徴用工・韓国「最高裁」判決雑感5Final
- 2018/11/08
- 20:41
徴用工・韓国「最高裁」判決雑感5Final

副題:韓国の対日姿勢は複数の要素が絡み合い、それが噴火した時に、斜め上に露わになって我々日本人を呆れさせる。その「複数の要素」とは何かを論説する。
<視点その5:韓国が対日外交で見せる異常さの根底には、韓国人の無意識的な日本人差別がある。その原因は小中華思想。>
「幾つかの視点」を提示することで、国際的には「あり得ない」韓国最高裁の判決が出てきた理由を「理解」するシリーズの最終回5回目である。
ここで言う「理解」とは、共感するとか納得するという意味ではなく、あのトンデモない対日姿勢を続ける韓国に対して、以前の様な失敗をしない為に、その素性・考え方の本質を「理解」するというものである。
今回で視点の提示は、一旦は御仕舞にするつもりなので、今回の視点に関しては、まとめの意味も含め「韓国が対日外交で見せる異常さの根底には、韓国人の無意識的な日本人差別がある。その原因は小中華思想。」と断定形とした。
今迄示してきた視点は「疑問形」だったが、断定形としたのは、そういう意味からである。
尚、今迄提示してきた複数の視点及び今回の視点は以下の通りである。
1:韓国では法も理論も事実さえも覆す別の基準があり、憲法規定・三権分立が機能していないのではないか?
2:日韓基本条約否定が韓国にとって致命的な痛手になることを韓国は分かっているのか?
3:徴用工問題で日本から金を取ることは、日韓基本条約以来の、韓国のいつもの「経済政策」なのではないのか?
4:韓国が対日外交で見せる異常さは、虚偽と捏造に塗れた「韓国側の設定」が影響しているのではないか?
5:韓国が対日外交で見せる異常さの根底には、韓国人の無意識的な日本人差別がある。その原因は小中華思想。(今回の本論考視点)
前回に続き、今回の視点にも「対日外交」との文字が含まれている。
それは、韓国の外交姿勢に、対日外交の時だけ現れる特徴があるからだ。
韓国が我国に対してとる態度・要求内容を、そのまま韓国は対中国外交、対米外交、対北朝鮮外交、対欧州外交、対ASEAN等の途上国外交で示すかというと、そうではない。
韓国は、我国に対してだけ示す特徴がある。
その事を理解する為に、2つのポイントを示す。
①:国際社会に於ける重要度合の基準
②:地理的位置関係からの関係性度合
文字にするとかえって分かり難いかもしれないが、①の国際社会に於ける重要度合の基準
とは、例えば日米関係と日イタリア関係では、日米関係の方が重要だと誰でも分かる話のことである。
イタリアは、G7諸国の1国であり、世界約200ヶ国の中にあっては、上位10%のメインプレーヤー国の1国であり、けして蔑ろにして良い相手ではないことは誰もが知っていることだが、同時に日米関係以上に重要かというと、そうじゃないことも誰もが知っていることである。
次の②は、「近隣国は近隣というだけで遠方よりも関係性が高い」という話である。
例えば、我国にとって馴染みがあまりないアルジェリアという国は、フランスから見れば、とても関係性が深い国である。フランス・アルジェリアの関係性は、その歴史的経緯からも、かなり関係性が深いものがある。
逆に言えば、そういう昔からの歴史的関係性が発生しているのは、地理的に近隣だからである。
この2つの視点は、一般的な国際関係全般で見られるものである。
とは言え、我々日本人と韓国人では捉え方が異なる。価値観の問題だ。
上記①の説明に書いた様に、日本とイタリアの関係は、同じG7諸国の一員として蔑ろにして良い相手ではない。この感覚は日本人ならば当たり前であろうと思われる。
逆の言い方をすれば、日米関係が最重要との客観的情勢があるのだが、我国としては対米関係にオールインしている訳ではない、という事だ。
日本人の、この感覚を別の言い方で表せば、「どちらも大事」である。
ところが、「どちらも大事」な場合に、ギリギリの事態に於いて「どっちかを選べ」という事態になった時に、日本人は「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」と考えることになる。
これは平清盛の息子の平重盛が言った言葉であるが、その背景を説明していると長くなるので割愛するが、一言で言えば、そこには「公の精神」に基づく「正邪判断基準」がある。
忠・孝に関する逸話は朝鮮半島にもある。
分かり易い話としては1908年の大韓帝国軍残党総大将の李麟栄の逸話がある。
1907年の朝鮮半島は日清戦争での日本の勝利(1895年)による李氏朝鮮は自主独立国化して「大韓帝国」との国号に変わったのだが、フランス・ドイツ・ロシアの三国干渉で、清から割譲されるはずだった遼東半島を我国は諦めざるを得なかった。
大韓帝国・高宗は、日本は事大先として弱い、三国干渉で日本を負かしたとして、南下政策で朝鮮半島への侵出を企てているロシアを事大先に選んだ。
ロシアの朝鮮半島侵出意図は日露戦争での日本の勝利(1905年)により挫かれたが、日清日露の両大戦が発生した原因は、朝鮮半島に於ける朝鮮国の統治・外交能力の欠如にある。
この指摘は「桂・タフト会談」にて表明されている。
北東アジアに於ける大戦争勃発の再発防止には、その原因となった李氏朝鮮が勝手な条約を何処かの外国と今後結ぶことがない様にする必要があり、その結果が、1905年の日韓保護条約の大韓帝国外交権の制限である。
両国間での条約が締結されたのだが、その後、高宗は手の平返しをして、ハーグ密使事件を起こしている。(1907年6月~7月)
ハーグ密使事件とはハーグで行われていた第2回万国平和会議に集まる主要国に対して「日本が大韓帝国の外交権を制限するのは不当!」との大韓帝国が行った不当なる告げ口外交である。
当時の国連総会+G7の様な多国間国際会議の席に密使を送ったのだが、「ちゃんとして国際条約を結んだんでしょ」と相手にされなかったものである。
こういう事を知っていれば、朴槿恵や文在寅の動きに既視感を持つことになるが、それだけじゃなく、日清戦争前夜の李氏朝鮮の口先三寸も、閔妃の振る舞いも、近年の出来事との相似形が沢山あり、100年程度では民族性は変わらないのだなとつくづく感じるのである。
ハーグ密使事件後の1907年8月に、大韓帝国軍1万人の解散が行われた。これを「侵略に邪魔だから」と解釈することは「反日史観」に毒されている証拠である。
日韓保護条約が結ばれて保護国になった大韓帝国の軍が、条約締結後2年もの間、その存在を許されていたことを考えれば「侵略に邪魔だから」が理に適わないことが分かるであろう。
しかし、これは軍人にしてみれば、やはり「容認しがたい」となるのは当然である。
そういう事態を招いた自国政府の統治・外交能力欠如が問題なのだが、大韓帝国軍の残党は、我国の軍との衝突を起こし、やがて、それら軍残党は結集して、首都・漢城(ソウル)に総攻撃をかけることとなった。1908年1月のことである。
その時の軍残党の総大将が李麟栄である。
いよいよ首都への進撃となる決戦直前の段階で、李麟栄のもとに自分の父の訃報が届いた。その報に接し李麟栄は「三年の喪に服する」として、総大将の責務の総てをなげうって戦線離脱をしている。首都に進撃していた部隊はあっけなく敗退している。
これを「美談」とするのが韓国文化である。(*1)
要するに「孝」を至上価値とする文化なのである。
この様に、朝鮮半島の文化では上下の序列がきっちり決まっているのである。
李麟栄の行動を日本文化で評価すると、「私事で責任放棄をしてしまうアホかいな」である。
しかし、異文化では評価の物差しが違うのであるから、単純に、その様な評価をするのではなく、朝鮮とは、そういう文化の国なのだ、と理解する方が良いだろう。
「日韓両国では、価値判断基準が違い、それは各国の文化的背景があるからだ。」という事を言いたいだけなのだが、随分と話が長くなった。
①:国際社会に於ける重要度合の基準」の捉え方も随分と違う。
我国に於ける重要度合の評価基準は、我国にとっての経済、外交防衛、文化等での利害損失が重要度の基準と言ってよい。
一方、韓国は、「序列」が基準である。
韓国にとっての経済、外交防衛、文化等での利害損失で考えれば、米韓関係はとても重要であるはずなのだが、そうはなっていない。「一部の先導者に乗せられている」だけでは説明が出来ない反米活動が行われていることは不自然であると感じる方もいると思うが、それこそが、あの国での基準なのである。
