新元号発表に向けて「元号・暦考(和暦だけが御嫌いな人達)」
- 2019/03/31
- 20:29
新元号発表に向けて「元号・暦考(和暦だけが御嫌いな人達)」

副題:改元を否定する人達がいるが、その底意は、我が国文化を否定したい反日革命の為の虚論でしかない。和暦とは、我が国が華夷秩序の外にあることを示す象徴。約1400年間の歴史がある暦。
注:本論考は、当初、その原稿が長すぎるものとなった為に、論拠・論証を提示している部分を別項にしているものである。従い、この論考は、前投稿の「(資料編)元号・暦考・和暦だけが御嫌いな人達」を読んでいる事を前提としている。
お読みでない方は、先ず、そちらを御一読いただきたい。
今上陛下のご譲位に伴い、皇太子殿下が第126代天皇となられる。
それに伴い、新たな元号へと改元される。
これは明治天皇が制定した維新後の一世一元の原則(*1)に則るものである。
新たな元号の発表は明日4月1日の11:30に予定されている。
そういう事なのだが、我が国が御嫌いな所謂「パヨク」・カタカナ表記「サヨク」連中が、「改元」について、まったく的外れなことを述べての反日パフォーマンスをしている。
その様な行為・言説は、新天皇の御即位をお祝いすることへ水を差す行為であり、嫌がらせと言って良い愚劣なものである。
改元・元号に対する言説が、まともなものであるのだったら、それは、まだ「思想信条の自由」の範疇のことだと認めるが、その内容が低劣な難癖でしかない事に呆れている。
その様な貧困なる精神性に呆れており「嫌がらせと言って良い」と考えている次第である。
それら「嫌がらせと言って良い」と考える行動・言説とは、具体的には、朝日新聞の3月21日の社説(*2)や「元号制定は違憲だ」と提訴している弁護士達(*3)のことである。
朝日の社説は、情緒的な記載ばかりで、結局は何も言えていないし、誤謬が溢れているものだ。
社説を書いた朝日新聞の誰かの「天皇とリンクする元号なんかイヤだ」、「日本独自の暦なんかとんでもない」という個人的嗜好で書き始めたものの、それを論理的には書けないので、情緒的な記載になっているものと推察される。
また、「元号制定は違憲だ」とした弁護士達3人の提訴はスラップ提訴に該当すると認定している。
提訴を報じている記事によれば、「天皇即位のたびに元号を制定するのは、憲法13条が保障する「個人の尊厳」を侵害して違憲」なのだそうだが、これは典型的な「憲法を利用して、なんでもかんでも憲法違反」である。この手口は、所謂「護憲派」が用いる牽強付会論法(*4)である。
知っての通り、現行憲法になって以降、天皇即位に伴う元号制定は、これが初めてではない。
昭和から平成になったのは今から約30年前のことである。その際に、元号制定を違憲とする訴訟があったのかというと、そんな話は聞いたことがない。
当たり前である。
元号の制定は、元号法(*5)に基づき行われるもので、弁護士ならば元号法の存在を知らない訳がない。平成への改元時は、法的には元号法が適用されたのであり、今回も、また同様である。
そういう前例があるのに、その点にはふれず、今になって訴訟を起こすのは、司法の場を濫用した政治パフォーマンスそのものではないか。
この「弁護士達3人」がいう「憲法13条に反して違憲」なる「理屈」があるのだったら、元号法自体が「違憲」となるはずだ。
そうだとしたならば、元号法が制定された昭和54年(1979年)から、既に40年間との時間が経過しており、その何処かで違憲立法審査の申立てをしていなければ、「元号制定は違憲だ」なる「理由」で以て、今になって提訴する行為は、、所詮「とってつけた屁理屈」での嫌がらせ政治パフォーマンスでしかない。
全体を俯瞰しての論考は以上である。
それは、いつもの「パヨク」・「サヨク」連中の詐話であるのだが、それだけで済ましていては、彼等の本性への理解が深まらないと思う。
そういう事から、今回も、彼等の底意が何かを、もう少し掘り下げて論証する。
先に、違憲提訴記事での弁護士達3人の訴訟「理由」を取り上げる。
それを報じる記事の後半は「個人vs元号」との建て付けで書かれている。
この建て付けは朝日新聞の社説と同じものである。
以下に同部分を引用する
↓
<弁護士ドットコムニュースから抜粋引用>
