終戦の日・戦没者追悼式式辞
- 2018/08/22
- 23:20
終戦の日・戦没者追悼式式辞

副題:1945年8月15日から73年。その73年間の我が国の歩みよりも、それ以前の事だけを言う奇妙な集団の詭弁が毎年繰り返される。戦後70年以上にわたる我国・国民の歩みよりも、70年以上も昔の戦争が総てであるかの様な誘導を我国の偏向マスコミは今も続けている。
1945年8月15日は間違いなく、我が国歴史の中でも最も特異な意味を持つ日である。
そして、同時に、それは今から73年前もの昔の出来事である。
70数年との年月がどれほど長い年月かを考えれば、「終戦の日」を、戦後直後に「定義」された「意味」だけを検証もなく、そのままを「固定」して伝えることが良いことではない。
少なくとも、戦後70年にあたる2015年に発せられた安倍談話にて示された視点、即ち、「20世紀という時代背景」、「先の大戦への道のり」、そして「戦後の歩み」を、心静かに振り返って、その歴史の教訓の中から「未来への知恵」を学ばなければならないとの視点を我々日本人が正々堂々と述べ、実践する時代になったと思う。
2015年の安倍談話は、先ず「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。」との歴史的事実から入っており、それに続き「圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」と我が国が白人植民地主義に抗して自存自立してきたとの、我が国の歴史を述べている。
ここで言及されている「アジアやアフリカの人々」とは、歴史的事実として、牛馬の如きに扱われていた収奪型植民地体制下にあった被植民地現地人のことである。
これは当時の世界秩序が「白人優位説の基づく植民地主義」であったとの歴史的事実と、現在の世界秩序である「民族自決・自存自立」の巧妙なる対比である。
安倍談話での「20世紀という時代背景」、「先の大戦への道のり」とのキーワードで示された「視点」は正しく歴史を学ぶ視点であり、それは、従前繰り返されてきた「「真珠湾攻撃」からスタートする「歴史」」という恣意的な視点で阻害されてきた「思索の自由」を取り戻すものである。
ここで言う「思索の自由」とは、虚心坦懐に歴史を史実に基づき知り考えることである。
歴史を心静かに振り返って、その歴史の教訓を考えることであり、それは従前の我国での「歴史理解」に対する検証でもある。
従前の我国での「歴史理解」は、最近の流行り言葉で言えば「ポリコレ」である。
「先の大戦は日本が悪い」という設定が正しいとする偏向である。それを言い表す語句としては、東京裁判史観とか占領軍史観とかWGIPとかがある。
2015年の安倍談話は「20世紀という時代背景」、「先の大戦への道のり」との「終戦の日以前」の時系列と同時に、「戦後の歩み」という終戦後から今に至る歴史と、今からの「未来への知恵」との時系列を示している。
尚、2015年の安倍談話に関しては、当時、論考を加えているので、詳しくは、文末脚注の(*1)でURLを紹介しているので、ご再読いただきたい。
昭和20年8月15日以降から現在に至る「戦後の歩み」は、安倍談話の時点で70年、2018年現在73年の歴史がある。
その間の我国の歴史を振り返れば、その実績は良い面も悪い面もあるが、その功罪は、けして恥じる様なことではない。我国の戦後は、数々のハンディを背負いながら、世界に冠たる大国へと復活した歴史であり、また一方では、我々日本人が我が国の国柄を忘れ、「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、」経済至上主義大国を構築した歴史でもある。
この様に、戦後日本の歴史は良い面と悪い面があるのだが、そんなのは当たり前で、世界的にみれば、戦後70数年の我が国の歩みは、誇れるものが多々ある歴史である。それはまぎれもなく、我々日本人が創った戦後70数年間の歴史である。
その歴史に立脚し、現在の我々自身の立場で思索し、望ましい未来を模索するのが普通の態度である。それは世界に共通する態度である。
安倍談話では、それを「未来への知恵」との語句で言い表している。
ところが、未だに我国では、70数年も昔の話が最重要課題かの様な位置に鎮座しているのである。正確には我国の偏向マスゴミ・所謂カタカナ表記「サヨク」があたかも最重要課題であるかの様に繰り返し「報道」・「主張」し続けているのである。
我国の偏向マスゴミ・「サヨク」が創る国内言論空間は、昭和20年以前の「戦争」があたかも我が国の「総ての「実績」」であるかの様なネジ曲げられたものになっている。現在に至る70数年間の平和の実績よりも、先の大戦が最重要事項であるかの様な言い草が続いている。
それは安倍談話が出てから3年が過ぎている今年2018年も同じであった。
今年に事例として取り上げたのは東京新聞の相変らずの記事(*2)である。
