現行憲法9条の「旗」には何が書いてある
- 2019/02/07
- 20:39
現行憲法9条の「旗」には何が書いてある

この映画監督・作家は情念の世界の住人なのか、それとも確信的「護憲派」なのか。その何れであっても、日本人の幸福こそが判断の軸足であることを尊重していただきたい。
調べものをしている時に、たまたま「9条の旗 絶対降ろすな」と題する地方紙の記事が目に留まった。
「9条の旗」との観念的表現をしているのは、言っている人物が「映画監督、作家」という情念の世界の人物だからであろうと推察した。
当方が9条を研究した結果は、以前から指摘している通り、「世界平和を日本人から守る」との視点で書かれている現行憲法(*1)は、我々日本人の手による平和主義を掲げた憲法へと一刻も早く改憲すべきであるというものだ。
現行憲法の9条は、敗戦後半年という特異な時点で、それまで死闘を繰り広げていた敵将マッカーサーにより、敗戦国日本を独立国家にはさせないとの意思に基づき起草されたものである。(*2)この事は、国立国会図書館所蔵の一次資料を示しながら論証済である。
そのマッカーサーは、いざ朝鮮戦争が始まると、「陸海空その他の戦力」を認めないとした自分の指示を忘れたかの様に、自衛隊の前身である警察予備隊を創設しろと指示した。(*3)
憲法9条の条文を素直に読めば、日本は非武装でなければならない。その一方で自衛隊が存在している。この矛盾する条文と現実の原初は2つともマッカーサーにより発生したものである。
現実と条文が矛盾関係にあることで、無用な神学論争が延々と繰り返されてきたが、まったくの無駄である。一国の憲法が、その国の国民を守らない事を前提に書かれているとの捻じれは一刻も早く是正すべきである。
さて、今回論考の題材としたのは、地方紙・河北新報の記事である。
全文を文末脚注の(*4)に引用してあるが、適宜、抜粋して論を進める。
この記事はインタビュー記事である。
インタビューを受けているのは「映画監督、作家」の「森達也氏」である。
残念ながら、当方は、この人物を知らなかった。
知らない人物であっても、その言説は目の前にあり、逆に言えば「先入観なし」で、その言説に対して論評できるとのメリットもあると考える。
Q:-自身の憲法観は。
↓
A:「何が何でも改正には反対という護憲論者ではない。必要があれば改正すればいいと思うが、すぐに無理をしてまで改正する必要はない。及第点で現状のままでいいと思う」
↓
この監督・作家は、回答として、先ず、自身が「護憲論者ではない」としているのだが、その一方で、護憲を述べている。
「及第点で現状のままでいいと思う」、「必要があれば改正すればいいと思うが、すぐに無理をしてまで改正する必要はない」と、憲法改正に否定的である。
この部分だけでは、「現状のままでいいと思う」と考える理由・Whyは分からない。
次のQ&Aで、それらしき回答がある。
Q:-安倍政権は改憲に意欲を燃やす。
↓
A:「改正する理由が分からない。現行憲法はよく『押し付け憲法だ』と指摘されるが、制定から70年以上がたち、しっかり自分たちの血肉にしている」
「例えば朝鮮戦争の時、米国からの再軍備の要求を日本ははねのけた。米国の要求より憲法を選んだ。いまさら押し付けだから変えましょうというのは全くの不合理だ」
↓
この監督・作家の回答は2つある。
1つは、「制定から70年以上がたち、しっかり自分たちの血肉にしている」である。
この方は、多分、現行憲法があたかも「平和主義」の経典であるかの様な勘違いをしているのではないだろうか?