(前略)「元号制定によって、国民は『天皇在位の時間』に閉じ込められ、世界史(西暦)とつながっているという意識がぶつ切られることになる」と述べた。
○また、元号の年度を覚えていても、何年前のことかすぐにわからず、「時間の意識の喪失状態に陥っている」という(山根弁護士)。一方で、「象徴天皇制」を否定しているわけではなく、あくまで元号制定に必然性がないからだ、と強調した。(後略)
<抜粋引用終わり>
これを読んで、何を言いたいのか分かる方は、かなりの博学だ。
多分、多くの方々は、「西暦は連続性があるけど、元号は、明治・大正・昭和・平成と改元があるので、連続性の視点では「○年前」との年代理解の即時性がない」という話であるという後段部分についてはなんとなく分かるであろう。
一方、前段の「元号制定によって、国民は『天皇在位の時間』に閉じ込められ、世界史(西暦)とつながっているという意識がぶつ切られることになる」の意味は良く分からないと思う。
注:資料編を先にお読みいただいた方なら、既にお分かりのことだと思う。資料編の「5.」の話である。続ける。
前段部分の前半は、「パヨク」・「サヨク」連中が提示する「元号は統治の道具」との主客転倒」なる詐話がベースになっている話だ。
しかし、そんなものは存在しない。現に、我々日本人は、和暦と西暦を並行的に使用している。
けして「「元号制定によって、国民は『天皇在位の時間』に閉じ込められ」てはいない。
我々日本人は和暦を、イスラム経の人はイスラム暦を、自分達の文明基盤の暦として使用しているのであって、けして「閉じ込められて」いる訳ではない。
注:ここの論拠は、資料編の「2.和暦・西暦・イスラム暦etc.世界の暦について」と「3.暦とは天体運航をベースにした時間基準」にて提示してある通りである。
前段部分の後半は、「世界史(西暦)とつながっているという意識がぶつ切られることになる」であるが、これが何を意味しているのかというと、表面的には、後段の話である「連続性の視点では「○年前」との年代理解の即時性がない」という話に見えるが、言っていることはもっと悪質だ。
弁護士達3人の主張内容は「和暦廃止・西暦統一」であるが、その底意が悪質である。
「西暦使用」に関しては、西暦が今や結果的世界標準のカレンダー(デファクト・スタンダード)になっており、その点は、基準として便利だから、西暦を選択すること自体に違和感はない。ところが、「西暦に統一」とは、我々が現実社会でやっている和暦元号・西暦の並列運用を、画一的に「和暦元号の使用を禁止せよ」というものである。
これは、飛鳥時代の大化から、約1400年間続いている我が国の文化・文明の否定である。
並列使用を、弁護士達3人は「憲法違反」などと言っているのは、要するに、そういうことだ。
弁護士達3人は「『天皇在位の時間』に閉じ込められ」などと言っているが、「西暦のみ使用」とは、西暦が「「キリストの御世」との世界観による暦」であることに、あまりにも無頓着であり、けして「『主イエス・キリストの御世』に閉じ込められる」との側面があるのに、それには触れようとしない。
和暦・元号とは、我々日本人が、我々の先人達が、約1400年間の暮らしの集積の中で培ってきた我々の文明の一部なのに、その使用を禁止しろと言っている。
そういう連中なのである。
イスラム文明圏の国々が、古典的イスラム暦とデファクト・スタンダードの西暦ベースのイスラム暦を巧く使用している事実がある。
ところが、この手の「パヨク」・「サヨク」は、日本独自のものだけがお嫌いなのだ。
我が国が独自の元号を使用し始めたのは、大化の改新の「大化」からであるとされている。
大化元年は西暦645年である。
我が国の暦である和暦の元号は大化以降途切れることなく、平成31年の現在まで1374年間続いているのである。
その時代は、日本史の時代区分で言えば「飛鳥時代」である。
その時代、我が国は、聖徳太子の「日出ずる国の天子・・・」の書状にて、我が国は華夷秩序から脱しているのである。この頃から我々日本人は、自身の元号を使用続けているが、これは「中華思想・華夷秩序」からの脱退を象徴する「シナの地の元号不使用」なのである。
我が国に、和暦・元号を使うなと言っている「パヨク」・「サヨク」は、まさか「シナ大陸の王朝に帰依して、その柵封を受けよ、華夷秩序に従え」と言っているのか?
