(資料編)元号・暦考・和暦だけが御嫌いな人達
- 2019/03/29
- 22:45
(資料編)元号・暦考・和暦だけが御嫌いな人達

副題:我が国が華夷秩序の外にあることを示す和暦。それが御嫌いな方達の屁理屈が見苦しい。原稿が長くなり過ぎたので、事実提示及び論証部分を取り出し、別項の資料編とした。
1.一世一元の原則
今上陛下のご譲位に伴い、皇太子殿下が新たな天皇となられる。
それに伴い、新たな元号へと改元される。
これは明治天皇が制定した維新後の一世一元の原則に則るものである。
一世一元の原則は、明治天皇の「一世一元の詔」(*1)を原初として、明治32年(1899年)に制定された旧皇室典範、そして戦後の現行憲法下での昭和54年(1979年)に制定された元号法(*2)により堅持され続けている。
2.和暦・西暦・イスラム暦etc.世界の暦について
我々日本人のとっての「暦」といえば、西暦と和暦が最初に想起されるが、世界では、イスラム暦(ヒジュラ暦)、ユダヤ暦等の各国の文化背景に基づく暦が存在している。
西暦は、今や結果的世界標準(デファクト・スタンダード)の暦となっているが、そもそもは「キリストの御世」というキリスト教の世界観に基づく暦である。
今年、平成31年の2019年の「2019」という数字は、一言で言えば「キリスト生誕から2019年目」ということだ。
西暦で紀元前のことをBCと表記する。
これは「Before Christ」の略で、「キリスト生誕以前」ということだ。
一方の「紀元後」はADと表記する。この「紀元後」を表すADは、ラテン語での「主イエス・キリストの御世」の頭文字である。
西暦は「キリストの御世」との世界観の暦であるので、起点を「キリスト生誕の年」に置いて「それ以前」と「それ以降」にしているのである。
主イエス・キリストの生誕とは、キリスト教・新約聖書にある様に、神との新たな契約の始まりなのである。
そういう世界観を持つ西欧文明諸国が、この世界をずっとリードしてきており、それが、今や結果的世界標準として世界で使用されているのである。
一方、キリスト教と同じ一神教のイスラム教諸国やユダヤ教のイスラエルでは、「キリストの御世」ではちょっとマズイ。
そういう事もあり、「西暦一本だけにする」という選択は、キリスト教とは違う一神教の文化背景を持つ国々では無理であり、彼等は自分達の世界観に基づき暮らしている。
とは言え、西暦が世界のデファクト・スタンダードになっている事は事実であり、それを「基準」とすることが必要なのが現実であり、イスラム諸国では、西暦ベースのイスラムカレンダーを日常生活では使用している。
イスラム歴を例として述べてきたが、世界には、まだたくさんのそれぞれの暦がある。
我が国の場合も、我が国の文化背景に基づき千数百年間も使用し続けている和暦があり、デファクト・スタンダードの西暦との並列使用をしている。
そういう構造の話なのである。
そうであるにも関わらず、「元号・和暦を使用するな」との主張がある。
これは、並列使用をただ単にやめると言う意味ではなく、我が国文化・その歴史の否定が、目的であることがわかるであろう。 反日運動が、その正体なのである。
◆イスラムの休日のお話
ちょっと余談になるが、中東出張の際は、事前にイスラム暦を調べないと困ることがある。
日本では、週休2日の場合は小売業等の業種的特性がある場合を除き、土曜と日曜がお休みであるのが一般的だが、イスラム教の国では、金曜日と土曜日がお休みである。
曜日に関しては、それを知っていれば良いのだが、イスラム教国にはやっかりな事がある。
イスラム教国に限らず、世界の各国には、土日・金土の様な週末以外に祝日・休日がある。
よって、海外出張の際には、訪問国の祝日・休日を調べてからスケジューリングしないと現地国の休日にあたってしまい、仕事の予定が狂うことがある。
多くの国の場合は、我が国と同様に、事前に「今年の祝日は○月○日」が分かり、その国の「今年のカレンダー」を入手しておけば問題がない。
逆に言えば、出張で訪問する可能性がある国のカレンダーがないと困るということだ。
各国は、各国が持つ自国の価値観に基づいたカレンダーを以て運営されているのが現実世界の姿なのである。
事前に祝日・休日が確定するのが普通だと思っていると、イスラム暦の国では違っているので注意が必要だ。
イスラム暦での休日の決定は、月の満ち欠けが基準となっており、直前まで「○月○日」が決まらず、想定していた祝日が1~2日程度違ってくることがある。
また、イスラム暦は太陰暦なので、太陽暦での1月、2月の様な「月」の概念が違う。
イスラム教国には「ラマダン月」があり、その「月」の間は、日中の飲食が宗教的に禁止されるのだが、太陽暦とは違い、それが毎年、少しづつ移動する。