また、その基準は「事大先として頼れるか」によって一夜にして変わるので、訳がわからないと感じる方も多々いるであろう。
それは、清、日本、ロシアと事大先が急変した100年前の様相と同じである。
この感覚差・基準の差が②にも影響を与えている。
主権国家間の外交の基本は、互恵対等である。
この考え方は、西欧文明が礎にあるのだが、我国文明は西欧文明との親和性がある部分が多々あり、この考え方は、我々日本文明とも合致するものである。
一方の韓国は、自分達が考える「序列」に応じて、「上の国・下の国」という考え方で外交をしている。ただし、その様な事は公式には明言していない。当たり前である。
この様に解するのは、韓国外交のこれまでの実績からの推定である。
韓国は文明的にはSinic文明圏に属しており、上下序列を重視する文明圏の一員である。
Sinic文明とはシナ文明のことで、一言で言うと「中華思想・華夷秩序」の文明である。
現在の支那の地の国家名は「中華人民共和国」(People's Republic of China,)である。
英文では「シナ人民共和国」なのだが、漢字圏に属する我国は、同国を「中国」「中華」と称している。
ここで言う「中華」とは、「世界の中心」との意味であり、漢民族が周囲の国・民族よりすぐれているという中華思想に基づいた自国名である。
中華思想とは、文字列を見れば分かる通り、自分達(漢民族)が世界の中心だとするものだ。Wikiによれば、「中華の天子が天下 (世界) の中心であり、その文化・思想が神聖なものであると自負する考え方で、漢民族が古くから持った自民族中心主義の思想。自らを夏、華夏、中国と美称し、王朝の庇護下とは異なる周辺の辺境の異民族を文化程度の低い夷狄 (蛮族) であるとして卑しむことから華夷思想とも称す」とある。
「周辺の異民族」に対して「文化程度の低い夷狄 (蛮族) である」と定義することは、現在の考え方では「不当な差別」に該当する。
Sinic文明では、ご丁寧にも、「文化程度の低い夷狄 (蛮族)」を分類している。
実際の周辺民族や国毎ではなく、東西南北の方位別に分類しているところは、Sinic文明らしい特徴が出ている点である。
東夷・西戎・北狄・南蛮と称される「周辺の文化程度の低い異民族」の中には、日本列島に住む我々のご先祖様も含まれる。
「魏志倭人伝」は学校で習ったと思う。邪馬台国が何処にあったのかの議論で九州説・畿内説が言われているが、その際に論拠として魏志倭人伝の記載が登場するので、少なくとも名前だけはご存じのことだと思うが、それは通称であり、「魏書」のうちの「東夷伝」「倭人条」のことである。
「東夷伝」とある様に、中華思想では、我々日本人は「東夷」という「周辺の文化程度の低い異民族」だと規定されていることがわかると思う。
勝手なものであるが、Sinic文明では、そういうことになっている。
Wikiの記載にある様に中華思想は華夷思想とも称され、中華思想に基づく「世界秩序」のことを「華夷秩序」という。
この時代の「世界」とは、21世紀に生きる我々とは、その地理的範囲が大きく異なる。
地球が丸く、地球の裏側でピラミッドが造られ、ローマ帝国が存在していた事など知る由もない時代に、支那の地の人が考えた「「世界」秩序」」である。
「華夷秩序」の基本は、中華思想そのものである。
「中華の地を治める皇帝が世界の中心であり、その文化・思想が神聖」であるとの定義と「周辺の文化程度の低い異民族」との定義は、明確な序列定義であり、そこには「対等互恵」との発想が入り込む余地はない。
つまり、「対抗互恵な関係の相手が、まだ文化程度が低い」という視点ではないという事が中華思想の毒素なのである。
魏志倭人伝が書かれたのは3世紀後半である。また、福岡で戦前に発見された「漢委奴国王」の金印(真贋論争があるが(*2))は、1世紀の時点で「漢に朝貢する、倭の中の奴国の王」という意味だとする考えが通説となっており、後漢書に、その旨の記述があるので、古代の、大和朝廷による日本列島の統一がまだまだ全然なされていない時代に於いて、少なくとも「倭の奴国」は、華夷秩序の中にいたと考えられている。
尚、「大和朝廷による日本列島の統一」は随分と後の時代である。征夷大将軍・坂上田村麻呂が陸奥の於いて当地のアテルイを降服させたのは9世紀初期(平安時代)のことである。
その平安時代だが、我国は既に華夷秩序の中にはいなかった。
有名な話なのでご存じの方も多いと思うので簡単に紹介すると、聖徳太子の「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無しや」の書き出しで始まる書を以て、我国天皇は、中華皇帝(当時は隋の煬帝)と同格、即ち、華夷秩序の中にはいません、との宣言で、7世紀最初期に華夷秩序から脱しているからだ。
中華皇帝は激怒したが、遠征軍を日本列島に送ることはなかった。
一方、陸続きの朝鮮半島は、隋の時代に限らず、ずっと中華皇帝からの「御仕置」を受けてきた。属国の地位から解き放たれた「大韓帝国」の李氏朝鮮は、そもそもが元の武官だった李成圭が起こした王朝である。
李成圭は、元の属国だった高麗を滅ぼし朝鮮国を樹立した。15世紀初頭のことである。
その後、支那の地に於いては蒙古・元王朝が滅び漢民族・明が興ると朝鮮は明に服属し、明が滅び満州族(女真族)の清が興ると一旦は「正統中華・明」と異なる清王朝の出現に反発するものの、清のホンタイジに御仕置され、朝鮮は以降、清の勅使に対して絶対服属を命じられた。(*3)
支那の地の中華思想は、王朝が変わっても変わらず、異民族王朝もいつの間にか、中華思想に染まっていく歴史である。
この様な事象を台湾の作家・柏楊は著書「醜い中国人」の中で「中国では、外部から侵入した民族は定住すると中国の糞甕文化に溶かされて腐食して異物に変質同化していく」旨を書いている。この指摘は、支那の地に於ける統治権限者の感覚を理解する上でとても貴重な指摘であり、激しく同意している。
尚、当方は同書を販売直後のリアルタイムで読んでおり、そこでは「糞甕」と書かれている。ネットでは、それが「漬物甕」に書き換えられている。生き証人の1人として、オリジナルの表現を用いていることを予めご承知おき願いたい。
朝鮮半島の地に於いて面白いのは、漢民族・明が滅び、満州族(女真族)の清が興った時の李氏朝鮮の反応である。
その反応の原因は、李氏朝鮮が持つ「小中華思想」が原因だ。
小中華思想とは、「自分達も中華の一員」だとするものだ。
中華思想での「中心地中華」と「周辺の異民族夷狄・蛮族」との大区分のうち、朝鮮は、自分達を夷狄・蛮族の立ち位置が脱し「中華の一員」としたいが為に、本来の中華である支那の地を「大中華」とし、自分達を「小中華」だと規定した。
「自分達は中華の一員である!周辺異民族は華夷秩序に基づき平伏せ!」という設定である。なんとも都合が良い設定である。
朝鮮半島は、魏書・東夷伝では「東夷」の一部であったのだが、そういう設定なのである。
この「小中華思想」が明確化されたのは15世紀頃だと言われており、大中華が漢民族・明、小中華が李氏朝鮮という構図である。
その明が滅亡して、東夷・北狄の部類である満州族・清が中華の地の王朝となるのだから、朝鮮は大慌てである。
小中華思想の朝鮮は、大中華に事大して保身を図り、中華の一員を自称しているのだから、儒教の考え方を踏襲している。儒教的発想からは、明に敵対する夷狄の清に服属するのは名分から外れるのだが、清に御仕置をされてしまい、あっさりと従うことになった。
「迎恩門」「三跪九叩頭」をgoogle検索すれば良いので、詳しい経緯は割愛するが、結局、朝鮮は清に服属し、小中華思想のままに明治維新・日本と対応することになったのである。
清の朝鮮への御仕置があったのは17世紀前期である。
明治維新・日清戦争の19世紀後半までの約200年から300年弱の間、朝鮮は清の属国としての歴史を刻んだのであった。
小中華思想の朝鮮の世界観の主眼は「序列」である。
事大しないと生きていけない実力なき朝鮮が、自己を保身する為には、自身を中華の一員とすることは最重要達成課題であり、「夷狄・蛮族と同じ」では生きていけなかったのである。