注:ここの事実提示及び論拠は、資料編の「2.和暦・西暦・イスラム暦etc.世界の暦について」と「6.「統治からの脱退」としての元号不使用」と「7.まとめ」にて提示してある通りである。
今回は以上である。
我々日本人は、和暦元号に、もっと誇りを持って良いと思うが、少なくとも、和暦元号と西暦の並列使用をしており、それで良いと考えている。
今回論考で示した様に、改元を否定する人達の底意は、我が国文化を否定したい反日革命の為の虚論でしかないのである。
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【文末脚注】
(*1):明治天皇が制定した維新後の一世一元の原則
<一世一元の詔>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%B8%96%E4%B8%80%E5%85%83%E3%81%AE%E8%A9%94
<一世一元の詔より抜粋引用>
(前略)明治元年と為す。今より以後、旧制を革易し、一世一元、以て永式と為す。主者施行せよ。
<抜粋引用終わり>
※一世一元の原則は、この「一世一元の詔」を原初として、明治32年(1899年)に制定された旧皇室典範、戦後の現行憲法下での昭和54年(1979年)に制定された元号法により堅持され続けている。
(*2):朝日新聞の3月21日の社説
朝日新聞デジタル 2019年3月21日05時00分
見出し:◆(社説)「改元」を考える 時はだれのものなのか
https://www.asahi.com/articles/DA3S13942702.html
本文:○もうすぐ新たな元号が発表される。
○朝日新聞を含む多くのメディアは「平成最後」や「平成30年間」といった表現をよく使っている。一つの時代が終わり、新しい時代が始まる、と感じる人も少なくないだろう。
○でも、ちょっと立ち止まって考えてみたい。「平成」といった元号による時の区切りに、どんな意味があるのだろうか。
○そもそも時とはいったい何なのか。誰かが時代を決める、あるいは、ある歳月に呼び名が付けられることを、どう受け止めればいいのだろうか。
小見出し:■統治の道具だった
○スターリン時代の旧ソ連の強制収容所には、時計が無かったそうだ。
○ロシアのノーベル賞作家ソルジェニーツィンが、かつてそう書いている。理由はといえば、「時間は囚人のかわりにお上(かみ)が承知しているから」だと。
○囚人は収容所のなかで、今が何時かを知るすべはない。「作業を始める時間だ」「食事を終える時間だ」。懲罰的な意味合いも含め、時間は収容所側が一方的に管理するものだった。
○歴史を振り返れば、多くの権力は、時を「統治の道具」として利用してきた。
○日本の元号も、「皇帝が時を支配する」とした中国の思想に倣ったものである。
○前漢(紀元前206年~8年)の武帝が、時に元号という名前を付けることを始めた。皇帝は元号を決め、人々がそれを使うことには服属の意味が込められた。一部の周辺国が倣い、日本では「大化」の建元が行われた。
○確かに、人間が集団生活を営むうえで、時をはかる「共通の物差し」は不可欠のものだ。
○だから世界には様々な種類の「暦」が存在する。キリスト教暦である西暦、イスラム教のヒジュラ暦、仏暦やユダヤ暦。
○ただ、元号には独特なところがある。「改元」という区切りがあるからだ。日本では明治以降、一代の天皇に一つの元号という「一世一元」の仕組みも出来た。天皇が即位することで、起点はその都度、変わる。
小見出し:■分かれる意識
○1979年に現在の元号法が成立した際、元海軍兵士の作家、渡辺清は日記に書いた。
○「天皇の死によって時間が区切られる。時間の流れ、つまり日常生活のこまごましたところまで、われわれは天皇の支配下におかれたということになる」(『私の天皇観』)
○時代を特徴づけるのは、その間の出来事である。戦争という暗い過去と重なることで、拒否感を抱く人はいるだろう。
○ただ今では、特に意識しないという声が多いようだ。
○今月の朝日新聞の世論調査によると、日常生活でおもに使いたいのが新しい元号だと答えた人は40%。西暦だと答えた人は50%だった。新天皇の即位と新しい元号で、世の中の雰囲気が変わると思う人は37%、思わない人は57%となっている。
○元号か西暦か、優先度が割れる背景には多様な考え方があるだろう。それは自然なことでもある。そもそも普遍的な時の尺度など存在しないのだから。
○中国語の「宇宙」には「この世界」との意味がある。「宇」は空間を、「宙」は時間をそれぞれ表す。時というものは、その空間と不可分であり、社会の現実を抜きにしては語れないというような概念にもみえる。