「5年前の夏にラマダンがあった」場合、「今年も夏にある」とはならないのである。
何年か前に、どうしてもラマダン期間中に中東にいかなくてはならなくなった事があり、最中に行ったことがある。
そしたら、ホテルの冷蔵庫はカラップであり、ミネラルウォーターもなく、また、ホテル正面にあった喫煙所でも喫煙は禁止であり、昼飯は「ラマダン中でも昼飯を提供している外国人用のレストラン」に行くことになったり、タイ人等の非イスラム系の外国人が経営している飲食店からデリバリーをとるしかなかった。
文字にすれば大したことではない様に感じるだとうが、これは、かなりの苦労を伴う。
そうであっても、イスラム教国は、彼等が信じるイスラム文明圏の国々であり、それを基盤とする社会なのである、ラマダンを行うことが、彼等の生活実態の集積の上での正邪判断で「正」とされているの社会なのである。
そういう基盤の一部を成している暦を否定するという事は、各文明圏が、その世界観に基づき暮らすことを否定するという構図である。
多様性ある各国の文化・文明の存在を否定する行為は、形を変えた国際共産主義である「グローバリズム」の主張と同じことなのである。
そういう構造の話なのであり、「元号・和暦を使用するな」との主張は、要するに、我が国文化背景の否定が、その目的であることがわかるであろう。
3.暦とは天体運航をベースにした時間基準
「1年」という時間は、地球が太陽の周りを1周する公転周期による時間である。
「1月」という時間は、月の満ち欠けを単位とする時間単位である。
月が満ち欠けをするのは、太陽と地球と月の位置関係で生じる現象である。
「1週」とは、「1月」の半分の半分を1単位としたものだ。
「1日」という時間は地球の自転により、太陽に向いている時は昼、そうじゃない時は夜との自転周期による時間単位である。
「1時間」という時間は、自分がいる場所を基点とした太陽の位置を示す時間単位である「1刻」の半分の長さの単位である。
ちょっと長く書いたが、何を言いたいのかというと、暦は時間であり、それは天体運航をベースにしているという事である。
天体運航という人間が手を出せない事象をベースが基準になっているのだが、その一方で、人間が集団を形成し、その集団が暮していくためには、何等かの基準が必要になってくる。
集団が生きていくためには、例えば、他の集団からの脅威から自己を守る必要があるし、自分達が食べていく為に農耕をおこなっていく際に、それに失敗して収穫が足りなければ生きていけなくなる。
取り分け、天体運航に伴う春夏秋冬他の気象変動を把握することは農耕収穫には死活問題である。
地球上の中緯度にいる人類は、季節サイクルがあること、太陽が昇り・沈む位置が変化していること、それが季節とリンクしていることを認知する。そして、集団の規模が大きくなるに従い、「1日というサイクルの理解」だけでは機能しなくなり、日付を特定する「暦」が必要になってくるのである。
ざっと言えば、暦とは、生きていく為の知恵なのである。
以前に「1日というサイクルの理解」に関して論考している(*3)ので、ここでは触れていないことから、いきなり、暦が知恵であるとの話になったが、それはご勘弁いただきたい。
「今から3回目の日の出の時」とかでは、おまりにも大雑把なのである。
従い、日付を特定する「暦」が必要になってくるのである。
そして、「「日付」の確定」には、共通のカレンダー・暦が必要なのである。
現在の我々が使用しているカレンダー・暦は、平成31年・2019年3月のカレンダーであるが、イスラム歴では別の年・月・日になっている。それではあまりにも不便なので西暦をベースにしたイスラムカレンダーを日常生活では使用している。
この様に「「日付」の確定」には、共通のカレンダー・暦が必要なのである。
「「日付」の確定」を古代に於いて実施した事例として、シナの地での暦を用いて話を続ける。
同地に於ける暦は、西洋考古学的には「国家存在として証明できない」程に古い時代とされる昔々の殷・周の時代(紀元前1600年?~紀元前256年)には存在していたことが遺物からわかっている。
しかし、それらが、どの範囲で有効だった暦なのかまでは明確ではない。
少なくとも、その後の秦や漢の様な全土ではなかったことは確かである。
4.シナ大陸の暦・シナの地での元号
「どの範囲で」という視点は、前述した「デファクト・スタンダードの西暦ベースのイスラムカレンダー」という視点と同じく、重要なファクターである。
シナの地の広い範囲で「統一された暦」が運用されことが分かる史実として確認されているのは前漢(紀元前206年~)からと言われている。
「シナの地の広い範囲」は、同地の「王朝の歴史」にリンクしている。