そういう世界観は骨の髄まで浸み込んでおり、支那の地・中華では糞甕文化が命脈を保っている様に、朝鮮の地では小中華思想が命脈を保っているのである。
その様な「骨の髄に浸み込んだ」感覚というものは、「浸み込んでいる当人」は認識し難いものである。
我々日本人が一般的に持つ感覚にも、そういう現象がみられる。
「これは家の死んだオジイちゃんが長い間、愛用していたお茶碗です。これで召し上がれ」と言われて、その茶碗を使う気がしないのが日本人である。
完全消毒をしていても、何かしらのケガレを感じるというものだ。
この話は作家・井沢元彦が著書「穢れと茶碗」で指摘したもので、科学的に100%清潔であっても、そこに何かしらのケガレを感じるという感覚が、日本文明の考え方から現出しているとの指摘である。
同様の感覚は他にもある。例えば、道端で○○神社のお守りが落ちていたら、それを目線程度のちょっと高い所に置くとか、少なくとも、お守りを踏まない様に気を付けるという感覚である。
それがお守りであるとの認識がなければ、それは単なる布製品や木片でしかないのだが、それがお守りであると認知した途端、そこには布製品・木片とは違う何かの存在を感じる感覚である。
科学的にはあり得ないものを茶碗やお守りに感じる感覚こそが、「骨の髄に浸み込んだ」○○文明の中で生きる人々が持つ感覚なのである。
「骨の髄まで浸み込んだ」を最近の言葉で言えば「民族のDNA」とかの表現になるのであろう。
朝鮮の地にある○○文明的感覚は、一言で言えば「小中華思想に基づく序列意識」であり、「上か下か」である。
それは個人間の「序列」であれ、組織間の「序列」であれ、国家間であれ同じである。
その様な韓国が、我国に対してだけ示す特徴がある。
その事を理解する為の2つのポイントを示したが、韓国は国家間にも「序列」感覚を無意識的に用いている。
彼等が「GDP世界第○位」とか「軍事力第○位」だとかを異常なまでに気にするのは、GDP基準等で「国家序列」「上の国・下の国」を考えているからである。
韓国人の感覚では、GDPを基準に上の国・下の国を決めている様だが、それでは日本に勝てないので、順位で勝てる可能性がある「軍事力第○位」を持ち出している。
この「日本に勝てる」とは、近世まで続いた彼等の小中華思想での「文化程度の低い東夷であるチョッパリ」でしかない日本が「中華の一員である韓国」よりも上であった良い訳がない、と信じている感覚が、その根拠である。
その感覚に基づき、「正常ではない状態を正常化する」指標として、徴兵制で人数が多く、装甲車両や東西冷戦時代に供与・導入された安価なF-5戦闘機が多数保持していることからランクが上位となる「軍事力第○位」を持ち出しているのである。
韓国の他国に対する態度は、概して傲慢である。ASEAN諸国との態度など、かなり無礼である。
特に、我国に対しては、多くの方がご存じの様に、韓国は「上から目線」である。
ここまで言えば、それが「中華の一員が東夷と話す時の当然の態度」だということが分かるであろう。
しかし、実際の現実世界では、そんな韓国側の設定とはまったく違うのである。
今から6年も前に、当方はツイッターで以下を呟いた。
<2012/10/11のツイッター投稿>
韓国人は「日本は下等」との誤った宗教的差別意識に何等の疑問を持っていない。
しかし現実世界では日本は圧倒的に優秀であり、韓国人は内的意識と外的事実のギャップが大きすぎると言う心的地獄と言う現実世界に生きている。
そのギャップを埋める自己欺瞞が捏造歴史と日本を貶める各種言動なのだ。
<引用終わり>
140文字制限があるので、説明は書けなかったのだが、最初の行の【韓国人は「日本は下等」との誤った宗教的差別意識に何等の疑問を持っていない。】とは、今回延々と説明した小中華思想のことである。
次の【韓国人は内的意識と外的事実のギャップが大きすぎると言う心的地獄と言う現実世界に生きている。】の「内的意識」とは、小中華思想に染まった「中華の一員韓国・文化程度の低い東夷であるチョッパリ」との世界観が「正しい世界の在り方」だという無意識的意識のことである。
また、「外的事実」とは、文字通り「実際の現実世界の事実」のことである。
この2つの間に差異があるのは良くあることで、「惚れた女は美人に見える」、「あばたもえくぼ」と昔から言われている。この程度ならば何も問題はないのだが、そのギャップが大きくなり、自分が認識する自己と、現実世界の差異が大きくなり過ぎると、その差に耐えられなくなる。
近年の心理学でも、この認知差は大きなテーマになっているので、ご存じの方もいると思うが、自分が考える自分と現実世界の差が大きいことは「地獄の苦しみ」を生むのである。
この様なことを【心的地獄】と表現した。
そういう状態が快適な訳はなく、地獄の苦しみから抜け出す為に、人間は何かの努力をするのであるが、その方向性は1つだけではない。
我々日本人の多くは、自分が考える自分と現実との間にあるギャップを自分の努力により埋める行動を取る場合が多い。具体的には、学力試験で「○○大学入試突破可能性30%」なんて結果が出たら、受験勉強をもっと頑張るとか、自分が造った製品が不評なら、より良いものを造れる様に修行に励むとかである。
諦めて別の道を進むとかもあるが、それだって別の道での努力をすることになる。
自分の能力を向上させて、現実とのギャップを埋める努力をしても埋まらないことがあるが、その時は、その現実を受け入れ、「自分が考える自分」の方を変更するだけである。
もう1つの「方向性」は、これらとはまったく違う逆の方向性である。
その典型例が、魯人の阿Qである。
現実に起こった事を、自分勝手な解釈をして、現実を認識することを拒む行為である。
韓国文化は小中華思想である、儒教文化であることは指摘した通りだが、儒教の歪んだ価値観からは、何かの労働や努力は下等な階層がやるもので、上層は、そういう事はしないという価値観がある。
そうなると、自分の能力を向上させる努力を忌避することになり、現実とのギャップは阿Qの様な「現実側の問題」であるかの様な方向性で思考することになってしまう。
朝鮮半島と日本の関係で言えば、それは朝鮮側が考える「自分自身」と「現実世界」に日本という関係となり、「現実側」である日本が、朝鮮側が考える小中華思想での「べき論」に則って「変わる「べき」だ」という関係になる。
日韓間の問題の解決は、韓国側に問題があったとしても、その解決努力をするのは「中華の一員韓国」ではなく、「文化程度の低い東夷であるチョッパリ」の役割だとするも世界観である。
当然の様に、こんな身勝手な話は事実との整合性がないのだが、それは捏造した話を提示することで、その瞬間の辻褄合わせを言っているのである。嘘の上塗りである。
そうやって構築された「ウリナラファンタジー」という阿Q世界、即ち「韓国側の設定」が韓国のベースとなっていくのである。
そんな身勝手は許されないでの事実を以て日本側が反論すると、それは韓国側が認知する「正しい世界の在り方」とは違い、「中華の一員韓国」に反論する「文化程度の低い東夷であるチョッパリ」はけしからん、「正しい世界の在り方」に反するとなり、そのギャップを埋める自己欺瞞が始まり、捏造歴史と日本を貶める各種言動となっているのだ。
最後の行の【そのギャップを埋める自己欺瞞が捏造歴史と日本を貶める各種言動なのだ。】とは、そういう話である。
この様に、韓国人の多くは、自分達の文化に基づき無意識のうちに日本人を差別している。それは小中華思想からは当然の帰結なのだから変えようがない。
イランのパーレビが、西欧文明を基盤にした世界標準近代国家へとイランを脱皮させようとした試みは、大産油国のイランにとって経済的にも国際社会での立場の向上にも資する政策であったのだが、パーレビは、イランの文明的基盤に立脚する勢力により打倒されてしまい、今やイランは、その文明を色濃く出した「イスラム共和国」政体の国になっている。
イランの実例を出すまでもなく、各国は、その文明から乖離し過ぎると揺り戻しが起こるのである。朝鮮半島も同じである。
朝鮮半島は、文明的にはSinic文明圏に属し、その辺境にある。
辺境にあるからこそ、逆に、その文明圏の特徴が色濃く出るケースに該当する。
その様な変えようがない小中華思想・朝鮮人を相手に我国・日本人は、どの様に対処すべきか?