我々日本人が自身の血肉にしているのは、我々の生活実態の集積の上で確立している正邪判断に基づく平和主義であり、現行憲法に書かれている、「日本人は「国際平和」の為に劣後しろ」というものとは違う。
我々日本人自身の平和主義と、現行憲法に書かれている「平和主義」が異なるとの認識をしていないのではないかと推察される。
2つ目の回答は、朝鮮戦争当時の話である。その当時、我が国は、未だ占領下主権喪失期にあった。
この監督・作家は、「朝鮮戦争の時、米国からの再軍備の要求を日本ははねのけた。」と言っているが、それは事実誤認である。
1950年6月25日に北朝鮮・金日成が南侵で朝鮮戦争が勃発すると、マッカーサーは主権消失期日本へ警察予備隊創設を指示している。所謂「ポツダム勅令」の1つである。
その時点での、日本列島防衛の責任は占領軍総司令官のマッカーサーにあった。
マッカーサーは、先の大戦の太平洋戦線の総司令官であり、戦後、そのまま占領軍GHQの総司令官になっていた人物である。
因みに、欧州戦線のアメリカ側総司令官は、後に大統領になったアイゼンハワーである。
要するに、その時点では、我が国は主権を喪失しており、自国防衛の当事者にはなり得なかったのである。
日本列島防衛の責を負うマッカーサーは、自分の指揮下にある米軍を以て、自分の責任範囲の防衛必要性に対処したものである。
朝鮮半島は、1945年9月以前は我が国の施政下・併合地であり、その南半部の防衛の責務もマッカーサーは負っていたのである。
そういう事実に基づけば、この監督・作家の言う「米国の要求より憲法を選んだ。いまさら押し付けだから変えましょうというのは全くの不合理だ」との感想に合理性はない。
この監督・作家は「「いまさら」との言葉を用いているが、それは逆に言えば、1950年からカウントすれば既に69年が経過している現在の、我が国の状況及び周辺国を含む世界状況の変化を考慮しないものであり、妥当性がない。
主権喪失期及びサンフランシスコ講和条約発効で主権回復した時も、我が国は自身で自国を防衛する手段がなく、当時の首相・吉田茂は現行憲法を逆手に取る吉田ドクトリンで我が国国益及び日本人の平和・安寧を守った。
それは評価すべき策だと考える。
一方、、1950年当時とは様変わりしている現在に於いて、約70年前の吉田ドクトリンを継続する必要性は存在しない。
現行憲法は、もはや、その役割を終えており、21世紀現在の我々日本人は、今こそ自身の手による平和主義を掲げた憲法へと一刻も早く改憲すべきであると考えている。
「いまさら」ではなく、「いまこそ」であると考える。
Q:-9条をどう考えるか。
↓
A; 「戦力の不保持を掲げる9条の記述と自衛隊の存在は確かに矛盾している。ただ、憲法は権力を縛る道具であるとともに、理念でもある。いずれ軍隊のない平和な世界を目指したいと書くのは当然だ」
↓
前段の「戦力の不保持を掲げる9条の記述と自衛隊の存在は確かに矛盾している」との意見は、その通りである。
論理的には、この矛盾を解消する為には、憲法の条文に従い非武装化するか、現実世界に於いて国民の命、平和・安寧を確保する為の自衛隊の存在を認め、条文を改正するしかない。
そういう構造の問題に足して、この監督・作家は、情念の世界に住む人物なので、この様な構造から、いきなり「非武装の理想」を書いてあって良いとの話になっている。
実のところ、憲法には理念の成文化という側面と、実体法としての最高法規という側面を併せ持っているのだが、実体法の側面を、この人物は考慮していない。
それは、法理等の理の世界の住人ではないので、仕方がないのかもしれないが、ちょっと注意いただきたい点である。
実体法に「陸海空その他の戦力」はダメと書いてあるので、現実世界に於いて国民の命、平和・安寧を確保する為の自衛隊の存在が「問題だ」と騒ぐ神学論争で、どれだけの無駄な時間が費やされてきたかを考えると、「理念だから、今のままでいい」とは到底言えないのである。
むしろ、理念として平和主義で日本はやっていくと明確に憲法に書き込む改憲が必要ではないか?