シナの地の王朝の統治範囲が、その王朝が使用していた暦が適用された範囲だと考えてよい。
同地の王朝については、以前に論考している(*4)ので、詳しくは述べないが、「王朝の統治範囲が、その王朝が使用していた暦が適用された範囲」というのは、上述した「各国のカレンダー」の話と同じ話である。
◆元号の登場
元号が登場したのは、前漢の皇帝・武帝の時代である。
当初は元号が付されていなかったが、後年になってから時代区分を表すとして、元号が遡ってつけられたとされている。
前漢と後漢の間には断裂があるが、それを脇に置いて言えば「漢の時代」は紀元前206年から起源後220年の426年間続いた時代である。
その間に使われた暦の元号の最初は、資料によると、武帝の時代の紀元前116年から紀元前111年の「元鼎」の時代に、はじめて元号が付された。
そして、武帝の治政が始まった時代に遡り、その各々に元号が付されたのが起源であると書いてある。
「最初の元号」の「建元」(紀元前140年から紀元前135年)は、「元鼎」の時代(紀元前116年から紀元前111年)に付された、という事であり、「元号の起源は何時?」との点では数十年の誤差があるのだが、何れにしろ、「紀元前2世紀の事」である。
後漢王朝が紀元220年に滅び、シナの地が魏・呉・蜀の三国時代(バラバラ時代)になると、その各々が自分達の元号を用いた。
それは隋(AD581年~)・唐(AD618年~)との統一王朝が出現するまで続いた。
5.「元号は統治の道具」との主客転倒
朝日新聞の様な、カタカナ表記「サヨク」連中が常用する宣伝文句に「元号は統治の道具」がある。
しかし、それはねじ曲げられてものである。
暦は、社会を円滑に運営する為に設けられた「基準」のうちの1つであり、その基準が違っていると混乱するものだ。
シナの地の王朝の歴史で見てきた様に、統一王朝が出来ると、その統治下での「基準」として、その暦の元号が全土で用いられたものだ。
つまり、「統治の道具」ではなく、「統治下での基準」であり、最初に統治があるのである。
「統治下での基準」が「統治の道具」にならない例としては、返還前沖縄の自動車の右側通教がある。
「右側通行にして米軍統治を徹底した」のではなく、米軍が統治しているので、右側通行ルールが適用されたのである。
暦も同じである。シナの地の王朝が、その冊封体制下の服属国、属国等に「中華の地」の王朝が使用している暦を基準として使用させるのであり、それは現在のデファクト・スタンダードである西暦を国際標準として使用しているのと同じで、使用しないと都合が悪いからである。
6.「統治からの脱退」としての元号不使用
上記した様に「統治下にあるから、その統治での基準である暦を使う」のが本当の理由である。
一方、統治下から脱退した場合は、「基準を合わせる必要性」がなくなるのである。
漢王朝が滅び、三国時代になると、「漢王朝の基準」で作られた元号の暦を使う必要性がなくなり、魏・呉・蜀の三国は、各々の元号を持つ様になったのである。
現代に於いては、科学技術が進展し高度社会となっており、時間・日付の「基準を合わせる必要性」があるので、デファクト・スタンダードの西暦ベースの暦を使用しているのであり、統治とは関係がない。
「基準を合わせる必要性」の有無の話なのである。
因みに、国際標準様式のパスポートの「年」の単位は西暦である。
「年月日」の様式は、我が国で一般的な年月日の順に、その総てを数字で表すものではなく、最初に「日」が二桁数値で表記され、次に「月」がアルファベット3文字で表記され、最後に西暦年が数字で表記される。
2019年3月3日は、03 MAR 2019と表記されるが、これらは「基準を合わせる必要性」からのものである。
現代社会の様に世界中が「基準を合わせる必要性」を共有している時代とは違う、昔々の時代、例えば、シナの地の王朝を中華とする華夷秩序・冊封体制との関係性を脱すれば暦を同じにしておく必要性はなくなるのである。
つまり、シナの地の王朝が使用している暦である「中華の元号」とは別の元号を使用するということは、華夷秩序・冊封体制からの脱退を象徴するものである、ということだ。
我が国が独自の元号を使用し始めたのは、大化の改新の「大化」からであるとされている。
「されている」としたのは、それ以前の年代の元号は「私年号」だとしたり、後年になって付されたもの、との見解があるからだ。ここでは、和暦は「大化」からとしておく。
大化元年は西暦645年、今から1374年前のことである。
我が国の暦である和暦の元号は大化以降途切れることなく、平成31年の現在まで1374年間続いているのである。
「西暦645年」という時代は、日本史の時代区分で言えば「飛鳥時代」である。