我々の先人が試みた策である朝鮮併合は、一時は成功したかの様に見えたが、先の大戦の敗戦により、「事大先として頼りない」となり、一瞬にして手の平返しが起こった。
この手の平返しは、我々日本文明での価値判断・正邪判断基準からすれば唾棄すべき裏切り行為であり恩知らずな行為なのであるが、異なる文明圏の価値観を36年程度では変えようがなく、骨の髄に浸み込んだ自身の価値観・正邪判断で「手の平返し」をした。
更に、そこに小中華思想を色濃く持つ人物である李承晩がアメリカの力を背景に戻ってきた。あの日本を戦争で打ち負かしたアメリカは、新たな事大先にうってつけであったのだ。
日本人に差別感情を持つ、そんな共生が不可能な異文化国であっても、この世界情勢の中で、どの様に扱っていくのかを考えるのが外交であり、日本第一の姿勢である。
以前の論考で「日韓断交」なる勇ましいスローガンが、かえって理不尽なる韓国を有利にする愚策である旨を述べている通り、断交にいきなり行くのはもったいない(笑)
それでは、どの様に扱っていくのが良いのかというと、現実世界の世界標準である法治主義・国際慣例厳守・民主主義の尊重である。
「なんてつまらない結論だ」と感じたのなら、それは、今回の論考を理解していない証拠である。
もう一度言うが、朝鮮での「骨の髄まで浸み込んだ感覚」は、小中華思想である。
その小中華思想は、現実世界の世界標準である法治主義・国際慣例厳守・民主主義の尊重とは対極にある考え方である。それに従えとの要求は、韓国に対して「自分自身」と「現実世界」のギャップを「現実世界の正しい認知」と「自分が考える自分自身の変更」に他ならず、朝鮮での「骨の髄まで浸み込んだ感覚」の変更をしないと生きていけ状態になるということだ。
しかし、現実世界は、そういう国際法、国際慣例で動いているのである。
国際法と称される多国間国際条約や慣例は、異文化交流の際の基礎的ルールである。異文化間の軋轢を解消する長い長い交流実績の末に出来上がったものであり、それとは違うルールを日韓間で適用してきた韓国は、今こそ、現実世界の世界標準である法治主義・国際慣例厳守・民主主義の尊重しなければ生きていけない状態になっているである。
そういう国際常識に、戦後ながらく韓国が直面してこなかったのは、軍事アメリカ・経済日本の支援があったからなのだが、それが御嫌いな韓国は、国際常識に直面する時代になったことを知り、自分の努力で自分自身を向上させ、現実世界とのギャップを埋める時代になったのである。
「自分の努力で自分自身を向上させ」る事が、猛烈な苦痛を伴い、長い時間を要するものであることは、それを個人的にも国家的にも乗り越えてきた多くの日本人が知っていることであるが、今度は朝鮮半島に、その順番が回ってきただけのことである。
日韓断交なる放置策は、韓国を小中華思想のままでいることを許すものであり、そんなもったいない事をする親韓派の主張は我国の国益を毀損するものに該当する。
以上である。一番最初に提示した、韓国最高裁の徴用工訴訟に対する判決が「「韓国では「想定される」」と考えられるものであり、それは、韓国が.Sinic文明圏での阿Q・小中華思想だからなのである、との考えは、今回の一連の論考で示した分析からの結論なのである。
相当長くなったが、既に我国では「韓国側の設定」が「公理」であるかの様に扱われているので、これだけの文書量となってことを御理解いただきたい。
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【文末脚注】
(*1):決戦直前の総大将が自分の父の訃報に接し「三年の喪に服する」として、総大将の責務の総てをなげうって戦線離脱をする「孝」を至上価値とする逸話が残っている。
個人ブログ:月見櫓より抜粋引用
http://fetia.blog34.fc2.com/blog-entry-1252.html
<抜粋引用開始>
○(前略)韓国人(というか朝鮮人)の感覚では、如何なる社会に所属しようとも、血族等の私的集団こそが最高にして最終の拠り所であり、そのためであれば所属する公的社会に反することさえも美徳とされます。
○それを表す著名な例では、1907年に抗日義兵を募った李麟栄の逸話があります。李麟栄が自ら檄を飛ばして集めた抗日義兵の総大将に選ばれ、いざ鎌倉ならぬいざソウルとなったその時、李麟栄のもとに父の死が伝えられます。
○すると李麟栄は、総大将の身でありながら軍を放り出し、父の葬儀のために実家に戻ってしまい、しかも三年の喪に服すると言うのです。
○軍の総大将が、いざ開戦というその時にいなくなれば、軍紀が乱れないわけはありません。日本人の感覚ならば、父の死の悲しみを胸に秘め、涙を呑んで戦いに赴くのが美徳になるのですが、韓国では真逆なのです。
○これに類する話は、枚挙に暇がありません。近年で有名な事例では、ロバート・キム事件というものもあります。言うまでもなく、韓国人は彼を絶賛しています。(後略)
<引用終わり>
(*2):「漢委奴国王」の金印の真贋論争
NHK WEB特集 2018年1月31日 16時55分
見出し:◆金印は本物? 真偽めぐる論争過熱
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0131.html
<記事引用開始>
○今からおよそ2000年前の弥生時代に中国の皇帝から与えられ、江戸時代に見つかったとされている国宝の金印「漢委奴国王」。多くの人は、その“史実”を疑う余地などないと信じてきたことでしょう。しかしいま、この金印をめぐる根本的な議論がわき起こっています。金印は、本物なのかー。真偽を問うシンポジウムが、出土の地、福岡で開かれ、本物と偽物それぞれの立場をとる研究者が激論を交わしました。
(科学文化部記者 国枝拓)
◆小見出し:弥生時代の交流示す国宝
○歴史の教科書などでおなじみのこの金印は、江戸時代の中頃、現在の福岡市の志賀島で水田の溝を修理していた農民が土の中から見つけたとされています。
○正方形の印面は1辺が2.3センチ、重さ108グラムの純金製で、とぐろをまいたような蛇の形をした「つまみ」があり、印面には「漢委奴国王」の5つの文字が3行にわたって彫り込まれています。
○所蔵する福岡市博物館によりますと、読み方は諸説ありますが、「漢の委の奴の国王(かんの・わの・なのこくおう)」すなわち「漢に朝貢する、倭の中の奴国の王」という意味だとする考えが通説となっています。
○中国の古代王朝は周辺の国に対して主従関係の証しとして印を与えていて、中国の歴史書「後漢書」には、西暦57年に「後漢に貢ぎ物を持ってあいさつに来た倭の奴国に対して皇帝が印を与えた」という記述があります。
○志賀島の金印はこの記述に相当するという見解が定着し、九州北部の「奴国」が中国の王朝と交流していたことを物語る歴史的価値の高い資料として、昭和6年に国宝に指定されています。(以下略)
<引用終わり>
(*3):清のホンタイジに御仕置され、朝鮮は以降、清の勅使に対して絶対服属を命じられた。
2017/01/31投稿:
憲法9条が韓国をOECD加盟国にした・地政学的基礎編
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副題:韓国の対日姿勢は複数の要素が絡み合い、それが噴火した時に、斜め上に露わになって我々日本人を呆れさせる。その「複数の要素」とは何かを論説する。
<視点その5:韓国が対日外交で見せる異常さの根底には、韓国人の無意識的な日本人差別がある。その原因は小中華思想。>
「幾つかの視点」を提示することで、国際的には「あり得ない」韓国最高裁の判決が出てきた理由を「理解」するシリーズの最終回5回目である。
ここで言う「理解」とは、共感するとか納得するという意味ではなく、あのトンデモない対日姿勢を続ける韓国に対して、以前の様な失敗をしない為に、その素性・考え方の本質を「理解」するというものである。
今回で視点の提示は、一旦は御仕舞にするつもりなので、今回の視点に関しては、まとめの意味も含め「韓国が対日外交で見せる異常さの根底には、韓国人の無意識的な日本人差別がある。その原因は小中華思想。」と断定形とした。
今迄示してきた視点は「疑問形」だったが、断定形としたのは、そういう意味からである。
尚、今迄提示してきた複数の視点及び今回の視点は以下の通りである。
1:韓国では法も理論も事実さえも覆す別の基準があり、憲法規定・三権分立が機能していないのではないか?