勿論、その平和主義とは、日本人の生殺与奪の権を「平和を愛する諸国民」との他者が持つもの現行憲法の建て付けではなく、日本人自身の自己決定権の基づくものである必要がある。
尚、「憲法は権力を縛る道具であるとともに・・・」とあるが、これは、現行憲法維持派の創作したもので、巧妙な罠が仕掛けられたものなので、安易に使用しない方が良い。
詳しくは、以前の論考(*5)を参照願いたい。
Q:-自民党の改憲4項目には9条への自衛隊明記が含まれている。
↓
A:「戦争の放棄、戦力の不保持を掲げながら、現実と矛盾しているから自衛隊を明記するというのは、さらに矛盾を深めている。20世紀以降の戦争の発端は多くが自衛だ。人間は防衛本能が強く軍隊を持ちたがるが、持つことで逆に戦争の口実を与えてしまう」
「9条は戦争に対するアンチテーゼ。人類が戦争と縁を切るためにはこれしかないと、世界に先駆けて旗を掲げたのが9条だ。この旗は絶対に降ろしたくない」
↓
回答が、確信的な「護憲派」=日本人劣後状態維持派のスローガンそのものになっている。
「20世紀以降の戦争の発端は多くが自衛だ」との一般化も、「護憲派」が漬かるイディオムである。
これに対しては、「人権の名の下に他者の人権を蔑ろにしている「人権派」」との視点を提示すれば良いであろう。
この様な「一般化」は、論の暴走を招きやすいのはご存じの事だと思う。この手の「主張が異なる場合」は、一般論ではなく、個々の内容が重要なのである。
同様、「人類が戦争と縁を切るためにはこれしかないと、世界に先駆けて旗を掲げたのが9条だ」も確信的「護憲派」イディオムをそのまま用いている。
ここで言っている「戦争」は、多分、国家間の武力事態を言っているのであろう。
それを無くす為のものが現行憲法9条だと言っているのだが、現行憲法9条では、確かに国家間も武力事態は発生しない。
「平和を愛する諸国民」が、日本けしからん!となれば、非武装日本を一方的に武力征伐するという建て付けなのだから、確かに国家間の武力事態は発生せず、日本人への虐殺だけが発生する。
でも、これって平和主義ですかね? まるで魔女裁判ですよね。
現行憲法9条が「世界平和を日本から守る」との建て付けであり、それを「人類が戦争と縁を切るため」と位置付けるならば、その論の帰結は「戦争を起こすのは日本人だけ」という日本悪玉論に行き着くだけである。
情念の世界に住む人は、物事を、その感性のまま、検証することなく進めてしまう傾向があると思う。
こんな日本人悪玉論を推進することは、けして平和主義でも理想でも理念でもない。
今回は以上である。
インタビュー記事のQ&Aはこれ以降も続くが、上記した様な、確信的「護憲派」イディオムそのままの感想が続くだけであり、論考を続ける意味が薄いことから、ここまでとする。
情念の世界の住人は、得てして、「パヨク」に取り込まれ易い。
しかし、軸足を我々日本人の幸福・平和・安寧・自由に置いて考えれば、人権を利用した反日本人活動との落とし穴、或いは、その党派性優先の非人間的思考に落ちることを防げると思う。(*6)
1日1回ポチっとな ↓
FC2 Blog Ranking 
【文末脚注】
(*1):「世界平和を日本人から守る」との視点で書かれている現行憲法。
2015/11/20投稿:
「平和憲法」との偽看板
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-269.html
2015/11/21投稿:
「日本人に武器を持たせると他国を侵略する」との濡れ衣
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-270.html
(*2):現行憲法の9条は、敗戦後半年という特異な時点で、それまで死闘を繰り広げていた敵将マッカーサーにより、敗戦国日本を独立国家にはさせないとの意思に基づき起草されたものである。
2016/07/29投稿:
(資料編)マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-467.html
↓
2016/07/31投稿:
(解説編2)資料・マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-469.html
↓
この事は、国立国会図書館所蔵の一次資料を示しながら論証済である。
2017/05/20投稿:
(資料編)憲法前文の登場・9条の登場と変遷
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-674.html
(*3):マッカーサーは、いざ朝鮮戦争が始まると、「陸海空その他の戦力」を認めないとした自分の指示を忘れたかの様に、自衛隊の前身である警察予備隊を創設しろと命令した。
2016/06/08投稿:
続々・歴史年表・戦後史部分の概観
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-430.html
(*4):地方紙・河北新報のネット記事
河北新報 2019年02月05日火曜日
見出し:◆