東京新聞の、当該記事の見出しは「◆首相「加害と反省」触れず 戦没者追悼式で6年連続」である。
その記事のリード文部分を以下に引用する。
<東京新聞当該記事リード文部分抜粋引用>
先の大戦でのアジア諸国への加害責任に触れず、反省や謝罪の言葉もなかった。第二次政権発足後、六年続けて「加害と反省」を盛り込まなかった。「国の未来を切り開く」との表現は六年連続で使用。過去に区切りを付けて未来を志向する傾向が際立っている。
<引用終わり>
如何であろう。
この論考の冒頭及び前半部で指摘した通りの典型的な「反日サヨク」論調である。
このリーヂ文は「東京裁判史観・WGIPが正しい「検証するな」」が「前提」として書かれており、「戦後の歩み」という終戦後から今に至る歴史と、今からの「未来」を語ることはけしからんと言っているのである。
2015年8月の安倍談話には、以下が明示されている。
<2015年安倍談話より抜粋引用>
(前略)日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。(後略)
<抜粋引用終わり>
戦後生まれの世代にとっては、当たり前で素直な感覚である。
サンフランシスコ講和条約の発効で主権回復したのは1952年4月28日であるが、その日に生まれた人も、今年で満66歳の前期高齢者である。
戦後の歩みとは、そういう方々の人生そのものである。
それは当方にとっても同じことだ。
歴史に学ぶことの重要さも、歴史は時に歪曲されることも知り、学校を卒業後も趣味としてコツコツと歴史を学び、疑問に思ったことは調べてきた。
自分が生まれる前の歴史、そして、実際に自分が生きた戦後の歴史を踏まえ、その上で辿り着いたのが、先の大戦が我国の歴史の総てであるかの様な論調に対しての強烈なる違和感である。
ニュートラルに考えて、2015年安倍談話が示す、「20世紀という時代背景」、「先の大戦への道のり」、「戦後の歩み」、「未来」との連続する120年弱の時系列で考えることがもっとも自然である。70数年前の出来事が我国の歴史の総てではない。
ところが、東京新聞の記事のリード文の最後には、それを許さないとの文章が書かれている。「過去に区切りを付けて未来を志向する傾向が際立っている。」と書いてある。
70数年前の話を「歴史」として区切り、未来を志向することが、あたかも悪いことであるかの様な書き方である。
2015年の安倍談話の翌年、2016年の5月27日に伊勢志摩サミットで来日していた当時のアメリカ大統領オバマが、戦後、初めて広島を訪問した。
その時のオバマの広島演説(*3)で、オバマは戦後レジュームの終焉を呼び掛けた。
また、その年の年末、2016年12月28日には、今度は安倍首相が真珠湾に訪問し、オバマと共に、寛容と和解の力こそが日米・希望の同盟の礎だと呼び掛けた。(*4)
先の大戦、広大な太平洋で、空前の大空海戦を闘った日米が、先の大戦という過去に区切りを付け、未来を志向すると述べているのである。
ところが、東京新聞は、日米両首脳が広島及び真珠湾で明示した声明の内容をまるっきり無視して、その未来志向を否定しているのである。
そして、今や、両首脳の声明だけではなく、日米両国は既に先の大戦の恩讐を超えている。
それは、普通の人々が自由に情報を発信できるネットでの意見などを見れば明らかである。
ネットで我国を先の大戦で詰っているのは、主に特定アジア諸国と我国マスコミ・野党である。
東京新聞は、今や「あの朝日よりも強烈は反日新聞」と形容される。
その東京新聞が否定する「未来志向」の正体とは、我国が着せられた濡れ衣の永久化の為の方便である。
「未来に向けて努力する」は、ある意味、世界共通(特ア儒教文化圏を除く)の美徳なのであるが、我国偏向「マスゴミ」は、いつも70数年前の先の大戦へと思索の時点を引き戻し、それが最重要な問題であり、それが総てであるかの様な「報道」をするのである。
それは、「未来志向によって「日本悪玉論」が薄められる」との恐怖心が彼等にあることの裏返しである。
我国の偏向マスコミが終戦の日に常用する手法は、「思索の時点」を「先の大戦」へと70年以上の昔へと引き戻すことで、戦後70数年の我が国戦後の努力と成果を総て脇に置き、それら努力と成果に軸足を置く思索を妨害しているのである。
同様、未来志向との思索を妨害するのである。
要するに、戦後生まれの世代が今や人口の八割を超えているにも関わらず、東京新聞は、あの戦争には何ら関わりのない当方の子や孫の世代、そしてその先の世代の子どもたちにも「謝罪」を続けさせたいのである。
今年、2018年の安倍首相の全国戦没者追悼式の式辞(*5)の一部を以下に引用する。
<2018年全国戦没者追悼式式辞より抜粋引用>
今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります。
<抜粋引用終わり>
これをお読みいただいて、どの様に感じたであろう?