2:日韓基本条約否定が韓国にとって致命的な痛手になることを韓国は分かっているのか?
3:徴用工問題で日本から金を取ることは、日韓基本条約以来の、韓国のいつもの「経済政策」なのではないのか?
4:韓国が対日外交で見せる異常さは、虚偽と捏造に塗れた「韓国側の設定」が影響しているのではないか?
5:韓国が対日外交で見せる異常さの根底には、韓国人の無意識的な日本人差別がある。その原因は小中華思想。(今回の本論考視点)
前回に続き、今回の視点にも「対日外交」との文字が含まれている。
それは、韓国の外交姿勢に、対日外交の時だけ現れる特徴があるからだ。
韓国が我国に対してとる態度・要求内容を、そのまま韓国は対中国外交、対米外交、対北朝鮮外交、対欧州外交、対ASEAN等の途上国外交で示すかというと、そうではない。
韓国は、我国に対してだけ示す特徴がある。
その事を理解する為に、2つのポイントを示す。
①:国際社会に於ける重要度合の基準
②:地理的位置関係からの関係性度合
文字にするとかえって分かり難いかもしれないが、①の国際社会に於ける重要度合の基準
とは、例えば日米関係と日イタリア関係では、日米関係の方が重要だと誰でも分かる話のことである。
イタリアは、G7諸国の1国であり、世界約200ヶ国の中にあっては、上位10%のメインプレーヤー国の1国であり、けして蔑ろにして良い相手ではないことは誰もが知っていることだが、同時に日米関係以上に重要かというと、そうじゃないことも誰もが知っていることである。
次の②は、「近隣国は近隣というだけで遠方よりも関係性が高い」という話である。
例えば、我国にとって馴染みがあまりないアルジェリアという国は、フランスから見れば、とても関係性が深い国である。フランス・アルジェリアの関係性は、その歴史的経緯からも、かなり関係性が深いものがある。
逆に言えば、そういう昔からの歴史的関係性が発生しているのは、地理的に近隣だからである。
この2つの視点は、一般的な国際関係全般で見られるものである。
とは言え、我々日本人と韓国人では捉え方が異なる。価値観の問題だ。
上記①の説明に書いた様に、日本とイタリアの関係は、同じG7諸国の一員として蔑ろにして良い相手ではない。この感覚は日本人ならば当たり前であろうと思われる。
逆の言い方をすれば、日米関係が最重要との客観的情勢があるのだが、我国としては対米関係にオールインしている訳ではない、という事だ。
日本人の、この感覚を別の言い方で表せば、「どちらも大事」である。
ところが、「どちらも大事」な場合に、ギリギリの事態に於いて「どっちかを選べ」という事態になった時に、日本人は「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」と考えることになる。
これは平清盛の息子の平重盛が言った言葉であるが、その背景を説明していると長くなるので割愛するが、一言で言えば、そこには「公の精神」に基づく「正邪判断基準」がある。
忠・孝に関する逸話は朝鮮半島にもある。
分かり易い話としては1908年の大韓帝国軍残党総大将の李麟栄の逸話がある。
1907年の朝鮮半島は日清戦争での日本の勝利(1895年)による李氏朝鮮は自主独立国化して「大韓帝国」との国号に変わったのだが、フランス・ドイツ・ロシアの三国干渉で、清から割譲されるはずだった遼東半島を我国は諦めざるを得なかった。
大韓帝国・高宗は、日本は事大先として弱い、三国干渉で日本を負かしたとして、南下政策で朝鮮半島への侵出を企てているロシアを事大先に選んだ。
ロシアの朝鮮半島侵出意図は日露戦争での日本の勝利(1905年)により挫かれたが、日清日露の両大戦が発生した原因は、朝鮮半島に於ける朝鮮国の統治・外交能力の欠如にある。
この指摘は「桂・タフト会談」にて表明されている。
北東アジアに於ける大戦争勃発の再発防止には、その原因となった李氏朝鮮が勝手な条約を何処かの外国と今後結ぶことがない様にする必要があり、その結果が、1905年の日韓保護条約の大韓帝国外交権の制限である。
両国間での条約が締結されたのだが、その後、高宗は手の平返しをして、ハーグ密使事件を起こしている。(1907年6月~7月)
ハーグ密使事件とはハーグで行われていた第2回万国平和会議に集まる主要国に対して「日本が大韓帝国の外交権を制限するのは不当!」との大韓帝国が行った不当なる告げ口外交である。
当時の国連総会+G7の様な多国間国際会議の席に密使を送ったのだが、「ちゃんとして国際条約を結んだんでしょ」と相手にされなかったものである。
こういう事を知っていれば、朴槿恵や文在寅の動きに既視感を持つことになるが、それだけじゃなく、日清戦争前夜の李氏朝鮮の口先三寸も、閔妃の振る舞いも、近年の出来事との相似形が沢山あり、100年程度では民族性は変わらないのだなとつくづく感じるのである。
ハーグ密使事件後の1907年8月に、大韓帝国軍1万人の解散が行われた。これを「侵略に邪魔だから」と解釈することは「反日史観」に毒されている証拠である。
日韓保護条約が結ばれて保護国になった大韓帝国の軍が、条約締結後2年もの間、その存在を許されていたことを考えれば「侵略に邪魔だから」が理に適わないことが分かるであろう。
しかし、これは軍人にしてみれば、やはり「容認しがたい」となるのは当然である。
そういう事態を招いた自国政府の統治・外交能力欠如が問題なのだが、大韓帝国軍の残党は、我国の軍との衝突を起こし、やがて、それら軍残党は結集して、首都・漢城(ソウル)に総攻撃をかけることとなった。1908年1月のことである。
その時の軍残党の総大将が李麟栄である。
いよいよ首都への進撃となる決戦直前の段階で、李麟栄のもとに自分の父の訃報が届いた。その報に接し李麟栄は「三年の喪に服する」として、総大将の責務の総てをなげうって戦線離脱をしている。首都に進撃していた部隊はあっけなく敗退している。
これを「美談」とするのが韓国文化である。(*1)
要するに「孝」を至上価値とする文化なのである。
この様に、朝鮮半島の文化では上下の序列がきっちり決まっているのである。
李麟栄の行動を日本文化で評価すると、「私事で責任放棄をしてしまうアホかいな」である。
しかし、異文化では評価の物差しが違うのであるから、単純に、その様な評価をするのではなく、朝鮮とは、そういう文化の国なのだ、と理解する方が良いだろう。
「日韓両国では、価値判断基準が違い、それは各国の文化的背景があるからだ。」という事を言いたいだけなのだが、随分と話が長くなった。
①:国際社会に於ける重要度合の基準」の捉え方も随分と違う。
我国に於ける重要度合の評価基準は、我国にとっての経済、外交防衛、文化等での利害損失が重要度の基準と言ってよい。
一方、韓国は、「序列」が基準である。
韓国にとっての経済、外交防衛、文化等での利害損失で考えれば、米韓関係はとても重要であるはずなのだが、そうはなっていない。「一部の先導者に乗せられている」だけでは説明が出来ない反米活動が行われていることは不自然であると感じる方もいると思うが、それこそが、あの国での基準なのである。
また、その基準は「事大先として頼れるか」によって一夜にして変わるので、訳がわからないと感じる方も多々いるであろう。
それは、清、日本、ロシアと事大先が急変した100年前の様相と同じである。
この感覚差・基準の差が②にも影響を与えている。
主権国家間の外交の基本は、互恵対等である。
この考え方は、西欧文明が礎にあるのだが、我国文明は西欧文明との親和性がある部分が多々あり、この考え方は、我々日本文明とも合致するものである。
一方の韓国は、自分達が考える「序列」に応じて、「上の国・下の国」という考え方で外交をしている。ただし、その様な事は公式には明言していない。当たり前である。
この様に解するのは、韓国外交のこれまでの実績からの推定である。