飛鳥時代で想起されるキーワードには大化の改新の他に、遣隋使・遣唐使、聖徳太子、法隆寺等々がある。
遣隋使・聖徳太子とくれば、西暦607年の髄の煬帝に宛てた「日出ずる国の天子・・・」の書状の話になると思うが、要するに、我が国は、この時期に華夷秩序から脱しているのである。
書状の西暦607年は多くの資料で「推古15年」と記載される。
これは大化元年以前の年代であるが、前述した様な理由から、我が国は、その約40年後の大化からが、我が国独自の元号とされているのである。
この事から分かることは、西暦600年=7世紀初頭辺りから、我々日本人は、自身の元号を使用続けているということだ。
そして、それは「中華思想・華夷秩序」からの脱退を象徴する「シナの地の元号不使用」ということなのである。
ちょっと話は逸れるが、我が国の元号が、西暦の様な連続年方式でなく、改元が行われる形式なのは、和暦元号の、御手本であるシナの地の元号の方式にならったものだからである。
「年数が連続していなくて不便」というのは、近年になってからの「必要性」が生じたことによるものである。
「統治者の元号を使用しないこと」は、自身の独立性を確保していることの象徴なのである。
しかし、「逆は必ずしも真ならず」であり、前述した様に、「元号は統治の道具」ではない。
統治下の地域や属国に、その統治上の基準を適用しているものなのである。
最後に蛇足ながら、「中華思想・華夷秩序」での属国の地位にあった時代の朝鮮半島の李氏朝鮮は、独自の元号を使用していないことを付記しておく。
7.まとめ
かなり長くなったので、今回の資料編を「今北産業」(今来たところだ、三行で要約して教えろ、との意味)的にまとめる。
・我が国の元号は、我が国が約1400年もの間、継続してきた我々日本文明の一部である。
・「元号は統治の道具」なる話は主客転倒したもので、事実とは異なる。
・「我が国独自の元号の使用」は、中華思想・華夷秩序からの独立性の象徴である。
この事を踏まえていれば、朝日新聞の様な反日勢力が言っていることのカラクリが分かると思う。
朝日新聞等は、「元号は「天皇の時間」に個人を押し込める」などのポエムを言っているのだが、この正体は、我々日本人が1400年もの間、継続してきた我々日本文明の一部である和暦の元号を切り崩し、日本文明を否定したいからである。
元号を取っ払い、「「元号からの脱退」は「日本からの独立」の象徴だ」としたいのが、彼等の本音なのである。
これを一言で言えば「反日革命の為の難癖」なのである。
今回の資料編は以上である。
「元号・暦考・和暦だけが御嫌いな人達」との表題で書いていた原稿が長くなりすぎたので、その原稿から、事実提示及び論証部分を取り出したのが今回の資料編である。
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【文末脚注】
(*1):明治天皇が制定した維新後の一世一元の原則「一世一元の詔」
<一世一元の詔>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%B8%96%E4%B8%80%E5%85%83%E3%81%AE%E8%A9%94
<一世一元の詔より抜粋引用>
(前略)明治元年と為す。今より以後、旧制を革易し、一世一元、以て永式と為す。主者施行せよ。
<抜粋引用終わり>
※一世一元の原則は、この「一世一元の詔」を原初として、明治32年(1899年)に制定された旧皇室典範、戦後の現行憲法下での昭和54年(1979年)に制定された元号法により堅持され続けている。
(*2):元号法
元号法 (昭和五十四年法律第四十三号)
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=354AC0000000043
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。
<引用終わり>
(*3):以前の「1日というサイクルの理解」に関する論考
2015/12/24投稿:
【コラム】お誕生日の「翌日」は普通の日
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-291.html
2015/12/25投稿:
【コラム】我が国の文化背景
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-292.html
(*4):以前のシナの地に於ける王朝に関する論考
2017/07/04投稿:
シナ大陸の歴史観・易姓革命
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-708.html