未来志向が悪いことだと考える一部の特殊な性癖をお持ちの方以外にとっては、何も問題はなく、むしろ、我国首相として望ましい考え方だと思う。
最後に一言だけ東京新聞に申し上げたい。
2016年のオバマ・安倍両首脳による広島・真珠湾での過去に区切りを付けて未来を志向する声明が成されたことを、普通の日本人が知らないとでも思っているのだろうか? そういう国民を小馬鹿にする記事を書くことは、直ぐに止めていただきたい。
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【文末脚注】
(*1):2015年の安倍談話
2015/08/15投稿:
【コラム】安倍談話を読む
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-188.html
2015/08/18投稿:
【コラム】安倍談話を読む2-1
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-190.html
2015/08/19投稿:
【コラム】安倍談話を読む2-2
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-191.html
(*2):東京新聞の相変らずの記事
東京新聞 2018年8月16日 朝刊
見出し:◆首相「加害と反省」触れず 戦没者追悼式で6年連続
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201808/CK2018081602000160.html
リード文:○安倍晋三首相は十五日の全国戦没者追悼式での式辞で、先の大戦でのアジア諸国への加害責任に触れず、反省や謝罪の言葉もなかった。第二次政権発足後、六年続けて「加害と反省」を盛り込まなかった。「国の未来を切り開く」との表現は六年連続で使用。過去に区切りを付けて未来を志向する傾向が際立っている。
記事:○首相は「戦後、わが国は平和を重んじる国として、ただ、ひたすらに歩んできた。戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合う」と述べた。在位最後の追悼式となる天皇陛下は、お言葉で「深い反省」に言及した。戦後七十年の二〇一五年以降、四年続けて「深い反省」の表現を使っている。
○全国戦没者追悼式の首相式辞を振り返ると、一九九四年、当時の村山富市首相が日本の加害責任に言及し、反省の言葉を語った。その後、一二年十二月に第二次安倍政権が発足するまで、歴代首相は式辞で加害と反省に触れた。安倍首相も第一次政権時の〇七年には「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と認め、「深い反省」の意を示した。
○首相が第二次政権発足後、「加害と反省」の表現を使わず、未来志向を強調する背景には、次世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせない」(一五年の戦後七十年談話)との思いがあるとみられる。今年五月に日中韓首脳会談が約二年半ぶりに日本で開催され、十月にも首相が訪中する方向で調整が行われるなど、東アジア諸国との関係が改善傾向にあるが、首相は式辞で従来のスタイルを踏襲した。
○与党・公明党の山口那津男代表は十五日、東京都内での街頭演説で、先の大戦に関し「多大な損害をもたらしたわが国の行為に対し、心からの反省とおわびの気持ちを込めて、平和の尊さをかみしめなければならない」と訴えた。 (小椋由紀子、山口哲人)
<引用終わり>
【ご参考】
<東京新聞記事にある比較表の画像>
https://blog-imgs-101.fc2.com/f/x/y/fxya/PK2018081602100090_size0.jpg
(*3):2015年の安倍談話の翌年、2016年の5月27日に伊勢志摩サミットで来日していた当時のアメリカ大統領オバマが、戦後、初めて広島を訪問した。その時のオバマの広島演説で、オバマは戦後レジュームの終焉を呼び掛けた。
2016/05/28:【コラム】2016年5月27日広島演説
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-424.html
2016/06/11:(資料編)オバマ広島演説・和訳
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-433.html
2016/06/13:【コラム】オバマ広島演説の分析1
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-434.html
2016/06/17:【コラム】オバマ広島演説の分析2
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-437.html
2016/06/18:【コラム】オバマ広島演説の分析3
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-438.html
2016/06/19:【コラム】オバマ広島演説の分析4
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-439.html
2016/06/21:【コラム】安倍首相広島スピーチ
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-441.html
(*4):アメリカ大統領オバマが広島を訪問した年の年末、2016年12月28日には、今度は安倍首相が真珠湾に訪問し、オバマと共に、寛容と和解の力こそが日米・希望の同盟の礎だと呼び掛けた。