小見出し:■自由な思考とともに
○さまざまな暦のような時代の画定がある一方で、人間には個々が抱く時の感覚がある。
○詩人は書く。
○「僕は腕のいいコックで/酒飲みで/オトーチャマ」。夕食の準備をしながら、幼い娘と言い争いが始まる。「小さなユリが泣く」。しかし、やがて、「しずかで美しい時間」が訪れる。「おやじは素直にやさしくなる/小さなユリも素直にやさしくなる/食卓に向かい合ってふたり座る」(黒田三郎『夕方の三十分』)
○人間は誰もが、何にも代えがたい時を持っている。
○大切な人との時間、自分の思索に浸る時間、みんなと思い出を共有したあの時……。そうした時の流れをどう名付け、区切るかは、個々人の自由の営みであり、あるいは世相が生み出す歴史の共有意識でもあろう。
○「わたしの青春時代」もあれば、「戦後」や「団塊の世代」といった言葉もある。世界に目を転じれば、「冷戦期」「グローバル化時代」というくくり方も思い浮かぶ。
○人生の節目から国や世界の歩みまで、どんな時の刻みを思い描くかは、その時その時の自らの思考や視野の範囲を調整する営みなのかもしれない。
○もちろん元号という日本独自の時の呼び方があってもいい。ただ同時に、多種多様な時の流れを心得る、しなやかで複眼的な思考を大切にしたい。
○時を過ごし、刻む自由はいつも、自分だけのものだから。
<引用終わり>
(*3):「元号制定は違憲だ」と提訴している弁護士
弁護士ドットコムニュース 2019年03月27日 12時42分
見出し:◆「元号制定は違憲だ」弁護士やジャーナリストらが提訴 「時間意識が喪失する」
https://www.bengo4.com/c_23/n_9434/
記事:○天皇即位のたびに元号を制定するのは、憲法13条が保障する「個人の尊厳」を侵害して違憲だとして、弁護士やジャーナリストら3人が3月26日、国を相手取り、元号制定の差し止めを求めて、東京地裁に提訴した。原告によると、元号制定を違憲とする訴訟は初めて。
○原告は、長野県の山根二郎弁護士(82)、東京のジャーナリスト・矢崎泰久氏(86)ら3人。訴状によると、3人は、国による元号制定が、国民一人ひとりが有している「連続した時間」を切断し、憲法13条が保障する「個人の尊厳」や「人格権」を侵害すると主張している。
小見出し:●「元号制定に必然性がない」
○提訴後、原告3人は、東京・霞が関の司法記者クラブで会見を開いた。山根弁護士は「元号制定によって、国民は『天皇在位の時間』に閉じ込められ、世界史(西暦)とつながっているという意識がぶつ切られることになる」と述べた。
○また、元号の年度を覚えていても、何年前のことかすぐにわからず、「時間の意識の喪失状態に陥っている」という(山根弁護士)。一方で、「象徴天皇制」を否定しているわけではなく、あくまで元号制定に必然性がないからだ、と強調した。
○新元号をめぐっては、政府は4月1日、発表する予定としており、現在の皇太子が即位する5月1日から改元することになっている。原告は、5月1日以降に「新元号は無効だ」という主張も付け加えるとしている。
<引用終わり>
(*4):憲法13条が保障する「個人の尊厳」を侵害して違憲だ」が提訴理由なのだそうだが、これは典型的な「憲法を利用して、なんでもかんでも憲法違反」との所謂「護憲派」の手口である。
2019/01/08投稿:
不参加は「憲法違反」なんかじゃない・沖縄住民投票
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1086.html
(*5):元号法
元号法 (昭和五十四年法律第四十三号)
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=354AC0000000043
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。
<引用終わり>
【ご参考】
2019/03/29投稿:
(資料編)元号・暦考・和暦だけが御嫌いな人達
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1143.html
<「7.まとめ」部分から抜粋引用>
資料編を「今北産業」(今来たところだ、三行で要約して教えろ、との意味)的にまとめる。
・我が国の元号は、我が国が約1400年もの間、継続してきた我々日本文明の一部である。
・「元号は統治の道具」なる話は主客転倒したもので、事実とは異なる。