<問う論じる 改憲の行方>9条の旗 絶対降ろすな/映画監督、作家 森達也氏
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201902/20190205_73043.html
記事:○安倍晋三首相は2020年の改正憲法施行を掲げ続ける。今夏の参院選では争点の一つになりそうだ。表現に関わる人々に、論議の憂慮すべき点を聞いた。
○<自分たちの血肉>
-自身の憲法観は。
「何が何でも改正には反対という護憲論者ではない。必要があれば改正すればいいと思うが、すぐに無理をしてまで改正する必要はない。及第点で現状のままでいいと思う」
-安倍政権は改憲に意欲を燃やす。
「改正する理由が分からない。現行憲法はよく『押し付け憲法だ』と指摘されるが、制定から70年以上がたち、しっかり自分たちの血肉にしている」
「例えば朝鮮戦争の時、米国からの再軍備の要求を日本ははねのけた。米国の要求より憲法を選んだ。いまさら押し付けだから変えましょうというのは全くの不合理だ」
○<矛盾 より深める>
-9条をどう考えるか。
「戦力の不保持を掲げる9条の記述と自衛隊の存在は確かに矛盾している。ただ、憲法は権力を縛る道具であるとともに、理念でもある。いずれ軍隊のない平和な世界を目指したいと書くのは当然だ」
-自民党の改憲4項目には9条への自衛隊明記が含まれている。
「戦争の放棄、戦力の不保持を掲げながら、現実と矛盾しているから自衛隊を明記するというのは、さらに矛盾を深めている。20世紀以降の戦争の発端は多くが自衛だ。人間は防衛本能が強く軍隊を持ちたがるが、持つことで逆に戦争の口実を与えてしまう」
「9条は戦争に対するアンチテーゼ。人類が戦争と縁を切るためにはこれしかないと、世界に先駆けて旗を掲げたのが9条だ。この旗は絶対に降ろしたくない」
-現在の社会状況の分析と、その流れで改憲議論が進むことをどう考えるか。
「一連のオウム真理教事件以降、漠然とした不安を背景に同じ考えの人と一色に染まりたい、多数派でまとまりたいと考える『集団化』が起きていると捉えている。集団化は同時に分断化も招く。自分たちと違うものを敵として可視化しようとする。そのような状況で一人一人が冷静に判断できるか疑問だ」
○<権力の監視必要>
-集団化にあらがう方法は。
「物事を見る視点を変えてみればいい。何か事件が起きるとテレビや新聞はセンセーショナルな部分を取り上げ、人々はそれに熱狂する。熱狂するのはいいが、それは物事のある一面だという意識を持つ。それだけで一斉に同じ方向を向くとか、同じ勢力に群がるということが少しは減るのではないか」
「映画『A』や『A2』の撮影を通じて、捜査権力の恐ろしさが身に染みた。その気になれば何でもできるし、個人は無力だ。だからこそ権力の監視が必要で、ジャーナリズムは重要な要素。権力は暴走し、腐敗し、隠す。現政権の状況を見ると、メディアがきちんと機能していないのではないか。ネット社会が進み、あらゆる情報が入り乱れているからこそ、新聞やテレビの役割は大きくなっている」
(聞き手は東京支社・山形聡子)
<引用終わり>
(*5):「憲法は権力を縛る道具であるとともに・・・」とあるが、これは、現行憲法維持派の創作したもので、巧妙な罠が仕掛けられたものなので、安易に使用しない方が良い。
2015/08/02投稿:
【コラム】「憲法と何か」の論理展開に異議あり
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-172.html
2016/03/18投稿:
【コラム】自分達が決めたルールに従わないのか?1
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-364.html
(*6):情念の世界の住人は、得てして、「パヨク」に取り込まれ易い。パヨクの党派性優先の非人間的思考
2015/11/07投稿:
【コラム】ぱよちん音頭
<本当は恐ろしい自称「リベラル」の本性>
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-255.html
2015/11/13投稿:
【コラム】表現の自由を踏みにじり「レイシスト」と叫ぶ輩
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-262.html
2015/12/27投稿:
【コラム】多様性を認めない不寛容さが彼等の特徴
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-294.html
【ご参考】
2017/05/25投稿:
憲法議論2・憲法9条・議論の出発点
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-677.html
2017/07/26投稿:
憲法議論9・「憲法9条の精神」とは何か?
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-720.html
2017/08/30投稿:
憲法9条は誰にとって有益か?