2016/12/29:(資料編)真珠湾両首脳ステートメント
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-573.html
2016/12/30:真珠湾・安倍演説1「和解の力」2016/12/28
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-574.html
2016/12/31:真珠湾・安倍演説2「和解の力」2016/12/28
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-575.html
2017/01/03:真珠湾オバマ演説1・2016/12/28
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-576.html
2017/01/04:真珠湾オバマ演説2・2016/12/28 Final
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-577.html
(*5):今年の全国戦没者追悼式の式辞
首相官邸トップ 平成30年8月15日
<平成三十年 全国戦没者追悼式式辞>
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2018/0815sikiji.html
○天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表、多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。
○苛烈を極めた先の大戦において、祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に斃(たお)れた御霊(みたま)、戦禍に遭い、あるいは戦後、遠い異郷の地で亡くなった御霊、いまその御前(おんまえ)にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。
○今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧(ささ)げます。
○未(いま)だ帰還を果たしていない多くのご遺骨のことも、脳裡(のうり)から離れることはありません。一日も早くふるさとに戻られるよう、全力を尽くしてまいります。
○戦後、我が国は、平和を重んじる国として、ただ、ひたすらに歩んでまいりました。世界をより良い場とするため、力を尽くしてまいりました。
○戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い、どのような世にあっても、この決然たる誓いを貫いてまいります。争いの温床となる様々な課題に真摯に取り組み、万人が心豊かに暮らせる世の中を実現する、そのことに、不断の努力を重ねてまいります。今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります。
○終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。
○平成30年8月15日 内閣総理大臣 安倍晋三
<引用終わり>
【ご参考】
2017/01/17:戦後レジュームの維持に躍起な朝日新聞(真珠湾記事):
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-584.html
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副題:1945年8月15日から73年。その73年間の我が国の歩みよりも、それ以前の事だけを言う奇妙な集団の詭弁が毎年繰り返される。戦後70年以上にわたる我国・国民の歩みよりも、70年以上も昔の戦争が総てであるかの様な誘導を我国の偏向マスコミは今も続けている。
1945年8月15日は間違いなく、我が国歴史の中でも最も特異な意味を持つ日である。
そして、同時に、それは今から73年前もの昔の出来事である。
70数年との年月がどれほど長い年月かを考えれば、「終戦の日」を、戦後直後に「定義」された「意味」だけを検証もなく、そのままを「固定」して伝えることが良いことではない。
少なくとも、戦後70年にあたる2015年に発せられた安倍談話にて示された視点、即ち、「20世紀という時代背景」、「先の大戦への道のり」、そして「戦後の歩み」を、心静かに振り返って、その歴史の教訓の中から「未来への知恵」を学ばなければならないとの視点を我々日本人が正々堂々と述べ、実践する時代になったと思う。
2015年の安倍談話は、先ず「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。」との歴史的事実から入っており、それに続き「圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」と我が国が白人植民地主義に抗して自存自立してきたとの、我が国の歴史を述べている。
ここで言及されている「アジアやアフリカの人々」とは、歴史的事実として、牛馬の如きに扱われていた収奪型植民地体制下にあった被植民地現地人のことである。
これは当時の世界秩序が「白人優位説の基づく植民地主義」であったとの歴史的事実と、現在の世界秩序である「民族自決・自存自立」の巧妙なる対比である。
安倍談話での「20世紀という時代背景」、「先の大戦への道のり」とのキーワードで示された「視点」は正しく歴史を学ぶ視点であり、それは、従前繰り返されてきた「「真珠湾攻撃」からスタートする「歴史」」という恣意的な視点で阻害されてきた「思索の自由」を取り戻すものである。