・「我が国独自の元号の使用」は、中華思想・華夷秩序からの独立性の象徴である。
<引用終わり>
2015/12/25投稿:
【コラム】我が国の文化背景
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-292.html
2017/07/04投稿:
シナ大陸の歴史観・易姓革命
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-708.html
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【追記】本項は、論拠・論証を提示している部分を別項にしたものであり、「残骸」感があるかもしれないが、ご勘弁いただきたい。


副題:改元を否定する人達がいるが、その底意は、我が国文化を否定したい反日革命の為の虚論でしかない。和暦とは、我が国が華夷秩序の外にあることを示す象徴。約1400年間の歴史がある暦。
注:本論考は、当初、その原稿が長すぎるものとなった為に、論拠・論証を提示している部分を別項にしているものである。従い、この論考は、前投稿の「(資料編)元号・暦考・和暦だけが御嫌いな人達」を読んでいる事を前提としている。
お読みでない方は、先ず、そちらを御一読いただきたい。
今上陛下のご譲位に伴い、皇太子殿下が第126代天皇となられる。
それに伴い、新たな元号へと改元される。
これは明治天皇が制定した維新後の一世一元の原則(*1)に則るものである。
新たな元号の発表は明日4月1日の11:30に予定されている。
そういう事なのだが、我が国が御嫌いな所謂「パヨク」・カタカナ表記「サヨク」連中が、「改元」について、まったく的外れなことを述べての反日パフォーマンスをしている。
その様な行為・言説は、新天皇の御即位をお祝いすることへ水を差す行為であり、嫌がらせと言って良い愚劣なものである。
改元・元号に対する言説が、まともなものであるのだったら、それは、まだ「思想信条の自由」の範疇のことだと認めるが、その内容が低劣な難癖でしかない事に呆れている。
その様な貧困なる精神性に呆れており「嫌がらせと言って良い」と考えている次第である。
それら「嫌がらせと言って良い」と考える行動・言説とは、具体的には、朝日新聞の3月21日の社説(*2)や「元号制定は違憲だ」と提訴している弁護士達(*3)のことである。
朝日の社説は、情緒的な記載ばかりで、結局は何も言えていないし、誤謬が溢れているものだ。
社説を書いた朝日新聞の誰かの「天皇とリンクする元号なんかイヤだ」、「日本独自の暦なんかとんでもない」という個人的嗜好で書き始めたものの、それを論理的には書けないので、情緒的な記載になっているものと推察される。
また、「元号制定は違憲だ」とした弁護士達3人の提訴はスラップ提訴に該当すると認定している。
提訴を報じている記事によれば、「天皇即位のたびに元号を制定するのは、憲法13条が保障する「個人の尊厳」を侵害して違憲」なのだそうだが、これは典型的な「憲法を利用して、なんでもかんでも憲法違反」である。この手口は、所謂「護憲派」が用いる牽強付会論法(*4)である。
知っての通り、現行憲法になって以降、天皇即位に伴う元号制定は、これが初めてではない。
昭和から平成になったのは今から約30年前のことである。その際に、元号制定を違憲とする訴訟があったのかというと、そんな話は聞いたことがない。
当たり前である。
元号の制定は、元号法(*5)に基づき行われるもので、弁護士ならば元号法の存在を知らない訳がない。平成への改元時は、法的には元号法が適用されたのであり、今回も、また同様である。
そういう前例があるのに、その点にはふれず、今になって訴訟を起こすのは、司法の場を濫用した政治パフォーマンスそのものではないか。
この「弁護士達3人」がいう「憲法13条に反して違憲」なる「理屈」があるのだったら、元号法自体が「違憲」となるはずだ。
そうだとしたならば、元号法が制定された昭和54年(1979年)から、既に40年間との時間が経過しており、その何処かで違憲立法審査の申立てをしていなければ、「元号制定は違憲だ」なる「理由」で以て、今になって提訴する行為は、、所詮「とってつけた屁理屈」での嫌がらせ政治パフォーマンスでしかない。
全体を俯瞰しての論考は以上である。
それは、いつもの「パヨク」・「サヨク」連中の詐話であるのだが、それだけで済ましていては、彼等の本性への理解が深まらないと思う。
そういう事から、今回も、彼等の底意が何かを、もう少し掘り下げて論証する。