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-742.html
1日1回ポチっとな ↓
FC2 Blog Ranking


この映画監督・作家は情念の世界の住人なのか、それとも確信的「護憲派」なのか。その何れであっても、日本人の幸福こそが判断の軸足であることを尊重していただきたい。
調べものをしている時に、たまたま「9条の旗 絶対降ろすな」と題する地方紙の記事が目に留まった。
「9条の旗」との観念的表現をしているのは、言っている人物が「映画監督、作家」という情念の世界の人物だからであろうと推察した。
当方が9条を研究した結果は、以前から指摘している通り、「世界平和を日本人から守る」との視点で書かれている現行憲法(*1)は、我々日本人の手による平和主義を掲げた憲法へと一刻も早く改憲すべきであるというものだ。
現行憲法の9条は、敗戦後半年という特異な時点で、それまで死闘を繰り広げていた敵将マッカーサーにより、敗戦国日本を独立国家にはさせないとの意思に基づき起草されたものである。(*2)この事は、国立国会図書館所蔵の一次資料を示しながら論証済である。
そのマッカーサーは、いざ朝鮮戦争が始まると、「陸海空その他の戦力」を認めないとした自分の指示を忘れたかの様に、自衛隊の前身である警察予備隊を創設しろと指示した。(*3)
憲法9条の条文を素直に読めば、日本は非武装でなければならない。その一方で自衛隊が存在している。この矛盾する条文と現実の原初は2つともマッカーサーにより発生したものである。
現実と条文が矛盾関係にあることで、無用な神学論争が延々と繰り返されてきたが、まったくの無駄である。一国の憲法が、その国の国民を守らない事を前提に書かれているとの捻じれは一刻も早く是正すべきである。
さて、今回論考の題材としたのは、地方紙・河北新報の記事である。
全文を文末脚注の(*4)に引用してあるが、適宜、抜粋して論を進める。
この記事はインタビュー記事である。
インタビューを受けているのは「映画監督、作家」の「森達也氏」である。
残念ながら、当方は、この人物を知らなかった。
知らない人物であっても、その言説は目の前にあり、逆に言えば「先入観なし」で、その言説に対して論評できるとのメリットもあると考える。
Q:-自身の憲法観は。
↓
A:「何が何でも改正には反対という護憲論者ではない。必要があれば改正すればいいと思うが、すぐに無理をしてまで改正する必要はない。及第点で現状のままでいいと思う」
↓
この監督・作家は、回答として、先ず、自身が「護憲論者ではない」としているのだが、その一方で、護憲を述べている。
「及第点で現状のままでいいと思う」、「必要があれば改正すればいいと思うが、すぐに無理をしてまで改正する必要はない」と、憲法改正に否定的である。
この部分だけでは、「現状のままでいいと思う」と考える理由・Whyは分からない。
次のQ&Aで、それらしき回答がある。
Q:-安倍政権は改憲に意欲を燃やす。
↓
A:「改正する理由が分からない。現行憲法はよく『押し付け憲法だ』と指摘されるが、制定から70年以上がたち、しっかり自分たちの血肉にしている」
「例えば朝鮮戦争の時、米国からの再軍備の要求を日本ははねのけた。米国の要求より憲法を選んだ。いまさら押し付けだから変えましょうというのは全くの不合理だ」
↓
この監督・作家の回答は2つある。
1つは、「制定から70年以上がたち、しっかり自分たちの血肉にしている」である。
この方は、多分、現行憲法があたかも「平和主義」の経典であるかの様な勘違いをしているのではないだろうか?