ここで言う「思索の自由」とは、虚心坦懐に歴史を史実に基づき知り考えることである。
歴史を心静かに振り返って、その歴史の教訓を考えることであり、それは従前の我国での「歴史理解」に対する検証でもある。
従前の我国での「歴史理解」は、最近の流行り言葉で言えば「ポリコレ」である。
「先の大戦は日本が悪い」という設定が正しいとする偏向である。それを言い表す語句としては、東京裁判史観とか占領軍史観とかWGIPとかがある。
2015年の安倍談話は「20世紀という時代背景」、「先の大戦への道のり」との「終戦の日以前」の時系列と同時に、「戦後の歩み」という終戦後から今に至る歴史と、今からの「未来への知恵」との時系列を示している。
尚、2015年の安倍談話に関しては、当時、論考を加えているので、詳しくは、文末脚注の(*1)でURLを紹介しているので、ご再読いただきたい。
昭和20年8月15日以降から現在に至る「戦後の歩み」は、安倍談話の時点で70年、2018年現在73年の歴史がある。
その間の我国の歴史を振り返れば、その実績は良い面も悪い面もあるが、その功罪は、けして恥じる様なことではない。我国の戦後は、数々のハンディを背負いながら、世界に冠たる大国へと復活した歴史であり、また一方では、我々日本人が我が国の国柄を忘れ、「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、」経済至上主義大国を構築した歴史でもある。
この様に、戦後日本の歴史は良い面と悪い面があるのだが、そんなのは当たり前で、世界的にみれば、戦後70数年の我が国の歩みは、誇れるものが多々ある歴史である。それはまぎれもなく、我々日本人が創った戦後70数年間の歴史である。
その歴史に立脚し、現在の我々自身の立場で思索し、望ましい未来を模索するのが普通の態度である。それは世界に共通する態度である。
安倍談話では、それを「未来への知恵」との語句で言い表している。
ところが、未だに我国では、70数年も昔の話が最重要課題かの様な位置に鎮座しているのである。正確には我国の偏向マスゴミ・所謂カタカナ表記「サヨク」があたかも最重要課題であるかの様に繰り返し「報道」・「主張」し続けているのである。
我国の偏向マスゴミ・「サヨク」が創る国内言論空間は、昭和20年以前の「戦争」があたかも我が国の「総ての「実績」」であるかの様なネジ曲げられたものになっている。現在に至る70数年間の平和の実績よりも、先の大戦が最重要事項であるかの様な言い草が続いている。
それは安倍談話が出てから3年が過ぎている今年2018年も同じであった。
今年に事例として取り上げたのは東京新聞の相変らずの記事(*2)である。
東京新聞の、当該記事の見出しは「◆首相「加害と反省」触れず 戦没者追悼式で6年連続」である。
その記事のリード文部分を以下に引用する。
<東京新聞当該記事リード文部分抜粋引用>
先の大戦でのアジア諸国への加害責任に触れず、反省や謝罪の言葉もなかった。第二次政権発足後、六年続けて「加害と反省」を盛り込まなかった。「国の未来を切り開く」との表現は六年連続で使用。過去に区切りを付けて未来を志向する傾向が際立っている。
<引用終わり>
如何であろう。
この論考の冒頭及び前半部で指摘した通りの典型的な「反日サヨク」論調である。
このリーヂ文は「東京裁判史観・WGIPが正しい「検証するな」」が「前提」として書かれており、「戦後の歩み」という終戦後から今に至る歴史と、今からの「未来」を語ることはけしからんと言っているのである。
2015年8月の安倍談話には、以下が明示されている。
<2015年安倍談話より抜粋引用>
(前略)日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。(後略)
<抜粋引用終わり>
戦後生まれの世代にとっては、当たり前で素直な感覚である。
サンフランシスコ講和条約の発効で主権回復したのは1952年4月28日であるが、その日に生まれた人も、今年で満66歳の前期高齢者である。
戦後の歩みとは、そういう方々の人生そのものである。
それは当方にとっても同じことだ。
歴史に学ぶことの重要さも、歴史は時に歪曲されることも知り、学校を卒業後も趣味としてコツコツと歴史を学び、疑問に思ったことは調べてきた。
自分が生まれる前の歴史、そして、実際に自分が生きた戦後の歴史を踏まえ、その上で辿り着いたのが、先の大戦が我国の歴史の総てであるかの様な論調に対しての強烈なる違和感である。
ニュートラルに考えて、2015年安倍談話が示す、「20世紀という時代背景」、「先の大戦への道のり」、「戦後の歩み」、「未来」との連続する120年弱の時系列で考えることがもっとも自然である。70数年前の出来事が我国の歴史の総てではない。
ところが、東京新聞の記事のリード文の最後には、それを許さないとの文章が書かれている。「過去に区切りを付けて未来を志向する傾向が際立っている。」と書いてある。
70数年前の話を「歴史」として区切り、未来を志向することが、あたかも悪いことであるかの様な書き方である。
2015年の安倍談話の翌年、2016年の5月27日に伊勢志摩サミットで来日していた当時のアメリカ大統領オバマが、戦後、初めて広島を訪問した。
その時のオバマの広島演説(*3)で、オバマは戦後レジュームの終焉を呼び掛けた。
また、その年の年末、2016年12月28日には、今度は安倍首相が真珠湾に訪問し、オバマと共に、寛容と和解の力こそが日米・希望の同盟の礎だと呼び掛けた。(*4)
先の大戦、広大な太平洋で、空前の大空海戦を闘った日米が、先の大戦という過去に区切りを付け、未来を志向すると述べているのである。