韓国は文明的にはSinic文明圏に属しており、上下序列を重視する文明圏の一員である。
Sinic文明とはシナ文明のことで、一言で言うと「中華思想・華夷秩序」の文明である。
現在の支那の地の国家名は「中華人民共和国」(People's Republic of China,)である。
英文では「シナ人民共和国」なのだが、漢字圏に属する我国は、同国を「中国」「中華」と称している。
ここで言う「中華」とは、「世界の中心」との意味であり、漢民族が周囲の国・民族よりすぐれているという中華思想に基づいた自国名である。
中華思想とは、文字列を見れば分かる通り、自分達(漢民族)が世界の中心だとするものだ。Wikiによれば、「中華の天子が天下 (世界) の中心であり、その文化・思想が神聖なものであると自負する考え方で、漢民族が古くから持った自民族中心主義の思想。自らを夏、華夏、中国と美称し、王朝の庇護下とは異なる周辺の辺境の異民族を文化程度の低い夷狄 (蛮族) であるとして卑しむことから華夷思想とも称す」とある。
「周辺の異民族」に対して「文化程度の低い夷狄 (蛮族) である」と定義することは、現在の考え方では「不当な差別」に該当する。
Sinic文明では、ご丁寧にも、「文化程度の低い夷狄 (蛮族)」を分類している。
実際の周辺民族や国毎ではなく、東西南北の方位別に分類しているところは、Sinic文明らしい特徴が出ている点である。
東夷・西戎・北狄・南蛮と称される「周辺の文化程度の低い異民族」の中には、日本列島に住む我々のご先祖様も含まれる。
「魏志倭人伝」は学校で習ったと思う。邪馬台国が何処にあったのかの議論で九州説・畿内説が言われているが、その際に論拠として魏志倭人伝の記載が登場するので、少なくとも名前だけはご存じのことだと思うが、それは通称であり、「魏書」のうちの「東夷伝」「倭人条」のことである。
「東夷伝」とある様に、中華思想では、我々日本人は「東夷」という「周辺の文化程度の低い異民族」だと規定されていることがわかると思う。
勝手なものであるが、Sinic文明では、そういうことになっている。
Wikiの記載にある様に中華思想は華夷思想とも称され、中華思想に基づく「世界秩序」のことを「華夷秩序」という。
この時代の「世界」とは、21世紀に生きる我々とは、その地理的範囲が大きく異なる。
地球が丸く、地球の裏側でピラミッドが造られ、ローマ帝国が存在していた事など知る由もない時代に、支那の地の人が考えた「「世界」秩序」」である。
「華夷秩序」の基本は、中華思想そのものである。
「中華の地を治める皇帝が世界の中心であり、その文化・思想が神聖」であるとの定義と「周辺の文化程度の低い異民族」との定義は、明確な序列定義であり、そこには「対等互恵」との発想が入り込む余地はない。
つまり、「対抗互恵な関係の相手が、まだ文化程度が低い」という視点ではないという事が中華思想の毒素なのである。
魏志倭人伝が書かれたのは3世紀後半である。また、福岡で戦前に発見された「漢委奴国王」の金印(真贋論争があるが(*2))は、1世紀の時点で「漢に朝貢する、倭の中の奴国の王」という意味だとする考えが通説となっており、後漢書に、その旨の記述があるので、古代の、大和朝廷による日本列島の統一がまだまだ全然なされていない時代に於いて、少なくとも「倭の奴国」は、華夷秩序の中にいたと考えられている。
尚、「大和朝廷による日本列島の統一」は随分と後の時代である。征夷大将軍・坂上田村麻呂が陸奥の於いて当地のアテルイを降服させたのは9世紀初期(平安時代)のことである。
その平安時代だが、我国は既に華夷秩序の中にはいなかった。
有名な話なのでご存じの方も多いと思うので簡単に紹介すると、聖徳太子の「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無しや」の書き出しで始まる書を以て、我国天皇は、中華皇帝(当時は隋の煬帝)と同格、即ち、華夷秩序の中にはいません、との宣言で、7世紀最初期に華夷秩序から脱しているからだ。
中華皇帝は激怒したが、遠征軍を日本列島に送ることはなかった。
一方、陸続きの朝鮮半島は、隋の時代に限らず、ずっと中華皇帝からの「御仕置」を受けてきた。属国の地位から解き放たれた「大韓帝国」の李氏朝鮮は、そもそもが元の武官だった李成圭が起こした王朝である。
李成圭は、元の属国だった高麗を滅ぼし朝鮮国を樹立した。15世紀初頭のことである。
その後、支那の地に於いては蒙古・元王朝が滅び漢民族・明が興ると朝鮮は明に服属し、明が滅び満州族(女真族)の清が興ると一旦は「正統中華・明」と異なる清王朝の出現に反発するものの、清のホンタイジに御仕置され、朝鮮は以降、清の勅使に対して絶対服属を命じられた。(*3)
支那の地の中華思想は、王朝が変わっても変わらず、異民族王朝もいつの間にか、中華思想に染まっていく歴史である。
この様な事象を台湾の作家・柏楊は著書「醜い中国人」の中で「中国では、外部から侵入した民族は定住すると中国の糞甕文化に溶かされて腐食して異物に変質同化していく」旨を書いている。この指摘は、支那の地に於ける統治権限者の感覚を理解する上でとても貴重な指摘であり、激しく同意している。
尚、当方は同書を販売直後のリアルタイムで読んでおり、そこでは「糞甕」と書かれている。ネットでは、それが「漬物甕」に書き換えられている。生き証人の1人として、オリジナルの表現を用いていることを予めご承知おき願いたい。
朝鮮半島の地に於いて面白いのは、漢民族・明が滅び、満州族(女真族)の清が興った時の李氏朝鮮の反応である。
その反応の原因は、李氏朝鮮が持つ「小中華思想」が原因だ。
小中華思想とは、「自分達も中華の一員」だとするものだ。
中華思想での「中心地中華」と「周辺の異民族夷狄・蛮族」との大区分のうち、朝鮮は、自分達を夷狄・蛮族の立ち位置が脱し「中華の一員」としたいが為に、本来の中華である支那の地を「大中華」とし、自分達を「小中華」だと規定した。
「自分達は中華の一員である!周辺異民族は華夷秩序に基づき平伏せ!」という設定である。なんとも都合が良い設定である。
朝鮮半島は、魏書・東夷伝では「東夷」の一部であったのだが、そういう設定なのである。
この「小中華思想」が明確化されたのは15世紀頃だと言われており、大中華が漢民族・明、小中華が李氏朝鮮という構図である。
その明が滅亡して、東夷・北狄の部類である満州族・清が中華の地の王朝となるのだから、朝鮮は大慌てである。
小中華思想の朝鮮は、大中華に事大して保身を図り、中華の一員を自称しているのだから、儒教の考え方を踏襲している。儒教的発想からは、明に敵対する夷狄の清に服属するのは名分から外れるのだが、清に御仕置をされてしまい、あっさりと従うことになった。
「迎恩門」「三跪九叩頭」をgoogle検索すれば良いので、詳しい経緯は割愛するが、結局、朝鮮は清に服属し、小中華思想のままに明治維新・日本と対応することになったのである。
清の朝鮮への御仕置があったのは17世紀前期である。
明治維新・日清戦争の19世紀後半までの約200年から300年弱の間、朝鮮は清の属国としての歴史を刻んだのであった。
小中華思想の朝鮮の世界観の主眼は「序列」である。
事大しないと生きていけない実力なき朝鮮が、自己を保身する為には、自身を中華の一員とすることは最重要達成課題であり、「夷狄・蛮族と同じ」では生きていけなかったのである。
そういう世界観は骨の髄まで浸み込んでおり、支那の地・中華では糞甕文化が命脈を保っている様に、朝鮮の地では小中華思想が命脈を保っているのである。
その様な「骨の髄に浸み込んだ」感覚というものは、「浸み込んでいる当人」は認識し難いものである。
我々日本人が一般的に持つ感覚にも、そういう現象がみられる。
「これは家の死んだオジイちゃんが長い間、愛用していたお茶碗です。これで召し上がれ」と言われて、その茶碗を使う気がしないのが日本人である。