我々日本人が自身の血肉にしているのは、我々の生活実態の集積の上で確立している正邪判断に基づく平和主義であり、現行憲法に書かれている、「日本人は「国際平和」の為に劣後しろ」というものとは違う。
我々日本人自身の平和主義と、現行憲法に書かれている「平和主義」が異なるとの認識をしていないのではないかと推察される。
2つ目の回答は、朝鮮戦争当時の話である。その当時、我が国は、未だ占領下主権喪失期にあった。
この監督・作家は、「朝鮮戦争の時、米国からの再軍備の要求を日本ははねのけた。」と言っているが、それは事実誤認である。
1950年6月25日に北朝鮮・金日成が南侵で朝鮮戦争が勃発すると、マッカーサーは主権消失期日本へ警察予備隊創設を指示している。所謂「ポツダム勅令」の1つである。
その時点での、日本列島防衛の責任は占領軍総司令官のマッカーサーにあった。
マッカーサーは、先の大戦の太平洋戦線の総司令官であり、戦後、そのまま占領軍GHQの総司令官になっていた人物である。
因みに、欧州戦線のアメリカ側総司令官は、後に大統領になったアイゼンハワーである。
要するに、その時点では、我が国は主権を喪失しており、自国防衛の当事者にはなり得なかったのである。
日本列島防衛の責を負うマッカーサーは、自分の指揮下にある米軍を以て、自分の責任範囲の防衛必要性に対処したものである。
朝鮮半島は、1945年9月以前は我が国の施政下・併合地であり、その南半部の防衛の責務もマッカーサーは負っていたのである。
そういう事実に基づけば、この監督・作家の言う「米国の要求より憲法を選んだ。いまさら押し付けだから変えましょうというのは全くの不合理だ」との感想に合理性はない。
この監督・作家は「「いまさら」との言葉を用いているが、それは逆に言えば、1950年からカウントすれば既に69年が経過している現在の、我が国の状況及び周辺国を含む世界状況の変化を考慮しないものであり、妥当性がない。
主権喪失期及びサンフランシスコ講和条約発効で主権回復した時も、我が国は自身で自国を防衛する手段がなく、当時の首相・吉田茂は現行憲法を逆手に取る吉田ドクトリンで我が国国益及び日本人の平和・安寧を守った。
それは評価すべき策だと考える。
一方、、1950年当時とは様変わりしている現在に於いて、約70年前の吉田ドクトリンを継続する必要性は存在しない。
現行憲法は、もはや、その役割を終えており、21世紀現在の我々日本人は、今こそ自身の手による平和主義を掲げた憲法へと一刻も早く改憲すべきであると考えている。
「いまさら」ではなく、「いまこそ」であると考える。
Q:-9条をどう考えるか。
↓
A; 「戦力の不保持を掲げる9条の記述と自衛隊の存在は確かに矛盾している。ただ、憲法は権力を縛る道具であるとともに、理念でもある。いずれ軍隊のない平和な世界を目指したいと書くのは当然だ」
↓
前段の「戦力の不保持を掲げる9条の記述と自衛隊の存在は確かに矛盾している」との意見は、その通りである。
論理的には、この矛盾を解消する為には、憲法の条文に従い非武装化するか、現実世界に於いて国民の命、平和・安寧を確保する為の自衛隊の存在を認め、条文を改正するしかない。
そういう構造の問題に足して、この監督・作家は、情念の世界に住む人物なので、この様な構造から、いきなり「非武装の理想」を書いてあって良いとの話になっている。
実のところ、憲法には理念の成文化という側面と、実体法としての最高法規という側面を併せ持っているのだが、実体法の側面を、この人物は考慮していない。
それは、法理等の理の世界の住人ではないので、仕方がないのかもしれないが、ちょっと注意いただきたい点である。
実体法に「陸海空その他の戦力」はダメと書いてあるので、現実世界に於いて国民の命、平和・安寧を確保する為の自衛隊の存在が「問題だ」と騒ぐ神学論争で、どれだけの無駄な時間が費やされてきたかを考えると、「理念だから、今のままでいい」とは到底言えないのである。
むしろ、理念として平和主義で日本はやっていくと明確に憲法に書き込む改憲が必要ではないか?
