「集会」「結社」「言論」「出版」等の自由とは異なる「表現の自由」である。
この様に考えるのは当方一人ではない。
普段、「ドイツを見習ぇ~」とのワンパターンの台詞を言う所謂「パヨク」連中は、ドイツ憲法第5条を見習って、我が国の現行憲法第21条(表現の自由)と同第23条(学問の自由)での対象を整理して、その改憲草案を提示したら如何であろう?
憲法規定の一部を取り上げ、憲法の中身の議論をせず、ただただ改憲は危険なるデマを述べるのではなく、芸術表現の自由をより広げたいのであれば、上記した様なドイツ憲法を参考にした改憲案を提示すべきなのではないか?
そういう事をしないのは、「芸術表現の自由をより広げたい」のではない、と看做されても仕方がないことだ。
彼等がやっていることは、表現の自由を享受する芸術活動ではなく、国民不在の神学論争を仕掛ける為の布石であると推察される。
自称「護憲派」、その実は9条残置目的の日本悪玉論維持派は、改憲議論をグチャグチャにしての改憲阻止を狙っているので、改憲議論の際に、今回騒動を事例に第21条改憲を改悪だと言い出すであろう。そんな疑問と想像となったものである。
今回の前・中・後編と続けた論考は、疑問が湧いた理由を記録しておくことが目的であり、その扱う分野が複数に及んだからの分割だからである。以上である。
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【文末脚注】
(*1):現行憲法はマッカーサー3原則に基づき、わずか1週間から10日程度で作成されたGHQ草案が初期形態である。
<マッカーサー三原則>
2016/07/29投稿:
(資料編)マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-467.html
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◆第1原則:天皇条項
2016/07/30投稿:
(解説編1)マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-468.html
◆第2原則:非武装規定・前文+9条
2016/07/31投稿:
(解説編2)マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-469.html
◆第3原則:マッカーサーの誤解・日本は中世封建社会?
2016/08/01投稿:
(解説編3)資料・マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-470.html
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2017/05/20投稿:
(資料編)憲法前文の登場・9条の登場と変遷
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-674.html
(*2):ドイツ憲法(ドイツ基本法)ではナチスは禁止されている。
2017/08/25投稿:
「ナチスはドイツ憲法で禁止」との慣用句
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-739.html
【ご参考】
<ドイツ基本法>
http://www.fitweb.or.jp/~nkgw/dgg/
<現行憲法>
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=321CONSTITUTION
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