先に、違憲提訴記事での弁護士達3人の訴訟「理由」を取り上げる。
それを報じる記事の後半は「個人vs元号」との建て付けで書かれている。
この建て付けは朝日新聞の社説と同じものである。
以下に同部分を引用する
↓
<弁護士ドットコムニュースから抜粋引用>
(前略)「元号制定によって、国民は『天皇在位の時間』に閉じ込められ、世界史(西暦)とつながっているという意識がぶつ切られることになる」と述べた。
○また、元号の年度を覚えていても、何年前のことかすぐにわからず、「時間の意識の喪失状態に陥っている」という(山根弁護士)。一方で、「象徴天皇制」を否定しているわけではなく、あくまで元号制定に必然性がないからだ、と強調した。(後略)
<抜粋引用終わり>
これを読んで、何を言いたいのか分かる方は、かなりの博学だ。
多分、多くの方々は、「西暦は連続性があるけど、元号は、明治・大正・昭和・平成と改元があるので、連続性の視点では「○年前」との年代理解の即時性がない」という話であるという後段部分についてはなんとなく分かるであろう。
一方、前段の「元号制定によって、国民は『天皇在位の時間』に閉じ込められ、世界史(西暦)とつながっているという意識がぶつ切られることになる」の意味は良く分からないと思う。
注:資料編を先にお読みいただいた方なら、既にお分かりのことだと思う。資料編の「5.」の話である。続ける。
前段部分の前半は、「パヨク」・「サヨク」連中が提示する「元号は統治の道具」との主客転倒」なる詐話がベースになっている話だ。
しかし、そんなものは存在しない。現に、我々日本人は、和暦と西暦を並行的に使用している。
けして「「元号制定によって、国民は『天皇在位の時間』に閉じ込められ」てはいない。
我々日本人は和暦を、イスラム経の人はイスラム暦を、自分達の文明基盤の暦として使用しているのであって、けして「閉じ込められて」いる訳ではない。
注:ここの論拠は、資料編の「2.和暦・西暦・イスラム暦etc.世界の暦について」と「3.暦とは天体運航をベースにした時間基準」にて提示してある通りである。
前段部分の後半は、「世界史(西暦)とつながっているという意識がぶつ切られることになる」であるが、これが何を意味しているのかというと、表面的には、後段の話である「連続性の視点では「○年前」との年代理解の即時性がない」という話に見えるが、言っていることはもっと悪質だ。
弁護士達3人の主張内容は「和暦廃止・西暦統一」であるが、その底意が悪質である。
「西暦使用」に関しては、西暦が今や結果的世界標準のカレンダー(デファクト・スタンダード)になっており、その点は、基準として便利だから、西暦を選択すること自体に違和感はない。ところが、「西暦に統一」とは、我々が現実社会でやっている和暦元号・西暦の並列運用を、画一的に「和暦元号の使用を禁止せよ」というものである。
これは、飛鳥時代の大化から、約1400年間続いている我が国の文化・文明の否定である。
並列使用を、弁護士達3人は「憲法違反」などと言っているのは、要するに、そういうことだ。
弁護士達3人は「『天皇在位の時間』に閉じ込められ」などと言っているが、「西暦のみ使用」とは、西暦が「「キリストの御世」との世界観による暦」であることに、あまりにも無頓着であり、けして「『主イエス・キリストの御世』に閉じ込められる」との側面があるのに、それには触れようとしない。
和暦・元号とは、我々日本人が、我々の先人達が、約1400年間の暮らしの集積の中で培ってきた我々の文明の一部なのに、その使用を禁止しろと言っている。
そういう連中なのである。
イスラム文明圏の国々が、古典的イスラム暦とデファクト・スタンダードの西暦ベースのイスラム暦を巧く使用している事実がある。
ところが、この手の「パヨク」・「サヨク」は、日本独自のものだけがお嫌いなのだ。
我が国が独自の元号を使用し始めたのは、大化の改新の「大化」からであるとされている。
大化元年は西暦645年である。
我が国の暦である和暦の元号は大化以降途切れることなく、平成31年の現在まで1374年間続いているのである。
その時代は、日本史の時代区分で言えば「飛鳥時代」である。
その時代、我が国は、聖徳太子の「日出ずる国の天子・・・」の書状にて、我が国は華夷秩序から脱しているのである。この頃から我々日本人は、自身の元号を使用続けているが、これは「中華思想・華夷秩序」からの脱退を象徴する「シナの地の元号不使用」なのである。
我が国に、和暦・元号を使うなと言っている「パヨク」・「サヨク」は、まさか「シナ大陸の王朝に帰依して、その柵封を受けよ、華夷秩序に従え」と言っているのか?