勿論、その平和主義とは、日本人の生殺与奪の権を「平和を愛する諸国民」との他者が持つもの現行憲法の建て付けではなく、日本人自身の自己決定権の基づくものである必要がある。
尚、「憲法は権力を縛る道具であるとともに・・・」とあるが、これは、現行憲法維持派の創作したもので、巧妙な罠が仕掛けられたものなので、安易に使用しない方が良い。
詳しくは、以前の論考(*5)を参照願いたい。
Q:-自民党の改憲4項目には9条への自衛隊明記が含まれている。
↓
A:「戦争の放棄、戦力の不保持を掲げながら、現実と矛盾しているから自衛隊を明記するというのは、さらに矛盾を深めている。20世紀以降の戦争の発端は多くが自衛だ。人間は防衛本能が強く軍隊を持ちたがるが、持つことで逆に戦争の口実を与えてしまう」
「9条は戦争に対するアンチテーゼ。人類が戦争と縁を切るためにはこれしかないと、世界に先駆けて旗を掲げたのが9条だ。この旗は絶対に降ろしたくない」
↓
回答が、確信的な「護憲派」=日本人劣後状態維持派のスローガンそのものになっている。
「20世紀以降の戦争の発端は多くが自衛だ」との一般化も、「護憲派」が漬かるイディオムである。
これに対しては、「人権の名の下に他者の人権を蔑ろにしている「人権派」」との視点を提示すれば良いであろう。
この様な「一般化」は、論の暴走を招きやすいのはご存じの事だと思う。この手の「主張が異なる場合」は、一般論ではなく、個々の内容が重要なのである。
同様、「人類が戦争と縁を切るためにはこれしかないと、世界に先駆けて旗を掲げたのが9条だ」も確信的「護憲派」イディオムをそのまま用いている。
ここで言っている「戦争」は、多分、国家間の武力事態を言っているのであろう。
それを無くす為のものが現行憲法9条だと言っているのだが、現行憲法9条では、確かに国家間も武力事態は発生しない。
「平和を愛する諸国民」が、日本けしからん!となれば、非武装日本を一方的に武力征伐するという建て付けなのだから、確かに国家間の武力事態は発生せず、日本人への虐殺だけが発生する。
でも、これって平和主義ですかね? まるで魔女裁判ですよね。
現行憲法9条が「世界平和を日本から守る」との建て付けであり、それを「人類が戦争と縁を切るため」と位置付けるならば、その論の帰結は「戦争を起こすのは日本人だけ」という日本悪玉論に行き着くだけである。
情念の世界に住む人は、物事を、その感性のまま、検証することなく進めてしまう傾向があると思う。
こんな日本人悪玉論を推進することは、けして平和主義でも理想でも理念でもない。
今回は以上である。
インタビュー記事のQ&Aはこれ以降も続くが、上記した様な、確信的「護憲派」イディオムそのままの感想が続くだけであり、論考を続ける意味が薄いことから、ここまでとする。
情念の世界の住人は、得てして、「パヨク」に取り込まれ易い。
しかし、軸足を我々日本人の幸福・平和・安寧・自由に置いて考えれば、人権を利用した反日本人活動との落とし穴、或いは、その党派性優先の非人間的思考に落ちることを防げると思う。(*6)
1日1回ポチっとな ↓



【文末脚注】
(*1):「世界平和を日本人から守る」との視点で書かれている現行憲法。
2015/11/20投稿:
「平和憲法」との偽看板
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-269.html
2015/11/21投稿:
「日本人に武器を持たせると他国を侵略する」との濡れ衣
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-270.html
(*2):現行憲法の9条は、敗戦後半年という特異な時点で、それまで死闘を繰り広げていた敵将マッカーサーにより、敗戦国日本を独立国家にはさせないとの意思に基づき起草されたものである。
2016/07/29投稿:
(資料編)マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-467.html
↓
2016/07/31投稿:
(解説編2)資料・マッカーサー3原則
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-469.html
↓
この事は、国立国会図書館所蔵の一次資料を示しながら論証済である。
2017/05/20投稿:
(資料編)憲法前文の登場・9条の登場と変遷
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-674.html
(*3):マッカーサーは、いざ朝鮮戦争が始まると、「陸海空その他の戦力」を認めないとした自分の指示を忘れたかの様に、自衛隊の前身である警察予備隊を創設しろと命令した。
2016/06/08投稿:
続々・歴史年表・戦後史部分の概観
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-430.html
(*4):地方紙・河北新報のネット記事
河北新報 2019年02月05日火曜日
見出し:◆
<問う論じる 改憲の行方>9条の旗 絶対降ろすな/映画監督、作家 森達也氏