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副題:我が国が華夷秩序の外にあることを示す和暦。それが御嫌いな方達の屁理屈が見苦しい。原稿が長くなり過ぎたので、事実提示及び論証部分を取り出し、別項の資料編とした。
1.一世一元の原則
今上陛下のご譲位に伴い、皇太子殿下が新たな天皇となられる。
それに伴い、新たな元号へと改元される。
これは明治天皇が制定した維新後の一世一元の原則に則るものである。
一世一元の原則は、明治天皇の「一世一元の詔」(*1)を原初として、明治32年(1899年)に制定された旧皇室典範、そして戦後の現行憲法下での昭和54年(1979年)に制定された元号法(*2)により堅持され続けている。
2.和暦・西暦・イスラム暦etc.世界の暦について
我々日本人のとっての「暦」といえば、西暦と和暦が最初に想起されるが、世界では、イスラム暦(ヒジュラ暦)、ユダヤ暦等の各国の文化背景に基づく暦が存在している。
西暦は、今や結果的世界標準(デファクト・スタンダード)の暦となっているが、そもそもは「キリストの御世」というキリスト教の世界観に基づく暦である。
今年、平成31年の2019年の「2019」という数字は、一言で言えば「キリスト生誕から2019年目」ということだ。
西暦で紀元前のことをBCと表記する。
これは「Before Christ」の略で、「キリスト生誕以前」ということだ。
一方の「紀元後」はADと表記する。この「紀元後」を表すADは、ラテン語での「主イエス・キリストの御世」の頭文字である。
西暦は「キリストの御世」との世界観の暦であるので、起点を「キリスト生誕の年」に置いて「それ以前」と「それ以降」にしているのである。
主イエス・キリストの生誕とは、キリスト教・新約聖書にある様に、神との新たな契約の始まりなのである。
そういう世界観を持つ西欧文明諸国が、この世界をずっとリードしてきており、それが、今や結果的世界標準として世界で使用されているのである。
一方、キリスト教と同じ一神教のイスラム教諸国やユダヤ教のイスラエルでは、「キリストの御世」ではちょっとマズイ。
そういう事もあり、「西暦一本だけにする」という選択は、キリスト教とは違う一神教の文化背景を持つ国々では無理であり、彼等は自分達の世界観に基づき暮らしている。
とは言え、西暦が世界のデファクト・スタンダードになっている事は事実であり、それを「基準」とすることが必要なのが現実であり、イスラム諸国では、西暦ベースのイスラムカレンダーを日常生活では使用している。
イスラム歴を例として述べてきたが、世界には、まだたくさんのそれぞれの暦がある。
我が国の場合も、我が国の文化背景に基づき千数百年間も使用し続けている和暦があり、デファクト・スタンダードの西暦との並列使用をしている。
そういう構造の話なのである。
そうであるにも関わらず、「元号・和暦を使用するな」との主張がある。
これは、並列使用をただ単にやめると言う意味ではなく、我が国文化・その歴史の否定が、目的であることがわかるであろう。 反日運動が、その正体なのである。
◆イスラムの休日のお話
ちょっと余談になるが、中東出張の際は、事前にイスラム暦を調べないと困ることがある。
日本では、週休2日の場合は小売業等の業種的特性がある場合を除き、土曜と日曜がお休みであるのが一般的だが、イスラム教の国では、金曜日と土曜日がお休みである。
曜日に関しては、それを知っていれば良いのだが、イスラム教国にはやっかりな事がある。
イスラム教国に限らず、世界の各国には、土日・金土の様な週末以外に祝日・休日がある。
よって、海外出張の際には、訪問国の祝日・休日を調べてからスケジューリングしないと現地国の休日にあたってしまい、仕事の予定が狂うことがある。
多くの国の場合は、我が国と同様に、事前に「今年の祝日は○月○日」が分かり、その国の「今年のカレンダー」を入手しておけば問題がない。
逆に言えば、出張で訪問する可能性がある国のカレンダーがないと困るということだ。
各国は、各国が持つ自国の価値観に基づいたカレンダーを以て運営されているのが現実世界の姿なのである。
事前に祝日・休日が確定するのが普通だと思っていると、イスラム暦の国では違っているので注意が必要だ。
イスラム暦での休日の決定は、月の満ち欠けが基準となっており、直前まで「○月○日」が決まらず、想定していた祝日が1~2日程度違ってくることがある。
また、イスラム暦は太陰暦なので、太陽暦での1月、2月の様な「月」の概念が違う。
イスラム教国には「ラマダン月」があり、その「月」の間は、日中の飲食が宗教的に禁止されるのだが、太陽暦とは違い、それが毎年、少しづつ移動する。
「5年前の夏にラマダンがあった」場合、「今年も夏にある」とはならないのである。