ところが、東京新聞は、日米両首脳が広島及び真珠湾で明示した声明の内容をまるっきり無視して、その未来志向を否定しているのである。
そして、今や、両首脳の声明だけではなく、日米両国は既に先の大戦の恩讐を超えている。
それは、普通の人々が自由に情報を発信できるネットでの意見などを見れば明らかである。
ネットで我国を先の大戦で詰っているのは、主に特定アジア諸国と我国マスコミ・野党である。
東京新聞は、今や「あの朝日よりも強烈は反日新聞」と形容される。
その東京新聞が否定する「未来志向」の正体とは、我国が着せられた濡れ衣の永久化の為の方便である。
「未来に向けて努力する」は、ある意味、世界共通(特ア儒教文化圏を除く)の美徳なのであるが、我国偏向「マスゴミ」は、いつも70数年前の先の大戦へと思索の時点を引き戻し、それが最重要な問題であり、それが総てであるかの様な「報道」をするのである。
それは、「未来志向によって「日本悪玉論」が薄められる」との恐怖心が彼等にあることの裏返しである。
我国の偏向マスコミが終戦の日に常用する手法は、「思索の時点」を「先の大戦」へと70年以上の昔へと引き戻すことで、戦後70数年の我が国戦後の努力と成果を総て脇に置き、それら努力と成果に軸足を置く思索を妨害しているのである。
同様、未来志向との思索を妨害するのである。
要するに、戦後生まれの世代が今や人口の八割を超えているにも関わらず、東京新聞は、あの戦争には何ら関わりのない当方の子や孫の世代、そしてその先の世代の子どもたちにも「謝罪」を続けさせたいのである。
今年、2018年の安倍首相の全国戦没者追悼式の式辞(*5)の一部を以下に引用する。
<2018年全国戦没者追悼式式辞より抜粋引用>
今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります。
<抜粋引用終わり>
これをお読みいただいて、どの様に感じたであろう?
未来志向が悪いことだと考える一部の特殊な性癖をお持ちの方以外にとっては、何も問題はなく、むしろ、我国首相として望ましい考え方だと思う。
最後に一言だけ東京新聞に申し上げたい。
2016年のオバマ・安倍両首脳による広島・真珠湾での過去に区切りを付けて未来を志向する声明が成されたことを、普通の日本人が知らないとでも思っているのだろうか? そういう国民を小馬鹿にする記事を書くことは、直ぐに止めていただきたい。
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【文末脚注】
(*1):2015年の安倍談話
2015/08/15投稿:
【コラム】安倍談話を読む
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-188.html
2015/08/18投稿:
【コラム】安倍談話を読む2-1
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-190.html
2015/08/19投稿:
【コラム】安倍談話を読む2-2
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-191.html
(*2):東京新聞の相変らずの記事
東京新聞 2018年8月16日 朝刊
見出し:◆首相「加害と反省」触れず 戦没者追悼式で6年連続
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201808/CK2018081602000160.html
リード文:○安倍晋三首相は十五日の全国戦没者追悼式での式辞で、先の大戦でのアジア諸国への加害責任に触れず、反省や謝罪の言葉もなかった。第二次政権発足後、六年続けて「加害と反省」を盛り込まなかった。「国の未来を切り開く」との表現は六年連続で使用。過去に区切りを付けて未来を志向する傾向が際立っている。
記事:○首相は「戦後、わが国は平和を重んじる国として、ただ、ひたすらに歩んできた。戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合う」と述べた。在位最後の追悼式となる天皇陛下は、お言葉で「深い反省」に言及した。戦後七十年の二〇一五年以降、四年続けて「深い反省」の表現を使っている。
○全国戦没者追悼式の首相式辞を振り返ると、一九九四年、当時の村山富市首相が日本の加害責任に言及し、反省の言葉を語った。その後、一二年十二月に第二次安倍政権が発足するまで、歴代首相は式辞で加害と反省に触れた。安倍首相も第一次政権時の〇七年には「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と認め、「深い反省」の意を示した。
○首相が第二次政権発足後、「加害と反省」の表現を使わず、未来志向を強調する背景には、次世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせない」(一五年の戦後七十年談話)との思いがあるとみられる。今年五月に日中韓首脳会談が約二年半ぶりに日本で開催され、十月にも首相が訪中する方向で調整が行われるなど、東アジア諸国との関係が改善傾向にあるが、首相は式辞で従来のスタイルを踏襲した。
○与党・公明党の山口那津男代表は十五日、東京都内での街頭演説で、先の大戦に関し「多大な損害をもたらしたわが国の行為に対し、心からの反省とおわびの気持ちを込めて、平和の尊さをかみしめなければならない」と訴えた。 (小椋由紀子、山口哲人)
<引用終わり>
【ご参考】
<東京新聞記事にある比較表の画像>