完全消毒をしていても、何かしらのケガレを感じるというものだ。
この話は作家・井沢元彦が著書「穢れと茶碗」で指摘したもので、科学的に100%清潔であっても、そこに何かしらのケガレを感じるという感覚が、日本文明の考え方から現出しているとの指摘である。
同様の感覚は他にもある。例えば、道端で○○神社のお守りが落ちていたら、それを目線程度のちょっと高い所に置くとか、少なくとも、お守りを踏まない様に気を付けるという感覚である。
それがお守りであるとの認識がなければ、それは単なる布製品や木片でしかないのだが、それがお守りであると認知した途端、そこには布製品・木片とは違う何かの存在を感じる感覚である。
科学的にはあり得ないものを茶碗やお守りに感じる感覚こそが、「骨の髄に浸み込んだ」○○文明の中で生きる人々が持つ感覚なのである。
「骨の髄まで浸み込んだ」を最近の言葉で言えば「民族のDNA」とかの表現になるのであろう。
朝鮮の地にある○○文明的感覚は、一言で言えば「小中華思想に基づく序列意識」であり、「上か下か」である。
それは個人間の「序列」であれ、組織間の「序列」であれ、国家間であれ同じである。
その様な韓国が、我国に対してだけ示す特徴がある。
その事を理解する為の2つのポイントを示したが、韓国は国家間にも「序列」感覚を無意識的に用いている。
彼等が「GDP世界第○位」とか「軍事力第○位」だとかを異常なまでに気にするのは、GDP基準等で「国家序列」「上の国・下の国」を考えているからである。
韓国人の感覚では、GDPを基準に上の国・下の国を決めている様だが、それでは日本に勝てないので、順位で勝てる可能性がある「軍事力第○位」を持ち出している。
この「日本に勝てる」とは、近世まで続いた彼等の小中華思想での「文化程度の低い東夷であるチョッパリ」でしかない日本が「中華の一員である韓国」よりも上であった良い訳がない、と信じている感覚が、その根拠である。
その感覚に基づき、「正常ではない状態を正常化する」指標として、徴兵制で人数が多く、装甲車両や東西冷戦時代に供与・導入された安価なF-5戦闘機が多数保持していることからランクが上位となる「軍事力第○位」を持ち出しているのである。
韓国の他国に対する態度は、概して傲慢である。ASEAN諸国との態度など、かなり無礼である。
特に、我国に対しては、多くの方がご存じの様に、韓国は「上から目線」である。
ここまで言えば、それが「中華の一員が東夷と話す時の当然の態度」だということが分かるであろう。
しかし、実際の現実世界では、そんな韓国側の設定とはまったく違うのである。
今から6年も前に、当方はツイッターで以下を呟いた。
<2012/10/11のツイッター投稿>
韓国人は「日本は下等」との誤った宗教的差別意識に何等の疑問を持っていない。
しかし現実世界では日本は圧倒的に優秀であり、韓国人は内的意識と外的事実のギャップが大きすぎると言う心的地獄と言う現実世界に生きている。
そのギャップを埋める自己欺瞞が捏造歴史と日本を貶める各種言動なのだ。
<引用終わり>
140文字制限があるので、説明は書けなかったのだが、最初の行の【韓国人は「日本は下等」との誤った宗教的差別意識に何等の疑問を持っていない。】とは、今回延々と説明した小中華思想のことである。
次の【韓国人は内的意識と外的事実のギャップが大きすぎると言う心的地獄と言う現実世界に生きている。】の「内的意識」とは、小中華思想に染まった「中華の一員韓国・文化程度の低い東夷であるチョッパリ」との世界観が「正しい世界の在り方」だという無意識的意識のことである。
また、「外的事実」とは、文字通り「実際の現実世界の事実」のことである。
この2つの間に差異があるのは良くあることで、「惚れた女は美人に見える」、「あばたもえくぼ」と昔から言われている。この程度ならば何も問題はないのだが、そのギャップが大きくなり、自分が認識する自己と、現実世界の差異が大きくなり過ぎると、その差に耐えられなくなる。
近年の心理学でも、この認知差は大きなテーマになっているので、ご存じの方もいると思うが、自分が考える自分と現実世界の差が大きいことは「地獄の苦しみ」を生むのである。
この様なことを【心的地獄】と表現した。
そういう状態が快適な訳はなく、地獄の苦しみから抜け出す為に、人間は何かの努力をするのであるが、その方向性は1つだけではない。
我々日本人の多くは、自分が考える自分と現実との間にあるギャップを自分の努力により埋める行動を取る場合が多い。具体的には、学力試験で「○○大学入試突破可能性30%」なんて結果が出たら、受験勉強をもっと頑張るとか、自分が造った製品が不評なら、より良いものを造れる様に修行に励むとかである。
諦めて別の道を進むとかもあるが、それだって別の道での努力をすることになる。
自分の能力を向上させて、現実とのギャップを埋める努力をしても埋まらないことがあるが、その時は、その現実を受け入れ、「自分が考える自分」の方を変更するだけである。
もう1つの「方向性」は、これらとはまったく違う逆の方向性である。
その典型例が、魯人の阿Qである。
現実に起こった事を、自分勝手な解釈をして、現実を認識することを拒む行為である。
韓国文化は小中華思想である、儒教文化であることは指摘した通りだが、儒教の歪んだ価値観からは、何かの労働や努力は下等な階層がやるもので、上層は、そういう事はしないという価値観がある。
そうなると、自分の能力を向上させる努力を忌避することになり、現実とのギャップは阿Qの様な「現実側の問題」であるかの様な方向性で思考することになってしまう。
朝鮮半島と日本の関係で言えば、それは朝鮮側が考える「自分自身」と「現実世界」に日本という関係となり、「現実側」である日本が、朝鮮側が考える小中華思想での「べき論」に則って「変わる「べき」だ」という関係になる。
日韓間の問題の解決は、韓国側に問題があったとしても、その解決努力をするのは「中華の一員韓国」ではなく、「文化程度の低い東夷であるチョッパリ」の役割だとするも世界観である。
当然の様に、こんな身勝手な話は事実との整合性がないのだが、それは捏造した話を提示することで、その瞬間の辻褄合わせを言っているのである。嘘の上塗りである。
そうやって構築された「ウリナラファンタジー」という阿Q世界、即ち「韓国側の設定」が韓国のベースとなっていくのである。
そんな身勝手は許されないでの事実を以て日本側が反論すると、それは韓国側が認知する「正しい世界の在り方」とは違い、「中華の一員韓国」に反論する「文化程度の低い東夷であるチョッパリ」はけしからん、「正しい世界の在り方」に反するとなり、そのギャップを埋める自己欺瞞が始まり、捏造歴史と日本を貶める各種言動となっているのだ。
最後の行の【そのギャップを埋める自己欺瞞が捏造歴史と日本を貶める各種言動なのだ。】とは、そういう話である。
この様に、韓国人の多くは、自分達の文化に基づき無意識のうちに日本人を差別している。それは小中華思想からは当然の帰結なのだから変えようがない。
イランのパーレビが、西欧文明を基盤にした世界標準近代国家へとイランを脱皮させようとした試みは、大産油国のイランにとって経済的にも国際社会での立場の向上にも資する政策であったのだが、パーレビは、イランの文明的基盤に立脚する勢力により打倒されてしまい、今やイランは、その文明を色濃く出した「イスラム共和国」政体の国になっている。
イランの実例を出すまでもなく、各国は、その文明から乖離し過ぎると揺り戻しが起こるのである。朝鮮半島も同じである。
朝鮮半島は、文明的にはSinic文明圏に属し、その辺境にある。
辺境にあるからこそ、逆に、その文明圏の特徴が色濃く出るケースに該当する。
その様な変えようがない小中華思想・朝鮮人を相手に我国・日本人は、どの様に対処すべきか?