何年か前に、どうしてもラマダン期間中に中東にいかなくてはならなくなった事があり、最中に行ったことがある。
そしたら、ホテルの冷蔵庫はカラップであり、ミネラルウォーターもなく、また、ホテル正面にあった喫煙所でも喫煙は禁止であり、昼飯は「ラマダン中でも昼飯を提供している外国人用のレストラン」に行くことになったり、タイ人等の非イスラム系の外国人が経営している飲食店からデリバリーをとるしかなかった。
文字にすれば大したことではない様に感じるだとうが、これは、かなりの苦労を伴う。
そうであっても、イスラム教国は、彼等が信じるイスラム文明圏の国々であり、それを基盤とする社会なのである、ラマダンを行うことが、彼等の生活実態の集積の上での正邪判断で「正」とされているの社会なのである。
そういう基盤の一部を成している暦を否定するという事は、各文明圏が、その世界観に基づき暮らすことを否定するという構図である。
多様性ある各国の文化・文明の存在を否定する行為は、形を変えた国際共産主義である「グローバリズム」の主張と同じことなのである。
そういう構造の話なのであり、「元号・和暦を使用するな」との主張は、要するに、我が国文化背景の否定が、その目的であることがわかるであろう。
3.暦とは天体運航をベースにした時間基準
「1年」という時間は、地球が太陽の周りを1周する公転周期による時間である。
「1月」という時間は、月の満ち欠けを単位とする時間単位である。
月が満ち欠けをするのは、太陽と地球と月の位置関係で生じる現象である。
「1週」とは、「1月」の半分の半分を1単位としたものだ。
「1日」という時間は地球の自転により、太陽に向いている時は昼、そうじゃない時は夜との自転周期による時間単位である。
「1時間」という時間は、自分がいる場所を基点とした太陽の位置を示す時間単位である「1刻」の半分の長さの単位である。
ちょっと長く書いたが、何を言いたいのかというと、暦は時間であり、それは天体運航をベースにしているという事である。
天体運航という人間が手を出せない事象をベースが基準になっているのだが、その一方で、人間が集団を形成し、その集団が暮していくためには、何等かの基準が必要になってくる。
集団が生きていくためには、例えば、他の集団からの脅威から自己を守る必要があるし、自分達が食べていく為に農耕をおこなっていく際に、それに失敗して収穫が足りなければ生きていけなくなる。
取り分け、天体運航に伴う春夏秋冬他の気象変動を把握することは農耕収穫には死活問題である。
地球上の中緯度にいる人類は、季節サイクルがあること、太陽が昇り・沈む位置が変化していること、それが季節とリンクしていることを認知する。そして、集団の規模が大きくなるに従い、「1日というサイクルの理解」だけでは機能しなくなり、日付を特定する「暦」が必要になってくるのである。
ざっと言えば、暦とは、生きていく為の知恵なのである。
以前に「1日というサイクルの理解」に関して論考している(*3)ので、ここでは触れていないことから、いきなり、暦が知恵であるとの話になったが、それはご勘弁いただきたい。
「今から3回目の日の出の時」とかでは、おまりにも大雑把なのである。
従い、日付を特定する「暦」が必要になってくるのである。
そして、「「日付」の確定」には、共通のカレンダー・暦が必要なのである。
現在の我々が使用しているカレンダー・暦は、平成31年・2019年3月のカレンダーであるが、イスラム歴では別の年・月・日になっている。それではあまりにも不便なので西暦をベースにしたイスラムカレンダーを日常生活では使用している。
この様に「「日付」の確定」には、共通のカレンダー・暦が必要なのである。
「「日付」の確定」を古代に於いて実施した事例として、シナの地での暦を用いて話を続ける。
同地に於ける暦は、西洋考古学的には「国家存在として証明できない」程に古い時代とされる昔々の殷・周の時代(紀元前1600年?~紀元前256年)には存在していたことが遺物からわかっている。
しかし、それらが、どの範囲で有効だった暦なのかまでは明確ではない。
少なくとも、その後の秦や漢の様な全土ではなかったことは確かである。
4.シナ大陸の暦・シナの地での元号
「どの範囲で」という視点は、前述した「デファクト・スタンダードの西暦ベースのイスラムカレンダー」という視点と同じく、重要なファクターである。
シナの地の広い範囲で「統一された暦」が運用されことが分かる史実として確認されているのは前漢(紀元前206年~)からと言われている。
「シナの地の広い範囲」は、同地の「王朝の歴史」にリンクしている。
シナの地の王朝の統治範囲が、その王朝が使用していた暦が適用された範囲だと考えてよい。