https://blog-imgs-101.fc2.com/f/x/y/fxya/PK2018081602100090_size0.jpg
(*3):2015年の安倍談話の翌年、2016年の5月27日に伊勢志摩サミットで来日していた当時のアメリカ大統領オバマが、戦後、初めて広島を訪問した。その時のオバマの広島演説で、オバマは戦後レジュームの終焉を呼び掛けた。
2016/05/28:【コラム】2016年5月27日広島演説
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-424.html
2016/06/11:(資料編)オバマ広島演説・和訳
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-433.html
2016/06/13:【コラム】オバマ広島演説の分析1
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-434.html
2016/06/17:【コラム】オバマ広島演説の分析2
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-437.html
2016/06/18:【コラム】オバマ広島演説の分析3
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-438.html
2016/06/19:【コラム】オバマ広島演説の分析4
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-439.html
2016/06/21:【コラム】安倍首相広島スピーチ
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-441.html
(*4):アメリカ大統領オバマが広島を訪問した年の年末、2016年12月28日には、今度は安倍首相が真珠湾に訪問し、オバマと共に、寛容と和解の力こそが日米・希望の同盟の礎だと呼び掛けた。
2016/12/29:(資料編)真珠湾両首脳ステートメント
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-573.html
2016/12/30:真珠湾・安倍演説1「和解の力」2016/12/28
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-574.html
2016/12/31:真珠湾・安倍演説2「和解の力」2016/12/28
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-575.html
2017/01/03:真珠湾オバマ演説1・2016/12/28
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-576.html
2017/01/04:真珠湾オバマ演説2・2016/12/28 Final
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-577.html
(*5):今年の全国戦没者追悼式の式辞
首相官邸トップ 平成30年8月15日
<平成三十年 全国戦没者追悼式式辞>
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2018/0815sikiji.html
○天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表、多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。
○苛烈を極めた先の大戦において、祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に斃(たお)れた御霊(みたま)、戦禍に遭い、あるいは戦後、遠い異郷の地で亡くなった御霊、いまその御前(おんまえ)にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。
○今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧(ささ)げます。
○未(いま)だ帰還を果たしていない多くのご遺骨のことも、脳裡(のうり)から離れることはありません。一日も早くふるさとに戻られるよう、全力を尽くしてまいります。
○戦後、我が国は、平和を重んじる国として、ただ、ひたすらに歩んでまいりました。世界をより良い場とするため、力を尽くしてまいりました。
○戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い、どのような世にあっても、この決然たる誓いを貫いてまいります。争いの温床となる様々な課題に真摯に取り組み、万人が心豊かに暮らせる世の中を実現する、そのことに、不断の努力を重ねてまいります。今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります。
○終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。
○平成30年8月15日 内閣総理大臣 安倍晋三
<引用終わり>
【ご参考】
2017/01/17:戦後レジュームの維持に躍起な朝日新聞(真珠湾記事):
http://samrai308w.blog.fc2.com/blog-entry-584.html
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