注:ここの事実提示及び論拠は、資料編の「2.和暦・西暦・イスラム暦etc.世界の暦について」と「6.「統治からの脱退」としての元号不使用」と「7.まとめ」にて提示してある通りである。
今回は以上である。
我々日本人は、和暦元号に、もっと誇りを持って良いと思うが、少なくとも、和暦元号と西暦の並列使用をしており、それで良いと考えている。
今回論考で示した様に、改元を否定する人達の底意は、我が国文化を否定したい反日革命の為の虚論でしかないのである。
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【文末脚注】
(*1):明治天皇が制定した維新後の一世一元の原則
<一世一元の詔>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%B8%96%E4%B8%80%E5%85%83%E3%81%AE%E8%A9%94
<一世一元の詔より抜粋引用>
(前略)明治元年と為す。今より以後、旧制を革易し、一世一元、以て永式と為す。主者施行せよ。
<抜粋引用終わり>
※一世一元の原則は、この「一世一元の詔」を原初として、明治32年(1899年)に制定された旧皇室典範、戦後の現行憲法下での昭和54年(1979年)に制定された元号法により堅持され続けている。
(*2):朝日新聞の3月21日の社説
朝日新聞デジタル 2019年3月21日05時00分
見出し:◆(社説)「改元」を考える 時はだれのものなのか
https://www.asahi.com/articles/DA3S13942702.html
本文:○もうすぐ新たな元号が発表される。
○朝日新聞を含む多くのメディアは「平成最後」や「平成30年間」といった表現をよく使っている。一つの時代が終わり、新しい時代が始まる、と感じる人も少なくないだろう。
○でも、ちょっと立ち止まって考えてみたい。「平成」といった元号による時の区切りに、どんな意味があるのだろうか。
○そもそも時とはいったい何なのか。誰かが時代を決める、あるいは、ある歳月に呼び名が付けられることを、どう受け止めればいいのだろうか。
小見出し:■統治の道具だった
○スターリン時代の旧ソ連の強制収容所には、時計が無かったそうだ。
○ロシアのノーベル賞作家ソルジェニーツィンが、かつてそう書いている。理由はといえば、「時間は囚人のかわりにお上(かみ)が承知しているから」だと。
○囚人は収容所のなかで、今が何時かを知るすべはない。「作業を始める時間だ」「食事を終える時間だ」。懲罰的な意味合いも含め、時間は収容所側が一方的に管理するものだった。
○歴史を振り返れば、多くの権力は、時を「統治の道具」として利用してきた。
○日本の元号も、「皇帝が時を支配する」とした中国の思想に倣ったものである。
○前漢(紀元前206年~8年)の武帝が、時に元号という名前を付けることを始めた。皇帝は元号を決め、人々がそれを使うことには服属の意味が込められた。一部の周辺国が倣い、日本では「大化」の建元が行われた。
○確かに、人間が集団生活を営むうえで、時をはかる「共通の物差し」は不可欠のものだ。
○だから世界には様々な種類の「暦」が存在する。キリスト教暦である西暦、イスラム教のヒジュラ暦、仏暦やユダヤ暦。
○ただ、元号には独特なところがある。「改元」という区切りがあるからだ。日本では明治以降、一代の天皇に一つの元号という「一世一元」の仕組みも出来た。天皇が即位することで、起点はその都度、変わる。
小見出し:■分かれる意識
○1979年に現在の元号法が成立した際、元海軍兵士の作家、渡辺清は日記に書いた。
○「天皇の死によって時間が区切られる。時間の流れ、つまり日常生活のこまごましたところまで、われわれは天皇の支配下におかれたということになる」(『私の天皇観』)
○時代を特徴づけるのは、その間の出来事である。戦争という暗い過去と重なることで、拒否感を抱く人はいるだろう。
○ただ今では、特に意識しないという声が多いようだ。
○今月の朝日新聞の世論調査によると、日常生活でおもに使いたいのが新しい元号だと答えた人は40%。西暦だと答えた人は50%だった。新天皇の即位と新しい元号で、世の中の雰囲気が変わると思う人は37%、思わない人は57%となっている。
○元号か西暦か、優先度が割れる背景には多様な考え方があるだろう。それは自然なことでもある。そもそも普遍的な時の尺度など存在しないのだから。
○中国語の「宇宙」には「この世界」との意味がある。「宇」は空間を、「宙」は時間をそれぞれ表す。時というものは、その空間と不可分であり、社会の現実を抜きにしては語れないというような概念にもみえる。
小見出し:■自由な思考とともに
○さまざまな暦のような時代の画定がある一方で、人間には個々が抱く時の感覚がある。
○詩人は書く。
○「僕は腕のいいコックで/酒飲みで/オトーチャマ」。夕食の準備をしながら、幼い娘と言い争いが始まる。「小さなユリが泣く」。しかし、やがて、「しずかで美しい時間」が訪れる。「おやじは素直にやさしくなる/小さなユリも素直にやさしくなる/食卓に向かい合ってふたり座る」(黒田三郎『夕方の三十分』)