同地の王朝については、以前に論考している(*4)ので、詳しくは述べないが、「王朝の統治範囲が、その王朝が使用していた暦が適用された範囲」というのは、上述した「各国のカレンダー」の話と同じ話である。
◆元号の登場
元号が登場したのは、前漢の皇帝・武帝の時代である。
当初は元号が付されていなかったが、後年になってから時代区分を表すとして、元号が遡ってつけられたとされている。
前漢と後漢の間には断裂があるが、それを脇に置いて言えば「漢の時代」は紀元前206年から起源後220年の426年間続いた時代である。
その間に使われた暦の元号の最初は、資料によると、武帝の時代の紀元前116年から紀元前111年の「元鼎」の時代に、はじめて元号が付された。
そして、武帝の治政が始まった時代に遡り、その各々に元号が付されたのが起源であると書いてある。
「最初の元号」の「建元」(紀元前140年から紀元前135年)は、「元鼎」の時代(紀元前116年から紀元前111年)に付された、という事であり、「元号の起源は何時?」との点では数十年の誤差があるのだが、何れにしろ、「紀元前2世紀の事」である。
後漢王朝が紀元220年に滅び、シナの地が魏・呉・蜀の三国時代(バラバラ時代)になると、その各々が自分達の元号を用いた。
それは隋(AD581年~)・唐(AD618年~)との統一王朝が出現するまで続いた。
5.「元号は統治の道具」との主客転倒
朝日新聞の様な、カタカナ表記「サヨク」連中が常用する宣伝文句に「元号は統治の道具」がある。
しかし、それはねじ曲げられてものである。
暦は、社会を円滑に運営する為に設けられた「基準」のうちの1つであり、その基準が違っていると混乱するものだ。
シナの地の王朝の歴史で見てきた様に、統一王朝が出来ると、その統治下での「基準」として、その暦の元号が全土で用いられたものだ。
つまり、「統治の道具」ではなく、「統治下での基準」であり、最初に統治があるのである。
「統治下での基準」が「統治の道具」にならない例としては、返還前沖縄の自動車の右側通教がある。
「右側通行にして米軍統治を徹底した」のではなく、米軍が統治しているので、右側通行ルールが適用されたのである。
暦も同じである。シナの地の王朝が、その冊封体制下の服属国、属国等に「中華の地」の王朝が使用している暦を基準として使用させるのであり、それは現在のデファクト・スタンダードである西暦を国際標準として使用しているのと同じで、使用しないと都合が悪いからである。
6.「統治からの脱退」としての元号不使用
上記した様に「統治下にあるから、その統治での基準である暦を使う」のが本当の理由である。
一方、統治下から脱退した場合は、「基準を合わせる必要性」がなくなるのである。
漢王朝が滅び、三国時代になると、「漢王朝の基準」で作られた元号の暦を使う必要性がなくなり、魏・呉・蜀の三国は、各々の元号を持つ様になったのである。
現代に於いては、科学技術が進展し高度社会となっており、時間・日付の「基準を合わせる必要性」があるので、デファクト・スタンダードの西暦ベースの暦を使用しているのであり、統治とは関係がない。
「基準を合わせる必要性」の有無の話なのである。
因みに、国際標準様式のパスポートの「年」の単位は西暦である。
「年月日」の様式は、我が国で一般的な年月日の順に、その総てを数字で表すものではなく、最初に「日」が二桁数値で表記され、次に「月」がアルファベット3文字で表記され、最後に西暦年が数字で表記される。
2019年3月3日は、03 MAR 2019と表記されるが、これらは「基準を合わせる必要性」からのものである。
現代社会の様に世界中が「基準を合わせる必要性」を共有している時代とは違う、昔々の時代、例えば、シナの地の王朝を中華とする華夷秩序・冊封体制との関係性を脱すれば暦を同じにしておく必要性はなくなるのである。
つまり、シナの地の王朝が使用している暦である「中華の元号」とは別の元号を使用するということは、華夷秩序・冊封体制からの脱退を象徴するものである、ということだ。
我が国が独自の元号を使用し始めたのは、大化の改新の「大化」からであるとされている。
「されている」としたのは、それ以前の年代の元号は「私年号」だとしたり、後年になって付されたもの、との見解があるからだ。ここでは、和暦は「大化」からとしておく。
大化元年は西暦645年、今から1374年前のことである。
我が国の暦である和暦の元号は大化以降途切れることなく、平成31年の現在まで1374年間続いているのである。
「西暦645年」という時代は、日本史の時代区分で言えば「飛鳥時代」である。
飛鳥時代で想起されるキーワードには大化の改新の他に、遣隋使・遣唐使、聖徳太子、法隆寺等々がある。