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201902/20190205_73043.html
記事:○安倍晋三首相は2020年の改正憲法施行を掲げ続ける。今夏の参院選では争点の一つになりそうだ。表現に関わる人々に、論議の憂慮すべき点を聞いた。
○<自分たちの血肉>
-自身の憲法観は。
「何が何でも改正には反対という護憲論者ではない。必要があれば改正すればいいと思うが、すぐに無理をしてまで改正する必要はない。及第点で現状のままでいいと思う」
-安倍政権は改憲に意欲を燃やす。
「改正する理由が分からない。現行憲法はよく『押し付け憲法だ』と指摘されるが、制定から70年以上がたち、しっかり自分たちの血肉にしている」
「例えば朝鮮戦争の時、米国からの再軍備の要求を日本ははねのけた。米国の要求より憲法を選んだ。いまさら押し付けだから変えましょうというのは全くの不合理だ」
○<矛盾 より深める>
-9条をどう考えるか。
「戦力の不保持を掲げる9条の記述と自衛隊の存在は確かに矛盾している。ただ、憲法は権力を縛る道具であるとともに、理念でもある。いずれ軍隊のない平和な世界を目指したいと書くのは当然だ」
-自民党の改憲4項目には9条への自衛隊明記が含まれている。
「戦争の放棄、戦力の不保持を掲げながら、現実と矛盾しているから自衛隊を明記するというのは、さらに矛盾を深めている。20世紀以降の戦争の発端は多くが自衛だ。人間は防衛本能が強く軍隊を持ちたがるが、持つことで逆に戦争の口実を与えてしまう」
「9条は戦争に対するアンチテーゼ。人類が戦争と縁を切るためにはこれしかないと、世界に先駆けて旗を掲げたのが9条だ。この旗は絶対に降ろしたくない」
-現在の社会状況の分析と、その流れで改憲議論が進むことをどう考えるか。
「一連のオウム真理教事件以降、漠然とした不安を背景に同じ考えの人と一色に染まりたい、多数派でまとまりたいと考える『集団化』が起きていると捉えている。集団化は同時に分断化も招く。自分たちと違うものを敵として可視化しようとする。そのような状況で一人一人が冷静に判断できるか疑問だ」
○<権力の監視必要>
-集団化にあらがう方法は。
「物事を見る視点を変えてみればいい。何か事件が起きるとテレビや新聞はセンセーショナルな部分を取り上げ、人々はそれに熱狂する。熱狂するのはいいが、それは物事のある一面だという意識を持つ。それだけで一斉に同じ方向を向くとか、同じ勢力に群がるということが少しは減るのではないか」
「映画『A』や『A2』の撮影を通じて、捜査権力の恐ろしさが身に染みた。その気になれば何でもできるし、個人は無力だ。だからこそ権力の監視が必要で、ジャーナリズムは重要な要素。権力は暴走し、腐敗し、隠す。現政権の状況を見ると、メディアがきちんと機能していないのではないか。ネット社会が進み、あらゆる情報が入り乱れているからこそ、新聞やテレビの役割は大きくなっている」
(聞き手は東京支社・山形聡子)
<引用終わり>
(*5):「憲法は権力を縛る道具であるとともに・・・」とあるが、これは、現行憲法維持派の創作したもので、巧妙な罠が仕掛けられたものなので、安易に使用しない方が良い。
2015/08/02投稿:
【コラム】「憲法と何か」の論理展開に異議あり
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-172.html
2016/03/18投稿:
【コラム】自分達が決めたルールに従わないのか?1
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-364.html
(*6):情念の世界の住人は、得てして、「パヨク」に取り込まれ易い。パヨクの党派性優先の非人間的思考
2015/11/07投稿:
【コラム】ぱよちん音頭
<本当は恐ろしい自称「リベラル」の本性>
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-255.html
2015/11/13投稿:
【コラム】表現の自由を踏みにじり「レイシスト」と叫ぶ輩
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-262.html
2015/12/27投稿:
【コラム】多様性を認めない不寛容さが彼等の特徴
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-294.html
【ご参考】
2017/05/25投稿:
憲法議論2・憲法9条・議論の出発点
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-677.html
2017/07/26投稿:
憲法議論9・「憲法9条の精神」とは何か?
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-720.html
2017/08/30投稿:
憲法9条は誰にとって有益か?
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-742.html
1日1回ポチっとな ↓



スポンサーサイト