○人間は誰もが、何にも代えがたい時を持っている。
○大切な人との時間、自分の思索に浸る時間、みんなと思い出を共有したあの時……。そうした時の流れをどう名付け、区切るかは、個々人の自由の営みであり、あるいは世相が生み出す歴史の共有意識でもあろう。
○「わたしの青春時代」もあれば、「戦後」や「団塊の世代」といった言葉もある。世界に目を転じれば、「冷戦期」「グローバル化時代」というくくり方も思い浮かぶ。
○人生の節目から国や世界の歩みまで、どんな時の刻みを思い描くかは、その時その時の自らの思考や視野の範囲を調整する営みなのかもしれない。
○もちろん元号という日本独自の時の呼び方があってもいい。ただ同時に、多種多様な時の流れを心得る、しなやかで複眼的な思考を大切にしたい。
○時を過ごし、刻む自由はいつも、自分だけのものだから。
<引用終わり>
(*3):「元号制定は違憲だ」と提訴している弁護士
弁護士ドットコムニュース 2019年03月27日 12時42分
見出し:◆「元号制定は違憲だ」弁護士やジャーナリストらが提訴 「時間意識が喪失する」
https://www.bengo4.com/c_23/n_9434/
記事:○天皇即位のたびに元号を制定するのは、憲法13条が保障する「個人の尊厳」を侵害して違憲だとして、弁護士やジャーナリストら3人が3月26日、国を相手取り、元号制定の差し止めを求めて、東京地裁に提訴した。原告によると、元号制定を違憲とする訴訟は初めて。
○原告は、長野県の山根二郎弁護士(82)、東京のジャーナリスト・矢崎泰久氏(86)ら3人。訴状によると、3人は、国による元号制定が、国民一人ひとりが有している「連続した時間」を切断し、憲法13条が保障する「個人の尊厳」や「人格権」を侵害すると主張している。
小見出し:●「元号制定に必然性がない」
○提訴後、原告3人は、東京・霞が関の司法記者クラブで会見を開いた。山根弁護士は「元号制定によって、国民は『天皇在位の時間』に閉じ込められ、世界史(西暦)とつながっているという意識がぶつ切られることになる」と述べた。
○また、元号の年度を覚えていても、何年前のことかすぐにわからず、「時間の意識の喪失状態に陥っている」という(山根弁護士)。一方で、「象徴天皇制」を否定しているわけではなく、あくまで元号制定に必然性がないからだ、と強調した。
○新元号をめぐっては、政府は4月1日、発表する予定としており、現在の皇太子が即位する5月1日から改元することになっている。原告は、5月1日以降に「新元号は無効だ」という主張も付け加えるとしている。
<引用終わり>
(*4):憲法13条が保障する「個人の尊厳」を侵害して違憲だ」が提訴理由なのだそうだが、これは典型的な「憲法を利用して、なんでもかんでも憲法違反」との所謂「護憲派」の手口である。
2019/01/08投稿:
不参加は「憲法違反」なんかじゃない・沖縄住民投票
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1086.html
(*5):元号法
元号法 (昭和五十四年法律第四十三号)
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=354AC0000000043
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。
<引用終わり>
【ご参考】
2019/03/29投稿:
(資料編)元号・暦考・和暦だけが御嫌いな人達
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-1143.html
<「7.まとめ」部分から抜粋引用>
資料編を「今北産業」(今来たところだ、三行で要約して教えろ、との意味)的にまとめる。
・我が国の元号は、我が国が約1400年もの間、継続してきた我々日本文明の一部である。
・「元号は統治の道具」なる話は主客転倒したもので、事実とは異なる。
・「我が国独自の元号の使用」は、中華思想・華夷秩序からの独立性の象徴である。
<引用終わり>
2015/12/25投稿:
【コラム】我が国の文化背景
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-292.html
2017/07/04投稿:
シナ大陸の歴史観・易姓革命
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-708.html
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【追記】本項は、論拠・論証を提示している部分を別項にしたものであり、「残骸」感があるかもしれないが、ご勘弁いただきたい。
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