遣隋使・聖徳太子とくれば、西暦607年の髄の煬帝に宛てた「日出ずる国の天子・・・」の書状の話になると思うが、要するに、我が国は、この時期に華夷秩序から脱しているのである。
書状の西暦607年は多くの資料で「推古15年」と記載される。
これは大化元年以前の年代であるが、前述した様な理由から、我が国は、その約40年後の大化からが、我が国独自の元号とされているのである。
この事から分かることは、西暦600年=7世紀初頭辺りから、我々日本人は、自身の元号を使用続けているということだ。
そして、それは「中華思想・華夷秩序」からの脱退を象徴する「シナの地の元号不使用」ということなのである。
ちょっと話は逸れるが、我が国の元号が、西暦の様な連続年方式でなく、改元が行われる形式なのは、和暦元号の、御手本であるシナの地の元号の方式にならったものだからである。
「年数が連続していなくて不便」というのは、近年になってからの「必要性」が生じたことによるものである。
「統治者の元号を使用しないこと」は、自身の独立性を確保していることの象徴なのである。
しかし、「逆は必ずしも真ならず」であり、前述した様に、「元号は統治の道具」ではない。
統治下の地域や属国に、その統治上の基準を適用しているものなのである。
最後に蛇足ながら、「中華思想・華夷秩序」での属国の地位にあった時代の朝鮮半島の李氏朝鮮は、独自の元号を使用していないことを付記しておく。
7.まとめ
かなり長くなったので、今回の資料編を「今北産業」(今来たところだ、三行で要約して教えろ、との意味)的にまとめる。
・我が国の元号は、我が国が約1400年もの間、継続してきた我々日本文明の一部である。
・「元号は統治の道具」なる話は主客転倒したもので、事実とは異なる。
・「我が国独自の元号の使用」は、中華思想・華夷秩序からの独立性の象徴である。
この事を踏まえていれば、朝日新聞の様な反日勢力が言っていることのカラクリが分かると思う。
朝日新聞等は、「元号は「天皇の時間」に個人を押し込める」などのポエムを言っているのだが、この正体は、我々日本人が1400年もの間、継続してきた我々日本文明の一部である和暦の元号を切り崩し、日本文明を否定したいからである。
元号を取っ払い、「「元号からの脱退」は「日本からの独立」の象徴だ」としたいのが、彼等の本音なのである。
これを一言で言えば「反日革命の為の難癖」なのである。
今回の資料編は以上である。
「元号・暦考・和暦だけが御嫌いな人達」との表題で書いていた原稿が長くなりすぎたので、その原稿から、事実提示及び論証部分を取り出したのが今回の資料編である。
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【文末脚注】
(*1):明治天皇が制定した維新後の一世一元の原則「一世一元の詔」
<一世一元の詔>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%B8%96%E4%B8%80%E5%85%83%E3%81%AE%E8%A9%94
<一世一元の詔より抜粋引用>
(前略)明治元年と為す。今より以後、旧制を革易し、一世一元、以て永式と為す。主者施行せよ。
<抜粋引用終わり>
※一世一元の原則は、この「一世一元の詔」を原初として、明治32年(1899年)に制定された旧皇室典範、戦後の現行憲法下での昭和54年(1979年)に制定された元号法により堅持され続けている。
(*2):元号法
元号法 (昭和五十四年法律第四十三号)
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=354AC0000000043
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。
<引用終わり>
(*3):以前の「1日というサイクルの理解」に関する論考
2015/12/24投稿:
【コラム】お誕生日の「翌日」は普通の日
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-291.html
2015/12/25投稿:
【コラム】我が国の文化背景
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-292.html
(*4):以前のシナの地に於ける王朝に関する論考
2017/07/04投稿:
シナ大陸の歴史観・易姓革命
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-708.html
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