我々の先人が試みた策である朝鮮併合は、一時は成功したかの様に見えたが、先の大戦の敗戦により、「事大先として頼りない」となり、一瞬にして手の平返しが起こった。
この手の平返しは、我々日本文明での価値判断・正邪判断基準からすれば唾棄すべき裏切り行為であり恩知らずな行為なのであるが、異なる文明圏の価値観を36年程度では変えようがなく、骨の髄に浸み込んだ自身の価値観・正邪判断で「手の平返し」をした。
更に、そこに小中華思想を色濃く持つ人物である李承晩がアメリカの力を背景に戻ってきた。あの日本を戦争で打ち負かしたアメリカは、新たな事大先にうってつけであったのだ。
日本人に差別感情を持つ、そんな共生が不可能な異文化国であっても、この世界情勢の中で、どの様に扱っていくのかを考えるのが外交であり、日本第一の姿勢である。
以前の論考で「日韓断交」なる勇ましいスローガンが、かえって理不尽なる韓国を有利にする愚策である旨を述べている通り、断交にいきなり行くのはもったいない(笑)
それでは、どの様に扱っていくのが良いのかというと、現実世界の世界標準である法治主義・国際慣例厳守・民主主義の尊重である。
「なんてつまらない結論だ」と感じたのなら、それは、今回の論考を理解していない証拠である。
もう一度言うが、朝鮮での「骨の髄まで浸み込んだ感覚」は、小中華思想である。
その小中華思想は、現実世界の世界標準である法治主義・国際慣例厳守・民主主義の尊重とは対極にある考え方である。それに従えとの要求は、韓国に対して「自分自身」と「現実世界」のギャップを「現実世界の正しい認知」と「自分が考える自分自身の変更」に他ならず、朝鮮での「骨の髄まで浸み込んだ感覚」の変更をしないと生きていけ状態になるということだ。
しかし、現実世界は、そういう国際法、国際慣例で動いているのである。
国際法と称される多国間国際条約や慣例は、異文化交流の際の基礎的ルールである。異文化間の軋轢を解消する長い長い交流実績の末に出来上がったものであり、それとは違うルールを日韓間で適用してきた韓国は、今こそ、現実世界の世界標準である法治主義・国際慣例厳守・民主主義の尊重しなければ生きていけない状態になっているである。
そういう国際常識に、戦後ながらく韓国が直面してこなかったのは、軍事アメリカ・経済日本の支援があったからなのだが、それが御嫌いな韓国は、国際常識に直面する時代になったことを知り、自分の努力で自分自身を向上させ、現実世界とのギャップを埋める時代になったのである。
「自分の努力で自分自身を向上させ」る事が、猛烈な苦痛を伴い、長い時間を要するものであることは、それを個人的にも国家的にも乗り越えてきた多くの日本人が知っていることであるが、今度は朝鮮半島に、その順番が回ってきただけのことである。
日韓断交なる放置策は、韓国を小中華思想のままでいることを許すものであり、そんなもったいない事をする親韓派の主張は我国の国益を毀損するものに該当する。
以上である。一番最初に提示した、韓国最高裁の徴用工訴訟に対する判決が「「韓国では「想定される」」と考えられるものであり、それは、韓国が.Sinic文明圏での阿Q・小中華思想だからなのである、との考えは、今回の一連の論考で示した分析からの結論なのである。
相当長くなったが、既に我国では「韓国側の設定」が「公理」であるかの様に扱われているので、これだけの文書量となってことを御理解いただきたい。
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【文末脚注】
(*1):決戦直前の総大将が自分の父の訃報に接し「三年の喪に服する」として、総大将の責務の総てをなげうって戦線離脱をする「孝」を至上価値とする逸話が残っている。
個人ブログ:月見櫓より抜粋引用
http://fetia.blog34.fc2.com/blog-entry-1252.html
<抜粋引用開始>
○(前略)韓国人(というか朝鮮人)の感覚では、如何なる社会に所属しようとも、血族等の私的集団こそが最高にして最終の拠り所であり、そのためであれば所属する公的社会に反することさえも美徳とされます。
○それを表す著名な例では、1907年に抗日義兵を募った李麟栄の逸話があります。李麟栄が自ら檄を飛ばして集めた抗日義兵の総大将に選ばれ、いざ鎌倉ならぬいざソウルとなったその時、李麟栄のもとに父の死が伝えられます。
○すると李麟栄は、総大将の身でありながら軍を放り出し、父の葬儀のために実家に戻ってしまい、しかも三年の喪に服すると言うのです。
○軍の総大将が、いざ開戦というその時にいなくなれば、軍紀が乱れないわけはありません。日本人の感覚ならば、父の死の悲しみを胸に秘め、涙を呑んで戦いに赴くのが美徳になるのですが、韓国では真逆なのです。
○これに類する話は、枚挙に暇がありません。近年で有名な事例では、ロバート・キム事件というものもあります。言うまでもなく、韓国人は彼を絶賛しています。(後略)
<引用終わり>
(*2):「漢委奴国王」の金印の真贋論争
NHK WEB特集 2018年1月31日 16時55分
見出し:◆金印は本物? 真偽めぐる論争過熱
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0131.html
<記事引用開始>
○今からおよそ2000年前の弥生時代に中国の皇帝から与えられ、江戸時代に見つかったとされている国宝の金印「漢委奴国王」。多くの人は、その“史実”を疑う余地などないと信じてきたことでしょう。しかしいま、この金印をめぐる根本的な議論がわき起こっています。金印は、本物なのかー。真偽を問うシンポジウムが、出土の地、福岡で開かれ、本物と偽物それぞれの立場をとる研究者が激論を交わしました。
(科学文化部記者 国枝拓)
◆小見出し:弥生時代の交流示す国宝
○歴史の教科書などでおなじみのこの金印は、江戸時代の中頃、現在の福岡市の志賀島で水田の溝を修理していた農民が土の中から見つけたとされています。
○正方形の印面は1辺が2.3センチ、重さ108グラムの純金製で、とぐろをまいたような蛇の形をした「つまみ」があり、印面には「漢委奴国王」の5つの文字が3行にわたって彫り込まれています。
○所蔵する福岡市博物館によりますと、読み方は諸説ありますが、「漢の委の奴の国王(かんの・わの・なのこくおう)」すなわち「漢に朝貢する、倭の中の奴国の王」という意味だとする考えが通説となっています。
○中国の古代王朝は周辺の国に対して主従関係の証しとして印を与えていて、中国の歴史書「後漢書」には、西暦57年に「後漢に貢ぎ物を持ってあいさつに来た倭の奴国に対して皇帝が印を与えた」という記述があります。
○志賀島の金印はこの記述に相当するという見解が定着し、九州北部の「奴国」が中国の王朝と交流していたことを物語る歴史的価値の高い資料として、昭和6年に国宝に指定されています。(以下略)
<引用終わり>
(*3):清のホンタイジに御仕置され、朝鮮は以降、清の勅使に対して絶対服属を命じられた。
2017/01/31投稿:
憲法9条が韓国をOECD加盟国にした・地政学的基礎編
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-594.html
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